Q&A19
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【1】
突然、キーキー声を張り上げる子ども

●過剰行動児

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【突然、キーキー声を張りあげる子どもについて】

【N先生より、はやし浩司へ】

お久しぶりです。先生、お元気でしょうか。
うだるような暑さの中でも子どもたちは
元気に遊んでいます。
今日は、保育園の園児のご相談をしたいと
思います。
 
興奮したりすると、「キー」とまるで猿のように
叫ぶ子がいて、とても気になります。
一人そんなことをすると、まねをする子が出ます。
友達と遊んでいて、喜んでいる時かと思いますが、
本当によく響き渡る声です。
 
この子は、5歳児ですが、サ行やタ行がうまく
言えません。でも、友達とはおしゃべりが盛んです。
実習生やボランティアの方などが保育園に
みえると、おんぶや抱っこをせがんだり、べったり
甘えたりして積極的に行動します。
家庭では、母親にほとんど甘えたがる様子は見せない
ということです。
 
単に、そんな声を出して楽しんでいるのか、それとも
何か彼の心のなかを表現しているのでしょうか。
子どもですから、キャッキャと騒ぐのは慣れているのですが
この子の声はとても気になります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●問題点

 問題点は、つぎの3つある。
それぞれを別に考える。
が、ここでは(1)の過剰行動性について考える。

(1)キーキー声を張り上げる。
(2)発語障害
(3)母子関係の不全(マターナルデブリベーション)

【はやし浩司より、N先生へ】

●樹香庵

 暑いですね。
冗談のような話ですが、おとといの夜は、浜北区の森の家にある、樹香庵に一泊しました。
すばらしい一軒家旅館です。
そこでのこと。
風呂上がりに体重計に乗ったら、何と72キロ!
ギョーッ!
少し腹が出てきたかなと思っていましたが、7〜8キロもオーバーです。

 で、そのショックといったら、たいへんなものでした。
とたん意気消沈。
ガックリときました。
で、しばらくしてから、ワイフにも体重を測らせました。
そのワイフも、いつもより6キロもオーバー。
……ということで、体重計が壊れていることを知りました。
ホーッとしましたが、そんなこともあり、昨日と今日は、運動+ダイエット。
サイクリングを2単位(40分x2)、プラス、カロリーメイトと軽食のみ。

 昨日、1キロ減量。
今日、500グラム減量。
現在、66キロ。
それでも標準より、4〜5キロ、オーバー。
しばらく苦しいダイエットがつづきそうです。

●キーキー・ボイスについて

 幼児のキーキー・ボイス(突発的で、耳をつんざくようなキーキー声)は、第一に、過剰行動性
を疑います。
もう30年ほど前から、アメリカでは問題になっています。
「過剰行動児」と訳されていますが、日本では一般的ではありません。

 原因は、低血糖です。
日常的に、糖分の多い食生活(ジュースやアイスクリームなど)を摂取していると、血糖値があ
がります。
その血糖値をさげようと、インシュリンが分泌されます。
で、血糖値はさがりますが、血中に残ったインシュリンが、さらに血糖値をさげつづけます。
結果として、低血糖児になるわけです。

 低血糖になると、脳の抑制命令がきかなくなり、行動に過剰性がみられるようになります。
以前書いた原稿をこのあとに添付しますが、砂糖断ち(白砂糖)をすれば、1週間ほどで、ウソ
のように静かになりますから、一度、試してみてください。
つまり原因は、食生活と考えます。
(かんしゃく発作、あるいはてんかん症も疑われますが……。)

 付随的な症状としては、(1)体の緊張感が保てず、ダラダラとした様子になる(カルシウムイ
オン不足)、(2)集中力がつづかない、(3)興奮性が強くなる、などがあります。

 あわせて海産物の多い食生活に切り替えます。
海産物には、K、Mg、Caが多く含まれています。
イギリスでは昔から、「カルシウムは紳士を作る」と言われています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●過剰行動児(2007年に書いた原稿)

●砂糖は白い麻薬

++++++++++++

甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。

私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。

それが最近、科学的に、証明され
つつある。

++++++++++++

●禁断症状

 アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような論文を発
表している。

 「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンというオピオイ
ド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。この
結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていたことがわ
かる。人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエットに役立つかもし
れない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しかし一
歩、近づいた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!

 その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の原稿を
もとに、書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。この中に
書いた、U君というのは、今でもよく覚えている。

++++++++++++++

●砂糖は白い麻薬

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、突発的
にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考えると
わかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(ア
メリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分
泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の
抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときのことだ
った。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」と。

U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみられ
た。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみるとU君
は1日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの量である。そこで
私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビスケット
をくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症
状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。
が、その1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたま
ま、まったく反応がなくなってしまったのだ。

何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだ
け。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のないも
のを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子どもの
必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。この量はイ
チゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキーキー
と声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシウム、マグネ
シウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくてもダメもと。砂
糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落
ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品を与え
ると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出してしまう。

とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソーセージ
(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けて
も流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせ
ず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味を
おだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水に
よく溶けるようにするため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン
酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物を生み
出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということは、不必要
なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャ
ンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲
労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーな
どの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように愚鈍性
が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多く、その期
間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖はカ
ルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をおこす。
脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、回復がおそ
い。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が低下する」(片
瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。

+++++++++++++

 30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬による
禁断症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつけられて、
私は、そう書いた。

 U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケット!」と叫
んだという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。

 が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。おか
しなことに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえって子どもの
情緒は不安定になる」と主張する学者さえいた。

 私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確信を得た。
まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当てはめて考えることは
できない。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえれば、うれしい。

●お母さんたちへ

 ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大きなソフトク
リームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。

 それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より大き
なソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。

 量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べるということ
は、体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。

 いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなります。それ
だけではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き起こすことも、
よく知られています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる人もいるかもしれませ
ん。理由は簡単です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要以上に血糖値をさげてしま
うからです。

 突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言えば、
突発的に、キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつんざくよう
な金きり声で)、騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。

 『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製していな
い、黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル分がバランスよく
含まれていますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりません。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ボル
コフ 過食症ラット 禁断症状)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インシュリンの分泌について

 ついおととい、こんな論文がネット上に、ニュースとして流れました。
「ペットボトル症候群」というのが、それです。
「ペットボトル症候群」という言葉は、もう10年以上も前からあります。
毎年、夏になると、話題になります。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。

『ペットボトル症候群(ペットボトルしょうこうぐん、PET bottle syndrome)とはスポーツドリンク、
清涼飲料水などを大量に飲み続けることによっておこる急性の糖尿病である。糖尿病性ケトア
シドーシスの症状となった若い人達の多くがペットボトルで清涼飲料水を飲んでいたことから
「ペットボトル症候群(清涼飲料水ケトアシドーシス)」と名付けられた。1992年5月に、聖マリア
ンナ医科大学の研究グループが報告した』(ウィキペディア百科事典)と。

 このばあいは、一度に多量の糖分を摂取することにより、インシュリンの分泌が停止してしま
うということになります。
その結果、急性の糖尿病が起るというわけです。
ひどいばあいは、そのまま昏睡状態に陥ってしまうこともあるといいます。
(こわいですね!)

 どうであるにせよ、糖分の過剰摂取は、子どもの脳の発育には、よい影響を与えないというこ
とになります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●キレる子ども(感情、行動に抑制のきかない子ども)

 キレる子ども(突発的に錯乱状態になって、暴れる、興奮する)についても、ひとつの原因とし
て、白砂糖の過剰摂取が疑われています。
一部、原稿がダブるかもしれないが、それについて書いた原稿をさがしてみます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたこと
がある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、こ
の分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意する
と、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動
性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興
奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなっ
た。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。こ
の過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの
子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知
っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる
症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそ
ういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切る
ような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝
手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコン
トロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それ
がキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の
発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた
回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく
言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こし
やすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる
問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている
白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビス
ケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状の
ようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態
になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまる
で別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で
見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そ
うでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体
重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲
む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガ
ボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 過剰
行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 原因 キ
レる子ども 原因 原因物質)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●N先生へ

 その子どもには、砂糖断ちを勧めてみたらよいでしょう。
しかしこれは食生活の問題というよりは、母親の買い物癖の問題です。
一時的に母親が気をつけても、また数か月もすると、元に戻ってしまいます。
母親の買い物癖が、また始まるからです。
ショッピングに行っても、甘い食品を選んで買う、など。

 ですから母親自身が、かなり心を鬼にして、つまり覚悟をして治そうという意識がないかぎり、
子どもの過剰行動性は、治らないということです。
そこで私は、「冷蔵庫をカラにせよ」という提言をしています。
それについて書いた原稿もあるはずです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●買い物グセ

 夏場になると、がぜん多くなるのが、体をクネクネ、ダラダラさせる子ども。原因は、いろいろ
ある。

 クーラーなどによる、冷房のかけすぎ。睡眠不足。それに、甘いものの食べすぎ。

 この時期、どうしても、アイスやかき氷が多くなる。ジュースや、清涼飲料水などなど。糖分の
とりすぎが遠因となって、カルシウム、マグネシウム、カリウムなどの不足を引き起こす。

 だいたいにおいて、世の母親たちよ、ものごとは、常識で考えてみようではないか。

 体重12キロの子どもに、缶ジュース一本を与えるということは、体重60キロのおとなが、5
本飲む量に等しい。それだけ多量のジュースを一方で、与えておきながら、「どうしてうちの子
は、小食なのでしょうか」は、ない!

 ……というような話をすると、ほとんどの親は、自分の愚行(失礼!)に気づく。そして、こう言
う。「では、今日から、改めます」と。

 しかし、問題は、この先。

 しばらくの間は、母親も注意する。しかし数週間から1か月、2か月もすると、また、もとにもど
ってしまう。もとの食生活にもどって、また子どもに、甘い食べ物を与えてしまう。

 思考回路がそうできているからである。つまり、この思考回路、それにもとづく行動パターン
を変えるのは、容易なことではない。

 買いものに行くと、また同じ、ジュースだのアイスを買い始めてしまう……。

 では、どうするか。

 こうした思考回路を変えるためには、ショックを与えなければならない。「ショック」である。

 話は、かなり脱線するが、昔は、チンドン屋というのがいた。新しい店ができると、そこの経営
者がチンドン屋を雇い、そのチンドン屋が、そのあたりをぐるぐると回った。

 私たち子どもは、それがおもしろくて、いつまでも、そのチンドン屋について歩いた。

 つまりそうすることで、もちろんその店の宣伝にもなるが、そのあたりに住む人たちの、行動
パターンを変えることができる。たとえば人というのは、一度、ある店に行き始めると、その行
動パターンを変えるのは、容易なことではない。

 「お酒……」といえば、「A酒屋」と。
 「お米……」といえば、「B米屋」と。

 そこで新しくできた店は、そのあたりの人たちがもつ、そういう意識、つまり行動パターンを変
えなければならない。それがチンドン屋というわけである。

 たしかにあのチンドン屋は、ショックを与えるという意味では、効果がある。派手な服装に、派
手な鳴り物。それに踊り。チンチン、ドンドンと音に合わせて、踊りながら回る。そのあたりの人
たちは、それを見て、自分の行動パターンを変える……。

 では、どうするか?

 あなたには、あなたの買い物グセがある。その買い物グセをなおすには、どうするか。

 もうおわかりかと思うが、その行動パターンを変えるためには、自らにショックを与えればよ
いということになる。ショックを与えて、自分の行動パターンを変える。

【一つの方法】

 今すぐ、冷蔵庫の中にある、甘い食品(アイス、ジュース、プリンなど)を、すべて袋につめて、
捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、心を鬼にして、捨てる。

 この「もったいない」という思いが、ショックとなって、あなたの意識、行動パターンが変わる。

 こういうとき、「つぎから、買うのをひかえればいい」とか、「もったいないから、食べてしまお
う」と考えてはいけない。そういうケチな根性をもつと、またすぐ、もとの買い物グセにもどってし
まう。

●マターナル・デブリベーション

 ついでに母子関係の不全についての原稿をさがしてみます。
どうか参考になさってください。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マターナル・デブリベーション(Maternal Deprivation、母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続け
た。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようにな
り 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言
葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち
直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り
続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放される
と信じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽ
い奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、
心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこ
む習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特
の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってき
た。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになってい
る。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の
発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、そ
れを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってき
た。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされた
が、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デプリベイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少
し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし
た表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももい
る。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持すること
ができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要
がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子ども
がいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満
足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえ
ば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デプリベイベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなの
か?」と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難し
い。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれな
い。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、
そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この
「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高
い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なこ
とではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということ
もある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もり
に関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エ
ンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デプリベーション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

日付は、2008年7月となっています。
古い原稿ですが、そのまま掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考原稿)【自立と自律】(分科会、レジュメ)

●自立と依存

++++++++++++++++

自立と依存は、相克(そうこく)関係にある。
「相克」というのは、「相対立した」という意味。
自立性の強い子どもは、依存性が弱い。
自立性の弱い子どもは、依存性が強い。

一方依存性には、相互作用がある。
たとえば子どもの依存性と、親の依存性の間には、
相互作用がある。

一方的に子どもが依存性をもつようになるわけではない。
子どもの依存性に甘い環境が、子どもの依存性を強くする。
わかりやすく言えば、子どもの依存性は、親で決まるということ。

たとえばよく「うちの子は、甘えん坊で……」とこぼす親がいる。
が、実は、そういうふうに甘えさせているのは、親自身ということになる。
たいていのばあい、親自身も、依存性が強い。

++++++++++++++++

たとえばM氏夫婦を見てみよう。
M氏が、ある日、こんな話をしてくれた。

「私の妻は、病気になったりすると、自分でさっさと病院へ行き、診察を受けたりしています。
私に病気のことを、相談することは、めったにありません。
しかし私は、病院が好きではありません。
かなり症状が悪くならないと、病院へは行きません。
だから病気へ行くときは、妻にせかされて行きます。
そんなわけで、たいていいつも妻がついてきてくれます」と。

ひとりで病院へ行く、M氏の妻。
たいへん自立心の強い女性ということになる。
一方、ひとりでは病院へ行けない夫。
たいへん自立心が弱い男性ということになる。

M氏は、こうも言った。
「妻は、6人兄弟の真ん中くらいでした。
子どものころから、何でも自分でしていたのですね。
が、私はひとり息子。
祖父母、両親に溺愛されて育ちました」と。

が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、M氏が依存性の強い男性と考えてはい
けない。
(えてして、「自立心が弱い」というと、どこかナヨナヨして、ハキのない人を想像しがちだが…
…。)
M氏は、現在、小さいながらも、コンピュータを使ったデザイン事務所を経営している。

これは夫婦のばあいだが、親子となると、少し事情が変わってくる。

親子のばあい、依存性というのは相互的なもので、親の依存性が強いと、子どももまた依存性
が強くなる。
たとえば「うちの子は、甘えん坊で困ります」とこぼす母親がいる。
しかしそういうふうに甘えん坊にしているのは、実は、母親自身ということになる。
母親自身も、依存性が強く、その分だけ、どうしても子どもの依存性に甘くなる。

「うちの子は、甘えん坊で困ります」と一方でこぼしながら、実は、子どもが「ママ、ママ」と自分
に甘えてくるのを、その母親は喜んでいる。

あるいは(家庭の基準)そのものが、ちがうときがある。

ある家庭では、子ども(幼稚園児)に、生活のほとんどを任せている。
そればかりか、父親がサラリーマン、母親が商店を経営しているため、スーパーでの買い物な
ど、雑務のほとんどは、その子どもの仕事ということになっている。
が、母親はいつも、こうこぼしている。
「うちの子は、何もしてくれないのですよ」と。

一方、ベタベタの親子関係を作りながら、それが「ふつう」と思っている親もいる。
T君は、現在小学6年生だが、母親といっしょに床で寝ている。
一度父親のほうから、「(そういう関係は)おかしいから、先生のほうから何とか言ってください」
という相談を受けたことがある。
が、母親は、そういう関係を、(理想的な親子関係)と思っている。

だから子どもの自立を考えるときは、その基準がどこにあるかを、まず知らなければならない。
さらに言えば、こと依存性の強い子どものばあい、子どもだけを問題にしても、意味はない。
ほとんどのばあい、親自身も、依存性が強い。

そんなわけで、子どもの自立を考えたら、まず、親自身がその手本を見せるという意味で、親
自身が自立する。
その結果として、子どもは、自立心の旺盛な子どもになる。

さらに言えば、この自立と依存性の問題には、民族性がからんでくることがある。
一般的には、日本人のように農耕文化圏の民族は相互依存性が強く、欧米人のように牧畜文
化圏の民族は、自立心が旺盛と考えてよい。

ただ誤解していけないのは、自立心は旺盛であればあるほどよいかというと、そうでもないよう
だ。

オーストラリアの友人(M大教授)が、こんな話をしてくれた。

「オーストラリアの学校では、子どもの自立を第一に考えて教育する。
それはそれでよいのかもしれないが、それがオーストラリアでは、大企業が育たない理由のひ
とつになっている」と。

●自立と自律

自立は常に、依存性と対比して考えられるのに対して、自律は、あくまでもその人個人の、セ
ルフ・コントロールの問題ということになる。

さらに自律心は、人格の完成度(ピーター・サロベイ、「EQ論」)を知るための、ひとつの大切な
バロメーターにもなっている。

自律心の強い子どもは、それだけ人格の完成度が高いということになる。
そうでない子どもは、それだけ人格の完成度が低いということになる。
ものの考え方が、享楽的で、刹那的。
誘惑にも弱い。

その自律をコントロールするのが、脳の中でも、前頭前野ということが、最近の研究でわかって
きた。
自分の思考や行動を律するための、高度な知的判断は、この前頭前野でなされる。
(反対に、この部分が、何らかの損傷を受けたりすると、人は自分を律することができなくなる
と言われている。)

さらに言えば、この自律心は、0歳から始まる乳児期に決定されると考えてよい。
私はこのことを、2匹の犬を飼ってみて、知った。

++++++++++++++++

それについて書いた原稿が
ありますので、紹介します。
2002年11月に書いた原稿です。

++++++++++++++++

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、
決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に
大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すこ
とを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信
頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間
の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の
動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつ
きやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて
自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そ
のくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をか
ぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私
であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問
題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中
を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではな
く、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題
は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということに
なる。

(はやし浩司 Maternal Deprivation マターナル デプリベイション マターナル デプリベーショ
ン 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 
education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 マターナルデプリベイション マターナル 母子関係 母性愛の欠落
 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込み 保護と依存 子
どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後期 自立期)

(参考)ペットボトル症候群

Yahooニュース(2011−0712より)

『…… ペットボトル症候群の正式名称は、「ソフトドリンク(清涼飲料水)・ケトーシス」。継続し
て大量にジュースなどの清涼飲料水を摂取することで、血糖値が上昇。血糖値を一定に保つ
ホルモンのインスリンの働きが一時的に低下してしまう。

 インスリンが欠乏するとブドウ糖をエネルギーとして使えなくなり、脂肪などを分解する。その
際に「ケトン体」と呼ばれる代謝成分が増え、血液が酸性に傾く。「意識がもうろうとしたり、倦
怠(けんたい)感があったり。昏睡(こんすい)状態に陥ることがあります」と、大阪府内科医会
会長で、ふくだ内科クリニック(大阪市淀川区)の福田正博医師は説明する。

 糖分の過剰摂取で血糖値が上がると、それを薄めようとしてさらに水分を欲して喉が渇く▽
尿の回数も増える▽喉の渇きに任せてさらに甘い飲み物を飲む−という悪循環に陥る。福田
医師は「危険なのは夏場に中高生が部活動で水代わりに大量に清涼飲料水を飲んだり、毎日
2、3リットル飲んでいたりするような場合。突然倒れる場合もある」と警告する。

 福田医師によると、インスリンの投与などの治療によって、症状は比較的早期に治まるケー
スが多い。しかし、注意が必要なのは肥満体型の人。糖尿病予備軍と呼ばれる人たちはイン
スリンの働きが悪く、よりリスクが高まるという』(以上、Yahooニュースより)と。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司








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【2】
【家庭内暴力】

●長男の家庭内暴力

【兵庫県にお住まいの、KWさんより、はやし浩司へ】

 はじめまして、高校1年の長男の事で悩んでおり、メールしました。
私、夫、長男、中学の長女と小学生の二男の5人と夫の母と父がおります。
同居しています。
今は家の近所のアパートに私と妹と弟は寝泊まりし、食事作りや洗濯は家で行っています。
朝は、祖父母の家に娘たちを呼んで朝食を食べさせ登校させてます。

 家を離れる決断は、1年前の8月、長男が高校受験の年に決めました。
 長男から長女への執拗な攻撃がひどくなり、このままでは長女が人間らしい生活ができない
と思い決心しました。
長女への暴力は長年あり、最後には息もできない状態で自由を奪い小声でしか話せなくなりま
した。
長女が祖父母宅に居れば、目でどこか行けと指示したり、長男が妹達の勉強部屋にこっそり
来て、暴力や物を破壊したりと、長女は言葉を発することは少なくひそひそ声で話しておりまし
た。
また、長男が中学2年ごろには長女に家の裏側へ来るように二男に命令し難癖をつけ、しばし
ば暴力を奮っていたようです。

 長女への暴力は長男が小学校のころからあり、私がいない時にやっていました。顕著に家
庭内暴力と言えるきっかけは2点あります。

 長男が中2の時、私の親が事故にあい、私1人で親の面倒をみるようになり、子供のことを
振り向けず実家の事に精一杯でいた時、長男が部活でレギュラーから落とされたと後になって
分かりました。

そのまま中3を迎え、一番なりたくない先生が担任になり、1学期の担任との面談で本人と私の
前でずるいだのと全否定する言葉をなげつけられ、その日をきっかけに私への暴力は始まり
ました。
中学時代はその担任が主導して、弱い子に暴力をふるったり、いやみや、罰与えが日常茶飯
事の学年でした。
1度長男も中1の時その担任に、お腹を訳もなく殴られました。
絶対に家に帰って、いやな事や恥ずかしいことは言わない子です。 

 長男は中学に入る時から高校入試の事を非常に意識しており、レベルも高いところを志望し
ておりました。内申が思うようにつけてもらえず悩んでいたと思います。

 高校受験の頃には長男の緊張は更に高まってきました。
結局受験は失敗し、行きたくなかった高校ですが、進学校であり優秀な生徒も多い高校に行く
ことになりました。

 入学後、頑張ろうとしましたが、ついていけず2度目の挫折を味わうことになりました。高1の
春先には急性胃腸炎で4日休み、今までの失敗で自信も持てないところへ、全体でも下の成
績になり本人もショックなのでしょうが、まだ、勉強は諦めていないようです。
何とかしたいけど分からず、もがいて、参考書や文房具を沢山買い、塾へも2ケ月位行きまし
た。塾の参考書がほしいかったのだと思います。

 今年のお正月には激しい暴力を私に振るわないと気が済まないようで、妹を近づけるにはす
ごく危険な状態でした。

私への暴力の原因は、冬休み前の面談で先生がなんとか赤点はあるが留年にならないレベ
ルと言われた事と、他の子は私立に行かせてもらってるっていう気持ちで親に感謝して頑張っ
ている子が多いという事を聞き、私が「よくこれでやってるね。」と言ってしまい、その言葉が暴
力へ引き金となった様に思います。
そのあとすぐ、塾も辞め何もかもやる気もなくなったようにも見えます。

 暴力の内容は、思いっきり側頭部や太ももや腕をたたいたり、けったりします。
髪の毛をわしづかみにして私を家から追い出します。

 お正月には、長男が弟と遊びたくて、凧揚げしたかったらしいです。
長男が弟を呼んでも妹は怖いから行かないし、電話をかけて出なかったりで長男の怒りが高
まってしまいました。
数日後、長男が弟と家で逢った時、弟を髪の毛を引っ張って"何で俺の言う事が聞けなかった
のか"と、蹴ったりもして私が帰宅し止めたこともありました。

急に激こうしたり、自分では加減しているところもあるのかもしれませんが、危険に見え、妹へ
の暴力が放っておけず私が間に入り、それがまた長男は憎い様です。

 昨日は長女と家の前で出くわし、お腹を思いっきり叩いて塾へ入るよう命令し、最後に背中を
足蹴りし長女は家の柵に胸を打ちつけました。
長女はそのままアパートへ帰り部屋で閉じこもっておりました。
長女は2度とあんな家に行かないし、家の前も通らないと言ってました。
何度かこういう事が、離れてから起きています。
 塾へ行かせたいのは、中学の塾の参考書が欲しいのが目的です。
自分も中学の時その塾に通っております。
ここ数日は長男は常に怒り状態で危険な顔つきをしております。
また、高校の友達は学校の中だけで一切付き合いがありません。 

 長男の生育史は、小学校へあがるまでは、今と違う町におり3歳までは私とべったりの生活
でしたが、妹が生まれてからは保育園に入り急につき放された状態でした。

 私も3歳以降、余裕もなくスキンシップはほとんどなかったと思います。
 やんちゃで、聞かん気も強く友達には意地悪はできず、そのストレスは家に持ち帰るタイプの
子で、長男が妹に手を出すと私が間に入って、長男に仕返しをしてしまいました。主人も夜遅く
帰り、その分土日だけは長男に関わってくれました。

 長男の年長の終わりに風邪をこじらせてから、朝お腹が痛いを言うようになり、登園が難しく
なりだしました。
小学校入学を機に今の家を建てましたが、やはり 簡単に登校拒否の状態は治らず、小1の2
学期途中に全く行かなくなり、3学期を迎えた頃、急に登校しました。
お腹の痛い症状はときどきありましたが、小3の頃にはスポーツ少年団に入ったりと小学校時
代は輝いていました。

 幼児期には、ダメダメ言って完ぺき主義に育て、感情的に長男へ当たり、言葉の暴力と叩い
たりもして、抑圧して言う事を聞かせていました。
甘えたい時期に妹達が生まれ、甘える事が出来ず、長女との仲裁に私が入った事が憎しみな
っていると思います。

 私の状況としては、結婚当初から、姑舅と近くに住んでいる義姉との関係に悩み、いやな思
いはありその気持ちは主人には分かってもらえず、子供たちも気づいていました。
当時は主人に分かってもらえないのが悲しかったです。
息子が小3になり、私も家にいるのが見張られているようなので少しづつアルバイトを始め現
在はフルタイムでなく常勤の事務パートをしております。

 やはり、家族がバラバラで父親と2人は寂しく、父親は平日10時過ぎに帰宅するので、長男
1人でいる時間が夜は長く、孤食で冷めたご飯を食べたりの状態です。

暴力を受けた長女は、長男と正反対の性格ですが、かなりトラウマがあり、暴力の話はしたく
ない様で心の底に溜まっていると思います。
長男を憎んでいます。

 長男の憎しみと、恨みはどの様に解決していけるか分かりません、心を見せないし今の生活
で戻ると妹への攻撃が爆発すると思うし、離れていると私への甘えが未解決のままです。

 過去の確執はありますがおじいちゃん、おばあちゃんも心配しており、一緒に長男と話し合い
をしたいと思いますが良いのでしょうか?
このような状況になっている事が、あの時あんなだったと笑って言える日が来るようにしたいで
す。

 また、これからの夏休みをどう過ごせばよいのかなどの不安もあります。どうか、今できる事
はどういうことなのか、最優先することは何かアドバイスを頂ければと思います。 よろしくお願
いします。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
●反動形成

 長男(以後、K君とする)の家庭内暴力の遠因は、すでにこのメールの中に書かれている。
溺愛と過干渉、そして突然の愛情変化。
幼児期にいじってはならない2つの感情がある。
嫉妬と攻撃(残虐)性。
その「嫉妬」をいじってしまった。

 嫉妬をいじると、相手が弟であれ、妹であれ、兄(姉)は、その相手を殺すところまでする。
いじめるとか、暴力を振るうとかいうレベルではない。
「殺す」ところまでする。
嫉妬というのは、そういう感情をいう。

 ある兄(6歳児)は、弟を家の隅に連れて行き、いつもその弟を逆さづりにして、頭から落とし
ていた。
別の兄は、弟に向かって、全力で自転車で体当たりしていた。
それを見ていた近所の人が、「ギャーッ!」と声を張り上げたほど、残酷なシーンだったという。

 が、こういうケースのばあい、上の子は、両親の前では、別人のようによい兄(姉)を演じたり
する。
心理学の世界では、「反動形成」という言葉を使って、それを説明する。
K君は、下の妹が生まれたことで、はげしい疎外感を味わった。
それが嫉妬に転化し、動物的な攻撃性となって、それが現れた。

●混乱期

 思春期前夜(10歳前後)から、子どもの心は不安定期に入る。
脳の中で、はげしい変化が起き始める。
それは自分であって、自分でない変化ということになる。
心が満たされないことによる、葛藤感。
未来への不安と心配。
わがままと自己中心性。
不平、不満。

 が、何よりも(自分の将来を定められない渇望感)。
それに(自分は嫌われているという焦燥感)。
こういったものが混然一体となって、この時期の子どもを襲う。
それは恐ろしいほどのケイオス(大混乱)と言ってよい。
火事と地震、それに台風。
それらが同時に起きたような状態ということになる。

 K君はやりようのない自分を、そのまま身近にいる妹や母親に、ぶつけている。
「そんなことをすれば、ますますみなの心は離れてしまう」。
それを知りつつ、その自分をどうすることもできない。
それほどまでに、K君の心の中で起きている変化は、大きい。
が、ひとつだけ忘れてはいけない。
母親も苦しいかもしれない。
しかしそれ以上に、K君自身も、苦しんでいる。
心の緊張感から、逃れることもできず、もがいている。
ただその処理方法が、わからない。

●心の別室

 心療医学の世界では、「うつ」ということになる。
突発的に発生する錯乱状態。
ささいなキーワードが引き金になることが多い。
ある女の子(6歳児)は、母親が「ピアノのレッスンをしましょうね」と声をかけただけで、錯乱状
態になり、母親に包丁を投げつけたりした。

 K君のばあい、外の世界では仮面(ペルソナ)をかぶる分だけ、その不平、不満を内的世界
に抑圧しやすい。
私は「心の別室」と呼んでいる。
この心の別室には、時効(時間がたてば忘れる)や、上書き(よい思い出がそのあとあっても、
上書きされることはない)がない。
ときと場合に触れて、「あのとき、お前は!」となる。
それこそ、50歳になっても、60歳になっても、出てくる。
ある老夫婦は、喧嘩になるたびに、40〜50年前の話を持ち出して喧嘩していた。
「心の別室」を軽く考えてはいけない。

 K君は、恐らくはげしい嫉妬心から、幼児期にその(心の別室)を作ってしまった。
で、これはあくまでも程度の問題だが、心の別室が、それほど大きなものでなければ、「それに
触れない」という形で接する。
心の別室は、だれにでもある。

 が、それが程度を越えれば、それは「教育」の問題ではなく、(もちろん心理学の問題でもな
いが)、「医療」の問題ということになる。
今では(こだわり)を取る薬にしても、たいへんよい薬がある。
精神安定剤にしても、よい薬がある。
私自身も、もともと情緒が不安定な人間なので、市販のハーブ系安定剤、漢方薬を、それぞれ
うまく利用している。
海産物の多い食生活に心がけるだけでも、突発的な錯乱状態の多くを防ぐことができる。
イギリスでは昔から、『カルシウムは紳士を作る』という。
K君は、日常的に、甘い食品を多食していないか?
ジュースやアイスなど。
そのあたりも、一度、反省してみたらよい。

●愛情飢餓

 が、最大の原因は、「愛情飢餓」と考える。
一義的には、母親に対する愛情飢餓ということになる。
が、年齢的に、たとえば母親の胸に触りたくても、それができない。
その葛藤が、母親に対する不平、不満となって転化していく。

 本来なら、性のはけ口として、ガールフレンドにそれを求めていくという方法もある。
しかしそれについても、自分の中に残るマザコン(マザーコンプレックス)が、じゃまをする。
KWさん自身も書いているように、「完ぺき主義=過干渉」と、その一方で祖父母を含めた溺愛
が、K君の周りを包んでいた。
人格の完成期(コア形成期)を、いわゆる「人形子」(イプセン)で、通り過ぎてしまった。
同年齢の女子を、異性として(=性のはけ口として)、接する技術も身につけなかった。

 が、言い換えると、ガールフレンドができると、家庭内暴力は急速に収まる。
愛情飢餓感が、薄められるためと考えられる。

●では、どうするか

 家庭内暴力については、たびたび書いてきた。
が、同じ青年期の「うつ」でも、家の中に引きこもってしまう子どもをマイナス型とするなら、暴力
を振るうプラス型は、予後がよい。
その時期さえ通り過ぎ、また子ども自身が家を離れ、自活するようになれば、ウソのように症
状が氷解する。
むしろ常識豊かな人間に成長することのほうが多い。
(一方、引きこもりは、10年単位の静養期間が必要となる。)

 ほかにも、攻撃型、依存型、服従型、同情型などがあるが、K君のばあいは、攻撃型というこ
とになる。

 またこの時期、暴力といっても、それは「スレスレの暴力」であること。
子ども自身が、どこが「スレスレ」であるかをよく知っている。
それ以上のこともしない。
それこそ家族がメチャメチャになってしまう。
先ほど「殺す」という言葉を使ったが、家庭内暴力のばあいは、その心配はない。
どこかで理性のブレーキを働かせる。
だからあまり深刻に心配しないように!

が、それ以下でもない。
それでは暴力を振るう意味がない。
だからそのスレスレのところでする。

 はげしい家庭内暴力であり、当事者のKWさんにしてみれば、地獄のような毎日。
しかしここでK君を抑え込んでしまえば、この問題にも二番底、三番底がある。
さらに症状は悪化する。
が、先にも書いたように、「道」が見えてくれば、K君は別人のように落ちついてくる。
今まで何10例と家庭内暴力を起こした子どもを観てきたが、例外なく、そうなる。

 (もっとはげしい家庭内暴力を、私は直接見聞きしてきた。
家中のガラスというガラスを板やプラスチックにしてしまった家、子どもの前ではいつも両手を
床にすえ、はって移動しなければならなかった親、など。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

それについて書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++

家庭内暴力を繰りかえす子どもは、
外の世界では、信じられないほど、
(いい子)であることが多い。

T君も、そんな子どもだった……。

++++++++++++++

 T君は私の教え子だった。
両親は共に中学校の教師をしていた。
私は七、八年ぶりにそのT君(中二)のうわさを耳にした。
たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。

いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通
るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。
私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。
砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な
笑みを浮かべていた。
しかし私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていること
や考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。
従順で、ものわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。
むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆ
がめやすい。
T君はまさに、そんなタイプの子どもだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。
家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状
が現われてくる。

しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れたりする。
少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。
このタイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたと
きのことである。
いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業をしていると、T君は
いつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。
T君の担任が、よく連れ戻しにきた。

そこである日、私はT君の母親に電話をした。
「私の教室へよこしませんか」と。
それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方
針というものがあるから!」と。
しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るようになった。
家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。
以後私は、半年の間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。
母親はこう言った。
「あんたは、私たちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介
だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。
しかし現実にはそれは不可能に近い。
指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷いがある。
「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。
が、何と言っても、親自身にその自覚がない。
知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかない。
教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再びK君について

 今、K君は、幼児期、児童期に逃げなかった「殻」を懸命に脱ごうとしている。
母親の溺愛、過干渉からの脱皮、自己の確立、思春期の不安などなど。
自分を抑圧するものへの抵抗。
それは想像を絶する葛藤と言ってもよい。
が、これにも時期がある。

 けっして希望的観測を書いているのではない。
K君の家庭内暴力が終わるのも、そろそろ時間の問題ではないか。
「行き着くところまで行き着きつつある」と。
が、それにはきわめてひとつ重要な条件がある。
『愛情の糸を切らないこと』。

 運命とはそういうもの。
「こわい」「こわい」と思って逃げて回っていると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかっ
てくる。
しかし運命を受け入れてしまえば、悪魔は向こうから、シッポを巻いて逃げていく。
「暴れたければ、暴れろ」「殺したければ、殺せ」、しかし「私はどんなことがあっても、あなたを
愛していますからね」と。

 その気持ちがK君に伝わったとき、K君の心は平和を取り戻す。
KWさんも、落ち着く。

 具体的には、(1)まず食生活の改善(白砂糖は麻薬と心得ること。「はやし浩司 白砂糖は
麻薬」で検索してほしい)。
(2)心療内科のドクターに相談する。
(3)K君に疎外感を覚えさせないようにし、ここに書いたように、「愛情の糸」を、最後の最後ま
で、一本だけは残しておく。
(4)K君が自分の進路を見出せば、この問題は解決する。
(K君自身には、自分は悪いことをしているという意識はないので注意すること。
自分は正当なことを、しているだけという意識しかない。
説教しても、ほとんど効果がないのも、そのため。)
(5)あとは『暖かい無視』と『求めてきたときが与えどき』と心得る。
食事の世話にしても、K君が食べても食べなくても、きちんと用意する。
それが暖かい無視。
あなたに向かって暴力を振るったときも、怒った顔はせず、悲しそうな顔をして、K君の顔を見
つめる。
「殺したければ殺していいのよ」と。
そこまで覚悟を決めれば、こわいものは、ないはず。
またそこまで覚悟しなさい。
逃げないこと。
それが暖かい無視。

また何か助けを求めてきたら、間をおかず、すかさず提供する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

5年前に書いた原稿を添付します(2006年)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

【家庭内暴力】

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++++

東京都に住んでいる、Eさんという
母親が、長男の家庭内暴力に
苦しんでいる。

父親と、二男とは、そのため別居。
疲れきったEさんは、「死んでしまいたい」
とまで思うようになったという。

+++++++++++++++

E様へ

拝復

 パソコン上で原稿を書くと、どこかに記録が残ってしまいます。それがいつか、思わぬところ
で、表に出てきてしまうことがあります。それでここでは、「E様」とします。お許しください。

 また、同じような問題をかかえている、ほかの多くの親たちの参考と励みになるよう、一部、E
様からいただいた相談内容を、引用させていただきますが、どうか、ご了解の上、お許しくださ
い。

 E様からのメールを、要約させていただきます。

++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

 2年前に相談したことがある、東京都のEです。

 現在、兄は、高校1年生、弟は、中学2年生です。以前は、父親と私、子ども2人で、生活して
いました。

 その兄、つまり長男のことです。

 中学3年になるころから、暴力がはげしくなり、「こんな俺にしたのは、お前だ」と、私を殴った
り、蹴ったりします。タバコを吸い始め、髪の毛も茶色に染め始めました。3年の中ごろから、
学校へも、ほとんど行かなくなりました。

 学校の先生から、「排除」という言葉が出てきたのも、そのころです。長男を、学校から排除
するというのです。それで長男の荒れは、ますますひどくなりました。

 そこで父親(私の夫)と、二男は、近くにアパートを借りて、別居。現在は、私と、長男だけが、
いっしょに暮らしています。食事は、私が作り、毎日、父親と二男に届けています。

 長男の暴力はひどいですが、一線だけは守ってくれているようです。今のところ、指の骨折程
度ですんでいます。

 一応、単位制の通信高校に通っていますが、ほとんど学校へは行っていません。昼夜が逆
転し、夜中に起きてきて、私に、「食事を作れ」「こうなったのは、お前のせいだ」「弟は、お前と
別れて、よくなっただろ」「お前は、この家から出て行け」と、蹴ったりします。

 私の精神はボロボロで、自殺願望も生まれてきました。

 『許して、忘れる』という先生から教えてもらった言葉を口ずさみながら、何とか、それに耐え
ていますが、本当にこれでいいのでしょうか。一言、アドバイスをしてください。
(東京都・Eより)

+++++++++++++++++++++++

Eさんの転載許可がいただけましたので、
Eさんからのメールを、ほぼそのまま、
ここに紹介します。

上記の内容とダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】


+++++++++++++++++++++++++++

転載許可がいただけましたので、Eさんからのメールを、
そのまま紹介させていただきます。(6・21)
Eさん、ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

2年ほど前、当時小学6年生だった。次男の不登校のことでご相談した事がある者です。
長男は、当時、中学2年生でした。

その長男が中3になり、中1とし、弟は同じ中学校に入学してきましたが、そのときもまだ、弟
の学校恐怖症がつづき、学校へは、行けない状況にありました。

そのことで長男は友達から、弟のことで、いろいろとつらいことがあったようです。

家でゴロゴロと寝ている弟をみて登校していく長男でしたが、6月の運動会が終わったあたりか
ら、変わってきました。

タバコを、学校帰りに、友達と吸ったり、不良なんだとわざと見せるような行動をとるようになり
ました。

深夜徘徊をしたり、学校から排除されるようなことを先生に言われたりし、しのともあって、友達
も、みんな長男から、引いてしまったようです。孤立してしまいました。

2学期からはほとんど学校へは行かず、受験も拒否。

髪は茶髪、金髪、弟へのプロレスごっこと称しての暴力もはじまり、それを止めないといって弟
は、容赦ない暴力を私へ向けてきました。

去年の12月に主人と次男は隣町のマンションへ、出て行きました。

次男は中学も変わり、中1の3月までは不登校でしたが、中2になり4月からはまだ1日も休む
ことなく楽しく登校できているようです。

長男は卒業式にも出席することなく、一応単位制の通信高校に入学はしましたが、ほとんど登
校していません。

昼夜が逆転し、夕方ぐらいに起きてきて、夜中にわたしを起こし、飯を作れとか、耳元で、わざ
と、うるさい音楽を流したりと、嫌がらせがつづいています。

『お前がこんなにしたんだ、お前が出て行けば俺はよくなる! ○○(次男)もお前から離れた
からよくなっただろう』と、蹴ったり殴ったりします。

それでも手加減はしてくれているようで、いままで病院へ行ったのは右手小指の骨折だけで
す。
私も学校へ行けだとか、昼夜が逆転していることを、なおしなさいとか、言わないようにしていま
す。

次男へは毎日夕食を運んでいます。

自分を高めなければ精神がボロボロになってしまって、自殺願望が強くなるばかりです。
許して、許して忘れるの先生のお言葉を毎日、念仏のように口ずさみ、耐えています。
やがて時間が解決してくださると・・・

先生、それでいいのでしょうか、何も言わず、待つことがいちばんなんですよね。
もし、それでよけでば、それでよしとお答えくだされば、とても強い力になります。

孤独に閉鎖された中で戦う私に、後押ししてくださいませんでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 家庭
内暴力 親への暴力)


【追伸、Eより、はやし浩司へ】

長男のことについての相談のお返事、ありがとうございました。
ブログへの掲載はかまいません。

昨日も、長男が、弟は、おたくっぽくてかっこ悪いというので、そんなことないよ、かっこいいよと
いったことに腹を立て、殴ったり、ものをこわしたり、網戸を破ってそれにライターで火をつけよ
うとしました。

私はそれに驚き、集合住宅でもあるし、火を出したら大変だと、脅す大河をそれだけはいけな
いと叫びました。

私が嫌がる事はわざとやるので、ソファーも火をつけたり、(すぐ消える程度)していたので、私
がまず、家を出なければと急いで家を出ました。

そして一晩帰宅しませんでした。
長男へはメールで、「火をつけたり、暴力が続くとお互い傷つくし、自分も他人も取り返しのつ
かないことになったら大変だから、暴力が治まるまで帰りません。何がそんなに哀しいのか
な・・・みんな、大河を愛しているよ、それはいつまでも変わりません。」
と送りました。

警察の少年サポートセンターの方が暴力からは逃げてください、受けたそのときに家を出てく
ださい、毎日連絡は入れてください、と指導されました。

私も、どうしていいやら家を出て実家に帰ったものの、心配でなりません。
今は荷物を取りに帰宅しています。

次男へ食事も運べませんし、夫がコンビニの弁当を買ってきているようです。
2〜3日したら帰宅しようとは思いますが、どうなんでしょうか。

火をつけたり、そんなまねごとでも危険な事は、許すわけにはいきません。

私は内科でデパスとメイラックスという、不安を取り除くお薬を処方してもらい、寝る前に飲んで
います。

メイラックスと言う薬は次男も、G大病院思春期外来で処方され、飲んでいました。
長男に、飲ませてはどうでしょうか。

とても、病院に一緒に行ってくれる状態ではありません。
長男が苦しんでいるのはわかります。
だから、強がって仮面をかぶって外に出るのもわかります。
不良になりたがるのも、よくわかります。

私も、そんな格好を非難する言葉や、世間体が悪いだとか、罵るような事を言ってしまいまし
た。

反省しています。

それなのに、今からでも大丈夫でしょうか、母と子の関係を修復できるでしょうか。  

今回はご返答ありがとうございました。
私は「許して忘れて、諦める」を念頭に、がんばって母親をやっていきます。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Eさんへ】

 家庭内暴力の背景には、つぎのような素因があると考えてください。ざっと、急いで書きあげ
たので、不備があるかもしれません。

(1) 子ども自身の、うつ病。(心の病気)
(2) 子ども自身の人間関係調整機能の喪失。(基本的信頼関係の構築の失敗)
(3) 子ども自身の自己管理能力の欠落。(幼児性の持続。わがまま)
(4) 子ども自身の二重人格性。(自分とは別の自分による暴力行為)
(5) 子ども自身の欲求不満。(性的欲求不満も含まれる。)
(6) 子ども自身の生育上の問題。(乳幼児期に「いい子」で通ってしまった。)
(7) 下の弟との関係。(「兄」であることから受ける重圧感。欲求不満)

 が、何よりも大きな素因は、(8)自己嫌悪から発生する、自暴自棄的自虐性です。

 このタイプの子どもは、自分の中にある、(自己嫌悪感)を解消したくても、それができないジ
レンマに陥っていることが多いです。自己管理能力のしっかりしている子ども(人)は、それを、
うまく処理できるのですが、それができません。

 それで弱い母親に対して、「こんなオレにしたのは……!」という言葉が出てきます。つまり自
分で、自分を嫌っているわけです。(嫌う)というよりも、みなに嫌われているもどかしさ、本当の
自分を認めてもらえないつらさ、それを(暴力)にかえていると思ってください。

 だから本当に、母親であるあなたを嫌っているというわけではありません。形こそ、少しいび
つですが、暴力的な(甘え)と理解すれば、よいかもしれません。

 もちろんその(甘え)の中には、さまざまな要因がつまっています。

 ここにあげた(人間関係調整機能の喪失)も、そのひとつです。つまり人間関係がじょうずに
調整できない子どもは、依存的になったり、服従的になったり、同情的になったりしますが、他
者に対して攻撃的になったりします。

 お子さんは、最後の攻撃型タイプということになります。(攻撃型タイプも、他者に対して攻撃
的になるタイプと、自分に対して自虐的になるタイプがあります。)

 が、心理状態は、いつも、孤独で、心の中に空虚感を覚えていると理解してください。つまり
心の中は、さみしいのです。そのさみしさを、埋めるために、あなたに対して暴力を振るってい
るのです。

 ……と書くと、どうして?、と思われるかもしれませんね。

 実は、あなたはお子さんのことを思ったり、心配してはいますが、そのつど、同時に、お子さ
んを、突き放すような言動をしているからだと考えてください。これは無意識のうちに、そうして
いるのがふつうです。

 子どもの心というのは、そういう意味では、たいへん敏感です。あなたのささいな言動から、
それをさぐり当ててしまいます。

 そこであなたのお子さんは、ギリギリのところまでしながら、あなたの心を試そうとします。ギリ
ギリのところです。

 家庭内暴力を起こす子どもは、いつもその限界の内側で暴れます。あなたが言う(自制)とい
う言葉は、それを言います。「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その一歩手前で、暴
力を止めます。

 これはお子さんの中に、もう一人の別のお子さんがいて、それを制御しているためと考えれ
ば、わかっていただけると思います。つまりそのつど、もう一人のお子さんが、「もう、やめてお
け」「そのへんで、ストップしろ」と命令をくだしているわけです。

 それで「指の骨折程度」ですんでいるわけです。

 つまりあなたのお子さんがしていることは、典型的な、「家庭内暴力」ということになります。で
すから、今は、つらいかもしれませんが、(お気持ちは察しますが)、問題としては、とくに変わ
った問題ではないということです。

 少なくとも、まったく同じような状況で、引きこもりを起こす子どもよりは、立ちなおるのがずっ
と楽ですし、立ちなおったあと、むしろ、かえって常識豊かな人間になります。

 私はそういう子どもの例を、何十例も見てきました。ですから、決して希望を捨てず、あきらめ
ず、短気を起こさず、前に向かって進んでください。必ず、一過性のもので終わります。そして
みな、なにごともなく、終わっていきます。

 『許して、忘れる』……これは何も、まちがっていません。今こそ、あなたの愛というよりも、深
い人間性が、子どもによって確かめられているのです。わかりますか? 

 親が子どもを育てるのではありません。親は、子育てで苦しみながら、子どもによって育てら
れるのです。

 そこでつぎのことに注意してみてください。

(1)突き放すようなことは言わない。 

 一方でお子さんのことを心配しながら、他方で、お子さんを突き放すようなことを言ったり、し
たりしていませんか? たとえば、「ごめん、ごめん」と口で言いながら、少し、お子さんの機嫌
がよくなると、「もう、あなたなんかイヤ」とか言う、など。

 これは究極の状態ということになりますが、「私はもう殺されてもいい。それでも、私はあなた
を見捨てませんからね」という状態になったとき、あなたのお子さんは、はじめて、あなたに安
心感を覚えるようになります。

 あなたにその覚悟はできていますか。が、あなたには、その覚悟は、まだできていない。「殺
されるのはいやだ」「世間体が悪い」「子育ては、もうこりごり」と。

 あなたのお子さんは、そのスキをついて、家の中で暴れます。満たされない愛への欲求不満
を、あなたにぶつけてきます。ですから、あなたはつぎの言葉だけを、子どもの前では、繰りか
えします。

 「ごめんなさい。お母さんが、悪かった」「どんなことがあっても、私はあなたを愛しつづけま
す」と。何があっても、最後の最後まで、その言葉を繰りかえします。これはまさに、壮絶な根く
らべです。

(2)子どもも苦しんでいる。

 あなたには想像できないかもしれませんが、あなたのお子さんも、そういうあなたを見なが
ら、苦しんでいます。あなたが苦しんでいる以上に、お子さんも苦しんでいるということです。(今
のあなたには、想像できないかもしれませんが……。)

 あなたは、お子さんにとって、最後の(心の拠り所)です。砦(とりで)です。その拠り所を、自
分で破壊しながら、お子さん自身は、自分でそれをよしとはしていないのです。愛する人(=あ
なた)をキズつけながら、それをしている、自分が苦しいのです。

 自己嫌悪から自暴自棄になるのは、そのためと考えてください。

 しかも自分に関することが、すべてうまくいかない。中学校の友人たちには嫌われる。高校へ
も進めなかった。何をしてよいのかわからない。何をしたいのかもわからない。家族もバラバラ
になってしまった。(現実の自分)と、(自分が頭の中に描く自分)が、一致せず、混乱している。

 それは思春期のお子さんにしてみれば、たいへんな苦しみということになります。

 今のお子さんの心理状態は、そういう状態であると考えてください。つまりあなたが、それをま
ず、理解します。その上で、「あなたも苦しんでいるのね」と、子どもを暖かく包んであげます。

(3)心の病気と考えてください。

 できれば、一度、心療内科を訪れてみてください。今ではすぐれた薬も開発されていて、お子
さんの(突発的なキレ)(異常なこだわり)(うつ症状)などにも、すぐれた効果があります。

 心の病気といっても、脳の機能的な障害ですから、おおげさに考えないこと。決してお子さん
が、このまま人格障害者になるとか、そういうことではありません。いわば、一過性の、はげし
い熱病のようなものです。

 しかも、確実になおる見込みのある熱病です。今までの私の経験からしても、今が山で、18
歳ごろまでには、ウソのように落ち着いてきます。先にも書きましたが、引きこもりを起こすタイ
プよりは、ずっと回復も早く、予後(その後の経過)もいいです。

(家庭内暴力を起こすタイプを、「プラス型」というなら、引きこもりを起こすタイプは、「マイナス
型」ということになります。まったく正反対の症状ですが、原因も、対処の仕方も、同じです。)

 ですから、薬で落ち着かせる部分については、薬に頼ります。あなた自身が、カプセルの中
に入ってしまわないで、他人に任すところは、任せます。

 私はドクターではありませんが、心療内科のドクターも、「うつ病」に準じて、治療を開始する
はずです。

 ただこのときも、注意しなければならないことは、たとえ心療内科へ連れていくとしても、(突き
放すような言動)は、タブーだということです。施設へ入れるとか、入院させるとか、そういう話
は子どもの前では、ぜったいに、してはいけません。

 少し前、子どもの立場で、自分の心の状態を語ってくれた青年がいました。(私のBLOGなど
に書いておきましたが、ご覧になってくださいましたか? マガジンでも取りあげたことがありま
す。)

 このBLOGの中で、「じじさん」というのは、その青年を批判した男性のことをいいます。内容
はわからいませんが、多分、その男性は、その青年を、「引きこもりは、怠け病だ」とでも言っ
たのではないかと思います。それでその青年が、反発しました。

+++++++++++++++++

【宮沢KさんのBLOGより転載、転載許可済み】

● 引きこもりは、病気だ!

お気楽にやっていきたいのに、今日もシビアになっちまう。

「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。

不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。

「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、
癌の治療に手を出したようなものでしょう。
引きこもりの一部は精神科の病気、
それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」

この人が正しい。タイコバン!

それに対して管理人のじじさんが

「引きこもりが病気!?
そのように病気病気言うから病気に甘えて
薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから
それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」

じじさん、あんたねえ、
KMさんも「引きこもりの一部は」って、言ってるでしょ。
引きこもりには怠けもんも多いけど
正しい? 病気の人も多いの。

世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど、
メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか
前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか、
あとはPTSDとか親の共依存とか
かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。

やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。
無知だよなあ、世間のやつらは。

++++++++++++++++++

●引きこもり者更生支援施設依存症の親

IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が
施設に引き渡したらしいね。

精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない 
今の医学ではそんなもの。

本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。
原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない 

引きこもりに正面から向き合うこともなく、
病理的な勉強も怠り、
甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに
とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。 

あんたらこそ、やる気だしてみろよ
薬打って中毒になってみろよ 
病気で足を切断されて足の大切さがわかり、
元通りにならない事をはじめて認める。

どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って、
あるだろう。

自分が正常でございと思ってるすべての連中、
あんたらは
感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。
宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ!

この施設がどういう人たちがやってて、
どういうことが行われたかはわからない。
事故だったのかなんだったのかはわからない。
引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど
わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから
(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)

 親が、子どもの暴力に耐えかねて
預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。

親がこの施設に依存した。
親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。
その結果、子どもは死んだ。
これだけだ。

臭いものにはフタか?
わが子は臭いものか?
誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?

(暴力で苦しんでる家庭では、
いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。
ハロペリドールなどの精神安定剤の処方で、おおかた静まる。
それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。
相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。

ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから
気に入る医者に出会うまで何人も回ること。

わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて
やっと回復できた。

どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。
答えは「精神科は楽に儲かるから」。
(点数がいろいろ有利なのは事実)

+++++++++++++++++++++

★今日は最後に怠け者へ一言★

じじさんの言ってた、
たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。
怠け者の末路は悲惨だよ。

生活保護って制度もいつまであるかわかんない。
バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、
家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って
光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。

やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。
こういう同病者をまじかにみれるもの。

自分の明日が見れるし
いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。

ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。

これから医学はもっともっと進むよ。
病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから
病気のフリもできない。
怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ。


【宮沢Kさんへ】

 たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれば、IM
スクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。

++++++++++++++++++++

【再び、Eさんへ……】 

 ここで宮沢Kさんが、書いていることは、何かの参考になると思います。宮沢KさんのBLOG
は、今のあなたのお子さんの立場で、自分の過去の経験を語っています。あとでそのBLOG
のアドレスを添付しておきますので、一度、あなたも、のぞいてみられたらよいかと思います。

 ともかくも、『許して、忘れる』ですよ。

 あなたがこれを乗り切ったとき、あなたはすばらしいものを手にするはずです。つまり(真の
愛)がどういうものであるかを、知るはずです。今は、その試練のとき。あなたのお子さんは、
あなたにそれを教えるために、今、そこにいます。

 決して短気を起こさず、決してあきらめず!

 そうそうあなたの自殺願望ですが、これは育児にかぎらず、介護に疲れた人も、みな覚える
ものです。あなた自身も、一度、心療内科で、精神安定剤を処方してもらうとよいかもしれませ
ん。

 私も、姉に教えられて以来、女性用の精神安定剤をのんでいますが、よくききます。

 なお、あなたからのメールを、こちらで一度手なおしして、私のマガジンに掲載したいのです
が、その許可をいただけませんか。あなたであることは、ぜったいわからないように、書き改め
ます。

 よろしくお願いします。

【宮沢Kの風・BLOG】

 ここに書いた宮沢KさんのBLOGです。子どもの立場がよくわかり、Eさんの参考になると思
います。

http://kenjinokaze.livedoor.biz/archives/50669992.html

 どうか、めげないで、がんばってください。必ず解決する問題ですから。約束します。

(つづきは、Eマガのほうで。7月26日号、掲載予定)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの家庭内暴力で苦しんでいるEさんへ、

 基本的には、心の病気と考えますが、この(病気)にいたるまでに、さまざまな原因や理由
が、そこにからんでいると考えてください。

 糸が複雑にからむようにからんでいるため、それを解きほぐすのは、容易なことではありませ
ん。それこそ、乳幼児期からの糸がからんでいることもあります。

 ついでながら、乳幼児期から、(いい子)で通ってきた子どもほど、思春期を迎えるころから、
この家庭内暴力も含めて、さまざまな問題行動を起こすことがわかっています。

(そういう点でも、子どものころから、(何を考えているかわからない子ども)ほど、心配な子ども
ということになりますね。)

 で、その家庭内暴力を起こす子どもの行動には、一定のパターンがあります。

(1)限界状況の把握

 家庭内暴力を繰りかえす子どもの最大の特徴は、自ら、無意識のうちにも、限界状況を設定
するということです。つまり子どもは、「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その限界ギリ
ギリのことまではします。が、しかしそれ以上のことはしません。

 (自分に対する怒り)を、(家族)にぶつけているだけだからです。つまり本当に相手(あなたと
いう親や兄弟)を憎んでいるから、暴力行為を繰りかえしているのでないということです。(自分
でも、自分をどうしたらいいかわからない)という思いを、(怒り)に変えているだけなのです。

 そういう点では、わがままな子、あるいは、俗な言い方をすれば、「甘ったれた子」ということ
になります。それだけ、人格の核形成(コア・アイデンティティ)の遅れた子どもということになり
ます。

(2)自虐的な愛の確認

 家庭内暴力を起こす子どもは、完ぺきな愛を、家族、なかんずく母親に求めようとします。完
ぺきな愛です。「どんなことをしても、自分は許されるのだ」「愛で包んでもらえるのだ」という
愛、です。

 その点、マザーコンタイプの子どもの心理に似ています。で、その完ぺきな愛を確認するた
めに、暴力行為を繰りかえします。

 が、暴力行為を加えられるほうは、たまったものではありません。当然のことながら、(子ども
を愛したい)という気持ちと、(子どもから離れたい)という気持ちの間で、はげしく葛藤します。

 その葛藤の間げきをついて、子どもは暴れます。たとえば親が、「病院へ一度、行ってみよう
か?」「そんなに私(=母親)が嫌いなら、私は、この家から出て行こうか?」「ひとりでアパート
に住んでみる?」などという言葉を口にすると、突然暴れ出す子どもが多いのは、そのためで
す。

 子どもは、その一言に、大きな不安を覚えることになります。

(3)二面性

 家庭内暴力を起こす子どもについて、多くの親たちが、「どうして?」と悩んでしまうのが、二
面性の問題です。

 はげしく暴れながらも、それが収まったようなときには、別人のようにやさしくなったり、親をい
たわったりします。

 実はそうした二面性は、暴力行為を繰りかえしている最中でも、それがあります。ある男性
は、こう言いました。彼は高校時代から青年期にかけて、その家庭内暴力を繰りかえしまし
た。

 「親を殴りつけている間も、もう1人の、別のぼくが自分の中にいて、『やめろ』『止めろ』と叫
んでいた」と。

 そこで私が、「では、どうしてそのとき、暴力をやめなかったのだ?」と聞くと、その男性は、こ
う言いました。

 「やめようと思っても、もう1人の自分が、どんどんと勝手に怒ってしまった」「途中でやめる
と、かえって、自分がへんな人間に見られるようで、できなかった」「自分でも、どうしようもなか
った」と。

 で、その男性のばあい、家庭内暴力をやめるきっかけになった事件があったそうです。

 ある夜のこと。その男性は、いつものように自分の母親を殴ったり、蹴ったりしました。で、そ
のあとのこと。その男性が、いつものように家を出ようとしたところ、(本当は出るつもりではな
く、庭先にあるガレージの二階に行こうとしたのですが)、母親がその男性を追いかけてきて、
「出て行かないで」「どこへも行かないで」と、泣きながら懇願したそうです。

 それを見て、その男性は、自分にそんなことまでされて、なおかつ、「出て行かないで」と泣き
叫んだ母親に、自分が求めていたものが、それだったと気がついたというのです。以後、その
男性は、それまでの男性とは別人のように、穏やかになっていったそうです(母親談)。

(4)緊張状態

 子どもが暴れるメカニズムは、つぎのようです。

 基本的に、子どもの心は、極度の緊張状態にあると考えます。この緊張状態が、日常的に
悶々とつづいています。

 この緊張状態の中に、不安(将来への不安、現実への不安、孤独への不安など)、心配(将
来への心配)などが入りきんでくると、それを解消しようと、心の緊張状態が、一気に倍加しま
す。

 それが突発的な暴力行為へと発展します。

 ですから、このタイプの子どもについては、(1)緊張状態の緩和を心がける、(2)不安や心
配ごとを持ちこまないということになりますが、ふと言った言葉が、キーワードになり、それが子
どもを激怒させるということも、少なくありません。

 これはある年長児の女の子の例ですが、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声をかけた
だけで、激変し、あるときは、母親に向かって、包丁まで投げつけたといいます。

 そこで対処のし方ということになります。

 今ではすぐれた薬もあり、またこうした心の病気に対する理解も深まってきましたから、決し
て、ひとりでは、悩まないこと。本人は、なかなか行きたがらないかもしれませんが、よく説得し
て、一度、心療内科の医院を訪問してみることが、第一です。

 つぎに子どもが暴れだしたら、説教したり、自分の意見を述べたりするのは、タブーと心得ま
す。かえって火に油を注ぐようなことになりかねません。ですから、「ごめんなさい」とだけ言い、
それを、どんなことがあっても、繰りかえします。子どもが意見を求めてきたようなときでも、「ご
めんなさい」とだけ言って、それですまします。

 「子どもが暴力行為を始めたら、家から出て、逃げろ」と教える指導員もいるようですが、私
は、反対です。

 そのときはそれですむかもしれませんが、つぎのとき、それが理由で、また暴力が始まること
が多いからです。「この前の夜は、ぼくを捨てて、家を出て行ったではないかア!」「どうして、オ
レを捨てたア!」とです。
 
 Eさんの息子さんが、ソファにライターで火をつける行為も、「火をつけて家を燃やしたい」から
ではなく、「オレをひとりにしておくと、オレはたいへんなことをするぞ」「だからオレをひとりにす
るな」ということを、あなたに伝えたいからです。またそう解釈すると、あなたのお子さんの心理
が、より理解できるのではないでしょうか。

 この問題の根底には、根深い、相互の不信関係(基本的不信関係)がからんでいます。そし
てそれは、どこかにも書きましたが、子どもが、乳幼児期に始まります。

 本来なら、子どもは、親に向かって、言いたいことを言い、したいことをしながら、そのつど自
分を発散しながら成長するのが、好ましいのですが、それができなかった。それが回りまわっ
て、子どもの心を、ゆがめてしまった。それが今、はげしい暴力行為となって、家庭の中で起き
ている。現状を解説すれば、そういうことになります。

 で、家庭内暴力を経験した子ども(おとな)は、みな、こう言います。

 「あんなことをしたのに、親は、自分を見捨てなかった」「それが自分を立ちなおらせるきっか
けになった」と。

 反対に、そうでないケースも、少なくありません。親のほうが、根をあげてしまい、子どもを施
設へ送ったりするようなケースです。それぞれの親には、それぞれの、やむにやまれない事情
もあるのでしょう。が、それをするのは、最後の最後。またそれをしたからといって、この問題
は、解決しません。

 さらに二番底、三番底へと、子どもは、落ちていきます。

 しかし心の病気と考えれば、気も楽になるはずです。しかも、この病気だけは、必ず、なおり
ます。そういう病気です。ですから、どうか、短気だけは起こさないでください。ただ家庭内暴力
にかぎらず、どんな(心の病気)もそうですが、1年単位の時間はかかります。それは覚悟して
おいてください。

 許して、忘れる。

 その度量の深さによって、あなたのお子さんへの愛情の深さが決まります。子どもを投げ出
したとき、あなたは、親として、はげしい敗北感を味わいます。ですから、決して、投げ出さない
こと。

 谷が深ければ深いほど、そのあと、あなたと息子さんは、すばらしい親子関係を築くことがで
きます。それを信じて、前に進んでください。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【アルバムの効用】

 子育てをしていて、苦しいことや悲しいことがあったら、アルバムをのぞくとよいですよ。ある
いは、アルバムを、家の中心に置いてみてください。

 アルバムには、私たちが想像する以上の力があります。理由は簡単です。そこには、楽しか
ったとき、うれしかったときが、凝縮されているからです。

 ぜひ、Eさんも、一度、ためしてみてください。それだけで、心が軽くなるはずです。お子さんへ
の、愛情も、それで取りもどせるはずです。ひょっとしたら、お子さん自身も、です。

++++++++++++++++

原稿を一作、添付します。
(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++

● 子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置け!)

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

● 成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成
長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。

ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃ
んだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なの
だ。

一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男
児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まず
いない。

哺乳ビンを見せながら、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、たいてい
「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境にして、
子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、
「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長
児にならないとわからない。

が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理
解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思
議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい
た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを見ていた。

つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらいときを、
写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。
が、それだけではない。

冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や
母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それは子ども
にとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、私はあのとき感じ
たショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真を見たときのことだ。「これ
がぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあっ
た。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んでいた。

それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師
のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムを見入っ
ているのを知った。

ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そしてそのあと、
つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は
気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよ
い。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィー
ク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達な
ため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期に
わたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかしメルツォ
フらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということに
なる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場
所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。これは
記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわ
かりやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を
利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だちを泣
かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カバンを投げつ
けたりしていた。どの先生も手を焼いていた。

が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私は
すかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合ったので、私
はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルはワルのままだった
が、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いな
がら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなたはよい
子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがって幼
稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「いやな子ども」と
思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わってしまっていた。人
間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。つま
りあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思うようになる。いやな
人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うようになる。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か月となる
と、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間をかけて、必ず相手
に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年もつ
きあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職場を楽しくする
ためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてか
らだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚
えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」を口グセ
にする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、だめな子」と思
っているなら、なおさらそうする。

最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思議なもの
だ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いていくからだ。が、そ
れだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相手が子どものときはなお
さらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボンや
服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくるのだ。ふつ
う下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意外だった。そこ
で調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。

母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんの
ものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。そ
こでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュースが
あるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろうか。もしそうな
ら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほうがよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 前向
きな働きかけ 強化の原理 子どもを伸ばす 伸びやかな子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日
も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期
末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと
思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には
穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室
に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動
かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわか
る。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」
と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったと
き)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転して
いるのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)というこ
と。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろう
か。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷
静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあ
なたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しな
いためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 受験
の再現)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

もう1作、添付します。
「家族」の重みについて書いた原稿です。
あくまでも参考のために。
(2009年3月に書いた原稿より)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

ある母親からの相談(A letter from a mother)



A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-
divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to 
go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced 
soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn't care to 
be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.



+++++++++++++++



広島県のEさんから、こんな

相談が届いています。



掲載許可をいただけましたので、

みなさんと、いっしょに、

Kさんの問題を考えてみたいと

思います。



どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。



+++++++++++++++



(家族関係)



Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。

夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。



Eさんには、2人の息子がいる。

長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。

そのため、夫は、次男を連れて、家出。



次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。



まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを
責めている。



+++++++++++++++



【Eさんより、はやし浩司へ】



次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。 

現在、次男は、中学3年生です。



次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。



住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で1
0分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。 



はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。
中学校の友だちには、そう言ってます。



学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになっ
たからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎
えにいくことになりました。 



現在、私は父親と絶縁しております。 

その実家には、母親しか住んでいません。 



去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。 

父も、母も、現在、80歳を過ぎています。

調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 



父の職業は、大工でした。



父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行
をしたそうです。 



現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。 



母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 

父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。 



当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころ
では、なかったようです。



ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドン
という時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。 



建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、
それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。 



やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。



父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人で
す。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。 



母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それ
を思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。



そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後は
のんびり暮らせるはずだったのです。 



が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲
気が一変してしまいました。



父は、私の夫を尊敬していました。 

夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。



無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 

父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の
修繕をやったりしていました。 



主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。



父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなっ
たのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を
責めたりします。



私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度
も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連
れ出そうとしたりしました。



私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。 



姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうこ
とにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。



そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していき
ました。 



父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。 



そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てに
は、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分け
て、離婚したらいい」と、勧めました。 



私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父は
アパートを借り、実家を出て行きました。

居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。 



でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 

そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。 



長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきまし
た。



実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようで
すが、今は、ひとりで、気ままにやっています。 



そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。 



結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑から
も疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。 

今まで通院していた病院に行くためです。 



保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 

そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己
否定で、身動きができなくなってしまいます。 



こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われ
るかもしれません。



私は離婚するつもりでいます。

子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。



それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 

今はもう、くたくたなんです。 



自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯で
す。



いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今
の私は、ボロボロになってしまいます。



息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。

夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。



そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れ
ていくであろう自分を待つ状態です。 



それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。 

その責任は、感じます。



過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 

やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 

だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいので
す。 



父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、
「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。



そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 

でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできませ
ん。 

だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 



父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。

認知症も進んでいるしね。 

病気のせいだと思っておくよ。 

今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 

私たちは、困った親子になったもんだね。 



なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当
に読んでください。



この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 



で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりか
じっています。



しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。

さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。



今までの悪仲間とは縁を切ったようです。

今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。

精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。



何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。

次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。



夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。

長くて申し訳ありません。

よろしく御願いします。

(広島県、Eさんより)



+++++++++++++++++



【はやし浩司より、Eさんへ】



 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族
であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧
感、束縛感ではありません。



 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷
り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。



 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂
うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いて
います。



 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、
今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読め
なくなりました。



 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。



 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、
今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることで
す。



 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫との
からみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちば
ん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしま
っている!



 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両
親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、
見放すこともできない。



 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょ
うか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」
「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。



 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しか
しそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。



 が、ここが正念場。



 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。



 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかっ
てくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。



 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てや
る」と考える。



 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。
あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。



 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許し
て、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこ
の先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。



 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのか
ということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいま
す。



 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻
惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができな
い。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思
います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できな
い。



 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦
しんでいるのが、長男なのです。



 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を
見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。



 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでし
ょうか。



 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえ
ている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子
どもたちが、もがき、苦しむのです。



 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この
言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかも
しれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。



 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しい
ものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与え
ていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。



 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていき
ます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペース
で、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいこ
とをすればよいのです。



 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題で
す。



 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動か
し、見て、聞いて、ものを話しているということ。



 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、
聞いて、ものを話しているということ。



 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問
題です。



 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なこ
とは、その(価値)を実感することです。



 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろと
いうほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂の
ように思えてきます。



 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。



 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなた
たちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。



 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。



 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自
然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでア
ホな、両親や夫のことは忘れなさい。



 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってし
まいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを
知ります。



 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表
からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの
子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。



 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それ
を信じて、恐れず、前に進んでください。



 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。



 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてくださ
い。楽しいですよ。



 では、今日は、これで失礼します。



 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。
多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題を
かかえていますから……ね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(家庭内暴力)

●KWさんへ

 まだまだお伝えしたいことがありますが、今日はここで失礼します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 家庭内暴力)








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【3】
【よく泣く子ども】

+++++++++++++++++

幼稚園でよく泣く子どもについての
相談があった。
群馬県のO市で、幼稚園教諭をしている
TS先生という方からのものだった。

+++++++++++++++++

【TS先生より、はやし浩司へ】

群馬県のO市で、幼稚園教諭をしているTSという者です。
現在、担任している年少3歳児K男について、ご相談させていただきます。

K男は、入園から半年が経ちましたが、保育時間のほとんどを泣いて過ごしています。
朝も泣いて登園し、自分から母親と離れることはできませんが、幼稚園を嫌がったことは一度
もないそうです。

1学期は、身の回りのことが自分でできないことで不安になっているのではと思い、衣服の着
脱や身支度の仕方などを根気よく教え、自分でできることも少しずつですが増えてきました。
その成果といえるかどうかわかりませんが、片づけ、手洗い・うがい、おやつや給食の準備、
帰りの支度は、泣かずに自分でできるようになりました。
しかし、それ以外の場面では、私から離れることができず、泣き続けていて、遊びもほとんどで
きません。

夏休みに夏祭り盆踊りがあり、保護者が準備をしてくれている間、他の職員が、子どもたち(異
学年・異クラス混合)を集めて、近くの児童館に連れて行く機会がありましたが、そのときもみ
んなと行けず、私と一緒に過ごしました。私と、1対1でかかわっている時には、泣きませんし、
ちょっとした悪戯もするくらい元気です。こちらの言っていることの理解もできますし、おしゃべり
もいっぱいするので、いつも集団の中で泣いている姿しか見ていない他の先生たちは、驚いて
いました。

2学期が始まると、さらに泣きがひどくなり、「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰りは、並
ぶ?」など、先のことを心配して、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣いています。
私も、できるだけ不安にならないように、そばにおいたり、見通しをもたせたりするようにしてい
ますが、常に大きな声で泣いているので、正直なところ私もストレスになりますし、他の子たち
も活動を十分楽しめないのではないかと思います。

母親に話を聞くと...
母親と2人だけでは外出することはできず、出かける時は、必ず祖父がK男の手を引いてい
く。
家庭訪問で私が指摘するまで、みんなと同じ食卓で食事をすることを嫌がるため、一人で別の
部屋で食事をさせていたとのことです。

分離不安? 集団恐怖症? 何かあるのでは??と思うのですが、どうでしょうか。

母親は入園前から、パートの仕事をしていて、留守中は祖母と留守番ができるそうです。
母親が虚弱という話も聞いたので、入院するなどして母親と離れた経験がないかも聞いてみま
したが、ないそうです。

K男に付いてもらえる職員はいないので、担任の私がかかわるしかないのですが、今まで以上
に安心できるように寄り添った方がよいのか、必要以上にかかわり過ぎない方がよいのか、ど
のような姿勢でかかわっていったらよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。

家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児です。

【はやし浩司より、TS先生へ】

 私もいろいろな子どもに接してきました。
最初の半年間(実際には3か月ほど。以後、少しずつ机に向かって座ることができるようになっ
た)、机の下で、机の脚にしがみついてレッスンを受けていた子ども(年少児)がいました。

 下の子どもが生まれてから、はげしい赤ちゃん返りが起き、慢性的な発熱症状(年長女児)
を示した子どももいました。
母子分離不安で、母親の姿が見えなくなっただけで、錯乱状態になった子どもの例となると、
無数にあります。
幼児の世界は、TS先生がお気づきのように、実に複雑で、しかもいろいろな原因や症状が複
合してしますので、こうした問題が起きたら、からんだ糸をほぐすような作業が必要になりま
す。
短絡的に、「対人恐怖症」「これは赤ちゃん返り」「情緒不安」とかいうように結びつけることは、
たいへん危険です。
(あとで述べますが、家庭環境からして、「対人恐怖症」による症状のひとつということはじゅう
ぶん、考えられます。)

 基本的には、幼児は、何か心に大きな問題をかかえると、それを代償的に解消しようと、つ
ぎの4つの行動のどれかを取ると考えてください。

(1)攻撃型(たとえば下の子どもを、「殺す」寸前までのことをする。)
(2)同情型(相手に同情を求め、弱々しい自分を本能的な部分から演ずる。演技と言うより
は、それが常態化しているため、意識的行為と言うよりは、無意識的な行為。メソメソと泣いて
見せるのも、そのひとつ。)
(3)依存型(だれかに極端に依存することによって、心の問題を解消しようとする。)
(4)服従型(ほとんど何も考えず、親や教師の言いなりになり、言われた通りに行動を繰り返
す。)

 以上は、心理学の本などに出てくる定型的な症状ですが、このほかにも、(5)内閉型(カラの
中に閉じこもってしまう)というのも、私は経験しています。
さらに同じ、同情型、依存型でも、暴力性を伴った攻撃型同情型、攻撃型依存型というのも経
験しています。

●一般論として

 またこういうケースのとき、親自身が気がついていないところで、子どもの心を傷つけている
というのも、多々あります。

(親には、自分にとって都合の悪いこと、あるいは責任があることについては、心の隅に置き、
封印してしまう傾向があります。
たとえば分離不安についても、ささいなことで、そうなります。
たとえば母親がたった3日、入院しただけで、そうなった子ども(2歳男児)がいます。
私がそれを指摘すると、「たった3日ですよ!」と、反論していました。
遊園地で迷子を経験しただけで、分離不安になってしまった子ども(3歳児)もいるくらいですか
ら……。)

 話を先に進める前に、「よく泣く子ども(日本では、「夜泣き」「疳の虫」という)」については、ア
メリカでもよく問題になっています。
そのためいろいろな「方式」が考えられています。
その中でも「ファーバー方式」というのは、とくによく知られています。
K男君のケースとは、直接的には関係ないと思われますが、参考までに、ここに原稿を添付し
ておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

●ファーバー方式
 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのがある。
それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名前をいう。
(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, and 
haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your baby will 
help your child sleep through the night and will help you from going mad from lack of sleep. 
Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has come up with a method 
guarantee to get your child sleeping through the night. 

 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。

The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their babies 
cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". Although the 
Ferber method does work for some parents, others think that it is to rigid. It is important to 
read the book and to decide for yourself. Some of the mothers in my classes have modified 
his method to fit their schedules and tolerance levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」前に、あ
る程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバー方式
を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the family. So
me parents cannot bear to hear their children cry for extended periods of time. Ferber 
states in his book that in order for his approach to work it is very important to stick with 
the routine. There are no exceptions unless your are traveling , your child is sick or you 
have company at your house. If you disrupt your babies sleep schedule and they start to 
wake up during the night again you will probably have to referberize the child. 

ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのままつづけ
ることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないといいま
す。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起きなけれ
ばならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you put 
your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep while he/she is 
still awake is very important and this will teach them to go to sleep on their own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを寝さか
せ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、赤ちゃんが
自分で眠ることを教えます。

Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize them. 
Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with his/her sleeping 
when you start the method. Once your child is in bed leave the room and if she/he cries, 
wait a certain amount of time before you check on your child again.(the waiting time is 
outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよいと言っ
ています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your child but do 
not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your voice. Gradually increase 
the amount of time between the visits to your child's room. Eventually (usually within a 
week) your child will realize that crying means nothing more than a brief check from you. He 
or she will learn to sleep on his/her own through the night and you will also get the sleep 
that you have been deprived of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended periods 
of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will get them nowhere. To 
ferberize or not ferberize is a decision that only you and your partner can make. Here's 
what some parents are saying about the Ferber Method.

ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式は、赤ち
ゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より
 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)の指導法として
も、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育児書」
が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の多くは、書
店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」に対する認識の
違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という考え方が強く、一
方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、もう
一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 months 
old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your child but 
do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少なくとも五ヶ月に達
していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈できるのですが……

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(ファーバー方式)

●基本的信頼関係

 K男君(3歳児)の症状からすると、基本的には、(1)対人恐怖症があり、(2)母子間におけ
る基本的信頼関係の構築に失敗した子どもと考えられます。
子どもの側からみて、0歳期に絶対的な安心感を得られなかった。
一方、母親側からみて、絶対的な受け入れをしなかった。
「絶対的」というのは、「疑いをもたない」という意味です。

 対人恐怖症を疑うのは、K男君の家庭環境からです。
「家族構成は、両親 祖父母(母方 別姓) 曾祖父母 本児」ということですから、かなりの過
保護、過干渉、祖父母による溺愛などが、想像できます。
つまりK男君は、(ものわかりのよい、実に温室的な家庭環境のみの中で育てられた)という印
象をもちます。
俗にいう『温室育ち、外で風邪を引く』というのがそれですが、このタイプの子どもにとっては、
集団教育の場は、まさに「野獣群れなす、野生の世界」ということになります。
対人恐怖症になってもおかしくありません。
別の形で現れるのが、いわゆる場面緘黙症ということになります。

 泣きながら、抑圧された心を発散させる……。
そういう点では、場面緘黙症よりは、予後はよいということになります。

●ついでに……

 最近の研究によれば、人間にも刷り込み(インプリンティング)があることがわかってきまし
た。
0歳から7か月前後までがその期間と言われています。
「敏感期」と呼ぶ学者もいます。

 この時期の母子関係がいかに重要かが、これでよくわかります。
つまりこの時期に、子どもの側からみて、何らかの理由で、「絶対的な安心感」を覚えられるよ
うな家庭環境ではなかったということが、考えられます。
それが遠因となり、強迫症、潔癖症、完ぺき主義へと進んだと考えられます。

 引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者もふ
えています。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、このころの基本的信頼関係の構築が失敗す
ると、おとなになってからうつ病などの病気を起こしやすくなるというようなことを論文で発表して
います。

 いわく『九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子ど
もは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子保健
情報54・06年11月)を形成する』と。
さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあ
るという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 乳幼児期における母子関係がいかに重要なものであるかは、いまさら言うまでもありませ
ん。

 K男君のケースでは、まずこの母子関係の不全、あるいはその時期の育児の失敗を考えて
みます。
「母親の運転する車に乗せて2人で外出することはできず……」という部分が気になります。
ほかに何か理由があるのかもしれませんが……。

●強迫性障害

 乳幼児にも強迫性障害はあります。
母子分離不安がその典型的な例です。
(母親の姿が見えない)→(「捨てられるのではないか」という極度の不安状態になる)→(突発
的に錯乱状態になる)

 このばあい、私は私の観察から、プラス型とマイナス型に分けて考えています。

 大声をあげ、泣き叫びながら母親のあとを追いかけるのを、プラス型。
極度の不安状態になってしまい、オドオドと混乱状態になってしまうのを、マイナス型。

 K男君のケースでは、本来、そうした強迫性障害、あるいは不安障害も考えられますが、泣
き方を観て判断します。
で、もしそうであれば、本来、こうした障害は、母親に起因します。
K男君の下の子ども(弟or妹)がいないということなので、今回は、赤ちゃん返りは除外します。

(世間一般の人は、赤ちゃん返りを軽く考える傾向がありますが、これはとんでもない誤解で
す。
子どもの心を基本的な部分でゆがめ、症状がこじれると、さまざまな障害を引き起こします。)

 が、その母親に対して、自分の欲求不満をぶつけることができない。
理由は、母親自身にあると考えられます。
母親自身が、心の閉じた女性(同じく乳幼児期に基本的信頼関係の構築に失敗した)か、ある
いは、何らかの障害(自閉症、緘黙症、アスペルガーなど)をもっている。
さらに言えば、子どもへの愛情が欠落している。
(実際、自分の子どもに愛情を感じていない母親は、7〜10%もいる。
母親の表面的な演技には、惑わされないように!)

 そこでK男君は、慢性的な愛情飢餓状態を代償的に解消するために、つまり母親代わりに、
あなたという教師に、愛着行為をぶつけているということになります。
(祖父母たちと同居していて、愛情飢餓……というのもおかしいと思われるかもしれませんが、
基本的信頼関係は、あくまでも母子間の1対1の関係で構築されるものです。)

 が、あなたとて、ほかに20人前後の幼児をかかえている。
そこでK男君は、(泣くこと)によって、自分の感じている不安を解消しようとすると同時に、懸命
に、あなたの同情を誘導している。
つまりそういう点では、先に書いた、「攻撃型同情型」ということになります。

 あなたが自分の(範囲)にいる間は、静かに落ち着いている。
しかしそうでないときは、そうでない。
錯乱状態になる。

 こうした一連の行為は、本人の意図的な行為というよりは、本能的な行為に近いので、叱っ
たり、説教しても、意味はありません。
赤ちゃん返りを思い起こしてみてくだされば、それがわかると思います。
6歳児が、赤ちゃんぽい言い方で、おしっこを漏らすなど。
つまり本能的な部分で、「嫉妬」がからんでいるため、簡単には治らない(=直らない)というこ
とです。

 で、K男君のばあいは、どうでしょうか。
泣き方を観察してみると、それがわかるのですが……。
ただシクシクと泣くだけなのか?
それとも、錯乱状態になって泣くのか?

●私の経験から

 数年前ですが、Uさん(年少女児)がいました。
レッスンのときにも、体がこわばっているのが、よくわかりました。
緊張性対人恐怖症と考えていました。
「とくに男の人がこわいみたい」と母親は、よく言っていました。
(そういう点では、対人恐怖症ということになりますが……。)

 母親に横に座ってもらったり、あるいは抱っこしてもらったりしました。
が、何かの拍子に、(たとえば自分の作業が遅れたりすると)、そのままメソメソと泣き出してし
まいました。

 で、こういうときは、『涙は、脳の汗』と考え、私は無視します。
あれこれと理由を聞いても意味はないし、なだめても、これまた意味がありません。
本人にも、泣いているという意識がありません。
また「泣くことが悪いこと」という意識もありません。

 ただそういうときは、母親に手を握ってもらったり、あるいは抱っこしてもらうように指示しまし
た。
幸い、母親が、たいへん理解のある、心のやさしい人でした。
ほかの親たちも参観していましたが、ほかの親を気にせず、子どもの立場で子どもの心を守っ
ていました。

 その子どもは年中児になるころには、泣く回数もぐんと減り、さらに夏を過ぎたころには、自
分のほうから手をあげ、意見を発表するようになりました。
それをみなで、何度もほめました。
以後、急速に症状は改善しました。

 で、今から思うと、原因のひとつが、姉にあったのではないかと思います。
姉もやさしい子どもでしたが、しかしそれは表面的な姿。
裏では、結構、妹をいじめていたのではないか?
今になって思うと、そんな気がします。
(反動形成により、よい兄、よい姉を演ずるケースは、たいへん多いです。)

●母親指導はタブー

 今、K男君は、母親代わりに、あなたに愛情を求め、自分の心の隙間を埋めようとしていま
す。
心理学的には、いろいろな用語で説明できますが、ここで重要なことは、しかし今、ここであな
たがK男君を突き放してしまうようなことをすると、K男君は、確実に、心をゆがめるということ
です。
不登園児になる可能性も高いです。
よく知られた症状に、ツッパリがあります。

 子ども(幼児)は、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、たいへんもろい。
私が経験した中で、ツッパリ症状の出た子どもで最年少は、小学1年のI君でした。
それまでは両親の間で、川の字になって寝ていたのですが、小学1年の夏休みに子ども部屋
を作ってもらい、そこでひとりで寝るようになりました。
とたん、あのツッパリ症状です。

 鋭い横目で人をにらんだり、独特の歩き方、そして暴力的暴言。
そこで母親にそれを話し、以前のように再び、川の字で寝るようになったとたん、症状がウソの
ように消えてしまいました。

 原則として、今はたいへんかもしれませんが、「私は母親代わりをしている」という意識をも
ち、K男君に接するしかありません。
時期的には、満4歳6か月の、幼児期前期から後期への移行期までつづきますが、それ以後
は自立心が育ち、徐々に、先生から心が離れていきます。

(本来なら、母親が、その役目をしなければならないのですが、仕事をもっていること。
また母親自身の心理状態、情緒問題などがわからないので、ここでは考えないことにします。
またこうした問題を、直接、母親にぶつけるのは、タブーと考えてください。
いわんや、強迫観念、母子分離不安、不安障害などの専門用語を口にするのは、タブー中の
タブーです。
そうした用語を口にできるのは、ドクターだけ。
小学校の先生でも、それで、クビが飛んだケースもあります。

 母親のほうから相談があれば別ですが、教師のほうから問題を提起するのも、タブーです。
いらぬ混乱を招くか、あるいはばあいによっては、園長を巻き込んだ騒動に発展します。
私も何度か、……数え切れないほど、そういう苦い失敗をした経験があります。

 『子どもを直すより、親を直す方がむずかしい』と考えてください。
つまり教師は、教師のできる範囲で、懸命にし、それですますということです。
たいへんきびしい言い方をしますが、私たちのできることにも、限界があるということです。

 たとえば最近も、明らかに母親の過関心、過干渉が原因で萎縮してしまった子ども(年長女
児)がいました。
が、そういう母親にかぎり、「私がぜったい正しい」「子どものことは、私がいちばんよく知ってい
る」と、私の言うことに耳を傾けようともしません。
むしろ反対に、「伸び伸びと明るい子ども」を、「できの悪い子」「しつけがなっていない子」と決
めつけてきます。

 で、入会して数か月もたたないうちに、「このクラスでは、ほかの子どもに圧倒される」という
理由で、そのまま去っていきました。

 こういうケースのばあいで、もう打つ手なしです。
「そうですか、ごめんなさい」という言い方をし、後ろ姿を見送るしかありません。

●K男君

 現在の家庭環境からすると、母親の協力を得るのはむずかしそうですね。
それにK男君自身が、先にも書いたように、母親に対して、ある種の恐怖心をもっているように
も感じられます。
つまり「おかあさん……」と言って、心を開いて甘えられる環境にないということです。
全幅的に心を開くことができない……。
つまり基本的信頼関係の構築に失敗しているというわけです。
(本来なら、そういうことができればよいのですが……。)

 ただ回避障害による症状とは、ややちがうかもしれません。
引きこもり的、あるいは場面かん黙性があるなら、回避性障害も疑われます。

 では、どうするか……。

 母子分離不安に準じて、つぎの2つに心がけてみてください。

(1)求めてきたら、すかさず愛情表現をして返す。
ほどんどの子どもは、ほんの瞬間(10〜30秒)、ぐいと抱いてあげるだけでも満足し、体を離
します。
(ばあいによっては、数秒で、すみます。)
子どもは、相手の愛情を試すためにそうします。
そのとき「あとでね」「忙しい」は、禁句です。
求めてきたら、すかさず、です。

(2)温かい無視を繰り返す。
いつも目を注ぎながら、愛情をこめて無視します。
子どもが何かの行動をしているときなど。
子どもの心は敏感です。
おとなが考えているより、はるかに敏感です。
相手のわずかな視線の動きをとらえ、相手の心の状態を判断します。
愛情だけは忘れず、温かく無視します。

●情緒障害

 もちろん何かの情緒障害も疑われます。
強迫性障害(「おしっこが出たらどうしよう」「今日の帰りは、並ぶ?」など、先のことを心配し
て、何度も何度も同じことを繰り返し言って泣く)、不安障害、恐怖症、対人恐怖症(児童館に
連れて行く機会があったが、みなと行けなかった)、神経症(おしっこの心配をする)、自閉症ス
ペクトラム(集団の中で引きこもってしまう)などなど。

しかしそうであっても、これらのほとんどは、年長期(幼児期後期)にかけて、脳が発達すると同
時に、脳そのものの機能的な発達とともに、症状は改善していきます。
(ADHD、場面かん黙は、小学3年生前後で、改善に向かいます。)
大切なのは、症状をこじらせないことです。
こじらせると、あとあとの立ち直りが難しくなります。

 あとは食生活の改善です。
海産物の多い食生活(Ca,Mg,K)に切り替える。
それだけでも、情緒不安症候群は、かなり改善します。
日常的に、甘い食品(白砂糖の多い食生活、たとえばアイス、ジュース類)が多いと、低血糖に
なり、情緒が不安定になります。
昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士を作る』と言われています。
また戦前は、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。
詳しくは、また「はやし浩司 砂糖は白い麻薬」で検索してみてください。
いくつかをヒットするはずです。

 以上ですが、あくまでも私の意見は、参考程度にとどめてください。
実際の子どもを観ているわけではありませんので……。
またそのため、話があちこちに飛んでしまいました。
どうかお許し下さい。

 同じ指導者の立場として、最後に一言。
何かのついでにそういう話になったら、K男君の母親の過去をさぐってみるとおもしろいです
よ。
K男君の母親の家庭環境、母親とそのまた母親(祖母)との関係など。
幼児教育の奥の深さがわかってもらえると思います。
K男君は、「家族の代表」にすぎないのですから……。
つまり現在、K男君のかかえている心の問題は、家庭環境が原因で生まれた「結果」でしかな
いということです。
つまりそういう視点をもつと、幼児教育の世界が、ぐんと広がっていきます。
それこそ「人間学」の世界まで広がっていきます。

 では、今日はこれで失礼します。
メール、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 よく泣く子ども 強迫観念 心配 
不安障害 分離不安 愛情飢餓 嫉妬 はやし浩司 先生から離れられない子ども)
2011/09/13記







 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【4】
●子どもへの対処のし方(050720) 

+++++++++++++++++++++++++

浜松市にお住まいの、NEさん(2児の母親)から、
子どもへの対処のし方についての、相談がありまし
た。

今回は、それについて、考えてみます。
(050720)

+++++++++++++++++++++++++

●子供の叱り方について


 双子の男の子の母です。春に、ようやく小学1年生になりました。年中の時に、林先生の講演
を聴き、メールマガジンの愛読者になり、もう2年目になりました。

 あの頃の自分よりは子育てに生活に余裕が生まれ、ぎこちなさや、完璧主義、過干渉は減っ
てはいます。ただすぐになおったというわけでなく、まだまだ私に問題は多く、いけないことです
が手をあげてしまったり、怒鳴り散らすという事があります。情けないのですが・・・。

 子供も小学生になり、随分しっかりしてきたように思います。

 学区の関係で10分以内で通える小学校ではなく、30分以上もかかる小学校に、毎日汗を
かきながら通っている姿は、本当にけなげに思います。学校は遠い方が丈夫になると簡単に
言ってくれますが、本人達にとっては過酷としか思えません。

 今日のような暑い日には、熱中症にならないかと心配も絶えないし、決して安全とはいえない
道中を歩かせることも、心配です。遊ぶ時間が減ることについても、親としては納得のいかな
いなどと、矛盾した思いでいます。(これは行政の文句ですね!すみません)

 本題ですが、最近S君の方が怒っても、いい加減に聞き流す傾向が強く、言うこともきかない
し、都合が悪いと聞えないふりをしたり、親の顔色をみたり、平気で悪いことを調子に乗ってや
ってのけたりと、目に余る行動が多いのです。

 私もがんじがらめに怒るつもりはないのですが、やはりちゃんとわかってほしいので、しつこく
言ったり、くどくどと話をしたり、ビンタをしたり、そのまま、だんだんと叱り方がひどくなってエス
カレートしてしまいます。

 昨日は、パパに、「そんなに追い込むなよ」とまで言われてしまいました。そのいい加減さや
調子のよさ、ズルさが私としては本当に許せないわけですが。涙を流した後、「ごめんなさい」と
いってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてまた同じことをします。甘えて手を握ってきた
り、(私はこれが生理的に許せないのですが)、怒るのも許すのも、相性があるんだなと思いま
す。

 もう片方の子供はわりに素直です。(違った面での問題はありますが)、きっと基本的に自分
に似ているのだと思います。私には適当さと、いい加減さが足りなく、子供にとってはとても窮
屈な子育てであることに違いないと思います。

 今朝、チックのような症状がでていました。あーあ。どうしたものか・・・。そして確実に私の心
から離れていくのを感じます。S君は子犬のように、始終甘えてくっついているくせに、わがまま
で言いたいことを言っています。
 
 反抗期であり、これも自立かと思いますが、どこで線をひき、どこまで干渉していいものか?
 怒られなければ、どんどんやっちゃう所もとても嫌なんですが、多少は寛大にみてる時だって
あるんです。上手く叱る心に残るケジメや正義感、やっていいこと、悪いこと上手くできるコツや
私の反省点があったらアドバイスください。

 直すって言うよりは、きっとこれから心がけていくこと、注意点ってことでしょうか、きっと私も
子供も治るってことではなく、上手くやっていくコツみたいなことだとおもうのです。

 すみません。長々と書いてしまいました。

 夏休み前、毎日イライラして怒るのかと思うとウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたくて色々な
予定を入れています。どうなるのでしょう・・・。不安です。

【 とりあげてほしいテーマをお寄せください。 】:

 教室の様子はとても参考になります。

 先生と子供との会話はいつもいきいきとして、心が温かくなります。生の声(ちょっと変?)臨
場感があるといったほうが適切ですね。子育てをしていて、いつも書いて欲しいと思うことは自
分と同じ立場でのケースや、問題解決までのいきさつなど。私はこうしたとかこういう話があっ
たとか、こういうケースではこうだったとかいう情報です。

 また先生は外国ではこういう考え方があるとか幅の広い情報です。自分がどういう子育てを
しているのかや問題点を客観的に考えることが出来ることが、とても必要だと思うのです。

【 ご希望をお寄せください。 】:

 先生も頑張ってください。(単純な言葉ですみません)

 確かに目標達成するのは大変だと思いますが。影ながら応援しつつ、私も愛読し続けていま
す!!

 先生の話は生活そのものの中に答えがあり、テーマもあり、時代を超えて感じるものがあり
ます。

 政治の話は忙しい時には省いて読んでしまうことがあり申し訳なく思ってしますが、無くしてし
まうにはもったいないと思っています。

 また、折角英語ができるので出来ない私にとっては羨ましい限り。よろしかったら子供と楽しく
英語を学ぶ方法(家庭で)参考になる絵本などありましたら紹介してくださいませんか? 自然
に学べる家庭の中で生かせるものがあったらなぁと、思うので。簡単で楽しいって程度でいい
です。(苦笑)まずは英語が楽しく思えること!

+++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ……】

 子育ては、リズムですね。親子のリズムです。そのリズムが合っていれば、それでよし。そう
でなければ、長い時間をかけて、ギクシャクしてきます。

 S君とのリズムは、あまり合っているとは思われません。恐らくそのはじまりは、ほんのささい
なことだったと思います。生後直後の、ひょっとしたら、NEさん自身すらも忘れてしまっているよ
うなことです。

 「こちらの方の子どもは、むずかしそう……」とか、そんなふとした思いが、どこかで別のリズ
ムを作ってしまいます。

 それについて書いたのが、つぎの原稿です。少し話が、それるかもしれませんが、参考にし
てください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親子の断絶が始まるとき 

●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って…
…」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大き
くなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。

が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目を
そむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返
す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されてい
るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中

あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め
ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。

しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げ
て行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休ま
る場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに(3)ふとんの中だそうだ(学
外研・九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。(1)権威主義、(2)相互不信、それに(3)リズムの乱
れ。

(1)権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべき」と考
える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾けない。「子
どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という過信のもと、
自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。

子どもについても、自分に都合のよいところしか認めようとしない。あるいは自分の価値観を押
しつける。一方、子どもは子どもで親の前では、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、
やがて心は離れる。

(2)相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配
だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなもの
だ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』というのが
ある。

つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「す
ばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなけれ
ば、そうでなくなる。

(3)リズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている姿を、思
い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子どもと歩いている
姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、

(1)あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。

しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、
要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということにもなりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語
する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そし
ておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そうだ。

子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよ
い子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子どもと、こんな会話
をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかって
いるの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子
「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

●リズム論

子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ども
が三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒
音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきにミルクを与えることに
なっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほしがる前に、哺乳ビンを子どもの
口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、子どもが泣くまでミルクを与えない親も
いる。

たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前に英
語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っても、なかな
か行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続く。子どもがおとなにな
ってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。また別の
男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズム
を変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは
容易ではない。

●子どものうしろを歩く

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決して前を歩かな
い。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」
と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬
していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問に、「はい」
と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、「母親のようにな
りたくない」は、七一・五%であった。

この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた五五%の子ども
の中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。また、では残りの約
四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。この中には、「父親を何とも
思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」
という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったも
のと思われる。

(参考)
●親子の断絶診断テスト 

 最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる……。油断は禁物。そこであなたの子育てを診
断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状態を、行動で示す。それを手がかりに、子どもの
心の中を知るのが、このテスト。

Q1
あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。
★一、二人くらいなら何となく知っている(2点)。
★ほとんど知らない(3点)。

Q2
学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休めている(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。
★親のいるところをいやがるようだ(2)。
★親のいないところを求める。親の姿が見えると、その場を逃げる(3)。

Q3
「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなたの子どもは……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどう臭そうな表情をしたり、うるさがる(1)。
★いやがらないが、ほとんど話してくれない(2)。
★即座に、回答を拒否し、無視したり、「うるさい!」とはねのける(3)。

Q4
何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあなたの心は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。
★親のほうが遠慮し、恐る恐る……といった感じになる(2)。
★拒否されるのがわかっているから、とても頼めない(3)。

Q5
休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話でよい。
そのときあなたの子どもは…。
★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。
★「行きたくない」と、たいてい拒否される(2)。
★家族旅行など、問題外といった雰囲気だ(3)。

+++++++++++++++

15〜12点…目下、断絶状態
11〜 9点…危険な状態
8〜 6点…平均的
5〜 0点…良好な関係
(はやし浩司 親子の断絶 断絶度テスト 断絶 自己診断)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ2】

 子どもは、親のリズムに合わせることはできません。となると、親のあなたのほうが、子ども
のリズムに合わせるしかないのです。

 リズムがあっていない……、それが今、起こりつつあるいろいろな問題の原因です。だから
一つの問題が解決しても、またつぎの問題が起きてきます。モグラたたきのモグラのようにで
す。

 ですからこの問題は、NEさんが、おっしゃっているように、「毎日イライラして怒るのかと思う
とウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたくて色々な予定を入れています。どうなるのでしょ
う・・・。不安です」という視点では、解決しないということです。

 解決しないどころか、やがてS君のほうが、あなたから去っていきますよ。あと数年くらいで…
…。が、それだけでは、収まらない。まさに親子断絶の、一歩手前です。

 (もう一人の子どものほうも、油断してはいけません。あなたとS君の関係を横で見ながら、あ
なたの知らないところで、別の心をつくりあげているはずです。あなたは自分では、もう一人と
はうまくいっているはずと思っているかもしれませんが、それは疑ってみてください。)

 ですからアドバイスできることがあるとすれば、

(1)あきらめなさい。「うちの子は、まあ、こんなものよ」とあきらめなさい。
(2)くだらない親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。
(3)マイナス面ばかり見ないで、よい面を見たら、すかさず、ほめなさい。
(4)完ぺき主義を捨て、関心を、子どもから、ほかのことに向けなさい。

 チックが出てきたということは、かなり親子関係が、おかしくなっていることを示します。警戒
信号ととらえてください。

 リズム論について、もう1作、ここに添付しておきます。繰りかえしになりますが、今のNEさん
には、とても、重要なことです。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育てリズム論】
●子どもの心を大切に
子どものうしろを歩こう
 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ど
もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは
騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)あなた
が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立っ
て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親
ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。

へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしてお
けいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子ども
で、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚す
る。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのように聞かれ
ると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手
の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。

別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズ
ムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるの
は容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早いほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子ど
もの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変
えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ3】

 もう一つは、親意識です。NEさん自身も、かなり親意識の強い家庭で、生まれ育っている可
能性が高いです。「親絶対教」の信者のような家庭です。

 くだらないから、本当にくだらないから、親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。親風を吹
かして、子どもを自分の支配下で何とかしようなどとは、考えないこと。もっと肩の力を抜いて、
子育てを楽しめばよいのです。

 こんな貴重ですばらしい時期は、もう2度とやってきませんよ。その時期を、NEさんは、ドタバ
タで、ムダにしている。私には、そんな気がします。

 何度も書いてきましたが、「親意識」の原稿も、添付しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【ああ親意識! されど親意識!】

●子どもの幸福に、嫉妬する親

 子どもの幸福に嫉妬する親は、少なくない。「親をさておいて、自分だけ、幸福になるとは、何
ごとか」と。「親不孝者は、地獄へ落ちる」と、子どもを脅す親もいる。

 もともと精神的に未熟な、依存性の強い親とみる。そういった未熟性に、日本に古来から伝
わる、独特の親意識が重なる。私が「悪玉親意識」と呼んでいるのが、それである。

 この嫉妬は、さまざまな形に、姿を変える。

 息子や娘に対して、攻撃的になる親。弱々しい親を演じ、同情を求める親。子どもにベタベタ
と依存しようとする親。そして子どもに対して、逆に服従的になり、言外に子どもに、「私(親)の
めんどうをみろ」と迫る親、など。

 これらのパターンが、複合化して現れることもある。貧しいフリをして、息子の同情をかい、そ
ういう方法で、いつも息子の財産(マネー)を、まきあげるなど。

 息子が、「母さん、生活はだいじょうぶか?」と、心配して電話をかけると、「心配しなくていい
よ。冷蔵庫には、先日買った、魚の缶詰が、まだ残っているからね」と。

●「産んでやった」と言う母親。「産んでいただきました」と答える子ども

 依存性の強い母親は、いつもどこかで、恩着せがましい子育てをする。無意識のうちにという
か、伝統的な子育て法を、そのまま踏襲する。

 このタイプの母親(父親も)は、子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」を、日常的に
口にすることで、子どもを束縛しようとする。

 一方、子どもは子どもで、それに答えて、「産んでいただきました」「育てていただきました」
と、言うようになる。

 相互にこうした依存関係ができたときには、親子関係も、それなりにうまくいく。たがいにベタ
ベタの親子関係をつづけながら、親は息子(娘)を、「できのいい孝行息子(娘)」と思うようにな
る。息子(娘)は、「私の母親(父親)は、すばらしい人だ」と思うようになる。

 が、もともとそれを支える人間的基盤は、弱い。軟弱。わかりやすく言えば、たがいに自立で
きない人間どうしが、たがいになぐさめあって生きているにすぎない。ちょっとしたことで、この
人間関係は、崩れやすい。

●親・絶対教

「親は絶対である」と、考える人は、多い。だれかが、ほんの少しだけ、その人の親を批判した
だけで、「(オレの)親の悪口を言うヤツは許さない」と、絶叫してみせたりする。

 それがどこかカルト的であるから、私は「親・絶対教」と呼んでいる。

 カルトだから、理由など、ない。根拠もない。「偉いから、偉い」というような考え方をする。そ
れに日本古来の先祖崇拝意識が重なることもある。

 このタイプの人に、そのカルト性を指摘しても、意味はない。反対に、「お前の考え方のほう
がおかしい」と、排斥されてしまう。相手の意見を聞く耳すら、もたない。と、同時に、それがそ
の人の人生観や哲学になっていることも多い。

 親・絶対教を否定するということは、その人の人生を否定することにもなる。だから、このタイ
プの人は、猛烈に反発する。

 「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。「お前ら、人間の道を踏みはずしている」と言った
人もいる。

 あたかもそう叫ぶことが、子どもとしての努めであるというような、行動をとる。

●犠牲心

 こうした親・絶対教の信者に共通するのは、「子育ては、親の犠牲の上に成りたっている」と
いう考え方である。「産んでやった」「育ててやった」という言い方は、そういうところから生まれ
る。

 さらにストレートに、「お前を大学へ出してやった」「高い月謝を払って、ピアノ教室へ通わせて
やった」と言う親さえいる。

 そこで問題は、なぜ、こうした犠牲心が生まれるかということ。もう少し正確には、犠牲的子育
て観が生れるかということ。

 本来、子どもというのは、一組の夫婦の愛の結晶として生れる。そしてその子どもが生れてき
た以上、その子どもを育て、最終的には、その子どもを自立させるのは、親の義務である。

 義務だ!

 その義務を放棄して、「産んでやった」「育ててやった」と言う。つまり、ここに日本型の子育て
の(おかしさ)が、集約されている。事実、英語には、そういう言い方、そのものがない。ないも
のは、ないのであって、どうしようも、ない。

●不幸な家族観

 日本独特の「家」制度は、同時に、個人の自立を、いつもどこかで犠牲にする。またその犠牲
の上に、「家」制度が、成りたっている。

 このことは、その「家」の跡取りとなった、長男をみれば、わかる。今でも、この日本には、「長
男だから……」「長女だから……」という、『ダカラ論』が、色濃く残っている。そのため、そのダ
カラ論にしばられ、悶々と過ごしている長男、長女は、いくらでもいる。

 こうした意識の背景にあるのは、親にしても、自分たちの愛の結晶としての子どもを産むとい
うよりは、自分を離れた(他者)、つまり(家)のために、子どもを作るという意識である。

 「本当は、産みたくなかったが、家のためにしかたないから、産んだ」と。

 ここまで極端なケースは、少ないかもしれないが、まったくないわけではない。が、中には、不
本意な結婚、不本意な出産をした人も多い。このタイプの人は、どうしても、ここでいう犠牲心
をもちやすい。

 「私は子どものために、自分の人生をムダにしている」「したいことも、できず、犠牲になって
いる」と。

 その理由は、人それぞれ。しかし結果として、親は、心のどこかで犠牲心をもってしまう。そし
てそれが、冒頭に書いた、嫉妬へと、いつしか変質する。

●父親の役割

 母子関係と、父子関係は、基本的には、同一ではない。それは母親は、子どもを妊娠し、出
産し、そのあと、乳を与え、命をはぐくむという特殊性のちがいといってもよい。

 一方、父親と子どもの関係は、あくまでも(精液一しずくの関係)でしかない。

 そこでどうしても母子関係は、特殊なものになりやすい。が、特殊であることがまちがっている
というのではない。たとえば人間が原点としてもつ基本的信頼関係は、良好な母子関係がって
はじめて、はぐくまれる。

 この母子関係が不全になると、子どもは、生涯にわたって、その後遺症をひきずることにな
る。

 こうした特殊な母子関係を修正し、調整していくのが、父親の役割ということになる。放ってお
くと、母子関係は、ベタベタの関係になってしまう。子どもは、ひ弱で、自立できない人間になっ
てしまう。

 父親は、そこで、子どもに狩のし方を教え、社会的ルールを教える。こうした操作を繰りかえ
しながら、子どもを、濃密な母子関係から切り離していく。

 この父親の役割があいまいになったとき、えてして母親は子どもを溺愛するようになる。それ
が相互依存関係をつくり、やがてベタベタの人間関係へと、発展していく。

●演歌歌手のK氏

 いつだったか、NHKのテレビ番組に、「母を語る」というのがあった。

 その中で、演歌歌手のK氏は、涙まじりに、こう語っていた。

 「私の母は、女手一つで、私を育ててくれました。私は、その恩に報いたくて、東京に出て、歌
手になりました」と。

 K氏は、さかんに、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言っていた。それはそ
れだが、私は最初、「Kさんの母親は、すばらしい母親だ」と思った。しかし5〜10分も見てい
ると、ふと、心のどこかで疑念がわいてくるのがわかった。

 「待てよ」と。

 「本当にK氏の母親は、すばらしい母親だったのか?」と。

 K氏は「すばらしい母親だ」と言っている。それはわかる。しかし、「産んでいただきました」「育
てていただきました」と、思わせたのは、実は、母親自身ではなかったのか、と。

 心理学でいう、「家族自我群」による束縛で、K氏をしばりあげたのは、実は母親自身であ
る、と。

 「女手ひとつ」だったということだから、苦労もあったのだろう。それはわかる。が、K氏の母親
は、そうした恩を、K氏に日常的に着せることで、母親としての自分の役目を果たそうとした
(?)。

 こうした例は、決して、珍しくない。日本人は、ごく当たり前のこととして、それを受けいれてし
まっている。よい例が、窪田聡という人が作詞した、あの『かあさんの歌』である。

 あれほどまでに、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はないと、私は思うのだが、日本人は、
こうした歌を、名曲として、受けいれてしまっている。

●家族自我群からの自立

 こうした問題を考えるとき、私たちは、どうしても親という立場だけで、ものを考えやすい。しか
し本当の問題は、このあと、子どもの側に起きる。

 「産んでいただきました」「育てていただきました」と、子どもの側が、それなりに、親に呼応し
ている間は、たがいの人間関係は、うまくいく。

 しかしその成長過程においても、子どもは、こうした家族自我群からの自立を目ざす。これを
「個人化」という。

 よく誤解されるが、個人化は、家族の否定ではない。家族との調和をいう。

 が、この個人化が、うまく進まないときがある。親の溺愛にはじまって、過干渉、過関心、そし
て過保護など。親の否定的な育児姿勢が、個人化を阻害することもある。家庭崩壊、育児拒
否、冷淡、無視、暴力、虐待なども、個人化を阻害する。

 この個人化が、うまく進まないとき、さまざまな弊害が起きる。

 その一つが「幻惑」(ボーエン)という現象である。

●幻惑

 本来、子どもが自立し始めたら、親は、自分自身も子離れを始めると同時に、子どももまたじ
ょうずに、親離れできるように仕向けなければならない。

 子離れということは、子ども自身に親離れさせることを意味する。

 「あなたは、あなたよ。あなたの人生は一度しかないから、思う存分、この広い世界をはばた
いてみなさい」と。

 子どもは、こうした親の姿勢を感じてはじめて、自分自身を自立させることができる。が、そ
れがないと、子どもは、その「幻惑」に苦しむことになる。

 親離れすることを、罪悪と考えるようになり、家族自我群の束縛と、個人化のはざまで、悩み
苦しむようになる。

 さらにその幻惑が進むと、自らにダメ人間というレッテルを張ってしまい、さらには、自己否定
するようになってしまう。

 親自身が、息子や娘に、このレッテルを張ってしまうこともある。「このできそこない! 親不
孝者め!」と。

●伝統的子育て観

 子育ては本能ではなく、学習によって、決まる。そういう意味でも、子育ては、代々と、親から
子へと繰りかえされやすい。

 そこで日本型の子育ての特徴はといえば、常に子どもが、親、先祖、家に対して犠牲的にな
ることを、美徳としてきたところにある。

 ある母親は、息子夫婦が海外へ赴任している間に、息子の財産(土地)を、勝手に売却して
しまった。

 それについて息子が母親に抗議すると、その母親は、こう答えたという。

 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースでは、親が口にする「先祖」というのは、「親」という自分自身のことをいう。まさ
か「親が、自分の息子の財産を使って、何が悪い!」とは言えない。だから「先祖」という言葉を
もちだす。

 それはそれとして、こうした伝統的子育て観が一方にあって、親は、子どもに犠牲を強いるよ
うになる。あるいはそれを強いながら、強いているという意識がないまま、強いる。

 こうして日本独特の子育て観は、代々と、親から子へと受け継がれる。今も、受け継がれて
いる。

●親子の確執

 親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。人間と人間の関係である。

 が、この親子関係が特殊性をおびるのは、ひとえに、文化でしかない。その文化が、親子関
係を特殊なものにする。

 だからといって、それが悪いと言うのではない。人間生活そのものが、その「文化」の上に成
りたっている。文化を否定すれば、人間は、原始の世界の動物に、逆戻りする。

 大切なことは、そういう人間関係に、どういう文化を乗せるかである。あるいはその基礎に、
どういう文化を置くかである。

 その文化に、ズレが生じたとき、親子の間に緊張感が高まり、それが、確執へとつながって
いく。しかも、親子であるがゆえに、その確執のミゾも深くなる。他人なら、たがいに、「はい、さ
ようなら」と別れることができる。しかし親子では、それができない。できないから、もがき、苦し
む。

 たとえば、日本人の多くは、「産んでもらった」、だから、「親のめんどうをみるのが当然」とい
う、相互依存関係をつくりやすい。

 しかしなぜそうなったかといえば、先に書いたように、そこには「家」制度がある。さらには、社
会保障制度の不備もある。最近になって、老人介護という言葉が使われるようになったが、私
が若いころには、そんな言葉すらなかった。

 子どもは親なしでは生きていかれない存在だが、老人もまた、子どもなしでは生きていかれ
ない存在であった。が、問題は、さらにつづく。

●欧米の例

 オーストラリアでもアメリカでも、親が老後の苦労を、子どもにかけないという姿勢が、社会制
度の中で定着している。またそういう社会的制度も、充実している。

 オーストラリアの南オーストラリア州でも、平均的なオーストラリア人は、つぎのような過程を
経て、人生を終える。

 結婚→子育て→子どもの独立→老後は市内のアパート(自分の家)→老人ホーム→死去、
と。

 日本の家族のように、複数世代が、同居するということは、まず、ない。興味深いのは、子ど
もが高校生くらいになると、親自身が、子どもの自立をうながすこと。同じ敷地の中に、バンガ
ローを建てて、そこへ子どもを住まわせる親も、少なくない。

 こうして親は親で、死ぬまで、自分の生活と、その生活する場(人生)を確保する。こどものた
めに自分の人生を犠牲にすることは、まず、ない。

 たとえば大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならな
いほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、自ら借金をして通う。

 が、それでいて、人間関係が希薄かというと、そういうことはない。むしろいろいろな統計結果
をみても、手をかけ、金をかける日本の親子関係より、濃密なばあいが多い。

●親自身の自立性 

 あなたと親の関係はともかくも、今度は、あなたと子どもの関係において、あなたという親は、
いつも人間として自立することを念頭に置かねばならない。結局は、そこへすべての結論が、
行きつく。

 親としてではなく、一人の人間として、どう生きるかという問題である。

 その(生きる)部分に、(親意識)を混在させてしまうと、人生そのものが、わけのわからない
ものになってしまう。よくある例が、自分の生きがいを、子どもに託してしまう親である。

 明けても暮れても、考えることは、子育てのことばかり。自分の人生のすべてを、子育てにか
けてしまう。

 一度、こういう状態になると、そこから抜け出るのは、容易なことではない。それなりに親子関
係が順調なときは、それほど問題にはならない。しかしひとたびそれが崩れると、自己犠牲心
は、被害妄想に。愛情は、憎悪へと変身する。……しやすい。

 「親をさておいて、自分だけいい生活をしやがってエ!」と、息子に叫んだ母親がいた。
 「あんたは、だれのおかげで、日本語がしゃべれるようになったか、わかっているの!」と、娘
に叫んだ母親もいた。

 息子が家を新築したことに対して、「親の家を改築するのが、先だろう」と怒った、母親すら、
いた。

 ほかにも、息子が結婚して、郷里を離れたことについて、「悔しい」「悔しい」と泣き明かした母
親もいる。「息子を、嫁に取られてしまった。息子なんて、育てるもんじゃない」と、会う人ごとに
こぼしていた母親もいる。

 こうした親たちに共通する点はといえば、つまりは、自立できない、精神的に未完成な人間性
である。

●では、どうするか?

 今まで、こうしたケースを、私はたくさん経験している。経験したというよりは、多くの相談を受
けてきている。

 その結果というか、結論を先に言えば、こうした親たちを説得するのは、不可能ということ。
先にも書いたように、カルト化している。さらにそういった生きザマ自体が、その人の人生観の
骨格にもなっている。

 それを否定することは、その人自身の人生を否定することに等しい。だからそもそも、別の考
え方を受けいれようとしない。

 で、こういうケースでは、あきらめて、納得し、その上で、妥協して生きるしかない。

 そして自分の問題としては、心理学でいう「幻惑」から、できるだけはやく自分を解放する。

 親が子どもに対して、冷たく「縁を切る」とか、それに類することを口にしたときには、それを
悩むのではなく、「はい、そうですか」と割りきる。この割りきりが、あなた自身を幻惑から解放
する。

 幻惑にとりつかれ、悶々と悩むということは、あなた自身が、すでに親がもつ親意識を、引き
継いでいることを意味する。つまりあなた自身も、すでにマザコンであるということ。そのマザコ
ン性に気がつくことである。

 なぜ幻惑に苦しむかといえば、自分自身の中のマザコン性を、処理できないためと考えてよ
い。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ4】

 あなたのお子さん、S君は、すばらしい子どもですよ。あなたに好かれようと、懸命に、がんば
っているではありませんか。あなたには、それがわかりますか。

 「涙を流した後、『ごめんなさい』といってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてまた同じこ
とをします。甘えて手を握ってきたり、(私はこれが生理的に許せないのですが)、怒るのも許す
のも、相性があるんだなと思います)という部分を、他人の目で、もう一度、読みなおしてみてく
ださい。

 生理的に許せないあなたのほうに、問題があるのですよ。わかりますか?

 もう一つアドバイスできることがあるとすれば、(わだかまり論)です。最後に、それを添付して
おきます。参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不安の原因は、わだかまり

 子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じように失敗するというのであれば、あなた自身
の中に潜む、「わだかまり」をさぐってみる。わだかまりは、あなたの心の奥に巣をつくり、あな
たを裏から操る。

 わだかまりがあるということが悪いのではない。ほとんどの人は、何らかのわだかまりをもっ
ている。わだかまりがあるということが悪いのではなく、その「ある」ことに気がつかないまま、そ
れに振り回されるのが悪い。

 望まない結婚であった。望まない子どもであった。妊娠中に大きな不安があった。実家とうま
くいっていない。不幸な家庭生活だった。生活苦がある。夫婦げんかが絶えない。夫婦関係が
ぎくしゃくしている、などなど。こうした「思い」が、わだかまりとなり、それが「子育ての不安」を
増大させる。

 ある母親は、小学一年生の男の子を、「イヤーッ!」と叫んで、手で払いのけていた。長い
間、その理由がわからなかったが、いろいろ振り返ってみると、望まない結婚が原因だったと
いうことがわかった。

 現在の夫(子どもの父親)は、その母親に対して、結婚前、執拗なストーカー行為を繰り返し
ていた。が、その母親は心のやさしい人だった。「実家に迷惑がかかってはいけない」「私ひと
りががまんすれば何とかなる」と考えて、その男と結婚した。が、そんな結婚だから、最初から
うまくいくはずがない。殺伐(さつばつ)とした結婚生活がつづいた。そこでその母親は、「子は
かすがいという。子どもをつくれば何とか、うまくいくだろう」と考えて、その男の子をもうけた。
子どもが「ママ!」とすりよってくるたびに、その母親は、無意識のまま、その男の子を払いの
けていたというわけである。

 こうしたわだかまりは、それに気がつくだけで、消えることはないが、おとなしくさせることはで
きる。そのあと少し時間はかかるが、やがて問題も解決する。そこで大切なことは、冒頭に書
いたように、いつも同じようなパターンで、同じように失敗するというのであれば、このわだかま
りを疑ってみる。何かあるはずである。
(はやし浩司 親子の確執 親子問題 ギクシャクする親子 子供への接し方)
 








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【5】
●子どもの進路について(050720) 

+++++++++++++++++++

京都府にお住まいの、HUさん(母親)から、
こんな相談のメールが届いています。

みなさんと、いっしょに、この問題を、考えて
みたいと思います。

+++++++++++++++++++


 はじめまして、ある掲示板で、はやしさんのことを知る事ができ、いろいろ読ませていただい
ています。

 現在高3の娘と高1の息子を、子育て中です。

上の娘は何でも一人で考えてキチンとこなす子なのですが、下の息子は何をするのも慣れる
まで時間がかかるので、こちらもつい口出しをしてしまいます。母子でいつも大騒ぎしていま
す。主人が転勤族なので子供達も、転校続きでしたが、今まではお友達とそのお母さん方に恵
まれ、悩む事もあまり無く過ごせてきました

 しかし息子の高校受験からちょっと雲行きが怪しくなってきました。高校入学後、部活と通学
に精一杯で、勉強を一切しなくなってしまったのです。

 第一〜第四まで落ちてしまったので、すべり止めで入学した学校ですが、後ろを振り返ったら
何人もいない状態です。受験まで分からない事があると、私が教えていました。

 学生時代、私もそんなに賢かったわけではないので、一緒に勉強しました。これを高校へ入
ってからもやるべきかそれとも放っておくべきか、迷っています。

 娘の時は一切見ていません。
 息子は言われなければ夏休みも部活だけで何もしないでしょう。それをそばで見ないふりを
するのが、彼にとって良いのは分かっています。

 でも取り返しのつかないバカになってしまいそうで、不安です。おかしいですか? 笑ってしま
いますか? 私も書いていて笑ってしまいます。でも真剣です。

 学校は進学校で、受験指導なども真剣にやってくれていますが、息子の心には響かないよう
です。受験失敗の後、いろいろな葛藤があり、それも尾をひいているのかなとも思います。息
子は必死でやった、らしいですが、母親の私の目にはその様に映らなかった。

 でも息子の話を聞くうちにこの子の限界だったのかな、可愛そうだったなという気持ちになり
ました。

 お忙しそうですのでお返事は期待していません。

 何かの機会に高校生の扱い方みたいなことを書いていただけたらと思います。アホな母でし
た。

++++++++++++++++++++++はやし浩司

 子どもは、小学3、4年生を境に、急速に親離れを始め、そのころから、おとなになるため
の、心の準備を始めます。たいていは、不安と心配、孤独と期待の、入りまざった心の状態に
なります。

 「自分が餞別される」というのは、子どもにとっては、恐怖以外の何ものでもありません。それ
に将来に対する、不安もあります。相談を寄せてくださったHUさんも、若いころ、その時代に
は、そうだったと思いますが……。

 が、たいていの親は、それに気づかない。気づかないまま、つまり子離れできないまま、その
ままの関係を維持しようとします。「まだ、何とかなる」「こんなはずは、ない」と、です。

 しかし中学生ともなると、もう子どもは、子どもではない。言いかえると、子どものある部分
は、親の手の届かないところに、行ってしまっている……。子どもというのは、そういうもので
す。

 で、この時代に、夢と希望、それに目標をもっている子どもは、幸福です。その目標に向かっ
て、前に進むことができます。しかし現実には、夢や希望すらない子どものほうが、多いので
す。いろいろな調査結果からみても、夢や希望をもっている子どもは。全体の30%前後(小学
6年生レベル)。約70%の子どもは、毎日を、そこに毎日があるから過ごしているだけというよ
うな、過ごし方をしています。

 これが現実です。

 そこで、多くの親たちは、子どもを受験にかりたてます。

 しかしここで誤解してはいけないことは、目的(?)の学校に、合格することは、ここでいう「子
どもの目的」ではないということです。学歴社会という社会が、勝手につくりあげた(目的)にす
ぎないということです。学歴社会では、それなりのメリットもあり、「目的」となりえるかもしれませ
ん。しかし「学歴があるから、どうなの?」という部分がないまま、学歴を子どもに求めても、今
の子どもたちは、それには納得しないでしょう。

 夢や希望が、ベースにあり、その夢や希望を果たすために、学歴が必要ということなら、子ど
もも、それに納得するだろうということです。たとえば医者になりたいとか、建築士になりたいと
か、あるいは科学者になりたいとか、そういう夢や希望です。

 それがないまま、ただ「勉強しなさい」「いい大学に入りなさい」と、子どもを攻めたてても、子
どもはかえって、反発するだけだということです。

 現に今、地元の中学生にしても、約60%の子どもたちは、「勉強で苦労するくらいなら、部活
動を一生懸命して、推薦で、高校へ入ったほうがいい」「進学校はいやだ。勉強しなければなら
ないから」と考えています。ある中学校の校長が、こっそりと、私にそう話してくれました。

 私たちの世代と、HUさんたちの世代とは、大きく、ものの考え方がちがいます。同じように、
HUさんたちの世代と、HUさんの子どもの時代は、これまた大きく、ものの考え方がちがいま
す。昔のように、「学歴をぶらさげて……」という時代は、終わりつつあるということです。

 (だからといって、決して、学力、学問を否定しているわけではありません。どうか誤解のない
ように!)

 で、全体としてHUさんのメールを読んで感じたことは、今の段階では、もはやHUさんに、で
きることは、ほとんどないということです。あるとすれば、現状を受け入れ、HUさんの子どもを、
信ずるしかないということです。

 実は、私の息子の一人がそうでした。こんなことがあります。その息子は、自分のHPの中
で、「ぼくは、高校時代、落ちこぼれだった」と書いていますが、(私は、決して、そうは思ってい
ませんが……)、私には、自慢の息子です。人格的には、私よりはるかにすぐれた子どもで
す。

 そのエッセー(中日新聞掲載済み)を転載しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、
ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落
とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生
も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S
よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは!
 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな
あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ
ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち
も、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(2)】

 そんなわけで、二男は、中学3年から高校3年にかけて、勉強らしい勉強は、ほとんどしませ
んでした。それを許した背景には、いろいろな理由がありますが、私は、「二男は、生きていてく
れるだけでじゅうぶん」という、強い思いがありました。

 それについて書く前に、私は、二男を、二男が幼児のときから、尊敬していました。本当で
す。

 ある朝、いつものように職場の幼稚園へ行くと、園庭で二男が遊んでいました。みなが乗る三
輪車を、うしろから押しているのです。二男の押すその三輪車を待って、10人近い園児たち
が、列をつくって待っていました。

 毎朝、二男がそれをしているものですから、見るに見かねて、ある日、私は二男にこう言いま
した。「なあ、お前、たまには、お前がだれかに押してもらってはどうだ?」と。

 すると二男は、笑いながら、こう言いました。「パパ、ぼくは、そのほうが楽しい」と。幼児のと
きから、二男は、そういう子どもでした。

 何度も、マガジンで取りあげた原稿ですが、「生きていてくれるだけでいい」と思うようになった
背景について書いた原稿が、つぎの原稿です。(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。

その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手と
いう人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思い
なおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男
は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年の
ときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのとき
も、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分
は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生
活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、
すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか
ら愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がい
た。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許し
て忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。
が、若い親にはそれがわからない。

ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の
読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将
来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてし
まう。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き
ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな
る。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。

「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることができ
るか」と。

それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感
謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の
言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦し
んでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を
楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう
書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれ
ない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 もう一つ、たいへん気になるのは、「バカ」という言葉です。それについても、こんな原稿を書
いたことがあります。どうか、参考にしてください。(最近は、YR氏の書いた「バカのxx」という本
の影響でしょうか、バカという言葉が、たいへん安易に使われるようになりました。とても残念な
ことです。が、私は、もう少し、別の角度から、考えています。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●バカなフリをして、子どもを自立させる

 私はときどき生徒の前で、バカな教師のフリをして、子どもに自信をもたせ、バカな教師のフ
リをして、子どもの自立をうながすことがある。「こんな先生に習うくらいなら、自分で勉強した
ほうがマシ」と子どもが思うようになれば、しめたもの。親もある時期がきたら、そのバカな親に
なればよい。

 バカなフリをしたからといって、バカにされたということにはならない。日本ではバカの意味
が、どうもまちがって使われている。もっともそれを論じたら、つまり「バカ論」だけで、それこそ
一冊の本になってしまうが、少なくとも、バカというのは、頭ではない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母親はこう言っている。「バカなことをする人を
バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。いわんやフリをするというのは、あくまでもフリであって、
そのバカなことをしたことにはならない。

 子どもというのは、本気で相手にしなければならないときと、本気で相手にしてはいけないと
きがある。本気で相手にしなければならないときは、こちら(親)が、子どもの人格の「核」にふ
れるようなときだ。

しかし子どもがこちら(親)の人格の「核」にふれるようなときは、本気に相手にしてはいけな
い。そういう意味では、親子は対等ではない。が、バカな親というのは、それがちょうど反対に
なる。「あなたはダメな子ね」式に、子どもの人格を平気でキズつけながら(つまり「核」をキズつ
けながら)、それを茶化してしまう。そして子どもに「バカ!」と言われたりすると、「親に向かっ
て何よ!」と本気で相手にしてしまう。

 言いかえると、賢い親(教師もそうだが)は、子どもの人格にはキズをつけない。そして子ども
が言ったり、したりすることぐらいではキズつかない。「バカ」という言葉を考えるときは、そうい
うこともふまえた上で考える。私もよく生徒たちに、「クソジジイ」とか、「バカ」とか呼ばれる。し
かしそういうときは、こう言って反論する。

「私はクソジジイでもバカでもない。私は大クソジジイだ。私は大バカだ。まちがえるな!」と。子
どもと接するときは、そういうおおらかさがいつも大切である。
  
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。

価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えれ
ばよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの
懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがして
いる「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲーム
とは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪その人はどこにいる。私たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人はどこに
いる」と。

それから三十年。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではな
いが、トルストイの「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだした。生のむなしさを
感ずるあまり、現実から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きること
そのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエール
はこう言う。

「(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第五編四
節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。

もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画「フォレスト・
ガンプ」の中でも、フォレストの母は、こう言っている。「人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ」と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋めつくす…。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に
生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。

言いかえると、そうでない人に、生きる意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も希望もな
い。毎日、ただ流されるまま、その日その日を無難に過ごしている人には、生きる意味などわ
からない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われ
たとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生き様でしか
ない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は、何も生まれ
ない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 信ずるということは、疑わないこと。あなたが疑ったとたん、あなたの子どもは、進むべき道
を、本当に、見失ってしまいます。

 そこであなたが今、すべきことは、そして、あなたの子どもに言うべきことは、こうです。

「どんなことがあっても、私はあなたの味方ですよ。どんな道をあなたが選んでも、私は、あな
たを支持しますからね」と。

 最後に、あなたの子どもは、決して、「バカ」ではありません。おかしいとも思いません。悲しい
とも思いません。すばらしいお子さんです。どうか、どうか、自分の子どもを、そういうふうに、考
えるのは、やめてください。

 今、あなたの子どもは、あなたが悩んでいる以上に悩み、苦しんでいます。外からは、それが
見えないだけです。ですからあなたがそんなことを言ったら、あなたの子どもは、どうしたらいい
のでしょうか。

 私も、M物産という会社をやめ、幼稚園の講師になったとき、母は、こう言いました。「浩ちゃ
ん、あんたは、道を誤ったア!」と。母は、ギャーギャーと電話口の向こうで、そう泣き叫びまし
た。

 そのあと私は、一週間の間、自分にこう言って聞かせなければなりませんでした。「浩司、死
んではだめだ」と。

 私は、母だけは、私を支えてくれると思ったのですが、それは、甘い幻想でした。が、もしあの
とき、母だけでも、私を支えてくれていたら、そののちの私の人生は、大きく変わっていただろう
と思います。

 今にして思えば、とても、残念なできごとでした。

 以上ですが、HUさんの何かの参考になれば、うれしいです。

 がんばりましょう! がんばるしかないのです。あとは「許して、忘れる」ですよ!
(はやし浩司 子どもの進路 子供の進路 進学指導 思春期の子供 子供の問題) 








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【6】
●ゆがむ子どもの心


+++++++++++++++


F県に住んでいる、YSさん(母親)から、
こんな相談が届いた。
転載許可がもらえたので、そのまま紹介する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


おはようございます。
前回は夫との事についての返信ありがとうございました。
今のところ、ごくごく普通に(?)過ごしています。
(腹の立つこともありますが…。)


今回は、小1から不登校中の次女(小5)のことで、少し気になることがあったので
相談させてください。


つい最近、次女がとても怖いことを言い出しました。


「ナイフとか銃とかで、人を殺してみたい。あと、魔法が使えたら一回死んでみたい。 


 一回死んで、魔法で生き返る。飛び降りるのとか楽しそう。」


とか、さらっと普通の口調で言ったんです。


「魔法が使えなかったら、生き返らないね。」って言ったら、
「魔法が使えなかったらそんなことしない。」とは言っていましたが、とても不安で
怖くなりました。


「この世がつまらない?」って聞いたら、「べつに。」だそうです。


毎日家で普通に元気に過ごしているようにみえますし、会話も普通に
しています。
他に気になるような症状などはないと思っているのですが…。
これが本音ならどうしたらいいのか怖くなってしまいました。


5年生になってからの担任が熱心(?)で、今までよりも少し学校に関する
刺激は増えているかなとは思いますが、そのせいもありますか?
学校のことを聞いてみても、特別嫌そうな顔はしませんし、イヤだと言ったことは
すぐに引いてしつこくはしていません。


最近アニメが大好きで、アニメばかり見ているのですが、(ガンツという殺し合いの
映画も見ました)、戦いモノがあったりもするので、その影響?とも思ってはいますが…。 


半年ほど前にも「火をつけてみたい。」と言ったことがあったので、
次女の心の中はどうなっているのかとても不安です。


どうぞよろしくお願いいたします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧は悪魔を作る」

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的な抑圧感が長くつづくと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったもの。

その一例として、H・フォスデックも、つぎのように言っている。

『Hating people is like burning down your house to kill a rat(人を恨む(憎む)というのは、ネズ
ミを殺すために、家を燃やすようなものだ)』と。

 ゆがんだ感情(劣勢感情、陰性感情、劣等感情)は、脳内ホルモンの分泌そのものにも大き
な影響を与える。
サイトカインを例にあげるまでもない。
サイトカインは、脳内ストレスを引き起こす。
それだけではない。
低体温を引き起こし、免疫機能を低下させる。

 もちろん精神活動にも大きな影響を与える。
YSさんの子どものばあい、表面的にはともかくも、かなりこころがゆがみ始めているとみる。
が、このタイプの子どもは少なくない。

●I君(小6)のケース

 I君は、父親が中学校の教師だった。
それもあって、教育熱心な家庭環境で生まれ育った。
ふだんは静かで、それなりに勉強もよくできた。
私の指示にも、素直に(?)従った。

 が、ある日、そのI君のノートを見て、びっくりした。
そこには血を出してもがき苦しむ人間の顔が、実にリアルに描かれていた。
ほかに「死」「殺」などの文字も並んでいた。
現実にそこに見る(I君)と、ノートに見る(I君)は、あまりにもかけ離れていた。
私はそれに驚いた。

●M子さん(中1)のケース

 M子さんは早熟で、体格もすでにおとなになっていた。
そのM子さんが、教室にプリクラ・ブックを置き忘れていった。
で、私はそれを「忘れ物コーナー」に置いた。

 が、翌日、そのブックが、騒動の種になった。
別の子どもがそのノートを開いた。
見て、ワーワーと騒ぎ出した。
ほかの子どもたちも騒ぎ出した。

 見ると、メモページには、全裸の女性が椅子に縛られ、性的拷問を受けている絵が、何枚も
描かれていた。
残虐な絵もあった。
そのM子さんの絵も、絵というよりは、写真を思わせるほど、リアルな絵だった。

 ただM子さんは、頭もよく、行動的で活発。
絵から想像するような陰湿さは、みじんもなかった。

 M子さんは、脳内で起きている性的エネルギーを、自ら抑圧し、それが原因で、心をゆがめ
ていた。

●抑圧

 心理学でいう「抑圧」を、安易に考えてはいけない。
私は「心の別室」と呼んでいる。
それについて書いた原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)
(電子マガジン・2009年7月15日より)

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よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

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●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)

(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

+++++++++++++

昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

++++++++++++++++++

が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思春期の子どもの心理

 抑圧は、(1)内的抑圧と、(2)外的抑圧に分けて考える。

 内的抑圧というのは、欲望、願望、希望などが原因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不
完全燃焼感などを抑圧することをいう。
外的抑圧というのは、たとえばきびしい家庭環境、威圧的、権威主義的な親の育児姿勢が原
因で起こる、もろもろの欲求不満、不平、不完全燃焼感をいう。

 思春期前夜から思春期にかけては、この双方が、子どもの内部で起こりやすい。
それが結果として、子どもの心をゆがめる。

●すなおな子ども

 「すなお」というより、「さわやかな」と言い換えたほうがよいかもしれない。
このことは幼児を観ると、よくわかる。

 たとえば「野原と森、それに赤い屋根の白い家」を描かせてみる。
そのとき心がさわやかな子どもは、見ても、ほっとするようなやさしい絵を描く。
そうでない子どもは、どこか不気味。
もう30年前のことだが、こんなことがあった。

 お父さんとお母さんの絵を描かせていたときのこと。
M君(年中児)が、お父さんの顔を描き始めるとすぐ、その顔を真っ黒に塗りつぶしてしまった。
で、別の紙をあげ、もう一度描かせてみたが、結果は同じだった。

 しばらくしてから母親に理由をたずねると、母親はこう言った。
「実はあの前の夜、夫が蒸発しまして」と。
当時は突然の家出を、「蒸発」といった。

 その前後にも、似たような子どもがいた。
年長児の男児だったと思う。
その子どもは、父親の顔を描くのだが、体、とくに腕から手の部分を、鉛筆で真っ黒に塗りつぶ
してしまった。
母親に理由を聞くと、母親はこう言った。

 「主人(=父親)は、子どものころ大きな事故を経験し、右手が使えません。しかし息子がそ
んなことを気にしているとは、夢にも思っていませんでした」と。

●YSさんのケース

 それが内的抑圧によるものなのか、それとも外的抑圧によるものなのかは、わからない。
というのも、年齢的に、思春期に入っている。
脳内で起きている変化によるものであれば、内的抑圧になる。
しかし環境的に考えると、外的抑圧になる。

 どちらであるにせよ、先に書いた、欲求不満、不平、不完全燃焼感が、怒濤のごとく渦を巻い
ていると考えられる。
そのはけ口があればよいが、そのはけ口もない。
YSさんの娘は、きわめて閉塞的な環境の中で、袋小路に入ってしまっている。

 心理カウンセラー的な言い方をすれば、スポーツでも何でも、自分を発散させる場所を与え
ろということになる。
が、実は、これと並行して、「自我の葛藤」の問題もある。

●自我の同一性

 自我の同一性についても、たびたび書いてきた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Q: 最近わが子の親に対する話し方が気になります。
たとえば、私が何か「こうしなさい」と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってく
るので、ついつい怒ってしまうこともしばしば……。

 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。
(私はこうでありたい)という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようと
します。
一致した状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。そ
れが「思春期の反抗」と考えてください。

 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。
それを許せということではありません。
それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カリカリするのはしかた
ないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱皮を始めているのだ」と、一
歩退いて子どもを見ます。

 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子どもは親
の前では仮面をかぶるようになります。
自我の確立に失敗し、非行に走ったり、親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目
立ちます。
最悪のばあいには、自我の崩壊……。
ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。

 親には3つの役目があります。 ガイドとして子どもの前に立つ。 保護者として子どものうし
ろに立つ。 そして3番目が重要ですが、友として子どもの横に立つ、です。

 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。とたん、肩
の荷が軽くなりますよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●言葉として発散させる

 YSさんの娘が慢性的な抑圧状態にあることは、まちがいない。
が、こうした抑圧は、多かれ少なかれ、どの子どもにもある。
それがない子どもは、いない。
YSさんは、自分の子どもを「異常」と思う必要はない。
平たく言うと、「この時期の子どもによく見られる現象」ということになる。

 あまりおおげさに考えないこと。
「バカなこと言ってないで、さっさと自分のことをしなさい」程度に、軽く受け流していく。
ただし何らかの行動をともなうようであれば、要注意。

 たとえば「殺したい」と言いつつ、ナイフを買い求める。
「死にたい」と言いつつ、その種の本を買ってくる。
あるいはペットなどに、残虐な行為を繰り返す。
リストカットをする。

 そういうことがあれば、「観察」の段階を超えているとみる。
学校を通して、専門医もしくは心理療法士を紹介してもらう。
「治療」を考えた指導に切り替える。

 で、同時に、「子どもは家族の代表」と考え、原因は家庭にあると考え、YSさん自身が猛省す
る。
「家庭は休む場所」「憩う場所」「心を休める場所」と心得、それに適した環境を娘に用意する。
そのときコツは、娘の中で、心の別室がどのように形成されているか、静かに観察、判断する
こと。
子どもの立場になり、子どもの心の中から、子どもを見る。
頭ごなしに叱ったり、注意しても意味はない。
ないばかりか、かえって症状を悪化させるので、注意する。

 以上ですが、ここの書いたことを参考に、子どもを観察してみてほしい。
何が子どもを抑圧状態にしているかがわかれば、解決策も自ずと見えてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 抑圧 心の別室 はやし浩司 自
我の同一性 はやし浩司 残虐な言葉 思春期の子どもの心 心のゆがみ ねずみを殺すた
めに家に火をつける はやし浩司 内的抑圧 外的抑圧)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司











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【7】
●友だちのできない子ども

【ある相談を考える】

【Q】

  今年小学生になった娘が、友達が出来なくて困っています。
  自分から話しかけたり、笑ったりするのが恥ずかしくて出来ない・・・
  そうなんです。
  最近では、学校へ行きたくないと言い出しました。
  今の所、登校拒否にはなっていません。
  「友達の作り方」って、あるんでしょうか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【A】

●友だち

 年齢的には、幼児期後期もすみ、児童期に入っています。
人格の核(コア)も、すでに完成しつつあるとみます。
つまり「この子は、こういう子」という(つかみどころ)ができているということ。
この時期に入ったら、鉄則はただひとつ。
「あるがままを認め、その上で、子育て(教育)を組み立てる」です。

 「友だちを作りなさい」式の人格を否定するような指導は、子どもをかえって崖っぷちに追い
込んでしまうようなことになりかねませんので、注意が必要です。
子どもの立場で、それを考えてみればよくわかるはずです。

●自己認識力

 小学1年生には、まだ自分を客観的に観察し、判断する能力はありません。
それができるようになるのは、小学3年生以上です。
「自分には友だちが多い」「少ない」とかいう、判断はできないということ。

 そんなとき親から、「もっとみんなと親しくなりなさい」などと言われても、困るのは子どもという
ことになります。
言い方をまちがえると、子どもは自信喪失から、自己否定、さらには心配しているような不登校
児に……ということにもなりかねません。

●人間関係は、密度

 人間関係は、密度の問題です。
その密度は、横軸を「幅」とするなら、縦軸は「深さ」ということになります。
「広く浅く」が必ずしも、理想というわけではありません。
そうでなくても、日本の学校は、昔から「すし詰め教育」と揶揄(やゆ)されています。
少なくとも欧米の基準からみれば、そうです。
たとえばオーストラリアには、「エアー・スクール」というのがあります。
無線で勉強する学校です。

 週に1度ほど、近くの学校に集まり、スクーリングを受けますが、そのときでも全学年で、20
〜25人程度です。
そういうところの子どもが、どこかヘンかというと、そういうことはまったくありません。
さらにアメリカでは、ホームスクーラー(学校へ行かないで、家庭で教育を受けている子ども)
が、推定で200万人を超えています。

 そこで大切なのは、「深さ」です。

 数は少なくても、その人と深く交際する、です。

●では、どうするか

 この時期、親ができることと言えば、各論でしかありません。
イギリスでは、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』と教えま
す。
子どもを馬にたとえるのは、日本では失礼な感じがしますが、イギリスではその逆です。
それはともかくも、各論です。

 たとえば子どもの友だちを呼んで、パーティを開くとか、反対に友だちの誕生日には、手作り
のケーキを届けるとか、など。
コツは、親同士が仲よくなるつもりで、相手の子どもをその中に巻き込んでいきます。
つまりそれが「水場」ということになります。

●10人に1〜2人

 実際には、集団にとけ込めない子どもというのは、10人に、1〜2人(小学低学年児)はいま
す。

 たいていは、心が開けない子どもというように考えて対処します。
自分の心を開放し、ワーッとその中に入っていけないわけです。
しかしこのばあいも、子どもの問題というよりは、乳幼児期の母子関係に問題があったとみま
す。
発達心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って説明します。
つまり母子関係の不全ということになります。

 子どもというのは、絶対的なさらけ出し(=どんなことをしても許されるのだというさらけ出し)
と、絶対的な受け入れ(=親は子どもがどんなことをしても、許すという受け入れ)の上で、基本
的な信頼関係を構築します。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 このタイプの子どもは、(孤独)と(集団での苦痛)の間で、はげしく葛藤します。
(おとなでも、そうです。)
(さみしいから皆の中に入る)→(しかし神経疲労を起こしやすい)を繰り返す。
こうした現象を、ショーペンハウエルという心理学者は、(哲学者ではない)、「二匹のヤマアラ
シ」という逸話を使って説明しました。

 ある寒い夜のこと。
二匹のヤマアラシは穴の中で、身を寄せ合って過ごすことにした。
しかし近づきすぎると、互いの針で痛い。
しかし離れすぎると、寒い。
一晩中、それを繰り返した……というのが、『二匹のヤマアラシ論』です。

●親の姿勢

 なおこの相談を読んで、それよりも気になったのは、親の育児姿勢です。
「子ども自身はどうなのかな?」という視点が、ないのが気になります。
子どもが「友だちがいない……」と悩んだのでいるのでしょうか。
(友だちがいる・いない)は、ひょっとしたら、親の主観的判断ではないでしょうか。
あるいはひょっとしたら、子どもは、集団生活が苦手で(=いやで)、悩んでいるのかもしれませ
ん。

 中には、対人恐怖症であるとか、そういった心の問題(回避性障害、自閉症、緘黙症など)を
かかえている子どももいます。
どれにしても子ども自身では、コントロールができない問題です。

 そういった問題を取りあげることもなく、頭から「どうすればいいか」を考えるのは、育児姿勢
としては、危険です。
最近では、子どもに何か問題があったときは、「子どもは家族の代表」と考え、家族全体の問
題として考えるようになってきています。
「子どもだけ何とかしよう」と考えるのは、危険というより、無謀です。

 「なぜそうなのか?」という視点で、ものを考えます。
「なぜ、そうなったか?」でもよいでしょう。
この親は、そういう視点で、子どもの問題を考えているでしょうか。
でないとするなら、過関心、過干渉ということになります。

●不登校児

 子どもがどの程度、集団から孤立しているか。
また心の問題が、どの程度なのか。
それがわかりませんから、ここでいきなり不登校児の問題を取りあげるのは、適切ではないか
もしれません。

 「学校へ行きたくない」と子どもが言うようであれば、親はまず聞き役に回ってあげます。
子どもの立場で、「そうね」「そうだよね」と言ってあげるだけでも、子どもの心は軽くなるはずで
す。
まずいのは、「学校とは行かねばならないところ」と考え、親自身がもつ固定観念(古風な常
識)を子どもに押しつけることです。

 ときにはズル休みも、よいでしょう。
私は自分の子育てで、そうしました。
平日に学校をズル休みし、動物園などへ連れていくと、どこもガラガラでした。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れることができません。

●不登校は前兆をとらえる

 ジョンソンというイギリスの学者は、不登校、つまり学校恐怖症を3期に分けて考えています。
前兆期、パニック期、不登校期です。

 その前兆期に、子どもはさまざまな症状を示します。
頭痛、腹痛、脚痛、下痢、嘔吐などの身体的症状、ぐずりや、ふさぎこみ、グチ、無口、無言な
どの精神的症状などなど。
ほかにたとえば、食欲不振、不眠、早朝覚醒など。
こうした症状が慢性的につづくなら、要注意ということになります。

 が、もしそうでないなら、つまりただのグチとして、「学校へ行きたくない」と言うのであれば、よ
く子どもの話に耳を傾けてやることで、解決するはずです。

 ついでに言うなら、本当に行きたくないときは、「行きたくない」と直接的な言い方ではなく、
「友だちがいじめる」とか、「学校の先生がこわい」とかなど、別の言い方をします。
子ども自身が、(行きたくない)という気持ちと、(行かねばならない)という気持ちのはざまで、
葛藤するからです。
つまり自分の心をごまかしたり、正当化(合理化)したりします。

この葛藤が頂点に達したとき、パニック期を迎えます。
ある朝、突然、狂人のように暴れて、学校へ行くのを拒否する、など。

●あきらめる

 で、これが結論ということになります。
「あきらめる」です。
親としてできることにも限界があります。
一方、子どもには、子どもの世界があります。
今の段階で親ができることといえば、「温かい無視」と、「求めてきたときが与えどき」程度のこ
とです。

 子どもが学校から、疲れて帰ってきます。
それがわかったら、家庭では、思う存分、羽を伸ばさせてあげます。
温かい無視というのは、それをいいます。

また子どもが何らかの形で、甘えてきたら、すかさず、ぐいと抱いてあげる。
たったそれだけのことですが、それで子どもは、落ち着くはずです。
「求めてきたときが与えどき」というのは、そういう意味です。

小学1年というのはそういう時期です。
言うなれば、野原を飛んでいた小鳥をカゴの中に、押し込めたような状態。
子どもにしてみれば、たいへんなストレスを感じて、当然です。

 そこで子どもはそのストレスを解消しようと、大きくわけて2つの反応を示します。

 ひとつは外放型(プラス型)。
もうひとつは、内閉型(マイナス型)。

 外放型というのは、暴れる、騒ぐ……という方法で、ストレスを発散する方法をいいます。
内閉型というのは、内に引きこもり、身の安全を図る方法をいいます。
相談の子どものケースは、内閉型ということになります。

 なおあまり情緒が不安定であるようなら、白砂糖を断ち、カルシウム、マグネシウム、カリウ
ムの多い食生活に心がけます。
わかりやすく言えば、甘い食品や、肉類の多い献立から、海産物の多い献立に切り替えます。
それだけで子どもは、ぐんと落ち着くはずです。
1週間ほどで効果が現れてきますので、一度、試してみてください。

 最後に、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、割り切り、繰り返しになりますが、あるがままを
認め、その上で家庭教育を組み立てていきます。
けっしてオールマイティな子どもを求めないこと。
だれにも、得意、不得意があります。

 正直に告白しますが、私自身も集団行動が苦手です。
旅行でも、ワイフと2人だけで、のんびりとしています。
余計なことですが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 集団にとけ込めない子ども 溶け
込めない子ども 友だちのいない子ども はやし浩司 友だちが少ない子ども 神経疲労を起
こしやすい子ども はやし浩司 IDOBATA こまち)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 











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【8】
●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌(Mom)に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切
にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読
み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マ
イペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?

 私はどうしたらいいの?
 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私の子育ては何だったの 私の
子育てはなんだったの 親子の断絶 はやし浩司 親子の絆が切れるとき)

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚ま
でなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どう
したらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やら
せたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」
と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬
ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。
そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニ
を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気
づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だ
ったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査 は
やし浩司 受験という虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司










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【9】
●よく泣く子ども

【韓国在住のKUさん(母親)より、はやし浩司へ】(一部、文字化け)

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:満4歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父母、姉(10歳。精神遅滞)、祖父、祖母

【 お問い合せ内容】

韓国在住の来月満4歳になる男の子の母子分離不安について相談します。

母子分離不安について検索していると、はやしさんのサイトに行き着き、母子分離不安につい
ての解答を拝見させていただきました。
家の事情もあり、もう少し具体的どうしたらいいか知りたく、メールしています。
上の子は10歳ですが、重度の精神遅滞があり、まだ一人で歩けず、話せません。
1歳前後の状態で、オムツをしています。
激しく泣いたり、物をなめたりかんだり、泣いてもなぜ泣いているのかわからなかったり、一緒
にいてほしかったり、眠いのに眠れなくて、ないていたり、手がかかります。

下の子が生まれてからも、上のこの障害児保育園(家から遠い)や物理治療などに通うのに私
が連れて行って、その間下の子はおじいちゃんかおばあちゃんと一緒にいました。
下の子が2歳になった時、上の子が小学校に就学させたのですが、(韓国では親の判断で入
学を遅らせることができる)、小学校の送り迎えや、お昼の食事介助などで手がかかるので、
下の子を保育園に入れました。

送るのはおじいちゃんおばあちゃんがしてくれたのですが、あまりにも泣いくので3日ほどで泣く
のが耐えられないとやめさせてしまいました。
次の年、満3歳になった時再び送ったのですが、やはりおじいちゃんとおばあちゃんがやめさ
せてしまいました。
それでも、私があまりにも大変なので、その5月から再び送りました。

今度は時間をやりくりして、私が送りました。
相変わらず泣いていくのですが、保育園の先生の言うとおりがんばって送りました。
2週間ぐらいはお昼ぐらいに帰ってきていました。
しかし、私が顔面神経麻痺にかかってしまい、その後5時まで送っていました。
朝は相変わらず激しく泣いて行き、帰ってくると元気がない、1ヶ月ほど様子を見ていたのです
が、「このこまでおかしくなったらどうする?
嫌がる子を保育園に送っていって、後で精神科に通っている子もいっぱいいる」など、周りに言
われ心配になり、やめさせました。

先生いわく、おじいちゃんおばあちゃんにとってもかわいがられ、甘やかされて育っているので
忍耐力がまだない、とのこと。
園でも「たいくつだ」と先生に言ってばかりで、友達が寄ってきても遊ぼうとしない、お昼寝もしな
い、そうです。

姉の事もあって、お母さんをお姉ちゃんに取られるという心配もあるのかも、とも。
3ヶ月まえから・u梛:・・ぢ回の美術の習い事を始めたのですが(美術というより友達を作るた
め)、本来部屋で子供2,3人と先生とでするのですが、子供が離れようとせず、私が部屋の中
の隅で座ってみていないといけません(先生の提案で)。
少しずつ、しばらくしたら部屋の外に出て行けるようにはなったのですが、「窓からずっとみてい
て」とか途中で「お母さんどこ?」と出てきたりします。
友達と遊びたい気持ちがあって、同じ教室の女の子のお世話?をしたり、ゆずってあげたり。
お母さんが一緒で子供と遊ぶ機会があればいいのですが。

最近の韓国は、1歳過ぎから保育園に通う子が多く、公園にいっても遊ぶ子がいなく、習い事な
ども夕方の時間しかなく(昼間は子もがいないので)、このまま保育園にいかずうちで過ごすの
もどうなのか悩んでいます。

月数の少ない48ヶ月までの文化センターなどのクラス(お母さんと一緒にする)はある事はある
ので、同い年ではない、小さい子達と混ざってでも、したらいいのかなぁとも考えています(来年
は保育園に送らないで)。

家では、「遊ぼう、遊ぼう」と人形遊びやブロックなど私とやりたがります。
一人ではほとんど遊べません。
私もずっととなると疲れて、いやになります。
休日など公園に行っても、別の人がいると遊ばず、「いなくなるまで待ってる」とただ見ていま
す。

うちに来る私の友達などは割りと問題なくいられるのですが、外で会う知らない人やたまにあう
人には警戒心丸出しで、「嫌いだ、いやだ、あっち行け」などと言います。
美術の先生にも、です。

朝は上の子を学校に送りに行く時はおじいちゃんかおばあちゃんに見てもらうのですが、おじ
いちゃんがいるとき(一日おきの仕事をしている)は「お母さん、いってらっしゃい」と送ってくw)?
「譴襪里任垢・△、个△舛磴鵑了・蓮◆岼貊錣帽圓・繊廚筏磴い特紊い突茲泙后・發β腓C・
覆辰燭里念貊錣僕茲討發いい里任垢・△、个△舛磴鵑・蹐覆い・蕕醗貊錣帽圓・擦泙擦鵝・・
w)現状をだらだら書いてしまいましたが、サイトに書いてあるように、対人恐怖症というのもあ
ると思います。

又、スキンシップも「抱っこ、抱っこ」とせがむ時はしてあげているし、十分にしていると思ってい
るのですが、思っている以上に足りないのでしょうか?
上の子も家ではけっこう泣くので、この子もみんながストレスを抱えているようです。
八方塞のように感じて、アドバイスいただけるとうれしいです。
(以上、相談より。)

【はやし浩司より、韓国のKUさんへ】

KU様へ

こんばんは!

現在、出先なので、
あとでゆっくりと返事を書きます。

大切なことは、(現実)と闘うことではなく、(現実)を受け入れることです。
「私は私」と居直ることです。
こと子育てについて言えば、闘っても意味はありません。
居直れば、おのずと、道が前に見えてきます。

あとは静かに、その道(流れ)に身を任せてください。
温かい愛情と、生きていく勇気を見失わずに、ね。

あなたの子どもは、今、あなたに何か尊いことを教えるために、そこにいます。
子どもに教えを乞うてください。

あなたはすばらしい人になれますよ。
どうか、自信をもって、前に進んでください。

またあとで返事を書きます。

はやし浩司

●幼稚園教諭 ……598万円(330万円)

 さきほどあげた「官民格差」で気になったのが、幼稚園教諭の給料。
公立幼稚園の教諭が、598万円。
私立幼稚園の教諭が、330万円。

 本当かな?、と思った。
公立幼稚園の教諭についてではない。
私立幼稚園の教諭についてである。

私が知る範囲では、私立幼稚園の教諭は、330万円も、もらっていない。
月額に換算すると、(12か月で割ると)、27〜8万円。
退職金にしても、定年退職時まで勤める教諭は、ほとんどいない。
だから2000万円以上の退職金など、こと私立幼稚園の教諭に関して言えば、ありえない。

 どこの幼稚園(私立)でも、人件費は、削るだけ削っている。
まず未婚の若い教諭を、インターン(見習い)の形で雇う。
結婚と同時に退職……というのが、暗黙の了解事項になっている。

相場では、そういう若いインターンは、月額10数万円程度。
(手取りで、月額14〜5万円と聞いている。)
ボーナスを入れても、330万円ということは、ありえない。
どこからこんな数字が出てきたのだろう?

 公立幼稚園のばあい、ありとあらゆる労働者の権利が認められている。
産休で3年間休職したとしても、職場を失うことはない。
さらにたいていの教諭は、最終的には園長に昇格したあと、退職する。

 「幼稚園の先生になるなら、公立の幼稚園」というのは、この世界では常識。
役人の言葉を借りるなら、「知的水準の高い教諭は、公立幼稚園。知的水準の低い教諭は、
私立幼稚園」(「週刊ポスト」誌)ということか。

 ……グググーッと怒りがわいてきたが、今夜はここまで。
もちろん一人一人の役人に責任があるわけではない。
責任を感じてほしいと書いているのでもない。
が、このままでは、日本は本当に沈没してしまう。
怒りというより、私は強い危機感を覚える。

●知的水準?

 知的水準とは何か?
あの片山さつき氏は、私の地元で国会議員に当選したあと、東京に戻り、こう言ったという。
「(浜松の)田舎者は、私が土下座すれば、イチコロよ」(雑誌「諸君」)と。

 が、こうした差別意識は、何も片山さつき氏だけのものではない。
ある男は、私にこう言った。
某大銀行の部長職をしていた。
「退職したら、君の故郷のM市にでも行き、市長でもしようかな」と。

 なぜ、人は、こんな愚かなことを言うようになるのか。
そのルーツをずっとたどっていくと、そこにあの「受験競争」が、見え隠れする。
そういう意味では、意識というのは、恐ろしい。
中学生でも、高校生でも、受験競争に勝った(?)とたん、おかしなエリート意識をもち始める。
「勉強ができる人ほど、優秀」と。
返す刀で、「勉強ができないヤツは、劣等」と。

が、それは待ってほしい。
私はこの40年間、受験生と言われる子どもを指導し、側面から観察してきた。
もちろん中には「優秀な子ども」もいる。
しかしそういう子どもほど、最後の最後まで謙虚さを失わない。
推薦で、一流大学の一流学部へと進学していく。
(学校の先生にも、それがわかるから、推薦される。)

 が、すでに小学生のときから、鼻持ちならぬエリート意識をもつ子どもも少なくない。
勉強ができることを鼻にかける。
どうしようもないほどのドラ息子、ドラ娘。
で、ある日私はそんな1人の母親に、こう告げた。
「あのオ〜……」と。
すかさずその母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って息子の勉強だけをみてくれればいい。(余計なこと、言うな!)」と。

 これは本当にあった話である。
親は、浜松市内でいくつかのパチンコ店を経営していた。

 そういうことを経験しているから、「知的水準」という言葉を聞くと、バチバチと頭の中で火花
が飛び散る。
いろいろ書きたいことは、山のようにある。
あるが、今夜はここまで。
要は、人も謙虚さを見失ったら、おしまい。……ということ。

●もう1人の男

 TSUTAYAで、もう1人、気になった男がいた。
60歳くらいの男だった。
私とワイフがTSUTAYAへ入ったときも、そこにいた。
雑誌を取りに行ったときも、そこにいた。
そのあたりを、ブラブラしていた。
今も、そのあたりにいる。

 本を読む気配もなかった。
手に取って読む雰囲気もなかった。
が、私にはすぐわかった。
その男は、ホームレスの男だった。

 最近、このタイプの大型店で、このタイプのホームレスの男を、よく見かけるようになった。
今日のように、寒い夜は、さらにそうだ。

●KUさんへ(母子分離不安)

 KUさんの子どもを考える。

 KUさんは、母子分離不安を心配している。
症状としては、母子分離不安そのもの。
母親がそばにいないと、極度の不安状態になる。
このとき子どもは、2つのタイプに分かれる。

 ワーッと攻撃的に泣き叫んで、母親の後を追うタイプ。
オドオドとしてしまい、混乱状態になるタイプ。
症状から私は、前者を「プラス型」、後者を「マイナス型」と呼んでいる。

 どちらであるにせよ、子どもの側からみて、「捨てられるのでは?」という恐怖心が、母子分離
不安による症状へと結びついていく。
理性ではなく、本能的な部分からの恐怖心であるため、叱ったり説教したりしても意味はない。

 子どもの心というのは、環境の変化に対しては、たいへんタフ。
しかし愛情の変化には、たいへんもろい。
母親が数日、入院しただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
遊園地で一度、迷子になっただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
KUさんのように、……というか、通常のケースとは逆なのだが、下の子が生まれたことによっ
て、上の子が母子分離不安になるケースもある。

 が、KUさんのケースは、もう少し根が深いように考える。

●ユングのシャドウ(影)論

 ユングのシャドウ(影)論をもちだすまでもない。
子どもというのは、親の心をそのまま引き継いでしまう。
たとえば親が、Aさんを内心で嫌っていたりすると、その子どももAさんを嫌うようになる。
Bさんを内心でよい人と思っていたりすると、その子どももBさんのことをよい人と思うようにな
る。

 こんなことがあった。
もう10年近くも前に書いた原稿に、こんなのがある。
親の心を、そっくりそのまま再現してしまう子どもの話である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2000年ごろ、中日新聞出に発表させてもらった原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の心は子どもの心

 一人の母親がきて、私にこう言った。「うちの娘(年長児)が、私が思っていることを、そのま
ま口にします。こわくてなりません」と。
話を聞くと、こうだ。

お母さんが内心で、同居している義母のことを、「汚い」と思ったとする。
するとその娘が、義母に向かって、「汚いから、あっちへ行っていてよ」と言う。

またお母さんが内心で、突然やってきた客を、「迷惑だ」と思ったとする。
するとその娘が、客に向かって、「こんなとき来るなんて、迷惑でしょ」と言う、など。

 昔から日本でも以心伝心という。心でもって心を伝えるという意味だが、濃密な親子関係にあ
るときは、それを望むと望まざるとにかかわらず、心は子どもに伝わってしまう。
子どもは子どもで、親の思いや考えを、そっくりそのまま受け継いでしまう。
こんな簡単なテスト法がある。

まず二枚の紙と鉛筆を用意する。そして親子が、別々の場所で、「山、川、家」を描いてみる。
そしてそれが終わったら、親子の絵を見比べてみる。
できれば他人の絵とも見比べてみるとよい。
濃密な関係にある親子ほど、実によく似た絵を描く。
二〇〜三〇組に一組は、まったく同じ絵を描く。親子というのは、そういうものだ。

 こういう例はほかにもある。
たとえば父親が、「女なんて、奴隷のようなものだ」と思っていたとする。するといつしか息子
も、そう思うようになる。
あるいは母親が、「この世の中で一番大切なものは、お金だ」と思っていたとする。
すると、子どももそう思うようになる。
つまり子どもの「心」を作るのは親だ、ということ。親の責任は大きい。

 かく言う私も、岐阜県の田舎町で育ったためか、人一倍、男尊女卑思想が強い。
……強かった。
「女より風呂はあとに入るな」「女は男の仕事に口出しするな」などなど。
いつも「男は……」「女は……」というものの考え方をしていた。
その後、岐阜を離れ、金沢で学生生活を送り、外国へ出て……、という経験の中で、自分を変
えることはできたが、自分の中に根づいた「心」を変えるのは、容易なことではなかった。
今でも心のどこかにその亡霊のようなものが残っていて、私を苦しめる。
油断していると、つい口に出てしまう。

 かたい話になってしまったが、こんなこともあった。

先日、新幹線に乗っていたときのこと。
うしろに座った母と娘がこんな会話を始めた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

どうやらどこかの大病院の院長を夫にもつ妻とその娘が、結婚相手を物色していたようだが、
話の内容はともかくも、私は「いい親子だなあ」と思ってしまった。
呼吸がピタリと合っている。

 だから冒頭の母親に対しても、私はこう言った。
「あなたと娘さんは、すばらしい親子関係にありますね。
せっかくそういう関係にあるのですから、あなたはそれを利用して、娘さんの心づくりを考えたら
いい。
あなたのもつ道徳心や、やさしさ、善良さもすべて、あなたの娘さんに、そっくりそのまま伝える
ことができますよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の不安

 KUさんのケースでは、KUさんが日常的に感じている不安感が、そっくりそのまま子どもに伝
わってしまっている。
私はKUさんからのメールを読んだとき、それを最初に感じた。
同時に、もしKUさんの近くに、祖父母がいなかったら、KUさんの子育ては壊れてしまっていた
かもしれない。
KUさんの必死さを感ずるが故に、近くに祖父母がいて、KUさんの子育てを支援していること
を、私は「よかった」と思った。

 もちろんKUさんは、そうしているだろうが、こうしたケースでは、けっして祖父母と対立しては
いけない。
逆に言うと、祖父母と対立するのではなく、協力しあいながら、KUさんが日常的に感じている
であろう不安感、心配、孤立感と闘う。
子どもと闘うのではない。
自分と闘う。

 ……と書くのは簡単なこと。
私はKUさんからのメールを読んだとき、私自身も、ズシンと心が重くなってしまった。
「顔面神経麻痺」「八方ふさがり」という言葉が、今のKUさんの心情を、そのまま象徴してい
る。

●許して忘れる
  
 昨夜、ワイフは、DVDを観ていた。
メル・ギブソン主演の『復讐捜査線』というタイトルのDVDだった。

 娘が暗殺された。
刑事役のメル・ギブソンが、その犯人を追いつめていくというストーリーの映画だった。
その中で、こんなことをだれかが言う。

 「子どもがいる悲しみと、子どもがいないさみしさ。あなたはどちらを選ぶか」と。
それに答えて、メル・ギブソンがこう答える。
「子どもがいる悲しみ」と。
記憶によるものなので、まちがっているかもしれない。
が、それには条件がある。
「良好な親子関係」という条件である。

 それがなければ、……というより、多くの親たちは、子どもをもったことを後悔する。
「子どもなんか、産まなければよかった」と。
というのも、親というのは、良好な親子関係がある間は、子どもを「許して忘れる」ことができ
る。
そうでなければ、そうでない。
親ばかである自分を恥じ、自分を責める。
子どもを「許して忘れる」ことはできる。
しかし自分を「許して忘れる」ことはできない。

 親子関係、つまり子育ての結論は、この一点に集中する。
「良好な親子関係」と。

 メル・ギブソンと娘は、良好な親子関係で結ばれていた。
だからこう答えた。
「子どもがいる悲しみのほうがいい」と。

●親ばか

 「親ばか」という言葉を使った。
親というのは、子どもを許すことはできても、自分を許すことはできない。
親ばかだった自分を恥じる。
責める。
ついでに口を閉じる。

 子どものでき・ふできが問題ではない。
人間性の問題。
世の中には、子どもをだます親は、いくらでもいる。
同時に、親をだます子どもも、また同じほど、いる。
男性や女性をだますのと同じくらい、平気で親をだます。
自分の欲望の追求のために、親を利用する。

 そういう子どもをもった親は、子どもを責める前に、自分を責める。

●明日は、かならずやってくる。

 KUさんのケースでいえば、八方ふさがりでも、何でもない。
袋小路には入ってはいるが、八方ふさがりではない。
大切なことは、自分の子どもだけを見つめ、その「流れ」の中に身を置くこと。
身を置けば、おのずとその先に、道が見えてくる。
いや、見えてこなくても、今日、そして今、この瞬間できることだけを、懸命にする。
明日は、今日の結果として、かならずやってくる。

 世の中、けっして悪い人たちばかりではない。
KUさんが明るく、さわやかに生きていけば、みなもそれに勇気づけられる。
その勇気が希望を生む。
生きる希望を共有することができる。
けっして卑屈になってはいけない。
取り越し苦労や、ヌカ喜びを繰り返してはいけない。
KUさんはKUさんで、ただひたすら前だけを見て、生きていく。
その心が伝わったとき、子どもの心の中からも、不安症状が消える。

●子どもから学ぶ

 どんな家庭も、外から見ると、平和で幸福に見える。
が、問題のない子どもはいない。
問題のない家庭も、これまた、ない。
それぞれがみな、重い十字架を背負い、あえぎながら生きている。

 KUさんがそうというわけではない。
しかし子どもに何か問題が起きると、みな親はこう思う。
「どうして私だけが……」とか、「どうしてうちの子だけが……」と。

 そこで発想を転換してみる。
「子育てというのは、そういうもの」と。
苦労や悲しみは、つきもの。
あって、当たり前。
とたん、気が晴れる。

 大切なことは、子どもから学ぶという姿勢。
子どもが泣いているときも、そうだ。
泣くのを「悪」と決めつけてはいけない。
子どもには子どもなりの理由がある。
「あなたも悲しいのね。お母さんも悲しいのよ」と。
すなおに負けを認め、子どもの立場で、いっしょにものを考える。

●帰る

 TSUTAYAを出た。
車にエンジンをかけると、猛烈な勢いで、窓ガラスから温風が吹き上げてきた。
自動的にフロントガラスの曇りを消す装置が、働いた。
外気は、9度と表示されている。
寒いというより、冷たい。
 
 私たちは一度、家に戻った。
そのまま山荘へ向かう準備を始めた。

●山荘へ

私「KUさんのこと、どう思う?」
ワ「近くに、祖父母がいて、よかったわね」
私「うん、ぼくもそう思う。KUさんひとりでは、たいへんだ」
ワ「夫は、どうしているのかしら?」
私「ぼくも気になっている。でも、夫については、何も書いてない」
ワ「韓国の人かしら?」
私「たぶんね。韓国では、夫婦別称が、当たり前だし……」と。

「KU」というのは、日本名である。


●コンビニ

 途中、コンビニで、遅い夕食を買った。
私は、菓子パン。
ワイフは、日本ソバ。
あと、せんべいなどの菓子類。

 ……それと近く、修善寺(静岡県伊豆半島の温泉地)で、講演をすることになっている。
その講演が終わったら、修善寺温泉に一泊する。
その宿探しを、雑誌でした。
20冊近い、旅行雑誌が出口のところに並んでいた。

 コンビニを出るとき、店員にこう聞いた。

「だめだと思いますが、このページをそこのコピー機で、コピーしてもいいですか」と。
すると店員は、半ばあきれ顔で、「だめです」と。

私「ハハハ、そう言われるとわかっていました。わかっていましたから、聞いてみただけです。
ハハハ」と。

 だめに決まっている。
しかしその雑誌だって、売れなければ、返本するだけ。

●母子分離不安

 KUさんが今、いちばん先にすべきことは、(すでにしているかもしれないが)、同じ障害をもつ
親同士のネットワークに参加すること。
けっして孤立しないこと。
けっして「私だけが……」と思わないこと。

 どういった障害なのかは、メールだけでは、よくわからない。
が、そういった専門のネットワークもあるはず。
今ではネットを使えば、簡単に検索できる。
韓国のことは知らないが、この日本では、そうした子どもへのケアも、かなり充実してきてい
る。
子どもが進むべき道は、けっして一本ではない。
幸福になる道も、けっして一本ではない。

 あとは前だけを見て、先にも書いたように、明るく、さわやかに生きていく。
結果として、母子分離不安の問題など、吹き飛んでしまう。

 子どもが泣きながら後を追いかけてきたら、KUさんは、やさしく抱いてあげればよい。
あれこれ考えないで、子どもの心になって、子どもと悲しさやさみしさを共有してあげればよい。
それと「甘やかす」ということとは、別。
つまりそうしてあげたからといって、甘やかしたことにはならない。

 「甘やかす」というのは、規律のない生活の中で、欲望に溺れさせることをいう。
甘やかしたから、母子分離不安になるというわけではない。
きびしくしたからといって、母子分離不安が治るわけでもない。

●寝支度

 昼寝をしたこともある。
時計を見ると、時刻は、午前0時を越えていた。
ワイフは寝支度を始めた。

 外はかなり寒いはず。
「明日は、凍っていないだろうか……」と。
水が氷れば、山荘は使い物にならなくなる。

 最後に、KUさんへの返事を書くことにした。

【はやし浩司より、KUさんへ】

 お気づきのように、これは母子分離不安の問題ではありません。
またそんな問題は、何でもありません。
10人の子どものうち、2〜3人が経験する、ありふれた問題です。
だからあまり深刻に考えないこと。
自然体で、子どもに接したらよいでしょう。

 それよりも重要なことは、あなたが今、もっているであろう閉塞感、それに基づく、不安や心
配を、どうするかということです。
お子さんたちは、それをそっくりそのまま受け継いでいまっています。
『子どもの心は、親の心の鏡』と考えてください。

 ……と、こんなことを書くと、KUさんは、自分で自分を追い込んでしまうかもしれませんね。
そこでこう考えてみてください。
親になることは、子どもをもつことで、だれでもなれます。
しかし「真の親」となると、そうはいかない。
何度も何度も、絶望のどん底へ叩き落とされながら、親はやがて「真の親」へとなっていきま
す。
私たち夫婦にしても、そうです。
何度も何度も、子育てで行き詰まり、そのつど近くの山に車を走らせ、そこで泣きました。
今でもときどき、泣きます。

 運命がどうのこうのと考える前に、人生も残り少なくなってきました。
だったら、もう運命を受け入れるしかない。
最近は、そう考えるようになりました。
「なるようになれ」というよりは、ありのままをさらけ出して、生きる。
どうもがいたところで、これが私の人生。
完璧な人生、完璧な人間関係、完璧な親子関係など、もとから望むべくもない。
孤独死、無縁死、何でも結構。
人に嫌われようが、悪く思われようが、それも構わない。
生まれが生まれですから……。

 あとは勇気をもち、足を前に一歩、踏み出す、です。
そこにある問題から逃げるのではなく、2人のすばらしいお子さんといっしょに、前を向き、いっ
しょに歩く。

 なおどうしても母子分離不安が気になるようでしたら、こうします。

(1)求めてきたときが与えどき……子どもが何かのアクションを求めてきたら、「与えどき」と思
い、すかさず、(すかさず、です。1〜2秒も間をおかない)、抱いてあげます。
力いっぱい抱くのがコツです。
たいてい数秒〜10秒前後で、子どもは安心し、満足します。

(2)温かい無視
愛情だけは忘れず、そっと距離を置くようにします。
あなたとあなたのお子さんだけのことを考えます。
他人がどうこう言っても気にしないこと。
先にも書きましたが、そうしたところで、「甘やかす」ということにはなりません。
お子さんは、心底、つらいから泣くのです。
わがままとか、そういうふうに考えてはいけません。
「さみしかったのね?」とお子さんをねぎらいながら、愛情を表現してあげてください。
添い寝、抱っこ、いっしょの入浴など、濃密にしてあげてください。
その年齢がくれば、自然と収まってきます。
少なくとも児童期へ入るころには、症状は消えます。

●就寝
 
 山荘ではいつも、枕元で、香を焚くことにしている。
お気に入りは、「オウピアム」。
名前が恐ろしい。
日本語で、「大麻」!

 市販の香で、どこの店でも売っている。
どうか、どうか、誤解のないように。
が、気にはなった。
そこで一度、近くの交番にもっていったことがある。
「こんなのが市販されていますが、だいじょうぶですか?」と。
が、交番の警官は、オウピアムの意味すら、知らなかった。
「調べておきます」と言ったきり、そのままになっている。
それから2年近くになる。
 
 ……どうして「オウピアム」という名前がついているのだろう。
本物の大麻のにおいなど、知る由もない。
常識的に考えれば、においだけ似せて作った、偽物ということになる。
だからときどき「大麻って、こんなにおいなのかなあ」と思う。
(本物だったら、事件になるぞ!)
 
 そうそう、その反対のこともある。
欧米人がみな、驚く。
「日本では、覚せい剤を堂々と売っている!」と。

 英語で「アシド・ミルク(乳酸飲料)」と言えば、「覚せい剤」を意味する。
車の側面などに、「Acid Milk(乳酸飲料)」と書いてある。
それをみて、欧米人は、みな驚く。
 
(枕元でオウピアムの香を焚いているからといって、どうか誤解しないでほしい。)

 では、今夜は、これでおやすみ。
韓国のKUさん、おやすみなさい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評
論 はやし浩司 母子分離不安 よく泣く子ども 子どもの心は、親の心の鏡)









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【10】
【やる気をなくした子ども】











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浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイ
ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
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不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 浜松市

はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依
存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層
住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 
過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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