Q&A18
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【1】兄弟げんか
相談(1)小学3年生の父から

 長男は小学3年生で9歳、二男は保育園の年中で5歳です。

このごろ、寄ると触るとけんかになり、「お兄ちゃんがたたいた!」「○○先にけるからじゃー
ん!」となります。だいたいは長男の方をいさめて、「弟をたたいちゃだめ」としかるのですが、
これでいいのでしょうか? 上手な対応のしかたを教えてください。


A:『けんかする兄弟ほど、仲がいい』といいます。兄弟げんかも、ある一定のワクの中、たとえ
ば親の前で、祭りのようにするのであれば、親はよき聞き役に徹します。判断をくだしたり、罰
を与えたりしてはいけません。ただひたすら、聞き役に徹します。

 つまるところ子育ては、「自分探し」です。わかりやすく言えば、あなたは、あなた自身が受け
た子育てを繰り返しているだけです。「私は私の親とはちがう」と思っているかもしれませんが、
中身は同じです。これを心理学の世界では、「世代連鎖」と言います。

 常にあなた自身は、子どものころどうであったかを問いかけてみてください。あなたも子ども
のころ、つらい思いや悲しい思いをしたことがあったはず。そういうときあなたは、あなたの親
にどうあってほしかったでしょうか。どう接してほしかったでしょうか。それをさぐっていけば、あ
なたの子どもへの接し方が、自然と定まっていきます。

 いつか私は『兄弟げんかは親の前』という格言を考えました。言い換えると親の前でしている
ようなら、心配しなくてよいということです。無視して、したいようにさせておきなさい。

 ただし一言。「お兄ちゃんだから・・・」という『ダカラ論』には、注意。問答無用式に相手を押さ
えつけるときに、よく使われます。上下意識が強く、権威主義的なものの考え方をする人ほど、
この言葉をよく口にします。





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【2】進路問題

相談(2)中学2年生の父から

 勉強もせず部活も熱心にやっているわけではない二男が、「料理人になりたいから、高校へ
は行かない」と言い出しました。

 それ以来、夕食の手伝いや自分で料理をしてみたりしていますが、いつまで続くやら・・・。
「バカ言っていないで高校へ行け!」と頭ごなしに反対した方がいいか、「やってみな」と後押し
した方がいいか、どっちでしょうか?


A:親の思うようにならないのが、子育て。私の二男も中学2年生のとき、勉強を放棄。以来パ
ソコンと遊んでばかりいました。三男は横浜国大をセンター試験2位の成績で入学はしたもの
の、3年になるとき中退。 
 私も三井物産という会社をやめ、幼稚園の講師になると言ったとき、母は電話口の向こうで
泣き崩れてしまいました。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と。
 以来、私は、外の世界では自分の職業を隠し、内の世界では、自分のキャリアを隠しまし
た。が、もしあのとき、母だけでも私を支えてくれていたら、その後の私の人生は大きく変わっ
ただろうと思います。
 今のあなたにとって大切なことは、子どもを信ずること。子どもがどんな選択をしても、子ども
を支えること。「パパは、お前を信じている。お前の行くべき道を進め。どんなことがあっても、
応援する」と。
 中学2年生と言えば、自我の同一性を確立する重要な時期です。今、あなたが頭ごなしに反
対すれば、あなたの息子の自我はバラバラになってしまうでしょう。それはたいへん危険なこと
です。注意してください。
 なお私の二男は現在、インディアナ州立大学に籍を置き、CERN(スイス量子加速研究所)
のスパコン技術官をしています。三男はJALで副機長(B777)をしています。
 子どもを信ずることは、たいへん苦しいことです。その苦しさは、私も経験しました。










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【3】場面かん黙児
●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文
を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。
夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じ
たのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というド
ラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単
なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だ
が、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分
けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の
警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力
が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所
でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出
ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわく
て行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れな
い(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレが
こわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑
症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端
にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても
意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子ども
の視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればする
ほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、で
きるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速
度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分か
っていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういう
もので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処す
る。

++++++++++++++++++++

●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。それに
ついて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

●Wさんの問題

 一〇年ほど前までは、「学校へ行けない」というのが、大きな問題だった。が、今では、「幼稚
園へ行けない」というのが、問題になり始めている。それも、三歳や四歳の子どもが、である。

Wさんの問題を考える前に、「どうして三歳や四歳の子どもが、幼稚園へ行かねばならないの
か」「行く必要があるのか」「行かなければ、何が問題なのか」ということを、考えなければならな
い。

あるいはあと二〇年もすると、二歳や三歳の子どもについて、同じような相談をもらうようにな
るのかもしれない。「どうしてうちの子は、保育園へ行けないのでしょうか」と。

 Wさん自身が、「保育園は、行かねばならないところ」「幼稚園は、行かねばならないところ」
という、固定観念をもちすぎているところが、気になる。

 私は正直に告白するが、幼稚園にせよ、保育園にせよ、行くとしても、適当に行けばよいと考
えている。「適当」という言い方には、語弊があるかもしれないが、この時期は、あくまでも、家
庭教育が主体であること。それを忘れてはならない。

 ずいぶんと昔のことだが、ある幼稚園の先生方の研究発表会に、顔を出したことがある。全
員、女性。男は、私一人だけだった。

 一人の女性教師が、誇らしげに、包丁の使い方を教えているという報告をしていた。「私は、
ダイコンを切るとき、本物の包丁を使わせています」と。

 で、そのあと、意見を求められた。が、私は、思わず、こう言ってしまった。「そんなことは、家
庭で、母親が教えればいいことです」と。

 会場が、シーンとなってしまったのを覚えている。

●小学校の問題が、幼稚園で 

 Wさんは、こう書いている。「あまりにも嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず
連れて来るように」とのこと。で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました」と。

 当時、その子どもは、三歳である。たったの三歳である。あるいは、あなたは三歳の子ども
が、どういう子どもであるか、知っているだろうか?

 いくら保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言っても、一か月もの間、泣いている子ど
もを抱えて連れていってよいものだろうか。Wさんには悪いが、私はこのメールを読んで、この
部分で、いたたまれない気持になった。

 もちろんだからといって、Wさんを、責めているのではない。Wさんも書いているように、「母
の介護」という、やむにやまれぬ事情があった。それにWさんは、それが子どものために、よ
かれと思って、そうした。そういうWさんを、だれも責めることはできない。

 私が問題としたいことは、Wさんをそのように動かした、背景というか、社会的な常識である。

 私がこの世界に入ったときは、幼稚園教育も、二年、もしくは一年がふつうだった。浜松市内
でも、幼稚園(保育園)へ行かないまま、小学校へ入学する子どもも、五%はいた。

 それが三年保育となり、さらに保育園自身も、「預かる保育」から、「教える保育」へと変身し
ている。

 こういう流れの中で、三〇年前には、小学校で起きていた現象が、幼稚園でも起きるようにな
った。たとえば今では、不登校ならぬ、不登園の問題が、あちこちの幼稚園で起きている。Wさ
んの問題は、まさにその一つということになる。

●もっと、おおらかに! 
 
 はっきり言えば、子どもが、そこまで嫌がるなら、幼稚園や保育園へ、行く必要はない。まっ
たく、ない。

 少し前まで、(今でも、そう言う先生はいるが……)、幼稚園を休んだりすると、「遅れます」と
か、「甘やかしてはダメです」と、親を叱る先生がいた。

 しかしいったい、何から、子どもが遅れるのか? 心が風邪をひいて、病んでいる子どもを、
保護して、どうして、甘やかしたことになるのか?

 乳幼児期は、家庭教育が基本である。これは、動かしがたい事実である。この時期、子ども
は、「家庭」について学ぶ。学ぶというより、それを体にしみこませる。

 夫婦とは何か。父親や母親とは何か。そして家族とは、何か、と。家族が助けあい、守りあ
い、励ましあい、教えあう姿を、子どもは、体の中にしみこませる。このしみこみがあってはじめ
て、自分がつぎに親になったとき、自然な形で、子育てができる。

 それにかわるものを、幼稚園や保育園で、どうやって教えることができるというのか。ものご
とは、常識で考えてほしい。

 だからといって、幼児教育を否定しているのではない。しかし幼児教育には、幼児教育とし
て、すべきことが山のようにある。包丁の使い方をい教えるのが、幼児教育ではない。ダイコン
の切り方を教えるのが、幼児教育ではない。

 現にオーストラリアでは、週三日制の幼稚園もある。少し都会から離れた地域では、週一回
のスクーリングだけというところもある。あるいは、アメリカでは、親同士が、交互に子どもを預
かりあいながら、保育をしているところもある。

 幼児教育は、幼稚園、あるいは保育園で、と、構えるほうが、おかしい。今、この「おかしさ」
がわからないほどまで、日本人の心は、道からはずれてしまっている。

●かん黙児?

Wさんの子どもを、ドクターが、どのようにみて診断したのか、私は知らない。しかしその前提と
して、かん黙児の診断は、しばらく子どもを指導してみないと、できない。

 ドクターの前で、黙ったからといって、すぐかん黙児ということにはならない。ただ単に緊張し
ていただけかもしれないし、あるいは対人恐怖症、もしくは、集団恐怖症だったかもしれない。

 私は診断名をつけて、診断をくだすことはできないが、しかしかん黙児かどうかを判断するこ
とくらいなら、できる。が、そのときでも、数日間にわたって、子どもを指導、観察してみて、はじ
めてわかることであって、一、二度、対面したくらいで、わかるようなことではない。そのドクター
は、どうやって、「場面かん黙」と判断したのだろうか。

 このWさんのメールを読むかぎり、無理な隔離が原因で起きた、妄想性をともなった、集団
恐怖症ではないかと思う。……思うだけで、何ともいえないが、それがさらにこじれて、学校恐
怖症(幼稚園恐怖症)になったのではないかと思う。

 もっとも恐怖症がこじれて、カラにこもるということは、子どものばあい、よくある。かん黙も、
何かの恐怖体験がきっかけで起こることは、よく知られている。かん黙することにより、自分が
キズつくのを防ごうとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。

 しかしもしそうなら、なおさら、無理をしてはいけない。無理をすればするほど、症状がこじ
れ、立ちなおりが遅れる。子どもの立場で、子どもの心をていねいにみながら、対処する。

 保育園の先生が、「必ず連れてくるように」と言ったというが、私には、とんでもない暴言に聞
こえる。あるいは別に何か、先生には先生なりの、理由があったのかもしれない。この点につ
いては、よくわからない。

 なお場面かん黙については、つぎのようなポイントを見て判断するとよい。

●かん黙児

(5)ふとしたこと、あるいは、特定の場面になると、貝殻を閉ざしたかのように、口を閉じ、黙っ
てしまう。

(6)気が許せる人(限られた親や兄弟、友人など)と、気が許せる場所(家)では、ごくふつうに
会話をすることができる。むしろ多弁であることが多い。


(7)かん黙している間、心と表情が遊離したかのようになり、何を考えているか、わからなくな
る。柔和な意味のわからない笑みを浮かべて、ニンマリとしつづけることもある。

(8)かん黙しているとき、心は緊張状態にある。表情に、だまされてはいけない。ささいなことで
興奮したり、激怒したり、取り乱したりする。私は、(親の了解を得た上で)、そっと抱いてみるこ
とにしている。心を許さない分だけ、体をこわばらせる。反対に抱かれるようだと、症状も軽く、
立ちなおりは、早い。

 詳しくは、「はやし浩司のサイト」の「かん黙児」を参照してほしい。

 で、こうした症状がみられたら、軽重もあるが、とにかく、無理をしないこと。そういう子どもと
認めた上で、半年単位で、症状の推移をみる。一度、かん黙症と診断されると、その症状は、
数年単位でつづく。が、小学校に入学するころから、症状は、軽減し、ほとんどの子どもは、小
学三、四年生くらいを境に、何ごともなかったかのように、立ちなおっていく。

 ある子ども(幼稚園児)は、毎朝、幼稚園の先生が、歩いて迎えにきたが、三年間、ただの一
度もあいさつをしなかった。その子どものばあいは、先生と、視線を合わせようとすらしなかっ
た。視線をそらすという、横視現象は、このタイプの子どもによく見られる症状の一つである。

 しかしかん黙症の子どもの、本当の問題は、親にある。家の中では、何も問題がないため、
幼稚園や保育園での様子を見て、「指導が悪い」「先生が、うちの子を、そういう子どもにした」
などと言う。私も、何度か、経験している。

 子ども自身では、どうにもならない問題と考える。いわんや、子どもを説教したり、叱っても意
味はない。

 子どもが自分で自分を客観的に判断できるようになるのは、小学三年生以上とみる。この時
期を過ぎると、自己意識が急速に発達して、自分で自分の姿を見ることができるようになる。そ
して自分で自分を、コントロールするようになる。

 かん黙児は、かん黙するというだけで、脳の働きは、ふつうか、あるいはそれ以上であること
が多い。もともと繊細な感覚をもっている。だから静かに黙っているからといって、脳の活動が
停止していると考えるのは、まちがいである。

 反応が少ないというだけで、ほかに問題は、ない。だから教えるべきことは教えながら、あと
は「よくやったね」とほめて、しあげる。先にも書いたように、この問題は、本人自身では、どう
にもならない問題なのである。
 
●Wさんへ

 メールによれば、「昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています」とのこと。私
は、まず、ここを重要視すべきではないかと思います。

 いただいたメールの範囲によれば、かん黙症状があるにせよ、対人恐怖か、集団恐怖が、
入りまざった症状ではないかと思います。一つの参考的意見として、お考えくだされば、うれし
いです。

 ふつうこの年齢では、かん黙症については、「別人のように……」という変化は、ありません。
その点からも、かん黙症ではなく、やはり何らかの妄想性をともなった、恐怖症が疑われます。
もし恐怖症であれば、少しずつ、環境にならしていくという方法で対処します。

 私自身も、いくつかの恐怖症をもっています。閉所恐怖症。高所恐怖症など。最近では、スピ
ード恐怖症になったこともあります。恐怖症というのはそういうもので、中味があれこれと変わ
ることはあります。つまり「恐怖症」という入れ物ができ、そのつど、その中味が、「閉所」になっ
たり、「高所」になったりするというわけです。

 下のお子さん(弟か妹)のことは書いてありませんが、もしいるなら、分離不安がこじれた症
状も考えられます。

 どちらであるにせよ、「別人のように……」ということなら、私は、もう問題はほとんど解決して
いるのではないかと思います。

●最後に……

 心に深いキズを負った人は、二つのタイプに分かれます。

 そのまま他人の心のキズが理解できるようになる人。もう一つは、心のキズに鈍感になり、今
度は、他人をキズつける側に回る人です。よく最悪のどん底を経験した人が、そのあと、善人
と悪人に分かれるのに、似ています。

 ほかにたとえば、はげしいいじめにあった子どもが、他人にやさしくなるタイプと、今度は、自
分も、いじめる側に回るタイプに分かれるのにも、似ています。

 今、Wさんのお嬢さんは、何かときびしい状況におかれていることは、「大泣き」という言葉か
らも、よくわかります。Wさんが、かばうと、また大泣きということですが、遠慮せず、かばってあ
げてください。無神経で、無理解な人たちに負けてはいけません。お嬢さん自身は、何も、悪い
ことはしていないのです。またどこも悪くはないのです。

 お嬢さんは、日記からもわかるように、たいへん心のやさしいお嬢さんです。回りの人に、そ
ういう目で見られながらも、自分をもちなおしています。理由は、簡単です。あなたという親の愛
情と理解を、たっぷりと受けているからです。つまりここでいう善人の道を、すでに選んでいる
わけです。

 事実、『愛は万能』です。親の愛がしっかりしていれば、子どもの心がゆがむということは、あ
りえません。最後の最後まで、その愛をつらぬきます。具体的には、最後の最後まで、「許し
て、忘れます」。その度量の広さで、親の愛情の深さが決まります。

 長いトンネルに見えたかもしれませんが、もう出口は、すぐそこではないでしょうか。いろいろ
つらいこともあったでしょうが、そのつらさが、今のあなたを大きく成長させたはずです。このこ
とは、もう少し先にならないとわからないかもしれませんが、やがてあなたも、いつか、それに
気づくはずです。

 幸運にも、Wさんは、たいへん気が長い方のように思います。よい母親の第一の条件を、も
っておられるようです。「(子どもが私に)、帰っていいよと言うまで、(いつまでも)、その場で待
っています」などということは、なかなかできるものではありません。尊敬します。

 結論を言えば、今のまま、前向きに進むしかないのではないかと思います。まわりの人を理
解させるのも、あるいはその流れを変えるのも、容易ではないと思います。それ以上に、ここに
も書いたように、もう出口に近いと思われます。あと少しのがまんではないかと思います。いか
がでしょうか?

 仮に、かん黙症であっても、率直に言えば、箱庭療法程度の療法で、その症状が改善すると
は、とても思われません。かん黙症について言えば、半年単位で、その症状を見守ります。

 で、このとき大切なことは、無理をして、今の症状をこじらせないこと、です。時期がくれば、
大半のかん黙症は、なおっていきます。

 「時期」というのは、ここにも書いたように、小学三、四年生前後をいいます。それまでにこじ
らせると、かえって恐怖心をいだかせたり、自信をなくさせたりします。「あなたは、あなたです
よ」という、暖かい理解が、今、大切です。子ども自身には、自分が(ふつうでない)という意識
は、まったくないのですから。

 最近、「暖かい無視」という言葉が、よく使われています。お嬢さんを、暖かい愛情で包みなが
ら、そうした症状については、無視するのが一番かと思います。だいたいにおいて、問題のな
い子どもなど、いないのですから、そういう視点でも、一度、おおらかに見てあげてください。

 なお、「幼稚園とは、行かねばならないところ」と考えるのは、バカげていますから、もしその
ようにお考えなら、そういう考え方は、改めてください。決して、無理をしないこと。「適当に行け
ばいいのよ」「行きたいときに行けばいいのよ」と、です。

 ただこれから先、ふとしたきっかけで、学校などへ行きたがらないことも起こるかもしれませ
ん。それについては、私の「学校恐怖症」(はやし浩司のサイト、症状別相談)を参考にしてくだ
さい。そういう兆候が見られたら、むしろ親のあなたのほうから、「今日は、学校を休んで、動物
園へでも行ってみる?」と、声をかけてみてください。そういうおおらかさが、子どもの心に、風
穴をあけます。

 つぎにスキンシップです。このスキンシップには、魔法の、つまりはまだ解明されていない、不
思議な力があります。子どもがそれを求めてきたら、おっくうがらず、ていねいに、それに答え
てあげてください。

 あとは、CA、MGの多い食生活にこころがけます。海産物を中心とした、食生活をいいます。

 またかん黙症であるにせよ、恐怖症であるにせよ、できるだけそういう状態から遠ざかるの
が、賢明です。要するに、思い出させないようにするのが、コツです。あとは、その期間を、少し
ずつ、できるだけ長くしていきます。

 最後に、子育ては、楽しいですよ。すばらしいですよ。いろいろなことがありますが、どうかそ
れを前向きにとらえてください。仮にあなたのお嬢さんが、かん黙症であっても、そんなのは、
何でもない問題です。先にも書きましたが、それぞれの人が、いろいろな問題をかかえていま
す。が、こと、かん黙症については、時期がくれば、消えていく、つまりは、マイナーな問題だと
いうことです。どうか、私の言葉を信じてください。

 ついでに、できれば、私の電子マガジンをご購読ください。きっと、参考になると思います。無
料です。
(031017)








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【4】
離婚問題

相談(1)小学2年生の母から

 子どもがまだ幼児のころに離婚したのですが、離婚したことを子どもに話すタイミングはいつ
がいいのか悩んでいます。
「離婚は、あなたが原因ではないよ」ということを伝えたくて、それとなく話すこともあるのです
が、具体的なことを話すのは、子どもがはっきり聞いてくるまで待つのがいいか、早い時期に
話しておく方がいいのか、どちらがいいのでしょう。


A:今どき「離婚」など、珍しくも何ともありません。くだらない罪悪感など、捨てなさい。バカげて
います。子どもにいちいち理由など、話す必要もありません。いわんや子どもに、「原因はあな
たではないよ」とは! あなたはあなたで、前向きに、明るくさわやかに生きていけばよいので
す。
 ただし聞かれたときは、ありのままを正直に話します。事実だけを話し、それですませます。
父親の悪口、愚痴、自分の正当化は、タブー。あとの判断は、子どもに任せます。
 それよりも大切なことは、父性欠如による、子どもの心のゆがみを、どう防止するか、です。
『母親は子どもを産み育てるが、狩りの仕方を教えるのは父親』(イギリスの教育格言)です。
(1)母子関係の是正と、(2)行動の限界設定を、だれにどのような形で負担してもらうか、で
す。子どもの近くに、「父親」と見立てられるような男性を置くのがよいでしょう。先生やおじ、近
所の男性など。子どもはそういう男性を通して、「父親像」を身につけていきます。けっして、ベ
タベタの母子関係に溺れてしまってはいけません。
 繰り返しになりますが、あなたが罪悪感をもてばもつほど、子どもの心に暗い影を落とすこと
になります。あなたは何も悪いことをしていません。今のあなたにとって大切なことは、『我らが
目的は成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと』(スティーブンソン・「宝島」の著
者)です。








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【5】
異性と遊びたがる子ども

相談(2)小学3年生の父から


 うちの長男は、体重が増えることをすごく気にします。身長はあるのですが、体の線が細いの
で、運動もやっているから、もっと食べるようにと言うと、「太るから……」と言ったりします。
 また参観会や運動会などでは、たいてい女の子グループに男の子1人だったり、男の子グル
ープから外れて、女の子グループの方に座っています。太ることを気にするのは、女の子と仲
がいいから? それとも……? 心配です。


A:かなり回りくどい質問ですね。要するに、末尾の「それとも……?」が心配なわけですね。そ
ういうあなたにアドバイスできることは、ただひとつ。『許して、忘れる』です。英語では、「For・
give & For・get」と言います。
 この英語をよく見てください。「与えるため&得るため」とも読めます。つまり「子どもに愛を与
えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」という意味です。つまりどうであれ、またど
ういう方向に進もうとも、子どもは子ども。あなたの子ども。許して忘れる。その度量の深さこそ
が、愛の深さということになります。
 あとは自然の流れに任せます。水にせよ、雲にせよ、流れていくところに流れていきます。親
のあなたでも、できることには限界があるということです。もちろんだからといって、あなたの子
どもが、「それとも……?」に向かっているということではありません。この時期、ホルモン分泌
においては、男女、ほとんど差異がありません。私も小学3年生のとき、人形を抱いて寝ていま
した。思春期になると、また大きく変化してきます。今しばらく、様子を見られたらどうでしょう
か。
 で、「それとも……?」という状態になったら、この言葉を思い出してください。『許して、忘れ
る』です。人は子どもをもつことで親になりますが、「真の親」になるのはたいへんなことです。
その道は険しく、苦しい。あなたはその第一歩を踏み出したというわけです。









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【6】
子どもの積極性

相談(1)小学6年生の母親から
 長女は几帳面な性格で、宿題もきちんとするし、忘れ物もしないしっかりした子なのですが、
もう少し自分の意見をみなの前で言えるような積極性を身につけてほしいと思います。
 報道で社会の状況がますます厳しくなることを知るにつけ、この子の将来を考えると、このま
までいいのか考えてしまいます。何かできることはないでしょうか?




A:私の母は、いつもこう言っていました。『上見てキリなし、下見てキリなし』と。子どもはすでに
思春期に入っています。この時期は、子どもの良い点だけを見、それを伸ばすことだけに心が
けます。欠点を指摘すれば、役割混乱が起き、自我の確立に失敗します。結果として自己評
価力の低い子どもになり、「まだ以前の方が良かった…」を繰り返しながら、「下へ、下へ」と向
かってしまいます。親子の間に、大きなキレツを入れることにもなりかねません。
 文面から判断するかぎり、すばらしい子どもです。『まじめにまさる美徳なし』。むしろ心配な
のは、不安先行型(=取り越し苦労型)のあなたの育児姿勢です。恐らくその姿勢は、長女を
妊娠したときからつづいていると考えられます。その結果が、「今の状態」ということになりま
す。ではどうするか。
 最初は言いにくくても、「うちの子はすばらしい」を、みなの前で繰り返し言ってみてください。
その言葉はやがて第三者を経て、子どもの耳に入ります。直接、子どもの耳に入るよりも、は
るかに効果的です。これを「ウィンザー効果」といいます。またこうすることによって、それが「パ
ブリック・アナウンスメント(公的宣言)」になり、あなた自身の心を作り替えることもできます。
 で、6年後、10年後の心配はしないこと。まず「今」できることを、懸命にします。「結果」はか
ならず、あとからついてきます。










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【7】
子どもの受験対策

相談(2)中学3年生の父から
 入試を控え、合格に向けてがんばっている息子。しかし志望している高校は、少し背伸びをし
て届くかどうかという学校を選びました。
 受験する高校を選んだのは本人だし、親としても本人とよく相談したことなので、合格を信じ
て応援しています。でももしものとき、親はどういう態度を取ったらいいのかを考えると、憂うつ
です。どうしたらいいでしょうか?


A:憂うつになって当然です。憂うつにならない親はいません。そこで大切なことは、視野を広く
もつ、です。そこに健康な子どもがいる。元気で生きている。そこを原点に考えれば、子どもの
受験など、腸から出るガスのようなものです。賢明な人は、その価値を失う前に気づき、そうで
ない人は、失ってから気づきます。健康しかり、青春時代しかり、そして子どもの良さも、またし
かり。
 で、相談の件。子どもの受験はすべて、「不合格のときを考えて準備する」です。そのとき親
はどのように対処し、子どもの心を守るか。いかに心の傷(トラウマ)を最小限に抑えるか。そ
れを今から準備します。ポイントは子どもとともに、どうそれを乗り越えていくか、その道筋を、
あなた自身が用意しておく、です。方法は簡単です。親ではなく、子どもの「親友」として、子ども
の横に立ちます。それができれば、つぎの行動は自ずと決まってきます。
 なお、あなた自身もそうであったように、子どももまた、挫折し、失敗し、そのつど傷まるけに
なりながら、よりたくましくなっていきます。親としてはつらいところですが、その苦しみに耐える
のも、親の仕事のひとつです。恐れないこと。逃げないこと。
 あとは子どもに任せます。合格すれば祝い、そうでなければ、おいしいものでも食べて忘れま
す。それがドラマ。そのドラマの中にこそ、生きる意味や価値が隠されています。










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【8】
【育児ノイローゼ】


●教師が親を訴える

 新聞などで報道されている程度の情報しかない。
だから本当のところは、どうなのか?
それはよくわからない。
だからあくまでもここでは、一般論として、自分の考えを書いてみたい。
学校の教師が、親を訴えた!
そういう事件である。

Jcastは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

  S県の市立小学校に勤務する女性教師が、女児の親から何度もクレームを受けて不眠症に
陥ったとして、慰謝料500万円の支払いを求めて係争中の騒動。「とくダネ!」は騒動の原因に
迫った。 

  女性教師が提訴したのは昨年9月(2010年)。担当していたクラスの女子児童2人が喧嘩とな
り、それを仲裁したときに一方の保護者から差別をしていると非難された。さらに、背中を触れ
ただけで警察に暴行容疑の被害届が出されたという。

  取材したKAキャスターによれば、「2人の喧嘩はクラスでも話し合いが行われました。でも、
提訴している親は、もめ事は喧嘩ではなくイジメであると思ったようです。それで、連絡帳に娘
が差別されていると30行から80行にわたる教師批判の文章を何回も書いたようです」

  女性教師の言質を取るために、親がICレコーダーを密かに子供に持たせていたことも紹
介、メインキャスターのOGは「モンスターペアレントではないのか」と疑問を投げかけた。

  提訴するまでに、両親と女性教師の話し合いの場が設定されていたが、両親は拒否したと
いう。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

 その親がどうであったかは、知らない。
またこう書くからといって、その親がそうであるというのではない。
ただ一般論として、10人の親がいれば、そのうち1人くらいの割合で、「たいへんな親」
がいるのは事実。
「たいへんな親」というのには、いろいろな意味が含まれる。
教える側からみて、「たいへん」。
そういう親をいう。
受験ノイローゼの親も、それに含まれる。

 以前、(もう20年以上も前のことだが)、書いた本に、こんな話を書いた。
BLOGに紹介したのは、2006年8月の日付になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【受験ノイローゼ】

●受験ノイローゼ

 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がなる。あ
る母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼりました」
と。「家でゴロゴロしている息子(中2)を見ただけで、気分が悪くなり、その場に伏せたこともあ
ります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験があ
る。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学歴信仰
をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこちらが排斥されて
しまう。

「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった母親もい
た。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言ったときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰りかえ
す。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようになると、親自身
がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという恐怖。そしてそれ
を子どもにぶつける。

もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安が入
り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状態になる
と、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。家族の心を犠
牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学5年の女児をもつある母親はこう言
った。

「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝するは
ずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノイロー
ゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。たとえば人前で
は、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、「私はどこの学校で
もいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているので、何とか、希望をかなえ
させてやりたい」とか、言ったりする。

外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えてみる。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1) 生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな目つき、元
気のない応答など。

(2) 思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。

(3) 精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。

(4) 睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。

(5) 風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意による
事故が多くなる。

(6) ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったりする。
衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同時にいくつか
買う。

(7) ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れず、それ
が苦になってしかたない。

(8) 同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなく
なる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと思うことが多い。ヒ
ステリックに泣き叫んだりする。

(9) 他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉じこも
る。

(10) 過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症になる。体重
が極端に変化する。

(11) また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささいなことで、
相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できなくなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることができる。し
かし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっかりもっている」
のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼられるということ。

明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になったりする。
育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られた範囲で、症状
がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対して、過剰なまでに反応す
るようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1〜2時間過ごしていた母親が
いた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意していた母親も
いた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこういうエッセ
ーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつかの話をまとめた
り、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを書く人間の常識のよう
なもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭ではなかっ
たが、30万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、車の免許証
をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をまちがえたりすると、
学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。

ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子どものために、
不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、いくつ
か、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、東大だって
入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。いや、
もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイローゼになる前に、あ
る程度のレベルで収めることができる。が、その子どものできが、親の望みを下回ったとき、ノ
イローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような症状の
うち、5個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。

あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあなたの子
どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身の受験体験に
メスを入れてみてほしい。

○ 子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライラした
り、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

○ 子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくようで、
心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。


○ 子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのままダメ
になっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。

○ 同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどんなこと
をしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。


○ 子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あれこ
れ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。

○ 子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもがしたり
すると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。


○ テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、子ども
と衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

○ 明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、家庭
での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

○ 「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっとできるは
ず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。

○ 子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使えば使
うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結局は犠牲者

 繰り返すが、こう書くからといって、今話題になっている親が、そうと言うのではない。
その親のことは知らない。
テレビなどではキャスターのインタビューに答えているようだが、それも見たことがない。
本当に教師による体罰があったのかもしれない。
本当に教師による差別があったのかもしれない。
それはこれからの裁判の中で、明らかになっていくだろう。

 しかしその前に、受験ノイローゼと言われる親にしても、現在の日本がかかえる、
学校神話、受験競争、学歴主義の犠牲者にすぎないということ。
他の多くの親同様、現代の日本がもつ価値観の中で、踊らされているだけ。
「私」を見失っているだけ。
やがて時がくれば、それに気づく。
が、今は、わからない。

 が、本当の犠牲者は、子ども自身。
それを忘れてはならない。
同じく以前、こんな原稿を書いたことがある。
これがこの原稿の結論ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先生の指導に納得できない


【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)


++++++++++++++++++


息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。


【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)


[投稿者] 小6の母 
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子が下り
てきました。


解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけないと
注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。


2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意されま
した。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕ではない」と
みんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたというのです。


でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」と逆にま
た叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はすみませんと謝り
ました。


いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自分
のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしらない
間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言いまし
た。


というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言ってあげ
られなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。口を挿
むすきがなかったというのです。


息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせまし
たが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が出て
いくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょうか?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょうか。


私が学校に行って話をすることは間違っていますか?


【はやし浩司より、Aさんへ】


 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかた、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、しむけ
ます。


一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならない問題ではありません。
 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。


そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
 で、あなたは……


(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。


(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。


(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。


(4)先生に抗議しようと考える。


 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、過干渉、過関心+
溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?


 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。


 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、先生は、忙しかったと思いますよ。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。


それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。


 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。


(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。


 で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。


 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。


 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。


(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視」です。


子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。


その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいか思います。


+++++++++++++++++


『負けるが勝ち』


これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。


+++++++++++++++++


●負けるが勝ち


 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれ
て、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子
どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、ま
ともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらに
は、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1人はいる。こ
のタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうまともで
ない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。


 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が
先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか
言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも
頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集
まる。


しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」と
なる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわか
らないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではな
いことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あな
たのすべてを知っていただろうか。


それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よ
ほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄
則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【親の欲目】


●親の欲目


 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だが、それ
くらい自分の子どものことを知るのは難しい。


親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、その
子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして子どもの本
当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。


●やってここまで


 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、がんば
っていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、A君(中1)
の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児になってしまった」と。
A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でもいじめグループの中心に
いた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子ども
の学力となると、さらに難しい。


 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、「勉
強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよくわかる
が、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(やる・やらない)も
力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはな
い。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。


●子どもを受け入れる


 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているというので
あれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配で、不安が
つきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)とみる。そしても
し後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早ければ早いほど
よい。


そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成績はま
すますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それまで見
えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」というのは、
そういう父親をいう。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【Aさんへ】


 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。

 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉 はやし浩司 家庭教育 育
児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 負けるが勝ち 
教師が親を訴える モンスターママ論 育児ノイローゼ 受験ノイローゼ)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司









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【9】

【離婚と子育て】
 
体を起こして、メールを開く。
ドコモの携帯端末を購入してから、山荘でも、メールを読むことができる。
その中に、ある女性からの相談が届いていた。
四国のE県に住む女性からのものだった。
転載許可とあったので、そのまま紹介させてもらう。

『娘は幼稚園の年中児です。1歳の時離婚をし、実家に戻りました。
 
 以前から幼稚園でのお友だちに対する言動が気になっていました。具体的には「あっちいっ
て」「じゃまだよ」「〜したらいけないんだよ」などと否定的な言葉を強い調子で言います。
 
 一度、それを聞いたお友だちのママから、「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」「う
ちの子もそういってた」などと言っているのを耳にしたことがあります。

 悲しい気持ちになりましたが、私の育て方が原因であることは認識しています。家庭環境も
良くないと思っています。仕事柄、週の半分は私が帰宅する前に就寝しています。さらに私の
父と私は殆ど会話がありません。食事も(朝・昼・晩)父は自分の部屋に持って行き、テレビを
見ながら一人で食べています。理由はみたいテレビがあるかららしいです。

 母は非常にだらしが無く、部屋は散らかり放題で、食事も惣菜など出来合いのものをよく利
用します。お菓子やジュースも欲しがるだけ与えているようで、歯磨きなどもお願いしてもなか
なかしてくれません。子供も肥満気味です。

 私は出来る限りと思い、週3回の早く帰れる日は食事を作り、一緒に食べます。仕事の都合
をつけて、幼稚園の行事なども積極的に参加しています。

 でも、頻繁にヒステリックに怒ってしまいます。お菓子をだらだら食べているとき、お友達にき
ついことを言ったことがわかったとき、さらに私が、自分の親に対して苛々した時などです。自
分でも止められません。心療科を探してみたこともありますが行動に移せませんでした。娘に
人格を否定する言葉を投げつけたことも何度もあります。

 自分なりに一生懸命やってはいるものの子供にとっては心が休まらないのかと悩んでいま
す。離婚をして実家に戻ってからずっとです。2歳児クラスのときは、「明るく元気な子」と先生方
もおしゃっていましたが、あのような言動から、ひとりで遊ぶことも増えたようです。笑顔も減り
ました。

生活は自立していますが、仕事中、子供を見てもらっているため、親に意見することはありま
せん。以前「お菓子ばかりでなく・・・」といった際、母親には「じゃあもう2度と買ってこない」と強
く言われ、それからは「子供が一人で留守番できるようになるまでの辛抱だ」と自分に言い聞
かせながら過ごしています。

 子供が、優しい子、お友だちとケンカしながらも、仲良く元気に遊べる子、勉強や運動はどっ
ちでもいいから、ただこれだけを望んでいます。アドバイスをお願いします』(E県、MSより)。

 現在、娘さんは、4歳という。

●MSさんへ

 子育ては重労働。
仮に子どもがそばにいなくても、その精神的負担には、相当なものがある。
一瞬たりとも、気が抜けない。
4歳児といえば、動きも活発。
目も離せない。
いわんやMSさんは、現在は離婚し、ひとりで子育てをしている。
そのための支援制度もあるが、現実には、不備だらけ。

 が、こういうときの鉄則は、ひとつ。
「今できることだけを懸命にし、先のことは悩まない」。

 「先」を求め、「先」を悩み、「先」に期待すると、不平や不満はかぎりなく増大する。
心配や不安も増大する。
というのも、「先」には、いつも欲望がからんでいる。
その欲望には、際限がない。
ひとつの「先」を達成すると、「もっと……」とか、「さらに……」となる。
だからいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。

 MSさんも、「今」のこの瞬間に、集中する。
今、そこにある現実を原点とし、今、すべきことをする。
いろいろ問題が起きたとしても、過去は過去。
問題を過去(離婚)に結びつけないこと。
というのも、MSさんの子どもが現在示しているような症状は、少し生意気な子どもなら、だれ
にでも見られるもの。
「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」「うちの子もそういってた」などなど。
心に引け目があると、悪い言葉ばかりが、気になるもの。
これらの言葉を言い換えると、こうなる。
「○○ちゃんって、しっかりしてるね」「負けず嫌いね」「うちの子もそういってた」と。

 ただ現状をみるかぎり、両親の協力は不可欠。
両親に任すべきことは、両親に任す。
両親に任せても、MSさん以上には、「悪い子」にはならないはず(失礼!)。
なぜならMSさん自身も、その両親に育てられているから。

 たとえば糖分の多い食生活にしても、生活全体から見れば、マイナーな問題(=あとで取り返
しのきく、小さな問題)。
メールを読む範囲では、MSさん自身も、またMSさんの子どもも、満たされない欲求をかか
え、欲求不満状態にあると思われる。
MSさん自身は、かなり性的なものかもしれない。
MSさんの子どもは、いわゆる愛情飢餓状態。
MSさん自身のことは、私にはどうとも書けないが、子どもについては、つぎの方法で、改善で
きる。

(1)MSさん自身がもっと心を開くこと。おかしな親意識を捨て、さみしかったら、さみしいと言え
ばよい。
(2)MSさんが、もっと濃密な愛情表現をすること。添い寝、手つなぎ、抱っこなどなど。子ども
をもっと、甘えさせる。MSさん自身が心を開いていないため、子どももまた心を開けない状態
にある。

 「ママもさみしいから、いっしょに寝ようね」と、そう言えばよい。
ただし元夫(父親)の悪口、愚痴、不満、不平は、タブー中のタブー。
これらは、いつか子どもが、母親に何かのことで反感を覚えたとき、即、母親攻撃の材料に転
化してしまう。

 要するに、今は今で、MSさんは、今の人生を楽しめばよい。
両親に子どもを任せ、したいことをすればよい。
考えようによっては、すばらしいチャンス。
MSさんが生き生きと楽しく過ごしていれば、かならずつぎのチャンスもやってくる。
繰り返しになるが、過去をジクジクと引きずってはいけない。

(追記、MSさんから、はやし浩司へ)

はやし浩司様
 
ご返信有難うございました。
 
涙でメールが読めませんでした。
 
娘が愛情飢餓状態なのはご指摘頂き、確信しているところです。
自分がそうだった、と思いながら・・、また昔のことと比べながらと後悔しながら、
今日も仕事から帰宅し、寝ている娘を見ながら感じました。
 
私の母は今日も、私が帰宅するとすぐに、私と娘の寝室から無言で出て行きました・・・。
私は寂しいけど、それまで娘と一緒に寝てくれていた、と考えるように、考えられるように、なっ
ていきたいと思います。
 
 
娘が、今後、波風ありながらも健やかに明るく過ごせればいいのだなと改めて感じています。
私が満たされない部分があることは解かっていても、自分でも具体的に認識できていないけれ
ど、やりがいのある仕事を続けられることを支えに、何とか、何とか、日々、毎日つつがなく終
わることを願って過ごしていました。
 
 
少し楽しもうかなとも思います。昔のように。
自分の人生も考えようと思います。そうは言っても、大げさなことは出来ないけど、楽しい、明る
いお母さんになりたいと思います。
 
はやし浩志司様、ただいっぱいいっぱいになり、突発的に、偶然に見て、初めて送ってみたこ
のようなメールでしたが、
返信頂き、救われた人間がいることを、お知らせすると共に、感謝したいと思います。
 
大切なお時間を割いて頂き、有難うございました。
今日はこれから、娘の出世時のアルバムを見ながらビールを飲みたいと思います。
 
ありがとうございました。
 
【はやし浩司より、MSさんへ】

 つっぱらないで、負けを認め、心にすなおになればいいのです。
『負けるが勝ち』ですよ。
負けていると、心はキズまるけになりますが、キズまるけになればなるほど、元のキズがわか
らなくなります。

 あのね、あなたのお母さん。
本当は、あなたのお母さんが、いちばん苦しんでいるのですよ。
娘には幸福になってもらいたい。
しかし自分を捨てた娘が、そこにいる。
(あなたにはその意識はなかったかもしれませんが……。)
たいへんな葛藤をしていると思いますよ。

 一度、心を開いて、お母さんにこう言ってみてはどうでしょうか。
「お母さん、ごめんね」と。
たった一言でいいです。
あとは時間が解決してくれます。
すぐに反応がないからといって、あきらめてはいけません。
「お母さんに心配をかけて、ごめんね」と、です。

 もし4歳の子どもが、今、あなたと同じ境遇に置かれたとしたら、あなたは自分の子どもをどう
思うでしょうか。
あなたはきっと苦しむと思いますよ。

あなたは結婚するのも、離婚するのも、私の勝手……と思っているかもしれません。
しかしその向こうには、親がいて、そういうあなたをいつも心配して見ているのです。
ちょうど今、あなたが4歳の子どもを心配して見ているようにです。
だから「ごめんね」です。

 心を開いて!
体はあとからついてくる!
問題も、それで解決する!









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】
【親が子どもを虐待するとき】

●虐待

 虐待の内容については、すでに様々な方面から考察がなされている。
肉体的な虐待(暴力的虐待)をふつう虐待というが、暴力(殴る、蹴る、叩く)に限らない。
精神的虐待(威圧、恐怖心を与える)、不作為による虐待(ネグレクト、無視、冷淡、無言)、言
葉による虐待(「死ね」「捨てる」)などもある。

様態はさまざまで、多くは虐待と意識しないまま、虐待する。
そのため親側に罪の意識が薄く、また多くは、「子どものため」と錯覚して虐待することも多い。
一般的には、指導、しつけ、教育の範囲を逸脱し、子どもに肉体的、精神的苦痛を与え、子ど
もの肉体および精神に、後に残る傷痕を残すような行為を虐待という(以上、はやし浩司)。

●虐待の背景

 親が子どもを虐待するとき、その原因も多岐にわたる。
多くは親側の精神的欠陥、情緒的未熟性があるとみる。
さらに虐待は、世代連鎖しやすく、虐待する親自身が、子どものころその親に虐待された経験
をもっていることが多い。

 また育児ノイローゼから、うつ病を発症し、その結果として子どもを虐待するケースもある。
このばあいは、ささいなことで、カッとなり突発的に虐待に走るのが特徴。
行動に自制がきかず、子どもを殺す寸前までのことをする。
が、しばらくすると冷静になり、「○○ちゃん、ごめんね」と謝ったりする。

 ほかに子どもを自分の支配下に置き、思い通りにする(代償的過保護)、あるいは自己の親
としての存在感を訴えるために虐待するケースもある(代理ミュンヒハウゼン症候群)。

 さらに現在、子どもを愛せないと人知れず悩んでいる母親が、8〜10%いる(はやし浩司・浜
松市内で調査)。
母親自身の乳幼児期における母子関係の不在が原因であることが多いが、こんなケースもあ
る。

 Aさんは子ども(男児)が幼稚園児のころ、離婚した。
夫がAさんと子どもを捨てて、家を出た。
で、そのあとしばらくしてからAさんは、子どもを虐待するようになった。
バットで子どもを叩きつけることもあったという。
理由を聞くと、「横顔が自分を捨てた夫そっくりだから」と。

 潜在意識の奥に潜む、憎しみが、虐待という形になって、具象化するケースも少なくない(以
上、はやし浩司)。

 ほかにキレる子どもに準じて考えることもできる。
環境ホルモン説、脳の微細障害説など。

●精神的欠陥、情緒的未熟性

 精神的欠陥については、私は専門外なので、ここでは割愛する。
簡単に言えば、大脳の前頭連合野の自己管理能力に、何か問題があるとみる。
激情的に行動に走りながら、抑制が働かない。
そのため虐待も、狂乱的になり、暴力、暴言も過激なものになりやすい。
精神的欠陥によるものであれば、精神科での治療対象となる。

 また情緒的未熟性については、その親自身の乳幼児期の環境が影響していることが多い。
とくに母子関係の不全を疑ってみる。
基本的信頼関係の構築の失敗すると、いわゆるマターナル・デブルベーション(母子関係不全
症候群)を引き起こしやすくなる(注※1)。
子どもは、心豊かで、落ち着いた静かな環境で、心をはぐくむ。
そのどこかに欠陥があると、将来的に、マターナル・デブリベーションを引き起こしやすい(以
上、はやし浩司)。

●埼玉県T市のSKさんの相談

 埼玉県T市に住んでいるSKさんより、こんなメールが届いている(はやし浩司 2011−06
ー19)。
転載許可とあるので、そのまま紹介させてもらう。

【SKさんより、はやし浩司へ】

長女9歳のことで相談です。

お恥ずかしい話ですが、下の子が生まれた頃から上の子に対してイライラが募るようになりま
した。
手を上げることも多く、精神的に追い込むような言葉を言ってしまいます。
その上ピアノや勉強・・・と子どもの能力以上のことを求めてがんじがらめの状態。

徐々に子どもが激しいつめかみ・まつげや眉毛を抜く。
最近では、ぎゃーぎゃー泣き叫ぶというかわめきちらすし、ものを投げたり、話し合っても矛盾
したことばかり言います。

すべて私のせいで愛情不足・精神的においつめたせいだと思います。
学校では普段と変わらず生活しているようですが、家では異常な行動が多いです。

心が壊れてしまっていてこのままではいけないと、何とか自分が変わらなければ・・・と思いなが
らもやはり娘に対しては怒りの感情が強く、なかなか自分の力ではどうしようもありませんでし
た。

そして色々調べる中私も小さいころから虐待を受け、アダルトチルドレンであると思うようになり
ました。
カウンセラー?病院?どこを受診していいのかわからず、私は6月末からマイツリーの虐待に
ついてのプログラムを受けることにしました。

ただ子どもについてもこのままではいけないような気がして、どこかの機関を受診したいのです
が、なかなか傷ついた子どもを見て頂けるというか対処法がみつかりません。
色々検索して先生のサイトにたどりつきました。

どのような機関を受診すればいいのか? 対処法など教えていただけないでしょうか。
勝手な母親ですが、ご返答よろしくお願いします。

●マイツリー(My Tree)

 マイツリー・ペアレント・プログラムについては、いろいろなホームページで紹介されているの
で、そちらをご覧いただきたい。
(「マイ・ツリー」で検索をかければ、ヒットできる。)
私(はやし浩司)は、直接的には、知らない。

 すでにマイツリーでの指導を受けているなら、しばらくはそちらで指導を受けてみた方がよ
い。
私自身は、ここにも書いたように直接的には、それがどういう内容のものか、知らない。

●SKさんの子ども

 SKさんのケースでは、子どもの症状から、子ども自身がかなりの恐怖心を日常的にもってい
ることがわかる。
激しいつめかみ、まつげや眉毛を抜くといった、神経症による症状は、その代償的行為とし
て、外に現れる。

ふつうこういうケースでは、子どもは、(1)極端に萎縮する、(2)極端に粗放化するのどちらか
の様態を取る。

 親の異常な暴力的威圧に、抑え込まれてしまったのが、(1)のタイプ、
それをはね返し、見かけ上たくましくなったのが、(2)のタイプということになる。
SKさんの子どもは、(2)のタイプ、つまり攻撃型と考えられる。
予後について言えば、(1)のタイプは、立ち直りがたいへんむずかしい。
(2)のタイプは、一見、扱いにくいが、立ち直りが早い。
その分だけ、生命力がたくましいということになる。

 で、こういうケースのばあい、子どもは「家族の代表」にすぎない。
子どもに何か、ふつうでない症状が現れたら、子どもに問題があるとみるのではなく、家族(こ
のばあいは、母親の育児姿勢)に問題があるとみる。
SKさんは、「子どもを治そう」と考えているが、逆。
まずSKさん自身を治す。
その結果として、子どもも治る。

●では、どうするか

 先にも書いたように、「マイツリー」という団体で指導を受けているなら、しばらくそちらのほう
で、いろいろな人たちの意見を聞いたらよい。
が、私自身は、メールの内容からして、SKさん自身の「心」に大きな問題があるとみる。その
ため、一度、心療内科を訪れてみることを勧める。

 それによって、子どもへのこだわり、うつ病的な症状は、かなり改善する。
SKさんが精神の安定を取り戻せば、子どもも、それに並行して、落ち着く。
9歳という年齢は、まだじゅうぶん取り返しのつく年齢である。
(思春期前夜から思春期に入ると、子どもの心の問題を解決するのが、たいへんむずかしくな
る。
人格の「核(コア)」が完成するためである。)

 つぎのようにアドバイスする。

(1)父親(夫)とはどういう関係なのか。
もし父親が近くにいるなら、父親の協力、理解が不可欠。
育児をひとりで背負わないで、よきパートナーとして、協力してもらう。
(このメールを見せるのもよい。)

(2)心療内科で安定剤を処方してもらう。
今ではこだわりを取り除く、すぐれた薬も開発されている。
ささいなことが気になり、それが爆発的に興奮状態につながるようであれば、うつ病も疑われ
る。
適切な治療こそ、最善。

(3)自分の心の中をのぞく
SKさんは、自身の不幸な過去について、少し触れている。
そういう形で、自分をもう一度、客観的に見つめ直してみる。
自分がわかれば、つまりそれが原因とわかれば、あとは時間が解決してくれる。
(5年単位の時間はかかる。その覚悟はしておくこと。)

(4)子どもの神経症
9歳という年齢からして、まだじゅうぶん、間に合う。
ただし子どもへの薬物投与は、慎重に。
これは子どもの問題ではなく、SKさん自身の問題と考えること。
子どもは「代表」であり、「結果」でしかない。
また攻撃型に出ているという点からして、予後もよい。
あまり深刻に考えないこと。

(5)SKさんへ

 あなたはすばらしい母親です。
まず、そう考えてください。
ここまで自分を客観的にみつめ、また自分を改めようとする母親は、たいへん少ないです。
ただあなたには、あなたの、自分の意思ではどうにもならない問題をかかえています。
(SKさんのケースでは、マイツリーが提案しているような、プログラム的な指導で、改善すると
は、私は考えていません。
心だって風邪をひくときには、ひきます。
風邪をひいたら、病院へ行けばよいのです。)
だから自分を責めてはいけません。
どうしようもないのです。

 そのためにも、一度心療内科のドクターに相談してみるとよいでしょう。
私も仕事上、神経をすり減らすことが多く、精神安定剤を常用しています。
あとはイライラを、自分のしたいことで、解消しています。
それぞれの人にはそれぞれに合った解消法があります。
SKさんにもあるはずです。
やがてそれを見つけ、適当に発散する。
つまりこの種の病気(病気と決めつけて、ごめん!)は、治そうと思わず、うまくつきあえばよい
のです。

 へたにがんばると、かえってストレスがたまってしまいます。

 あまりよい返事になっていないかしれませんが、いくつか原稿を添付しておきます。
どうか、参考にしてください。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※1)
 
●マターナル・デブリベーション(母子関係不全症候群)

+++++++++++++++++++

乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デブリベーション」
という。

子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8〜10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。

その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。

さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。

もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デブリエイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である(以上、はやし浩司)。

++++++++++++++++++

●心の葛藤

 母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。

++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++

●症状(1)

【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。 
漠然と怖い。 
超泣く。所構わず突発的に。 
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める) 
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中) 

【その他質問、追加事項】 
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。 
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続け
た。 

反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。 
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、 
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようにな
り 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言
葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。

●症状(2)

【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感
じます。電話に出たり一人で外出できません。 

母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち
直れません。フラッシュバックがよく起きます。 

常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り
続ける妙な癖のようなものがある。 

「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放される
と信じていたりして自分でもマズイと思ってます。 

普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。 
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽ
い奇声を発することもあります。これはごく稀です。

++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++++

●母子関係の重要性

 乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。

 基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、
心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)

 が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)

 さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこ
む習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。

 が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。

●ホスピタリズム(施設病)

 生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特
の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。

(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってき
た。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになってい
る。)

 ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の
発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、そ
れを末尾に添付しておく。
 
 マターナル・デブリエイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる。

 さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってき
た。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされた
が、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。

●いじめの問題

 このマターナル・デブリエイションとは、直接関係ないかもしれないが、(いじめ)について、少
し書いてみる。

 先に、「年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、
虐待したりするようになる」と書いた。
このことは、たとえば年中児〜年長児(4〜6歳児)に、ぬいぐるみを見せてみるとわかる。
心の温もりがじゅうぶん育っている子どもは、そうしたぬいぐるみを見せると、どこかうっとりとし
た表情を示す。
全体の7〜8割が、そうである。
が、その一方で、ぬいぐるみを見せても反応しないか、反対にキックを入れたりする子どももい
る。
(キックするからといって、心の冷たい子どもということには、ならない。誤解のないように!)
しかしこの時期までに、基本的な母性愛、父性愛の基本形は決まると考えてよい。
この時期に、おだやかでやさしい心をもった子どもは、その後も、そうした温もりを維持すること
ができる。

 もちろんこれだけで、(いじめの問題)がすべて説明できるわけではない。
またこの問題を解決すれば、(いじめの問題)がなくなるわけではない。
しかし(いじめの問題)を考えるときには、こうした問題もあるということを、頭に入れておく必要
がある。
その子どもにすべての責任をかぶせるのは、かえって危険なことでもある。

 反対に、たとえば極端なケースかもしれないが、溺愛児とか過保護児と呼ばれている子ども
がいる。
このタイプの子どもは、よい意味において、母親の愛情をたっぷりと受けているから、いつも満
足げでおっとりした様子を示す。
人格の核(コア)形成が遅れるというマイナス面はあるが、こと(いじめ)ということに関していえ
ば、いじめの対象になることはあっても、いじめる側に回ることはまず、ない。

●「私」はどうか?

 こうした問題を考えていると、いつも「では、私はどうなのか?」という問題がついて回る。
 「マターナル・デブリベーションという問題があるのは、わかった。では、私はどうなのか?」
と。

 この文章を読んでいる人の中にも、心の温かい人もいる。
一方、心の冷たい人もいる。
が、この問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分でそれを自覚するのは難し
い。
心のやさしい人は、みなもそうだと思いやすい。
反対に心の冷たい人は、みなもそうだと思いやすい。
人は、いつも(自分の心)を基準として、他人をみる。

 言い換えると、とくに心の冷たい人は、自分の心の冷たさに気づくことはない。
うすうす感ずることはあっても、いつもどこかでブレーキが働いてしまう。
あるいは上辺だけは、心の温かい人を演ずることもある。
だれかの不幸話を聞いたようなとき、さも同情したかのようなフリをしてみせる。
しかしそれ以上に、相手の心の中に踏み込んでいくことができない……。

 そこで「私」を知る。
つまり「私自身は、どうなのか?」と。
私という人間は、心の温かい人間なのか。
それとも心の冷たい人間なのか、と。

 そのひとつの基準が、(いじめ)ということになる。
今、善人ぶっているあなただって、ひょっとしたら学生時代、いじめを繰り返していたかもしれな
い。
そこにいじめられている人がいても、見て見ぬフリをして、通り過ぎてきたかもしれない。
あるいは、あなたが自身が先頭に立って、いじめを繰り返していたかもしれない。

 そういうあなたは、じつはあなたの意思というよりは、あなたの育てられ方に原因があって、
そうしていただけにすぎないということになる。

 ……と、短絡的に結びつけて考えることはできないが、その可能性も高いという意味で、この
「マターナル・デブリベーション」の問題を考えてみたらよい。

 そこでもう一度、あなた自身に問いただしてみる。

「あなたという人間は、子どものころいつも、(いじめ)とは無縁の世界にいただろうか」、
それとも「いつも(いじめ)の中心にいただろうか」と。

 もし(いじめ)の中心にいたとするなら、あなたはかなり心の冷たい人間である可能性が高
い。
さらに言えば、乳幼児期に、不幸にして不幸な家庭環境に育った可能性が高い。
で、その(冷たさ)ゆえに、失っているものも多いはず。
孤独で、みじめで、さみしい毎日を送っているはず。
損か得かということになれば、損に決まっている。

●では、どうするか

 心の冷たい人が、温かい人になるということは、ありえるのだろうか。
乳幼児期にできあがった(心)を、おとなになってから、作り替えることは可能なのだろうか。

私は、それはたいへんむずかしいと思う。
人格の核(コア)というのは、そういうもの。
本能に近い部分にまで刻み込まれるため、それを訂正したり、修正したりするのは、容易なこ
とではない。
そうした変化を自分のものにする前に、人生そのものが先に終わってしまってしまうということ
もある。
自分を作り変えるとしても、時間がかかる。
10年単位、20年単位の時間がかかる。
が、何よりも難しいのは、そうした自分に気がつくこと。

 この問題は、先にも書いたように、脳のCPUの問題がからんでいる。
さらに加齢とともに、(心)は、あなた自身の性格や性質として、定着してしまう。
これを「性格の固定化」と、私は呼んでいる。
そうなると、自分を変えるのは、ますます難しくなる。

 では、どうすればよいか。
ひとつの方法として、これは前にも書いたが、「感動する」という方法がある。
「感動する」ことによって、「他者との共鳴性」を育てる。
わかりやすく言えば、相手の心と波長を合わせる。
絵画、音楽、文学、演劇、映画、ドラマ・・・。
何でもよい。
そこに感動するものがあれば、それに感動する。
そういう場を自ら、求めていく。
つまり感動しながら、自分の心のワクを広げていく。

 さらに最近の大脳生理学によれば、脳の中の辺縁系にある扁桃核(扁桃体)が、心の温もり
に関しているという説もある。
心のやさしい人は、大脳皮質部からの信号を受けると、扁桃核が、モルヒネ様のホルモン(エ
ンドロフィン、エンケファリン系)の分泌を促す。
それが心地よい陶酔感を引き起こす。
心の冷たい人は、そういう脳内のメカニズムそのものが、機能しないのかもしれない。
(これは私の推察。)

●まず「私」を知る

 が、それとて、まずその前に「私」を知らなければならない。
「私は冷たい人間」ということを、自覚しなければならない。
繰り返すが、この問題は脳のCPUの問題だから、自分でそれに気づくだけでもたいへん。
特別な経験をしないかぎり、不可能とさえ言える。
そのひとつの基準として、先に、(いじめ)を取り上げてみた。
ほかにも、いろいろある。

 たとえばホームレスの人が路上で寝ていたする。
冷たい冬の風が、吹き荒れている。
そういう人を見て、心を痛める人がいる。
反対に街のゴミのように思う人もいる。

 たとえば近親の中で、事業に失敗した人がいたとする。
そういうとき、何とか援助する方法はないものかと、あれこれ気をもむ人もいる。
反対に、「ザマーミロ」と笑ってすます人もいる。

 いろいろな場面を通して、「私」を評価してみたらよい。
「私という人間は、どういう人間なのか」と。
それが好ましい人間性であれば、それでよし。
もしそうでなければ、つぎに「どうしてそういう私になったか」を、考えてみればよい。

 「マターナル・デブリエイション」というと、子どもの問題と考えがちである。
しかしこの問題は、その子どもがおとなになってからも、つづく。
つまり(あなた)自身の問題ということになる。
(あなた)も、かつてはその(子ども)だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ホスピタリズム(追記)

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、私の家
には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってきた。これ
をA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か月くらいしてからも
らってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、一二年
にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛想はいいが、
決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、すぐ遊びに行ってしま
う。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならない。見知らぬ人が庭の中に入
ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、そのまま
寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。おかげで植木
鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその割には、人間には忠
実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入ってこようものなら、けたた
ましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったら
よいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤解を生ずるの
で、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ以後、なかなか変わ
らないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に
大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を許すこ
とを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。つまり人間を信
頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間
の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子どもをい
う。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られている。感情の
動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつ
きやすい(長畑正道氏)など。

が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手にへつらう、相手に合わせて
自分の心を偽る、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そ
のくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をか
ぶり、無理をする。そのため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われるが、どう
もそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまか
す。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほうから離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだったと言
えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もない時代だった。…
…と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析していくと、自分の姿が見え
てくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私が私
であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま私自身の問
題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家庭
不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが問題で
はない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。
たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そ
して同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへ
と伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、ゆがんだ
自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールすることができるように
なった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、
結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一度自分の心の中
を旅してみるとよい。
(02−11−7)

● いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、自分の
過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるということではな
く、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されることである。またこの問題
は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。あとは時間の問題。

++++++++++++++++

心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
この「基本的信頼関係」の中には、「基本的自律心」という意味も含まれる。

心豊かで、愛情をたっぷりと受けて育てられた子どもは、それだけ自律心が、強いということに
なる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 自立 自律 子どもの自立
子供の自律 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 マターナルデブリエイション マターナル・デブリエイション 母子関
係 母性愛の欠落 ホスピタリズム 長畑 施設病 人間性の欠落 臨界期 敏感期 刷り込
み 保護と依存 子どもの依存性 幼児期前期 自律期 幼児期後期 自立期)

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●虐待

 ●虐待される子ども

++++++++++++++++

 カナーという学者は、虐待を次のように
定義している。

(1) 度の敵意と冷淡、
(2) 完ぺき主義、
(3) 代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、
愛情に根ざした本来の過保護ではなく、
子どもを自分の支配下において、思い
通りにしたいという、親のエゴに基づ
いた過保護をいう。

代償的過保護ともいう。

+++++++++++++++

                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で幼稚
園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震わせていまし
た」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。その
子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。(1)過度の敵意と冷淡、(2)完ぺき主
義、(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の
支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。代償的過保護
ともいう。

その結果子どもは、(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、(2)強迫傾向(いつも何かに強迫され
ているかのように、おびえる)、(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状
を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の子でし
た。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の
子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、(1)親自身が障害をもっている。
(2)子どもが親の重荷になっている。(3)子どもが親にとって、失望の種になっている。(4)親
が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげてい
る。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。I氏のケ
ースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、殺す寸前までの
ことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。学習
中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、
近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。
父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と
脅されている学校の先生もいる。

あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻した
りを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識
を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつか私はこのコ
ラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが虐待されている
のを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」という方法もあるが、「どうして
も大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。そのほうが適切に対処してくれ
ます」(S小学校N校長)とのこと。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 虐待
 虐待の定義 ホルネイ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●環境虐待

+++++++++++

虐待といっても、直接虐待と
間接虐待がある。

このほか、最近私は、環境
虐待という言葉を考えた。

+++++++++++

 虐待といっても、直接虐待と間接虐待がある。「間接虐待」という言葉は、私が考えた。たとえ
ばはげしい夫婦げんか、家庭騒動、家庭不和、家庭崩壊など。こういったものは、子どもに対
して直接的ではないにしても、子どもの心に大きな傷を残す。

 が、最近、こんな経験をしている。

 あるところにある母親がいる。年齢は、今年40歳を少し過ぎた。上の子どもが小学5年生
(男児)、下の子どもが小学2年生(女児)。

 母親は、結婚まもなくから、うつ病になった。うつ病には(こだわり)や(妄想性)はつきものだ
が、その母親もそうだった。その母親のばあいも、ささいなことを気にして、それを異常なまで
に針小棒大に問題にした。

 あるときは、隣の浄化槽のポンプがうるさいからといって、夜中に、それを破壊してしまったこ
ともある。そのときは隣人が、その母親の病状を理解し、弁償程度で話がすんだ。あるいは、
家の近くの駐車場を借りているのだが、その駐車場で隣の車が、自分の車に傷をつけたと騒
いだこともある。

 見ると、ほんの数ミリにもならないすり傷だったのだが、その母親は、隣に駐車してあった車
のドアが当たったと主張した。このときは、警察官まで呼んで、実地検分までしたという。

 そういう母親だから、家庭の中では、どんな母親か、容易に察しがつく。数週間の間、家の中
に引きこもったかと思うと、今度は突然、手芸の店を開くといって、夫をあわてさせたりしたこと
もある。が、かわいそうなのは、2人の子ども。そのつど、その2人の子どもは、そういう母親に
引き回された。私が聞いた話に、こんなことがあった。

 2年生の子どもが、学校からテスト用紙をもらって帰ってきた。かけ算の九九のテスト用紙だ
った。見ると、下3分の1程度の答が、ちょうど一列ずつ下へ、ずれているのがわかった。母親
は、自分の子どもが、隣の子どもの答案を丸写しにしたと考えた。(実際、そうだったかもしれ
ないが……。子どもの世界では、よくあることである。)

 そこで母親は、その子どもを問いつめた。しかった。が、それでは足りないと思ったのか、そ
の足で学校へ行き、「しっかりと監視していてほしい」と先生に告げた。

 そういう家庭環境だから、上の子ども(小5男児)は萎縮してしまった。ハキがなく、母親の前
では、いつもオドオドしていた。一方、下の子ども(小2女児)は、やや粗放化した上、虚言癖を
もつようになった。こんなことがあった。

 ある日、突然、その母親が学校の職員室に飛び込んできた。そして大声でこう怒鳴った。

 「○○先生が、うちの娘を殴った。何とかしろ!」と。

 それを聞いた教頭が、授業の途中だったが、担任の先生を呼び、事情を聞いた。しかし担任
の先生には、まったく身に覚えがなかった。ほかの子どもの頭を手で、あいさつがわりに軽くた
たいたことはあるが、その子どもには、なかった。

 それを話すと、その母親は、「うちの娘は、嘘をつかない」「あなたはうちの娘を、嘘つきと言う
のか!」と。さらに大声で怒鳴ったという。

 結局、この話、つまりその先生がその子どもを殴ったという話は、その子どもの作り話とわか
ったという。その前日あまりにも忘れ物が多いので、、その先生が、その子どもにこう言った。
「今度、忘れ物をしたら、君のお母さんに電話するよ」と。そこでその子どもが先手を打つ形
で、先生の悪口を言った。それが「殴った」という話になった。

 こうした症状はともかくも、母親がつくる家庭環境が、子どもの心に大きな影響を与えている
ことは、明白だった。虐待という虐待ではないかもしれないが、それに近い影響を与えていた。
そこで私は、こうした虐待を、「環境虐待」と呼ぶことにした。

 子どもの立場からして、心静かにくつろげる環境がない。家庭が家庭として、機能していな
い。情緒が不安定な母親に、そのつど、生活が乱される。程度の差もあるが、こうした家庭環
境も虐待に準じて考え、ひどいばあいには、子どもの隔離ということも考える。

 虐待といっても、内容、程度は、さまざま。子どもの体に直接危害を加える、「直接虐待」にし
ても、虐待を加える親にしても、始終、虐待を加えているわけではない。ふだんは、むしろやさ
しく、思いやりのある親であることが多い。(もちろん日常的に虐待をしている親もいるが…
…。)

 週に1度とか、月に2、3度とか、そのときの親の気分に左右されて、子どもを虐待する。しか
しそれでも子どもの心に大きな傷跡を残す。そういうことも考えると、ここでいう環境虐待のほう
が、ずっと質(たち)が悪い。そういう前提で、考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 間接
虐待 直接虐待 環境虐待)

++++++++++++

間接虐待について、以前
書いた原稿を添付します。

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● 間接虐待

 直接虐待を受けなくても、まわりの騒動が原因で、子どもが、心理的に、虐待を受けたのと同
じ状態になることがある。これを私は、「間接虐待」と呼んでいる。

 たとえばはげしい夫婦げんかを見て、子どもがおびえたとする。「こわいよ」「こわいよ」と泣い
たとする。が、その夫婦には、子どもを虐待したという意識はない。しかし子どもは、その恐怖
感から、虐待を受けたときと同じキズが、心につく。これが間接虐待である。

 というのも、よく誤解されるが、虐待というのは、何も肉体的暴力だけではない。精神的な暴
力も、それに含まれる。言葉の虐待も、その一つである。言いかえると、心理的な苦痛をともな
うようであれば、それが直接的な虐待でなくても、虐待ということになる。

 たとえば、こんな例を考えてみよう。

 ある父親が、アルコール中毒か何かで、数日に1回は、酒を飲んで暴れたとする。食器棚を
押し倒し、妻(子どもの母親)を、殴ったり、蹴ったりしたとする。

 それを見て、子どもが、おびえ、大きな恐怖感を味わったとする。

 このとき、その父親は、直接子どもに暴力を加えなくても、その暴力と同じ心理的な苦痛を与
えたことになる。つまりその子どもに与える影響は、肉体的な虐待と同じということになる。それ
が私がいう、間接虐待である。

 が、問題は、ここにも書いたように、そういう苦痛を子どもに与えながら、その(与えている)と
いう意識が、親にないということ。家庭内騒動にせよ、はげしい夫婦げんかにせよ、親たちは
それを、自分たちだけの問題として、かたづけてしまう。

 しかしそういった騒動が、子どもには、大きな心理的苦痛を与えることがある。そしてその苦
痛が、まさに虐待といえるものであることがある。

 H氏(57歳)の例で考えてみよう。

 H氏の父親は、戦争で貫通銃創(銃弾が体内を通り抜けるようなケガ)を受けた。そのためも
あって、日本へ帰国してからは、毎晩、酒に溺れる日々がつづいた。

 今でいう、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)だったかもしれない。H氏の父親は、やがてア
ルコール中毒になり、家の中で暴れるようになった。

 当然、はげしい家庭内騒動が、つづくようになった。食卓をひっくりかえす、障子戸をぶち破
る、戸だなを倒すなどの乱暴を繰りかえした。今なら、離婚ということになったのだろうが、簡単
には離婚できない事情があった。H氏の家庭は、そのあたりでも本家。何人かの親戚が、近く
に住んでいた。

 H氏は、そういうはげしい家庭内騒動を見ながら、心に大きなキズを負った。

 ……といっても、H氏が、そのキズに気がついていたわけではない。心のキズというのは、そ
ういうもの。脳のCPU(中央演算装置)にからんでいるだけに、本人が、それに気づくということ
は、むずかしい。

 しかしH氏には、自分でもどうすることもできない、心の問題があった。不安神経症や、二重
人格性など。とくに二重人格性は、深刻な問題だった。

 ふとしたきっかけで、もう一人の人格になってしまう。しかしH氏のばあい、救われるのは、そ
うした別の人格性をもったときも、それを客観的に判断することができたこと。もしそれができ
なければ、まさに二重人格者ということになったかもしれない。

 が、なぜ、H氏が、そうなったか? 原因を、H氏の父親の酒乱に結びつけることはできない
が、しかしそれが原因でないとは、だれにも言えない。H氏には、いくつか思い当たる事実があ
った。

 その中でも、H氏がとくに強く覚えているのは、H氏が、6歳のときの夜のことだった。その夜
は、いつもよりも父親が酒を飲んで暴れた。そのときH氏は、5歳年上の姉と、家の物置小屋
に身を隠した。

 その夜のことは、H氏の姉もよく覚えていたという。H氏は、その姉と抱きあいながら、「こわ
い」「こわい」と、泣きあったという。その夜のことについて、H氏は、こう言う。

 「今でも、あの夜のことを思い出すと、体が震えます」と。

 心のキズというのは、そういうもの。キズといっても、肉体的なキズのように形があるわけでは
ない。外から見えるものでもない。しかし何らかの形で、その人の心を裏からあやつる。そして
あやつられるその人は、あやつられていることにすら、気がつかない。そして同じ苦痛を、繰り
かえし味わう。

 間接虐待。ここにも書いたが、この言葉は、私が考えた。

【注意】

 動物愛護団体の世界にも、「間接虐待」という言葉がある。飼っているペットを、庭に放置した
り、病気になっても、適切な措置をとらないことなどをいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【虐待と非行】

●非行の子ども、3割虐待経験(駐日新聞)

 全国の児童相談所で非行相談を受けた子どもの30%は、親などから、虐待されたことがあ
り、ほぼ半数は、育つ途中で、養育者が代わり、親や家族らとの愛着関係を建たれる経験をし
ていたことが、6月13日(05)、犬塚峰子、東京都児童相談センター治療行政課長らの、厚生
労働省研究班の調査で分かった(以上、中日新聞の記事より)。

++++++++++++++++++

 非行の内容

 男子……63%
 非行内容……盗み、家出、外泊
 
 こうした非行問題を起こした子どものうち、

 虐待を受けた子どもは、全体の30%。複数の種類の虐待を受けた受けた子どもが目立ち、
殴るなどの身体的虐待が、78%、ネグレクト(養育放棄)が、73%で、心理的虐待が50%、
性的虐待が32%。

 親が離婚したり、施設に預けられたりして、養育者が途中で代わった子どもは、47%で、うち
約4分の1は、3歳未満で経験。代わった回数は、1回が、66%、2回が、18%、3回は、1
1%いた。

 ドメスティックバイオレンス(DV)のある家庭で育った子どもが、全体の10%いることも判明。

 攻撃性が高い、情緒不安定などの何らかの心理的・精神的問題をかかえる子どもは、85%
おり、虐待経験のある子どもだと、92%に上昇した(以上、同新聞、6・14、朝刊)。

+++++++++++++++++

●虐待は好ましくないが……

 子どもは、絶対的な安心感と、親子の信頼関係のある家庭でこそ、その心をはぐくむことが
できる。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。

 虐待にかぎらない。育児拒否、放棄、冷淡、家庭騒動、夫婦不和、暴力、貧困など。子ども
の側から見て、「不安」を覚えたとき、子どもの心は、大きく、ゆがむ。キズつく。離婚にしても、
離婚そのものが子どもの心に影響を与えるのではない。離婚にいたる、家庭騒動が、子ども
の心に大きな影響を与える。

 子どもがいる夫婦のばあい、離婚をどのように進め、離婚後も、どのようにして、子どもの心
を守るか。この日本では、そうした問題については、ほとんど、考えられていない。

 ただ、この調査で、「?」と思ったのは、つぎのこと。

現在、子どもに体罰を加えている母親は、全体の50%近くはいる。そしてそのうち、約70%
(全体の35%)は、虐待に近い、体罰を加えているのがわかっている(筆者、調査)。

 つまり虐待イコール、非行ということではないのではないかということ。虐待を受けながらも、
子どもの側で、ふんばりながら、がんばっているケースは、いくらでもある。この記事を読むと、
(あくまでも記事を読んでの印象だが)、非行の原因のすべては、虐待にあるような印象をもっ
てしまう。)

 また虐待といっても、肉体的虐待、精神的虐待のほか、間接虐待もある。はげしい夫婦げん
かを見て育った子どもも、虐待を受けたのと同じような症状を示すことがある。

 結論から先に言えば、子どもは、心豊かで、愛情に満ちた、静かな環境で、両親によって育
てられるのがよい。その年齢は、2歳まで(WHO)だが、実際には、満3歳まで。この時期に、
子どもは、親との(とくに母親との)、基本的信頼関係を結ぶ。

 この基本的信頼関係が、そののちの、子どもの精神的発達の基盤となる。が、この時期に、
その信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、精神的に大きな影響を受け、慢性的な不安感
を覚えたりするようになる。生涯にわたってつづくため、「基底不安」という。

 さらに精神的未熟性が、残ることもある。50歳、60歳をすぎても、親離れできず、そのため
自立そのものができず、親に依存して生きる子どもも少なくない。

 もちろん情緒的な問題も起きる。ここに書いてあるような、「攻撃性」もその一つだが、情緒が
不安定になるから攻撃性が生まれるのではなく、他者との良好な人間関係が結べなくなり、そ
の結果として、攻撃性が現れる。もっと言えば、このタイプの子どもは、他者に対して、心を開く
ことができない。

 その結果として、仮面をかぶって、いい子ぶったり、同情を求めたり、依存的、服従的になっ
たりする。内へ引きこもってしまうこともある。攻撃性は、あくまでも、その一部でしかない。

 全体としてみると、この調査は、その前提として、虐待と非行を、どこかで無理に結びつけよ
うとしているのではないかという印象をもった。図式としては、わかりやすいが、かえって、親た
ちに、誤解を生じかねない。つまりこれだけでは、近年ふえている、そうでない家庭(見た目に
も恵まれ、裕福で、家庭円満な家庭)での非行については、説明できない。

●非行の原因は、別の角度から考える

 むしろそうではなくて、家庭的な不協和音が、子どもの自我の形成に影響を与え、その結果
として、子どもは、たとえば非行問題を起こすと考えたほうが、よいのでは……。

 同じ虐待を受けても、自我の同一性のしっかりしている子どもは、自分の目的に向って進ん
でいく。虐待を受けなくても、同一性の確立に失敗した子どもは、さまざまな形で、その自我を
補修しようとする。その一つが、非行ということになる。

 最後に一言。

 非行イコール、即、「悪」ではないということ。今どき、「盗み」や「家出」など、珍しくも何ともな
い。そこには、当然、社会全体がもつ、社会的価値観が混入する。極端な例としては、体に爆
弾を巻いて、自爆することを美徳する社会も、ないわけではない。

 さらに、最近、こんなことも聞いた。

 南アフリカの日本人学校から帰任した小学校の先生が、こう言った。「(日本で)朝礼が終わ
って、子どもたちが二列に並んで教室へもどる姿を見て、ぞっとした」と。

 あなたはその先生が、どうしてゾッとしたか、その理由がわかるだろうか。

 この話をオーストラリアの友人(ドクター)に話すと、そのドクターも、そう言った。

 どこかの駅で列車をまっているときのこと。駅前が運送会社になっていて、そこに10台近いト
ラックが並んでいたという。そのとき、上司らしき人が、トラックの前に運転手を並べ、朝礼をし
ていたという。

 その友人も、それを見て、ゾッとしたという。

 なぜか?

 こうした感覚は、日本人として、日本に長く住んでいるとわからない。そこで私は、オーストラ
リアの友人に、こう聞いた。

 「オーストラリアでは、どうしているのか?」と。

 すると、そのオーストラリア人は笑いながら、「(朝の集会のあと)、みな、バラバラに教室へ入
る。ぼくは、いつも、窓から、入っていた」と。

 またトラックの運転手たちについては、みな「ロボットみたいだった」と。

●サブカルチャ(下位文化)

 「非行」ということを考えるとき、では、非行を経験しない子どものほうが理想的かというと、そ
うでもない。今の日本の子どもたちを見ていると、(決して、非行を奨励するわけではないが)、
キバを抜かれた動物のようで、かえって不気味ですらある。

 男児でも、たいはんが、ナヨナヨしている。おとなしい。やさしい。自己主張も、弱い。ブランコ
を横取りされても、文句一つ、言えない。よく子どもの攻撃性が問題になるが、その攻撃性そ
のものが、まるでない。そういう子どもを、はたして、(いい子)と言ってよいのか。

 むしろ子どものころ、サブカルチャ(下位文化)を経験した子どもほど、おとなになってから、
常識豊かな子どもになることが知られている。反対に、子どものころ、優等生であった子どもほ
ど、あとあと、何かと問題を引き起こしやすいこともわかっている。外部に対して問題を引き起
こすこともあるが、内々で、悶々と苦しんでいる子どもとなる、たいへん、多い。)

 「非行」といっても、程度の問題もある。ハバもある。どこからどこまでが、許される非行であ
り、どこから先が、許されない非行なのかということを、一度、明確にしておく必要もあるのでは
……。

 盗みくらいなら、だれだって、する。家出にいたっては、みな、する。虐待が好ましくないことは
言うまでもないが、虐待イコール、非行という短絡的な発想には、私は、どうしても、ついていけ
ない。
(はやし浩司 子供の非行 虐待と非行 虐待 子供の攻撃性 ネグレクト 養育放棄)

(追記)

 日本の子どもたちは、全体としてみると、おとなしすぎる。先日も、アメリカ人の小学校の教師
と話したが、アメリカでは、シャイ(shy)な子どもは、問題児だそうだ。

 日本では、シャイな子どもは、問題児ではない。むしろ、控えめないい子と考えられていると
話してやったら、その先生は、本当に驚いていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【滋賀県・O市のY先生(小学校教諭)より、はやし浩司へ】
●代償的過保護
+++++++++++++++++++++++++++
滋賀県のY先生より、こんなメールが届いている。
以下、要約。
「……私のクラスにKさん(女児、小4)という子がいるが、家に帰りたがりません。
いつもみなが帰ったあとも真っ暗になるまで、校舎の裏庭(小さな山になっていて、
ふだんは児童の遊び場になっている)で、時間を過ごしています。
近くに住むEさん(女児、小4)に話を聞くと、母親がたいへんきびしい人らしく、
おおまかに言えば、つぎのようだそうです。
(1)毎日、1時間の漢字の書き取りと、計算練習が義務づけられている。
(2)そのあと母親にテストされ、満点でないと、夕食が食べられない。
(3)友だちにもらった遊び道具などは、すべて捨てられる。
(4)家の前まではいっしょに帰るが、いつも裏の勝手口から家に入る。
(5)ほかに毎日プリント学習を2枚することになっていて、それがしてないと、
ベッドから引きずり出され、それをさせられる。
(6)「成績がさがったら、お弁当を作らない」と、母親に言われている。
 学校でも、ときどき「おなかが急に痛くなった」「足が痛い」と言って、保健室
で横になっています。
小学2年生ごろまで、授業中に、おもらしをすることがあったそうです」と。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++
●代償的過保護と帰宅拒否
+++++++++++++++
典型的な代償的過保護である。
親の支配下におき、子どもを
親の思い通りにする。
一見、過保護だが、過保護に
ともなう(愛情)が希薄。
「代償的過保護」という。
過保護もどきの過保護。
そう考えるとわかりやすい。
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●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどお
りにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味では、代
償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴がみられ
るようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(して
よいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、親に
追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその温和性
は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のものである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする……とい
ったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解す
る傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価している。臆面もな
く、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の前では、借りてきたネ
コの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題は、その
ことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その呪縛性
に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であるかわからな
いまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別として、その重圧感
は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に気が
つくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生まれてはじめ
て、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画もあっ
た。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、まず、あ
なたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あなた自身の中
の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにしてき
た。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことがある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ずる。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と考え
てよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に分析してみる
とよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子どものた
め」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利
用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用する。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力的、威圧
的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするなら、お涙ち
ょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見せつけながら、子
どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、操られ
ているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、異常なまで
に依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生まれ
ながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子ども自身が、
かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。そし
て子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔の表情と
が一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒っていると
きは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。そういう子どもを、
すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 代償
的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(参考)●フリをする母親

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッシャーと
いう学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというのは、現実にいた
男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばかりしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で病院へ
連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親を、「代理ミュンヒハウ
ゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンフハウゼン症候群」
と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)に、一方で、姑
(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい嫁)を、演じていた人
がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたった一
人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長女(当
時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当然のこと
ながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる女性
(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、子どもが
病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面というよ
り、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そうでないの
か、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子どものほうが萎縮し
てしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、だれか他人に訴える
気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判することさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ミュン
ヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 仮面をかぶる母親)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふ
えている。
S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。
「幼稚園で帰る時刻になると、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。
それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにきてほしいと。
どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の
裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。
そこで皆でさがすのですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」
と。
私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、
家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。
まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。
幼児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれ
て、当然、家庭の役割も変わってくる。
また変わらねばならない。
子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。

つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。
が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。
「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(随筆家・ソロー)というのがある。
つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほう
が、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭のよう
でなくてはいけない。
あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこでこんな簡
単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほし
い。
もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関係に
ある。
しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げてい
くようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。
もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然
に遅い。
毎日のように寄り道や回り道をしてくる。
あるいは外出や外泊が多いということであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。
家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、いやなこと
を避けるための行動をする。
帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒
否につながる。
裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけ
でも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。

(はやし浩司 子供の帰宅拒否 帰宅拒否 家に帰りたがらない子ども 帰宅を拒否する子
供)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Y先生へ】
 メール、ありがとうございました。
いろいろな母親がいますね。
まさに典型的な代償的過保護と言うべき母親ですね。
まず「子どもはこうあるべき」という設計図を頭の中で作り、その設計図どおりの
子どもにしようする。
 疑うべきは、まず母親の情緒問題です。
自分の情緒的欠陥、つまり穴をふさぐために子どもを利用しているだけ。
何かの精神的な問題をもった女性と考えます。
一見、過保護に見えますが、過保護には愛情があります。
その愛情(=「許して忘れる」)がありません。
先にも書いたように、過保護もどきの過保護。
だから代償的過保護と言います。
発達心理学の用語にもなっています。
それが過度になれば、「虐待」ということになります。
「食事を与えない」「眠らせない」というのは、立派な虐待です。
 が、母親には、その自覚がない。
「私は子どものためにそうしている」と確信しています。
だから余計にやっかいですね。
説得しても、その母親には理解できないでしょう。
 ……私も子どものころ、帰宅拒否児だったと思います。
(いろいろな思い出をつなぎあわせると、そういう「私」が浮かびあがってきます。)
いつも学校帰りには、道草を食って遊んでいました。
夏でも、毎日真っ暗になるまで、近くの寺で遊んで時間をつぶしました。
今、思い出しても、暗くて、つらい毎日でした。
 もしKさん(小4)も、同じようであるとするなら、同情します。
恐らく一生、その傷が癒されることはないでしょう。
今の私が、そうです。
63歳になろうというのに、いまだに心の中に暗い影を落としています。
 やはりこの問題は、先生が指摘しておられるように、児童相談所が介入
すべき問題ですね。
先にも書いたように、「食事を与えない」「眠らせない」というのは、虐待です。
また無理な勉強を強制するのも、虐待と考えてよいでしょう。
一応、報告だけは、きちんとしておかれることを、お勧めします。
 なお小4と言えば、思春期前夜。
この先、Kさんには、いろいろな試練が待ちかまえています。
非行に走らなければよいと心配しています。
(あるいは、引きこもり(マイマス型)、家庭内暴力(プラス型)へと進むことも
多いです。)
 父親はどういう人なのか。
またどのように考えているのか。
それがわかったら、どうかまたメールをください。
では、今日は、これで失礼します。

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【児童虐待】

●児童虐待のうち、7割あまりが、核家族世帯で起きている?(Children Abuses)
(70% of Children Abuse cases are occurred so-called "Nuclear Families", or "Families 
eith only parents and children". But is this true?

++++++++++++++++++

児童虐待のうち、7割あまりが、「核家族」
で起きているという。

また虐待といっても、「ネグレクト」が、
約39%。
身体虐待の31%より多かったという。

このほど、奈良県の「児童虐待等調査対策委員会」
が、そんな調査結果をまとめた。
(産経新聞・08年6月10日)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

+++++++++++以下、産経新聞より抜粋+++++++++++++++++

児童虐待の防止策などを協議する県の「児童虐待等調査対策委員会」(委員長=加藤曜子・
流通科学大教授)は9日、昨年度に奈良県と市町村が受理した児童虐待事案を対象にした、
初の調査結果を報告した。

全1228件のうち、7割あまりが父母以外の同居者のない「核家族」で起き、親が養育
を怠慢したり拒否する「ネグレクト」も全体の4割弱を占める実態が判明。県は「調査結
果から、児童虐待を早期発見することの困難さが浮き彫りになった」と深刻に受け止めて
いる。

児童虐待に関し、県内では今年度初めて、県と市町村が統一の調査票に基づいて記録する
システムを導入。昨年度は統一調査票がなかったが、同委員会では、深刻化する児童虐待
の実態をより詳しく分析する必要があるとして、昨年度分の事案も統一調査票の設問にの
っとる形で再精査した。

その結果、父母以外の同居者がいるかどうかを問う設問では、899件(73・2%)で
核家族にあたる「なし」と回答。無回答や不明を除く「あり」の回答は221件(18%)
に過ぎなかった。

また、種類別では「ネグレクト」が477件(38・8%)と最も多く、「身体的虐待」の
383件(31・2%)を上回っていた。

+++++++++++++以上、産経新聞より抜粋+++++++++++++++


●この調査結果は、おかしい?

児童虐待を調べたら、73%が、核家族世帯の子どもであったという。

だれしもこの数字だけを見たら、児童虐待のほとんどは、核家族で起きていると思うだろ
う。
中には、「核家族では児童虐待が起きやすい」と思う人もいるかもしれない。
「73%」という数字は、そういう数字である。

しかし、待ったア!

この調査結果を読んで、「?」と思った人はいるだろうか。
が、私は、一読して、「?」と思った。
奈良県の「児童虐待等調査対策委員会」という公的な機関がまとめた調査だから、「まさ
か?」とは思いたいが、おかしいものは、おかしい。

この調査でも、「万引きした子どもを調べたら、50%が、女子だった。(だから女子は万
引きしやすい)」式の、きわめて初歩的なミスを犯している(?)。

よく読んでみてほしい。産経新聞の記事には、こうある。

「(虐待)全1228件のうち、7割(73%)あまりが父母以外の同居者のない「核家族」
で起きた」(だから児童虐待は、核家族世帯で、起きやすい)と。

しかしもし、核家族が、全体の7割だったとしたら、この「7割」という数字には、まっ
たく意味がない。

ちなみに奈良県のばあい、

「核家族世帯の割合は64・01で(全国)3位である。いずれの指標も上位10都道府
県のほとんどを東京・名古屋・大阪及びその周辺の府県が占めており、大都市及び周辺地
域の特性と見られる」(2000年10月・奈良自治体問題研究所)とのこと。

つまり、64%が、核家族である、と。

この64%をもとにすれば、つぎのようなことは、調査しなくても言える。

「私立高校へ通う子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」
「ゲームをしている子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」
ついでに、もうひとつ。
「黒い靴を履いている子どもを調べたら、64%が、核家族世帯の子どもであった」と。

「64%」と「73%」の(差)こそが、問題ということになるが、その差は、たったの
9%。
誤差の範囲とは言い切れないが、それに近い。

とくに祖父母同居の家庭では、ここでいうネグレクトという虐待は少ないはず。
両親が衣食などの世話をしないばあいには、祖父母がする。
となると、「ネグレクトが39%」という数字を、どう処理したらよいのか?

つまりこの調査によって奈良県は、「核家族世帯では、児童虐待が起きやすく、たとえば祖
父母同居家庭世帯では、児童虐待は置きにくい」ということを裏づけたかったのだろう。
それはわかるが、私は、つぎの一文を読んで、思わず、吹き出してしまった。
(「児童虐待」そのものを笑ったのではない。どうか、誤解のないように!)

「県は『調査結果から、(児童虐待の73%は、核家族世帯で起きているから)、児童虐待
を早期発見することの困難さが浮き彫りになった』と深刻に受け止めている」と。

では、これらの数字を、どう読んだらよいのか?
今一度、数字を整理してみよう。

(1)奈良県の核家族世帯の割合      ……64%
(2)児童虐待の中に占める核家族世帯の割合……73%
(3)児童虐待の中のネグレクトの割合   ……39%
(4)児童虐待の中の身体的虐待の割合   ……31%
(祖父母同居世帯では、ネグレクトの割合は、当然、少ないはず。)

話をわかりやすくするために、具体的に数字を置いて考えてみよう。

今、ここに、虐待を受けている子どもが、100人いたとする。

(1)そのうち、73人は、核家族世帯の子ども。27人は、そうでない、たとえば3世
代〜同居世帯の子ども。
(2)100人のうち、39人は、ネグレクトを受けている子ども。31人は、人体的虐
待を受けている子ども。もちろんその両方の虐待を受けている子どももいる。
(3)しかし奈良県のばあい、核家族世帯は、64%。繰りかえすが、もし虐待を受けて
いる100人の子どものうち、64人が、核家族世帯の子どもであったという結果
だったら、この調査は、まったく意味のない調査だったということになる。

ウ〜〜〜〜〜ン。

これらの数字を並べてみると、「核家族世帯でのほうが、そうでない世帯よりも、児童虐待
が、やや多いかな」という程度のことでしかない。
しかも「3世代〜同居世帯では、ネグレクトが起きにくい」ということを考慮に入れるな
ら、ネグレクトは、比較的、核家族世帯で起きやすく、身体的虐待は、比較的、そうでな
い世帯で起きやすいという程度のことでしかない。
つまり児童虐待、とくに身体的虐待と核家族世帯を、無理に結びつけることはできないの
ではないかとさえ思われる。

身体的虐待についていえば、核家族世帯であろうとなかろうと、そういうことに関係なく、
起きる。

で、結論。
「73%」という数字に、だまされてはいけない!

+++++++++++++++++

ついでに、社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」
のした調査結果を、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の5人に1人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、3倍になっていることがわかった(有
効回答500人・2000年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどき
ある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、
「虐待なし」が、61%であった。この結果からみると、約40%弱の母親が、虐待もし
くは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、7%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、1998年ま
での8年間だけでも、約6倍強にふえていることがわかった。(2000年度には、1万7
725件、前年度の1・5倍。この10年間で16倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた6932件のうち、身体的暴行が3674件(53%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、2109件(30・4%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が650件など。

虐待を与える親は、実父が1910件、実母が3821件で、全体の82・7%。また虐
待を受けたのは小学生がもっとも多く、2537件。3歳から就学前までが、1867件、
3歳未満が1235件で、全体の81・3%となっている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
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と児童虐待 ネグレクト)


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司















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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
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 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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