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【1】
理不尽な叱責

【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)



++++++++++++++++++



息子が先生に叱られた。

それに納得できないという、母親からの

相談が届いた。

そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。



【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)



[投稿者] 小6の母 

こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。

先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。

さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子

が下りてきました。



解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ

ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。

車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。

ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。

少しずつ重い口が開いてきました。



2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。

15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。

お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき

息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意

されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で

はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい

うのです。



でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」

と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす

みませんと謝りました。



いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自

分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。

息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。

息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら

ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。

本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言

いました。



というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・

それから一言も話さなくなりました。

私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。

A君はすぐに電話口で答えてくれました。

「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。

A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って

あげられなかったの?」と話してくれました。

息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。

口を挿むすきがなかったというのです。



息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。

旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ

ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・

まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。

私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が

出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう

か?

このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう

か。



私が学校に行って話をすることは間違っていますか?



【はやし浩司より、Aさんへ】



 この種のトラブルは、日常茶飯事。

よくあることです。

お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。

つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。

社会のありかた、その中での生き方を学んでいきます。

お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。

もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、

しむけます。



一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。

「私が先生のところへ行こうか?」とです。

おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。

つまりこんな程度の問題で、親は出ない!

小学6年生という年齢からして、親が出なければならない問題ではありません。

 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。

それを先生が叱った。



そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。

それだけのことではありませんか。

私なら、笑ってすませます。

 で、あなたは……



(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。



(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。



(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。



(4)先生に抗議しようと考える。



 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、過干渉、過関心+

溺愛ということになります。

あるいは心配先行型の過保護?



 先生に抗議して、得られるものは何ですか?

むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。



 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。

 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。

(2人や3人ではない。30人ですよ!)

おそらく目が回るほど、先生は、忙しかったと思いますよ。

児童たちが床に就いたあとは、反省会。

翌日の予定の確認などなど。



それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。

そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。

……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。

(本気で叱るような話でもありませんし……。)

修学旅行先で、子どもがハメをはずした。

それを叱った。

いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。

先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては

いないでしょう。

あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。



 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは

ない!」と言えなかったのか、ということ。



(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。

 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。

もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。



 で、それはそれとして、結論は、同じ。

「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。

繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって

遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる

というのでしょうか。



 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。

いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。

またそれですませます。



 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、

さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が

参ってしまいますよ。



(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)

子どもはすでに親離れを完成させています。

(年齢的にはそうです。

もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある

ということになります。)

で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。

あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。

子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。

子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく

無視します。

「暖かく無視」です。



子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで

安心します。

その重役を担うのは、(あなた)です。



その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。

「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。

またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。

すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。

なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。

何かのまちがいか思います。



+++++++++++++++++



『負けるが勝ち』



これは子育ての鉄則です。

以前書いた原稿をさがしてみます。

(あなた)や(あなたの子ども)が

そうだと言うのではありません。

あくまでも参考のため、です。

大切なことは、子どもが楽しく

学校へ通うことです。

そのために、負けるところは

負け、引き下がります。

もちろん重大な問題のときは

そうでありません。

子どもの方から、相談でもあれば、

話は別です。

しかしたかが(失礼!)、風呂場の

水のかけあいではないですか。

そんなことで、親は出ない。

私も中学生のとき、旅館で

枕のぶつけあいをして、先生に叱られ

ました。

小学生のときは、廊下で騒いでいて

叱られました。

その程度のことは、みな、しています。



+++++++++++++++++



●負けるが勝ち



 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ

じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか

くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、

「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆

が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人も

いる。



さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1

人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい

う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな

る。



 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。

相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」

とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ

う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ

は、子どものところに集まる。



しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから

……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ

うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。

すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、

あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。



それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ

は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ

きあいの大鉄則と考えてよい。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



【親の欲目】



●親の欲目



 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ

が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。



親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、

その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして

子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。



●やってここまで



 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、

がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、

A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな

ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも

いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し

くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。



 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、

「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ

くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や

る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子

どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。



●子どもを受け入れる



 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい

うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配

で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)

とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ

る。早ければ早いほどよい。



そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成

績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ

ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう

「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



【Aさんへ】



 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!

おいしいものでも食べて……。

あとは時間が解決してくれますよ。

 

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BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉 はやし浩司 家

庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩

司 負けるが勝ち 教師が親を訴える モンスターママ論 育児ノイローゼ 受験ノイロ

ーゼ)








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【2】

●少女時代の傷に悩む



【6月23日・土曜日】山荘にて

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「もう本は書かない」と思っていた。
「本より、ネット」と。
そう思っていた。

が、書くことにした。
その本の原稿が、今日、ほぼ完成した。
この月曜日に書き始めたから、6日間で書いたことになる。

出版社への売り込みはこれから。
しかし長年の勘というか、「この本は出る」と思う。
「出る」というのは、書店に並ぶという意味。
若いころには、1年間で、10冊の本を出したことがある。
ただし誤解がないように。
私は自費出版なるものは、したことがない。
私にとっては、自費出版は、屈辱以外の何ものでもない。

昨夜、ワイフに、「原稿はできたよ」と言うと、ワイフでさえ、驚いていた。
6日間というのは、私にとっても、最短記録。
明日から推敲に入る。
が、山登りにたとえるなら、下り坂。
家の建築にたとえるなら、内装工事。
あとは楽。

「あさってからはつぎの本を書くよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●64歳の生きがい

 恩師の田丸謙二先生は、80歳を過ぎてから、本を出版している。
80歳だぞ!
そういう(事実)が、私を勇気づける。
「先生ができるなら、ぼくにもできるはず」と。

 ……このところ、何をしても、落ち目。
負け戦(いくさ)。
それで本を書く気になった。

 人間というのは、怠惰な生物。
崖から落とされないと、空を飛ばない。
崖から落とされてはじめて、翼(つばさ)をもっていたことを知る。
言い換えると、安逸な生活からは、何も生まれない。
平凡は美徳だが、平凡な人生からは、ドラマは生まれない。

 が、同時に、私は感謝している。
何に対して……というのではない。
こうして前向きに、生き甲斐をもって文章が書けることに感謝している。
またそれができることに感謝している。
今回も、本を書く気になったら、6日間で、それができた。
そういう自分がうれしい。
それに感謝している。

●山荘にて

 ワイフは、先ほど、「12時には寝ようね」と言った。
素直に、私は同意した。
が、今は、まだ10時。
2時間、ある。
2時間も、ある。
で、この文章を書き始めた。
2時間もあれば、20ページは書ける。
単行本だと、120〜150ページで1冊の本になる。
そう考えれば、6日で、1冊の本を書くのは、それほどたいへんなことではない。

 もちろん内容にもよる。
目下、出版業界は、大不況。
それなりにインパクトのある本でないと、出版社がつかない。
で、月曜日に、企画書を、T社という出版社に送った。
このところT社の本を買うことが多い。
販売力がある。
それでT社にした。
すぐ「検討させてください」という返事が届いた。

 今は、そういうやり取りが、ネットを介して、即日にできる。
仕事のテンポが、20年前、30年前とは、比較にならないほど速い。
以前は、見本原稿を10〜20作、プリントアウトし、あちこちの出版社に原稿を送った。
こうしたやりとりだけで、数週間はかかった。

●盗作

 私が元気そうだと、ワイフも、うれしそう。
そうでないと、そうでない。
それがよくわかる。
「出版が決まったら、また温泉に行こうね」と声をかけると、うれしそうに笑った。

 もし出版が決まれば、10年ぶりの本ということになる。
先週までは、「原稿は無料で……」と考えていた。
しかし盗作、盗用、無断転載の多いのには、驚いた。
先月は、1000枚(40字x36行)近くが、あるサイトに、無断転載されていた。
「はやし浩司」の名前は、すべて削ってあった。
同時に、あたかも本人が書いたかのように、体裁を整えていた。

 こういうことがつづくと、まじめにものを書いている自分が、阿呆に見えてくる。
馬鹿ではなく、「阿呆」。
お人好しの阿呆。

善人になる必要はない。……私は善人ではない。
悪人でもないが、しかし悪人の餌になってはいけない。
その悪人が多すぎる。

 一方、私は、いまだかつて、(当然のことだが)、他人の文章を流用したり、あたかも自分の
文章のように偽ったことはない。
これを「盗作」という。
私は無名のもの書きだが、そんな私でも常に、自分にこう言い聞かせている。
「盗作したら、おしまい」と。

 ……若いころ、Kという日本を代表する作家と交流させてもらった。
たくさんの著作物を残した。
が、その作家は、N県に住む無名の作家の原稿を買い取り、それに自分の名前を載せ、本に
した。
それがその作家の死後、発覚した。
原稿を売った作家が、名乗り出た。
以後、そのKという作家は、文壇の世界から、消えた。
この世界では、「盗作」というのは、それを言う。

●挑戦

私「今さら、有名になりたいとは思わない。なってもしかたないし……」
ワ「じゃあ、なぜ本を書いたの?」
私「自分への挑戦みたいなものかな……。このところ脳みその老化を強く感ずる。気力も弱く
なってきた」
ワ「まだ、あなたは若いわよ」
私「そうかなア……。でもまだ10年くらいは、がんばれるような気がする」
ワ「そうよ。がんばれるわよ」と。

 2、3日、運動をさぼると、とたんに体がだるくなる。
動きが鈍くなる。
で、昨日、薬局で、栄養ドリンク剤を買ってきた。
たてつづけに、2本飲んだ。
それがきいた。
テレビのコマーシャルに出てくる男性のように、元気になった(?)。
「ファイト!」という、あれである。

 「あんなものは、効果がないよ」と言う人もいる。
しかし私にはきいた。
それで今夜も、この山荘へ来る前、ドラグストアに寄り、ドリンク剤を3本、買った。
「アリナミン・ゼロ7」と、瓶の表には、そう書いてある。
「7種類の有効成分が入っている」ということらしい。

●旅館の米

 ……ということで、今夜は気分がよい。
少しだが、昨日、ある出版社から原稿料が振り込まれた。
予定していなかっただけに、うれしかった。
即座に、「xx日に、温泉へ行こうか?」と私。

 ……と書いたところで、「待った!」。

 今夜もここへ来る途中、KE苑というラーメン屋に寄った。
全国規模のチェーン店を展開している。
その店で「ここでは、どこの米を使っていますか」と聞くと、店長がテーブルまでやってきた。
一枚のプリントアウトされた紙を、私に見せた。
それには、「栃木米と山形米のブレンド米」と書いてあった。
ともに、東北産。
どうして?

 2週間ほど前、浜名湖周辺のホテルや旅館に電話をかけ、調べた。
どこの米を使っているか、それを知りたかった。
結果、どこも東北産の米を使っていた。
この静岡県で、東北産?

 ファーストフードの、「すきや」では、鳥取米を使っていると教えてくれた。
そういうことなら、話もわかる。
が、どうしてどこも、東北産?

 このことを先日、タクシーの運転手に話すと、運転手はこう言った。
「ワシなんかさあ、3食とも、外食だよ。今さら、……遅すぎるよ」と。

 つまりもう手遅れ、と。

 ……ということで、今月は、温泉巡りは、2度だけ。
「お金が入ったら、温泉」という話は、あまりしない。

●相談

 たった今、マガジン読者の方から、相談が入った。
返事を書いた。
「相談内容を掲載してよろしいですか?」という一文も添えた。
明日の朝までに許可がもらえれば、掲載する。
許可がもらえなければ、回答の部分だけ、掲載する。

【はやし浩司より、NGさんへ】

(掲載許可が届かなかったので、回答の部分のみ。6月24日、朝記)

NG様へ

こんばんは。

NGさんは、すでに自分の過去を冷静に分析しています。
こうした問題は、過去を冷静に見ることができれば、半分は解決したことになります。 

あとは時間がかかります。
10年単位の時間です。

ただし一度傷ついた心は、もとには戻りません。
つまりもうもとに戻ろうとは思わないこと。
仲よくつきあうことです。

だれにも、ひとつやふたつ、大きな傷(トラウマ)があります。
私にもあります。
で、私のばあいも、もう闘うのをやめました。
受け入れたのです。
ぼくは、どうしようもない人間、とです。
あとは、そういう自分と知った上で、それに合った生活を組み立てていきます。

たとえば私は、この年齢になっても、夜がこわくてなりません。
ひとりで寝るのがこわいです。
だからいつもワイフといっしょに、寝ます。
ワイフは、もうあきらめていますが、そういう私と知った上で、つきあってくれます。 

NG様も、自分を責めてはいけません。
あなたはあなた。
みな、平然としていますが、傷のない人はいません。
またあなたが経験した程度の苦しみや悲しみは、乗り越えられるものです。
今は、お母様の介護で、たいへんでしょうが、この時期も、振り返ってみると、あっという間に終
わります。

なお「自己愛的」ということですが、一方で完璧主義になっていないか、注意してみてください。
世の中、いいかげんなものです。
今のあなたには、許せないかもしれませんが、そういうものです。
もし怒りを感じたら、文章なり、絵画なりに、それをぶつけてみたらいいですよ。
私はいつも、書きまくることによって、怒りを燃焼させています。
何か、そういう方法があるといいですね。
何か、ありませんか。

あなたはすばらしい経験をしています。
すばらしい青春時代を過ごしています。
ほかの人が見ることができない世界を見てきています。
そういった自分に自信をもちなさい。
それがあなたの灯台ですよ。
あなたの人生の、あなたの足元を照らしている。
あとはその光に沿って、前に進めばいいです。

ぼくも、さみしい。
あなたもさみしい。
みんな、さみしい。
けっして、自分だけがと思わないこと。
追い詰めないこと。

40歳?
うらやましいほど、若いですよ。
私はもうすぐ65歳になります。
が、負けてはおれない。
ということで、この6日間で、一冊の本を書き上げました。
来週から出版社との交渉に入ります。

40歳、すばらしい年齢ですよ。
エリクソン(ユングだったかな?)が説いた、まさに人生の正午。
どうか今というすばらしい時を見失わないように!
賢人は、それを失う前に、その価値を知ります。
愚人は、それを失ってから、その価値を知ります。
どうか賢人であってください。

なおたぶん、だめだと思いますが、いただいたメールを明日のBLOGに載せていいですか?
もちろん内容(固有名詞など)は、すべて改変し、NG様とはぜったいにわからないようにしま
す。
いかがでしょうか。
同じような悩みを抱えている人は、多いと思います。
みなの力になると思います。

最後に、あのマザーテレサは、こう書いています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【生き様論】「己こそ、己のよるべ」
(はやし浩司 2012−01−01夜記)

++++++++++++++++++++++++

年賀状を1枚、1枚、読む。
読みながら、こう思う。
「若いころは気づかなかったが、みな、それぞれの思いをもち、
年賀状を書いているのだなあ」と。

思いといっても、いろいろある。
平たく言えば、「こだわり」。

ことさら幸福であることを演出してみせる人、
虚勢を張る人、
有意義な人生を送っていることを自慢する人、
活躍ぶりを書いてくる人、などなど。

人はそれぞれ何かの負い目をもって生きている。
そういった負い目が、そのまま年賀状に表れる。
それが悪いというのではない。
人、それぞれ。
かく書く私だって、年賀状の中に、自分の負い目を織り込む。

子どものころからお金(マネー)に苦労した人は、
立派なビルを建てたことを、誇らしげに書いてくる。
家族に恵まれなかった人は、多人数の家族に囲まれた
写真のある年賀状を送ってくる。

その点、生徒がくれる年賀状には、イヤミがない。
ありのままを、そのまま書いてくる。
自分を飾らない。
おとなのような、腹芸を使わない。

では、私は、どうなのか?

これは年賀状をどうとらえるかによっても決まるが、
私は子どものころから、「年賀状というのは、それを
読んでくれる人を楽しませるもの」と考えていた。
だから毎年、趣向をこらし、あれこれと工夫した。

最近は、もっぱら読んでくれる人にとって、役立つことを
書くようにしている。
今年は、漢方で説く、五臓六腑論を図示したものを載せた。

が、このやり方が正しいというわけではない。
「年賀状は、人と人の絆(きずな)を深めるもの」と説く人もいる。
そういう人たちは、たがいに消息を知らせることで、
絆を深めている(?)。

要するに書き方も、人それぞれなら、解釈の仕方も、
人それぞれということ。
ただ最近の私は、年賀状をもらいながら、こう考える。
表面的な文言ではなく、また写真でもなく、「この人は
この年賀状で、みなに、何を伝えたいのか?」と。

そういう視点で見ると、中にはイヤミな年賀状もあるにはある。
こちらが聞きたくもないような話を、あえて年賀状の中に
織り込んでくる。
そういうときは、こう思う。
「ならば、どうして年賀状など、送ってくるのか?」と。

もちろん99・9%の年賀状は、もらってうれしい。
知りあいが元気でやっているのを知るのは、楽しいというより、
それによって、ほっとした安堵感を覚える。
ともすれば狭くなりがちな世界に、空間を与えてくれる。
過去という時間を与えてくれる。

ともかくも、人はそれぞれの負い目を抱きながら、生きている。
年賀状には、それがストレートに表れる。
年賀状を、そういう目で見るのも、また楽しい。

では、また硬い話を……。
平均余命まで、残り、15年を切った。
つまらないことを書き、時間を無駄にするのは、やめた。

+++++++++++++++++++++++++

【己こそ、己のよるべ論】

●ジョン・レノン

ジョン・レノンは、つぎのように言っている。

★You make your own dream. That's the Beatles' story, isn't it? That's 
Yoko's story . That's what I'm saying now. Produce your own dream. If you 
want to save Peru, go save Peru. It's quite possible to do anything, but not 
to put it on the leaders and the parking meters. Don't expect Jimmy Carter 
or Ronald Reagan or John Lennon or Yoko Ono or Bob Dylan or Jesus Christ to 
come and do it for you. You have to do it yourself. That's what the great 
masters and mistresses have been saying ever since time began. They can 
point the way, leave signposts and little instructions in various books that 
are now called holy and worshipped for the cover of the book and not for 
what it says, but the instructions are all there for all to see, have always 
been and always will be. There's nothing new under the sun. All the roads 
lead to Rome. And people cannot provide it for you. I can't wake you up. You 
can wake you up. I can't cure you. You can cure you.
……John Lennon, In Music/John Lennon

君は、自分の夢を作るよね。それはビートルズの物語だよね。それはヨーコの物語だよ。その
ことを今、ぼくは言っているよ。君自身の夢を生み出しなよ。ペルーを救いたかったら、ペルー
へ行って、救えばいい。何だってできるよ。しかしね、それをどこかのリーダーに任せたり、パ
ーキングメーターに任せちゃ、だめだよ。

ジミー・カーターや、ロナルド・レーガンや、ジョン・レノンや、ヨーコ・オノや、ボブ・ディラン、ある
いはイエス・キリストが、君のためにやってきて、君のためにするなんて、期待しちゃ、だめだ
よ。自分でしなければ、いけないよ。

それは、この世が始まってからというもの、偉大な人たちが、みんな言っていることだよ。彼ら
はみな、いろいろな本の中で、道を示して、道しるべを立て、少しのやり方を示すことはできる
よ。本の表紙を飾るために、神聖なとか、いろいろ書いてはあるけどね。しかしそのやり方とい
うのは、そこにあるんだ。今までもあったし、これからも、ね。

太陽の下には、何も新しいものはないよ。すべての道はローマにつづくよ。だれも、君のため
にはしてくれないよ。ぼくだって、君を起こすことはできない。癒(いや)すことはできない。君だ
けが、それをできるよ。
(ジョン・レノン・「In Music」の中で)

●仏教では

 ついでに言えば、釈迦だって、何もできない。
あなたに道を示すことはできても、あなたを助けることはできない。
いくらあなたが一心不乱に祈ったとしても、だ。
釈迦は、こう言っている。
『己こそ、己のよるべ』(法句経)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれ(誰)によるべぞ』(法句経)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●中日新聞に掲載記事より

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、たれによるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

(「原始」という言葉は、後の仏教学者たちが、(さげすむ目的)で使った。
北伝仏教を、「大乗仏教」と呼ぶのも、そのひとつ。
「自分たちの仏教こそが本物」という理由で、「原始」という言葉を使い、「大乗」という言葉を使
った。
「原始」という言葉に、誤った先入観をもってはいけない。)

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。
その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。 

好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。
子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。
が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイプの母親は、それを許さない。
先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。
大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになる
の!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。
「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするなど。
子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。
外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。
自分イコール、子どもというような考え方をする。
ある母親はこう言った。
「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを
殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。 

警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を
叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。
一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。その
原点をふみはずして、子育てはありえない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

法句経については、
何度も書いてきた。
以下の原稿は、2002年7月に書いたもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【家庭内宗教戦争】

 福井県S市に住む男性(47歳)から、こんな深刻な手紙が届いた。
いわく「妻が、新興宗教のT仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。
長い手紙だった。その手紙を箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。

●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のT氏のことばかり。

●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫し
てしまう。

●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ばれて
いなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。

●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やして
いる。
布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。

●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、(夫が)教団を批判しただけ
で、「今にバチが当る」と、(妻は)それにおびえる。

●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさまして」
と、逆にやり返される。

 今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。
たいていは夫が知らないうちに妻がどこかの教団に入信するというケース。
最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるときを超えると、急に、おおっぴらに信仰するように
なる。
そして最悪のばあい、夫婦は、「もう一方も入信するか、それとも離婚するか」という状況に追
い込まれる。

 こうしたケースで、第一に考えなければならないのは、(夫は)「妻の宗教で、家庭がバラバラ
になった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。
すでにその前からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。
それに気がつかなかったのは、夫だけということになる。

よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗
教がある。
とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘し、結果として、自分の勢力を
伸ばす。
しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み嫌った方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブ
ッダは、『スッタニパータ』(原始仏教の経典)の中で、つぎのように述べている。

 『それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ』(二・二六)と。

生きるのはあくまでも自分自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や
教団をつくり、自説の正しさを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダの
やり方ではない。
ゴータマ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。
死の臨終に際しても、こう言っている。

 「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたも
って、実践し、盛んにしなさい。
それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすものであって、その
ことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐(あわ)れ
むために、神々の人々との利益・幸福になるためである」(中村元訳「原始仏典を読む」岩波書
店より)と。

そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き
方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。

 また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。
事実、「あとの書かれた経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。

たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵経)が日本に氾濫(はんらん)している。
そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそ
が、唯一絶対である」と主張している。
それはそれとして、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しか
しその中でも、もっとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ
(釈迦)の教えにもっとも近いものということになるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、その
うちのひとつであるということは常識。

 中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威・故人)も、「原始仏典を読む」の中で、
「原典批判研究を行っている諸学者の間では、異論がないのです」(「原始仏典を読む」)と書
いている。
で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ(法句)』である。
中国で、法句経として訳されたものがそれである。
この一節は、その法句経の一節である。

 私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。

●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使っ
ていない。
いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。

●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。

しかし無量無辺に心が広いから、「仏(ほとけ)」という。
(だからといって、仏の心に甘えてはいけないが……。)
そういう仏が、自分が批判されたとか、あるいは自分から離れたからといって、バチなど与えな
い。

とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・ブッダなら、いちいちそんなこと、気にしな
い。
大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっている」とか、「バカ!」と言われて、怒るだろう
か。
バチなど与えるだろうか。
ものごとは常識で考えたらよい。

●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心のドア
を閉ざす。
「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」という視点で、夫 

婦のあり方をもう一度、反省してみる。
時間はかかるが、夫の妻に対する愛情こそが、妻の目をさまさせる唯一の方法である。 


 ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。
友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教えあい、助けあい、そして全幅の心を開いて
迎えあう関係をいう。
夫婦で宗教戦争をするということ自体、その時点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。 


繰りかえすが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危機的な状況になったのではない。 

すでにその前から、危機的状況にあったとみる。

 ただこういうことだけは言える。

 この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。
あるいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。
そういう人でも、つぎの鉄則だけは守ってほしい。

(1)新興宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。

(2)入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。

(3)仏教系の新興宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ(法句経)』を読んでからにし
てほしいということ。読んで、決して、損はない。

(02−7−24)

【注】

 法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。
話し言葉のままと言ってもよい。
もともと吟詠する目的で書かれた文章である。
それが法句経の特徴でもあるが、今の今でも、パーリ語(聖典語)で読めば、ふつうに理解で
きる内容だという(中村元氏)。
しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。

 仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。
寺の僧侶が読む経典にしても、ほとんどの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。
肝心の中国人が聞いてもわからないのだからどうしようもない。

さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる中国人は、ほとんどいな
い。
いるわけがない。

(サンスクリット語の当て字によるものというのが、その理由である。
たとえば、サンスクリット語では、「ナム」=「帰依する」、「ミョウホウ」=「不思議な」、「レンゲ」
=「因果な物語」を、それぞれ意味する。
それぞれに漢語(中国語)の漢字を当てた。

だから「南無妙法蓮華」は、「不思議な因果な物語」という意味になる。
南無も、妙法も、蓮華も、すべて当て字。)

そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、祭壇の前で、僧侶がうやうや
しく読みあげる。
そしてそれを聞いた人は、意味もなくありがたがる……。
日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。

 それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年からそ
れ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。

中村元氏は、生前、何かの本で、「大乗非仏説」(チベット→中国→日本へ入ってきた大乗仏
教は、釈迦の説いた本来の仏教ではない)を唱えていたが、それが世界の常識。
こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、この日本ということになる。

 たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということは書いてある
が、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。
むしろ法句経の中には、釈迦が来世を否定しているようなところさえある。
法句経の中の一節を紹介しよう。

 『あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない』※

 来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。
そういう意味では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。
「チベット密教そのもの」と主張する学者もいる。

 チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治めたり、人の病気を治したりす
る。
護摩(ごま)をたくのもそのひとつ。
みなさんも、どこかの寺で僧侶が祭壇でバチバチと護摩をたいているところを見たことがあると
思う。
あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、仏教の儀式ではない。
釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を否定すらしている。

『木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。
外のものによって、完全な清浄を得たいと願っても、それによっては清らかな心とはならない。
バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、内部の火をともす』(パーリ原点協会本「サニュッ
タ・ニカーヤ」第一巻169ページ)と。

 仏教は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではないだろ
うか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過去
論 前世論 未来論 来世論 はやし浩司 仏教論 日本の仏教 法句教 ダンニパダ ゴー
タマ・ブッダ はやし浩司 木片を焼いて バラモン はやし浩司 中村元 中村 元 原始仏教
 北伝仏教 大乗仏教 はやし浩司 パーリ原本協会)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2003年6月、今から9年ほど前に
こんなことを書いていた。

宗教とは何か。
それについて書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●未来と過去

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるという。
ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。
しかしこれには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。
反対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。
もちろんどちらがよいとか、悪いとかいうのではない。
ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後
は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。
それはほとんど毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。
そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、ない。
が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。今度は、
私の生きザマが、それにかかわってくる。
私にとって大切なのは、「今」。
10年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」と
いう程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。
しかし釈迦の経典※をいくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。
イエス・キリストも、天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。
日本に入ってきた仏教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベ
ット密教とミックスされてできた経典である。
とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。
あるいは「あればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。
本当のところはよくわからないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしても
できない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなもの
を、神や仏が、相手にするわけがない。
少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手にしない。
どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。
小市民的で、スケールも貧弱。
仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。
与えられた「今」を、徹底的に生きる。
それしかない。
それに老後は、そこまできている。
いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。
そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむ
ようになったら、おしまいということ。
あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまい
ということ。
そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるも
のはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々に前進
することこそ、大切だ」と教えている。
しかも「死ぬまで」と。
わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。
そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。
人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。
過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 1年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

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【前向きの人生、うしろ向きの人生】

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。
しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。
しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。
自信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70歳)が
いた。
その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた人だった。
くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を5人ほど雇うほ
どまでになった。
が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸前にまで
追い込まれた。
(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってから二年後に他界している。)

 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をして
いた。
が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。
その人には、私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。
「母は、異常なまでにケチになりました」と。
たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出し
たという。
「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。
値段も、2000円とか3000円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。
つぎからつぎへと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。
波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。
船が止まってもいけない。
航海していて一番こわいのは、方向がわからなくなること。
同じところをぐるぐる回ること。
もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はない。
死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。
雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。
唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がいる。
しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。
いくら釣りがうまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率
を暗記しても、それがどうだというのか。
そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。
昨年、私はある会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、八〇歳を過ぎた
女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。
私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚いた。
「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。

「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばら
しい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。
しかしそういう航海からは、ドラマは生まれない。
人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。
そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。
人生の大波小波は、できれば少ないほうがよい。
そんなことはだれにもわかっている。
しかしそれ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。
その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き
になる。
そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。
信仰があるから、人は信仰するのではない。
あくまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。
よく神が人を創(つく)ったというが、人がいなければ、神など生まれなかった。
もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって説明するのだろうか。
これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。
ひょっとしたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。
しかし嘆くことはない。
そのあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。
たとえば昆虫が進化して、昆虫人間になるということも考えられる。
その可能性はきわめて大きい。
となると、その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。
隕石の衝突が恐竜の絶滅をもたらしたという。
となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。
そのときの恐竜には神はいなかったのかということになる。
数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数十万年など、マバタキのよう
なものだ。
お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。
しかし数十万円では、パソコン一台しか買えない。
数億年と数十万年の違いは大きい。
モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000年ほど
前のこと。
たったの6000年である。
それ以前の数十万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているので
はない。
この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多い。
だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。
そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。
そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。
(だからといって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)
仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というの
は、そういうものを期待してするものではない。

ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマパダ」)、つ
まり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているので
は……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどう
かを決めるのは、私たち自身である。
仏や神の意思ではない。
またそのふんばるからこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。
ドラマもそこから生まれる。
 
 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。
毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その一人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。
たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。
そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。
いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが
……)、さらに困る。
もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格
で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。

「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。 

そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。

が、何も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。 

またその女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。
その女性の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。
この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言っては
ならない。
まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずすようなもの。
ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。
何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないこと
と言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。
そしてどうすれば、うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生はおしまいと思っている。
そういう人生は敗北だと思っている。
が、いつか私はそういう人生を送ることになるかもしれない。
そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようにな
るかもしれない。
私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。
歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという
間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。
しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。
生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。

……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく
気になる。
電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察する。 

先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目
的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考え
ているのだろう」と。
そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。
その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと考えている人も多い。
中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。
クシャクシャになったオートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。 


人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。 

愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでし
まうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。
しかしふと油断すると、いつの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていく
のがわかる。
それは実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。
何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。
それは体の健康と同じで、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。
ゴータマ・ブッダは、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。
精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始める。
そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。 


 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(以上、2003年06月13日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自分の力で生きる

 生きることは、孤独なこと。
自由に生きようと思えば思うほど、
またひとりで生きようと思えば思うほど、
孤独。

が、孤独を恐れてはいけない。
孤独であるのが、当たり前。

 最後にマザーテレサの言葉をあげる。
あのイエス・キリストも孤独だった、と。
マザーテレサは、そう説いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

 イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いている。こ
の中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことである。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the 
hunger for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus 
himself experienced this loneliness. He came amongst his own and his own 
received him not, and it hurt him then and it has kept on hurting him. The 
same hunger, the same loneliness, the same having no one to be accepted by 
and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles 
Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger.

 キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物として
のパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも
受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、である。彼自身
も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつけつづけた。どんな人も
孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともきびしい、つまりは、真の空腹というこ
とになる。

(終わりに一言)

 マザー・テレサのこの言葉には、本当に勇気づけられる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 孤独論 マザーテレサ hunger 渇き イエスキリスト はやし浩司 マザーテレサ
 キリ 
ストも孤独だった イエス・キリスト 孤独論 はやし浩司 マザー・テレサ)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


NG様へ

みんなで力を合わせて、生きていきましょう。

では

はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●6月24日

 今朝は6時に目が覚めた。
さわやかな朝だった。
山荘ではいつもそうだ。
梅雨時でも、湿っぽさの中に、さわやかさを感ずる。

 そうそう、昨夜知ったが、今回の台風4号で、入り口にあるコナラの木の枝が折れた。
人間の太ももほどもある、太い枝で、押してもビクとも動かなかった。
今週中に、チェーンソーをもってきて、シイタケの原木を作る。
その枝だけでも、20〜30本は、できそう。
こういうのを、「怪我の功名」という。
大辞泉には、こうある。
「過失や災難と思われたことが、思いがけなく好結果をもたらすこと。
また、何げなくしたことが、偶然にも好結果を得ること」と。

 「怪我の功名」ね?
「語源由来辞典」(ネット)には、つぎのようにある。

「怪我と書くのは、当て字。
……本来は過失を意味し、その過失から生まれる失敗(けが)を含むようになった。
……語源は未詳であるが、『けがる』『けがれる』が語源かと思われる」と。

 どうして怪我を「怪我」というか、今朝、その意味をはじめて知った。
と、同時に、これからは「ケガ」もしくは、「けが」と書くことにした。
当て字は、できるだけ避けるようにしている。

●朝雲

 山間(やまあい)の谷では、小綬鶏(コジュケイ)が、鳴いている。
♪チョットコイ、チョットコイ……と。
空は曇り、その向こうに、まだらになった薄い青空が見える。
台風5号が近づいているということだから、断言はできないが、昼前にはこの雲も晴れるはず。
私は勝手に「朝雲」と呼んでいる。
夜明け前後に山間を覆う雲のことをいう。
大地のぬくもりが残っているとき、冷たい風が上空を覆うと、朝雲が発生する。

 こういう朝は、小綬鶏の声が、シンと胸に響く。
もうすぐホトトギスも鳴きだすはず。
♪トーキョートッキョ、キョカキョクと鳴く。
……が、この曇天では、どうかな?

●帰り支度

 ワイフは、まだ眠っている。
時刻は、午前7時、ちょうど。
私は帰り支度を始める。
今日は原稿の推敲で、忙しい。
それにPippi(ぼたんインコ)に会いたい。

 人間の子どもにたとえるなら、もう自立期に入ったらしい。
勝手に部屋から部屋へと飛び回っている。
用がないときは、私たちには見向きもしない。
名前を呼んでも、近くへ来ない。
が、そのくせ、何かこわいことがあると、サーッと私のシャツの中に入ってくる。
先日、大雨が降ったときもそうだった。

 で、そのときこんなことがあった。
シャツの中にいたPippiが、突然、モゾモゾと動き出した。
あちこちを動き回った。
肩から胸へ、胸から腹へ……。
何ごとかと思って見ていると、外へ出てきた。
出てきたところで、糞をした。
で、その糞が終わると、またシャツの中へ。
一目散にシャツの中へ。
その様子が、便をしたくて焦る人間の姿に、よく似ていた。
私は糞をティッシュペーパーで拭きながら、笑った。
 
 Pippiは、本当に楽しい。

 ……ということで、今朝は、ここまで。
35枚程度の原稿になった。
この2倍もあれば、1冊の本になる。
分量的には、そうなる。
来週は、別の本に挑戦してみる。
2012/06/24記

【NGさんより、はやし浩司へ】

●今日(2012年6月23日夕)、NGさんより、返事が届いた。

+++++++++++++++++++

はやし浩司先生

こんにちは。今日は蒸し暑いお天気ですね!
私からの一方的な長々としたメールに対して、早々に丁寧なメールの返信を頂き、恐縮してお
ります。
先生からのメールを読んでみて、傷ついた心についてはもう、皆同じような傷を一つや二つ持
っている
ものだと思い、仲良くつきあうことにしようと思いました。
そして、今までつまらない青春時代を送ってしまったと思っていましたが、先生の

>あなたはすばらしい経験をしています。
>すばらしい青春時代を過ごしています。
>ほかの人が見ることができない世界を見てきています。
>そういった自分に自信をもちなさい。
>それがあなたの灯台ですよ。
>あなたの人生の、あなたの足元を照らしている。
>あとはその光に沿って、前に進めばいいです。

の言葉に涙が出ました。まるで父親からかけられた言葉のように思いました。
そして、結婚については、ゆっくり焦らず、お釈迦様の教えをよく考えて、そういう人に巡り会え
たらしようと思います。

> ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。
>友というのは、いたわりあい、なぐさめあい、教えあい、助けあい、そして全幅の心を開いて迎
えあう関係をいう。

そして、自らを灯火とし、今が一番の正念場と思い、正しく舵を取り、自信を持ってこれからの
残りの人生を日々一日一日を
懸命に生きて行こうと思いました。
私のメールですが明日のBLOGに載せて頂いて構いません。むしろ取り上げて頂いて有難く
思います。
(先生のBLOGのアドレス教えて頂けますでしょうか?)
それでは、みんなで力を合わせて生きて参りましょう。
先生のご健康とご活躍をお祈りしております。
ありがとうございました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●NGさんからのメール(掲載許可をいただけましたので、紹介させてもらいます。)

【 年 齢 】:40 歳
【 性 別 】:女性

はやし浩司先生へ

はじめまして、私40才のS県在住の女性、NGと申します。
私は現在うつ病(統合失調質人格障害)を患っており、精神科にかかっております。
が、なぜこんな病気になってしまったのかと、その原因が何かとずっと悩んでいます。

それで、先生がギャングエイジに関してHPに書いておられることを知り、ギャングエイジで失敗
をした経験がずっと心から離れないので、ぜひ先生にお話を聞いて頂き、解決の糸口を見つ
けたいと思い、メールさせて頂きました。
私の経歴を以下に記します。

6ヶ月……新興住宅街に父が家を建てたため引っ越してくる。
近くの幼稚園が数が足りず、入れなかったため、親たちが作った幼稚園(地元の神社の境内
にあった)に通う。
親しい友達は近所の男の子と、転入生の女の子2人だけだった。

小2年……ギャングエイジで親しい女友達と男友達と性的な仲間集めの遊びをしていたのだ
が、学校の帰りの会で、皆の前で立たされ、叱られ、その恥ずかしさのあまり、それまで活発
だった性格だったのが、一転、目立たない様に、おとなしくするようになってしまった。

(担任の先生にはギャングエイジについての知識がなかったのか? 
この時静かに見守ってもらっていたら、違う人生だったのではないかと思う。)

小3年……クラスのある男の子をいじめてしまい、差別だと言われまた帰りの会で叱られ、ま
た落ち込む。
完全に心を閉ざ すようになってしまう。

小4年……同じ学年の優秀な女の子(幼稚園も一緒だった)に誘われ、キリスト教の教会の日
曜学校へ通いだす(数年続く)。
暗唱成句を守る生活をするようになる。

小5年……アイドルブームで周りの女の子が華やかになって行く中で、自分だけついていけな
いことに悩みだす。

小6年……一度登校拒否のような早退をしたことがあった。
中1年……校則の厳しいマンモス校で、はじめ、友達を作りやっていけるかどうか不安で、泣い
たことがあった。
誘ってくれた友人は、私立の御三家の中学へ進学。
クリスマスに久しぶりに教会へ行ったが、彼女が既に洗礼を受けていることを知り、ショックを
受け、行かなくなる。
好きな私服が選べなくなる。
親に買って欲しいとも言えなくなる。

中2年……優等生を演じることで必死だった。
中3年……とにかく3年間部活動と受験勉強に明け暮れ、身も心もボロボロになっていたと思
う。

高1年……地区で2番めに優秀な進学校へ入学。
部活と勉強に必死。
独りで繁華街をさまよい買い物依存症が始まる。

高3年……受験勉強のため塾通いを始める。
帰りは夜10時。

大1年……中学1年の時に好きだった男子の通う大学の近くのN大英文学科に入学したが、
サークルには入らず、勉強が辛い毎日。
夜は歯科助手のアルバイト。
帰りは10 時。

大2年……姉が結婚して家を出る。
父が脳梗塞で左側軽い半身不随になると同時に退職。
お酒を辞めない。
母がだんだんヒステリーになっていく。
姉を失った悲しさから1年間泣き通し。
好きだった男の子とデートに行くも、帰り家まで送ってもらえず、都内の駅でそのまま別れ、失
恋したと思い込む。
勉強が大変で、そちらばかりに打ち込む。
他大から来た老教授に見出される。

大3年……辞書学研究会に入れてもらう。
英語での論文に悩む様になる。
老教授からセクハラを受けるが、何も言えず我慢する。
女子大育ちの女性教授との板ばさみになる。

大4年……出身中学へ教育実習へ行った後、胃を壊し、以来35歳まで胃腸科通いが始まる。
(この時精神科受診していれ ば良かったと今後悔している)
就職活動の要領がわからず、老教授の勧めもあり大学院進学を決める。

院1年……ほとんど授業に着いていけない辛い毎日。
院2年……途中、老教授の計画に組み入れられ英国留学。
日本人の人たちとの人間関係に悩み、好きでもない男性
から結婚を迫られ、ノイローゼになり夜眠れなくなり、帰国。

24歳……昼夜逆転の自宅療養生活を1年間続ける。

25歳……女子大の女性教授の世話でT大の言語学関係の研究室でアルバイトを始めるが、
辛い毎日。
科学研究費の裏金工作をさせられる。

28歳……我慢できず大学のアルバイトを3年半で辞める。

29歳……パソコン教室に通いだす。

30歳……眠れなくなり初めて精神科受診。
自己愛神経症の診断。
父他界。
生命保険会社で営業職を始めるも3ヶ月で辞める。

31歳……父他界の数年前から母が認知症に……自宅療養兼介護。

32歳……自宅療養と介護。

34歳……派遣契約社員としてIT企業のコールセンターで働くも年下の男性が好きになり、結
婚したいと言ったら、結婚とは唐突ですねと言われショックで薬を大量服用し、胃腸科に入院。
退職。
年内にまた2度大量服用し、年が 明けて精神病 
院に入院(7ヶ月)。
うつ病(回避性人格 障害)の診断。
母は母の友人(クリスチャン)の経営するグループホームに入居。

35歳……退院し、実家に一人で戻って来る。
母の友人(クリスチャン)に再び教会へ連れて行かれる。

36歳……自宅療養。
37歳……エビリファイという薬と出会い、体調が改善し、近所のスーパーの清掃員のアルバイ
トを始める。
統合失調質人格障害と診断される。

38歳……初めて男性と付き合う。

39歳……ブログを始める。

40歳 現在に至る。

教会の牧師から、52歳の男性との結婚を勧められているが、気が進まないのです。
もともと自分が行きたくて行き始めた教会ではないし、信仰も子どもの頃はあったような気がす
るが十字架の意味は未だ分からないです。
最近、信じているのかよく分からないのに、信仰告白してしまいました。
もう40歳、誰も結婚してくれる年齢ではありません。

思春期のつまづきにより辛いことだらけだったが、妥協して好きでもない男性と結婚するのが
良いのか、もうこのまま一生独身で居るか、迷っています。
実家で一人が一番気楽ですが、経済的な不安があります。
なぜこんな病気になってしまったのか、原因が何にあったのか、知りたいです。
長々と申し訳ありません。
先生のご意見をお伺いしたいです。
ギャングエイジを失敗させられたことを今から訴えることは出来ますか?
だれが先生に知らせたか未だに分かりません。
藁をもすがる思いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

S県NGより

2012/06/24記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【3】
娘(小1)の不登校

【ある相談より】

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)

【KMさんより、はやし浩司へ】

小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけ
なくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履
きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も
腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。

登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が
生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、ま
た喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で
主人が不在なことに救われています。

が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わ
ない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
 でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。

(H県在住、KMより)

【はやし浩司よりKMさんへ】

 たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。

 原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。

「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけで
す。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。

 では、どうするか。

 もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。

 なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべき
は、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。

 ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。

 で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。

 「ズル休み」について書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった
偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式
を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを
表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることが
できる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1
万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低
い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンク
ーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせ
て、学校がカリキュラムを組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみ
になっている。
つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにし
ても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自
分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システ
ムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学
だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もい
る。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にい
たっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化してい
る。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。ま
たそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から
支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、
それもしかたのないことではないかと、私は思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆ
とり)2012/06/29再掲載

【KMさんより、はやし浩司へ】

 ご返信ありがとうございました。
先生のおっしゃる通り、登校拒否が問題なのではなく、その根本にあるものをもう一度見つめ
なおしてみようと思うことができました。

今はあせらず、とにかく娘のペースに合わせてできるだけ希望に添えるように頑張ってみま
す。

 もうひとつだけ相談させてください。
単身赴任中の主人にしばらく帰省しないよう話すのはよくないでしょうか?

先生にアドバイスをいただいたように、私自身の欲求をおさえ、娘のための時間を・・・という決
意はできました。
やれるだけやってみようという想いです。

 ただ、「ダイエットで肉絶ちしているわたしの前で焼き肉をほおばれるようなタイプ」の主人を
目の当たりにしながら、その自由さをみせつけられながら我慢をしていると頭がおかしくなりそ
うです。

娘の登校拒否についても関心がないのか、この話題に口をはさむこともなく、たった2日しかい
ない帰省した週末も昼間からお酒を飲み、昼寝しています。

娘はパパが大好きです。
帰省も月に1〜2度はあり、帰省した日は大喜び。
行っちゃう日の前日は、挙動不審なんだかちょっとおかしい・・・精神的に病んでるように泣いた
りします。

 毎月毎月こんな風に生活が乱れながらも、いままで通り帰省をしてもらったほうがい
いのでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、KMさんへ】

 おはようございます。

 残念ながら、夫婦の問題は、夫婦しかわからない複雑で微妙なものです。
いろいろご事情もあるかと思います。
思い出も、いきさつもあるかと思います。
あなたが感じている不平不満も、満たされない愛への欲求不満だけかもしれません。
(もちろんそうでないこともありますが……。)

 こういうときは、自然の成り行きに任せなさい。
水が低いところを求めて、流れていくように、
雲が風に乗って流れていくように、やがて行き着くところへ、行き着きます。

 大切なことは、けっして出口のない部屋に自分を追い込まないこと。
反対に、出口のない人生はありません。
気を楽にし、「こうでなければ」と考えないこと。

 夫婦についても、「許して、忘れる」。
カリカリしないで、夫をおおらかに包んであげてみてはどうでしょうか。
あなたの出方ひとつで、夫も大きく変わるはずです。
愛人がいれば別ですが、そうでなければ、夫もさみしい思いをしているはずです。

 できれば、今の「谷」を乗り越えてほしいと思います。
それがいつか、すばらしい思い出になるからです。
人生というのはそういうものです。

 あなたも勇気を出し、「許して忘れて」みなさい。
あなたのほうが、一歩、夫を抜き出るのです。
相手は幼い子どもと思えばいいのです。
そしてあなたの心をとりまき、がんじがらめにしているクサリを解き放つ。

「許して忘れる」については、たくさん書いていますので、
「はやし浩司 許して忘れる」を一度、検索してみてください。

 危機を乗り越える方法はいくつかありますが、逃げるのではなく、受け入れるのです。 

逃げれば逃げるほど、あとを追いかけて来ますよ。
キバをむいてね。

 つぎに夫が帰ってきたら、いっしょに焼き肉を食べにいきなさい。
この世界、「負けるが勝ち」です。
それでも足りなければ、さらに負けるが勝ち。
負けて、負けて、負けまくるのです。
あなたのほうが、心を溶かせば、夫も、心を溶かします。
それができたとき、あなたは、夫婦でも、つぎのステージにあがることができます。
それまでの自分が小さく見えます。

 あとは自然体で。
それでも夫婦のままの人もいれば、それで夫婦せあることをやめる人もいます。
あとはそのときの成り行きで決めなさい。

 今、あなたは生きている。
目が見える。
音が聞こえる。
そこにうるさいけれども、家族がいる。
そこに原点を置きなさい。

 それですべての問題は解決しますよ!
どこの夫婦も、表面的にはうまくいっているように見えますが、あくまでも表面的。
みんな同じような苦しみや悲しみ、不満や不平をかかえています。

 賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、その価値を失ってから気づきます。
どうか、賢人であってください。
私はあなたがうらやましい。
人生のドラマの、まさに真っ最中にいる。
若くて、健康で、家族がいて、娘がいる。
今、そこにないものを嘆くのではなく、そこにあるものを喜び、感謝します。

では。
また!

はやし浩司
2012/07/03記




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【4】

【家族への思い】
(「家族」の重圧感で苦しむ、1人の女性)

 A県M町に住んでいるEさんからのメール。
それを読んだとき、胸が詰まった。
「家族とは何か」と。

 「家族」という言葉に、幻想をいだいてはいけない。
ほんの少し、どこかで歯車が狂うと、まさに三界の足かせ。
切るに切られない、腐れ縁。
「家族」という呪縛の中で、もがき、苦しむ。
逃れようと思えば思うほど、家族は、キバをむいて、襲いかかってくる。
「何とかしてほしい」と。

その重圧感には相当なものがある。
1日とて心の晴れぬ日はない。
心の壁にぺったりと張りつく。
めくっても、めくっても、張りつく。
Eさんも、その1人。

【Eさんより、はやし浩司へ】

はじめまして、A県M町に住むEといいます。
失礼ながら今日偶然に、先生のサイト(幼児教育ぽーたるさいとQ&A「家庭内暴力」)を見つ
け、拝見させていただきました。
先生のご解答に、小さな希望を感じ、どうしても相談に乗っていただきたくメールしました。
長くて、文章も読みにくいと思いますが、どうぞよろしくお願いします。


私自身も現在子育てに奮闘しているところですが、今回、ご相談させていただきたいのは、私
の実家の兄弟についてです。

今年で30歳になる弟は、新卒で新潟市に本店を置く銀行に勤め、就職して2か月ほどたった
ときに仕事を失いました。
職場恋愛でできた彼女に対し、仕事中に暴力、(弟いわく、強く腕をつかんだ程度だったという
ことです)をふるい、そのことで上司に無理矢理退職届けを書かされたのです。

弟は、別れを切り出された彼女に対して、何度もメールしたが無視された。
仕事中に話そうと思ったがまた無視された。
それで怒って「なんで無視するんだ」と、腕をつかんだそうです。
彼女は泣きながら上司に相談し、次の日に、上司が弟を呼び出し退職届を書かせたという成
り行きです。

その後、A県M町の実家に帰ったのですが、母への暴力や兄とのケンカで、警察沙汰が絶え
ず、現在はA市内で、私が結婚する前に一人暮らししていたマンションで、一人暮らしをしてい
ます。
仕事はせず、家賃、生活費はすべて親の仕送りです。

私は彼が仕事を失ったとき、「相手も悪いが、女の子に暴力したことはいけなかった」と言いま
した。
3年ほど前までは「謝れ」「訂正しろ」「お前が悪い」と、私の間で、毎日のように電話やメールが
ありましたが、私が意見を変えないままでいると、連絡が途絶えました。
今はこちらが連絡しても無視です。
唯一、父とだけは月に一回程度、会ったり電話することがあるようです。

私は、期限をきめて、一度仕送りを辞めた方がいいのではと言うのですが、親は、彼が実家に
戻りまた暴力をふるうことを恐れ、そのままの状態が続いています。

また、今年34歳になる兄も、5年前から実家に引きこもっています。
実家に帰っても、目を合わせるどころか、私を避けて部屋に、そのままこもってしまいます。

兄と弟を社会復帰に導くためには、どうしたらいいのでしょうか。

今回、先生にご相談したいのは上に書いたとおりですが、家族のことをもう少し詳しく知ってい
ただきたいので、時間があれば読んでいただけますか。

私の実家はA県M町にあります。
家族構成は、父、母、兄、私、弟、10年前に他界した祖父も含む6人家族でした。
父はA県の職員、母は実家で小さな美容室を経営、祖父はいつも家にいました。
外から見ると、大人しい父と明るい母、優しそうな祖父、何も問題のないような家族だったと思
います。
でも私は幼いころから原因のわからない寂しさ、息苦しさ、温かい家庭へのあこがれを強く感じ
ていました。

今思うと、コミュニケーション不足と、甘え不足だったと思います。
母はいつも忙しそうにしていましたし、父は子どもに対して全くの無関心。
祖父も家にいましたが、自己中心的で話をきいてくれるタイプではありませんでした。
私はずっと父親嫌いで、家庭崩壊の原因は父にあると思っていました。

しかし、母も実際は人一倍プライドが高く世間体を気にしますし、子どもの意見を聞いてくれま
せんでした。
それどころか、一見しただけではわからないのですが、母は極端に否定的な考え方をし、私た
ちに対して、束縛意識も強かったようです。
「家族のために犠牲になっている」という被害者意識も、ありました。
それに私が気づいたのは大人になってからで、かなりの時間がかかりました。

幼いときの3兄弟はというと、兄はオレ様タイプで、弟は人懐っこい甘えん坊、私は外では仮面
をかぶり、明るく、友達にも恵まれていました。
どこにでもいそうな子どもたちでしたが、思春期になると親子間、兄弟間で会話することもほと
んどなくなり、思春期を過ぎたころにはそれぞれがどうにもできない問題を抱えはじめました。

兄は他人と会話できず変人と言われ孤立、弟は高校時代に不登校児になり、浪人時代から母
に暴力をふるうようになりました。
そして、私は大学卒業あたりから、過食嘔吐をくりかえすようになりました。

私は娘の存在のおかげで、去年、ようやく過食嘔吐を卒業しました。
子育ては大変なときもありますが、子どもを抱くことで、過去の傷が癒されていくのを実感して
います。
そして、今は実家の家族の関係を少しでも修復したいと考えるようになりました。

私とは会話をしたがらない兄と弟ですが、どのような接し方をすればいいのでしょうか。 
そして、兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作るにはどうしたらいいのでしょうか。
お忙しいと思いますが、アドバイスをいただけたらとてもとてもうれしいです。

【はやし浩司より、Eさんへ】

 つらい気持ちは、よくわかります。
私も同じような問題をかかえ、40年以上も苦しみました。
で、数年前、実兄、実母が他界し、実家を売り払いました。
どれも悲しいことでしたが、しかし私は生まれてはじめて、解放感を味わいました。
「家族というより(家)から解放された」という、解放感です。

 で、こういうケースで、いちばん苦しんでいるのは、実は、あなたの両親です。
そしてこういうケースで、いちばんのキーパーソンは、実は、あなた自身なのです。
と書いても、どうか負担に思わないでください。
あなたが良き理解者として、両親の話し相手になってやる。
それだけで、あなたの両親は救われます。

(1)良き聞き役に徹すること。
(2)両親を批判したり、両親に責任を追及しないこと。
(3)あなたの両親は、あなた以上に、苦しみ、悩んでいます。
大切なことは、家族同士が、傷つけあわないこと。
傷つけあっても、問題は何も解決しません。

 「お父さんも、たいへんね」「お母さんも、たいへんね」と。
あなたのやさしさだけが、あなたの家族の中では、光であり、希望なのです。
で、両親がそれによって救われ、前向きに生きる希望と勇気をもったとき、あなたがた家族の
かかえる問題は、解決します。
約束します。

 そのときどきは遅々として進まない時間。
変わらない生活。
何かと苛(いら)立つことも多いことでしょう。
家族がもつ閉塞感には、相当なものがあります。
私も、40歳の始めころは、実家へ帰るとき、実家が近づくにつれ、仏教の経典を唱えずしては
おれませんでした。
それくらい苦しかったです。
恐らく、今のあなたも、そうでしょう。
が、この問題だけは、どうにもなりません。
「運命」だからです。

 つまりね、Eさん、人には無数の糸がからんでいます。
過去の糸、性格の糸、社会の糸、そして家族の糸。
そういった糸が、無数にからんで、あなたの行く道を決めてしまいます。
が、この運命という魔物は、それから逃げようと思えば思うほど、あなたにキバをむいて、襲い
かかってきます。
が、ひとたび、受け入れてしまえば、今度は、向こうからシッポを巻いて退散していきます。
卑怯で、小心者です。

 ですからあなたも、「こうでなくてはいけない」という(形)を捨て、運命をそのまま受け入れなさ
い。
あなたはそういう家庭で生まれ育った、1人の人間です。
引きこもりの兄。
無職でスネかじりの弟。
原因は、いろいろありますが、今さら、原因を追及しても、あなた自身が悲しくなるだけです。
方法は、簡単。
(現状)をそのまま受け入れ、「まあ、人生、こんなもの」と、受け入れてしまうことです。
たとえばあなたの弟が、「謝れ」「訂正しろ」「お前が悪い」と言ってきたことについても、「そう
ね」と言ってあげればよいのです。
「ごめんなさい」と言ってあげればよいのです。
「あなたが悪い」という前提で、話をしてはいけません。
(恐らく弟は、あなたを母の代理として、攻撃していると思われます。)

 弟は弟で、思うようにならない人生の中で、もっと言えば、自我の確立ができない状態の中
で、もがき苦しんでいます。
(親を責め、親からお金を取ることについては、「復讐」と考えているかもしれません。)
自分勝手で視野が狭いということはありますが、しかし弟の心を救うのも、あなたです。
あなたのやさしさです。

 あとは勇気を出して、足を一歩、前へ踏み出せばよいのです。
体はあとからついてきます。

 あなたにとっては、きびしい時期かもしれませんが、この時期を乗り越えれば、あなたはすば
らしい女性=母親になれます。
そのための試練と考えてください。
やり方をまちがえると、あなたもグチ人間になり、低劣な人間になってしまいます。
最悪のばあいは、あなたも、そのままたとえば、うつ病という暗い迷い道に入ってしまいます。
今、あなたはその瀬戸際にいます。
苦しいでしょうが、私はこうした試練を、「第二の産道」と呼んでいます。
ごくふつうのありきたりの人間になるか、それとも苦しさを乗り越え、すばらしい人間になるか
の、その分かれ道です。

 まわりをご覧なさい。
夏風のさわやかさを、肌で感じてごらんなさい。
その状態で、あなたの兄や弟を見てごらんなさい。
ちっぽけで、つまらない人間に見えてきますよ。
そんな人間に、引きずられ、悶々と悩んでいたら、あなた自身も、同レベルの人間になってしま
います。

 「私とは会話をしたがらない兄と弟ですが、どのような接し方をすればいいのでしょうか。 
そして、兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作るにはどうしたらいいのでしょうか」という部
分についてですが、(接し方)については、すでに答は出ています。
運命を受け入れる、です。

「ああなってほしい」「こうなってほしい」とは、思わないこと。
ただひたすら、相手の立場に立ち、「兄さんも苦しいのね」「弟も苦しいのね」と。
ねぎらいの言葉をかけてあげます。
もちろん両親に対しても、です。

 幸いにも、現在は、両親も健在で、現状維持ができる状態にあります。
両親は両親で、勝手に(?)仕送りをしているのですから、両親に任せておきなさい。
(私もそうでしたが、そういう息子をもつと、親は、「がんばらなくちゃ」と思うものです。)

 で、「兄と弟がこれから社会に出るきっかけを作る」という部分ですが、あきらめなさい。
この先、10年はつづきます。
しかし10年もつづくと、彼らもだんだんと気がついてきます。
それまで待つしかありません。
(そんころになると、いろいろな会に顔を出したりするようになります。)
それに今、ここであなたがジタバタしても、どうにもなりません。
こうした問題は、5年単位でみます。

私の周囲にもそういう人は多いですが、(多いですよ)、この問題だけは、両親が死ななければ
解決しません。
他人から見ると、ずいぶんと身勝手な兄と弟に見えるかもしれませんが、兄も弟も、結局は両
親(家族)のもつ重圧感で苦しんでいるのです。

 直接的な方法としては、一度、心療内科のドクターに相談するという方法もあります。
今は、よく効く薬もあります。
またアメリカでは、脳を直接刺激し、このタイプの引きこもりやうつ病を、簡単に治してしまうと
いう方法も、治療法として、使われています。
1週間ほどで、完治してしまうというから、驚きです。
(日本でも、数年後には、当たり前の治療法になると思われます。)
だから希望を失わないこと!

 ……今どきという言い方は、たいへん失礼な言い方になるかもしれません。
しかし私はあなたの基本的にもつ7(やさしさ)に、深い感銘を覚えました。
今では、若い人たちは、平気で両親を捨て、家族を捨てて都会へと出て行きます。
「自分たちだけが幸福になればいい」とです。
そして私が「親のことはどうするのか」と聞くと、「親には年金がある」とか、「息子や娘をそうい
う形で縛りつけるのは、親のすべきことではない」などと答えたりします。

 さらに「親への恩はどうするのか」と聞くと、「その分は自分の子どもに返していく」と。
「私はそういう形で、自分の子どもを束縛したくない。それこそ家族崩壊だ」と言った、30歳くら
いの男性もいました。

 「返す」という意味そのもが、理解できないようです。
つまり今は、そういう時代です。
そういう時代ですから、あなたの(やさしさ)が、余計に光ります。
あなたは自分がもつ(やさしさ)を信じ、それをみがいていけばいい。
それが今、あなたの家族にとっては、何よりも大きな救いとなるでしょう。
つまりね、あなたの家族の運命を変える力を、あなたはもっている。
あとは、それを実行するだけです。

 たまたま今朝、別の方から、こんな相談が届いていました。
一部重複しますので、そのまま紹介させてもらいます。
2012/07/03

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Tさんより、はやし浩司へ】

 ご返信ありがとうございました。
先生のおっしゃる通り、登校拒否が問題なのではなく、その根本にあるものをもう一度見つめ
なおしてみようと思うことができました。

今はあせらず、とにかく娘のペースに合わせてできるだけ希望に添えるように頑張ってみま
す。

 もうひとつだけ相談させてください。
単身赴任中の主人にしばらく帰省しないよう話すのはよくないでしょうか?

先生にアドバイスをいただいたように、私自身の欲求をおさえ、娘のための時間を・・・という決
意はできました。
やれるだけやってみようという想いです。

 ただ、「ダイエットで肉絶ちしているわたしの前で焼き肉をほおばれるようなタイプ」の主人を
目の当たりにしながら、その自由さをみせつけられながら我慢をしていると頭がおかしくなりそ
うです。

娘の登校拒否についても関心がないのか、この話題に口をはさむこともなく、たった2日しかい
ない帰省した週末も昼間からお酒を飲み、昼寝しています。

娘はパパが大好きです。
帰省も月に1〜2度はあり、帰省した日は大喜び。
行っちゃう日の前日は、挙動不審なんだかちょっとおかしい・・・精神的に病んでるように泣いた
りします。

 毎月毎月こんな風に生活が乱れながらも、いままで通り帰省をしてもらったほうがい
いのでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Tさんへ】

 おはようございます。

 残念ながら、夫婦の問題は、夫婦しかわからない複雑で微妙なものです。
いろいろご事情もあるかと思います。
思い出も、いきさつもあるかと思います。
あなたが感じている不平不満も、満たされない愛への欲求不満だけかもしれません。
(もちろんそうでないこともありますが……。)

 こういうときは、自然の成り行きに任せなさい。
水が低いところを求めて、流れていくように、
雲が風に乗って流れていくように、やがて行き着くところへ、行き着きます。

 大切なことは、けっして出口のない部屋に自分を追い込まないこと。
反対に、出口のない人生はありません。
気を楽にし、「こうでなければ」と考えないこと。

 夫婦についても、「許して、忘れる」。
カリカリしないで、夫をおおらかに包んであげてみてはどうでしょうか。
あなたの出方ひとつで、夫も大きく変わるはずです。
愛人がいれば別ですが、そうでなければ、夫もさみしい思いをしているはずです。

 できれば、今の「谷」を乗り越えてほしいと思います。
それがいつか、すばらしい思い出になるからです。
人生というのはそういうものです。

 あなたも勇気を出し、「許して忘れて」みなさい。
あなたのほうが、一歩、夫を抜き出るのです。
相手は幼い子どもと思えばいいのです。
そしてあなたの心をとりまき、がんじがらめにしているクサリを解き放つ。

「許して忘れる」については、たくさん書いていますので、
「はやし浩司 許して忘れる」を一度、検索してみてください。

 危機を乗り越える方法はいくつかありますが、逃げるのではなく、受け入れるのです。 

逃げれば逃げるほど、あとを追いかけて来ますよ。
キバをむいてね。

 つぎに夫が帰ってきたら、いっしょに焼き肉を食べにいきなさい。
この世界、「負けるが勝ち」です。
それでも足りなければ、さらに負けるが勝ち。
負けて、負けて、負けまくるのです。
あなたのほうが、心を溶かせば、夫も、心を溶かします。
それができたとき、あなたは、夫婦でも、つぎのステージにあがることができます。
それまでの自分が小さく見えます。

 あとは自然体で。
それでも夫婦のままの人もいれば、それで夫婦せあることをやめる人もいます。
あとはそのときの成り行きで決めなさい。

 今、あなたは生きている。
目が見える。
音が聞こえる。
そこにうるさいけれども、家族がいる。
そこに原点を置きなさい。

 それですべての問題は解決しますよ!
どこの夫婦も、表面的にはうまくいっているように見えますが、あくまでも表面的。
みんな同じような苦しみや悲しみ、不満や不平をかかえています。

 賢人は、その価値を失う前に気づき、愚人は、その価値を失ってから気づきます。
どうか、賢人であってください。
私はあなたがうらやましい。
人生のドラマの、まさに真っ最中にいる。
若くて、健康で、家族がいて、娘がいる。
今、そこにないものを嘆くのではなく、そこにあるものを喜び、感謝します。

では。
また!

はやし浩司
2012/07/03記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家族の引きこもり 無職の家族 
夫婦の問題 夫とのキレツ 秋風 はやし浩司 家族の確執 仕事をしない兄 家族の暴力 
はやし浩司 暴力を振るう家族 兄弟の社会復帰 バラバラになる家族 はやし浩司 家族の
束縛 重圧感 束縛感)


【Eさんより、はやし浩司へ】

はやし浩司先生様




ご返信ありがとうございました!
まさか、こんなに早くお返事をいただけるなんて思っていなかったので驚きと感謝の気持ちでい
っぱいです。
ありがとうございました。
先生の優しいお言葉を読みながら、涙が止まりませんでした。


先生ご自身が経験されたご家族のことまで書いていただきありがとうございました。
運命を受け入れる、簡単なようで難しいことですが、その通りですね。
自分の力でどうにもできないことは、時間に任せるしかないのかもしれません。
これまでずっと、兄弟は、親が亡くなったらどうするんだろうと思っていましたが、
そのときにならないと、答えはわからないですね。


そして、私が家族のキーパーソンになれるということにも、はっとさせられました。
これまで、私は両親や弟に関して「あなたのこういう所が悪かったんじゃないの」と
悪い点を指摘しては傷つけていました。
先生がおっしゃるように、私が両親や兄弟に対して優しく接することで家族の救いになれるの
なら、
難しいですが、彼らをありのまま受け入れていきたいと思います。
時間がかかるかもしれませんが、がんばってみます。


そして私自身、いつ過食嘔吐が再発したり、うつになるかわからない怖さがあるので、そうなら
ないよう心を成長させていきたいと思います。
今そばにいてくれる娘と夫のためにも。




お忙しい中で、親身になっていただき本当にありがとうございました。
近くなら直接お礼を申し上げに伺いたいのですが、すぐにできそうにないのでメールで失礼致
します。
変化があれば、またご報告させていただきます。
ありがとうございました

Eより


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


(補記)

【家族】

++++++++++++++++++++++

今朝は、どこかの男と、言い争っている夢を見た。
私はかなり興奮していた。
そのせいか、起きると、軽い頭痛がした。
今、あまり精神状態は、よくないようだ。
理由はわかっている。

近く、実家の寺で、法事がある。
父の33回忌である。
私は若いころから、「実家へ帰る」となっただけで、
精神状態が、たいへん不安定になる。
家族自我群による「幻惑」によるものと考えてよい。
本能に近い部分にまで、「刷り込み」がなされて
いるため、それを克服するのは、容易なことではない。

満61歳になった今でも、その「幻惑」はつづく。

+++++++++++++++++++++

●家族自我群

今の今も、家族による束縛感、呪縛感に苦しんでいる人は多い。
家族であるがゆえに、わだかまりや、こだわりも、増幅する。
またそれから逃れることもできない。
できないから、悶々と、いつ晴れるともない、苦しみの中でもがく……。
こうした呪縛感を総称して、「家族自我群」という。
またそれから生まれる苦しみを総称して、「幻惑」という。
先にも書いたように、本能に近い部分にまで刷り込みがなされているため、
その自我群から、自ら解放することは、容易なことではない。

●家族

「家族」というと、甘い響きがそこに漂う。
そうである人には、そうかもしれない。
しかしその家族も、どこかで歯車が狂うと、そのままバラバラになる。
なって、今度は、重圧感となって、その人を襲う。
家族イコール、「安住の場」とは、かぎらない。
「家族である」という、安易な『デアル論』だけで、
容赦なく、その人を攻撃する。
幸運にしても、そういった苦しみを知らない人には、
自我群の説明をしても、意味はない。
理解することすら、むずかしい。

●入浴

……ここまで書いて、朝風呂に入ってきた。
軽い偏頭痛のばあい、朝風呂に入ると、そのまま治る。
これにも、理由がある。
偏頭痛は、血管が拡張して起こる。
拡張した血管が、その周囲を取り巻く神経を圧迫する。
それで偏頭痛が起こる。

若いころは、このメカニズムがわからず、苦労した。
プラス苦しんだ。
ひどいときには、「頭を切り落としてくれ!」と叫ぶほど、
痛かった。
が、メカニズムがわかれば、対処の仕方もわかる。

やや熱めの風呂に入って、一度、血圧をあげる。
瞬間、偏頭痛はひどくなるが、5〜10分もすると、今度は
血管が収縮を始める。
それで偏頭痛は、消える。
今朝、目が覚めたときの頭痛は、偏頭痛だった。

●自我群と闘うために

家族自我群と闘うためには、まず、そのメカニズムを知る。
何度も書くが、これは本能に近い部分にまで刷り込みがなされているから、
それと闘うのは、容易なことではない。
理性や知性で、割り切ることはむずかしい。
が、「幻惑」は、読んで字のごとく、「幻惑」。
「幻(まぼろし)」。
実体があるわけではない。

私のばあい……という言い方はおかしいが、あるときから、そこにある
運命を受け入れることにした。
自分の境遇をのろっても、しかたない。
嘆いても、始まらない。
だったら、そこにある運命を、そのまま受け入れる。
とたん、心が、ウソのように軽くなったのを覚えている。

●今……

今、私が苦しんだ、家族自我群による幻惑は、ウソのように消えた。
母が他界し、つづいて兄が他界し、「家」そのものが、消えた。
残るのは、実家という「古家」と「法事」のみ。
しかしそれらは、もう(心の問題)ではない。

が、すべての呪縛から解放されたというわけではない。
実家の周辺には、親類が住んでいる。
近所の人たちとのつきあいもある。
伯父、伯母、それに叔母もいる。
しかし我が身を振り返ってみれば、その私も61歳。
正直なところ、「もう、いいかげんにしてほしい!」と叫びたい。
が、こうなったら、居直って生きるしかない。
「どうでもなれ」と、投げ捨てて生きるしかない。

●幻惑に苦しんでいる人へ

私のBLOGへの検索・ワードを見ると、「家族による苦しみ」
についてのものが、多い。
(BLOGによっては、どんな言葉を検索して、アクセスして
きたかが、わかるようになっている。)

つまりそれだけ、この問題は、深刻ということ。
またそれで悩んでいる人も、多いということ。
逆に、そういう人たちをアクセスしてみると、そのBLOGには、
こう書いてあったりする。
「親を殺してやりたい!」と。

それは殺意というよりは、自分の体にしみ込んだ(体質)そのものを
消し去りたいという思いから、発するものと考えてよい。
あえて言うなら、自己嫌悪。
はげしい自己嫌悪。
それが転じて、「殺してやりたい!」となる。

しかしけっして、あせってはいけない。
時間はかかるかもしれないが、この問題は、時間が解決してくれる。
時間がたてば、かならず、解決する。
だから……。
それまでがんばって、がんばって、生き抜くこと。
健康だけを大切に、生き抜くこと。
それで解決する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
家族自我群 自我群 幻惑 家族とのわだかまり こだわり はやし浩司 確執 
親子の確執。)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司










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【5】
親子の亀裂vs両親との対立

【T県のJさん(母親)から、はやし浩司へ】

はやし様

サイトに時々お邪魔させて頂き、育児の参考にして励まされてきた二児の母です。
度々問題を起こす息子と、よく干渉し私や子供たち(特に私へですが)をなじる両親についてで
す。
自分の存在価値と子供への影響をご相談させて頂きたいと思います。

私たち親子3人は、離婚し実家に戻り長い期間が過ぎた今現在も、とてもふがいないのです。
両親のもとに同居しております。
収入がかなり不安定な上、十分な貯蓄もなく不安なまま今まで過ごしてきました。
が、来年3月の娘の受験終了後、教育に費用もかかる年頃にはなりますが、校区内移転を考
えています。

(これは息子が中学生活を終えるまでの間です。
その後は市外移転を考えてます)。

まず両親と私の関係ですが、仲は悪いです。
この年になってまで過干渉すぎるのと、自分たちの思いのみを押し付けてくるからです。
思うようにならなければ、両親は人前や子供の前であろうが容赦なく罵声を浴びせます。
それは私が子供のころからそうでした。
昔から暴力もありました。
今日もあります。

自営業で、自宅の一室を事務所変わりにしています。
が、仕事での外出や来客まで詮索されたりします。
来客については玄関先でのことなのですが、私の話に聞き耳を立てているような状態です。
営業活動で各担当の方が仕事で来ても、気を遣います。
常に父にが余計なことをいわないだろうか、とです。
客にも気を遣わせているので今は、外でわざわざ時間を作ってもらい、先方で会っています。

(実際、両親は、失礼な物言いをして相手を不愉快にさせたことも何度かあります)

子供が登校した後は、家には居場所がないので、外に出て仕事をしている時や、一人でいる
時が唯一安心できます。
そんな父に今日、息子を酷く叱責しているときに、子供の前で何発も殴られました。
これまでも息子に明らかな原因があり、叱責しているときに、叱責している私の方が殴られて
たことが何度もあります。
息子はをれを見て、笑っており、反省どころか反省する機会さえ奪われることが何度もありまし
た。

今日もそのような場面がありました。
突然血相を変えて殴りかかる父に抵抗していた私を見て、息子は勝ち誇ったように笑っていま
した。
よそに迷惑をかけていたことなど反省もせず、そのような態度をとったのでビンタをたたきまし
た。

息子は「父に殴られた八つ当たりで叩かれた」としか思っておらず、鼻血を出したのを見た母
は、「暴力、暴力」と言って、騒ぎ立てました。
父の暴力の原因が私だと、とにかくすべて私が悪者にされます。
はじめに息子にしていた話はどこに行ったのかわからなくなってしまいました。

隣に住む弟が察して、外に出た息子をなだめにしばらく歩いて話をしてくれたようでした。
が、息子の私に対する信頼などなく、息子の帰宅と同時に、「兄ちゃん(弟)がいてよかったね。
じいちゃん達の部屋で寝なさい」と、子供が何をしても、私が悪いとになります。

お金や日常生活についても、息子と娘とでは、息子にだけ甘く、息子と娘の間にトラブルがあ
り、明らかに息子に原因があった場合でも、息子はかばわれ、娘がひどく怒鳴られ、なじられ
ます。

息子は小学校の低学年と高学年で2回万引きをしています。
そして私は悲しく、仕事も切り上げ帰宅しひどく叱り、一緒に関係先に詫びに行きました。
1度目も2度目も改心しました。
でも2度目はいくら物が欲しかったと言え、2度目の万引きを分別なくやってしまいました。

その辺りにお小遣い以上の買い物を頻繁にしていたのが気になり、何度か問ただしました。
が、本人が万引きを否定し、その時は信じましたが、やっぱりかという思いと絶望感でいっぱい
でした。
先生から出張中に連絡を受け遠方からでしたが夜帰宅し、やはり2度目ですし、何店か悪事を
働いていたので、反省しても態度や友人を巻き込んだ事の重大さがまだ配慮が足りないと伺
える言葉が何度か出たので、許せなくて、顔を殴りました。

子供は口を切りましたが、それを周囲に暴力なら暴力と言われてもいいと、でももう2度目な上
に、お友達やそのご家族に大変申し訳なく、そういう行動になりました。
世の中狭い上に、近所での出来事だったので、自分が人の目を気にする場面もでてくるだろう
し、娘にもよからぬ迷惑がかかる可能性があることも十分話しました。
そしてもうそんな自分とは決別し、引け目を取らずまっすぐ堂々と過ごしていくよう話ました。

子供の毎月決めている額は(学年)x100円の小遣いと、必要に応じ、私が一緒に買い物につ
いて行き買うことにしていました。
ほかに両親から500円ずつ・・のはずだったのですが、父が小遣いを要求されるたびに挙げ
ていた分が月に一万近くあり、申告もないため私が把握できない状況にありました。

その時にお金は決まった額に留めて、もしそれ以外で小遣いを何かの理由であげた場合は息
子も父も両方から知らせるよう言ってありましたが、2人とも申告しません。
後で私がわかって確認することがまだ続いています。

父はこのようなことがあってもあえて私には言いません。
私に指図されたくないからです。
ちなみに、万引き2回とも両親は、息子の前で私が原因であると言ってしまいました。

(仕事で家にいないことなどが、原因と両親は言います。)

もう万引きはしませんが、何度もそのような家庭環境と息子とのことで児童相談所にも単独で
相談しに行きました。
子供のことでの相談だったので子供を連れてくるよう、担当の方に言われ、「お母さんに言えな
いことや、何か悩んだりしていることがあれば話を聞いてくれるところがあるから行ってみない
か?」と。
なるべく来所できるよう相談所から言われたような言葉をかけられ、訪ねてみました。
息子の返事は「どうして僕がそこにいかなきゃならないの?」でした。

その後しばらく様子を見て、中学に上がって特に心配な要素もなかったので、相談は一旦終了
ました。
つごうが悪くなると両親になびき、両親が取り込みます。
親はどっちなのかと、内心私も子供のその行動を見て傷つき、自信を無くし申し訳なく責めてし
まいます。
反抗期に入ったのを差し引いても私のことなど聞きませんし、だからといって両親の言うことも
聞きません。
そして、いうことを聞かなければ私の躾(しつけ)が悪いと責められます。
父たちから言われたからではありませんが、この頃あまりにも私生活や勉強や塾などでも、わ
ざとけじめをつけようとせず態度も増え、私もひどく怒鳴る回数もビンタの回数も増えてきまし
た。

塾など他方にもご迷惑をかけたからですが、自己嫌悪の連続です。
普段はお友達には優しく協調性もふつうにありますし、部活も目標を持って汗かいて頑張って
います。
ですが、家庭では何かあったとき、平気で責任転嫁したり条件を付けてきたりするようになりま
した。
子供の将来や人格面で心配です。
暴力をしつけだとは思っていませんし、私も両親にされてきた側なので暴力は嫌なのですが、
言ってもダメなときや事がまずい方向に傾倒しているときは叩いてでも聞かせようとしているの
が現実です。

息子は自分の親が祖父に殴られるのを見、今は自分が私に叩かれたことも開き直り、「暴力」
だという事も増えてきました。
そのような状況をつくってしまい、そして自分たち3人の生活の場を作ってこなかった長い期
間、不安があったにしても行動できなかった自分をとても後悔しています。

息子の今後の育成と人格についても多大な影響がでないか不安でなりません。
幸せにしたいですし、人々を幸せにして欲しいのです。
3人で生活し穏やかな暮らしを送り、今からでもきちんとした親子関係を取り戻したいのです
が、息子の気持ちが離れていたり信頼がなくなっていたりして、3人一つになれるのか、そして
また両親が過度に干渉し、安易に息子が実家の両親になびいてしまわないか気になります。

移転は娘も準備ができたら、引っ越したいといっております。
移転後は実家とは一切の関わりを、子供たちとも話した上、断とうと思っています。
息子は向き合うことができるのでしょうか。

子供達に対する両親の干渉は生活面や教育・将来のことについてすべてですが、ここ3年くら
いは以前にも増して、特定の学校や通塾先を何が何でも意を通したいようです。
通知表も親より先に自分たちに見させよとします。
お金は払うから、祖父母の言う学校に行き、言う通りにしなさいと、私のいないところで圧力を
かけているので、娘はそれに反発し私に知らせてくれます。

当然娘は自分なりに学校を決め、両親が強く進めていた大手塾とは別の個人塾を選んで頑張
っています。
息子もお姉ちゃんがいるため、自然とお世話になる形で同じ塾に通っています。
(塾は嫌いではないです。)

とにかく干渉しすぎる上に、甘やかしたとたんそれが裏目にでると怒鳴り散らして怒ります。
子供も一時は何が良くて何がいけないのかよくわからずとてもきつそうでした。
食事の時も例えば直前までたくさんの袋菓子を一緒に買いに行きごはんを食べるなら買っても
いいとむちゃくちゃなことを言いながら買い与え、当然食事などキチンと食べられるわけないの
で、ご飯を食べると約束して買ってあげたのにどうして食べないのか」と、ものすごい剣幕で怒
鳴り散らします。
で、一挙一動父に見張られ揚げ足をとられて罵倒されますので、一緒に食事をしたくないと居
間で食べようとすることもよくありますが、食卓で食事をさせています。

父には席を外すよう言いますが、「俺がその場を離れる必要はない」と、状況を分かってくれま
せん。
母も長年そんな父の機嫌が悪い時は私たちのせいにされていましたし、子供達にも同じように
責めます。

私の事など両親にとっては関係なく、このような状況が横行しています。

力が足りずふがいない私ですがよろしくお願い致します

長文ですが最後まで読んでいただき感謝致します。
ありがとうございました。

【はやし浩司より、Jさんへ】

 きびしいことを書きますが、お許しください。
これもあなたのためです。

 で、一読し、正直に告白しますが、気分が悪くなりました。
これほどまでに「暴力」が、日常化している家庭は、そうはありません。
(統計上、50%の母親が暴力を加えていることはわかっていますが……。)

 あなたは(子育て)に名を借り、自分を顧みることなく、子どもに(すべて)を押しつけているだ
けです。
またあなたは自分の子どもを、「所有物」か、何かのように考えている。
自分の思い通りにならないからといっては、怒り、暴力を振るっている。

 今どき、1度や2度、万引きをしない子どもはいません。
(だからといって、それを許せということではありませんが……。)
それをまあ、ことさら大げさに考え、あとは取り越し苦労と、ぬか喜び。
それを繰り返しているだけ。
つまりひとり芝居!

 最初にはっきり言っておきますが、あなたの家には、何も問題はありません。
すばらしいとまでは言えなくも、ごく平均的な家庭です。
あなたの子どもも、ごく平均的です。
問題があるとすれば、あなた自身です。
それともあなたは、聖母なのでしょうか?
それほどまでにすばらしい母親なのでしょうか?

 メールを読んで、まず最初に思い出したのが、イラン映画『桜桃の味』です。
その中に、こんなジュークが出てきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ある男が病院へ来てこう言った。「ドクター、私は頭を押さえても頭が痛い。腹を押させても腹
が痛い。
足を押さえても足が痛い。
体中、どこを押させても痛い。私は何の病気でしょうか」と。
するとそのドクターは、こう言った。
「あなたはどこも悪くない。ただあなたの指が折れているだけだよ」と。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ほんの少しだけ見方を変えると、ものの考え方も180度変わるということです。
「何もかもダメだ」と思うときも、見方を変えると一変する。
ダメなのは、子どもでも、両親でもない。
あなた自身の「目」なのです。

 あなたとあなたの両親、それにあなたと子どもたち。
その間の歯車は、完全にズレている。
「狂っている」と言っても過言ではないでしょう。

(「親子3人」という言い方も、気になります。
正しくは、「家族5人」です。
ちがいますか?)

●二番底

 あなたは今、こう思っています。
「最悪!」と。

 しかしこの種の問題は、さらに別の「底」があります。
私は「二番底」「三番底」と呼んでいます。
そのうちあなたの子どもは非行を繰り返し、家出……ということにもなりかねません。
つまり「まだ、以前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、二番底、三番底に向かいま
す。

 では、どうするか、ですね。

(1)今より、状況を悪くしないことだけを考え、あとはあきらめなさい。
あなたと両親の関係はともかくも、あなたと息子さんの関係は、完全に断絶しています。
心さえ、通いあっていない。
今の息子さんの年齢からして、修復は不可能と考えてください。
ただ、息子さんが、40代、50代になれば、少しはあなたを理解することができるようになるか
もしれません。
が、今は、無理です。

 あなたの子育てを客観的にみるなら、典型的な「代償的過保護」です。
子どもを自分の支配下において、自分の思い通りにしたいだけ。
が、思い通りにならない。
だからひとりで、イライラしているだけ。
いったい、あなたは自分の子どもを、どのようにしたいのですか?
またどうあれば、満足するのですか?

 子どもは、暴力を加えても、どうにもなりません。
あなた自身だって、父親から暴力を振るわれ、それをいちばんよく知っているはずです。
それともあなたは父親の暴力に、感謝していますか?

 仮に今、引っ越して、別のところに住んでも、息子さんの心を呼び寄せることは、不可能で
す。
両親と切り離すことなど、さらに不可能です。
だからもう、あきらめなさい。
こんな状況で、塾だの、受験勉強だのと、言ったところで、どうにもなりません。
あなたの息子さんの気持ちは、ますますあなたから離れていきます。
(あなたは「いつかは、親であるあなたに感謝するだろう」という幻想をもっているかもしれませ
んが……。
が、幻想は幻想。
夏の日のかげろうのように、はかないものです。)

 そのかわり、あなたはあなたで、自分の人生を生きます。
息子さんに対しても、(やるべきこと)はやる。
しかしそこまで。
先にも書きましたが、「今の状況を、これ以上、悪くさせないこと」だけを考え、現状維持ができ
れば、それでよしとします。

●両親に任せる

 あなた自身が、(よき家庭)の味を知らない。
不幸な家庭に育った人です。
両親から日常的に、暴力を受けていた。
だから子育てが、ちぐはぐになっています。

 で、あなたは今、自分が受けた子育てを、無意識のうちに繰り返している。
これを「世代連鎖」と呼んでいます。
あなたの子どももまた、おとなになり、家庭と子どもをもったとき、同じことを繰り返します。
つまりあなたの目の前で、あなたの子どもは、あなたの孫を、殴ったり、叩いたりするようにな
ります。
「子育ては本能ではなく、学習」というのは、そういう意味です。

 では、どうするか。

●親風

 任すところは、両親に任せなさい。
子どもたちの意思と判断に任せなさい。
私があなたの子どもなら、私でも、あなたから逃げていくでしょう。
こまごまとうるさいのは、仕方ないとしても、あなたは子どものことを、まったく信用していない。
それが転じて、子どもも、またあなたのことを、まったく信用していない。
あなた自身も、親意識が強く、常に親風を吹かしている。
加えて、「私は子どもたちのために犠牲になっている」という犠牲心も強い。
わかりやすく言えば、「私はすばらしい母親」と思い込んでいるだけ。

 だから任すところは、両親に任せなさい。
多少、ドラ息子、ドラ娘化はするでしょうが、子育ての世界では、マイナーな問題です。
あなたはあなたで、そういう環境をうまく利用し、仕事に没頭するなど、好き勝手なことをすれ
ばよいのです。
すばらしい環境じゃあ、ないですか!
まだ若いのですから、おしゃれでもし、再婚も考えたらよいのです。
自ら出口をふさぐようなことはせず、前向きに生きていくのです。
心を解き放てば、体はあとからついてきます。

 息子さんや、娘さんに何かを期待するのは、もうやめなさい。
すでに心は、遠いところに行ってしまっています。
あなたが今、両親を捨てることだけを考えているように、あなたの子どもたちも、やがてすぐ、
あなたを捨てることだけを考えるようになるでしょう。
修復できる時期があるとするなら、それは子どもが0〜4歳の幼児期までです。
思春期に入った子どもは、すでに1人の人間です。
修復など、(たとえば基本的信頼関係の再構築にしても)、不可能です。

 今の状況で、あなたが「まだ何とかなる」と焦れば焦るほど、先にも書きましたように、二番
底、三番底へと、子どもたちは落ちていきます。
むしろ、それを防いでいるのは、あなたの両親ですよ。
両親が、あなたの代わりに親をしてくれるというのなら、御の字。
「よろしくお願いします」と言えばよいのです。
「お金も出してくれる」と言っているのですから、こんなありがたい話は、ありません。

 が、肝心のあなたも、自分の両親を信じていない。
これでは、ますますあなたは、あなた自身を、追いつめるだけです。
このままでは、あなたの人生は、孤独で、さみしいものになってしまいますよ。
(だれか近くに、あなたの信頼できる人がいればいいのですが……。
何でも話せる人は、いませんか?)

 不信と過干渉、それに暴力!
その「連鎖」を断ち切るのは、あなたしかいません。
またあなたしか、できません。
子どもを叱る前に、自分の暴力を叱りなさい。
でないと、今、暴力を振るった分だけ、あなたが今度は、暴力を受けるようになりますよ。
あなたの息子さんは、やがてあなたより大きな男性になるでしょう。
腕力もつきます。
つまりそのとき、逆襲を受けます。
(それができなほどまでに、子どもを押し込めてしまえば、話は別です。
が、そうなればなったで、ハキのない、ナヨナヨした子どもになってしまうでしょう。)
 
●前向きに

 子育ては、重労働です。
が、やがてすぐ、あなたはその重労働から解放されるときがやってきます。
だったら、ものごとは、前向きに考えます。
今のあなたは、(子ども)という過去、(子ども)という内側世界に向きすぎています。
妄想性も強いかもしれません。
取り越し苦労が、そのままグチにつながっている?
グチは、アメリカでは、うつ病の診断基準の柱になっていますよ。
だからグチは言わないこと!

 また生き様そのものが、後ろ向き+内向き。
ささいなことで、「児童相談所」とは!
あなたの息子さんは、少なくともあなたより、すばらしい人になります。
(あなたという人も、その両親に育てられたのですから……。)
だからこれ以上、心配しないこと。
あなたが前向きに、生き生きと生活している姿こそが、あなたの子どもの心を伸します。
あとは、勇気を出し、子離れすればよいのです。

「私は私の人生を生きる。
私の残り少ない人生を、あなたたちのために犠牲にしない。
だからあなたたちは、あなたたちで、勝手に生きていきなさい」とです。

 最後に一言。

 暴力は、やめなさい!
あなた自身の人格を、醜くするだけです。

 以上、Jさんにはきびしいことばかり書きました。
しかしこの程度の問題は、思春期を迎えた子どもをもつ家庭では、ごくありふれたことです。
大半がそうではないでしょうか。
もっと正確には、70〜80%が、そうであると考えてください。
もう少し風通しをよくし、同じ年齢の子どもをもつ親たちと交流してみたらどうでしょうか。
「うちもそうなんです」「うちも……」という話が、つぎつぎと出てくるはずです。

 なお子どもの学費は、ほどほどに。
それよりもあなた自身の老後を考え、生活設計を始めたらよいです。
あなたの子どもには期待しないこと。
今は、そういう時代です。

 以下、参考になる資料を添えておきます。
2012/07/06

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

++++++++++++++++

基本的信頼関係について書いた原稿
などを、参考のために、ここに添付
しておきます。

++++++++++++++++

【基本的信頼関係】

●信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるという
のは、避ける。

(030422)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 基本
的信頼関係 信頼関係 子供との信頼関係)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどお
りにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味では、代
償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴がみられ
るようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(して
よいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、親に
追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその温和性
は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のものである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする……とい
ったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解す
る傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価している。臆面もな
く、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の前では、借りてきたネ
コの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題は、その
ことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その呪縛性
に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であるかわからな
いまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別として、その重圧感
は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に気が
つくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生まれてはじめ
て、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画もあっ
た。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、まず、あ
なたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あなた自身の中
の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにしてき
た。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことがある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ずる。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と考え
てよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に分析してみる
とよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子どものた
め」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利
用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用する。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力的、威圧
的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするなら、お涙ち
ょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見せつけながら、子
どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、操られ
ているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、異常なまで
に依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生まれ
ながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子ども自身が、
かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。そし
て子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔の表情と
が一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒っていると
きは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。そういう子どもを、
すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 代償
的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【自分を見失う子どもたち】(Spoiled Children)

Where should I go? What should I do? What do I want to do? These children don't know even 
what they really are.

●ドラ息子、ドラ娘

 ドラ息子症候群というのがある。自分勝手でわがまま、ものの考え方が、享楽的で(=その
場だけの快楽を求める)、ぜいたく。
自己中心性が強く、対人、対物許容範囲が狭い。好き嫌いを平気で口にし、相手やものの
「非」をとらえて、不平、不満を並べる。

 このタイプの子どもについては、たびたび書いてきたので、ここでは、その先を考える。
ずいぶんと前だが、こんな子ども(中学生、女子)がいた。
……といっても、架空の中学生と考えてほしい。いくつかの事例を、ひとつにまとめてみる。
名前を、Yさんとしておく。

 ある日のこと、Yさんが、突然、こう言った。「帰ります」「タクシーを呼んでください」と。あまり
にも突然のことなので、驚いた。が、私はその場の雰囲気に負けて、タクシーを呼んだ。

 あとで理由を母親に聞くと、母親は、こう言った。「あの子は、よそのトイレが使えないのです」
と。つまり「よその家では、大便ができない」と。

 こういうケースは珍しくない。
わがままというより、ぜいたくざんまいに育てると、子どもは、そうなる。いやなことはしない。
きたない仕事はしない。
つらい経験はしない。
世界が自分を中心に回っているかのように錯覚する。
また世界の中心にいないと、気がすまない。

 そのYさんは、よくこう言った。
「先生は、教室の消毒をしていますか?」と。
「どうして?」と聞くと、「机の上に、ホコリがたまっています」「壁にゴキブリのウンチのシミがつ
いています」と。
こまかいことを、そのつど指摘しては、おおげさに騒いだ。

 で、このタイプの子どもは、学習面でも伸び悩む。
「学習」には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える「力」がない。

 これについても、すでにたびたび書いてきたので、ここではさらにその先を書く。

●自己同一性の危機

 このタイプの子どもは、やがて、自分を見失う。
発達心理学の世界には、「自己の同一性」という言葉がある。
その「同一性」が、バラバラになってしまう。

 自分で何を、どうしたらよいかも、わからなくなってしまう。
自分が何をしたいかも、わからなくなってしまう。
自己中心性が強いから、他人から、どのように見られているかも、わからなくなってしまう。

 たとえて言うなら、糸の切れた凧のような状態になる。
フラフラと風任せ。
あるいはそのままドスンと下に落ちてくる。つまり非行の道へと、まっしぐら。

 Yさんは、教室へ入るやいなや、よくこう言った。

 「あんた(=私のこと)も、おかしな顔をしているね」
 「奥さんがかわいそう」
 「こんな暑苦しい部屋じゃ、勉強なんかできない」と。

 もちろん勉強など、しない。能力的には、かなり恵まれた子どもだった。
頭もよかった。
しかしそれだけに、扱い方がむずかしかった。
自分の非を棚にあげて、「ああでもない」「こうでもない」と、他人を批判した。

 Yさん自身も、「私はできるはず」という部分で、葛藤していたと思う。
(プライド)と(現実)のギャップの中で、もがいていた。

 一度、こう言ったことがある。
「そんなにここへ来るのがいやだったら、お母さんに、そう話してあげようか」と。

 しかしそれについては、Yさんは、がんこに拒否した。
心の中では、不満と不平が、ウズを巻いていた。それから生まれる怒りを、私にぶつけてい
た。
私を口汚くののしることで、欲求不満を解消させようとしていた。
私にも、それがよくわかっていた。

●非行

 で、このタイプの子どもは、一度、非行の道に入ると、そのまま、まっしぐらにその道へと入っ
てしまう。
(だからといって、非行が悪いというのではない。またそれでもって、子育てに失敗したというわ
けでもない。誤解のないよう。)

 Yさんは、中学2年になるころには、性的経験をもつようになった。
私には、雰囲気から、それがよくわかった。
ある日、筆入れの中に、子どもがもつようなものでない装飾品が入っていた。
それを私が指でつまんで、「これは何?」と聞くと、Yさんは、艶(なまめ)かしい声で、こう言っ
た。
「ウフン……。いいじゃん……」と。

 私は親に話すべきかどうかで、迷った。
しかし言わなかった。
言えば、私と子どもとの間の信頼関係は消える。
信頼関係が切れた状態で、子どもの指導はできない。
親の側から相談でもあれば話は別だが、こういうケースのばあい、知って知らぬフリをする。
性的経験にしても、「疑わしい」というだけで、確証があるわけではない。

 では、どうするか?

●二番底に注意

 このタイプの子どもは、進むべき方向性をいっしょにさがしてやるのがよい。
しかし先にも書いたように、自分でも、どうしたらよいか、それがわかっていない。
「あなた何をしたいの?」と聞いても、「遊びたい」とか、「お金がほしい」とか、言う。
そこでさらに、「どんなことをして遊びたいの?」「お金があったら、何を買うの?」と聞いても、
その答がない。
「わかんない……」とか言う。

 別の方法としては、スポーツや運動で、自分を燃焼させるというのがある。
しかしこの段階になると、それもしない。
「いやだ」「できない」「したくない」の悪循環の中で、ますます遠ざかっていく。

 ……と書くと、「お先、真っ暗」ということになる。
が、ここで待ってほしいのは、このタイプの子どもは、その状態が、最悪の状態ではないという
こと。
その「最悪」の下には、さらにその最悪がある。
これを私は「二番底」と呼んでいる。

 (この「二番底」「三番底」論は、はやし浩司のオリジナルである。どうか、無断で流用しないで
いただきたい。)

 たとえば非行といっても、いろいろある。(門限破り)→(外泊)→(家出)と進む。さらに(長期
家出)→(同棲)→(性病、妊娠)と進む。

 わかりやすく言えば、「直そう」とは思わないこと。それ以上、状態を悪くしないことだけを考え
て、対処する。
あとは、時間を待つ。
この段階で、あせって、何かをすればするほど、逆効果。
私が言う、二番底、三番底へと落ちていく。

 その期間は、驚くほど、短い
。ほとんどの親は、こう言う。
「あっという間でした」と。
それこそ、1、2か月の間に、そうなる。それだけに、親が気づくということもない。
「非行に走る」という言葉がある。
まさに「走る」という状態になる。

 で、子どもが非行に走ると、ほとんどの親は、「うちの子は誘われただけです」と言う。
「友だちが悪い」と。
しかしよく調べてみると、その子ども自身が中心核になっているというケースは多い。

●変化に注意

 さらに問題がつづく。
子どもというのは、ウソをつく。
仮面をかぶる。
一方、親のほうは、「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、子どもの変化を見逃してしま
う。
私の経験からして、こういうケースで、子どもの姿を正確にとらえている親は、まずいない。

 Yさんにしても、父親の前では、借りてきた猫の子のように、おとなしかった。
が、その一方で、母親は、Yさんを溺愛していた。
一度、こんなことがあった。

 私がYさんの希望進学校を聞いたときのこと。
母親は、私にこう言った。「私からは聞けませんので、先生(=私)のほうから、聞いてください」
と。
私は、「ハア……」と言っただけで、何も言うことができなかった。
 
 そのYさんについて言えば、極端にきびしい父親、極端に甘い母親の間で、(三角関係)がで
きていた。
つまり家庭教育そのものが、崩壊していた。

 結局、この問題は、行き着くところまで行く。
行かなければ、親も気がつかない。
この問題だけは、子どもの問題というよりは、親の問題。
親問題というよりは、家庭の問題。子どもは、その(代表)にすぎない。

 が、だからといって、それでその子どもが、ダメになるわけではない。
先に、「非行が悪いわけではない」と書いたが、それは、そういう意味である。
多かれ少なかれ、子どもというのは、同じような道をたどりながら、やがておとなになっていく。
この時期の失敗(?)が、そのまま一生つづくということはない。

 さらに言えば、ドラ息子、ドラ娘ということになれば、日本の子どもたちは、みな、ドラ息子、ド
ラ娘ということになる。
世界的な水準からすれば、そうである。ある母親は、こう言った。

 「先生は、ドラ息子の話をしますが、私の夫が、そのドラ息子です。どうしたらいいでしょう
か?」と。

 しかし……。

 よいか悪いかということになれば、子どもは、ドラ息子、ドラ娘にしないほうがよい。
苦しむのは、結局は、子ども自身ということになる。
それこそおとなになる過程で、「長くて曲がりくねった道」(ビートルズ)を歩かなければならな
い。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司













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【6】
5歳児の登園しぶり

【AEさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。
幼稚園年中(5歳)の娘のことでご相談させて頂きたく書き込み致しました。

年中にあがった4月から、幼稚園つまらない、行きたくないと言い続けています。
朝は1時間バスに乗って幼稚園に通っています。
出発は小学生の登校時間とほぼ同じです。
何度かべそをかきながらバスに乗ることもありました。

5月に先生にもご相談してみましたが、「何度か突然泣きだしてしまうことがありましたが、先生
やお友達など環境が変わった事があるかもしれません。
幼稚園ではお友達とも遊んだりしているし、特にこれといった大きな理由があるようには思えな
いので、しばらく様子をみましょう」とのことでした。

しかし、5月の保育参観では私の顔をみるなり泣きだしてしまい、7月の夏祭りでも泣いてしま
って、盆踊りもほとんど踊りませんでした。
後でそれとなく理由を聞くと、みんなのお母さんが見てるから恥ずかしいとのことでした。

6月の初め頃から登園前に腹痛が加わってきました。
幼稚園行きたくないって思うから痛くなっちゃうのかもよ、と言ってみたところ、「思わなくても痛
くなっちゃう」と言っておりました。
昨日、バス通園をやめて車で送ったところ、緊張のせいか車でグッタリしていました。
ただ車から降りると手を振って教室に入って行きました。
そして本日も「行きたくない…」と言ったので、幼稚園を休ませました。

しかし、つい先日園の役員をやっているお友達のママが、「幼稚園で会うと、Aちゃんから声を
かけてくれたり、手を振ってくれたりしてくれてるよ」と教えてくれました。

登園しぶりは年少の時にもありました。
年少の6月にある日突然大泣きし、行きたくないと言ったので、一日休ませました。
先生に相談したところ、「Aちゃんは頑張りすぎてないか心配していましたので、疲れが出たん
だと思います。こちらもフォローしてみます」とおっしゃってくださり、その後は問題なく登園して
おりました。

年少の時も参観ではモジモジしており、夏祭りではずっと泣いて先生に手をつながれていまし
たが、10月の運動会、2月の音楽会では立派な姿を見せてくれて、随分成長してくれたなと思
っておりました。

本人は内弁慶ですが、気は強い方だと思います。
小さいころからしっかりしていると言われていて、幼稚園に入ってまさかこういうことになるとは
正直思ってもいませんでした。
外遊び大好きで、幼稚園から帰ってくると同じマンションのお友達とお外で遊んだり、雨の日は
お友達のお家などで楽しく遊んでいるように思います。

ただ、生後間もない時から一緒にいるお友達でも、大人数で集まって一緒に遊ぶとなると、毎
回最初の1時間ぐらいは私にベタベタしています。

尚、もうすぐ3歳になる妹がいます。

私自身、1人っ子で、自分のペースを乱されるのに感情的になっていたと思います。
ちょうど彼女が一番甘えたい時期に、私が下の子の育児で一杯いっぱいになっており、手を出
すこともありました。
色々とかわいそうな思いをさせて娘に申し訳なかったと、先生のHPなどを拝見して今更ながら
反省しております。

また、私自身過敏性腸症候群であったり、神経症的な部分があると自覚しています。
「こうでなければならない」という観念も強く、おおらかな子育てができていないと思っています。

ただ、主人はとても穏やかな性格で、子供の面倒見も本当によく、大変助けられていると感じ
ています。
今回のことも一緒に考えてくれています。

上記の内容をご覧になり、娘はどのような問題を抱えどのような状況にあるのか、私はこれか
らどのように対応していけばよいのか、アドバイスがありましたらお伺いいたしたく、よろしくお
願いいたします。

【はやし浩司より、AEさんへ】

 原因は、下の子です。
嫉妬が日常化し、「お姉ちゃんだから……」と、いろいろな場面で、プレッシャーがかかっている
こともあります。
(外の世界で、懸命に、いい子ぶっているのは、そのためです。)
簡単に言えば、娘さんは、慢性的な愛情飢餓状態にあります。
それが転じて、神経症的な症状をいくつか示しているというわけです。
「ママ、私にもっと関心を向けて」と。

 2〜3年前ですが、あの新生児ですら、親に向かって、愛着行動を繰り返していることがわか
りました(アメリカ、サイエンス誌)。
親の愛情を自分のほうに向けさせるため、親をして、「かわいい」と思わせるよう、親を誘導し
ているというわけです。
いわんや……、ということで、一連の不可解な行動は、愛情飢餓が原因と考えてください。

 解決方法は簡単です。

 もう一度、上の姉に、100%の愛情を注ぎなおします。
多少の問題(甘えん坊的な依存性など)は、起こるかもしれません。
しかしこの際、思い切って、100%、注ぎなおしてみます。
子どもの側からみて、安心できる家庭環境を用意します。
「何をしても許される」「何をしてもいい」という、絶対的な安心感が、姉の心を落ち着かせます。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。
下の子が、さみしい思いをするかもしれませんが、下の子は、すぐそれを受け入れます。

 コツはいくつかありますが、(1)求めてきたときが、与えどき……と考え、娘さんが、何かの愛
情を求めてきたら、すかさず、抱いたりしてあげます。
「あとでね」「忙しいのよ」は、禁句。
すかさず、です。
添い寝、抱っこ、いっしょの入浴など、もう一度、娘さんが、乳幼児だったころの、(=下の子が
いなかったころの)、状況に戻します。

 年齢的に、やや時間がかかるかもしれません。
たとえば3〜6か月ほどです。
その間、幼稚園へは、適当に行けばよいとおおらかに構えてください。
ときには、幼稚園をさぼって、親子で動物園などへも行ってみてはどうでしょうか。

 ……家に帰っても、自分の居場所がない?
今は、そんな状況です。
(何か、赤ちゃん返りによる症状も出ているはずですが……。
妙によい姉を演じたりする、など。
これを反動形成と呼んでいます。
あるいは親の見えないところで、下の子に攻撃的ないじめをするとか。
もちろん赤ちゃんぽくなり、おねしょうをしたりするなど……。)

 あとは白砂糖の多い食生活を避け、K、Mg、Caの多い食生活(海産物中心)の献立に切り
替えてみてください。
不安定な心は、それで落ち着きます。
(ついでにダラダラした姿勢も、それでなおります。)

 不安先行型の子育てになっているようなら、もちろん改めます。
顔を見たら、ほめる……を繰り返し、あなた自身の心も作りなおします。
お姉さんが完ぺきにできることを求めるのではなく、万事、適当に。
遊戯会など、舞台で、それらしく踊れば、それでよいのです。
(もちろん、それでもほめてやりますが……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

似たような相談が、少し前にありました。
転載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【SKさんより、はやし浩司へ】

『はじめまして。息子のことで悩んでおり、こちらを見つけました。どうぞよろしくお願いします。

息子は7歳(小一)で、下に3歳(年少)の妹がいます。
父母との4人暮らしです。
ここ2年くらい、不機嫌なことが多く(波があっておだやかな時期もあるのですが)、イライラして
いるとほんの些細なことで騒いだり、母親の私に乱暴をしたり(手加減はしてるようですが)、も
のを倒したり本棚の本をぶちまけたりします。

今までは家の中で私に当たることが多く、幼稚園や公共の場で困ったことをすることはなかっ
たのですが、小学生になって1学期の終わりくらいから、家以外での問題行動が増え、学校で
は授業中立ち歩いたり他の子にちょっかいを出したり、物を投げたりとにかく落ち着きがない
ようで、先生も困っている様子です。

先生の記事もいくつか読ませていただいて、何か家庭で問題があるのかなと考えているの
ですが、なかなかよい解決方法が見つからずにいます。

うちは父親が厳しく、母親が優しいという感じの家庭です。
私自身は子供を信頼して口は出さないおおらかな母に育てられ、私の兄も私も反抗期もなく自
立しました。
子供もそのように育てたいと思っています。
できるだけ子供の話はよく
聴いて気持ちに共感しているつもりです。
泣きたいときは我慢せずに泣かせたり。子供の
悪い部分には注目せずに頑張っているところやあたりまえの行動に注目して、子供のあるが
ままを認めてあげたいと思ってきました。
なので、これ以上どうしたらいいのか悩んでいます。

息子の特徴としては、気が弱くて、ちょっと神経質なところがあります。
小さいときから
ブランコなど恐くて乗れなかったり、自信のないものにはチャレンジできなかったり。
運動は苦手ですが、工作など物を作るのが大好きで、同年齢の子に比べると高度な物が作れ
ます。

ただ完璧主義で思う通りに作れないと癇癪を起こしたりします。
家族でも人が口をつけたものは口にしません。
ルールから外れるのを嫌がり、公共の場所では注意書きを気にします。
飲食禁止と書かれたところで妹に水を飲ませようとするだけでも怒ります。
妹が悪いことをするのも許せません。
自分に何かされたわけでなくてもよく妹に怒っています。

何かに遅刻しそうになると「もう行かない」などと、遅れることを嫌がります。
学校へも忘れ物するのが嫌で教科書などは全て毎日ランドセルに入れています。
学校の勉強には充分ついていけているようですが、宿題などで間違えに気づくと「お母さん消し
て!」「もうやんない」と放り投げます。

照れ屋で口が悪いので素直に友達に「入れて」と言えなかったり、友達作りも苦手なほうです。
同じマンションで仲のいい友達がいてそのこと遊べているので楽しいときもあ……(以下、10
行ほど、文字化け)……父親は弱虫でいつまでも母親にべたべたしている息子に不満を持っ
ていて、厳しく叱っています。

息子は父親の顔をかなりうかがっており、父親が家にいるときは悪いことはしません。
父親自身体罰ありの厳しい家庭に育っています。
自分の思い通りにならないとすぐイライラして相手に怒りをぶつけます。
よく考えると息子は父親にかなり似ています。

主人には「お前があまやかしてるからつけあがっているんだ。
悪いことをしたらシバいたほうがいい」と言われます。
確かに、息子は私に命令するときもあり、それをきかないと騒ぐので私も言うことをきいてしま
うことがあり、私はなめられているのかなという気もします。

ただどうしても本人も自分の性格をもてあまして苦しんでいるようにも思え、私にしか発散でき
ないなら受け止めてあげたほうがいいのかなとも思ったり。
人を傷付けたり誰かに迷惑をかけるようなときは厳しく言っているつもりですが、それ以外のこ
とでは甘いのかなあと。

今はまだ押さえることができますが、もっと大きくなって暴れられたらどうしようという
不安もよぎり。
その気持ちがあるということは心の底から子供を信頼できていないのかな。
それを息子は見抜いているのかなとも思ったり。
そんな感じで、どうすべきか今悩んでいます。何かよいアドバイスがあればよろしくお願いしま
す。

●愛情飢餓

 一口で言えば、「愛情飢餓」。
SKさんの息子は、慢性的な愛情飢餓状態にある。
原因は、「下の子が生まれた」こと。
こういうケースでは、親は、「平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子にしてみれば、「平等(=半分)」ということが、おもしろくない。
下の妹は、家族というより、自分から母親を奪った「恋敵(こいがたき)」ということにな
る。
 要するに家庭教育の失敗ということになる。
で、こういうケースのばあい、もう一度、全幅の愛情を、上の子(息子)に注ぎなおして
みるしかない。

(妹にはかわいそうだが、こういうケースのばあい、妹には、寛容力があるはず。)
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など。

子どもがそれを求めてきたら、すかさず、愛情表現をしてやる。
「あとでね」とか、「今、ママは忙しいの」は、禁句。

 子どもの側からみて、安心感を覚えるような家庭環境を大切にする。
問題は、父親(=夫)だが、父親と対立するのは、まずい。
「あなたの言うとおりね」と言いながら、父親の言いたいこと、したいことを、先にまわ
ってする。
父親も、息子を相手に、飢餓状態にある。
つまり嫉妬している。
父親も、大きな駄々っ子と思えばよい。
権威主義的に見えるかもしれないが、それも自分の弱さを隠すための反動形成と考えれば
よい。

(詳しくは、「はやし浩司 反動形成」で検索。)

 コツは、息子を、けっして家族から孤立させないこと。
父親と息子を断絶させないこと。
親子の糸を切らないこと。
息子に、そう感じさせないこと。
キーワードは、先にも書いたが、「安心感」。
息子が安心しているかどうかだけを見ながら、接する。

 こういうケースで気をつけなければならないのは、親がアタフタすること。
叱ったり、説教したりするなど。
それが悪循環となり、息子をますます悪い方向に追いやってしまう。

 その安心感を覚えるようになれば、1週間単位で、症状はウソのように消える。
つまり息子は、そういう形で、母親のあなたを困らせる。
困らせて、自分へ関心を向けさせようとしている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)
●反動形成

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するために、
人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人がい
る。

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫んでみせ
たりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとして起
きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)がい
る。
本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。
本人に、その自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。
このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとで
は、他人には、それを見抜くことができない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せるかどう
かで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。
ときにサービス過剰になったりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくしてみせ
る、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくある。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。
中には、夫を心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずること
もあるそうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、また別
の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ はやし浩司 愛情飢餓 赤ちゃ
ん返り 不登園 はやし浩司 不登校)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方で、「嫌
いだヨ〜」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。
このころになると、子どもは「恥ずかしい」という言葉の意味がわかるようになる。
たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいことと考える。
だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえておおげさに否定してみ
せたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。
とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめると、小
声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司2012/07/11











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【7】
幼児の神経症(潔癖症、不潔嫌悪症ほか)
[投稿日時]2012年 7月18日(水)
[題名]5歳娘の行動のこと
[投稿者]MK

先生はじめまして。
年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。
娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。
引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園していました。
私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでいたみたいです。

5、6月は「ママが帰るとさみしいよ〜」と、少しぐずって言っていましたが、だんだん泣かないで
通園できていました。

7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。
帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝
てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手で
お友達触ってもどうにもならない? 
大丈夫?、と先の心配ばかりしています。

いつもと少し違うなと感じ始めました。
いつ手を洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。

「夏は暑いから汗でるから、たくさんお水飲んで大丈夫よ。
おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。
ちなみに一度もおもらしした事はないです。

保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。
とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。

娘の保育園は、年長10人位年中児6人の、縦割りクラスです。
先生も娘のことを気にかけて下さりました。
年長さんや年中さんなので、自主性を求めるために、少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行っ
てきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。
だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは、不安になったのではないかな、とのことでし
た。
実際、先生が○○ちゃんは行った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答え
たそうです。

それから少し落ち着くかな、と思っていましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出し
たり、床触ったから洗ってくると言いだしたりします。
「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。
「大丈夫大丈夫、それ位で皆どうもならないよ〜」と、私が言いますが、心配不安の様子。
おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、
大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。

足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、
「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。
さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。
主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」
とか。

手におえない位にグズることがあり、どうしようもなくなってしまいます。
抱きしめたくても汚れている、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか?
娘の気が済むように、あれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか?
どうしたらよいかわからない時があります。
時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。
通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。
お迎えの時は自分で履いてました。

保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。
自宅ではママが困ると分かるから、チョット気に食わないと行動するのかなともおっしゃってまし
た。
3か月通園して廻りの子は慣れているから何でも出来るし、指示されないと不安になるし、張り
つめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。
かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。

先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とか、どのように対処したらよいでしょう
か?
汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか?
これまで寝るとき保育園に行くときなど、「ママ大好き〜。チユとしたりギュっとだきしめたりして
いました。
昨夜も添い寝していると、娘からチユとしてきました。
ホント難しいです。
どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。

先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。
宜しくお願い致します。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

[題名]3歳児(男児)が荒れはじめました
[投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん)

4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。
先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。
明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。
緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。

幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に
叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。

幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。

母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な
家庭環境を与えてしまいました。

自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘
えの欲求にも応えようとしてきました。
父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。

息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強
く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、か
んしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。

神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い
通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。

大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】

 回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、私の考えを書いてみたいと思
います。
今しばらくお待ちください。
明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。
ともに「神経症的な症状」ですね。
基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。
母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。
つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。
そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。

 で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック〜夜尿症〜潔癖症など)は、珍しくありま
せん。
私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで
紹介します。

 では、今日は、これで失礼します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神経症的な症状

 子どもの神経症的な症状(以下、神経症)を考えるとき、第一に重要なことは、つぎのことで
す。

(1)子どもは家族の代表
 
 子どもに何かの症状(神経症にかぎらない)が現れると、親は、子どもだけを見て、子どもを
なおそうとする。
しかし反省すべきは、親自身ということになる。
親の育児観、育児姿勢、育児態度。
『子どもは家族の代表』というのが、今では常識的な考え方になっています。
つまり子どもの問題は、家族の問題というわけです。

 ……と書くと、たいへんの親は、「私は問題ない」「私はふつう」と答えます。
が、この「私は……」というのが、曲者。
本当に「私」がわかっている親は、(親にかぎらないが)、ほとんどいない。
反対に言うと、「私のことは自分がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分のことがわかっ
ていない。

 で、親は、常に自分を「善」とし、原因を外の世界に向かって求める。
「幼稚園が悪い」「先生が悪い」と。
「〜〜があったから、こうなった」「〜〜があったから、こうなった」と。

 しかし先にも書いたように、子どもが神経症になる背景には、親の育児観が大きく影響してい
る。
心配先行型、不安先行型、さらには子どもの側からみて、愛情飢餓など。
母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは常に不安と心配の渦の中で、もがく
ようになる。
母子分離不安も、そのひとつ。
親の姿が見えなくなっただけで、ギャーと錯乱状態になって、親のあとを追いかけたりする。
(あるいは極度な不安状態になり、オドオドする。)

 親は「私は子どもを愛している」などと言うが、たとえば、母親がたった3日間、病院に入院し
ただけで、母子分離不安になった子どもがいる。
遊園地で迷子になっただけで、母子分離不安になった子どもがいる。

 原因はさまざまであり、「いつの間にか、そうなってしまった」というケースも多い。

(2)二番底論
 
 神経症は、それにつづく別の症状をともなうことが多い。
ジョンソンの学校恐怖症論によれば、不登校に先立つ前兆症状として現れることもある。
つまり「なおそう」と思わないこと。
「今の状況を、より悪くしないこと」だけを考えて、対処する。
なおそうと考え、(治そうでも直そうもよいが)、無理をすればするほど、「まだ前の方がよかっ
た……」ということを繰り返しながら、症状は悪化する。

 とくに神経症は、不登校の前兆として現れることが多い。
原因のわからない腹痛、下痢、頭痛、ぐずりなどが慢性的につづいたら、要注意。
「家庭は憩いの場」と考え、こまごまとしたしつけなどは、控える。

 またひとつの症状が、別の症状を引き起こすということも多い。
ふつう神経症では、複数の症状が、同時進行の形で現れる。
(チック、夜尿症、潔癖症、不潔嫌悪症……など。)

 これを私は、「二番底」と呼んでいる。
が、そこで止まるわけではない。
対処の仕方によっては、三番底、四番底へと向かう。
子どもの問題には、すべて、この二番底、三番底……がある。
「今が、最悪」とは思わないこと。

(3)症状は半年単位でみる
 
 神経症は、環境を改善したからといって、すぐ消えるわけではない。
半年単位で様子を見る。
チックにしても、症状が消えるまでに、半年はかかる。
おとなになってからも残ることがある。
クセとして定着するからである。
(どこかの知事が目をまばたきしたり、有名なタレントが不自然に首を振るのは、原因はチック
と考えてよい。)

 ほかの神経症にしても、……たとえば頻尿症、夜尿症にしても、ばあいによっては、1〜2年
かかることもある。

 こうした神経症は、脳内ホルモンのバランスが崩れて起こることが多い。
さらに潔癖症、不潔嫌悪症(手洗いグセ)などは、「こだわり」とみる。
小児うつ病と診断されることもある。
叱って治るような問題ではない。
自然治癒力により改善されるまでには、数か月〜かかる。
 
 子どもの心の問題は、総じて、そういう視点で考える。
なお九州大学の吉田敬子氏は、「うつ病の種は、乳幼児期に作られる」と説く。
この時期に、母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、おとなになってから、うつ病を発
症しやすいと説く。

 「何をしても許される」「何をしても許す」というたがいの信頼関係が、子どもの心の発育に
は、絶対条件ということになる。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味。

 つぎの相談は、愛情飢餓により、神経症を発症した例である。

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【子どもの心の奥にあるもの】(2008年10月21日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒が不安定になることではない。
(心の緊張感)がとれないことを、情緒不安という。

心が緊張しているとき、不安や心配ごとがあると、心は一気に不安定になる。
結果として情緒は不安定になる。
つまり情緒不安というのは、(心の緊張感)がとれない、その結果として現れる症状をいう。

子どもの情緒不安を感じたら、まず、心の緊張感が、いつ、どのように発生し、どのように作用
しているかを、観察する。

慢性化すれば、神経症(症状は千差万別)を発症するようになる。
疑惑症、嫌悪症、潔癖症なども、そのひとつ。

対処法としては、(心の緊張感)をほぐすことを第一に考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【AKさんより、はやし浩司へ】

 6歳の娘と、4歳の息子がいます。6歳の娘についての、相談です。

長女はいい子で優しく素直な子です。神経質で、きっちりしている(言いつけを守る)ところもあ
ります。
5歳くらいまで母子分離不安が強く近所で多数の子供たちと遊ぶと、うちの子はなかなか私か
ら離れず、みんなの中に入って行くのを尻込みするタイプでした。
何か心にストレスを感じるとすぐ身体症状が出る子で、幼稚園入園後半年で円形脱毛になり、
年長に上がった時に神経因性頻尿になりました。
いずれもたくさん構ってあげたりスキンシップや気分転換させると自然に治りました。

 今困っている症状は、手を洗っても汚れがついている気がする。
その手で蛇口を触れない(蛇口をずっと長いこと洗います)。
手に触れるものや口に入れるもの全てにおいて清潔か、触っても大丈夫かの確認を何度もす
る。
チック(目をぱちぱちする)です。
手洗いに関しては、私が指摘したせいか本人も自覚してしまってつらがっています。
手洗いの際私が手を包み込んで一緒に洗うと、ましなようです。

 弟の方はマイペースで長女のようにきっちりせず、のびのびしています。
母親に対する独占欲が強く長女といつも私を取り合う感じです。
3歳頃まで泣きひきつけがひどく、あまり泣かせないようにしてきたからか、長女は我慢をする
ことも多かったと思います。
次男出産後1年半は保育所に預けていました。

 私自身にも問題があります。
一度火がつくと自分でもコントロールできない程激しく叱ってしまうのです。
私の母親が普段は優しく愛情深いのですが、怒るとすごくこわく、いわゆるヒステリータイプで、
毎日夫婦喧嘩の声(母の怒った声)に子供の頃から心が休まらない家庭でした。
母の顔色を伺いながら生きてきた自分を考え、自分は絶対そんな思いは子供にさせまいと思
い続けて母親になりましたが、時々自分の中に母親の影をみることがあります。

 特に生理前などはイライラが強く、子供にきつく怒ってしまいます。
その度に自己嫌悪に陥り反省し、よし明日からはとがんばるのですが、1ヶ月くらいたったある
日それまでの努力を自分で台無しにするような怒り方をして、また反省し繰り返しです。
こんな自分も嫌です。
どうにかして治したいのですが。
夫に私がきつく怒りすぎて子供が萎縮していると指摘を受けました。

 今回長女の強迫的な行動におろおろし、いろいろ調べたところ、はやし先生の相談者に対す
るアドバイスを読み、今まで長女は繊細であれこれ困ったことが起きるなと思っていたのは、す
べて私が原因だったのでは?、と思いました。
長女に対して今最大限のスキンシップをはかるようにしていますが、このまま続けて行けば良く
なるでしょうか? 

ひどい時は10分おきくらいに、「足を触ったかもしれないけどその手を舐めたかもしれないけ
ど大丈夫?」といった質問を繰り返したり、手洗い場で「洗っても洗っても汚れてるみたいな気
がする」と泣いている娘をみると、早く治してあげたくて受診させたほうがいいのかと悩んでいま
す。

 主人は自分の実家で気分転換させたら?、といいます。(主人の実家は長女びいきで行くと
いつも娘の表情が穏やかでわがまま言い放題、のびのびしています。)
先生、どうか返答は遅くても構いません。
是非アドバイスをお願いします。
私自身はメールアドレスを持っていないので主人の名前で出しています。
(相談者・AK) 

【はやし浩司よりAKさんへ】

 まずAKさん、あなた自身の心が、なぜいつも緊張状態にあるかを、静かに観察してみてくだ
さい。
いつもピリピリしているというようであれば、そのもとになっている、原因をさぐります。
(こういうケースでは、親の方が、神経症的な症状を示していることが多いです。
ピリピリとした育児姿勢、過干渉、過関心など。
親がそういう状態で、どうして子どもの神経症がなおるかということになります。)

 私の印象では、AKさん自身が、心を開けない人のように思います。
他人の前に出ると、緊張してしまうとか、(結果的に疲れやすい)、仮面をかぶってしまうとか、
そういう状態ではないかと思います。

 さらにその原因はといえば、AKさん自身の母子関係にあります。
AKさんと、AKさんの母親との関係です。
AKさん自身も、子どものころ、(いい子)ぶることで、いつも自分をごまかしていた。
現在のあなたの長女のように、です。

 で、相談の件ですが、年齢的に、つまり2歳下の弟がいるということですから、長女は、まだ
人見知り、後追いのはげしかったころ、下の弟が生まれたことになります。
下の弟が生まれたことによって、大きな愛情の変化を感じたと思われます。
対処の仕方を誤ると、赤ちゃん返りという症状が生まれます。

 長女は、現在も、その(赤ちゃん返り)の流れの中にあると思ってください。

 子どもというのは、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、敏感に反応しま
す。
親は「平等にかわいがっている」と言いますが、子どもには、そういった論理は通用しません。
あなたの夫が、ある日突然、愛人を家に連れ込んできたようなばあいを、想像してみてくださ
い。

 もうおわかりかと思いますが、長女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えて対処します。
濃密なスキンシップ、添い寝、手つなぎなど、こまめに実行してみてください。
ポイントは、『求めてきたときが、与えどき』です。

 長女のほうから、スキンシップを求めてきたようなときは、すかさず、(すかさず、です)、それ
に応じてあげます。
「あとでね……」「忙しいから……」は、禁句です。
ほんの数分、応じてあげるだけで、子どもは、落ちつくはずです。

 ほかに食生活にこころがけてみてください。
CA、MG、Kの多い食生活(=海産物中心の献立)にするだけでも、かなり効果があります。
(薬物に頼るのは、この時期、勧めません。)
とくにCAの多い食生活を大切にしてみてください。
市販の子ども用錠剤なども、効果的です。
(薬局へ行くと、高価な錠剤を勧めますが、安いものもあります。
安いのでも効果は同じです。服用量を注意して、与えます。)

私自身も、心の緊張感がほぐれないときは、CAの錠剤をバリバリと口の中で割ってのんだりし
ています。
ほかにハーブ系の錠剤をのむこともあります。
(子どもに与える量については、専門家とよく相談してください。)

 偏食、とくに白砂糖の多い食品は、避けます。
(家庭では、精製してない黒砂糖を料理に使うとよいでしょう。)

家庭生活の要(かなめ)は、子どもの側からみて、(心の休まる)環境です。
長女は、おそらく外の世界(幼稚園など)では、いい子ぶることで、自分の立場を保持している
はずです。
つまりそれだけ神経疲れを起こしやすいということです。
ですからその反動として、家の中で、ぞんざいな態度、横柄な態度を見せるかもしれません
が、そこは許してやってください。
「うちの子は、外でがんばっているから、家の中ではこうなのだ」と、です。

 6歳ともなると、(家)は、(しつけの場)ではなく、(憩いの場)とならなくてはいけません。
疲れた心を休める場所です。

手洗いグセについては、『暖かい無視』に心がけます。
心の緊張感(わだかまり、こだわり)がほぐれてくれば、自然になおります。
親がカリカリすればするほど、逆効果です。
なお子どもの神経症については、私のHP→(ここが子育て最前線)→(子ども診断)→(神経
症)に収録してありますから、参考にしてください。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

で、問題は、AKさん、あなた自身です。

 遠くは、あなたとあなたの母親との関係にまで、原因がさかのぼります。
あなた自身が、全幅に、あなたの母親に受け入れてもらえなかった……。
それが今、あなたの対人関係(もちろん子どもに対しても)に、影響を与えています。
さみしがり屋で孤独なくせに、しかし集団の中に入っていくと、すぐ神経づかれを起こしてしま
う、と。
他人を信ずることができない……つまり、他人に心を開くことができない。
自分をつくってしまう。ありのままをさらけ出すことができない、など。
(あるいは何かの原因で、長女を愛することができないのかもしれませんね。
「長女を愛しなければならない」「しかしどうも好きになれない」と、AKさん自身が、心の中で葛
藤しているということも考えられます。
あなた自身も、親に愛されていなかった……。
その世代連鎖が、今もつづいている可能性も否定できません。)

 ともかくも、こうした緊張感が、ちょっとしたきっかけで、爆発してしまう。
長女に対して、です。

 症状としては、AKさん自身が、(うつ病質)であると考えられますが、専門的な判断は、ドクタ
ーにしてもらってください。
同時にAKさん自身も、CAの多い食生活に心がけてみてください。

ほとんどの親は、子どもに、ふつうでない症状が現れると、子どもに原因を求め、子どもを治そ
うとか、直そうとか考えます。
しかし子どもは、(家族の代表)でしかありません。
幸いなことに、AKさんは、今、それに気づきつつあります。
つまりすでに問題は、半分以上、解決したということです。

 あとは、長女のよいところだけを見て、長女といっしょに、もう一度人生を楽しむつもりで、子
育てをすればよいでしょう。
あるいはもうそろそろ長女から離れ、あなた自身が自分でしたいことをすべき時期に来ている
かもしれません。
夫の実家でめんどうをみてくれるというのですから、そういう場をうまく利用して、あなたはあな
たで、好き勝手なことをすればよいのです。

 また、子どもを愛せないなら愛せないで、気負うことはありません。
実際そうした母親は、7〜10%はいます。
まず、あるがままの、自然体で、子どもに接することを大切にします。
「親だから……」と気負ってはいけないということです。
(メールによれば、AKさんは、かなり親意識の強い方のようですから……。)
子どもの「友」になることだけを考えて対処します。

 どうであるにせよ、症状としては、この時期、たいへん多いですから、あまり深刻に考えない
こと。
ただし環境を改善したとしても、すぐには症状は消えません。
あせらないこと。チックにしても、家庭環境が改善されても、ばあいによっては、そのあと、数年
つづくこともあります。
(手洗いグセは、比較的早く、症状は消えます。)

詳しくは、「はやし浩司 神経症」「はやし浩司 手洗いグセ」で、検索してみてください。
またAKさん自身の問題は、「はやし浩司 基本的信頼関係」が、参考になると思います。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi 子どもの神経症 手洗いグセ はやし浩司 不潔嫌悪症 潔癖症 はやし浩
司 神経症的な症状) 

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●神経症

 子どもの側に立って、考える……これが大鉄則です。
子どもが手を洗ったら、それを「おかしい」と思うのではなく、「そうね」と理解してあげる。
子どもが納得するまで、子どもに手を洗わせる。
あるいは親もいっしょに、手を洗う。
「あなた、おかしいわよ」と、無理にやめさせても意味はない。
かえって症状を悪化させる。

 先にも書いたように、こうした情緒不安症状は、心の緊張感が取れないことに起因する。
従って、家庭での指導の第一は、「心の緊張感をほぐすこと」。
やりたいようにさせ、温かい無視に徹する。
過関心、過干渉は、タブー。
子どもの側から見て、親の視線を感じないようにする。
親の姿を見て、どこかへ逃げていくようであれば、最悪の家庭環境と考えてよい。

 保育園や幼稚園での生活が、神経疲労を起こしているようなら、ときにはズル休みもしなが
ら、心の調整をする。
いやがって泣く子どもを、無理矢理バスに押し込めるような行為は、「虐待」と考えてよい。
(日本人には、そういう意識はないが……。)
カナダでは、保育時間も親が決める。
オーストラリアでは、週3回(たとえば月・水・金だけ)という幼稚園もある。
またアメリカでは、公立小学校でも、4歳児から預かるところが多い。
世界の幼児教育は、もっとフレキシブル。

 「ズル休みをしながら、適当に行けばいい」などと私が言うと、多くの親は驚くが、それこそま
さに世界の非常識。
もう少し気楽に考えてもよいのではないか。
たとえば40年前には、1〜2年保育が主流だった。
5%の子どもは幼稚園へ行かないで、小学校へ入学していった。
現在のように、3〜4年保育が主流になったのは、ごく最近のこと。
その分だけ、子どもの学力が向上したという話は聞いていない。
(少し過激な意見で、ごめん!)

●親の意識

 まず親の意識改革をする。
方法は簡単。
もっと気楽に!
肩の力を抜く!

 子どもの症状もさることながら、母親たちの対処の仕方を読んでいると、私のほうまで気が滅
入ってきます。
子どものやりたいようにさせ、いっしょにつきあってやる。
あとはハハハと笑ってすます。

 たとえばよくある夜尿症にしても、子どもはそういうものと考え、やりたいようにさせる。
「漏らしても無視。漏らさなかったら、ほめる」です。
あとはあきらめる。
で、子どもというのは不思議なもので、親があきらめたとたん、いつの間にか、夜尿症がなおっ
てしまう。

 それをカリカリと、夜中に起こしてトイレへ連れて行くようなことをするから、かえって症状が長
引いてしまう。
子どもも、ますます神経質になる。

●心の緊張感を取る

 子どもの行為にいちいちカリカリしないこと。
そのかわり、先に書いた、「絶対的な安心感」で、子どもを包む。
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など……。
まさに根気比べということになります。

 今では、心の緊張感をほぐすためのよい薬もあります。
小児科で相談すれば、処方してもらえますが、この時期は、あまりお勧めしません。
とくに脳内ホルモンをいじる薬物は、お勧めしません。
子ども自身がもつ自然治癒力を大切にします。
と、同時に、もう一度、「子どもは家族の代表」という言葉を、思い浮かべてください。
まず何よりも重要なのか、家庭環境の見直しです。

 私のHPのどこかに、「ママ診断」がありますから、どうか一度、自己診断をしてみてください。

 で、最後に一言。

 とは書きつつも、子どもの神経症は、珍しくありません。
つまり心の病気です。
が、あまり深刻に考えないこと。
ほとんどの子どもが一度は経験する、はしかのようなものです。
「いつの間にかなおってしまった」というのが、神経症(神経症的な症状)です。
(軽いものでは、指しゃぶり、髪いじりなどがあります。
ざっと数えただけでも、下の表ほども、いろいろな症状があります。)
「自己形成」という言葉が出てきましたが、この問題とは、まったく異質のものです。
切り離して考えてください。

 全体的には、園の先生に相談しながら、そのつど反省すべき点は反省しながら対処していけ
ばよいかと思います。

(参考までに)

●ママ診断
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html

●神経症(子どもの神経症的な症状)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

img152

img153

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもの神経症 神経症的な症
状 潔癖症 不潔嫌悪症ほか)

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司










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浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイ
ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
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