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●姉妹の確執
おととい、ある女性から、こんな相談を受けた。
電話での相談だった。
(ただし最初に書いておきますが、どなたかの紹介がないかぎり、電話での相談はお断りして
います。
おとといの相談は、昨年世話になった、ある学校の校長の紹介の方からのものでした。)
いわく、「姉妹が、仲が悪くて、悩んでいます」と。
おおざっぱに言えば、こういう内容である。
(1)2人の姉妹(娘)が、いる。
(2)年齢は、上が28歳、下が26歳。
(3)上の娘は、ケチでためこみ屋。家業を継がせたくない。
(4)下の娘は、負けん気でやり手。家業を継がせたい。
(5)いつも喧嘩ばかりしている。
(6)一方に家を出るように言っているが、姉のほうは、一歩も譲らない。
(7)妹にボーイフレンドができた。
(8)そのボーイフレンドに、姉のほうが横恋慕。姉との結婚話まで進んでいる。
(9)現在、そのボーイフレンドを取り合って、家の中が大騒動。
で、どうしたらいいか、と。
●姉妹
『年齢の近い姉妹は、憎しみ相手』と。
昔からそう言う。
乳幼児期からの(わだかまり)があるから、その分だけ、根が深い。
姉妹がうまくいっているケースとなると、10に1つもない。
が、話を聞くと、さらに深刻。
姉が、ボーイフレンドと妹の仲を裂こうと、あれこれと告げ口をしているというのだ。
そのひとつが、妹に、中絶経験があること。
それを、姉は、ボーイフレンドに話してしまった。
それが大騒動の原因にもなった。
相談してきた女性(母親)は、こう言った。
「明日にでも事件になりそうで、恐ろしくてなりません」と。
●現在の状況
姉は妹に向かって、「私が長女だから、家を出て行け」と。
妹は、「私が店を手伝っているから、あんたこそ、出て行け」と。
家は江戸時代からある、みやげもの屋。
その町の門前町の中でも、中心的な存在である。
敷地も広い。
現在の状況は、つぎのようらしい。
(1)たがいに口もきかない。
(2)ささいなことで、突発的に大げんかになる。
(3)夫(父親)は、「店を継いだものに、財産を譲る」と言っている。
(4)ボーイフレンド、つまり彼氏は、最近は、姉の方とデートしている。
●嫉妬
こういう話を聞くと、乳幼児期の子育てがいかに重要かがわかってもらえると思う。
この時期の兄弟・姉妹関係が、そのままおとなになっても、尾を引く。
嫉妬がからんでいるだけに、それこそ相手を、殺す、もしくはその寸前のところまで発展する。
(実際、そういう例は少なくない。)
原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
嫉妬について書いた原稿です。
中日新聞発表済み。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもの嫉妬
嫉妬はたいへん原始的な、つまり本能に根ざす感情であるだけに、扱い方をまちがえると、
その子どもの人間性そのものにまで影響を与える。
「原始的」というのは、犬やネコをみればわかる。
犬やネコは、一方だけをかわいがると、他方ははげしく嫉妬する。
また「人間性」というのは、情緒面のみならず、精神面にも大きな影響を与えるということ。
そしてそれは多くのばあい、行動となって表れる。
嫉妬が「内」にこもると、子どもはぐずったり、いじけたりする。
ひがみが強くなったり、がんこになったりする。
幼児のばあい、原因不明の身体の不調(発熱、下痢、嘔吐)を訴えることもある。
「外」に出ると、いじめや動物への虐待となることが多い。嫉妬がからんでいるばあいには、そ
れが相手に向けられたときには、「殺す」というところまでする。残虐かつ陰湿になるのが特徴 で、容赦しないのが特徴。
弟に向かって自転車で突進したケースや、弟を逆さづりにして頭から落としたケース、さらに妹
の人形をバラバラにしてしまったケースや、妹をトイレに閉じ込めてしまったケースなどがある。
一人、妹にお菓子と偽り、チョークを口の中に入れた女の子(小2)もいた。
また動物への虐待では、飼っていたハトの背中に花火をくくりつけ、ハトを殺してしまったケー
ス、つかまえてきたカエルを地面にたたきつけて殺してしまったケースなどがある。
ふつう子どもが理由もなく(また原因がはっきりしないまま)、ぐずったり、ふさいだりするとき
は、愛情問題を疑ってみる。
そういうときは抱いてみるとわかる。
最初は抵抗する様子を見せるかもしれないが、強引に抱き込んだりすると、そのまま静かに落
ち着く。
乳幼児期は、静かで穏やかな生活を大切にし、嫉妬と闘争心の二つはいじらないようにす
る。
中に、わざと子どもを嫉妬させながら、親への依存心をもたせる人がいる。
一昔前の親がよく使った方法だが、依存心をもたせるという意味で、好ましくないことは言うま
でもない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●いろいろなケース
「嫉妬がからんでいるだけに、ことはたいへんやっかいです」と、私は答えた。
それに財産問題も、からんでいる。
(財産)イコール、(欲望の追求)と考えてよい。
こうなると、さらに、やっかい。
一筋縄では行かない。
私は今までに知ったケースをいくつか、話してやった。
(1)財産(土地)をきちんと2等分したのだが、今度は南側の土地、北側の土地で、けんかにな
ってしまった姉妹。
(2)娘の夫たち(夫には相続権はない)まで加わってきて、玄関先で毎週のように、大げんかし
た兄弟・姉妹。
(3)古い例では、『ブーリン家の姉妹』がある。
映画にもなっている。
●『ブーリン家の姉妹』
映画『ブーリン家の姉妹』の映画案内には、つぎのようにある。
『……16世紀のイングランド。
新興貴族のトーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリ
ー8世の愛人に差し出すことを目論む。
ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。
一家は宮中に移り住み……』と。
イギリス王室にも、そんな暗い歴史がある。
で、一度こうした確執ができると、それを解きほぐすのは、ほぼ不可能と考えてよい。
姉妹でも、他人以上の他人になる。
ではどうするか?
●「流れ」
この種の問題は、(流れ)に任すしかない。
『時は心の癒し人』(はやし浩司)だが、その「時」にも、手に負えないときがある。
で、そういうときは、(流れ)に任す。
流れに任せておくと、やがて水がより下を求めて流れていくように、自然な形で解決する。
親が介入すると、かえって火に油を注ぐようなことになりかねない。
姉妹関係は壊れたまま。
姉とボーイフレンドが結婚するようなことにでもなれば、さらに壊れる。
そうなればなったで、もうどうしようもない。
この先もずっとそうと、あきらめる。
『あきらめは悟りの境地』(はやし浩司)ともいう。
コツは双方の聞き役に回り、親が意見を言ったり、結論を出してはいけない。
成り行きに任せれば、姉妹双方で、何らかの結論を出す。
あとは、それに従う、と。
運命というのは、そういうもの。
無数の糸が、複雑にからみあいながら、その人の人生を決める。
「家」にしても、そうだ。
家の運命も、それで決まる。
……ということで、今朝はここまで。
昨夜、ワイフが食パン製造器をセットした。
そのにおいが、この2階にある書斎まで入ってきた。
「8時30分にセットしたはず」と。
今、時計を見るとその8時半。
台所のほうで、カチャカチャと器具を外す音がする。
では今朝はここまで。
2012/01/09朝記
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
『時は心の癒し人』『あきらめは悟りの境地』について書いた
原稿を探してみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●『時は心の癒し人』(2003年07月15日記)
●子育て随筆byはやし浩司(978)
A市にお住まいの、Bさんからのメール
先日、A市での講演会に行かせていただきました。HPも見させていただき、色々思う事があり
ました。
私の兄は公務員で一人暮らし、二年ほど前に神経症になりました。
ある日、兄から電話があり、「お父さんが俺の仕事場の上司に俺の話をしているみたいだか
ら、上司に電話したりするのはやめるように言ってくれ……」ということでした。
私は実家に帰ったときに早速その話をしました。
父は「おかしいな。そんな話したことないのに……」と言い、その返事も兄に伝えました。
それからも何度かそんな内容の電話が兄からかかってきましたが、父の返事は変わりません
でした。
そんな電話から三か月くらいあとだったでしょうか、四国に旅行中の両親から電話があり「KK
(兄)が調子悪くなって家に帰っているみたいだから、様子見てきて!」という事だったので実家 に行ってみたところ、生気のない兄が母達が留守だった為、雨戸も開けずに暗い家の中にい ました。
話しを聞けば病院で神経症と診断され、仕事を二週間休んできたという事でしたが、私にはと
ても二週間で復帰できるような状態でないことがわかりました。旅行中の両親も旅行をとりや め帰宅。
その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げるようにして父が
私の家に来たり……。
兄は乱暴ではなく、とにかく元気がない状態。目の感じが違っていました。
仕事を休み始めた当初は私を呼びだし「俺、ホントに頭がおかしくなるかもしれないから、後は
頼むな……。」
と言われた事もあります。「それだけ分かってるなら、頭おかしくないよ! 頭おかしい人はそ
んな事言わない」と返事しましたが、その返事も、それで良かったのか悪かったのか……。
どんな治療をしたかは、私は詳しく聞きませんでしたが「病院かえた方がいいかな?」とか、「こ
の薬は普通こういう病気では処方されないらしい……」とか、とにかく、何もかもに神経質にな っているのがわかりました。
あの時のおかしな電話の事もこれだったんだ……と後からわかりました。被害妄想のようなも
のだったようです。
「役所でみんなが俺の話をしてる。」とか「噂されてる。」とか色々言っていました。
結果、仕事場に行くとパニック症状が起きてしまい、どうにもならなくなり自分から病院に行った
ようでした。
HPに、チックの事や神経症の事が書いてあるのを見て思い出したのですが、兄は小学校の
頃チック症状で、目をぱちぱちさせていました。
それを母がとても気にしていました。
兄は昔からすくお腹が痛くなったり、頭が痛くなったりしていました。誰かが病気になると自分も
調子が悪くなったような気がする……とか、とにかく変わった人でした。そして、神経症と診断さ れてから一年後、軽い鬱病だった……という診断にかわり(?)ましたが、とりあえず仕事に復 帰出来る状態にまで回復し、今は部所を変えていただき、実家からなんとか仕事に通っていま す。
チックに始まり、三四歳で神経症。同じ家庭環境に育った私は何事もなく過ごしています。
今、私には、年中児の息子と五年生の息子、中三の息子がいますが、子育てにおいてあれこ
れ真剣に考えることもなく過ごして来たような気がします。
でも兄をみて、HPをみて、小さい頃のささいな事と思えたものが、その後大きな問題に発展し
てしまう恐怖を感じました。
長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします。
数日前、私の親類の子供が、脳炎を起こしました。結果、大脳がほとんどやられてしまってい
て、治療の方法がない……と言うことでした。お見舞いに行きましたが、いとこは泣いていまし た。
かける言葉も見つからない状態です。
そんなこともあって、「おまえは生きているだけでいい……」という言葉が耳から離れません。
+++++++++++++++++++
【はやし浩司より、Bさんへ】
講演をしていて、一番、気をつかうのは、聞きにきてくれた人に、不安感を与えないということ
です。もし私の講演が、Bさんを不安にしてしまったようでしたら、どうかお許しください。
率直に言って、一つの講演の中でも、私は無数の話を織りまぜます。
で、そういう話のひとつずつに、それぞれの人が、まったく別の反応を示します。
ときに、私がまったく予期しないところで、まったく考えもおよばなかった反応を示す人もいま
す。
実のところ、Bさんがそうで、私は、申し訳ない気持ちで、いっぱいです。できれば楽しく、ハハ
ハと笑っていただければよかったのですが……。
しかし私の話は、いつも暗いですね。申しわけありませんでした。
が、私がここで答えられる部分は、「長男はたまに寝言を言うし、一年前までおねしょ(年に一
回くらい)しました。
実は、それも何かのサインだったのかと思うとドキドキします」という部分だ
けです。
これについては、寝言にしても、「たまに」ということですし、おねしょも、終わっているという点
で、もう心配する必要はないと思います。
それに寝言にせよ、おねしょにせよ、ほとんどの子どもが経験することで、大きな問題ではあり
ません。
ただ子どもを包む環境が、神経質になっていないかは、反省してみてください。
コツは、子ども自身が安心して休めるような、時と場所を、家庭の中に用意することです。
子どもを、温かく包むように、無視する。
子どもの側から見て、親の視線を感じさせないようにします。
こういうケースでは、Bさん自身が、問題そのものに気づいておられますので、少し時間はか
かりますが、それで問題は解決します。
どうか自分を信じてみてください。
で、話を戻します。
お兄さんの件ですが、どの家庭も、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それぞ
れ似たような問題をかかえています。
ほとんどが、そうではないかと思います。
みんなある意味で、懸命に、そして必死に、そうした問題と戦っています。
ですから、決して「自分だけが……」と思ってはいけません。
思う必要も、ありません。
心だって、たまには病気になるのです。
ただふつうの、つまり風邪や肺炎のような体の病気と違うところは、心の病気は、外から見え
にくいということ。
それにたいてい長期にわたるということです。
こじらせれば、一生つづくということも、珍しくありません。
だから心が病気になったからといって、深刻になること自体、おかしいのです。
しかもこの種の「心の病気」は、まじめな人ほど、なります。
もっとわかりやすく言えば、そうなったとしても、基本的には、その人を取り巻く、社会や環境の
ほうが、おかしいのです。
脳に機質的な問題があれば、話は違いますが、機能的問題であれば、今、ほとんどの病気は
治るという時代です。
かく言う私も、過去において、何度か、人生そのものに絶望したことが、あります。
人前では、いつも明るく振る舞っている私ですが、実のところ、心はボロボロ。
私ほど、心の病気のデパートのような人間は、少ないと思います。
よく私は、「あらゆる精神病を、広く浅くもっている」と冗談ぽく言いますが、それはまちがってい
ません。
また生まれながらにして(?)、家庭問題のいざこざには、常に悩まされました。
実のところ、今も悩まされています。
しかし私のばあいは、どれも長期で、もうなれたというか、あきらめたというか、そういう状態に
なっています。
またそういう私を悪く言う人もいますが、「勝手にどうぞ」という心境です。
Bさんについても、今さら過去をほじくりかえしても、意味はありませんし、今の問題がどうか
なることもありません。
しかたないのです。
みんな、懸命に生きていても、どこかで穴があき、そこから水が漏れることだってあるのです。
懸命に生きていても、どうにもならない問題が、起きるときには、起きるのです。
ここで大切なことは、仮にそういう問題が起きたとしても、それは私やあなたの問題ではない
ということです。
それが人間が、人間であるがゆえに、つまりは生きることにまつわる限界のようなものです。
そんなわけで、つぎに大切なことは、そういう問題が起きたとしても、それはそのまま、受け入
れるということです。
まさに「なるようになれ!」と自分に言ってきかせることです。
この言い方は、一見、無責任な言い方に見えるかもしれませんが、あのジョン・レノンも、『レ
ット・イット・ビー』の中で、そう歌っています。
「♪レット・イット・ビー(あるがままにせよ)」と。
実のところ、私もずっと、そうしてきました。ものごとというのは、なるときには、放っておいても、
なる。
しかしならないときは、がんばっても、ムダ……ですね。
とくに心の病気について言えば、そうではないでしょうか。
ただお母さんの態度は、あまりほめられたものではありません。
娘のあなたに、「その後は、もう大変でした、毎日のように母が泣いて電話をしてきたり、逃げ
るようにして父が私の家に来たり……」とは?
「逃げるようにして……」というのは、お父さんが、お母さんから、「逃げる」という意味でしょう
か。
こういうケースでは、一番、自分を律しなければならないのが、お母さんなのですが……。
少し残念ですね。
お母さん自身が、あなたのお兄さんを、まったく受け入れていないばかりか、そうした態度が、
お兄さんのみならず、あなたをも苦しめていることに気づいていない?
またあなたのメールだけで、こう結論づけるのは、危険なことかもしれませんが、お兄さんが
子どものころ見せた、いろいろな神経症による症状(チックなど)の原因も、お母さんにあった のではないかということです。
こういうケースでは、母親の態度というか、姿勢が、一番、重要なカギを握ります。
そのお母さんが、こうまで動揺してはいけません。
……と、ほとんど回答になっていない返事で、ごめんなさい。ただ言えることは、ことあなたに
ついて言うなら、『時は、心の癒し人』ということです。
時間が解決してくれます。時間がたつと、あなた自身が、周囲を受け入れ、そして心穏やかに
なります。こういうときは、あせって、あれこれしないほうがよいです。
じっとがまんします。(もちろんそれでお兄さんが、よくなるとかということではありませんが…
…。あくまでも、あなた自身の問題が、です。)
最後に、お兄さんがそうだったからといって、あなたのお子さんが、そうなるということは絶対
にありません。
どうか過剰に不安になったり、心配したりしてはいけません。
一つだけ心配される点について、書いておきます。
あなたのお母さんとあなたのお兄さんの関係においてですが、あなたのお母さんは、お兄さ
んを、全幅には受け入れてはいなかった?
それが今いる、「お兄さん」をつくったと考えられます。
いろいろ事情があったのでしょう。
だからあなたのお母さんを責めても意味はありません。
ただそういう関係、つまりあなたのお母さんのもつ、子育て観が、今のあなたの影響を与えて
いる可能性はあります。
これを心理学では、世代伝播とか連鎖とか言います。つまり子育ては繰りかえすということで
す。
そこでこれはあなたにとって、たいへんつらいことかもしれませんが、「母親である」という虚
像というか、偶像を排除して、一度、あなたのお母さんを、一人の人間として、冷静に判断して みてください。
そしてあなたのお母さんのもつ、人間的な欠陥というか、精神的な未完成部分というか、はた
また情緒的な未熟性というか、そういうものを、冷静に判断してみてください。
そしてそれに気づいたら、あなた自身は、それを繰りかえさないようにします。あなたの子ど
もに対して、です。
そこだけを注意すれば、もう心配はありません。ほとんどの人は、それに気づかないまま、同じ
ことを繰りかえします。
どうかご注意ください。
繰りかえしますが、だからといって、あなたのお母さんを責めても意味はありません。
多分、もうかなりの年齢の方だと思います。
人間も、満四五歳前後を境に、あとは、急速に、人間的な進歩をやめます。
ばあいによっては、そのころを境に、退化します。
年配だから、人間的にもすぐれているだろうと考えるのは、幻想以外の何ものでもないというこ
とです。
では、今日は、これで失礼します。また何かあれば、ご連絡ください。なおあなたからのメー
ルは、このような形で、マガジンに転載させていただきますが、よろしくご了解ください。勝手な お願いですみません。よろしくお願いします。
(030715)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 姉妹の確執 嫉妬 子どもの嫉 妬 はやし浩司 チック チック症)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●あきらめは悟りの境地(中日新聞にて発表済み)
子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。
子育てはまさに、あきらめの連続。
またあきらめることにより、その先に道が開ける。もともと子育てというのはそういうもの。
一方、「そんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路
に入る。
そしてやがてにっちもさっちもいかなくなる。
要はどの段階で、親があきらめるかだが、その時期は早ければ早いほどよい。
……と言っても、これは簡単なことではない。
どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うのは適切でないかもしれないが)してみるまで、
自分が失敗するとは思っていない。
「うちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。
また行きつくところまで行かないと気がつかない。
要は子どもの限界をどこで知るかということ。
それがわかれば親も納得し、その段階であきらめる。
そこで一つの方法だが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならできるか」
「自分ならどうするか」という視点で考える。
あるいは「自分が子どものときはどうだったか」と考えるのもよい。
子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。
たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分な
らできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。
もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。
「あなたの料理のし方、76点。
接客態度、54点。
家計簿のつけ方、80点。主婦としての偏差値48点。
あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入○○万円程度の男」と。
またそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ」「何だ、この点数は!」とあなたを
叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるだろうか。
子どもが置かれた立場というのは、それに近い。
親というのは身勝手なものだ。
子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を読んでいる親は少ない。
子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親は少ない。
そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。
そしてここが子育ての不思議なところだが、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。
親子のきずながその時点からまた太くなり始める。
もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめてみてほし
い。
それで道は開ける。
(以上、2012/01/09記)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
**********以上、はやし浩司 2012年01月09日**********
●離婚後の問題
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
N氏(男性)は、現在、1人の女性(以下、Aさん)と同棲している。
その女性(Aさん)は、1年ほど前、別の男性と離婚。
N氏は、その女性(Aさん)との婚姻届は、まだ出していない。
そのAさんには、元夫の間にできた、1人の子どもがいる。
現在、7歳。
今は、N氏、そのAさん、それに7歳の子どもと、いっしょに暮らしている。
離婚した相手の男性(元夫)は、「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言っている。
そのため、Aさんは、元夫にときどき、子どもを会わせている。
が、元夫は、子どもの歓心を買うため、高価なプレゼントを与えたりしている。
歯をみがかせないこともあるという。
N氏としては、こうした関係をできるだけ早く、すっきりしたい、……ということらしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●N氏よりの相談(原文のまま)
『子供が6歳の時、両親が離婚。
(4歳の時から両親は一言も話さなくなっていたそうです。)
離婚後すぐ私と彼女は知り合って交際するようになり、離婚後半年で私と、彼女、彼女の子供
と3人で暮らす様になり、1年がたとうとしています
【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きく
ださい。 】:
いつも子育てにとても参考にさせてもらっています。
上記の様な複雑な状況で3人で生活しています。
同棲して1年で、結婚を考えていますが、以下の様な問題があります。
?結婚の話をすると、夫婦で建てた時の家のローンを、半分払えと言われる可能性が高い為、
様子を見ている。
?離婚した時、元夫から「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言われており、今はそれを持
続している。
離婚直後は嫌がっていたが、子供は父親を今はとても慕っており、面会後「寂しい」と泣くことも
時折ある。
父親は面会時はつきっきりで遊んであげていて、とても子供に優しい。
3,4か月に1回はゲームのソフト等、子供が喜ぶ高額なおもちゃを買ってあげている。
離婚前はそこまで遊ぶことも、ゲームを買うこともなかったようです。
?子供は3歳ころまで言葉を話すのが遅く、特殊学校に行っていた。
幼稚園も特殊学級に入れる様言われたが、普通の学校に行った途端、せきを切った様に発
語する様になった。
今まだ目を合わせて話せず、又、新しい環境になじむのがとても苦手。
普通だがかなり怖がりで、自分の慣れたもの以外に慣れるのが苦手な子。
彼女と元夫はかなり仲が悪く、話ができないので手紙でやりとりをしています。
彼女が夫に何か提案をしても罵倒する返事しか返ってこないので話し合いをして子育てを協力
しあう雰囲気はありません。
(例えば面会時にいつも歯磨きをしていなかったので歯磨きをお願いしたら、お前の育て方が
悪いとありました。
元夫は彼女以外の人には人当たりよくしているそうです。)
私は結婚をしたいのですが、例えばバレンタインデーに父親にこったチョコレートをあげようと
する等、違いを見せられると冷静であろうとするのですが辛い時があります。
又、私は私なりの教育を考えて実践しています。
例えば何時間でも家でゲームをして良い決まりだったのを、ゲームの時間を決める、本を読ま
なかった子に、夜寝る前に本を読んで聞かせている等ですが、面会のたびに違う家の、子供 にとっては心地良いルールに戻され返ってきたり、2つの家の価値観が違いすぎて子供が困 惑している時があります。
できれば結婚後は面会頻度を2カ月に1回、泊りは夏休み、冬休みのみにしたいのですが、子
供の心理上はそれがどうなのか、アドバイスを頂ければと想います。
又、父親から遠方になるのに、引っ越ししようかとも考えています。
よろしくお願い致します。
私とその子供との関係は、良い方だと思います。
子供も「今のお父さんと出会えて良かった」と言っている様です。
ただまだ彼に馴染んでもらうには時間がかかると思っていて、待つつもりでいます』(以上、N氏
の相談)。
●未練
結婚の仕方は、いろいろある。
同じように離婚の仕方も、これまたいろいろある。
みながみな、(さわやかに)というわけにはいかない。
たいていは、(ドロドロ)。
私の知人(58歳)は、離婚調停で、3年も費やした。
財産分離に時間がかかった。
以前、こう書いたことがある。
「離婚を覚悟するなら、未練を徹底的に消してからにしたらよい」と。
未練が残ると、離婚も、ドロドロしたものになりやすい。
その未練。
その第一が、子どもがいれば、子どもということになる。
離婚したという「敗北感」「屈辱感」「挫折感」「失敗感」、さらに「世間体」や「見栄、メンツ」など
など。
こうしたものが、複雑にからんでくる。
もちろん相手への思い、不本意な別れなどもある。
「未練」というのは、そういう意味でも、一筋縄ではいかない。
●元夫
N氏からの相談を読んでいると、元夫の、その「未練」を強く感ずる。
Aさんの心はともかくも、元夫は、その未練の中でもがいている。
子どもへの思いもあるだろうが、むしろ子どもを理由にし、Aさんとの接触を求めている。
独り残された元夫にすれば、「では、私はどうすればいのだ」ということになる。
相談の内容からすると、Aさんのほうが、やや強引な形で、離婚したという印象をもつ。
そのあたりの心理、つまり元夫の気持ちを理解しないと、今の状態は、しばらくつづく。
が、口で言うほど、これは簡単なことではない。
仏教でも、四苦八苦のひとつに、『怨憎会苦(おんぞうえく)』『愛離別苦(あいりべつく)』をあげ
ている。
人間が人間であるがゆえに、苦しむ(苦)をいう。
まさに身を引き裂くような苦しみをいう。
怨憎会苦について書いた原稿を探してみる。
怨憎会苦の苦しみを、理解してほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●怨憎会苦(2008年8月19日付)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●魔性との闘い(怨憎会苦)
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)
仏教には、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。
が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。
で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。
そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを
消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。
A氏の父親が、2年前に他界した。
数億円の財産(主に土地)を残した。
その財産をめぐって、A氏(長男)と、ほかの3人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。
A氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、
「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、
言いがかりをつけた。
A氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、
「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、
「あの土地は、私のもの」と騒いだ。
A氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってA氏は、こう言う。
「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という
話になってしまいました。で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、
あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、
そういう道理すら、通じませんでした」と。
娘の夫の1人は、こう言ったという。
「(義父が)、オレの女房(=妹)に、『あの土地をお前(=妹)にやる』と言った話は、
オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。
A氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるA氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。
A氏の妻もこう言った。
「(妹の1人から)、嫁(=A氏の妻)が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと
言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。
まさに怨憎会苦。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。
「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように
感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を
貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。
A氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、
ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースと
なると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。
恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭(マネー)にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、
貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと
言われている。
今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。
では、どうするか?
釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。
つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。
音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。
そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
(これは私の努力目標でもある。)
(2008年8月19日付)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Aさん(女性)
Aさんにとっても、つらい毎日にちがいない。
本来なら、家庭裁判所で、家事調停を申し込むのがよい。
手続きは簡単で、家庭裁判所に出向き、調停の申し立てをすればよい。
あとは、その日に双方が会い、調停委員の前で、アドバイスを受けながら、結論を出す。
元夫の、子どもとの面会権も、そのとき決めることもできる。
Aさんに落ち度がなければ、子どもの養育費、慰謝料なども請求できる(はず。)
養育費の額などは、相手側の収入などにより、調停委員が査定してくれる。
家事調停で裁決されたことは、本裁判の判決と同じ法的効力をもつ。
たとえば養育費が滞ったばあいなどは、即、執行猶予付きの支払い命令書を相手側に、裁判
所名で送付することができる。
……というのが法的手続きということになるが、実際には、「家庭裁判所で……」というケース
は、少ない。
離婚というより、離婚に至る経緯の中で、人間関係は、すでにこなごな(=ドロドロ)に破壊され
ている。
たがいに感情的になっているから、冷静な話し合いも、むずかしい。
●N氏
やはりキーパーソンは、相談者である、N氏自身ということになる。
相手の元夫がそれに応ずるかどうかはわからないが、(私の予想によれば、会うだろうと思う
が)、Nさん自身が、相手の元夫と会ってみるのが、いちばんよい。
……というのも、私にも、似たような経験が何度か、あった。
一度は、暴力団がらみの事件に巻き込まれたことがある。
知りあった男性が、「アパートをさがしてほしい」と言った。
そこで知人のアパートを紹介した。
が、その男性が、暴力団の組員だった。
知らなかった。
で、家賃は払わない、ほかの組員たちも同居するようになった……、ということで、アパートの
所有者、つまり知人が、責任を取ってほしいと泣きついてきた。
そこで私は、直接、その暴力団の事務所に乗り込むことにした。
あらかじめ電話をかけると、「命が惜しくなかったら、来い」と。
が、私は、子どものころから気が小さいくせに、そういうときになると、肝っ玉が座ってしまう。
私は、単身、その事務所に乗り込んでいった。
……中央にデスクが置いてあり、左右のソファに、それぞれ3〜4人ずつの男が座っていた。
生きた心地はしなかった。
が、私は、こう切り出した。
「アパート代の未納分を払い、今月中に、アパートを引き払ってほしい。私の言いたいのはそ
れだけだ」と。
私はそのとき、30歳前だったと思う。
が、組長の言葉は、意外なものだった。
こう言った。
「お前の度胸に負けた。来るとは思っていなかった。お前の言うとおりにする」と。
●元夫の苦しみ
相手の元夫も、苦しんでいる。
私は、そう感ずる。
相手の元夫も、先に書いた未練の中で、もがいている。
だからNさんが、「会いたい。会って一度、話しあいたい」と言えば、応じてくるはず。
最高の解決策は、Nさんが、相手の元夫に会うこと。
何も隠さず、正々堂々と、誠心誠意、相手の元夫の立場に立って、会う。
相手の元夫の気持ちを聞くだけでも、相手の元夫の心は、収まるはず。
が、それでも話しあいがつかないようであれば、こう提案すればよい。
「私の力ではどうにもならないから、一度、家事調停をしてみませんか」と。
(家事調停の仕方などは、簡易裁判所の窓口へ行けば、ていねに教えてくれる。)
Nさんも、不愉快だろう。
相手の元夫も、もやもやしているだろう。
しかしその間にあって、いちばん苦しんでいるのが、Aさんということになる。
この先、Aさんとの結婚を真剣に考えているなら、Nさんが、間に立つのがいちばん、よい。
●子ども(7歳)のこと
私の印象では、相手の元夫は、子どもには、あまりこだわっていないと思う。
ていねいに話しあえば、相手の元夫も、納得するはず。
つまり相手の元夫が求めているのは、不完全燃焼感というか、敗北感への償い。
「このままでは、あまりにも自分がみじめではないか」と。
が、NさんやSさんも、同じように苦しんでいることがわかれば、またそうした誠意があること
がわかれば、相手の元夫も納得するはず。
子どもが、緘黙症を示したのも、離婚劇というより、離婚騒動が原因と考えてよい。
「騒動」が、子どもの心を、つぶした?
あとは、前向きに生きていく。
少し時間がかかるかもしれないが、時間が解決してくれる。
みな、その程度の(キズ)を背負っている。
キズのない人はいない。
「これも人生」「あれも人生」と、割り切る。
私たち夫婦も、そうしている。
いろいろあったし、現在進行形で、今もある。
完ぺきな人生は、ない。
みな、ボロボロ。
だったら、ボロボロを前提として、生きる。
まさに『時は心の癒し人』。
私はいつもそう考えている。
最後に、この正月に書いた、抱負をここに転載する。
その前に……。
勇気を出し、相手の元夫に会ってみること。
それですべてが解決するはず。
相手の元夫の立場で、会う。
「あなたのつらい気持ちもよくわかります」と。
歯磨きくらいのことで、けっして相手の元夫を責めてはいけない。
虫歯になれば、歯科医院へ行けばよい。
高価なプレゼントくらいで、相手を責めてはいけない。
「喜んでいますよ」と。
そう言えばよい。
Nさん、あとは、あなたの勇気だけ。
運命というのは、そういうもの。
逃げ腰になると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかってきますよ。
(以上、推敲なしで、このまま返信しますので、誤字脱字は、お許し下さい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●2012年のはじめに
【生きる目的と意味、そしてその生き様】
(はやし浩司 2012ー01−01)
●前向きに生きる
前向きに生きるということは、簡単に言えば、過去を引きずらないということ。
そのためには、つぎの7つを守る。
(1)失ったものを、嘆かない。
(2)去った人を、追わない。
(3)ないものを、ねだらない。
(4)亡くなった人を、思わない。
(5)過去を、くやまない。
(6)失敗を、気にしない。
(7)自分の不幸を、数えない。
が、それだけでは足りない。
生き様そのものを変える。
自分に対しては、つぎの3つを守る。
(1)あるがままの自分を認める。
(2)負けを認める。
(3)今を原点として、生きる。
人間は、希望さえあれば、生きていくことができる。
が、希望は、だれにでもある。
今、ここに生きている、そのこと自体が、希望。
目が見える、音が聞こえる、風を感ずることができる……それが希望。
人と心を通わせることができる、ものを考えることができる……それが希望。
その希望は、自ら創り出すもの。
待っていても、やってこない。
日々の弛(たゆ)まない鍛練こそが、希望を生む。
肉体の健康、しかり。
精神の健康、しかり。
他人に対しては、つぎの5つを守る。
(1)人を、恨んではいけない。
(2)人を、ねたんではいけない。
(3)人に、ねだったり、甘えてはいけない。
(4)人を、うらやましがってはいけない。
(5)人に、へつらい、自分を裏切ってはいけない。
さらに老後の、しっかりとした設計図をもつ。
そのためには、つぎの4つを守る。
(1)私は私と割り切り、自分を他人と比較しない。
(2)年齢という数字を、気にしない。
(3)最後の最後まで、居直って生きる。
(4)孤独死、無縁死を、恐れない。
あとは日々、平穏を旨とし、取り越し苦労にヌカ喜びをしない。
時の流れの中に身を置き、その流れに身を任す。
命は、そのまま天に任す。
朝、起きたときに、やるべきことがある人は、幸福と思え。
今日1日、今週1週間、今月1か月、今年1年、やるべきことがある人は、幸福と思え。
それを「真の幸福」という。
前向きに生きるというのは、そういうことをいう。
さあ、あなたも勇気を出し、足を一歩、前に踏み出そう。
明るい未来に向かって、まっすぐ歩こう!
『心を解き放てば、体はあとからついてくる』(アメリカの格言)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●人を恨まない
H・フォスディック(Henry Fosdick)はこう言った。
『Hating people is like burning down your house to kill a rat.
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで心が腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
人を恨めば、人生を棒に振る。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげている。
が、それでも恨みが消えないときは、どうするか。
●真の自由
過去を引きずったとたん、人生は監獄になる。
が、だれしも、恨み、つらみはある。
失ったことを嘆き、不運を悔やむ。
が、そういうときは、それから逃げてはいけない。
とことん、恨め。
とことん、憎め。
とことん、過去を悔やめ。
身がボロボロになるまで、恨め、憎め、過去を悔やめ。
恨んで恨んで、憎んで憎んで、悔やみたいだけ悔やめ。
自分を燃やし尽くせ。
すべてのエネルギーを燃やし尽くしたとき、あなたはその先に、恐ろしく静かな世界を見る。
それはあなたの魂が解放された、無の世界。
そのときあなたは、はじめて、真の自由を知る。
●運命
今、あなたが苦しんでいるなら、幸いと思え。
あなたが悲しんでいるなら、幸いと思え。
あなたは今、まさに真理のドアを叩いている。
そのドアの向こうでは、真理が、あなたがドアを開いてくれるのを待っている。
息を潜(ひそ)め、静かに待っている。
大切なことは、苦しみや悲しみから、逃れようとしないこと。
逃れようとしたとたん、運命はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、あなたが苦しみや悲しみに、真正面から立ち向かえば、運命はシッポをまいて、向こうから
退散していく。
方法は簡単。
あるがままを、そのまま受け入れる。
そこに運命があるなら、その運命をそのまま受け入れる。
書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という。
もちろん闘うことができる運命であれば、それと闘う。
「逃げろ」という意味ではない。
闘う。
ふんばる。
そこに人間の生きる価値があり、美しさがある。
が、どうにもならない運命というものもある。
もしそうであれば、負けを認める。
受け入れる。
とたん、あなたはそこに真理が待っていることを知る。
●2012年01月01日
さあ、ともあれ、2012年は始まった!
友よ、仲間よ、力を合わせて、前に向かって歩こう。
馬鹿は、相手にしない。
愚か者は、相手にしない。
欲望の奴隷となり、道を見失った人間は、相手にしない。
どうせ、その程度の、つまらない人生しか歩めない。
そんな愚劣な人間のために、時間を無駄にしてはいけない。
私たちはそういう人を、憐れんでやろう!
人生は山登りに、似ている。
下から見れば、低い山でも、登ってみると、意外と遠くまで見渡せる。
それと同じ。
あなたが勇気を出し、山に登れば、下にいる人間が、さらに小さく見える。
あなたは前だけを見て、前に向かって進めばよい。
ただひたすら前に向かって、進めばよい。
それですべての問題が、解決する。
(はやし浩司 2012−01−01記)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2歳児の不登園について】
【三重県のDさん(母親)からの相談】
(Dさんより、はやし浩司へ)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【 いただいた相談内容について……これは後日のトラブルを避けるためです。どうか、ご協力
ください。 】:
内容を(私)とわからないように改変したのちなら、転載、引用を、自由にしてよい。
【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:2歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(36歳)母(34歳)息子(2歳)
【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きく
ださい。 】:
はじめてメール致します。
2歳の息子の母です。
息子の登園拒否に悩んでいます。
息子は去年から保育園に通い始め、今年から2年目になります。
この4月から新しいクラスになったのですが、3月の終わりごろ(クラスが変わる前)から登園拒
否を起こすようになりました。
原因として思い当たる事は、
(1)3月の終わりごろ体調を崩しお休みが続き、休み明けに登園すると、保育園が新年度の
準備の為に先生の入れ替わりを行っていた(クラスの雰囲気が変わっていた)
(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実家です)の家もゴタ
ゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構ってくれなかった)
(3)新しいクラスにまだ馴染めない
以上、いくつかありますが、どれも原因になっている気がします。
夜は夜泣きが酷いというほどではなく(時々クスンクスン言います)朝まで起きる事はありませ
ん。
食欲もそれなりにあり、特に夜はしっかり食べています。
ただ、保育園も教室に入る前までは行けるのですが、クラスに一歩入る事が出来ず、教室の
前で泣きます。
泣き方は日に日に酷くなっており、床に突っ伏して私の足に絡みついて泣く事もあれば、クラス
の先生が抱っこするのを振り払うように暴れて泣く事もあります。
そして急にタオル類を手放さなくなりました。
大きめのタオルやブランケットがあると安心するのか、寝る時も抱きしめて寝ます。
保育園へ行く時も持って行くと言って離しません。
家庭での過ごし方は、以前と大きく違う事はありませんが、今までママがいなくても祖父母と遊
べたのに、ここ数日はママがいないと嫌だと言います。
保育園から帰ると一人で遊べますが、朝はママにくっついていないと食事も摂りません。
またとっくに卒乳を済ませていましたが、最近おっぱいを求めるようにもなりました。
HPで先生のご意見を拝見致しました。
息子の場合も、母子分離不安に該当するのではないでしょうか。
毎朝「今日も保育園頑張ろうね」「帰ったら公園行こうね」などと励ましていますが、結局教室の
前で大泣きです。
園の先生には「泣いているのは朝だけで、あとは機嫌よく過ごしていますよ」と言われています
が、我慢しているだけで心は折れたままなのではないかと心配です。
今、精一杯の愛情を示そうと、出来るだけ抱っこするなどスキンシップを行っています。
症状が出てからまだ2週間程度なので、まだまだ時間が掛かるのだろうとは思っていますが、
今私に出来る事があれば、アドバイス頂けると光栄です。
よろしくお願い致します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(はやし浩司より、Dさんへ)
「2歳」という年齢に、驚きました。
しかも「今年で通園、2年目」ということですから、1歳前後から、通園していることになります。
その2歳の子どもが、体を張って、登園を拒否している……!
それを何とかして、保育園へ通わせようとしている……!
大前提として、家庭に、その必要性、(たとえば共働きしなければならないとかいう事情がない
ならば)、子どもは、家庭で、育てなさい。
集団教育を経験させるとしても、満4歳前後からでじゅうぶんです。
アメリカの小学校の多くは、満4歳から、6年間の教育を実施しています。
それ以前は、ナーサリーの分野ということになります。
カナダでは、自由に、親と子ども(1〜4歳)が、保育園へ行きます。
登園時刻も、帰宅時刻も、自由です。
何をするかも自由です。
週に何回、行くかも自由です。
(プラス、無料です。)
つまり日本の現状は、世界的に見ると、あまりにも非常識です。
保育園だの、幼稚園だの、幼保一元化だの、基本的な部分で、完全に狂っています。
つまり「園」の経営方針第一主義!
もっとわかりやすく言えば、「金儲け」。
子どもの心(心理)など、どこにもない!
2歳の子どもが、園へ行くのをいやがっている。
当然でしょ。
いちばん家族の愛、母親の愛を求めている乳児(幼児)が、不登園!!!
Dさんが、バカげているというのではありません。
制度と、それを支える国や親たちの意識が、バカげている。
結論から先に言えば、さっさと園をやめ、子どもの心を守りなさい。
このままでは、基本的信頼関係の構築にすら、失敗してしまうでしょう。
子どもの年齢からして、心に大きな傷(トラウマ)を残すことも考えられます。
症状は、文面から見る範囲では、完全に、「学校恐怖症(ジョンソン)」です。
また午前中に重く、午後に軽快するというのも、典型的な日内変動です。
これを「虐待」と言わずして、何と言いますか。
(「はやし浩司 学校恐怖症」で検索をかけてみてください。)
間接的な、つまり親にその意識がない、虐待です。
2歳ですよ!
WHOですら、「2歳までは親が育てろ」と勧告しています。
「できれば……」ということでしょうが、この時期までに子どもの心ができます。
(反対に、2歳前後までに、その構築に失敗すると、子どもは生涯にわたって、人間らしい心を
取り戻すことはないとも言われています。
野生児の例をあげるまでもありません。)
甘えさせてあげなさい。
添い寝をさせてあげなさい。
乳房を口に含ませてあげなさい。
すでに神経症的な症状も現れています。
(タオルを手放さないなど。)
放置すれば、この程度ではすまなくなりますよ。
身体的症状から、精神的症状へと進んでいきます。
ここはたいへん慎重に、子どもの心を見るべき時期です。
(「はやし浩司 神経症」で検索をかけてみてください。)
なお母子分離不安ではないかということですが、Dさんのお子さんのばあいは、あくまでも随
伴症状です。
つまりそんな表面的な症状が、問題ではないということです。
お子さんの心の中では、心配と不安が渦を巻いています。
安心して、心を休めることができない。
心理学でいう、「基底不安」です。
そのひとつとして、母子分離不安症状が出ているだけです。
本当の問題は、「(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実
家です)の家もゴタゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構 ってくれなかった)」というところです。
こういう問題では、つまり子どもに何か症状が現れると、親は、子どもを何とかしようと考えま
す。
しかしそれこそ親の身勝手。
まずそのゴタゴタとやらを、子どもの世界から切り離しなさい。
つまり子どもの問題ではなく、あなた自身の問題です。
一方で、親が火事を起こしておきながら、ワーワーと逃げ回る子どもに向かって、「静かにし
なさい」と叱っているようなものです。
たいへんきびしい意見を書いていることは、承知しています。
Dさんにとっても、つらい回答かと思います。
しかしね、私には、子どもが懸命に発しているSOSのほうが、心配でならないのです。
命がけで発している。
私も子どものころ(3〜6歳)、父が酒乱で、たいへんつらい思いをしました。
その結果、今でも、心の傷と闘っています。
そういう自分を知っているからなおさら、Dさんのお子さんが心配でならないのです。
では、どうするか。
(1)保育園は、必要なければ、やめなさい。
あなたに時間があれば、2人で楽しいときを過ごしなさい。
子育ては義務ではなく、権利です。
その権利を放棄しないでください。
親子が、いっしょに楽しい思い出をつくる。
それは権利です。
あちこちへ出かけ、いっしょに過ごしなさい。
保育園などに押し込め、その権利をどうして自ら放棄するのですか?
(もちろん本人が楽しんで通うばあいは、別ですが……。)
(2)家庭のゴタゴタは、子どもから切り離しなさい。
ゴタゴタを、子どもの目からはずし、見せてはなりません。
巻き込んではいけません。
これは親の義務です。
家庭のゴタゴタに子どもを巻き込むこと自体、「虐待」ですよ!
虐待!
私は「間接虐待」と呼んでいます。
子どもの心に傷をつけるという点では、通常の(?)の虐待と、どこもちがいません。
つまりね、これはあなた自身の問題ということ。
(3)その結果として現れている、神経症的症状、不登園は、あくまでも「結果」。
対症療法だけしても、意味はありません。
まずあなたがもっている、学歴信仰的な亡霊から決別すること。
アメリカでは、学校へ通わないで、自宅で学習している子どもが、推定で200万人もいます。
あなた自身を苦しめている、学歴信仰という呪縛から、あなた自身を解き放つこと。
「保育園なんてね、行きたくなければ行かなくてもいいのよ。その分、ママと遊びましょうね」と。
まず肩の荷をおろす。
「自由」の意味を知る。
私なら、今という貴重な時期は、できるだけ子どもといっしょにいる時間をふやします。
こういう楽しいときは、あっという間に、終わってしまいますよ。
なおスキンシップは、「もとめてきたら、すかさず応ずる」が原則です。
1秒も、間をおいてはいけません。
「すかさず」です。
ぐいと抱いてあげるだけも、効果的です。
「あとでね」「今、忙しい」は、禁句です。
子どもは、その瞬間に、親の心を見抜きます。
Dさんは「できるだけ……」と書いていますが、「できるだけ……」では、足りないということです。
今、一度、全幅の愛情表現(愛着)を、子どもに示してあげなさい。
多少の後遺症(甘えん坊になるとか、依存性がつくとかなど)はありますが、それはマイナーな
問題です。
心の傷(トラウマ)とは、比較にならないほど、小さな問題です。
以上ですが、あとは、私のHPの記事を参考にしてください。
「はやし浩司 基本的信頼関係」などが、役に立つと思います。
(終わりに)
とはいえ、Dさんが、かかえているような問題は、程度の差こそありますが、みなが共通して
かかえている問題です。
外から見ると、どの家も、うまくいっているように見えますが、本当は、中身はガタガタ。
つまり(ありふれた問題)ということ。
だからどうか自分を責めないでください。
こうしてDさんも、ただの母親から、賢い母親へと成長していきます。
その苦しみの第一歩です。
いつか、その苦労が、あなたの人生を輝かせます。
あとは恐れず、前に向かって進めばよいのです。
よく安易に、「私は子どもを愛しています」などと得意げに言う親もいます。
しかしそういう親ほど、「愛」の意味が、まるでわかっていない。
愛というのは、苦しくも、つらいものです。
そして静かです。
そこに愛があることにさえ、気がつかない人も多いのです。
さあ、あなたも今、その愛が試されつつあります。
方法は簡単。
『許して、忘れる』ですよ。
「はやし浩司 許して忘れる」も、一度、検索してみてください。
きっとあなたに勇気を与えることができると思います。
では、今日はこれで……。
はやし浩司
2012/04/06
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 間接虐待 神経症 子供の神経 症 基本的信頼関係 母子 はやし浩司 基本的不信関係 登校拒否 学校恐怖症 不登園 はやし浩司 不登園)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
子どもの排便障害
【読者の方より、相談】(掲示板より)
●子どもの排便障害
先生、初めまして。
ネットでHPを拝見し、ぜひ聞いていただきたくメールいたしました。
5歳(年長)の息子は1歳6ヶ月頃便秘になり、浣腸をして以来、便が出にくくなりました。
それ以来、誰も本気で話を聞いてくれず、なんとか緩下剤を飲んで一週間に1、2回無理やり
出す、という感じです。
しかし、便意があると我慢し、もらしてしまうのです。
ひどい時は一日4枚も汚し、それが3日ぐらい続きます。
幼稚園も忙しく、1歳の娘もおり洗濯の手間や余裕がないのです。
一体、いつまでこんなことが続くかと思うと、我慢しても感情的になってしないます。
息子はオムツがはずれるのが遅く、(娘を妊娠中に悪阻で辛くてトイレットトレーニングがうまく
いかなかったのです)、幼稚園年中でやっとおむらしが減っていった感じです。
実は、排便障害の他に年中まで本当に辛い日々でした。
言葉が遅いこともあるのでしょうが、とにかく幼稚園で乱暴で、たたく・かみつく・大声を出す、直
りませんでした。
そのことを被害のあったお子さんに謝る私の態度も悪かったらしく、私自身もママたちから嫌
われてしまい今でも2、3人の方から無視されています。
友人もおらず、夫にも受け止めてもらえず、時々うつ状態になりながら過ごしてきました。
それでも去年は、区の子ども相談でよく話を聞いてもらえたのですが、今年から担当が代わっ
てしまい突き放された感じです。
私のこの不安定さも悪いとは思いながら、どうすることもできずにおります。
息子の乱暴さは、年長になって驚くほど無くなってきました。
あとは便がちゃんとできれば小学校もそれほど心配ではないのですが。。。
メールでは十分に経過や状況をお伝えできていないとは思いますが、先生の豊富なご経験か
ら是非アドバイスをお願いいたします。よろしくお願い致します。
●はやし浩司より、UNKNOWN様へ
内容からすると、下の子(妹)が生まれてから、便秘以外の、もろもろの症状(幼稚園でのトラ
ブル)が出てきたということになります。
(便秘と、幼稚園でのトラブルは、愛情飢餓という点で原因は同じですが、分けて考えてくださ
い。)
で、1歳半とえば、ちょうど年齢的に、フロイトが説く「肛門期」(2〜4歳)前後ということになり
ます。
愛情飢餓、不安、不満により、「排泄すること」に、恐怖心をもつようになったということでしょう
か。
肛門期に、愛情飢餓問題が重なると、排泄することに恐怖心を抱いたり、喪失感をもつよう
になります。
だからがまんする。
もう少し突っ込んだ言い方をすると、こうです。
子どもは言いたいこともできない(=心の排泄ができない)、したいこともできない(=行動の
排泄ができない)という状態だったということ。
わかりやすく言えば、子どもらしく親に甘えることができなかった(=心を開くことができなかっ
た)ということです。
子どもが便秘症になったのではなく、便秘になるような家庭環境にあったということです。
(過去のことをとやかく言っても、どうしようもありませんが……。)
で、便秘についてですが、便秘も、夜尿症などと同じ、「神経症的な症状」と考え、対処しま
す。
(ただし最近のおむつは、性能がよすぎて、排便のしつけに失敗する親も多いです。
小便をがまんしてしまう子どもは、いくらでもいます。)
基本的には、お子さんは、母親の愛情に飢え、母親との間で、全幅的な信頼関係を築くこと
もできず、かなり情緒が不安定になっていると考えてください。
(親は平等にかわいがっているつもりかもしれませんが……。)
たとえば「あなたはお兄ちゃんでしょ」式の突き放しをしていませんか。
もろもろの症状は、それが原因と考えてください。
今からでも遅くありませんから、もう一度、100%の愛情を注いでみてください。
100%です。
(妹さんには、かわいそうですが、妹さんは、それで納得するはずです。)
添い寝、手つなぎ、抱っこなどなど。
いとわず、すかさず、濃密にするのが、コツです。
大切なのは、全幅的な安心感を与えることです。
その安心感が、子どもの心を溶かします。
(ただし時間がかかります。
すでに5歳ということですから、半年単位の根気が必要です。)
とは言え、文面からして、すでにヤマを越えているように思います。
今までたいへんで、つらかったことと思いますが、あと一息です。
(将来的には、ケチで、ためこみ屋になるかもしれませんが……。※)
便秘そのものは、小児科のドクターに相談し、それで問題がなければ……つまり、週に2、3
度という子どもも、少なくありませんので、おおげさに考えないこと。
(私が現在教えている女子中学生は、週に1度だそうです。)
浣腸はその場の効果はありますが、かえって便秘をひどくしてしまいます。
直腸の感覚を麻痺させてしまいますので……。
それで緩下剤(便秘薬)ということになったのでしょうか。
「1日、4枚も汚す」というのは、緩下剤の量が多すぎる(?)と思います。
子どもに緩下剤を与えるときは、ドクターの指示した量の4分の1前後から始め、様子をみな
がら量を増減するのが、コツです。
(微妙な調整が必要です。)
おとなのばあいは、腹の具合をみながら、自分で調整したり、残った便も、力を入れて無理に
でも排便したりしますが、幼児には、まだそれができません。
どうしても、腸の中に、便が残ってしまいます。
それが「4枚」ということになります。
それよりも、すでになさっていると思いますが、野菜中心の献立にし、食生活の方から攻めら
れるのが正攻法ということになります。
私の息子の1人も、幼児期〜少年期、ひどい便秘症でした。
高校生になってからも、浣腸は常備薬でしたが、シャワートイレにしてからは、すっかり治ってし
まいました。
詳しくは「はやし浩司 神経症」で一度、検索をかけてみてくださるとよいかと思います。
基本的には、(母子間の愛情)の問題ということです。
便秘になったのも、1歳半ごろ、子どもの側からみて、何か大きな愛情の変化が原因ではなか
ったかと推察しています。
もっとも濃密な、母子間の愛情を必要とする時期が、0〜2歳までの、そのころです。
(この時期に、子どもは母子の間で、基本的信頼関係を構築します。
「はやし浩司 基本的信頼関係」で一度、検索をかけてみてください。)
ともかく、ほとんどの人は、似たような問題をかかえ、苦労しています。
外から見ると、何も問題がないように思えますが……。
(大便という点で、やっかいに感ずるかもしれませんが……。
また大便であるがゆえに、叱る→恐怖心をもつの悪循環で、ますます重症化しやすいです。)
夜尿症のばあいも、そうですが、受け入れてしまえば、何でもありません。
「したいように、しなさい」と、です。
またそうなったとき、不思議なことに、自然と排便障害も消えます。
アドバイスできることは、
(1)愛情飢餓状態の解消
(2)緩下剤の微妙な調整、です。
ともかくも、あと一息です。
よくがんばったと思います。
が、あと一息。
やがてすぐ笑い話になります。
それを信じて、前向きに!
(注※……肛門期の固着について)
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『……トイレットトレーニングの過剰と失敗は子供のパーソナリティに様々な影響を与える。
例えば、トイレに無理矢理行かせたり、過度にタイミングや清潔さに厳しすぎると、ものを捨て
るのを嫌がるようになったりする。
ためこみ屋でけちな性格になることがある。
これは過度なトイレットトレーニングが子供に自分のうんちを溜め込みすぎるのを良しとするた
めである。
フロイトによると几帳面で節約家で強情になりやすいと言う。
それに肛門期固着は小児性愛の源泉となる事もある。
フロイトは論文で、子供はうんちを幼児やお金に象徴交換して、それを代わりに手に入れたり
溜め込んだりするような傾向があると指摘している)。
逆にしつけを疎かにすると、子供はいつでも排便する事が良い事だと思い、お金を湯水のごと
く使ったり、不潔のままになったりと、整理する事を学ばなくなってしまう。
これは自分の欲動をトイレットトレーニングを通してコントロールすることを学ばなかったからで
ある。
このような子供は我慢することを知らず、自分の好き勝手に何でもやりたい放題になるとも言
われる。
芸術との関連も指摘されている。
肛門期は自分の体内の一部であるうんちを作って対外に排出するという活動を象徴していると
言われ、それは創造的活動などと比較される。
また汚いものを排出することとの関連で妄想症が考えられたりもしている』(以上、ウィキペディ
ア百科事典より)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児の便秘 神経症 神経症的 な症状 はやし浩司 便秘症 緩下剤 愛情飢餓 肛門期 排便のしつけ)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●子育てに自信がなくなった母親
【SRさんより、はやし浩司へ】
[題名] 自分の育て方に自信がもてなくなりました。
[投稿者]SR
小4男児の母です。
息子が2才の時に離婚しました。
父親はいません。
3年から、スポ少に入りました。
スポ少も初めは頑張って行っていましたが、最近は行きたがらなくなりました。
本人は『身体はやりたいけど、いざ行くときになると脳が行きたくないと言う』などと言っていま
す。
祖父母と一緒に暮らしています。
行かないと、周りの皆に迷惑かかる、と、私や祖父母は言っています。
そのせいかどうかわかりませんが、最近は小遣いが足りないといっては、財布からお金を取っ
たりします。
学校も行きたくないとか、こんな家族要らないから、『死ね!』と言ったりします。
何か、信頼関係が無くなってしまったようにも感じます。
これから先、どう接して行ったらいいか分からなくなってきました。
父親が必要なのでしょうか。
家のみんなは敵、……みたいな感じに思っているのでしょうか。
どうか、アドバイスお願いします。
【はやし浩司より、SRさんへ】
文面からすると、息子さんは、かなり自分勝手で、わがまま。
いわゆるドラ息子症候群による症状が、いくつか出ています。
しかしこのことと、離婚、もしくは母子家庭と結びつけないほうがよいでしょう。
原因は、甘やかしと、きびしさ。
どこかでアンバランスな生活が日常化しているとみます。
たとえば、子どもの言いなりになる一方で、ときにガミガミと強く叱るなど。
また子どもは小3〜4前後で、親離れを始めます。
思春期前夜にかかり、情緒も不安定になります。
幼児に戻ったり、おとなぶってみたりを繰り返しながら、徐々に、つぎの思春期を迎えます。
私はこれを「揺り戻し」と呼んでいます。
親としては、どう接したらよいのか、たいへんわかりにくくなる時期です。
で、今の状況では、(1)信頼関係を取り戻そうなどとは、思わないこと。
(子どもは親の愛情を試すようなことを繰り返すようになります。
いちいちそれに引き回されないこと。
親は親で、つまり堂々としています。
「嫌われても構わない!」という態度を示します。)
(2)あなたはあなたで、やるべきことをし、それですまします。
子どもの機嫌を取らないこと。
淡々と、親としてやるべきことをやる、です。
(3)信頼関係は作るものではなく、日々の生活の結果として、(できる)ものです。
それには10年単位の時間が必要です。
感情的な子育てになっていませんか。
短気な子育てをしていませんか。
もしそうなら、子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということになります。
コツは、(1)今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、子どもの様子をみます。
半年単位で、少しでもよくなれば、御の字。
(2)こうした子どもの非行(盗みなど)は、「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返
しながら、2番底、3番底へと落ちていきます。
親があせればあせるほど、そうなります。
だから性急に、「直そう」などとは、思ってはいけません。
親がドタバタすればするほど、子育ては泥沼に入ってしまいます。
盗みについては、お金の管理を徹底するという方法で、対処します。
たとえばここであせれば、(たとえば子どもの側からみて、愛情に不安感を覚えたりするほど
までに強く叱ったりすると)、夜遊び、外泊、家出……と進んでいく可能性もあるということです。
(それが2番底、3番底という意味です。)
スポーツ少年団については、子どもの判断に任せたらよいでしょう。
ひょっとしたら、やがてスポーツ少年団をやめる程度のことでは、すまなくなります。
信頼関係がなくなった……ではなく、あなた自身が、子どものことをまったく信じていない。
短い文面だけでは、よくわかりませんが、私には、そんな感じがします。
以上が、私がここでアドバイスできることです。
情報が不足しているので、何とも言えません。
なお「父親が必要でしょうか」という心配ですが、祖父母が近くにいるということですから、今は、
考えなくてもよいでしょう。
年齢的にも、父親がいればそれで問題が解決するというような問題ではないように、思いま
す。
新しい父親(?)を連れてきても、かえって失敗します。
(私は成功例を知りません。)
あなたはあなたで、(すべきこと)、たとえば仕事でも家事でも、すべきことをします。
仮に20歳くらいまで、子どもの心があなたから離れたとしても、それはそれ。
やがてそれを子どもの側が理解するときがやってきます。
もう少し長い目で、子育てを見つめてみてください。
最近、「ファミリス」という雑誌に、「筋(すじ)と限度」という原稿を書きました。
参考までに、ここに掲載しておきます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【愛と甘やかし】
●「許して忘れる」
(愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。
が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。
英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘
れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。
が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではあ
りません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き
落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。
●誤解
が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。
規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。
自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。
●筋(すじ)
それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生
まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。
あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。
『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、
真の家族の喜びを与えられます』と。
(限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。
※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
2012/03/16
●ゲームばかりしています
(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に
関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能
性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられている
が、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、
抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子
供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子どもの脳 ポ
ケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム中毒の子どもたち】
●韓国のネット中毒(ゲーム脳)
+++++++++++++++
相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。
今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?
そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。
++++++++++++++++
********以下、韓国・より**********
【ソウル時事】
韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3
年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。ネット先進国といわれる韓国で
は、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。
韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲ
ームを好んでいた。母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してし
まった」との遺書を残し、首をつった。同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親
を殺害している。
行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万
8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。ゲームをしな
いと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状
が近いという。
学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをや
り過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止
のキャンプなどの対策に取り組んでいる。
午前0〜6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。しかし、有
力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかな
か打ち出せていない。
********以上、韓国・より**********
●禁断症状
時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.
8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とさ
れる」と伝えている。
が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、
仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。
その韓国。
数字が具体的に表示されている。
「……同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。
どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。
またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲ
ームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。
が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS−iは、こんなニュースも報道している。
**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******
……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦
そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問
題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが
決まっています。
**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******
「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。
●禁断症状
ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、
今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。
「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、(1)
ボーッとした表情で何を考えているかわからない。(2)突発的に、ふつうでない行動
に走る。(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。
そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。
●ゲーム業界
『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。
少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。
「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ〜〜。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ〜〜」と。
こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、
検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100〜150番目あたりから、急速にそういった
批判が目にとまるようになる。
が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に
不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と
位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと
考えてよい。
日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。
●脳のCPU(中央演算装置)
話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。
私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。
が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。
この問題と脳のCPUとどう関係があるか?
つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく
理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。
こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。
++++++++++++++++
古い原稿だが、2003〜5年に
かけて書いた原稿を紹介します。
++++++++++++++++
【ゲーム脳】
++++++++++++++++++++
「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」
これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。
++++++++++++++++++++
●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、
『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%
守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。前頭前野が発達し
ないとすぐキレる」
森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中
のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。その状態が続くと前頭前野の機能
が衰えると警告した。単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に
眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPよ
り)と。
これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。
『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。本来、仮説は他の科学
者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだ
に発表されていない。
手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立て
たが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通し
た見方だ』(毎日JPより)と。
●利潤追求の世界
こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメ
ージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、
『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テス
トの成績が上がったと報告。何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認
知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。
これにゲーム業界が飛びついた(?)。
『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。0
6年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大
人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)
と。
こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。
もちろん批判もある。
『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・
理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続
きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要
だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にな
らないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。
●三つ巴の論争
現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあが
ってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。
森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。
が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよ
い。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいの
か?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。
(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。
「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだ
って、こう思うにちがいない。
「ゲームは本当に安全なのか?」と。
そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲ
ームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)
仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも
効果があるとはかぎらない。
●脳トレへの疑問
私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて
狭い世界での訓練にすぎない。
たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているような
もの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれ
がどうしたの?」という部分につながっていかない。
仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。
たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。
+++++++++++++
【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。
□草、□問
+++++++++++++
答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文
ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。
つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎ
らない。
・・・書けるようになるとも、思わない。
それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。
つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)
●疑わしきは罰する
子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)
++++++++++++++++++++++
ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
+++++++++++++++++++++++
最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳ミソを「ゲ
ーム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、「ゲー
ム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05
年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、
感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制を
も司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると
働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に証明
したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB J
APAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、
省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりする
と、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせ
が、殺到している」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心
から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)
という本を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到し
た。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両
論の討論会をつづけたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗
議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たち
であったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてく
るのか? 出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編
集部の男性からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多か
った。「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポ
ケモンを勉強してからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない
本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、
そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりを
もちつつ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、
ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらし
い(?)。おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判
されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発し
たりする。教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一
言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言
で、ヒステリー状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声
をあげる子どもさえいた。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たち
との間には、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか
狂信的。現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の
生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるよう
になるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死ん
でしまった若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI
(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十
人を測定した。そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまった
く発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼ
す」という実験結果をイギリスで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見
識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したと
いう(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをし
ている!」と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、
していることもある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった
親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーテ
ィでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、
さみしがっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大
けがをしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあっ
たのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、
言い切れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲーム
を取りあげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、
自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをし
たという。そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のとこ
ろに相談にやってきた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにし
た。そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるし
く変化した。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャ
ーと騒ぐ。イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計
算問題(割り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと
片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたの
は、N社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能
面のように無表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のよ
うになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづ
けるそうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時
間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。それをここに
紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話
がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞し
ているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そ
してそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく
変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほう
がヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。
小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの
子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えれ
ばこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、
「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を
出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものを
いじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち
歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対す
る反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子ども
が、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまど
い、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の
差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が
難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と
続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり
感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味も
なく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメ
リカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児
期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても
返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、
動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームも
そうだ。動きが速い。速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、
おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろい
が、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や
論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがな
い新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。そ
の一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、
北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫
りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がってい
る」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在
籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年2
10人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は3
55人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、9
6年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171
人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、う
つ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者な
どの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラ
スを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策を
とっている(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年につい
て、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2
人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、も
う1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部
の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入
している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施して
いる(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツ
という医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から
出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、
パジャマに着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当た
り次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられ
るという。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命
令の二つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令
だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎ
ると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い
浮かべればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とす
るなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、
それなりに、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなっ
たとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと
言ったでしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし
精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子ども
は、菓子を食べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理
できなくなってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミ
ュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になって
いるそうである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、
修正したりするということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習
能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけるこ
とができる。その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、
異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門
外漢の私にさえ、容易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、
先にとらえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子ども
は、すでに40〜50年前から、指摘されていた。私も、幼児に接するようになって36
年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたち
と区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。診断基準もなかった。だから、
「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。「多動児」とい
う言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、
約30年前ということになる。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクシ
ョナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、
脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」
というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012−05−05)
●子どもとゲーム脳
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。
が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。
日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。
ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●朝鮮日報紙
このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。
じっくりと読んでみたい。
(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************
【1】
幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は
「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受 ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中する ようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。
2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子ど
もは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チ ームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、 ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また 「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、 がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも 説明した。
さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻る
のが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬 中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に 比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。
国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲ
ーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデ オゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教 授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を 見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生にな ってからが望ましい」と主張している。
【2】
午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしの
パソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声 メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は 必要なかった。
「よく寝たか。ゲームを始めよう」
いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲー
ムの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力 のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタ ークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私 は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したとこ ろ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。
ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン
戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千 パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無 難に勝利した。
何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、
日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。い つの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段も このくらいはプレーしている。
私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生
活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借り てくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴 食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。
ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うこと
はしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で 時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。
【3】
科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、
認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このよ うな子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のよう な精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけ だ。
ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。
ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子ども の脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の 最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠が ない」との理由でで結論は出なかった。
だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・
サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研 究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという 事実が、科学的に初めて立証されたのだ。
ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、
ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その 結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左 側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬 中毒に陥ると肥大化することが分かっている。
先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」
に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白 質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神 経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。
韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン
教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められる ことを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一 部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝 動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この 部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するように なる」と説明した。
ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ
教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快 楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事 を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン 大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シュー ティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場 合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭 葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感 になることが、立証されたわけだ。
韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難
だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響につい て研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。
【4】
ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘
ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッ グするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わる などの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。
イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケー
ションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃん は一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最 初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、 イさんはえらいと感心していた。
しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子ど
もたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初め は目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力 も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が 「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思う と、とてもつらい」と話した。
スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもた
ちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ば なければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機 に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできる が、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、 言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み 始める。
カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与え
るホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じ られなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう 危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望 ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。
幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。
インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険 だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第 に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。
あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケ
ースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日 後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親 が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭 するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにする と、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機に まで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は 「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今に なって分かった」と話した。
【5】
ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お
菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一 日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来て も見向きもしない。
ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェ
の運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョン スにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンの ゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭 した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだ った。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見 せた。
一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を
学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲー ム以外の何も入り込むことはできなかった。
子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす
子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の 強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフ ォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことが ない家庭はほとんどないだろう。
特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに
及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっている のも実情だ。
昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は
2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3−7歳の 幼児・児童(3.7回)が、9−18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以 上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相 談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と 話した。
ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼
児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。
関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3−6歳児の脳の発達過程では、脳
梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力 と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影 響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。
さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・
サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言 えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載
真ん中の子ども
【UTさんからの相談】
昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。
【UTさんから、はやし浩司へ】
初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。
現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。
上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ている
こでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っていま
す。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよ
くかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。
上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。
次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。
内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわ
かってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。
そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。
その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から
聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっ
ていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。
母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じてい
ます。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい
教育熱心に家で、ワークさせたりしています。
私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹
の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的
にどうしたらいいのかわからないでいます。
私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。
【はやし浩司より、UTさんへ】
子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。
問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわから
ない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。
子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。
……ということでは、返事になりませんね。
この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきま
す。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。
ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないもので
す。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待
っているのです。
で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもい
ます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。
(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)
おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。
ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれ
かにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。
なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。
この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、
つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。
あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたの
ほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。
ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あ
まりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。
今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、
はやし浩司
2012/05/11
【UTさんからの返信】
はやし先生へ
先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進
んで行く勇気をもらいました。
私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲
慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。
子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に
見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。
これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思い
ます。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親
のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。
これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●音信不通になってしまった長女
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
掲示板に、こんな相談が届いた。
親子断絶についてのもの。
名前をAさんとしておく。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【Aさんより、はやし浩司へ】
●失敗してしまった子育て
はじめまして。
子供の事で悩んでおり、いろんなサイトで解決策を見つけていたらここにたどり着きました。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、ご意見を頂けたら幸いです。
現在私50歳、長女23歳、二女21歳です。
14年ほど前に離婚し、遠方に引っ越し母子家庭として生活してきました。
幸い(今のところ)職に困らない資格を持っており、裕福ではありませんが、離婚後も生活には
不自由していません。
長女の事で悩んでいます。
二人の子供は、生まれた時から自分より幸せになってほしいと必死でした。
乳児期の日光浴から始まり、習い事や行楽、躾や勉強にも一生懸命になってしまい、まさに、
ずっと昔の中日新聞に掲載されていた母親と酷似しています。
長女は、国立大学の附属中学に入学し、親子とも大学は地元の国立大学に進学希望でした
が、高校の担任の先生からせっかくなのでもっとランクの上をと勧められ、寮があるから経済 的にも可能かと思い遠方の勧める大学に合格し入学しました。
その時までは、私も娘も明るい未来に期待し大喜びしました。
ところが、家をでたとたん疎遠になり凶暴になってしまいました。
メールをしても電話をしても応答なし。
かろうじで来た返事は「邪魔!」とか、「死ね」と。
仕送りはやめて家で手渡しにしたところ、1年に1度程度帰って来る程度でした。
それでもお金や物をあげたときだけは、満足して優しい面を見せるときもありました。
4年間で親から離れ、時間やお金の使い方や人生を学んでくれたらと、好きにさせていました。
そして卒業後の進路の話になった時、法科大学院に行きたい(法学部でした)と言い出しまし
た。
御存じなように簡単な世界ではないため、受験料や日程、入学後の費用や生活、その後の道
など専門外の私にもわかるように説明を求めましたが、返答はありませんでした。
受験費用の要求だけでした。
とりあえず、4年間の生活が酷かったので、(細かく説明すると長くなるので省略します)、距離
的な面や将来性や経済的な面から、私が納得できる所なら協力するが、それ以外は協力でき ないことを伝えました。
結果、私も応援し本人も志望したところは不合格で、協力できないよと話していたことろに合格
しました。
そこは本人も最初は乗り気ではなかったのですが、4年の後半ということもあり今から就職も
難しいから、行きたいと言い出しましたが、協力できないという約束を貫いてしまいました。
その後、自分の給料では生活できないため地元で仕事を探し、なんとか卒業間際に就職が決
まり、新卒で入社することが出来ました。
当然いやいや実家に戻り、家から通っていましたが帰ってきたくないとの理由で、毎日終電で
帰宅。
職場が通うには遠いのでお金がたまったら、1人暮らしをする予定ではいましたが、数ヵ月後
家出同然で出ていきました。
もうちょうど1年になります。
「死んでくれ」「ほっといてくれ」「二度と関わってくるな」等のメールが来て、今は音信不通です。
住所も言わず着の身着のままで出ていきました。
私は今は二女と二人で住んでおり、二女を頼りに、なんとか長女との消息はわかりましたが、
二女も長女の身勝手ぶりに愛想を尽かし関わりたくないと言い、姉妹も疎遠です。
恥ずかしながら、過去の記事やサイトにあるとおり、今振り返ると"自己中心的な親"でした。
誉めるのも上手ではありませんでした。
厳しすぎました。
熱心なだけで優しい母親ではありませんでした。
でも、実は私自身も同じように育ちました。
そこでやっと質問です。
(1)法科大学院の反対は間違っていたのでしょうか?
私の目からは、家に帰ってきたくない手段にしか思えませんでした。
合格率や本人の意思や成績をみていると、黙って何百万も出すほど勇気はありません。
もちろんお互いの納得のもとなら借金をしてでも応援するつもりでした。
25歳過ぎて再出発するのも不安でした。
(2)長女とどうしたら和解できますか?
おそらく"無理"との回答かと思われますが、やはり仲直りとまではいかなくても、消息くらいは
伝えてくれる程には改善したい。
下手に接触を求めると、もっと遠くに行ってしまいそうなので、家を出てからは連絡していませ
ん。
どう接触したらよいでしょうか。
自分の人生だけを生きなさいとの意見も拝見しましたが、日々の生活は趣味も仕事も充実して
います。
昼間は仕事をし、夜は趣味のテニスに熱中し、寝る前は生活の一部でもある読書をし1日フル
回転です。
土日は、試合に出て学生さながらに没頭しています。
それでも疲れた時は、たまに旅行にも出かけたりもしています。
そんな忙しい毎日でも、やはり子供のことは頭から離れるものではありません。
忘れられるものではありません。
お忙しいこととは思いますが、ご意見聞かせていただければ幸いです。
【はやし浩司より、Aさんへ】
●時代は、変わりました
簡単に言えば、時代が変わったということです。
そうであってはいけないと私も思いますが、これも時代の(流れ)ですね。
いろいろ抵抗をしてはみますが、川の中に立てる竿程度の効果しかありません。
子どもたちは、子どもたちで、大きな川の流れの中に身を置き、その流れに身を任せていきま
す。
たとえば今、若い人たちに、「孝行論」を説こうものなら、それを「束縛」「拘束」と捕えます。
私が「あなたの親のめんどうは、だれがみるのか?」と質問すると、こう答えます。
「親が、子どもを束縛するものではない」とか、「拘束するものではない」とです。
中には、こう答えた若者もいました(私のBLOGへの反論)。
30歳くらいの男性で、最近父親になったようです。
「私は子どもを自由に育てる。親のめんどうをみろと私は自分の子どもには言わない。子ども
をそういうふうに束縛したくない。そういう子育てを目指します」と。
さらに「あなたも自分の老後が心配なら、息子さんに頼めばよい」とも。
まだ子育てが何であるかも知らないような、また親の介護もしたことがないような若者がそう
言うから、おかしい。
老親の親のめんどうをみるのは、民法上も、子どもの義務なのです。
その義務感そのものが、喪失しました。
悪しき西洋文化の影響と、私は考えています。
●皮肉
もちろんそうでない子どもも多いです。
心がやさしく、ほっとするような温もりを感ずる子どもです。
が、皮肉なことに、いわゆる受験勉強とは無縁だった子どもほど、親子関係も、うまくいってい
ます。
つまり親が、「金をかけ」「苦労をした子ども」ほど、その分だけ、それなりのエリートにはなりま
すが、その一方で、人間らしさを失っていきます。
(本人が、それに気づくことはありません。
これは脳のCPUの問題だからです。
自分の子どもにやさしいことをもって、私は「やさしい父親(母親)」と、思い込んでいる人は多
いですが……。)
で、いつこうしたキレツが始まるかということですが、幼児期にさかのぼります。
親は、子どものためと思い、「勉強しなさい」と言いますが、子どものとっては、それが「虐待」な
のですね。
が、親はそれに気づかない。
気づかないまま、無理をしてしまう。
苦労をし、それこそ爪に灯をともすようにして、学費や生活費を工面する。
が、子どもにしてみれば、まさにありがた迷惑。
そのキレツが、徐々に大きくなり、最終的には、断絶となるわけです。
Aさんのケースもそうですが、親は、「大学まで、苦労して出してやった」と考えがちですが、子
どもの方は、そうは思っていません。
中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいます。
つまり親の願いどおり大学へ行ってやったのだから、学費+生活費を出すのは当たり前と考
えるわけです。
今、ほとんどの大学生が、そう考えています。
つまり親に感謝など、していない。
親の苦労など、どこ吹く風で、遊んでいる。
「大学、遊園地論」が出るようになって、もう30年近くになります。
もう一度、最近、あるニュースサイトに載っていた記事を、読んでみてください。
時代がどう変わったかわかりますよ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【資料の整理】(Yahoo・News 2012年6月より)
R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会
人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、
「今も継続的にもらっている」が3%、
「今もたまにもらっている」が11.3%、
「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、
「もらったことはない」が55.7%となっている。
「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、
お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、
最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。
以下、「4〜6カ月に1回程度」(23.3%)、
「2〜3カ月に1回程度」(18.6%)、
「7〜12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。
「1回にもらう金額」については、
「1万円以上〜2万円未満」が最も多く44.2%。
以下、「1万円未満」(27.9%)、
「2万円以上〜3万円未満」(18.6%)と、
3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上〜10万円未満」(4.7%)、
10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。
ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと、
「食費」(48.8%)
「交際費」(44.2%)
「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。
これに対して、子ども側の言い分は、つぎのようになっている。
●「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでも
らっている感じです」(34歳男性)
●「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には
必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性)
●「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性)
●「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性)
●「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」
(26歳男性)
●「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場
合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)
特に多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。
実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になる
との考えもあるようだ。
また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。
例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。
援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。
また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万
円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の援助 親からの援助 親孝 行論 はやし浩司 親孝行 最近の若者の孝行意識 学費 はやし浩司 R25 R25)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Aさんへ
だから残念ながら、あなたのお嬢さんは、あなたに感謝など、していない。
「感謝」という言葉を使うと、たいていこう言い返してきます。
「私はその分、今度は自分の子どもに返していくからいい」と。
つまり親にしてもらった分は、自分の子どもに返していく、とです。
おかしな論理ですが、これも現代の若者気質(かたぎ)ということになるのでしょうか。
彼らが言う「家族」には、自分と配偶者、それに子どもしかいません。
そこには両親の姿は、もとからないのです。
●法科大学の件
あなたは賢明な選択をしました。
それほどまでに勉強をしたければ、自分で稼いで、自分で大学へ行けばよいのです。
4年間も、親のスネをかじったあげく、「また大学……」というのは、ドラ娘もよいところです。
(本人は、そうは思っていないでしょうが……。
「親の希望通り、大学へ行ってやった」と、心のどこかで考えています。)
一方、親のほうは、「4年間も学費+生活費を出してやったのだから……」と考えがちです。
つまりこのあたりの意識が、たがいに完全にズレています。
仮に法科大学へ行ったとしても、何かとささいな理由を針小棒大にとらえ、あなたから去ってい
く可能性は、たいへん大きいでしょう。
私の友人の息子は、親にこう言ったそうです。
「結婚式を、(地元の浜松でしてやるから)、結婚式の費用を出してくれ」と。
そこで親が、「半額くらいなら……」と答えると、「親なら、全額出すべきだ」と猛反発。
それを理由に、親との縁を切ってしまったそうです。
(子どもの側が、親との縁を切ったのですよ!)
●意識
悪い面ばかり書きましたが、先にも書きましたが、意識そのものがちがいます。
どちらが正しいとか、そうでないとか、そんなことを議論しても意味はありません。
たとえば私たちの世代(戦後生まれの団塊の世代)は、そのほとんどが、社会人になり、外に
出ると、親への仕送りを欠かしませんでした。
私もそうしました。
現在、70代〜の人となると、もっとそうでした。
仕送りの仕方は、人、さまざまでした。
知人のUさん(70歳・女性)は、「ボーナスはすべて送った」と。
別の知人のF氏(70歳・男性)は、「盆暮れには、当時のお金で、10万円近く、親に渡した」と。
(大卒の初任給が、やっと2万円を超えた時代ですよ!)
私のばあいも、結婚前から、収入の半分を実家へ送っていました。
それまでの学費を返す意味もありました。
こうした意識は、日本人から、すでに消えました。
一方、少し前まで、東南アジアや中国から多くの人たちが日本へ働きに来ていました。
そういう人たちは、みな、母国の両親にお金を送っていました。
そういう話を聞くたびに、私は自分の青春時代を思い起こしました。
が、今は逆転しています。
このあたりでも、盆暮れになると、都会から若い人たちが戻って来ます。
妻や子どもを連れてきます。
が、みやげをもってくる人は、ほとんどいません。
むしろ都会へ戻るとき、親から、お金をもらって帰るそうです。
また盆暮れに来るのは、「生活費を浮かすため」だそうです。
(中には、その旅費を、親に出させている息子や娘もいます。)
つまりこれは「意識」、つまり彼らが言うところの「常識」の問題です。
私たちは、その「違い」を認めるしかありません。
●戦中派の意識
一方、私は、最近、こんな経験をしました。
義弟と話をしているときのことです。
義弟(78歳)は、こう言いました。
「ぼくらの世代からみると、団塊の世代はいい気なもんだと思うよ」と。
驚いて、思わず私は、こう聞きました。
「どうして?」と。
私たちの世代は、私たちの世代なりに、「日本の繁栄を築いたのは私たち」という強い意識を
もっています。
その私たちが、「いい気なもんだ?」と。
義兄は、こう説明してくれました。
「君たちは、ぼくたちが敷いたレールの上を走っただけではないか」と。
私「そんなことないですよ。自分を犠牲にし、家族を犠牲にし、懸命に働きました」
義「しかし命を犠牲にしたことはないだろ。偉そうなことを言ってはいけない」
私「命?」
義「俺たちの世代はね、戦争を経験している。命がけで、日本を守った」と。
70代、80代の人は、そう考えています。
戦中派の人たちです。
そうした意識については、考えたこともありませんでした。
つまり、私たちはいつも、自分のもつ意識を基本にものを考えます。
Aさんにしても、そうです。
もう20年ほど前になるでしょうか。
こんな記事が、ある雑誌に載っていました。
私自身の育児観に、大きな影響を与えた一文です。
それについて書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私の子育ては何だったの?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●親が子育てで行きづまるとき
ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。ショックだった。
考えさせられた。
この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない
。私たち自身の問題として、本当の考えさせられた。
そういう意味で、紹介させてもらう。
『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大
切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。
毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、
マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・5
0歳の女性)と。
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚まで
なら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」
と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。
「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。
何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」
と。
こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やら
せたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。
こういう相談も多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。
それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」
と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
+++++++++++++++++++++
●親が子育てでいきづまるとき(2)
前回の投書に話をもどす。
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴではなかったのか。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ?
(どうか、この記事を書いた、お母さん、怒らないでください。
あなたがなさっているような経験は、多かれ少なかれ、すべての親たちが経験していることで
す。
決して、Kさんを笑っているのでも、批判しているのでもありません。
あなたが経験なさったことは、すべての親が共通してかかえる問題。
つまり落とし穴のような気がします。)
そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育
してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦 手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あ
るいはどこが違うというのか。
一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。
その中でも最大のパターンは、(1)「子どもの心に耳を傾けない」。
「子どものことは私が一番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決
めてしまう。
そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。
「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。
そのつど子どもの心を確かめるということをしない。
ときどき子どもの側から、「NO!」のサインを出しても、そのサインを無視する。
あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけてしまう。
このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾けない
から、それがわかる。
私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思います」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」
と。
あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。息子は、「お
もしろくなかった」と言う。
娘でさえ、「疲れただけ」と言う。
親には三つの役目がある。
(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。
この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。
が、もう一つ問題が残る。
それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている!
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。
+++++++++++++++++++++++
子どもは、小学3年生ごろを境に、親離れを始める。しかし親が、それに気づき、子離れを始
めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてのこと。
この時間的ギャップが、多くの悲喜劇を生む。掲示板に書きこんでくれたFさんの悩みも、そ
の一つ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもは去っていくもの
要するに、じょうずに子離れしていくということ。
自分の息子や娘に、友情や、深い慈愛を求めても意味はありません。
またそういう対象ではありません。
親のほうは、「私の……」という所有格をつけます。
が、子どものほうは、「親の……」という所有格をつけません。
そのあたりに意識のギャップがあります。
Aさんの長女について言うなら、その原因は、ひょっとしたら、乳幼児期に始まっているかもし
れません。
いちばん親の愛情を必要とするときに、下の妹が生まれてしまった。
長女にとっては、たいへんショックなことだったと推察されます。
現在、姉妹が仲が悪いのは、そのあたりに起因している可能性があります。
つまり長女にしてみれば、居心地の悪い世界だった?
●可能性
とは言え、長女が戻ってくる可能性がないというわけではありません。
30歳前後の子どものばあい、戻ってくるということは、まずありません。
息子であれば、なおさらです。
が、まだ若い。
脳の構造そのものが、まだフレキシブルです。
いつか、戻ってくる可能性は、じゅうぶんあります。
それに望みをかけろというのではありません。
戻ってきても、たいていのばあい、ギクシャクした親子関係は残ります。
再び会い、「お母さん、ごめん」「会いたかったわよ」と、ハッピーエンドで終わるということは、ま
ずありません。
(安っぽい日本映画では、そういうシーンが、ありますが……。)
すでに今、たがいの間に、大きな(こだわり)ができつつあります。
この(こだわり)が、たがいの間に、超えがたい「壁」を作ります。
たとえば子どものほうは、「葬式くらいなら、行ってやる」と考えているかもしれません。
が、親のほうは、「来てほしくない」と。
つまり修復など考えないこと。
今、あなたがしているように、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。
というのも、みな、外から見ると、うまくいっているように見えますが、それは外見。
それぞれの家庭が、それぞれの問題をかかえ、悩み、苦しんでいます。
悲しみにじっと耐えている家庭も、少なくありません。
……というか、みな、そうです。
が、それも人生。
これも人生。
あとは、居直ればよいのです。
先の原稿を書いたとき、つぎのような原稿も書きました。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
法句経より
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「それ以上、何を望むのですか」
親子とは名ばかり。
会話もなければ、交流もない。
廊下ですれ違っても、互いに顔をそむける。
怒りたくても、相手は我が子。
できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。
「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。
が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。
今、そんな親子がふえている。
いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。
夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様
に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。
が、どこかでその歯車が狂う。
狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。
そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。
ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずねる。
「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。
死ぬのがこわい。
どうすればこの死の恐怖から逃れることができるか」と。
それに答えて釈迦は、こう言う。
「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。
私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。
そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。
そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみる
と、私はこう言うことにしている。
「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むの
ですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。
しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかりではない。
憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしか
ない。
親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。
私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。
「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、そ
れでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。
「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」 と。
こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。
(*浜松市AB幼稚園元園長)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
親バカ論
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●親バカ
つまりね、Aさん、あなたは親バカだっただけ。
そう、親バカ。
(私も含め、みんなそうですから、どうか気分を悪くしないでください。)
「子ども……」「子ども……」と、子ども中心の世界で、親バカなことをしてしまった。
それだけのことです。
親バカ論については、どこかに書いた原稿があるはずですから、探してみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
親バカ論
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【親バカ論】(2010年の原稿より)
●就職率50%
大不況。
目下、進行中。
大卒の就職率も、50〜60%とか。
事務所の隣人は、個人でリクルートの会社を経営している。
その隣人が、こう言った。
「実感としては、50%前後ではないですかね?」と。
つまり大卒のうち、2人に1人しか、就職できない。
きびしい!
浜松市といえば、昔から工業都市として知られている。
HONDA、SUZUKI、YAMAHAなどの各社は、この浜松市で生まれた。
その浜松市でも、「50%」!
●親、貧乏盛り
『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた諺(ことわざ)である。
それについては、何度も書いてきた。
で、子どもを大学へ送ることは、得か損かという計算をしてみる。
・・・といっても、学部によって、大きく、異なる。
医学部のばあい、勤務医になれば、勤務後2〜3年目には、年収は2000万円を超える。
開業医になれば、月収は500万円を超える。
(月収だぞ!)
一方、文科系の学部のばあい、学費も安いが、その分、学歴も、ティシュペーパーのように軽
い。
英文学部にしても、高校の教科書より簡単なテキストで勉強しているところは、いくらでもある。
そんな学部を出ても、実際には、何ら、役に立たない。
全体としてみると、それなりの資格のともなった学歴であれば、得。
資格をともなわない、ただの学歴であれば、損。
その結果、就職率50%ということになれば、何のための苦労だったのかということになる。
●3人に1人が、高齢者
3人に1人が、高齢者。
そんな時代が、すぐそこまでやってきている。
現在、40歳以上の人は、老後になっても、満足な介護は受けられないと知るべし。
実際には、不可能。
となると、自分の老後は、自分でみるしかない。
つまりそれだけの蓄(たくわ)えを用意するしかない。
で、たいていの人は、「自分の子どもがめんどうをみてくれる」と考えている。
が、今、あなたが高齢になった親のめんどうをみていないように、あなたの子どもも、またあな
たのめんどうをみない。
60%近い若者たちは、「経済的に余裕があれば・・・」という条件をつけている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
(この数字とて、ほぼ10年前の数字。)
実際には、みな、目一杯の生活をしている。
経済的に余裕のある人など、いない。
若い世代では、さらにいない。
●親バカ
こうして順に考えていくと、子どもに学費をかけることが、いかに無駄かがわかってくる。
あえて言うなら、子どもを遊ばせるために、その遊興費を提供するようなもの。
が、何よりも悲劇なのは、そのためにする親の苦労など、今時の大学生にじゃ通じない。
当たり前。
「電話をかけてくるのは、お金がほしいときだけ」というのは、親たちの共通した認識である。
むしろ逆に、(してくれないこと)を、怒る。
「みなは、毎月20万円、送金してもらっている」
「どうして結婚の支度金を出してくれないのか」と。
保護、依存の関係も行き過ぎると、そうなる。
保護される側(子ども)は、保護されて当然と考える。
一方、保護するほうは、一度、そういう関係ができてしまうと、簡単には、それを崩すわけには
いかない。
罪の意識(?)が先に立ってしまう。
どこか一方的な、つまり否定的な意見に聞こえるかもしれないが、こうして世の親たちは、み
な、つぎつぎと親バカになっていく。
●老後の用意
しかし私たちの老後は、さみしい。
蓄(たくわ)えも乏しい。
社会保障制度も、立派なのは、一部の施設だけ。
3人のうちの1人が老人という世界で、手厚い介護など、期待する方がおかしい。
となると、自分の息子や娘たちに、となる。
しかし肝心の息子や娘たちには、その意識はまるでない。
ある友人は、こう言った。
「うちの息子夫婦なんか、結婚して3年目になるが、嫁さんなど、来ても、家事はいっさい手伝
わない。いつもお客様だよ」と。
別の友人もこう言った。
その友人の趣味は魚釣り。
そこで釣ってきた魚を、嫁に料理をさせようとしたら、こう言ったという。
「キモ〜イ、こんなこと、私にさせるのオ?」と。
この話をワイフにすると、ワイフもこう言った。
「私の友だちのSさんなんかね、長男は、歩いて数分のところに住んでいるだけどね、毎週、実
家へ子どもたちを連れて夕食を食べに来るんだってエ」と。
で、私が、「食費はだれが出すの?」と聞くと、「もちろん友だちのSさんよ。長男たちは、それ
で食費を浮かせようとしているのね」と。
さらに「料理は、だれがするの?」と聞くと、「Sさんよ。嫁さんは、デンと座っているだけだそう
よ。たまに食器は洗ってくれるそうよ。でもそれだけ」と。
私が「ヘエ〜〜」と驚いていると、さらにワイフは、驚くべきことを口にした。
「それでいて、長男は、親のめんどうをみているのは自分と、思いこんでいるみたいね」と。
私「親のめんどう・・・?」
ワ「そうよ。弟夫婦たちが実家へ来ると、兄貴風を吹かして、弟夫婦に、『お前たちも、ときに
は、親のめんどうをみろ』って言ってるんだってエ」
私「あきれるね」
ワ「そうね。孫の顔を見せるだけでも、ありがたく思えというところかしら」と。
●何かおかしい?
何か、おかしい。
何か、まちがっている。
しかし今は、そういう時代と思って、その上でものを考えるしかない。
子どもたちというより、その上の親たちが、そういう世代になっている。
その親たちに向かって、「子育てとは・・・」と説いても、意味はない。
言うなれば、ドラ息子、ドラ娘になりきった親たちに向かって、ドラ息子論、ドラ娘論を説くような
もの。
意味はない。
言い換えると、私たち自身が、「甘えの構造」から脱却するしかない。
「子どもたちに依存したい」「依存できるかもしれない」「子どもたちが世話をしてくれるかもしれ
ない」と。
そういう(甘え)から、脱却するしかない。
さらに言えば、「私たちの老後には、息子や娘はいない」。
そういう前提で、自分たちの老後を考える。
●私のケース
私の息子たちが特殊というわけではない。
見た目には、ごく平均的な息子たちである。
中身も、ごく平均的な息子たちである。
だからこう書くといって、息子たちを責めているわけではない。
しかしときどき会話をしながら、その中に、「老後の親たちのめんどうをみる」という発想が、ま
ったくないのには、驚く。
まったく、ない。
むしろ逆。
こう言う。
「相手の親(=嫁の親)は、〜〜してくれた」「どうしてパパ(=私)は、してくれないのか?」と。
息子夫婦にしても、「家族」というのは、自分と自分たちの子どもを中心とした(親子関係)を
いう。
目が下ばかり向いている。
が、それはそれでしかたのないこと。
息子たちは息子たちで、自分たちの生活を支えるだけで、精一杯。
私たち夫婦だって、そうだった。
が、それでも、お・か・し・い。
●満62歳にして完成
・・・こうして親は、子離れを成しとげる。
(甘え)を、自分の心の中から、断ち切る。
そして一個の独立した人間として、自分の老後を考える。
というのも、私たちの世代は、まさに「両取られの世代」。
親にむしり取られ、子どもたちにむしり取られる。
最近の若い人たちに、「ぼくたちは、収入の半分を実家に送っていた」と話しても、理解できな
いだろう。
それが当たり前だった時代に、私たちは、生まれ育った。
が、今は、それが逆転した。
今では子どもの、その子ども(つまり孫)の養育費まで、親(つまり祖父母)が援助する。
それが親(つまり祖父母)ということになっている。
が、そこまでしてはいけない。
このあたりでブレーキをかける。
かけなければ、この日本は、本当に狂ってしまう。
(すでに狂いぱなし、狂っているが・・・。)
少し前も、私は「車がほしい」というから、息子に、現金を渡してしまった。
それで私たちは、H社のハイブリッドカーを買うつもりだった。
それについて、まずオーストラリアの友人が、「渡してはだめだ」と忠告してくれた。
義兄も、「ぜったいに、そんなことをしてはだめだ」と言った。
「息子のほうが、今までのお礼にと、新車を買ってくれるという話ならわかるが、逆だ」と。
私も親バカだった。
息子たちに怒れるというよりは、自分に怒れた。
心底、自分に怒れた。
何日か眠れない日がつづいた。
が、それが終わると、私の心はさっぱりとしていた。
息子たちの姿が、心の中から消えていた。
はやし浩司、満62歳にして、子離れ完成、と。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言って笑った。
「あなたも、やっと気がついたのね」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 子離れ 親離れ 依存性 甘えの構造 甘え 子どもへの依存性 老後 はやし 浩司 親バカ論)
●親バカにならないための10か条
(1)必要なことはしろ。しかしやり過ぎるな。
(2)求めてきたら、与えろ。先回りして与えるな。
(3)一度は、頭をさげさせろ。「お願いします」と言わせろ。
(4)子どもに期待するな。甘えるな。
(5)親は親で、自分の人生を生きろ。子どもに依存するな。
(6)社会人になったら、現金は、1円も渡すな。
(7)嫁や婿の機嫌を取るな。嫌われて当然と思え。
(8)自分の老後を冷静にみろ。無駄な出費をするな。
(9)遺産は残すな。自分たちで使ってしまえ。
(10)少なくとも子どもが高校生になるころには、子離れを完成させろ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ただし恨んではいけない
が、ひとつだけ気をつけてください。
私は『許して・忘れる』という言葉をよく使います。
しかしそれは自分以外の人に対して使う言葉。
が、「私」に対しては、どうか?
私に対して、『許して・忘れる』ことは、できるか?
結論は、「NO!」です。
自分を許して、忘れるということはできない。
これは私の経験によるものです。
そこで「愛」は、一気に、「憎」に向かいます。
「愛憎は紙一重」というのは、そういう意味です。
が、「憎しみ」は、たいへん危険です。
自分の心を腐らせます。
それについては、多くの賢者が、異口同音に書き残しています。
原稿を探してみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
憎しみについて
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ネズミを殺すために、家を燃やす
そこで重要なことは、子どもを恨まないこと。
恨みを感じたら、できるだけ早い段階で、それに気づき、原因を取り除くこと。
たいていは人間関係に起因する。
その人間関係を是正する。
だからある賢人はこう言った。
『Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』(H・フォスディック)
つまり人を恨んでいると、心、つまりその人の人間性全体まで、大きな影響を受ける、と。
それについて書いた原稿を添付し、このエッセーを終える。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
+++++++++++++++++++++
人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、
(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげているという意味。
+++++++++++++++++++++++++
●ある女性(67歳)
東洋医学(黄帝内経)でも、「恨みの気持ち」をきびしく戒めている(上古天真論編)。
『(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る』『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨み
怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの崇 高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的にも 悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』と。
恨みは、健康の大敵というわけである。
しかし恨みから逃れるのは、(あるいは晴らすのは)、容易なことではない。
妄想と重なりやすい。
「あいつのせいで、こうなった」と。
ものの考え方も、後ろ向きになる。
ある女性(68歳)は、ことあるごとに弟氏の悪口を言いふらしていた。
口のうまい人で、悪口の言い方も、これまたうまかった。
たいていはまず自分の苦労話を並べ、そのあと弟氏が何もしてくれなかった
という話につなげる。
同情を買いながら、相手が悪いという話につなげる。
自分がしたこと、あるいは自分がしなかったことをすべて棚にあげ、ことさら自分を飾る。
まわりの人に理由を聞くと、こう話してくれた。
「親が死んだとき、遺産の分け前をもらえなかったから」と。
が、いくら悪口を言っても、何も解決しない。
ただの腹いせ。
愚痴。
聞くほうも、疲れる。
●復讐
恨みといえば、「四谷怪談」がある。
近くテレビでも映画が紹介されるという。
恐ろしいと言えば、あれほど恐ろしい話はない。
「四谷怪談」と聞いただけで、私は今でも背筋がぞっとする。
「四谷怪談」にまつわる思い出は多い。
子どものころ、怪談と言えば、「四谷怪談」だった。
(はかに「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」というのもあった。
若い人たちは知らないかもしれない。)
「四谷怪談」のばあいは、男のエゴに振り回されたあげく、1人の女性が
毒殺される。
その女性が復讐のため、幽霊となって男を繰り返し襲う。
そのものすごさ。
執念深さ。
子どものころ映画館に入ると、通路の脇にローソクと線香が立てられていた。
それだけで私たち子どもは、震えあがった。
そのこともあって、「恨み」イコール「復讐」というイメージが、私のばあい、
どうしても強い。
そういうイメージが焼きついてしまった。
先に書いた「恨みを晴らす」というのは、「復讐して、相手をこらしめる」
という意味である。
●詐欺
自分の人生を振り返ってみる。
こまかいことも含めると、人を恨んだことは、山のようにある。
反対に自分では気がつかなかったが、恨まれたこともたくさんあるはず。
恨んだり、恨まれたり・・・。
しかし結論から言うと、生きていく以上、トラブルはつきもの。
恨みも生まれる。
しかし恨むなら、さっさと事務的に処理して終わる。
「事務的に」だ。
そのために法律というものがある。
それができないなら、これまたさっさと忘れて、その問題から遠ざかる。
ぐずぐずすればするほど、その深みにはまってしまう。
身動きが取れなくなってしまう。
こんな人がいた。
●深み
当初、500万円くらいの私財をその不動産会社に投資した。
ついで役職を買う形で、さらに1000万円を投資した。
時は折りしも、土地バブル経済時代。
1か月で、1億円の収益をあげたこともある。
で、親から譲り受けた土地を、会社にころがしたところで、バブル経済が崩壊。
結局、元も子も失ってしまった。
ふつうならそこで損切をした上で、会社をやめる。
が、その男性はそのあと、8年もその会社にしがみついた。
「しがみついた」というより、恨みを晴らそうとした。
土地の価格が再び暴騰するのを待った。
で、現在はどうかというと、家も借家もすべて失い、息子氏の家に居候(いそうろう)
をしている。
今にして思うと、その男性は、(恨み)の呪縛から身をはずすことができなかった。
そういうことになる。
●心的エネルギー
(恨み)の基底には、欲得がからんでいる。
満たされなかった欲望、中途半端に終わった欲望、裏切られた欲望など。
「四谷怪談」のお岩さんには、金銭的な欲得はなかったが、たいていは
金銭的な欲得がからんでいる。
しかし人を恨むのも、疲れる。
私も若いころ信じていた知人に、二束三文の荒地を、600万円という高額
で買わされたことがある。
これは事実。
そのあとも10年近くに渡って、「管理費」と称して、毎年8〜10万円の
現金を支払っていた。
これも事実。
(その知人はことあるごとに、私のほうを、「たわけ坊主(=郷里の言葉で、バカ坊主)」
と呼んでいる。)
が、それから35年。
つまり数年前、その土地が、70万円で売れた。
値段にすれば10分の1ということになる。
が、おかげで私は自分の中に巣食っていた(恨み)と決別することができた。
それを思えば、530万円の損失など、何でもない。
・・・というほど、(恨み)というのは、精神を腐らす。
人間性そのものまで破壊する。
心の壁にぺったりと張りついて、いつ晴れるともなく、悶々とした気分にする。
●『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』
私はこの言葉を知ったとき、「そうだった!」と確信した。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
心を腐らすくらいなら、損は損として早くその損とは決別する。
決別して忘れる。
忘れて、一歩前に進む。
でないと、それこそ「家に火をつける」ようなことになってしまう。
つまり人生そのものを、無駄にしてしまう。
人生も無限なら、それもよいだろう。
しかし人生には限りがある。
その人生は、お金では買えない。
実のところ私も、この7か月間、大きな恨みを覚えていた。
理由はともあれ、先にも書いたように、人を恨むのも疲れる。
甚大なエネルギーを消耗する。
だから自ら、恨むのをやめようと努力した。
が、そうは簡単に消えない。
時折、心をふさいだ。
不愉快な気分になった。
しかし「家に火をつけるようなもの」ということを知り、自分の心に
けじめをつけることができた。
とたん心が軽くなった。
恨みが消えたわけではないが、消える方向に向かって、心がまっすぐ動き出した。
それが実感として、自分でもよくわかる。
最後にこの言葉を書き残したHenry Fosdickという人は、どんな人なのか。
たいへん興味をもったので、調べてみた。
●Henry Fosdick
英米では、その名前を知らない人がないほど、著名な作家だった。
こんな言葉も残している。
The tragedy of war is that it uses man's best to do man's worst.
(戦争の悲劇は、人間がもつ最善のものを、最悪のために使うところにある。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 恨み 恨み論 人を恨む ネズミを追い出す 家に火をつける)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Aさんへ
今のあなたは、たいへんつらい思いの中で、悶々としています。
心配と不安。
愛と憎。
自己嫌悪と反発。
忍び来る老後の影。
戻ってくることのない過去への悔恨。
恨み、つらみ。
挫折感と空の巣症候群。
喪失感と損失感。
しかし幸いにも、あなたをよく理解してくれるもう1人の娘がいる。
で、私のアドバイスは、ただひとつ。
長女のことは、棄てなさい。
「忘れろ」ではなく、「棄てなさい」。
消息をたずねるような愚かなことは、してはいけません。
未練だけが残ります。
いつそれが恨みに転化するとも、かぎりません。
「勝手にどこかで生きていけばいい」と、割り切り、棄てます。
また長女も、それを望んでいます。
(今は、そうです……。)
あとは身のまわりにある希望に、未来を託して、生きていく。
老後というのは、みな、そんなものです。
背中のどこかで、さみしさを感じ、そのさみしさを、腹の中でじっと押しつぶしながら生きていく。
ともあれ、こういう私たちにしたのは、私たち自身なのですから……。
許して忘れるなんてことは、こと「私」については、できないということです。
でもね、Aさん。
「みな、そうですよ」という部分で、私も救われました。
たぶんあなたもそうでしょう。
人生はこれからだし、こうした挫折感を知ったものだけが、つぎのステップに進むことができま
す。
どうか、めげないで、前に向かって進んでください。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 人を恨む ネズミ はやし浩司 親バカ論 去った娘)2012/06/12記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【掲示板への相談】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
子どもの成績があがらないので悩んでいる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【Sさんより、はやし浩司へ】
はやし浩司先生へ
はじめまして。私は小学4年生の女の子を持つ母親です。
娘のことで、どうか相談に乗ってください。
私たち家族はステップファミリーで、娘が小学2年生の時に再婚して、現在の主人にとてもかわ
いがられています。
まわりの友達、両親・義理の両親とも、とてもうまくいっており、恵まれた環境で幸せに暮らして
います。
娘の生い立ちを少々お話させてください。
娘は生まれが小さく、10か月の41週で2000g満たなく生まれ、低体重出生児でした。
私はタバコもお酒も飲みませんが、つわりがとてもひどく、10カ月間に3度入退院を繰り返し
て、やっと生んだ子供です。
胎盤が標準より小さかったらしく、低体重と貧血の状態で生まれたのはそれが原因ではないか
と診断されました。
出産後も娘はINCUに入院。
小さく力がないので自力で母乳やミルクが飲めず、一か月後にやっと自分で飲めるようになり
ました。
小さいのはもちろんのこと、生まれながらにして 卵に食物アレルギーを持ち 食も細く
何かと比較していまい、神経質に育ててきた気がします。
言葉もなかなか出てこず、3歳児検診では 何も異常はないとのことでしたが、幼稚園年少さ
んの時に、何が自分で気に食わないことがあると、友達を引っ掻いたり、自傷したりする傾向 があったので、心配になり、幼稚園の先生の勧めで、県の療育センターを受診。
結果は、知能検査をしてくれた先生から、
「今は言葉がゆっくりさんで、出てこないけれど、この先はシャワーのように言葉が出てくると思
いますよ・・・。」と言われました。
ただ、違う担当の先生からは、「もしかしたら、将来、小学生になった時に、学習障害などが出
てくる可能性があるかもしれませんね・・・」と言われたのと覚えています。
生活面については
お下の問題もつい最近まで悩やんでいました。
おむつも3歳で外れましたが、失敗ばかりで、小学校1年生は1週間に1〜2度のペース、その
調子で、だんだん回数は減ったものの、小学3年生まで、いわゆる夜のおねしょはないのです が、昼間のおもらしがありました。
学校からびっしょり濡らして帰ってくることもあり、
強く叱ったことも、しばしばありました。
それでも本人はけろっとしていて、ずっとこんな感じが続いているからなのか、とくかくおもらし
をしても、凹まずに、また繰り返していました。
小学4年生に入ってからは、びっしょり濡らして帰ってきたり、おもらしは、ほぼ今のところ皆無
ですが、心配です。
学校の養護の先生からは、もしまた失敗したら「また洗濯しなきゃならないじゃ〜ん」と言うよう
な、軽い対応にしてくださいとアドバイスをもらいました。
勉強のことに入らせていただきます。
勉強は一言でいうと「理解するのに、とても時間がかかる」ということです。
それからノートに一人勉強するのはどちらかと言うと好きで去年の先生の評価も、できるように
なりたいという気持ちは強く伝わりますとのことでした。
ただ成績は伴ないませんでした。
まず、小学1年生では、数の概念でつまずきました。
国語では、作文、音読が苦手でした。
このころはまだ様子をみようと思い、買ってきたドリルなどを少しやらせていました。
2年生では、掛け算はスムーズに暗記できましたが、時計の問題、長さやかさの問題、大きな
数の数直線などで引っ掛かりました。
とにかく時計は、最近になってやっと定着してきました。
国語は引き続き、とりわけ苦手で、文章問題などは、問題も意味もわかっていないようなことも
ありました。
3年生では、大きな数、割り算でつまずきました。
国語は引き続き苦手で、とりわけ文章問題が苦手です。
そのような状態で、4年生になり、家庭学習では、宿題の他に、Z会とプリント、小学生新聞の
書写、などなど、いろいろ手を尽くしています。
でも一向に成績が伴わず、今の時点で、3年生の時よりもテストの点数などが下がっていま
す。
勉強の仕方としては、最後まできちんと読めていないことも多々あるので、ゆえに間違いが多
く、文章問題は適当な答えを書いてみたりして間違ったりしています。
だた理解をするのに時間はとてもかかるのですが、彼女なりにできるようになったことも多々あ
ります。
むろん、未だに語彙が少なく、自分の気持ちや学校であったこと、連絡など話すことが苦手で
す。
そこで私の悩みなのですが、ここで彼女なりにできるようになっている・・・ということに焦りな
ど、どうしたら着実に成績をのばせるのか??と毎日考えるようになってしまいました。
親のエゴで「これだけ一緒に勉強しているのに・・・・」や、「とても手のかかる子供で厄介・・・」や
勉強ができなかったたり、生活面などの行動が遅れていると、「一緒に笑ったり 遊んだり、子 供との生活を心から楽しめない・・・」と決めつけてしまい、とても苦しい子育てになってしまって います。
娘の話し方や内容も(?)が多くでますし、もう少しきちんと話して欲しい、そんな風に考えてしま
います。
習い事も、英会話とお習字をしており、5月から本人の希望でブラスバンド部に入部したのです
が、こんなに成績が悪いのに、部活なんてやってもいいのか?どうか?と、習い事も少しは効 果がでていますが、いまいちなので止めさせようかと考えています。
まとまりの悪い文章になってしまっていますが、
とても自分の子供に「育てにくさ」と「思っていること、話したいことを会話としてなりたたせること
の難しさ」を感じてしまい、辛くなっています。
子供は叱られても普通にふるまっていますが、実際のところ、どう感じているのかをくみ取って
あげることが難しくなってきています。
もともと話すことが苦手なのに、戸惑いだらけです。
このまま 成績が伴っていないのに、部活を続けさせてよいのかどうか・・。
習い事も続けさせて、意味があるのだろうか・・と、とても毎日悩んでいます。
どう娘に接し、お勉強の方も、もう少し成績があがらないものでしょうか?
いくらかでも結構です。
どうぞどうぞアドバイスください。
よろしくお願いします。
【はやし浩司よりSさんへ】
●あきらめは、悟りの境地
今どき……というのは、言いすぎかもしれませんが、今どきSさんのような母親がいるというこ
とを知り、少し驚きました。
古風というか、古典的な学歴信仰の信者のような印象をもちました。
あなたが懸命にしていることは、子どもの側からみれば、「虐待」そのものです。
あなたは子どものため、と思って、いろいろなことをしているかもしれませんが、まさに虐待で
す。
何ごとにつけ、子どもの気持ちを確かめることもなく、一方的に親が決めつけている。
そんない印象をもちました。
私も以前、こんなことがありました。
あるテニスクラブに入ってときのことです。
私はストレス解消のために入ったのです。
が、コーチが神経質な人で、腕の曲げ方が悪い、振り方が悪い、腰の位置がおかしい……と、
こまかく言いました。
2、3回で、やる気喪失!
1か月で、やめました。
別にウィンブルドンを目指して、入会したわけではなかったものですから……。
では、どうするか?
あきらめなさい。
子育てにはなるようにならないことも多いのです。
それよりも大切なのは、子どもの心を守ることです。
あなたは子どもの心を破壊しながら、それにすら気づいていない!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以前、『あきらめは悟りの境地』という
エッセーを書きました。
中日新聞紙上で発表したものです。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●あきらめは悟りの境地
子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。
子育てはまさに、あきらめの連続。
またあきらめることにより、その先に道が開ける。
もともと子育てというのはそういうもの。
一方、「そんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばればがんばるほど、子育ては袋小路
に入ってしまいます。
そしてやがてにっちもさっちもいかなくなる。
要はどの段階で、親があきらめるかですが、その時期は早ければ早いほどよい。
……と言っても、これは簡単なことではありません。
どの親も、自分で失敗(失敗という言葉を使うのは適切でないかもしれないが)してみるまで、
自分が失敗するとは思っていない。
「うちの子にかぎって」「私はだいじょうぶ」という思いの中で、行きつくところまで行く。
また行きつくところまで行かないと気がつかない。
要は子どもの限界をどこで知るかということ。
それがわかれば親も納得し、その段階であきらめる。
そこで一つの方法ですが、子どもに何か問題が生じたら、「自分ならどうか」「自分ならできる
か」「自分ならどうするか」という視点で考えます。
あるいは「自分が子どものときはどうだったか」と考えるのもよいでしょう。
子どもの中に自分を置いて、その問題を考える。
たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ったら、すかさず、「自分ならできるか」「自分な
らできたか」と考える。
それでもわからなければ、こういうふうに考えてみる。
もしあなたが妻として、つぎのように評価されたら、あなたはそれに耐えられるでしょうか。
「あなたの料理のし方、76点。接客態度、54点。家計簿のつけ方、80点。主婦としての偏差
値48点。あなたにふさわしい夫は、○○大学卒業程度の、収入○○万円程度の男」と。
またそういうあなたを見て、あなたの夫が、「もっと勉強しろ」「何だ、この点数は!」とあなたを
叱ったら、あなたはそれに一体どう答えるでしょうか。
子どもが置かれた立場というのは、それに近い。
親というのは身勝手なもの。
子どもに向かって「本を読め」という親は多くても、自分で本を読んでいる親は少ない。
子どもに向かって「勉強しろ」という親は多くても、自分で勉強する親は少ない。
そういう身勝手さを感じたら、あきらめる。
そしてここが子育ての不思議なところだが、親があきらめたとたん、子どもに笑顔がもどる。
親子のきずながその時点からまた太くなり始める。
もし今、あなたの子育てが袋小路に入っているなら、一度、勇気を出して、あきらめてみてくだ
さい。
「あなたはあなたよ。私はあなたを支えますよ」と。
それで道は開けます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●補足
この原稿を発表したのは、2000年ごろです。
今読みながら、ひとつだけ、補足しておきたいことがあります。
それがつぎの原稿です。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
親の希望(欲望)には、際限がない。
(失読症の子どもについて)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【子育てブルース】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
子育ての世界にも、人には言えない、
悲しい物語が、山のようにある。
それを口にしたら、おしまい……という
ような話もある。
今朝は、そんな物語について、書いてみたい。
ただしここに書く子どもの例は、架空の
話と考えてほしい。
何人かの子どもを、1人の子どもに仕立てて
書いてみた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●問題児?
その子ども(小2女児)には、まったく、問題はない。
むしろ聡明で、思考力も深い。
性格もおだやか。
とくに数に鋭い反応を示す。
が、母親(Mさん)は、会うたびに、その子どもについて、不平、不満を並べる。
そのたびに、私は、それを否定する。
が、母親は信じない。
信じようともしない。
何か言えば、すかさず、それについて反論する。
「あそこが、悪い。ここが悪い」と
この世界には、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉もある。
自分の子どもをわざと病人にしたて、その子どもを、かいがいしく世話をしてみせる。
よくできた母親を演じてみせる。
「私は子どもを愛しています」と、口ではよく言う。
しかしその実、何も愛していない。
自分の心の隙間を埋めるために、子どもを利用しているだけ。
(「代理ミュンヒハウゼン症候群」については、「はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン」
で、検索をかけてみてほしい。)
が、それに似た事件となると、……というより、それを薄めたような事件となると、
程度の差もあるが、ゴマンとある。
それについて、ある精神科医のドクターは、こう教えてくれた。
「そのタイプの親は、(母親であることが多いが……)、見るからに様子がちがいますから、
わかります」と。
「見るからに」という言葉を使えるのは、それなりに多くの例を見てきたから言える。
ふつうの人には、わからない。
が、たしかに様子が、ちがう。
へん?
おかしい?
どこか挙動が不自然で、母親らしい(なめらかさ)がない。
いつもピリピリしていて、心に余裕が感じられない。
●Mさん(37歳)のケース
ここに書いたMさんは、毎日のように娘(小2)の心配ばかりしている。
「学校の参観日で見たが、手をあげなかった」
「声が小さかった」
「せっかく先生にさされたのに、隣の子に、先に答を言われてしまった」
「忘れ物をした」
「宿題をやらない」と。
少しでも顔色が悪いと、すぐ病院へ連れていく。
花粉症だったのだが、「レーザーで焼いてもらう」とか、「扁桃腺を切ってもらう」とか、
そんな話ばかり。
その女の子で特徴的だったのは、母親が近くにいるときと、いないときとでは、様子が
まるで別人のようにちがったこと。
母親がいるときは、静かでおとなしかった。
表情も暗かった。
が、母親がいないところでは、明るく快活で、いつもニコニコ笑っていた。
母親は、「子育てでたいへんです」と言いながら、Mさんが学校から帰ってくると、
一瞬たりとも、M子さんのそばから離れなかった。
●バカなフリ
一方、大きな問題をかかえているにもかかわらず、それにまったく気づいていない親も
多い。
気づかないまま、子どもを叱ったり、説教したりする。
あるいは幼稚園の先生に、「どうしてでしょう?」を繰り返す。
が、幼稚園の先生に、診断権はない。
またそれが判断できるようになるまでには、10年単位の経験が必要。
病名を出すのは、はばかれるが、しかしわかるものはわかる。
わかるのであって、どうしようもない。
「〜〜障害」と言われる子どもたちである。
AD・HD児にしても、自閉症児にしても、私のばあい、会った瞬間にわかる。
が、もちろん病名を口にするのは、タブー。
タブー中のタブー。
わかっていても、わらないフリをして、……つまり無知なフリ、もっと言えば、
バカなフリをして、相談に乗る。
しかし、ここで問題が起きる。
●たとえばLD児
LD児、つまり学習障害と言われる子どもたちがいる。
症状は、みな、ちがう。
ちがうが、ある一定のワクの中で、定型化される。
読み書きのできない子ども、算数がとくに苦手な子ども、集中力に欠ける子どもなど。
が、平たく言えば、学習面において、目立った「遅れ」を示す。
最近の定説に従えば、脳の機能的な問題がからんでいるため、教育の世界で改善を求める
のは、容易なことではない。
たとえば識字障害児と呼ばれる子どもがいる(注※)。
難読症、失読症が含まれる。
出現率は、10%前後と言われている。
10人に1人。
このタイプの子どもは、文字そのものを読み取ることができない。
そのためその影響は、あらゆる面に現れる。
が、親にはそれがわからない。
「算数の文章題を、読みまちがえてばかりいます」
「本を読みません」など。
そういう子どもをもつ親から、「どうしたら国語ができるようになりますか」という
相談をもらう。
指導の方法がないわけではない。
(たとえば、音読させる。
問題を筆写させる、など。)
が、簡単には、できるようにならない。
そこであれこれ方法を教える。
が、1、2週間もすると、(たったの1、2週間!)またやってきて、こう言う。
「先生、効果、ありませんでした」と。
●X君
もう1人、記憶によく残っている子ども(中学・男児)に、X君がいた。
学校でも、評判の(?)子どもだった。
で、その子どもを含めて、自宅で、4〜5人だけのクラスをもったことがある。
しかし半年もしないうちに、X君だけをのぞいて、みな、やめてしまった。
「あんなX君といっしょでは、いやだ」と。
小さな地域である。
小学生活6年間をともに過ごしている。
みな、それぞれ、それぞれの子どもの能力をよく知っている。
で、そのあとX君は、3年間、私の家に通ってくれた。
いつもひとりだった。
で、何とか、それなりの高校に進学していったが、それでX君が私に感謝したかというと、
それはない。
もともと勉強が嫌いだった。
やっと少し追いついたかと思っても、学校の勉強は、さらに先へと進んでいた。
つまり「親が行け」というから、私の教室に通ってきただけ。
毎週、毎週、重い足を引きずりながら、私のところへ来ていた。
それが私にも、よくわかった。
そういうケースもある。
●私の経験
私もいろいろな「波」を経験した。
ある時期は、市内でもゆいいつと言われる進学校の子どもたちばかりになったこともある。
また別のある時期は、いわゆる問題をかかえた子どもたちばかりになったこともある。
英才教育を試みたこともある。
2〜3歳児の教育を試みたこともある。
30〜40代のころは、幼稚園の年中児(4〜5歳)から、高校3年生まで教えていた。
そういう「波」を無数に経験して、現在は、「なるようになれ」が、教育の基本になって
いる。
深く考えない。
子どものことだけを考えて、教える。
教えるというより、接する。
親の要求には、際限がない。
それに振り回されていたのでは、教育そのものが成り立たない。
が、このところ体力的な限界を感ずることが多くなった。
よく誤解されるが、教育は重労働である。
どう重労働であるかは、実は、あなた自身が、いちばんよく知っているはず。
たった1人や2人の子どもですら、たいへん。
それを30人とか40人とか、教える。
まともに接したら、目が回る。
その中に問題のある子どもが含まれていたら、なおさら。
さらに問題のある親が介入してきたら、……!
●親の欲望
ここで「親の欲望には際限がない」と書いた。
が、これは事実。
進学校にしても、自分の子どもがB中学へ入れるとわかってくると、親は、今度は、「何とかA
中学へ」と言い出す。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」と言い出す。
また不登校児にしても、やっとのことで、午前中登校ができるようになると、「せめて給食ま
で」となる。
給食を食べるようになると、「午後の授業も」と言い出す。
それに振り回される学校の教師こそ、えらい迷惑。
(「迷惑」という言葉には、語弊があるが……。)
私の教室で言えば、実のところ、問題をもった子どもほど、苦労する。
マンツーマンどころか、ワイフにも手伝ってもらって、2対1で教える。
が、そういう子どもがいると、ほかの子どもたちが、やめていく。
それでいて、その子どもが感謝するかといえば、そういうことは、絶対にない。
むしろいやなことをさせられたという、被害者意識をもってしまう。
こういう子どもは、「経営」ということを考えるなら、とても割に合わない。
(これ以上、これについて書くと、グチになるので、この話はここまで。)
●「お前を訴えてやる!」
親の無知と無理解。
独断と偏見。
傲慢とわがまま。
今では幼稚園でも、「入れていただけますか?」と聞いてやってくる親は、ほとんど
いない。
おけいこ塾なら、なおさらそうで、へたに「うちではお引き受けできません」などと言おうものな
ら、親は、店で販売拒否にでもあったかのように怒り出す。
「どうしてうちの子は、入れてもらえないのですかア!」と。
私の教室のばあい、過去40年近く、入会を断わったことはほとんどない。
子どもに問題があるときは、その子どもに合わせて、2〜3人のクラスを編成して、指導する。
が、それでもこのところ疲れを覚えるようになった。
子どもの「質」が変わったというより、親たちの「質」が変わった。
子どもというより、親を見て判断する。
「この親の子どもは、教えられない」と判断したときは、入会を断わるようにしている。
子どもの問題点を、それなりに理解しているならまだしも、それがないと指導ができない。
10年ほど前だが、場面かん黙症の子ども(幼稚園女児)がいた。
このタイプの子どもは、集団の中では、貝殻を閉ざしたかのようにかん黙してしまう。
で、ある日、父親が参観にやってきた。
自分の娘の様子を見た。
ショックを受けた。
そのあとのこと。
その父親は電話口で、こう言った怒鳴った。
「貴様は、うちの娘を萎縮させてしまった。
訴えてやる。責任を取ってもらう!」と。
●教育ブルース
……こうして今日も、全国のあちこちから、子育てブルースが聞こえてくる。
どこか毒々しくて、それでいて、どこかもの悲しい。
みんな一生懸命しているはずなのに、どこかで歯車が狂う。
狂って、人の心をさみしくする。
できるならニヒリズムは、もちたくない。
しかしニヒリズムをもたずして、教育はできない。
親にしても、自分で失敗してみるまでは、それがわからない。
あるいは今の状態より、より悪くなって、それまでの状態がまだよかったことを知る。
最初は、ほんの小さな狂い。
それが加速度的に大きくなり、悪循環に悪循環が重なる。
気がついたときには、にっちもさっちもいかなくなっている……。
ではどうするか?
この問題だけは、親自身が、自ら気がつくしかない。
そのために自分で賢くなるしかない。
が、それを恐れてはいけない。
子育てには、その人の人生観、哲学、生き様すべてが集約される。
子育てを追求することは、その人の人生観を追求することにもなる。
奥は深い。
生涯のテーマとして、なんら遜色はない。
……とまあ、大上段に書いて、この稿はおしまい。
どうかみなさん、失敗にめげず、がんばってください!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW
はやし浩司 子育てブルース)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(注※)難読症、失読症の症状について
【幼児期】
Delays in speech
言葉の発達の遅れ。
Learns new words slowly
新しい言葉を学ぶのが遅い。
Has difficulty rhyming words, as in nursery rhymes
話す言葉がどこかぎこちない。ぎこちなさを感ずる。
Low letter knowledge
文字について能力が遅れる。
Letter reversal, ex: e b f p (normal)
鏡文字を書く。
【学童期】
Early primary school-age children(小学低学年児)
Difficulty learning the alphabet or in order
アルファベットを学ぶのが困難。
Difficulty with associating sounds with the letters that represent them
(sound-symbol correspondence)
その音を示す、文字と音を組み合わせるのが困難。
Difficulty identifying or generating rhyming words, or counting syllables in
words (phonological awareness)
文字を認識し、なめらかに文字を読むのが困難、あるいは単語の中の音節を数える
のが困難。
Difficulty segmenting words into individual sounds, or blending sounds to make
words (phonemic awareness)
単語をそれぞれの音に分離するのが困難。あるいは単語を作るため、音を混ぜるが
困難。
Difficulty with word retrieval or naming problems
言葉の訂正が困難、あるいはものと名前の結びつけるのが困難。
Difficulty learning to decode written words
表記文字を理解するのが困難。
Difficulty distinguishing between similar sounds in words; mixing up sounds in
multisyllable words (auditory discrimination) (for example, "aminal" for animal,
"bisghetti" for spaghetti)
単語の中の同じような音を区別するのが困難;たとえば「動物(どうぶつ)」を、「ど
うふづ」、「スパゲッティ」を「ビスゲッティ」と読むように、音節の多い単語の音
を混ぜてしまう。
【後期学童期】(小学、高学年児)
Older primary school children
Slow or inaccurate reading, although these individuals can read to an extent.
ある程度は読むことができるが、読むのが遅く、不正確。
Very poor spelling
綴りが苦手。
Difficulty reading out loud, reads word in the wrong order, skips words and
sometimes says a word similar to another word (auditory processing disorder)
大きな声で読むのが困難。前後の単語を入れ替えて読む、単語を飛ばす、あるいは
ほかの似たような単語に置き換えて文章を読む。
Difficulty associating individual words with their correct meanings
それぞれの単語を、正しい意味と結びつけるのが困難。
Difficulty with time keeping and concept of time, when doing a certain task
何かの作業をしているとき、時間を守るのが困難。時間の概念がない。
Difficulty with organization skills (working memory)
系統立てて作業するのが困難。
Children with dyslexia may fail to see (and occasionally to hear) similarities and
differences in letters and words, may not recognize the spacing that organizes
letters into separate words, and may be unable to sound out the pronunciation of
an unfamiliar word. (auditory processing disorder)
難読症の子どもは、文や単語の中の類似性や相違性を判断することができない。文
章の中の単語がスペース(空白)で区切られていることを認識することができない。
新しく出会った単語のようなばあい、それを発音することができない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 失読症 難読症 識字障害 はやし浩司 文字表出能力障害 Dyslexia
Alexia はやし浩司 ディスレクシア アレクシア あきらめは悟りの境地 LD児 学習障害児 親の欲望論 際限なし)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
●Sさんへ
そうでなくても、おもしろくないのが、学校の勉強です(失礼!)。
足し算のつぎが引き算……。
繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算……。
2桁の足し算、引き算……。
一見合理的ですが、子どもの目から見たら、何も楽しくない?
そんなものを子どもに押しつけ、「できる」「できない」を心配しても、どうしようもない。
つまり、子どもがかわいそう。
では、どうするか……ですが、一度、私がしている実験教室をのぞいてみてください。
つぎのところから、見ていただけます。
子どもたちの笑い声だけを大切に指導しています。
何も学校の教育を否定しているわけではありません。
もっと別の教え方があるという意味で、実験を重ねています。
お子さんと一緒に見てくだされば、よさがわかってもらえると思います。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
BW子どもクラブbyはやし浩司
http://bwopenclass.ninja-web.net/
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●先のことは悩まない
子育てで何が悪いかといって、一貫性のなさほど、悪いものはありません。
言い換えると、一貫性を大切にします。
そのつど右往左往していたら、教育など、成り立たなくなります。
そのためにも、取り越し苦労、ぬか喜びをしない。
今できることを、懸命にし、あとは明日に任せます。
明日は明日で、かならずやってきます。
で、明日になったら、またその日にやるべきことを、懸命にします。
あとは、毎日、それを繰り返します。
結果は、あとからついてくるもの。
結果を心配しない。
また結果が悪くても、またその時点をスタートにすればよいのです。
大切なことは、あなたが描く(理想像)に、子どもを当てはめないこと。
幸い、あなたはすばらしい家族に恵まれています。
むしろ、そちらのほうを高く評価してはいかがでしょうか。
『上見てきりなし、下見てきりなし』ですよ。
ともあれ、肩の力を抜いて!
子どもといっしょにいる時間を楽しみ、子育てを楽しむことです。
「もう一度、いっしょに、人生を歩むつもり」で。
では、また。
はやし浩司2012/06/13記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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