Q&A14
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【1】
●MKさんからの相談より

+++++++++++++++

幼稚園、登園初日でつまずいて(?)、
子どもが、「幼稚園へ行きたくない」と
言っている。

「そのため、どうしたらよいか」という相談を、
N市にお住まいの、MKさんという方から
いただきました。

みなさんといっしょに、この問題を
考えてみたいと思います。

一部、文字化けしていましたので、
メールを要約させていただきます。

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【MKさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。
よろしくお願いいたします。

アイルランドで出産し、子どもが2歳半の頃帰国しました。
4月から幼稚園に入れました。
初日、明るく涙もなく元気に手を振って登園しました。
帰ってきた時も、全部食べたお弁当を私に見せ、ありがとう! おいしかったよ!と、笑顔でし
た。

が、よく見ると、顔に大きな傷があり、お尻にも大きなあざがありました。
どうしたの?、と聞くと、ケンカをしたとのこと。

連絡帳にも何もないので園に電話して経緯を確認したところ、そのようなことがあったことも知
らず、その経緯もわからないとのことでした。

初日、雨で一日教室の中、約20名の年少組。
私としては、ケンカした怪我をしたという事ではなく、経緯がわからないほど、目が行き届かな
い?
初日で?、と、腑に落ちませんでした。

息子は、明日も幼稚園楽しみだと主人にも話していたのですが、ベッドで明かりを消した途端、
突然布団にもぐりシクシク泣き出しました。
どうしたの?、と聞くと「本当は幼稚園に行きたくない!」と泣きだしました。
初めて私から離れ、新しい経験をしてきたのだからと思い、「偉かったね。頑張ったね」と抱っ
こしましたが、行きたくないと、何度も訴えるので、何があったのか尋ねると、「逃げるところも、
隠れるところもないから、いやだ」と。

ふだんは、しっかりしていて手のかからない子です。
幼稚園のほうからは、「ただ、誰かに叩かれたとか、泣いて痛いと言って訴えてこないのでわか
りませんでした」と言われました。
納得がいかず、私のほうでは、すっかり不信感がつのるばかりでした。
その夜に今までした事がない夜鳴きがあり、歯ぎしりを始めました。
次の日も、行きたくないと泣き喚きバスに乗れないので、園まで送りましたが、無理矢理引き離
される状態でした。

悩みましたが、その後すぐにそこを辞めました。しばらくの間、情緒不安定が見られました。
2歳から通っていた、ほかの教室でも活発で他の子の手を取っていくようだったですが、今は、
私にべったりくっつき、前に出ていかなくなってしまいました。
まだ私と離れる事に強い抵抗を示しますが、やっと落ち着き少しずつ以前と同じように戻ってき
ました。

お友達と遊ぶ環境は必要だと思っています。
他の幼稚園を探していますが、年内に早くから入れたほうがいいか、2年保育にして、来年か
らが良いか迷っています。
息子はずっと幼稚園は行きたくない、ママと一緒にいると言い張っています。
母子分離ができていないのかとも思いますが、私に来ないでと言い、一人でお使いに行ったり
もします。
甘えているだけなのでしょうか?

4月には私もすっかり疲れきってしまいましたが、今、入園時期、また幼稚園選びでまた悩んで
います。

息子に対する接し方も含め、良きアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、MKさんへ】

入園初日に、集団(対人)恐怖症になる子どもは、珍しくありません。
幼児どうしの世界は、動物園でいえば、猿の世界のようなものです。
とくにそれまで、(ものわかりのよい世界)に住んでいた子どもほど、そのショックは、大きいと
お考えください。

MKさんのお子さんは、そのショックが高じて、恐怖症になったと考えられます。
分離不安との大きなちがいは、分離不安のばあいには、親の姿が見えなくなったとたん、パニ
ック(錯乱)状態になるところです。
「ギャーッ」と泣き叫んで、親のあとをおいかけたりします。

「恐怖症」については、あちこちで書いてきましたので、「はやし浩司 恐怖症」で検索してみてく
ださい。

子どもの恐怖症は、(1)「それを忘れさせる環境に置く」が、鉄則です。
説教したり、諭しても、無駄です。
今の状況からすると、(2)しばらく集団教育からは遠ざかり、のんびりさせることが最善かと思
います。

そして様子を見て、(3)小さな集団があれば、少しずつ慣れさせる目的で、その中で遊ばせた
りします。
このばあいも、(4)けっして、無理をしないが、鉄則です。

私の教室でも、半年近く、机の下でレッスンをしていた子ども(当時、年中児)がいました。
その子どもは、いつも机の脚にしがみついていました。
それを「悪いこと」と決めてかかるのではなく、「そういうレッスンの受け方もある」という前提で、
接してあげます。

またこれは日本の幼児教育の最大の欠陥と言ってもよいかもしれませんが、この日本では、
(集団教育)を重んじるあまり、(個)の尊重を軽んじる傾向があります。
「集団になじめない子ども」イコール、「問題児」と、です。
ですから幼稚園を休んだりすると、幼稚園の先生は、よくこう言いますね。
「遅れますから、よこしてください」と。

「遅れる?」「後れる?」……いやな言葉ですね。

どちらでもよいですが、何から、遅れるというのでしょうか?

アイルランドからお帰りということですから、このあたりのことは、MKさんも、すでに感じておら
れることと思います。

オーストラリアでは、そのため、とくにはじめて集団教育を受ける幼児などは、月・水・金の週3
回というところが多いです。
またアメリカでは、プリ・スクールは、子どもにとくに慎重に対処しています。
(そのため、700〜900ドル/月額と、月謝も高額ですが……。)

この問題は、「どこの幼稚園にするか」ではなく、
集団恐怖症の子どもを、どう、集団に慣れさせていくかという問題です。

一度、集団から離れて、2年保育でじゅうぶんですから、それまでに、少しずつ、集団に慣れさ
せていくという方法をとってみられたら、いかがでしょうか。

幼稚園の園長にていねいに相談すれば、ときどき、園の中で遊ばせてくれるはずです。
コツは、「子どもの恐怖症を軽くみない」です。
中には、「気のせいだ」「わがままだ」「甘えだ」と、強引なやり方を試みる人もいますが、そうい
う方法では、かえって、子どもの心をこじらせてしまいます。
(私自身が、いくつかの恐怖症をかかえていますから、子どもの気持ちがよくわかります。)

ま、この時期は、何かと親のほうも、神経質になりがちです。
「不信」などと、大げさに構えないで、もう少し肩の力を抜いたほうが、よいかと思います。
幼稚園の教師の忙しさは、それを経験したものでないとわからないでしょう。
まるで戦場です。
20人でも、多すぎるほどです。

以上ですが、参考になれば、うれしいです。
メールの転載許可を、お願いできますか。
記録として、このまま残しますが、不都合な点があれば、訂正します。
よろしくご指示ください。

はやし浩司








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【2】
●幼児の緩慢行動(Dull Movement of Children)

 心理的抑圧状態(欲求不満を含む)が、日常的につづくと、子どもはさまざまな、心身症によ
る症状を示すことがある。が、その症状は、子どもによって、千差万別。定型がない。

 「どうもうちの子、おかしい?」と感じたら、その心身症を疑ってみる。

 その中のいくつかが、緩慢行動(動作)であったり、吃音(どもり)であったりする。神奈川県に
住む、Uさん(母親)から、多分、緩慢行動ではないか(?)と思われる相談をもらった。

 ここでは、それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

【Uさんより、はやし浩司へ】

私には、4歳(年少)の娘、M子(姉)と、1歳8ヶ月の息子S夫(弟)がいます。
先日、娘の幼稚園の個人懇談がありました。

そこで、先生に言われたのが

「M子(姉)ちゃんはいつもマイペースで、マイペースすぎてもうちょっとスピードアップして欲しい
んですけどね」でした。

「急がないと行けない時にもマイペースでね、今(年少)はあまりする事も少なくて、他の子と差
は出てこないと思いますけど、これから先、年中、年長となるにつれてその差は広がっていき
ますからね」

「急がないといけない時に、急げるようなボタンがあればいいんですけどねー(笑)。そこを押せ
ば、急いでくれるっていう風に・・・・(笑)」と冗談まじりではあったのですが、最後に夏休み中に
お母さんから、M子ちゃんに急ぐって事を教えてあげておいてくださいと言われました。

「急ぐという事を教えるといわれても・・・・先生どうしたらいいんでしょう?」って聞いたのです
が、イマイチよく分かる回答がなかったような気がします。

怒って「急いで!急いで!急いで!」とまくし立てるのも良くないと思いますし、言った所で出来
るわけでもないですし。

普段、出来るだけ怒らないように大声をあげないように、出来たら大げさに誉めてあげて、を
心がけているのですが今の私のやり方では、夏休みあけても同じだろうし・・・・どうしたらいい
のだろう?、と考えこんでしまいます。

何がどうマイペースか具体的に言うと、給食の時間になって先生が、「後に給食の袋を取りに
いって準備して下さい」って言っても、上の方を見てボーッと椅子に座っていることが時々あっ
て、「M子ちゃん、準備よー急いでー!」って言っても、とりわけ急ぐ様子もなくゆっくりらしいで
す。

又、今メロディオンの練習をしているようなのですが、M子(姉)は指でドレミファソを弾く事は出
来るみたいなのですが、ホースを口にあてて息を吹く事が分からなかったみたいで、一人だけ
音が出なかったみたいです。

先生が側で、「M子ちゃん吹くんですよー」って言っても分からなくて、挙句の果てには、ホース
に口をあててホースに向かって、ドレミファソを言いながら、けん盤を弾いていたようです。

先生も??、だったみたいで、「違うよM子ちゃん! 吹くのよ!!」って言うと今度は、何でそ
んなに先生は私に怒ってるの?、っていう反応だったようです。

あと、空想にふけっていたりするみたいです。

他にも日々の行動で色々あるようです。

M子(姉)は私に似ているのか、よく言えばおっとりで悪く言えば、どこかのろい所があって入園
の際、私もそれが少し気にはなっていました。

のびのび保育の幼稚園を選べば、そんな事を考えなくて良かったのかもしれませんが、私的に
は、小学校でお勉強を始めるより、幼稚園で少しでも触れていれば気遅れなく、M子(姉)もや
っていけるのではと考えたのですが、やはりその分要求される事も多いんですね・・・。

今は、本人は幼稚園が大好きでお歌の時間もプリントの時間も体操の時間も楽しいとは話して
います。

楽しく通ってくれれば、私はそれで大満足なのですが年中、年長になった時、まわりの早さにつ
いて行けなくなって幼稚園が楽しくなくなったら、やはり園を変えた方がいいんでしょうか?

また、もっとスピードアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか?

また、M子(姉)には、時々どもりがあります。ほとんど指摘しないように聞きながしているので
すが、ちょっと気になっています。

はっきりとした原因は分かりませんが、下の子を出産する際引き裂かれるように、私と離れ離
れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたのが悪かったのかな?、と反省していま
す。

長々と下手な文章で好きな事を綴ってしまいましたが、アドバイス頂けますようお願い申し上げ
ます。

これからもまぐまぐプレミアをずっと購読していこと思っています。毎日暑いですが、どうぞお体
にお気をつけ下さい。


【はやし浩司より、Uさんへ】

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。感謝しています。

 ご相談の件ですが、最初に疑ってみるべきは、緩慢行動(動作)です。原因の多くは、親の過
干渉、過関心です。子どもの側から見て、過負担。それが重なって、子どもは、気うつ症的な症
状を見せるようになり、緩慢行動を引き起こします。

 ほかに日常的な欲求不満が、脳の活動に変調をきたすことがあります。私は、下の子どもが
生まれたことによる、赤ちゃんがえり(欲求不満)の変形したものではないかと思っています。

 逆算すると、M子さんが、2歳4か月のときに、下のS夫君が生まれたことになります。年齢
的には、赤ちゃんがえりが起きても、まったく、おかしくない時期です。とくに「下の子を出産す
る際引き裂かれるように、私と離れ離れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたの
が悪かったのかな?」と書いているところが気になります。

 たった数日で、別人のようにおかしくなってしまう子どもすらいます。たった一度、母親に強く
叱られたことが原因で、自閉傾向(一人二役のひとり言)を示すようになってしまった子ども(2
歳・女児)もいます。決して、安易に考えてはいけません。

 で、その緩慢行動ですが、4歳児でも、ときどき見られます。症状の軽重もありますが、10〜
20人に1人くらいには、その傾向がみられます。どこか動作がノロノロし、緊急な場面で、とっ
さの行動ができないのが、特徴です。

 こうした症状が見られたら、(1)まず家庭環境を猛省する、です。

 幸いなことに、Uさんの子育てには、問題はないように思います。そこで一般の赤ちゃんがえ
りの症状に準じて、濃密な愛情表現を、もう一度、M子さんにしてみてください。

 手つなぎ、抱っこ、添い寝、いっしょの入浴など。少し下のS夫君には、がまんしてもらいま
す。

 つぎに(2)こうした症状で重要なことは、「今の症状を、今以上に悪化させないことだけを考
えながら、半年単位で様子をみる」です。

 あせってなおそう(?)とすればするほど、逆効果で、かえって深みにはまってしまいます。子
どもの心というのは、そういうものです。

 とくに気をつけなければいけないのは、子どもに対する否定的育児姿勢が、子どもの自信を
うばってしまうことです。何がなんだかわけがわからないまま、いつも、「遅い」「早く」と叱れてい
ると、子どもは、自分の行動に自信がもてなくなってしまいます。

 自信喪失から、自己否定。さらには役割混乱を起こす子どももいます。そうなると、子どもの
心はいつも緊張状態におかれ、情緒も、きわめて不安定になります。そのまま無気力になって
いく子どももいます。

 「私はダメ人間だ」という、レッテルを、自ら張るようになってしまいます。もしそうなれば、それ
こそ、教育の大失敗というものです。

 そこで(3)子どもの自己意識が育つのを静かに見守りながら、前向きの暗示をかけていきま
す。

 「遅い」ではなく、「あら、あなた、この前より早くなったわね」「じょうずにできるようになったわ
ね」と。最初は、ウソでよいですから、それだけを繰りかえします。

 「先生もほめていたよ」「お母さん、うれしいわよ」と言うのも、よいでしょう。

 ここでいう「自己意識」というのは、自分で自分を客観的にみつめ、自分の置かれた立場を、
第三者の目で判断する意識というふうに考えてください。

 しかし4歳児では、無理です。こうした意識が育ってくるのは、小学2、3年生以後。ですから、
それまでに、今以上に、症状をこじらせないことだけを考えてください。

 とても残念なことですが、幼稚園の先生は、せっかちですね。その子どものリズムに合わせ
て、子どもをみるという、保育者に一番大切な教育姿勢をもっていないような気がします。

 おまけに、「年長になったら……」と、親をおどしている? ある一定の理想的(?)な子ども
像を頭の中に描き、それにあわせて子どもをつくるという、教育観をもっているようです。旧来
型の保育者が、そういうものの考え方を、よくします。(今は、もうそういう時代ではないのです
が……。)

 M子さんに、ほかに心身症による症状(「はやし浩司 神経症」で、グーグルで検索してみてく
ださい。ヒットするはずです。
あるいは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html)が出てくれば、この時期は、がま
んしてその幼稚園にいる必要は、まったくありません。

 子どもの心に与える重大性を考えるなら、転園も、解決策の一つとして、考えてください。

 そして(4)「うちの子を守るのは、私しかいない」と、あなたが子どもの盾(たて)になります。
先生から苦情があれば、「すみません」と一応は謙虚に出ながらも、子どもに向かっては、「あ
なたはよくがんばっているのよ」「すばらしい子なのよ」と言います。そういう形で子どもの心を
守ります。

 まちがっても、そこらの保育者(失礼!)がもっている理想像(?)に合わせた子どもづくりを、
してはいけません。

 子育てもいつか終わりになるときがやってきます。そういうとき、あなたの子育ての思い出
を、光り輝かせるものは、「私は、子どもを守りきった」「私は、子どもを信じきった」という、親と
しての達成感です。

 今が、そのときです。その第一歩です。

 最後に(5)M子さんに合わせた、行動形態にすることです。「のろい」と感ずるなら、あなた
も、もう一歩、自分の歩く早さを、のろくすればよいのです。どこかに子育てリズム論を書いて
おきましたので、また参考にしてください。

 とても幸いなことに、Uさんは、たいへん愛情豊かな方だと思います。それに自分の子育てを
客観的にみつめておられる。とてもすばらしいことです。(プラス、私のマガジンを読んでい
る!)

 子どもといっしょに、子どもの友として、子どもの横を歩いてみてください。楽しいですよ。セカ
セカと歩いていたときには気づかなかったものが、たくさん見えてきますよ。

 そうそう、最後に一言。

 こうした緩慢行動(動作)は、子どもの自己意識が育ってくると、自然に消えていくものです。
子どもが自分で判断して、自分で行動をコントロールするようになるからです。どうか、安心して
ください。

 私の経験でも、乳幼児期の緩慢行動(動作)が、そのまま、小学5、6年生まで残ったというケ
ースを知りません。小学3、4年生ごろには消えます。(ただしこじらせると、回復が遅れます
が、そのときは、もっと別の、ある意味で深刻な、心身症、神経症による症状が出てきます。

 また親は「のろい」「のろい」と心配しますが、第三者から見ると、そうでないというケースも、
たいへん多いです。これは親子のリズムがあっていないだけと考えます。)

 吃音(どもり)については、ここ1〜3年は、症状が残るかもしれません。環境が大きく変わっ
ても、クセとして定着することもあるからです。吃音については、あきらめて、濃密な愛情をそそ
いであげてください。これも時期がくれば、症状は消えます。

 どんな子どもでも、一つや二つ、三つや四つ、そうした問題をかかえています。全体としてみ
れば、マイナーな、何でもない問題です。

 あまり深刻にならず、ここは、おおらかに! なお先取り教育は、失敗しますので、注意してく
ださい。それについては、またマガジンのほうで取りあげてみます。

 なおこの原稿は、(いただいたメールの転載も含めて)、8月13日号で掲載する予定です。ど
うか転載のご承諾をお願いします。不都合な点があれば、書き改めます。至急、お知らせくだ
さい。

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                                  はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子供の緩慢行動 緩慢動作 の
ろい子供 のろい動作 のろい子ども)







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【3】
【アスペルガー障害】

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症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)としておきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からすると、T
君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタイプと考えてよ
いのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導で、症状がこじれてし
まっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。


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●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」と
呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れなかっ
たり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独創性
を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱されたりするこ
とに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝の要
素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には最新の注
意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、行動
療法などの治療法がある。


【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持していると
いわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特定のもの
に対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、こだわり、
興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。


【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情をすれ
ば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうした他人の
感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イントネーシ
ョンの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガー症候
群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解しにくいことをい
う。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生ま
れつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。


【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど男児
のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や容
貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以上と推
定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。また、多くの全体
的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断基
準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶん社会
に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療においても、社
会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、それ
ぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 アス
ペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

++++++++++++++++ 

●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているかどうかと
いうことです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切な対処法で、子
どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話しません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母親が、
かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、じゅうぶん、考
えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところから発生
したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察記録といった
感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、「うちの子は、生まれ
つきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容ですね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知られてい
ないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの小児科医のアスペル
ガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ始めたのは、90年代に
入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられませんでし
た。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、結局
は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、軽い回避性
障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからです。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平均児
より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、メチャメチ
ャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通しています。こまかい作業
が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になることもあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありました。(軽
いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問題などで、まち
がいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、それを塗り
つぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、自己
閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。です
からそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、当時は、
「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しました。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関する
ことは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、「半年、ある
いは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」とか、「直
そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少しよくなれば、すぐ無
理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしている。あとは、その繰りかえし。
そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」という言葉
がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子どもを指導してき
ました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいということで
す。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、それを利用
し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせるということはできま
す。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気な態度
のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを指摘しただけ
で、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざいな態度で、「ウル
セー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、その態度
は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう意味です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が書い
てありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読むと、担任の
教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつうの態
度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりません。親と
いうのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そういう母親がよく使う
言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、親を責
めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているからです。懸命
にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、不登校児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親はパニック
状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。この無理が、症
状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が悪けれ
ば、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほど長期化しな
くてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験してきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちすぎる
のではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単位で、症状
の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単位、月単位
の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したところで、これまた
意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があります。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに納得し、
(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、給食におおきなわ
だかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしまうのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状態にし
てしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれてしまって
いると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親がそれに納得し、
指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。しかし、
これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだしてもらい、そう
であると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。私が指導
してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、「知らぬフリ」をし
て、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、診断名をくだすということ
は、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別です。その
ときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。しかしそれまでは、
知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと心配して
きた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういうことは、しばしばあり
ます。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。しかしこれ
も、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞いてみたので
すが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知り、がく然としたこと
があります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。アスペルガー障害
であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュラーになったのは、ここ
5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、考えら
れます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会があれば、そっ
と遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の微細
障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」な子ども
がふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。ありが
とうございました。

敬具


                                はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 アス
ペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガーの子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●アスペルガー障害

【YKさんからのメールより】アスペルガー児について(補足)

++++++++++++++++++

アスペルガー児をおもちのNさんより、
YKさんに、意見が届いています。

あくまでも参考、ということで、ここに
掲載させていただきます。

もしASの心配があるなら、専門の診療
機関で、専門医による診断を受けてください。

++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

こんにちは。

私はこのYKさんの記事を読んで、ちょっとこのお子さんは発達障害の可能性があるのではな
いかなと思いました。

もちろん確信はなく、発達障害の子どもを育てたことがある方だと、「ちょっと可能性があるか
な」と思うくらいの程度でしかわかりません。2歳という年齢ですから、まだ判断するのは難しい
のです。

でもよくアスペルガー症候群や、高機能自閉症の親のサイトでは、「外で癇癪が始まると激しく
騒いで、周りから白い目で見られたり親の躾(しつけ)がなっていないと怒鳴られた」というよう
な記事が出ていたりします。

発達障害を診断する医師は、このような、赤ちゃんから今までの様子なしでは診断できないと
言われているくらい、発達過程での様子は大事なのです。

うちの息子も1歳くらいから、暑さ、寒さ、不快さ、などの理由で大泣きし寝転がって両手両足を
激しく動かして抱く事もできないような癇癪から始まり、2歳くらいでは、YKさんのような理由で
の激しい癇癪が多かったです。電車の中でも、自分が思った通りでない事が起こると癇癪にな
ったりしました。その当時はASなどの知識はなかったので、失敗したなと思います。以下は私
の感想です。

【YKさんからのメールより】生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、ま
とめて寝ない子で、起きている時間は抱っこして歩きまわらないと、グズってばかりの娘でし
た。

家の子の場合も、寝かせるのが本当に大変でした。眠いし、寝たいのに無理に目を開けてい
るのです。放っておくと午前1時でも寝ません。しかし、これはBed time storyの定着でかなり解
消されました。Ritualが好きで、それを一通り済ませる事で安心して寝られたようです。

【YKさんからのメールより】2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。
着替えも、ちょっと手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張
って全部脱いでしまいます。

これは私は、OCとかOCDと言われるものが強い、つまりこだわりが強いからだと思います。
誰でも多少は持っています。しかし病的に近いものであると、手を洗うのがやめられない、この
通りの順番でないと駄目、と社会生活に支障をきたしてきます。

OCである子どもの性格を変える事は出来ませんが、緩和する事は出来ます。それはその習
慣の連続性をたまに断ち切るのです。無理強いではなく、あくまで偶然という感じでです。

例えば石鹸を使わないと手を洗った気がせず、いつも石鹸で長い時間洗い続けている場合、
石鹸を求めてきたらそこにあればあげてもいいのですが、たまには石鹸を隠しておいて、「そう
いえば買い忘れたからないわ。今度買っておくね、今日は水だけで洗おうね」という感じでで
す。

一度か2度習慣を断ち切るうちに、その習慣性から抜け出す事が訓練されるようになります。
無理強いは駄目ですが、あくまでさりげなくです。服に関しては自分で着るのは良い事で、やら
せておいてもいいように思います。急いでいても親があせって着せてあげる必要はないかもし
れません。

いつも私は自分に言い聞かせているのは「5分待ってあげたら癇癪にならなかった。5分待て
なかったから癇癪になって半日潰れた。焦ったら駄目」という言葉です。

【YKさんからのメールより】三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1
週間で自分でこげるようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真
ん中でも足を踏ん張って動かなくなってしまいます。

多分、この子はお母さんが後ろを押すのが嫌なのではなくて、断りもなしに押されるのが嫌な
のだと思います。発達障害の子は、次に何が来るのか状況から判断するのが非常に苦手な
ので、突然その出来事が降りかかったように思って驚いてしまうのです。だからお母さんが一
言、「押してあげようか?」と聞いたり、他の子を押している場面とか楽しい場面を見せて「こう
やって欲しい?」と聞いてあげれば、やりたいと言ったかもしれません。

【YKさんからのメールより】公園などでは順番や物の貸し借りのルールをすごく理解していま
す。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相
手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き
止んでくれなくなります。

社会規範、学校校則など、決まりごとはきちんと守るべきと捉え、その枠から少しも外れる事
ができないのは息子も同じです。言葉を文字通りにしか受け取れないからです。

学校で「教室で私語をしてはいけません」と先生が言ったら、休み時間でも私語をしません。人
とのルールも決まった通りにのみ動くと思っていて、そうでない人を軽蔑しています。しかし人
間ですから、そうでない場合もあり、プレイセラピーなどを通して学んでいくのが課題です。

【YKさんからのメールより】お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が狂ったように
泣き出しました。

さっきのと重複しますが、これも突然だったからではないでしょうか。「これこれしたらバイバイ
するけどいいかな?」と聞いて、本人が納得してからバイバイさせるとなんともなくバイバイした
りします。出かける時も、例えば家族で食事の時、今日は映画見に行こうか、なんて話していて
も、本人に「今日は何時に何の映画見に行くけどいいかな?」と確認を取っておかないと、出か
ける時に「言われてない」と癇癪になったりしました。何でも疑問形で聞くので母とかは「子ども
の顔色伺ってる」と批判してきました。

【YKさんからのメールより】ここまで激しいと私まで泣きたくなります。

私もその気持ち、とてもよくわかります。何度も泣きました。

【YKさんからのメールより】相手が泣いていたりすると自分が悪いと思ってしまい、何度も何度
もそういうことが重なると爆発するみたいです。

人間関係の相手の感情とか全く読めないので、目に見えるもの、涙とか怒った言葉の口調な
どで自分が責められたと思う場合が多いみたいです。また聴覚過敏だと、声のトーンが上がっ
ただけで平手ビンタをくらって気持ちになるそうです。

【YKさんからのメールより】こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、
いつもの太陽みたいな笑顔を見せてくれます。

そうです。まるでスイッチがオンになったり、オフになったりしたみたいです。

普通、気分悪かった事、恨みに思ったり、嫌な感情は、その事が過ぎてもなかなか忘れませ
ん。忘れないからこそ、学習したり、次から気をつけたり、同じ事を同じ人にしないようにしま
す。でも発達障害の子の癇癪の場合、その間の記憶があまりはっきり残っていなかったりする
事もあります。

そして癇癪発作が治まると、まるで何事もなかったように、スイッチがオフになったように普通
の子に戻ります。もう少し年齢が進むと、フラッシュバックで再度癇癪発作にならなければ、そ
の理由を話させたり、聞き出す事も出来るようになります。

大切なのは学び続ける事だと思います。

自分の子どもがこういう個性を持って生まれてきて、さて、どうやったら社会で生きていかれる
のか、レッテルを貼る事が必ずしもいいとも限りません。でも親だけはその子の特性を十分理
解してあげて、それに沿った援助をしてあげて欲しいと思います。

【はやし浩司よりNさんへ】

 現在(07年2月)、私も、2人のアスペルガー児を、指導させていただいています。ともに症状
は軽いほうですが、診断基準通りの症状を示しています。

(1)他人と良好な人間関係が結べない。
(2)不器用。(文字、数字が、乱雑すぎて、読めないなど。)
(3)ともに、数の分野で、特異な才能を見せている。
(4)まちがいを指摘されると、パニック状態になる。
(5)キレた状態になると、突発的にかんしゃく発作的な症状を示す、など。

 しかし私の今までの経験では、小学3、4年生ごろになると、症状が急速に収まってきます。
ときに自己意識(=自分を客観的に判断して、自分で自分をコントロールする力)が育ってくる
と、見た目には、わからなくなります。

 私のように幼児期からその子どもを見ている者にはわかりますが、たとえば小学校の先生な
どには、判断できないのではないかと思います。実際、学校の先生に、いつも「字が汚い」と、
叱られている子ども(小学高学年児)もいます。(叱ったところで、どうにかなる問題ではないの
ですが……。)

 もちろん、親の前で、「アスペルガー」という診断名を口にすることは、タブー中のタブーです。
しかしその子どもから、ときどき、そういうケアセンター(名称は、いろいろです)で、指導を受け
ているという話を聞き、そのように診断されているということを、私は知ります。

 (親のほうから、診断名を言うということは、めったにありませんので……。私のばあいは、知
っていても、知らぬフリをして、指導しています。)

 発達障害児の問題は、その子ども自身に問題があるというよりは、親自身にその知識と理
解がなく、強引な指導などにより、症状をこじらせてしまうところにあります。ADHD児について
も、同じです。

 早期に、それと知り、適切な指導で、症状をこじらせないことこそ、重要です。あとは、ここに
も書きましたように、(時)を待ちます。根気のいる作業ですが、終わってみると、「何だ、こんな
ことだったのか」という状態になります。

 ただ小学3、4年生になったから、症状が消えるということではありません。中学生、高校生
になっても、症状は残ります。(ADHD児も同じです。)が、「注意してみれば、わかる」といった
程度まで、症状は、わかりにくくなります。またそうなるよう、指導をつづけます。

 現在指導している、A君(小学高学年児)にしても、そういう子どもであるという前提で、指導し
ています。いろいろ問題点はありますが、A君自身でもどうにもならないことだとあきらめ、私の
ほうが、先に手を引くようにしています。たとえばまちがいを指摘しない、字が乱暴なのを責め
ないなど。

 こまごまと、追いつめないのが、指導のコツです。

 ともかくも、私は、実のところ、乳幼児期(0〜3、4歳児)については、ほとんどといってよいほ
ど、知識も、また指導の経験もありません。貴重なご意見、たいへんありがとうございました。

++++++++++++++++

YKさんからの相談(掲示板への
書き込み)を、再度、ここに転載
させていただきます。

++++++++++++++++

【YKさんより、はやし浩司へ】

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩
きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、
至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかります
が、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいい
か分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反
抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長
に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシ
ップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わが
まま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのか
なぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと
手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱い
でしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合
ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だ
からどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげる
ようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏
ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し
借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもち
ゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重な
ると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃく
を起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分の
おもちゃは貸さない!と言って、すぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠
たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとする
から、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激
しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまい
ます。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせて
あげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれ
て、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつ
までたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘し
なきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るとい
うのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配
されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる
子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激し
いと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪い
と思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いの
で、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないもの
をきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたい
な笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってく
れます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、
反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばし
てあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろ
しくお願いします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 アス
ペルガー 発達障害)








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【4】
●ある母親からの相談より

++++++++++++++++++

子どもとの不協和音。
子どもに気をつかい、
思ったことを言うこともできず、
毎日、悶々としているという。

++++++++++++++++++

【Fさんより、はやし浩司へ(1)】

掲示板に書く勇気がありませんでした。何度もすみません。読んでいただくだけで。

私が今までやっていたことは、ほとんど虐待でした。手をあげたことも何度もあります。感情に
まかせて怒鳴るなんてことは、しょっちゅうでした。

ヒステリックに泣いたりしました。夫はそこまで私がしているとは、思ってないようです。

学校ではあまり目立たないほうで、問題なく見える息子。このところとにかく物事の負の部分し
か見ない感じで、習い事などでも、楽しかったことより、いやだったことを口にして、悪態ばかり
つきます。

学校も習い事もすべて嫌だ、やめたいと、今夜も言っていました。それをずっと優しく聞き出し
ていたのは夫です。先日、夫に初めて激しく怒られてから、息子は、特にわがまま、無理難題
を、夫に対して言うようになりました。次から次へ、といった感じです。

あまりのことに夫は病院へ連れていった方がいいのかなと思っているようです。しかし異常な
のは私。外ヅラだけがよく、ウソばかりついています。そのため子どもをドラ息子にしてしまった
私。

息子が万引きをしたのは、私への罰の始まりかもしれません。これ以上酷い状態にならないよ
うに、こんな私でもできることはあるのか。息子を愛してきたという自信がもてないでいます。本
当の自分もよくわかりません。


【Fさんより、はやし浩司へ(2)】

 掲示板はやはり落ち着かなくて、こちらに書くことお許しください。いただきましたご助言を胸
に刻んで、2週間過ごしてきました。自分との戦いは、始まったばかりなのに不安です。

まず心配なのが、子どもの様子です。習い事へ、三つ通っているのですが、それには、行かな
い、と言っています。

遅く寝て、朝、早く起きる、夕食後の風呂にはじまって、就寝までが、なかなかうまくいきませ
ん。

お父さんがかってくれた、N社のゲーム機器で、毎日、ゲーム三昧です。

その後、万引きはしていないようです。(先週私の財布から抜いたお金で、内緒で買い物はし
たようですが……。) 

怒りやすく、ワガママを言い出すと、あとへひかない。たいていお父さんがいる時ですが、ダダ
こねがひどい。

たとえばお父さんに、「会社を休んで欲しい、ゲームを買って」「学校がいやだ」と、強く言い出
すようになりました。

以前と変わらず、体をゆだねて、甘えてくる時もあり、私(達)を避けるようなことはありません。
ただ、夫がいる時は、以前と明らかに違う感じです。

今夜も夫に、「会社を休んで欲しい」とぐずぐずと泣き、私が抱きしめてとんとんして寝かしつけ
ました。三人でいると何かまた言い出すのではと、なんだか子どもの心を探るような雰囲気に
なってしまいます。

私のせいだとわかっていても、その私を責めもしない夫に本当に申し訳ない気持ちです。子ど
もがそこに「いる」だけでいいと、本当に心から思える時もある反面、私は結局夫にも「すべて
をさらけだし」をしていないように思います。もちろん子どもにも、です。

うそつきの私が、このままではどんどん悪い方向にいくのではと、心配で、胸が塞がったりしま
す。一日中とも言えるゲームの電子音を聞きながら、苦悩しています。

ご助言があれば、いただきたく存じます。お時間のない中、長々と失礼しました。

 
【はやし浩司より、Fさんへ】

 Fさんは、いわゆる「気負い先行型ママ」ということになります。「いい母親でいよう」「いい家庭
を作ろう」という気負いばかりが強くて、それで結果として、自分で自分を苦しめてしまっていま
す。

 息子さんについて言えば、親意識過剰というか、「いい子にしよう」という意識が、これまた強
すぎるように感じます。加えて、心配過剰、さらには育児ノイローゼ気味(?)。

 前にも書きましたが、この時期の子どもの万引き、盗みは、珍しくもなんともありません。一
応、言うべきことは言いながらも、あとは、『許して、忘れる』です。あまりおおげさに考えないこ
と!

 おけいこごとについても、そうです。いちいち子どもの機嫌をうかがって、子どもの言うこと
に、振りまわされてはいけません。無視すべきことは、無視。「そうね、たいへんね」と聞き役に
回って、それでおしまいにします。これを「ガス抜き」と、私たちは呼んでいます。

 子どもが、グチを言ったら、グチは聞いてあげれば、それでよいのです。

 そしてここが重要ですが、どうしてあなたは、子どもに嫌われるのを、それほどまでに恐れて
いるのですか? 嫌われてもいいと、もうそろそろ、居直りなさい。どうせ、嫌われるのですから
……。結論を先に言えば、あなた自身が、たいへん依存性の強い方だと思います。子育てをし
ながら、いつも無意識なまま、何かの見返りを求めている。それが回り回って、今の育児姿勢
になっていると考えられます。

 ゲームの音がうるさかったら、「うるさいわねえ」と言えばよいのです。それで子どもに嫌われ
ても、遠慮することはありません。つまりこれが(心のさらけ出し)ということになります。

 ただ、お子さんは、あなたに絶対的な安心感を求めています。が、それを得られないでいる
……。そういう状態です。あなた自身もわかっているように、あなたの育児姿勢には、一貫性
がありません。

 そこでこうします。『求めてきたときが、与えどき』と。

 子どもがあなたにスキンシップなり、甘えるなり、何かの愛着行動を示したら、すかさず、(こ
こが重要です。「すかさず」です)、子どもを抱きかかえてあげてください。そして力いっぱい、抱
いてあげてください。

 たいていものの数分もすると、子どものほうから体を放そうとしますので、そっと、水の中に魚
を逃がす要領で、子どもの体を放します。

 決して、「あとでね」とか、「今、忙しい」などと、言ってはいけません。「すかさず」そうします。

 子どもの心は、それで安定するはずです。「会社を休んでほしい」と、父親に甘えたときも、そ
うです。その旨、お父さん、つまりあなたの夫に、よく言い伝えておいてください。ぐいと抱いて
あげるだけで、じゅうぶんです。理由を言ったり、弁解したりする必要はありません。

 ホント、外づらをよくするのも、疲れますね。わかります、その気持ち!

 私も、若いころ、それなりの教師に見られたくて、苦労しました。しかしある日、気がつきまし
た。クソ食らえ!、と。

 それからは気が楽になりました。あるがままの自分を、さらけ出しながら生きるようになりまし
た。Fさんにも、今すぐは無理かもしれませんが、少しずつ練習すれば、それができるようにな
りますよ。

 ためしに、あなたの夫に向かって、(YES)(NO)をはっきりと言ってみては、どうでしょうか。
いやだったら、いやだと言えばよいのです。してほしかったら、してほしいと言えばよいのです。

 「あんた、今夜、セックスでもする?」「xxxxでもなめてあげようか!」と。(少し、ショックでした
か?)

 ハハハ。そういう形で、自分をさらけ出していきます。あとは、練習です。つまりね、あなたが
心を閉ざしていて、どうして子どもが、あなたに心を開くことができるでしょうか? 

 お子さんの年齢からして、もう、何でも、あなたの思い通りにはならないということを、肝に銘
じてください。夜更かしをして、翌朝困るのは、息子さんです。ですから、こまごまとしたことは、
あまり気にしないで、子どもに任せなさい。

 原因をたどれば、つまりなぜあなたが今、そうなのかという原因をたどれば、あなた自身の幼
児期から子ども時代に、問題があったとみます。権威主義的な親をもち、家父長意識の強い
家庭環境の中で、あなた自身が、いつも、(いい子)を演じていた。

 さらに言えば、あなたとあなたの父親との関係が、あまりうまくいっていなかったことも考えら
れます。そのため、(男)の扱い方が、わからないまま、今日に至っている……。

 一度、自分の過去を冷静に見つめてみる必要があります。で、この問題は、そうした自分の
過去を客観的に見ることができるようになっただけでも、問題の大半は解決したとみます。勇
気を出して、自分の過去と対峙してみてください。

 もっと肩の力を抜きなさい。カエルの子どもはカエル(失礼!)。それ以上高望みしないこと。
過剰に、子どもに期待をしないこと。「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめなさい! こ
の世界には、『あきらめは、悟りの境地』という格言があります。私が考えた格言ですが、あき
らめたとたん、あなたも、そして息子さんも、表情が明るくなるはずです。

 「こんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばれば、がんばるほど、逆効果ですよ!

 そしてあなたは、もう子どものことは忘れて、自分のしたいことをしなさい。息子さんは、すで
に親離れを始めていますよ。年齢的にも、その時期に来ています。この時期、親はさみしい思
いをするかもしれませんが、それに耐えるのも、親の務め。

 あとはCA、MG、Kの多い食生活に切り替えてみてください。海産物中心の献立にします。そ
れでも、(こだわり)が消えないようでしたら、一度、心療内科のドクターに相談なさるとよいでし
ょう。今では、すぐれた薬があります。

 あまりくよくよしないこと。少なくとも、万引きの問題は解決したのですから……。つぎからつぎ
へと、あれこれと問題をさがしだし、悩まないこと。「前よりもよくなった」ことだけを実ながら、あ
とは、前向きに生きていきます。

 では、また。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 育児
の悩み 育児ノイローゼ 子供の問題 育児問題)

【補記】

●自分をさらけ出して生きる

++++++++++++++++++++

自分をさらけ出して生きるということは、
口で言うほど、簡単なことではない。

そのことは、子どもの世界を見ればわかる。

子どもの中にも、あるがままの自分を、
すなおにさらけ出しながら生きている子どももいれば、
そうでない子どももいる。

いつも他人の目を気にしながら、いい子ぶる
タイプの子どもである。

このタイプの子どもは、いつも自分を飾る。
ごまかす。作る。偽る。

だから本人も疲れるが、教える側も疲れる。
何を考えているのか、何を望んでいるのか、
それが正確にわからないから、ときとして、
どう教えたらよいのかわからなくなる。

そこで私の教室では、年中児で入ってきた
子どもについては、とにかく、大声で、
声を出させ、大声で笑わせるという指導を
大切にしている。

心の中のものを、すべて吐き出させるように
している。

しかし本当の問題は、母親にある。

母親の中にも、自分を飾る、ごまかす、作る、
偽る人は少なくない。

が、母親のばあい、問題は、本人だけにとどまらない。
その影響は、子どもに現れる。

もちろん夫婦関係も、ギクシャクしてくる。

だから……。

もし、あなたが、ここでいう、心のさらけ出しが
苦手のタイプの人なら、思い切って、
心を開いてみよう。

心を開いて、自分の思いや願いを、空に
向かって、解き放ってみよう。

方法は、簡単。

まず、YES、NOを、はっきりと言ってみよう。

したかったら、YES!
したくなかったら、NO!

自分をすなおに表現してみよう。

自分を飾らないで、
自分をごまかさないで、
自分を作らないで、
自分を偽らないで……。

心を解き放てば、体は、あとからついてくる。

++++++++++++++++++++

以前、書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++++

【世間体】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間が…
…」という。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束縛から
離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは個
人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく言えば、自
分らしさ(アイデンティティ)の原点になっている、核(コア)をいう。このコア・アイデンティティをい
かに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われているか
を気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるかを気にす
る。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、このタ
イプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

 少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイフが落
ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。その中学生は、
臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思ったの
か」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイフをほし
いと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困ります」
と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかったら、ほし
いと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。その上で、そのサイフ
をどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」と。

 (仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論が始まると
いうこと。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらってしまえ」と言ってい
るのではない。誤解のないように!)

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目を気にし
た生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化が遅れる。「私
は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりません」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘には、
国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニール袋な
ど)を拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽トラック
だ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的反応が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、いい印象
をもつにちがいない」と、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえってわ
ざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴミを集めている
のに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふうに考
えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、その周囲の
人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の虐待ら
しい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。そればか
りか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせたり、骨折していな
い別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のままだっ
た。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度は、他人
の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であって自
分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するということは、
よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってしまってはいけな
い。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にしていたよ
うに思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするようにしている。他
人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめてしまう。
他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を気にし
ている人間ということがわかる。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となりの人より
悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜んでみ
せたりする。

 20年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそうですね。
本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、万引きをして、補導
されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情したフリをし
ながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうですから。Gさん
は、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

●作られる世間体

 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件にこうい
うことがあった。

 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言った。(今ま
で、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大学」「H大学」と、伏
せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)

 S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。

 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。

私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!

私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』というのは、
ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。

 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響が大き
いのではないかと思う。

 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり世間体を
気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体を否定するよ
うになるかもしれないが……。)

 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、世代を経て、引き継が
れる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。

 (このつづきは、別の機会にまた考えてみる。つづく……。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 この原稿を書いてから、ずいぶんになる。「交番へ届けます」と答えた子どもは、すでに成人
になり、結婚もした。以来、会ったことはないので、今ごろは、どういう考え方をしているか知ら
ない。

 しかしまじめな、いい生徒だった。それは認める。だから今、こうしてそのときのことを思い出
してみると、そういう生徒をからかったわたしの方がまちがっていたのかもしれない。「交番へ
届けます」と彼が言ったとき、私もすなおに、「そうだね。それがいいね」と言うべきだった。それ
で終わるべきだった。

 多かれ少なかれ、私たちはみな、仮面をかぶって生きている。もしみながみな、あるがままの
(私)をさらけ出して生きたら、それこそ、この社会は、動物の世界のようになってしまう。私は
私で、あなたはあなたで、いい人ぶりながら、生きていく。たとえそれが仮面であるとわかって
いても、だまされたフリをして、相手に合わせて生きていく。

 それでよいのかもしれない。

 ただこれだけは、書いておきたい。

 自由とは、自分をさらけ出して生きること。つまり自分をさらけ出して生きることを、自由とい
う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 仮面
 コアアイデンティティ 人格の核 さらけ出し すなおな人間 はやし浩司 世間体 見栄 体
裁 虚栄)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
 
●虚栄

 「見栄。うわべだけの栄誉」「外見ばかり飾って、実質以上に見せること」を、「虚栄」という(日
本語大辞典)。

 英語では、「vanity」という。

 しかし、日本語で、「虚栄」というときと、英語で、「vanity」というときとでは、感じ方が、ちが
う。なぜだろう?

 ひとつには、そこに宗教的意味がこめられること。キリスト教では、「vanity」を、人間がもつ
原罪のひとつとして、それを強く戒めている。

 小学館の(ランダム・ハウス・英和辞典)によれば、こうある。

 Vanity……(1)うぬぼれ、慢心、虚栄心、(2)うぬぼれの表出、(3)ひどく自慢する、(4)無
価値、つまらなさ、(5)価値のないもの、つまらないもの、と。

 だから日本では、「お前は虚栄心が強い」と言われても、それほど、気にならないが、英語
で、「vanity」と言われたれたりすると、ぞっとする。何か、とんでもないまちがいを犯したかのよ
うにさえ思うこともある。

 そこで改めて考えてみる。「虚栄とは何か?」と。

 「飾る」といっても、それを意識している間は、虚栄ではない。たとえば美しいネックレスを買
い、それで身を飾るというのは、虚栄ではない。

 しかしそのネックレスを身につけ、さも、私は金持ちですと言わんばかりに振る舞うのは、虚
栄ということになる。さらに、その虚栄を使って、相手をだますようなことをすれば、詐欺(さぎ)
ということになる。

 が、虚栄の恐ろしさは、ここでとどまらない。虚栄が長くつづくと、「私」そのものが、なくなる。
「私」がないということは、その時点で、自分の人生を、カットすることになる。もっと言えば、
「私」でない、私に、操り人形となって、操られるだけ。そういう人は、少なくない。

 Nさん(女性)は、今年、80歳を過ぎた。そのNさんは、買い物に行くとき、サイフの中に、札
をいっぱい詰めていくという。しかも、一番前と一番うしろに、1万円札。その間に、1000円札
を詰めていくという。

 そしてレジなどで、お金を出すときは、レジの女性に、これみよがしに、札束を見せて、お金
を払うという。

 それを見ていた、実の娘(60歳くらい)は、こう言った。「うちの母は、昔から、そういう女性で
す。本当は、貧乏なのに、外では、いつも、金持ち風に振る舞うのです」と。

 そういう話を聞くと、私は、すぐ、「80歳も過ぎているのにねエ〜?」と思ってしまう。あわれと
いうより、こっけいですら、ある。虚栄に毒されると、人は、そこまでするようになる。しかも80
歳を過ぎても、それをつづける。

 自分がない人というのは、そういう人のことをいう。言いかえると、「生きる」ということは、その
時点、時点で、「私」をつかみながら生きることをいう。それができない人は、生きていることに
は、ならない。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、虚栄に毒されると、生きていると
いう実感をもてないまま、その日、その日を、ただ無益に過ごすことになる。

 あるがままに、自分を保ちながら、生きる。自分をさらけ出しながら、生きる。そういう生き方
を、「善」とするなら、虚栄に満ちた生き方は、「悪」ということになる。キリスト教のことは、よくわ
からないが、多分、そういう意味で、「虚栄」を、「vanity」と言うのではないか。

 一度、オーストラリアの友人に、問いあわせてみようと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 虚栄
 vanity)

+++++++++++++++++

本音と建て前について書いた原稿を
いくつか添付します。

+++++++++++++++++

●本音と建て前

 「すなおな考え方」とは何か。5、6年も前のことだが、小学1年生の生活科のテストに、こんな
のがあった。

 あなたのお母さんが、台所で料理をしています。あなたはどうしますか。つぎの三つの絵の中
から、答を選んでください。

(1)そのままテレビを見ている絵。
(2)お母さんを手伝う絵。
(3)本を読んでいる絵。

 この問題の正解は、(2)のお母さんを手伝う絵ということになる。しかしほとんどの子どもは、
(1)もしくは、(3)に丸をつけた。このことを父母との懇談会で話題にすると、ひとりの母親がこ
う言った。「手伝ってほしいとは思いますが、しかし実際には、台所のまわりでウロウロされる
と、かえってじゃまです。テレビでも見ていてくれたほうが、楽です」と。つまり建て前では、(2)
が正解だが、本音では、(1)が正解だ、と。

 そこで本題。冒頭にあげた絵の問題では、子どもたちは私の意図した答とは、別の答を出し
た。正解か正解でないかということになれば、正解ではない。また小学一年生のテストでは、本
音と建て前が分かれた。こういうとき、どう考えたらよいのか。

●正解のない世界

 ……と考える、必要はない。悩む必要もない。もともとこの世の中に、「正解」などというもの
は、ない。ないにもかかわらず、私たちは何かにつけて、正解を大切にする。正解を求めようと
する。とくに教育の世界ではそうで、その状態は、高校三年生までつづく。が、それで終わるわ
けではない。

ある東大の教授が、学生たちに、答のない問題を出したときのこと。一人の学生が、「答のな
い問題を出さないでくれ」と、その教授に、くってかかったという。その教授は、「この世界ので
きごとは、九九・九九%、正解のないことばかり。なぜ今の学生は、正解にこだわるのか」と笑
っていた。

 そこで今、教育の世界では、「答のない問題」が、クローズアップされている。私立大学だが、
T理科大学の面接試験では、こんな問題が出された。「塩と砂糖と砂が混ざってしまった。この
状態で、塩と砂糖と砂を分離するには、どうしたらよいか」と。

 こうした問題を与えられたとき、日ごろから、考えるクセのある子どもは、あれこれ分離方法
を言うが、そうでない子どもは、そうでない。さらに入学試験のとき、教科書や参考書もちこみ
OKという大学もふえてきた。「知識」よりも、「考える力」を大切にするというもくろみがある。

当然のことながら、これからはこの傾向は、ますます強くなる。さきの教授は、こう話してくれ
た。「これだけインターネットが発達してくると、知識の価値は、ますますさがってくる。大切なの
は、いかにその知識を組みたて、新しい考えを生みだすか、です」と。

 私たちは子どもたちと接しながら、あまりにも、答を押しつけすぎているのではないだろうか。
そしてそういうのが、教育と思いこみすぎているのではないだろうか。子どもたちにかぎらず、
私たちは、もっと自由な発想で、自由な答を求めてもいいのではないだろうか。私は子どもたち
の前で、爆笑してしまったが、爆笑そのものの中に、未来につながるものの考え方の、大きな
ヒントが隠されているような気がする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 本音
と建て前 子供の本音)








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【5】
【母子分離不安について】

++++++++++++++++++

O市のGさん(30歳・母親)から、満1歳4か月に
なる子ども(男児)の、分離不安についての相談が
あった。

掲載許可をもらえたので、まず、それをそのまま
紹介させてもらう。

++++++++++++++++++

【Gさんより、はやし浩司へ】

突然のご相談で失礼いたします。(メルマガ等は一切購読しない方針のため、申し訳ございま
せん。ホームページは普段よりよく拝見し、子育てに際し何より参考にさせていただいておりま
す。)

私共の長男(1歳4ヶ月)の分離不安のことで悩んでおります。

我が家は長男が誕生して以来、私が在宅勤務という形態での、一応の共働き家庭です。この4
月からは出勤を視野に入れ、長男を保育園に預けることとなりました。それまでは実は私の仕
事の都合上、私の実家で母子が生活し、主人は週に何度か通ってくる生活が1年以上続いて
いました。ですので、長男にとっては現在の自宅は何度か訪れたことのある家に引越しをした
ような状況です。そこへ加え、初めての集団保育ということになりました。

先週(4月第2週)から、午前のみの慣らし保育がはじまりました。案の定、本人の受けたショッ
クは相当なものだったようです。毎朝泣くのはもちろんですが、まもなく、家の中でもちょっと私
の姿が見えないと、たとえ私が声をかけながらでも、火がついたように泣き出すようになりまし
た。

それくらいなら致し方ないかとも思うのですが、しだいに寝てもさめても常に情緒不安定のよう
な状態が続き、よく寝る子だったのに近頃は昼夜を問わず睡眠中も突然泣き出して収まらな
いことが増えました。

つい先々週までは天真爛漫でやんちゃだけがとりえのような子供だったのに、人への警戒心
が顕著になり、笑顔が減り、すぐに私に抱きついてくるようになりました。私に対しても、これま
では何かできると得意げに笑顔でアピールしてきたのに、それも明らかに減ってしまいました。

実は風邪をもらってきてしまったこともあり、今週頭から保育園は欠席し、母子密着していまし
た。すると多少は元気を取り戻した気もするのですが、やはり以前の彼とは違ってしまっていま
す。主人は「それは一過性。誰しも経験することで、それがたとえ半年先でも同じこと。慣れる
もの。だったら今、ほかの子と足並みそろえさせてやるのが一番。欠席させたら彼がかわいそ
う」と考えているようですが、私にはこのまま彼の何か大事な部分が失われてしまうようで悲し
く、不安がつのります。

はやし先生の「子どもを考える」等、いくつか分離不安について触れた記事を拝読し、ますます
悩んでいます。ことの次第によっては、私の仕事を見直して保育園は見合わせもいいと思って
いますが、取り越し苦労でしょうか。またそうしたところで天真爛漫で無邪気だった彼が取り戻
せるのか、アドバイスいただけませんでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Gさんへ】

まず、いくつかの参考となる資料を添付します。

+++++++++++++

【参考(1)】

●子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(3歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。

そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動したと言うの
だ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症
状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。

似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはと
もかくも、分離不安の子どもは多い。4〜6歳児についていうなら、15〜20人に1人くらいの割
合で経験する。

親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなっ
たとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。

はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験し
て、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子ども
が生まれたことが引き金となった例もある。

子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると
わかりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状
だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理を
すればかえって症状をこじらせてしまう。

いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まる
ことが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた
心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れ
る。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。

こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつよう
になる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は4〜5歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたように、
一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予
定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おとな
になってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?

子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに3歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。

小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発熱、情緒不安症状、
さらには神経症による諸症状を示すこともある。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(2)】

子どもの心が不安定になるとき 

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。(1)精神の完成度、(2)情緒の安定度、(3)知育の発達
度、それに(4)運動能力。

このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運
動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス
型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子
どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。

子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん
弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マ
イナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。

表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この
タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう
ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的
な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身
の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒
動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父には
げしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また
別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不
安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調
のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チッ
ク、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖
症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど
もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家
庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされている
なら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与え
る。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなけれ
ばならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、
カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボ
チャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。
わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。

学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」
と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高
校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもが
ひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親
があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の
精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で
与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもな
い。

なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親が
あせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安
定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えなが
ら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)
●子どもの神経症について

心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(3)】

子どもの情緒不安

●原因は家庭に ●神経症の原因になることが多い

子どもの情緒の安定度は、子どもが体力的に疲れていると思われるときをみると、わかる。た
とえば運動会や遠足のあとなど。そういうときでも、不安定症状(ぐずり、ふさぎ、イライラなど
の精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもとみる。あるいは子どもは寝起きをみる。
不機嫌なら不機嫌でも構わないが、毎朝様子が同じというのであれば、やはり情緒が安定した
子どもとみる。

 子どもは二〜四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に動揺しやすいことがわかっ
ている。経験的には、乳幼児から少年少女期への移行期にあたる満四〜五歳、および小学二
〜四年生にかけて不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心がいつも緊張状態にある。外見にだまされてはいけない。柔和
な表情を浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、よくある。このタイプ
の子どもは、気を許さない。気を抜かない。他人の目を気にする。よい子ぶる。そういう状態の
中に、不安や心配ごとが入り込むと、それらを解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が
不安定になる。

症状としては、(1)攻撃的、暴力的になるプラス型と、(2)周囲に溶け込めず、ひきこもったり、
怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型にわけて考える。プラス型は、ささいなことで激怒し
たり、さらに症状が進むと集団的な非行行動をとったりする。マイナス型は慢性的な下痢、腹
痛、体の不調を訴えることが多い。

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。家庭騒動や家
庭不和、恐怖体験、暴力、虐待、神経質な子育て、親の拒否的な態度など。

 子どもが情緒不安症状を示すと、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の
第一は、家庭にあると考えて反省する。過干渉、過関心、過負担、過剰期待など。心を束縛し
ているものがあれば、解きほぐす。一番よいのは、子どもの側から見て、親の存在を感じさせ
ないほどまでに、子どもが一人になれる時間と場所を用意すること。あれこれ気をつかうの
は、かえって逆効果。あとはスキンシップを多くして、温かい家庭作りに努める。

 なお一般的には、情緒不安は神経症の原因となることが多い。強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、
緩慢行動、恐怖症、虚言癖、収集癖、夜尿症など。症状は千差万別で定型はない。


Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(4)】

●子どもの情緒

【SSさんより、はやし浩司へ】

「先生、ご無沙汰しております。
以前、四歳の息子のかん黙について相談させていただきました岐阜のSSです。
現在は五歳六か月になりました。

その後、保母に「言ってごらん」等の声かけをやめてもらったところ、たった三日で彼に笑顔が
戻り、保育園へ行かないというのも治りました。

しかし、慣れるとまたしゃべらそうとしたりの繰り返しで、なかなかうまくいきません。
一度ぽつりとしゃべったのを聞いたパートの先生がうれしくて、「もっと聞かせてよ」という具合
に朝夕のあいさつを強要し、おかげでまた、登園拒否になってしまいました。

先月、口唇裂の修正手術のために二週間入院したのですが、そのことを保母が、ほかの子ど
もたちに伝えたところ、「しゃべれるようになる?」と聞かれ、「そうかもよ」と言い、子どもたちは
「手術をしたらしゃべれる」という認識となったようです。

本人もです。「手術したらしゃべれるようになるよね!」と張り切っていました。

構造的なことと精神的なものは関係ありません。もともと発語について構造的な問題はありま
せん。本人が「しゃべれる」という気持ちになって、本当に他の人としゃべれたら本当にうれしい
ことです。

でも、逆のことを考えたら・・・。

術後、「まだしゃべられないよ」、しばらくして「テープが取れたらしゃべれるよ」と。

抜糸も終わった今はもう、このことにはふれません。

でも、保育園へ行くと私も子どもたちに「しゃべれるようになった?」と聞かれるので、本人もき
っと聞かれているのだろうと思います。

三歳までの間に一〇回以上の入院(完全看護)を経験しているので、母子分離不安が強く、風
邪、入院、冬休みと続き、「保育所へ行かない!」と、かなりの抵抗をするようになりました。

毎朝、布団から出ない、服を着せる→脱ぐ、カバンの中身を出して投げる→入れるの繰りかえ
しを、一時間から二時間ほど、母子で行います。もちろん食事なんて取れません。

やってるうちに私も悲しくなり泣いたり、怒ったり。
だんだん手を上げるまでの時間も短くなってきています。
ここまでして保育園に連れて行く理由を探しても見つからないのですが、保育園に行って、私
の姿が見えなくなると朝の準備もできるし、保育園での生活も楽しんでいるそうです。

今日は服も首を通しただけの状態で、裸足で連れて行きました。
見えなければ見えないで楽しくできるのならば、一度休ませたらクセになる・・・と思って、何とか
やっていますが、毎朝保育所から一人で帰宅すると、ものすごい疲労感と脱力感に教われま
す。

いつまでつづくのか、これで本当にいいのだろうか?

以上のことを保母と懇談などで話をしても「過保護な親」のレッテルを貼られていますので、言
えば言うほど悪い方へ向いているようです。

子どもがどうこうよりも、見えない障害を解ってもらえない、障害をもっているお子さんをお持ち
の母親どうしでも、「親としゃべれるだけ、いいじゃない」と相談も聞いてもらえない。

自分自身の心の余裕の問題のような気がします。

「待つ」ことができなくなってきました。

保育園が悪いわけではなく、私と離れるのが保育園だけなので、母子分離不安だと思います。

ほか、通院や母子通園などは、自分から起きてきて、着替えもちゃんとできます。

公立の保育園をやめ、最初からやり直した方がいいのでしょうか?
強制的に分離されていたあの頃の時間に立ち戻って、徐々に手を離していく。
それも必要なのかと思ったりします。

「生きてるだけでいいじゃない」と思っていたあの頃。
病院を出て、健常者の社会で生きていくためにはそれだけではいけないようです。
精神面が置き去りのまま、就学まであと一年という中で頑張っています。

「お母さんがいなくても、全然平気でしたよ」と、保母さんは言います。
本当に平気なのだろうか。見えなくなって気持ちの切り替えがちゃんとできているのなら、保育
園をやめないほうがいいし、無理にでも連れて行けばいい。

どっちつかずの態度が一番悪いと知りつつも、迷ってばかりの毎日です。
何かアドバイスを頂けたらと思い、メールしました。
どうぞよろしくご指導ください。」
(岐阜市SSより)

++++++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、SSさんへ】

 メール、ありがとうございました。

 以前いただいたメールはさておき、ここではかん黙症と分離不安を中心に考えていきます。
少しSSさんの相談の件とは離れますが、お許しください。

 かん黙も含めて、「ふつうでない(何も、どこかにふつうがあるわけではないのですが……)症
状」を子どもが見せても、まず第一に、子どもには、その自覚はないということです。自分を客
観的に見ることができないからです。だから「しゃべりなさい」「どうしてしゃべらないの」「ほかの
子は、みんなしゃべっているでしょ」式の言い方をしても、無意味だということです。

 しかしもうすぐ、子どもに自意識が育ってきます。自分の姿を、客観的に見ることができる能
力と言ってもよいでしょう。だいたい小学三、四年生ごろだと思ってください。そのころになると、
自分と他人の違いを、自分で判断できるようになります。「ぼくは、ほかの子と違うぞ」「こんなこ
とをしていると、損をするぞ」とです。

 そういう自意識が育ってくると、自分で自分をコントロールするようになります。そうなると、こ
の種の心の問題は、急速に改善します。ほとんどのかん黙症の子どもが、この時期を境に、
症状が消えるのは、そのためです。ただ、情緒不安症状(心の緊張感が取れない、取りにく
い、緊張しやすい)は、そのまま残ります。しかしこれは多かれ少なかれ、だれにでもあること
で、しかたのないことですね。

 問題は、今、そういう症状があることではなく、この時期、あれこれ無理をして、症状をこじら
せてしまうことです。かん黙児(こう診断名をつけることは許されませんが、一般論として)のば
あい、自信喪失になったり、かん黙とは別の失語症になったりすることもあります。ですから今
は、こじらせないことだけを考えて、気楽に構えてください。ここに書きましたように、時期がくれ
ばなおります。そしてその時期まで、あと三、四年です。

 そんなわけで、今、「あなたはおかしい」式のラベルを張らないこと。子どもに、わからせない
ことです。残念ながら、保育園では、ほかの子どもたちが、「しゃべれるようになる?」とか、勝
手に騒いでいるようですが、これは、少しまずいですね。保育園でも話題にしないよう、つまり
無視してくれるよう、保母さんに話してみられてはいかがでしょうか。

 育児は、そうでなくても、たいへんな重労働です。「ものすごい疲労感と脱力感に教われます」
というのは、何もSSさんだけのことではありません。いろいろな調査によっても、約七〇%強
の母親たちが、そう感じています。つまり育児というのは、もともとそういうものだという前提で
つきあうしかないようです。

 で、かん黙にせよ、分離不安にせよ、ポイントは、いかにして子どもの心の緊張感をとるかと
いうことです。それには、まず子どもを絶対的な安心感、全幅的な愛情で包むことです。「絶対
的」というのは、子どもの側からみて、「不安や疑いをいだかない」という意味です。最近の研究
では、こうした子どもの情緒の問題は、生後まもなくから乳児期の、親の接し方のどこかに問
題があったからということがわかってきました(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。しかし過
去をとやかく言っても、はじまりません。

 今もそうで、子どもに示す愛情の質、とくにスキンシップの質を高めます。濃厚なスキンシップ
が効果的なことは言うまでもありません。多少の抱きグセがつくかもしれませんが、子どもが望
む間は、手をつなぐ、抱っこしてあげる、添い寝をしてあげるなど、そのつどスキンシップを農
耕にしてください。

中に「依存心がつくからダメだ」という人もいますが、スキンシップと依存心は関係ありません。
むしろスキンシップを繰りかえすことにより、ストレスが多いと出るホルモンが、抑制されること
がわかっています(マイアミ大学、T・フィールド博士ら)。さらにサイレントベビーの名づけ親で
ある、柳沢さとし氏は、こう述べています。

「母親たちは、添い寝やおんぶをしなくなった。抱きグセがつくからよくないという誤解も根強
い。(泣かない赤ちゃんの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。

 概してみても、日本人は、スキンシップの少ない民族です。ですからSSさんが、思い切ってス
キンシップを多くしても、国際標準からは、まだほど遠いほど少ないとみてよいのです。遠慮せ
ず、お子さんを抱きなさい。今しかないですよ。子どもの肌のぬくもりを感ずることができるの
は!

 「健常者」という言葉は、いやですね。日本人がアメリカ人を見て、「ガイジン」というのに似て
います。

 私の長男は、今、知的な障害者のある人たちが集まって運営する会社で、指導者としての仕
事をしています。彼が自ら選んだ仕事ですが、「みんな、まじめな人たちばかりだ。一日だっ
て、休む人はいない」と言っています。まじめにまさる美徳はありませんね。長男は、障害のあ
る人たちに、むしろいろいろなことを教えられているようです。

つまりですね、今日があり、明日があるように、一〇年後にも、二〇年後にも、「今日」はありま
す。まったく今と同じような「今日」があります。ですから、恐れないで、必要以上に心配しない
で、前に進んでください。世間の人たちは、決して冷たい人ばかりではないですよ。このマガジ
ンを読んでいる読者の方々みな、(多分)、SSさんの味方ですよ。みんなが、あなたのお子さ
んを守ります。またそういう社会を作ります。みんなで、めざそうではありませんか! 心豊か
な、弱者に温かい社会を、です!

 今日は今日で、やるべきことをやりましょう。懸命に、です。虚脱感や脱力感を覚えたら、「よ
くやった」と自分で自分をほめてあげましょう。それでいいのです。「これでいいのか?」と迷っ
たら、すかさず、「やるべきことはやった」と自分をなぐさめます。私はいつもそうしています。だ
って、先のことを悩んでも、しかたないですよね。どうせ生きていかなければならないのですか
ら……。

 あまりよい回答になっていないかもしれませんが、もしまだマガジンをお読みでないようでした
ら、ぜひ、ご購読ください。無料です。申し込みは、「はやし浩司のホームページ」から、「マガジ
ンコーナー」へ。どうぞおいでください。

 なお、勝手にメールを転載させていただくことにしましたが、どうかご了解ください。一月二六
日号に掲載させていただく予定です。つごうの悪いところがあれば、至急、お知らせください。
改めます。
(03−1−18)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(5)】

【Q4】私(母親)が、家計を支えるため、仕事に出ることになりました。子どもがまだ2歳と1歳
なので、このまま家をあけるようになって、よいものかどうか悩んでいます。子どもと接する時
間が少なくなりますが、とくに注意したらよいことはどんなことでしょうか。私が仕事をしている
間、私の父と母が、子どものめんどうをみてくれることになっています。

【A、はやし浩司より】
 親子のふれあいは、量ではなく、質の問題です。量が多いからよいということにもなりませ
ん。また少ないから、心配ということにもなりません。以前書いた、二つの原稿を、どうか参考
にしてください。

+++++++++++++++++++++++

●愛情は、量ではなく、質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。

 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いて
みた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日になると、子どもをいつも抱いています。ま
たたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いていま
す」と。

 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。

 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。

 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。

+++++++++++++++++++++++

●ある母親の相談

 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかなくて、
困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが寝てから、
仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少ないか
らだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛
情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「うちは
疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子どもには、心
のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞くと、こう話してく
れた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。そして休
みの日などは、いつもベタベタしています」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的な安
心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだかないとい
う意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ体を起こし
て逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを見せて、抱っこしよ
うとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く

 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かもしれな
いが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の関係を思い
浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開きあっていると
きは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないときは、男の側からみると、
何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたいへん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベッタリと親
に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓の鼓動のリズムま
で同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感に包まれていると考えて
よい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていくというの
であれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、子どもが心を
開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのではない。父親のほうに
ある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。もっとはっきり言えば、父
親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだけ。

●原因は父親の幼児期に

 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。しか
し一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、父親自身
が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。そういう意味
で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケースは、その親の親
が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にまでなっ
た人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が一番、ついで
父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口答えするなどという
ことは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということなどという
ことは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」という意味すら
理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なものの考え方にどっぷ
りとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要でではないでしょうか」など
と、私に言ったりした。

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」を考
えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権威を認
めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は家事はもちろん
のこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子どもの運動会や遊戯会、さら
には父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏の体にしみこんだ「質」のよう
なものだった。「父親がそんなことするものではない」という意識があったのかもしれない。い
や、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の中になかった。

●親像がない?

 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親とみ
てよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の親たち
は、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てなどかまってい
るヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、親像がないため、どうし
ても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形で親像が入っている親は、これ
また自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自身が、
子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここに書いたように、
心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かって」とか、「私は親だ」
という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざしてしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもってい
る土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では明日か
ら、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。私もその母親
と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろうな」と思った。ただ
最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話をしてください」と。

+++++++++++++++++++++++++

 お子さんは2歳のお子さんについては、人見知りの時期も過ぎているので、心配はないと思
います。しかし、1歳のお子さんについては、私はまだ、母親の温もりが重要な時期だと思いま
すので、働きに行くにしても、慎重にしたらよいかと思います。WHOも認めているように、満2
歳までは、親が、親の手で子どもを育てるのが望ましいことは、言うまでもありません。

 そこでどうしても働きに行くということであれば、子どもの側からみて、絶対的な安心感を覚え
られるような環境づくりを大切にします。「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味で
す。安定した、穏やかな家庭環境を何よりも大切にします。あなたの夫や、両親の理解が、不
可欠なことは言うまでもありません。コツは、「母親が急にいなくなった」というような不安感を、
子どもに与えないようにすることです。

 子どもが不安にならなければよいのですが、無理をすれば、母子分離不安になったり、それ
が原因で、将来にわたって、「基底不安」を、子どもが覚えるようになるかもしれません。そうい
う心配はあります。

(基底不安の状態になると、生きザマのあらゆる部分で、不安を覚えるようになります。何をし
ても、何をしていても、不安、という状態です。それこそ、せっかくの休日に、旅行に行っても、
その旅行先で、休み明けの仕事のことを、不安に思ったりする、など。そういう人は、多いです
よ。)

 これ以上のことは私には言えませんので、ご家族の方と、よく話しあってみてください。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(6)】

【YKさんの相談より】

 今年から、幼稚園へ通うようになりました。現在、三歳です。毎日のように、幼稚園へ行きたく
ないと、ぐずります。「ママといっしょにいたい」と言います。以前は、泣きながら幼稚園へ行きま
したが、今は、やっと泣かなくなりました。外の世界では、思ったことも、言えなく、がまんしてし
まうので、それではないかと思います。見ていると、それなりに友だちと、遊んではいますが…
…。どのように接したらよいのか、私自身もわからなくなりました。

【はやし浩司より、KYさんへ】

 こういう相談では、最悪のケースから考えていきます。それはドクターの診断に似ています。
「この病気か? でないとするなら、この病気か?」とです。

 KYさんのケースでは、いくつか、疑われます。思いついたままですが、たとえば、(1)母子分
離不安、(2)対人(集団)恐怖症、(3)強迫症など。下にお子さんがいるなら、(4)赤ちゃんが
えりによる、情緒不安や、神経症なども疑ってみます。

 いただいた文面だけでは、何とも判断しかねますが、よい方向に向っているのは事実のよう
ですから、(1)無理をしない、(2)質の高い愛情表現、(3)食生活の改善、(4)暖かい無視を
組み合わせて、対処します。

 「無理をしない」というのは、お子さんの心を大切に、という意味です。心理学(カウンセリン
グ)の世界でも、(1)自己一致、(2)肯定的尊重、(3)共感を大切にします。しかしこれは同時
に、子育ての世界でも、そのまま応用できます。

 自己一致……要するに、お子さんをだますためのウソは言わないということ。「幼稚園へ行か
ないと、先生に怒られる」式のおどしがよくないことは、言うまでもありません。

 肯定的尊重……よき聞き役になれということです。そしてお子さんが何を言っても、「そうね」
「ママもそう思うわ」と、お子さんの心をくみあげてやります。

 共感……お子さんの立場で、考えてあげるということです。「幼稚園へ行きなさい!」と突き放
すのではなく、「毎日、たいへんね」と、ねぎらってあげます。

 つぎに「質の高い愛情表現」ですが、お子さんが求めてきたときには、濃密なスキンシップで
こたえてあげます。ぐいと力強く抱くなどが、効果的です。お子さんに、安心感を覚えさせるよう
にするのが、コツです。

 「食生活の改善」は、お子さんの心がどこか不安定になったら、CA、MGの多い食生活にこ
ころがけます。海産物、魚類がよいことは、言うまでもありません。同時に、甘い食品を一掃し
ます。

 最後に「暖かい無視」ですが、幼稚園から帰ってきたら、こまごまとしたことは言わないで、お
子さんの側から見て、くつろげる家庭環境を用意します。とくに神経疲れを起こしているような
ら、家の中では、ゆるめます。多少生活態度がぞんざいになっても、「ああ、うちの子は、外の
世界でがんばっている」と思いなおすようにします。

 ここに「神経症のチェックシート」を同封しておきますので、一度、家庭で、自己診断してみてく
ださい。得点が平均点より、高いようでしたら、ここに書いたことを参考にしてみてください。し
かし平均点より下ということであれば、今のところ、心の問題はないものと思われますから、お
子さんを暖かく見守る程度で、よいかと思います。

 いくつか参考にしていただけそうな原稿を、ここにはりつけておきます。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(7)】

【掲示板の投稿より】

息子が、小学校に入学してからそろそろ2ヶ月になりますが、ひとりで(友達がいても)、私が玄
関まで送っていかないと、学校へ行けません。

玄関で私の手を握ってなかなか離れないこともあります。しばらくは仕方ない事と思って続けて
きましたが、まわりの子供たち(同級生)が、羨(うらや)ましがっています。

今朝、玄関で同じクラスの子が、「ウチのお母さんは来ないもん」と言って、玄関の戸を押さえ、
私を外へ出さないようにしていました。

もう一人の子がそれをやめさせようとして、その子とケンカになりそうになったんです。

長女は「ママ早く来て」と泣きそうな顔で見ていました。このまま私が付いていけば、友達とも仲
良くできなくなるのでは?と。でもいっしょに行かなければ学校へは行けないし、どうすればい
いのか困っています(Yより)。 

+++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 軽い母子分離不安かと思われます。無理をしてもいけないので、自然体で、対処するしかな
いようです。

 ただ相談の内容とは別に、私には、ほほえましい光景が浮かんできます。「うちの息子たちも
そうだったなあ」と、です。

 「ああいう楽しいときは、どこへ消えてしまったのだろう?」と思うときさえあります。そのとき
は、何かと問題があるように思われ、あれこれ四苦八苦したものですが、子育ても終わってみ
ると、そういう光景が、たまらなく、いとおしく思われてきます。

 母親として、負担が大きいようであれば、少しずつ手を抜いていくという方法もありますし、ま
あ、あまりおおげさに考えないほうが、よいのではないかと思います。

 子どもが学校へ入学すると、親も、何かにつけ神経質になります。今のあなたが、そうかもし
れませんが、少し、子どもから目をそらすということも考えてみてください。あまり深く意味を考
えないで、それが儀式になっているなら、そのままつづけても、さほど、問題はありません。

 私も職場に行くときは、必ず、ワイフが玄関先まで出てきます。夫妻分離不安?……というよ
り習慣的な儀式になっています。今では、ほとんど意味はありません。たまにワイフが玄関先
まで出てこないときもありますが、そういうときは、多少、気分が落ちつかないということはあり
ます。

 しかし外へ出て数分もしれば、忘れます。

 今は、そういう楽しい思い出をたくさん充電しておいてください。ついでに写真でもとってあげ
たらいいですよ。やがて、生意気な子どもになりますから、そのとき、「あなたね、偉そうなこと
を言うけど、1年生のとき、ママのそばから離れなかったのよ」とか何とか、言って、そのとき、
からかってあげなさい。

 私の書いた原稿を、1作、添付します。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、
ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちの
ために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそう
だから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 

子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな
あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ
ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち
も、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++

 あなたも、今をもっと、楽しんでください。子育ては、すばらしいですよ!!

 では!

++++++++++++++++++++++

【参考資料(8)】

【子どもを愛せない親たち】

 その一方で、子どもを愛せない親がいる。全体の10%前後が、そうであるとみてよい。

 なぜ、子どもを愛することができないか。大きくわけけて、その理由は、二つある。

 一つは、自分自身の乳幼児期に原因があるケース。もう一つは、妊娠、出産に際して、大き
なわだかまり(固着)をもったケース。しかし後者のケースも、つきつめれば、前者のケースに
集約される。

 乳児には、「あと追い、人見知り」と言われるよく知られた現象がある。生後5〜7か月くらい
から始まって、満1歳半くらいまでの間、それがつづく。

 ボウルビーという学者は、こうした現象が起きれば、母子関係は、健全であると判断してよい
と書いている。言いかえると、「あと追い、人見知り」がないというのは、乳児のばあい、好まし
いことではない。

 子どもは、絶対的な安心感の中で、心をはぐくむ。その安心感を与えるのは、母親の役目だ
が、この安心感があってはじめて、子どもは、他者との信頼関係(安全感)を、結ぶことができ
るようになる。

 「あと追い、人見知り」は、その安心感を確実なものにするための、子どもが親に働きかけ
る、無意識下の行動と考えることができる。

 で、この母子との間にできた基本的信頼関係が、やがて応用される形で、先生との関係、友
人との関係へと、広がっていく。

 そしてそれが恋愛中には、異性との関係、さらには配偶者や、生まれてきた子どもとの関係
へと、応用されていく。そういう意味で、「基本的(=土台)」という言葉を使う。

 子どもを愛せない親は、その基本的信頼関係に問題があるとみる。その信頼関係がしっかり
していれば、仮に妊娠、出産に際して、大きなわだかまりがあっても、それを乗りこえることが
できる。そういう意味で、ここで、私は「しかし後者のケースも、つきつめれば、前者のケースに
集約される」と書いた。

 では、どうするか?

 子どもを愛せないなら、愛せないでよいと、居なおること。自分を責めてはいけない。ただ、一
度は、自分の生い立ちの状況を、冷静にみてみる必要はある。そういう状況がわかれば、あな
たは、あなた自身を許すことができるはず。

 問題は、そうした問題があることではなく、そうした問題があることに気づかないまま、その問
題に引き回されること。同じ失敗を繰りかえすこと。

 しかしあなた自身の過去に問題があることがわかれば、あなたは自分の心をコントロールす
ることができるようになる。そしてあとは、時間を待つ。

 この問題は、あとは時間が解決してくれる。5年とか、10年とか、そういう時間はかかるが、
必ず、解決してくれる。あせる必要はないし、あせってみたところで、どうにもならない。

【この時期の乳児への対処のし方】

 母子関係をしっかりしたものにするために、つぎのことに心がけたらよい。

(1)決して怒鳴ったり、暴力を振るったりしてはいけない。恐怖心や、畏怖心を子どもに与えて
はならない。
(2)つねに「ほどよい親」であることに、心がけること。やりすぎず、しかし子どもがそれを求め
てきたときには、ていねいに、かつこまめに応じてあげること。『求めてきたときが、与えどき』と
覚えておくとよい。
(3)いつも子どもの心を知るようにする。泣いたり、叫んだりするときも、その理由をさぐる。
『子どもの行動には、すべて理由がある』と心得ること。親の判断だけで、「わがまま」とか、決
めてかかってはいけない。叱ってはいけない。

 とくに生後直後から、「あと追い、人見知り」が起きるまでは、慎重に子育てをすること。この
時期の育て方に失敗すると、子どもの情緒は、きわめて不安定になる。そして一度、この時期
に不安定になると、その後遺症は、ほぼ、一生、残る。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、O市のGさんへ】

 以上、今まで書いた原稿の中から、いくつかを選んでみました。どうか、参考にしてください。

 この中にも書いたように、母子分離不安を、(1)小児うつ病の一様態ととらえる学者もいま
す。ですから、けっして、安易に考えないこと。「集団に慣れさせること」で、「治る」というような
問題ではありません。

 無理に集団生活の中に放り込めば、表面的には、症状は消えたかのように見えますが、「消
えた」のではなく、「潜った」とみます。また場面が変われば再発しますし、とても残念なことです
が、「根」は、生涯にわたって残ります。

 さらに対処のし方が悪いと、一義的には、神経症などの諸症状、かんしゃく発作、さらには情
緒不安、情緒障害の引き金を引くこともあります。くりかえしますが、決して、安易に考えてはい
けません。満1歳4か月という年齢は、そういう年齢です。

 (一般的には、満1歳半〜2歳までが、とくに重要な時期と言われています。「後追い、人見知
り」についても、生後半年前後から、満1歳半前後までつづくことが知られています。この時期、
乳幼児は、濃密な母子関係を通して、基本的信頼関係の基礎をつくります。)

 では、どうするか?

(1)「求めてきたときが与えどき」と考えます。

 子どもの方から、スキンシップを求めるなど、何かのアクションがあったら、すかさず、(間髪
を入れず)、抱いてあげます。「あとでね……」「忙しいから……」という言葉は、タブーです。

 抱いてあげると、ほんの短い時間で満足しますので、子どものほうが体を放すしぐさを見せた
ら、そっと放してあげます。(たいてい数秒ですみます。)

(2)「治す」「直す」と考えるのではなく、「忘れさせる」ことを大切に

 この問題は、「時期がくれば治る」という問題ではありません。先ほども書いたように、「潜る」
だけです。

 最近の研究によれば、おとなになってから(うつ病)になるケースのほとんどは、この時期の
親の対処のし方のまずさにあることがわかってきました。(今年(08年)になってから、そういう
記事を見かけました。どこかに記録したはずですが、見つかりません。またさがしておきま
す。)

 ですから、「直そう」と考えるのではなく、「忘れさせる」ことを第一に考えて、対処します。この
時期は、同じような状況を作らないことに心がけます。こじらせればこじらせるほど、あとあと、
心のキズ(=トラウマ)が深くなります。

(3)「今よりも悪くしないことだけを考えながら、半年単位で、様子をみる」です。

 年齢からして、あせって集団生活の中に、子どもを放り込むような乱暴なことをすれば、かえ
って症状は重くなります。

 子どもの心は、ある意味ではタフですが、こと、愛情問題がからむと、きわめてデリケートな
反応を示します。たった1〜2日、母親から離されたことが原因で、母子分離不安になってしま
った子ども(1歳・男児)もいます。

 仕事の問題は、私には何とも言えません。お子さんの様子の程度にもよります。濃密な愛情
を注ぎ、お子さんが、安心感を覚えれば、それでよし。そうでなければ、この時期は、「無理をし
ない」を大鉄則に、考えられた方がよいかと思います。仕事の問題は、お子さんの症状に見な
がら、Gさんのご主人とよく相談して、決めてください。

 その時期は、先にも書きましたが、遅くとも満2歳までです。その前後に、子どもは、乳児期
から幼児期への脱皮をはかります。このころ、少しずつ、親のほうが、子どもの親離れを誘導
していきます。

(4)Gさんのお子さんだけではない、みな、そうです。

 といっても、母子分離不安そのものは、たいへん多く、程度の差もありますが、大部分の子ど
もが何らかの形で、経験します。「うちの子だけが……」と、深刻に悩まないこと。

 またそれだけをもって、「子育てに失敗した」とか、そんなふうに、おおげさに考えてはいけま
せん。どんな親も、こうした問題をかかえ、それを克服しながら、成長しいきます。大切なこと
は、これを機会に、子どもの心を真正面からとらえるようにすることです。それは同時に、あな
た自身の心を知る手がかりにもなります。

 また分離不安になったからといって、お子さんの天真爛漫な様子が消えるということはありま
せん。Gさんとの愛情に、安心感を覚えているときは、(=疑っていないときは)、天真爛漫な様
子を、いつでも見せてくれます。ご安心ください。

 つまりこの程度の問題は、みな、共通してかかえる問題だということです。「うちの子も、母子
分離不安になりました……」というふうに考えて、どうか前向きに対処してください。どんな子ど
もも、こうした問題を、1つや2つ、あるいは3つや4つはかかえながら、成長していきます。(同
時に、母親も成長していきます。)

 以上、どこか荒削りの原稿ですが、詳しくは、私のマガジンの5月16日号前後で取りあげさ
せていただきます。あくまでも参考資料として、ご利用ください。

 相談、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 分離不安 母子分離不安 後追
い、人見知り あと追い 小児うつ)

****************2550終了*****************
2008年4月18日








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【6】
●介護が終わって、腹黒い人間になってしまった姉
(ヤフー知恵袋より)

++++++++++++++++++++++++

ヤフー「知恵袋」にこんな話が載っていた。
一部を抜粋して、紹介させてもらう。
その女性の母親は、1年ほど、義父の介護をした。
で、事件が起きて、義父は、センターへ。
その女性の母親は、介護からは解放されたのだが……。

++++++++++++++++++++++++

『……ある日、お爺ちゃんが兵隊だと言って、暴力をフルおうとしたのがきっかけで、
おじいちゃんは入院することになり、母も介護からやっと解放されました。


本当に母の方がストレスで壊れてしまうところだったので、
こうなって良かったと思いました。

(中略)

しかし、解放されてはや一年。。。
母の性格が、口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの、腹黒い母になってしまいました。

昔の母は、凄く優しく、悪口を嫌い、正義感あふれる、
お茶目で、かわいい、私の大好きな母でした。


弟夫婦にどなるし、うるさいやんちゃさんがいたら、注意しに行くし、、、
弟夫婦や義父の悪口をその名前が出るたびに、同じ昔の話を何回も愚痴り、
介護をもうこの先しなくてもいいのに、
そして、介護や認知症についてが新聞のテレビ欄にあるたびにそのテレビを見て、
テレビで介護する人たちに共感して、毎回、愚痴愚痴言います……』と。

参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324226598

●抑圧からシャドウへ

こうした心理的変化は、心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明される。
義父を介護しながら、その女性(=嫁)は、日頃の不平、不満を、心の中に別室を
作り、そこへ抑圧してしまった。

義父への憎しみ、怒り、不快感など。
が、その一方で、そうした感情を表に出すことを許されなかった。
表面的には、よい嫁を演じ、かいがいしく義父を介護してみせた。
いわば仮面をかぶったことになるが、その仮面を脱ぐことも許されなかった。

本来なら、そうした仮面はどこかで脱ぐべきだった。
思う存分、言いたいことを言い、したいことをすべきだった。
その母親のばあいは、娘(=この原稿の投稿者)に対してグチをこぼすという
方法で、自分の心を調整しようとした。
が、それだけでは足りなかった。

●腹黒い母

心の別室といっても、それにはキャパシティ(容量)というものがある。
それが広い人もいれば、狭い人もいる。
多くは、その人のもつ文化性で、決まる。
文化性の高い人は、そのキャパシティが大きい。
そうでなければ、そうでない。

そのためにも私たちは、日ごろから高い文化に触れ、キャパシティを大きくして
おかねばならない。
音楽、絵画、芸術を楽しむなど。
映画鑑賞もよいだろう。
いろいろな本を読んで、見分を広くしておくこともよい。
もちろん道徳の完成度も、関係してくる。
より公正性があるか、より普遍性があるか(コールバーグ)。
つねに自分を磨いておく。

その容量を超えたとき、今度はその別室に閉じ込められた邪悪な自分が、本来の
自分を侵襲し始める。
人間性をゆがめる。
さらにはシャドウとなって、その人を裏から操るようになる。
その女性は、こう書いている。

「母の性格が口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの腹黒い母になってしまいました」と。

よくあるケースである。

●子どもの世界でも

こうした現象は、子どもの世界でも、よく観察される。
たびたび取りあげてきたので、ここでは簡単に触れる。

よく「おとなしい子どもほど、心をゆがめやすい」という。
親は、「忍耐力のある、がまん強い子」と喜んでいるが、これはとんでもない誤解。
このタイプの子どもほど、何を考えているか、外からつかみにくい。
先生が何かを指示しても、だまって、それに従ったりする。

このタイプの子どもは、心の中に別室をつくり、そこへ邪悪なものを閉じ込めることに
よって、表面的には、いい子ぶる。
そしてそれがたとえば思春期前夜ごろから、爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と、母親に向って殴りかかったりする。

●ではどうするか。

だれにでも、心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
ない人は、ない。

いやなことがあると、それをその心の別室の中に抑圧する。
こうして私たちは、自分の心を守る。

で、そこで大切なことは、(1)まずその心の別室を認めること。
そして(2)その別室には、自分の中でも、邪悪なものが住んでいることを認めること。
仮面をかぶることが多いようであれば、その仮面を、どこかで脱ぐことも忘れては
いけない。

とくに日頃から善人ぶっている人ほど、要注意。

こわいのは、心の別室に邪悪な部分をすべて抑圧し、表の自分だけを見せて、
それが「私のすべて」と錯覚すること。
あるいは仮面を脱ぎ忘れてしまうこと。
ほうっておけば、確実に、あなたの心はむしばまれる。
ばあいによっては、それがシャドウ(ユング)となって、つぎの世代へと
伝播していく。

で、その女性の母親のばあい、それが期待できるかどうかという問題がある。
年齢は書いてないのでわからないが、おそらく65歳前後ではないか。

が、この年齢になると、自分を静かに見つめるということ自体、できなくなる。
グチがグチをよぶグチ地獄の中に陥ってしまうことが、多い。
というのも、グチそのものが、(こだわり)の一種とみる。
ささいなことにこだわり、それをグチ化する。
そのため、グチがいつまでもつづく。
言いかえると、母親自身が、何らかの心の病をわずらっている可能性がある。

●介護問題の陰で……

介護問題の陰には、こうした問題もある。
「介護」というと、介護だけを考える人は多い。
しかしそれ以上に深刻な問題は、介護疲れもさることながら、それが与える、
精神的、心理的負担。
それが周囲の人たちの心をゆがめる。
ばあいによっては、家族関係を破壊する。

その一例として、ヤフー知恵袋に載っていた相談を、ここで考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
林浩司 介護 介護疲れ 介護問題 抑圧 心の別室 シャドウ論)











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【7】
家族という呪縛感

【バケツの底の穴】



+++++++++++++++++



フロッピーディスクを整理していたら、

こんな相談が出てきた。



そのときは相談してきた方の立場になって、

それなりに返事を書いたつもりでいる。



しかし、記憶というのは、いいかげんな

もの。「そういうことがあったな」という

程度には、思い出せるが、そこまで。

もし偶然であるにせよ、その相談を見ることが

なかったら、私は、そんな相談があった

ことすら、思い出すこともなかっただろう。



+++++++++++++++++



 何枚かのフロッピーディスクを、整理していたら、こんな相談が出てきた。パソコンからパソコ
ンへの原稿の移動には、私は今でも、フロッピーディスクを使っている。



 まず、そのときの相談を、そのままここに転載する。当時、相談をしてきた方から、転載許可
をもらった記憶だけは残っている。



+++++++++++++++++



【YDより、はやし浩司へ】



以前にもご相談させていただきましたYDです。 今回は私と実父とのことで、ご相談お願いし
たいと思いました。 



18歳のときに、私は、今の主人とつきあい始めました。そのときは、私が進路未定の状態だっ
たので、私たちの交際は、猛反対されました。 



 幼稚だった私は当時、交際を隠し続けていたのですが、結局、親が知るところとなり、私は家
を飛び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体の不調が
始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしまし
た。(主治医の先生によると「おびえ」という症状との見解でした。)



 実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎたころ、実母が亡くなり、家の敷居をまた
ぐになりましたが、実父との関係は、今でも修復されないままでいます。



 母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちを、私には話せるようで、愚痴聞き役のような感じ
でした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。しかし私の話より、
自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思います。そのせいか、
私は心のどこかで、父を軽蔑していると自分では思っています。

 

 母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力実家に
は近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと(私を)大事にしてくれ」と訴
えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引き付きあうところが有り、自分と合
わない人間とは付きあわないところがあります。主人の気持ちも考えると、どちらにも強く言え
ないでいます。 



 このお正月に母のお墓参りに行きましたが、場所が北海道と遠いこともあり、また車で行くと
いうこともあり、雪も降ったあとだったので、詳しい日程が立てられないまま行きました。



 結局、予定より2日も余裕ができたので、叔父達に会いに行くことができましたが、事前に詳
しく連絡を入れていなかったことで、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりました。



父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月という
時期だから、余計に考えるべきだった。自分(父)が何も知らないで勝手に決めすぎだ」と言わ
れましたが、今回は行き当たりばったりで、皆に迷惑をかけたのは確かだと、自分では思って
います。 



 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言われた
くないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまった結果だと、
自分では思っています。 



 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行動す
べきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格を考える
と、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーションを取れるよ
うにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。



 また、私たち家族が出向くことによって父が、叔父達に「よろしくお願いします」「お世話になり
ました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にその必要があるの
なら父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会を見ないまま家庭に入っ
た身として常識に欠けているのか判断ができずにいます。まず何から改善すべきか見出せな
い現状です。



 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか? 聞かせていただ
けるととても嬉しいです。



++++++++++++++++++



 今回は、この相談について考えるのが目的ではない。私自身の記憶についてである。冒頭に
も書いたように、この相談を見つけたのは、偶然である。フロッピーディスクを整理していたら、
この相談が出てきた。



 ここで相談してきた人を「YDさん」としたが、もちろん仮名である。こうした記録を残すときに
は、名前はもちろん、住所、さらには、その人自身とわかるような部分については、すべて書き
改めるようにしている。



 だから今となってみると、YDさんといっても、どこのだれだか、わからない。文面に、「以前に
も……」とあるから、当時は、何度もメールをやり取りした人のようである。しかしどうしても、思
い出せない。なぜだろうと思う前に、自分で自分を信じられなくなってしまう。はっきり言えば、
自分がこわい。



 わかりやすく言えば、私の脳みその底に穴があいているような感じがする。記憶そのもの
が、その穴から、どんどんとどこかへ漏れていく。記憶だけではなく、知識もそうだ。とくに新し
い記憶や知識ほどそうではないか。



 発達心理学の世界では、(本当は「老化心理学」と呼ぶべきかもしれないが)、満55歳前後
を境として、人は、急速に回顧主義を傾くことが知られている。未来を展望するより、過去を回
顧することのほうが、多くなるというわけである。



 しかし実際にはそうではなくて、その年齢ごろになると、新しい記憶や知識ほど、どんどんと
忘れてしまい、その結果として、古い記憶や知識だけが脳みその中に残るからではないのか。
つまり加齢とともに、古い記憶や知識だけが、ますますクローズアップされるようになる。回顧
主義に陥るのは、あくまでも、その結果ということになる。



 もし私が、YDさんからの相談を、20代のころ受けていたとするなら、私は、折につけ、YDさ
んの相談を思い出していたかもしれない。しかしその相談を受けたのは、50代の今。だから記
憶に残ることもなく、そのまま忘れてしまった。



 回りくどい言い方になってしまったが、今回のこの事実は、私に重要な教訓を与えた。要する
に、(バケツの底の穴)ということになるが、その(穴)があることを知っているのと、知らないで
いるのとでは、老後の生きザマに大きな差が出てくる。



 つまりそういう(穴)があることを知り、穴から漏れ出る以上に、記憶や知識を、脳みその中に
注入していかねばならない。そういう作業を怠ると、やがて頭の中はカラッポになるばかりでは
なく、先にも書いたように回顧主義ばかりが強くなってしまう。それこそ毎日、仏壇の金具を磨
きながら日々を過ごすような、そんな生き方になってしまう。



 ……といっても、50歳を過ぎてから、新しいことを始めるというのも、勇気のいることである。
60歳を過ぎれば、なおさらである。どうしてもものの考え方が、保守的になり、後退的になる。
しかしなぜ人はそうなるかといえば、ここに書いた、(バケツの底の穴)で、説明がつく。



 記憶そのものが、残らない。残っても、すぐどこかへ消えてしまう。知識も、そうだ。だからこ
そ、人も50代、60代になったら、それまで以上に、新しい経験をし、知識を補充していかねば
ならない。(バケツの底の穴)が防ぎようのないものであるとするなら、そこから漏れ出る以上
のものを、補ってやる。それしかない。



 今回、YDさんからの相談を読んで、別の心で、その思いを強くした。



++++++++++++++++



当時のことを思い出すために、

YDさんからの相談を、自分の

原稿集の中で、検索してみた。



で、さらに驚いたことに、この相談を

もらったのは、(06年 FEB)とある。



つまり今年の2月!



私はたった9か月前のことすら、

もう忘れてしまおうとしている!



ついでにそのときYDさんに書いた

返事を、そのままここに載せる。



+++++++++++++++++





●「家族」とは何か?



 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しかし一度、
歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることがある。ふつうの苦
しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。



 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我群」と
呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に近い部分に
まで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易なことではない。



 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛される。
「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景となって生まれ
る。



 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、親
子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生まれた
が、親を絶対視する子どもは、少なくない。



が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私は「悪玉
親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い人ということにな
る。こういう人は、「親に向かって、何てことを言うのだ!」「恩知らず!」「産んでやったではな
いか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやったではないか!」というような言葉
を、よく口にする。



 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、上下
意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」というのも、
それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはずの、親類の人た
ちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。



 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」を口に
する人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもない。観念的な
(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。



 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は家族
がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、良好な人
間関係を保っているばあいのみ、という条件である。



 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その人を苦
しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自らに「親捨て」と
いうレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。



 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のばあい、
鳥類とは違い、生後、0か月から、7〜8か月くらいの期間を経て、この刷りこみがなされるとい
う。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。



 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、まず、自
分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でもない。もちろん
あなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、(刷りこみ)という作
用によるものだということを知る。



 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それをコントロ
ールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深い底から、あ
なたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思っていても、そう思うのは、
あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。



 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人と同棲
を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書いている。ま
た実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。

 

 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強烈なものである。



 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、安穏
に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につきあって生
きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここでは考えない。



 (2)の方法を、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみの原因
が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずかしくはない。
文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく言えば、得体の知れな
い、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。



 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけだが、
それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分自身が、だれか
に依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存性の原因としては、Y
Dさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではないか(?)。



 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立していれ
ば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「おまえはダメな子」
式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつづけてきたように思う。



 そのことにYDさん自身が気がつけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決すると思わ
れる。



 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘れたほう
がよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではない。いわんや、郷
里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについてたとえYDさんの父親
が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。それこそまさに、悪玉親意
識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親のほうこそ、幼稚と言うべきであ
る。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付しておく。



【YDさんへ……】



 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。



 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求めてく
るまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのないことです。また
どうにもなりません。



 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケラと笑っ
てすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。



 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっている
と、前に進めなくなります。



 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいはその原因と
なっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天上高くいる神なら、
そう考えると思いますよ。



 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あなたの父
親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。だから、あな
たの父親は、親失格ということになるのです。



 そんな父親に義理立てすることはないですよ。



 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あなたの夫の
ところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。あなたの夫が、
「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいのです。



 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。



 では、今日は、これで失礼します。



 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに返事を書
いておきます。お許しください。





【YDさんより、はやし浩司へ】



++++++++++++++++++



私が返事を書いた、翌日、

YDさんより、こんな

メールが届いた。



++++++++++++++++++



はやし先生



先ほど楽天日記を読ませていただきました。



心が楽になりました。ありがとうございまいた。



家族自我群にあてはまるのだと教えて頂き、とても感謝しています。先生のホームページから
勉強させて頂きマガジンからも勉強させていただいていますが、私は自分の都合の良い情報
ばかりを集めて自分を正当化しようと思っているのではないかと思っていました。



先生のお書きになった通り、私は依存性が強い人間です。主人と付きあい始めた当初は自分
でも思い出したくないくらいです 苦笑。そして父から褒められた記憶はありません。



父は「言って聞かないなら殴る。障害者になってもいいんだ」という教育方針で、私が何か悪い
ことをすると、殴られるのは当たり前でした。お説教の最中に物が飛んでくるのもよくあることで
した。なので、父からのお説教があってしばらくはもう二度と可愛いと思ってもらえないかもしれ
ないという恐怖心は強かったと、今になると思います。



それでも、学校をさぼったりしていたのは、何でだったのか、まだ当時の自分を自己分析でき
ずにいますが・・・。



「大切にされた記憶がない」と話すと、父は、「毎週(月曜日に剣道に通っていたのですが、終
わるのが夜の9時でした)、迎えに行っていたのになぁ」と言われた事があります。私が父の愛
情に気付いていなかっただけなのか、自分がされた嫌な事だけしか覚えていないから私は自
分を悲劇のヒロイン化させているのかと思っていました。



その反面、(私は中学生でしたが)、当時の心境は、「夜遊びに走らないように監視されている」
のが本当のところではなかったのかと思います。きっとその頃からひずみはすでに始まってい
たんでしょう・・・。



自分では私は「アダルトチルドレン」に入るのではないかと思っています。社会との繋がりがう
まく持てない焦りから、今の自分のままでは子供達の成長に良くないのではないかと焦ってい
ます。父に「親や、その親、親の兄弟あってのお前なんだから、まわりを大切にすべきだ」と強
く言われる事で、自分を見失ってしまいました。



父の事を思い起こすと未だに震えが起こるので、きちんと文章になっているのか不安ですがお
時間を割いて頂きありがとうございました。



追伸・「ユダヤの格言xx」という本の中で、「父親の生き方から夫の生き方に変え、逆境のとき
は夫を支え、喜びを分かち合い、女中を雇う余裕があっても怠けることなく、話をしてくるものに
はわけへだてなく対応し、困っている人には手を差し伸べる」(ユダヤ人の伝統的な良き妻の
像)と言う説を手帳に書き写したことがあります。楽天の日記を読ませていただきこの事を思い
出しました。 



個人的なのですがこの本の先生の見解にとても興味があります。

長々と読んでいただきありがとうございました。



++++++++++++++++



悪玉親意識についての原稿を

添付しておきます。



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●悪玉親意識



 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子どもを自
分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、これまた二種類あ
る。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。



 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分の価値
観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしようとする。子
どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をする。



これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもをその
「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなっているため、た
いていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育ててやった」と言
い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきました」と言う。



 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ姿」とい
う)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子どもの歓心を買いなが
ら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。



「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子どもにする
のが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに気に入られようとす
るのが後者ということになる。



以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、先生の
方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それもここでいう後者
ということになる。

 これらを表にしたのがつぎである。



   親意識  善玉親意識

        悪玉親意識  非依存型親意識

               依存型親意識   押しつけ型親意識

                        コビ売り型親意識

 

 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようになる。それ
は当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。はたしてあな
たの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分析してみると、お
もしろいのでは……。



+++++++++++++++



もう1作……



+++++++++++++++



●子育て、はじめの一歩



 先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私のこと)
は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。



 こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあちこちを
端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。



 テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにして、「テ
レビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識は必要か否
か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろいろなケースがあ
る。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。



善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、しっかりと
子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。一方、悪玉親意識
というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」と、親風を吹かすことを
いう。



 つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでもある。同
じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、子どもを指導
し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなければ、子どもを指導す
ることも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めるという点では、この上下意識
は禁物である。あればじゃまになる。



親子の関係もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだから…
…」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの姿を見失う原因となる。日本人
は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あるいは夫婦の間ですら)、この
上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがいの間にキレツを入れ、さらには
たがいを断絶させる。



 が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」をのぼる、そ
の「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテーマについてそれま
で考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつことで、その一歩を踏み
出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、その上下意識についてすら、考え
ることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意
識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人はその親意識が強いか」「親意識にはどんなも
のがあるか」などなど。そういうことを考えながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。



 子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていきた
い。

(はやし浩司 親意識 親との葛藤 家族自我群 はやし浩司 幻惑 はやし浩司 家庭教育 
育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 悪玉親意識 善玉親意識 親
風を吹かす親 上下意識)



【付記】



 今回、ここまでの原稿を再読してみて、いくつか気がついたことがある。



 そのひとつは、ここでいう「悪玉親意識」というのは、(親子の間)だけの話ではないというこ
と。



 悪玉親意識、つまり親風を吹かす人は、あらゆる場面で権威主義的なものの考え方をする。
たとえば弟や妹に対しては、兄風、姉風を吹かす。甥(おい)や姪(めい)に対しては、叔父風、
叔母風を吹かすなど。



 あらゆる場面で上下意識が強く、そのわずかな(差)の中で、人間の優劣を決めてしまう。



 で、本人は、それでそれなりにハッピーなのかもしれない。また多くの場合、その周囲の人た
ちも、それを認めてしまっているから、それなりにうまく(?)いく。兄風を吹かす兄と、それを受
け入れる弟との関係を想像してみればよい。



 こうした上下意識は、儒教の影響を受けた日本人独特のもので、欧米には、ない。ないもの
はないのであって、どうしようもない。はっきり言えば、バカげている。この相談をしてきたYDさ
んの父親にしても、ここでいう悪玉親意識のたいへん強い人だということがわかる。「親は親
だ」「親は偉い」という、あの悪玉親意識である。YDさんは、父親のもつその悪玉親意識に苦し
んでいる。



 が、ここで話が終わるわけではない。



 今度はYDさん自身の問題ということになる。



 現在、YDさんは、父親の悪玉親意識に苦しんでいる。それはわかる。しかしここで警戒しな
ければならないことは、YDさんは、自分の父親を反面教師としながらも、別のところで自分を
確立しておかないと、やがてYDさん自身も、その悪玉親意識を引きついでしまうということ。



 たとえば父親が、亡くなったとしよう。そしてそれからしばらく時間がたち、今度はYDさん自身
が、なくなった父親の立場になったとしよう。すると、今度は、YDさん自身が、なくなった父親そ
っくりになるという可能性がないわけではない。



 ユングが使った「シャドウ」とは少し意味がちがうかもしれないが、親がもつシャドウ(暗い影)
は、そのまま子どもへと伝播(でんぱ)していく。そういう例は、多い。ひょっとしたらあなたの周
辺にも似たようなケースがあるはず。静かに観察してみると、それがわかる。



 で、さらに私は、最近、こういうふうに考えるようになった。



 こうした悪玉親意識は、それ自体がカルト化しているということ。「親絶対教」という言葉は、
私が考えたが、まさに信仰というにふさわしい。



 だからここでいう悪玉親意識をもつ親に向かって、「あなたはおかしい」「まちがっている」など
と言ったりすると、それこそ、たいへんなことになる。だから、結論から先に言えば、そういう人
たちは、相手にしないほうがよい。適当に相手に合わせて、それですます。



 実は、この私も、そうしている。そういう人たちはそういう人たちの世界で、それなりにうまく
(?)やっている。だからそういう人たちはそういう人たちで、そっとしておいてやるのも、(思い
やり)というものではないか。つまりこの問題は、日本の文化、風土、風習の分野まで、しっかり
と根づいている。私やあなたが少しくらい騒いだところで、どうにもならない。最近の私は、そう
考えるようになった。



 ただし一言。



 あなたの住む世界では、上下意識は、もたないほうがよい。たとえば兄弟姉妹にしても、名
前で呼びあっている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよいという調査結果もある。



 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼びあうよりも、「ヒロシ」「アキコ」と呼びあうほうが、兄弟姉妹
は仲がよくなるということ。



 夫婦についても、同じように考えたらよい。












 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【8】
●子どもの心がつかめない(?)



+++++++++++++++++



心がつかめない娘(小6)について、

そのお母さんから、こんな相談があり

ました。



この問題について、考えてみたいと

思います。



+++++++++++++++++



どこからお話ししていいのか分りません。沢山の問題があるように思うのですが・・・。

どうか、少しでも、問題点が整理できればと、こちらのHPに投稿させて頂きました。



事の始まりは、先日娘の担任の先生から電話があったことです。



「実は、P子さん(=私の娘、小6)が、最近、A子さんにひどい言い方をしているようだ。下校
中、上下関係があるように見える」と言われました。それがたいへん、気になりました。



さらに、「実は去年の冬ごろ、ちょっとした事件がありまして」と、聞かされました。



先生の話の内容は、こういうことでした。娘のP子が、B子さんに本を貸したのですが、なかな
か返してくれないので、「返して」と言ったところ、B子さんは、「私は借りていない」と言ったとの
こと。



「確かにB子さんに貸したはず」と娘は言いましたが、しかし別の子から、「あっ、私、借りてる
よ」と、本を渡されました。娘はB子さんに謝り、この件は終了しました。



ところが、その後、B子さんが、「私のペンがない!」と騒ぎ出しました。周りの友人も手伝っ
て、探したところ、それが娘のP子の筆箱の中に、あったというのです。「あっ、そのペン私のじ
ゃない?」と、B子さんが言ったといいます。それを見ていた先生も中に入り、娘に聞くと、「違
う、これはお母さんに買ってもらったもの」と答えたというのです。



先生は「じゃあ、お母さんに聞いてもいいですか?」と、娘のP子に訪ねると、「ダメ」と答えたと
いうのです。



それはおかしいなーと、いうことで、周りからも疑われた。・・・・と、いう事がありました。先生
は、「もう、このことは済んだことなので、いいのですが・・・・。しかしP子さんが、A子さんにひど
く当ることなどを、とても心配しています。おうちでも話しあってみてください」と言いました。



 初耳でした。でも、結果として娘はみんなの前で泥棒にされてしまったのでしょうか。

とにかく、真実を知りたいと、私は、娘に聞いてみました。



まず、A子さんのことですが、娘のP子は、「思い当たることはない、何の事を言っているのか
わからない」と言いました。無意識でも、つまりこちらがその気でなくても、相手が傷ついている
としたら、とっても悲しい事だから、これから気をつけてねなどと、話しました。次にペンの事を
聞いたのですが、その話になるろ、娘は泣きだしてしまいました。



 ・・・・実はこのずっと以前から気になっていたのですが、子どもたちは文房の交換をしている
ようです。「このペンどうしたの? この前買ったペンはどこ行ったの?」と私がP子に聞くと、屈
託なく、「うん、友達が交換してっていうからいいよって」とか言います。



私「え? 何で?」

娘「どうしても欲しいって言うし、交換ならいいかなって。それに断る理由がないから」とのこと。



これもショックでしたが、きちんと「物をもっと大切にして欲しい。簡単に交換しないでほし
い。。。」などなど沢山話しこれからはしないでねと、そのときは、そういう話で終わりました。



 で、本題ですが、「ペンのことだけど、こんなことがあったんだって? そのペンはどうしたもの
なの?」と聞くと、娘はなかなか答えようとしませんでした。そこで(1)持ってきてしまった、(2)
拾った、(3)自分で買った、(4)その他の中のどれ?、と聞くと、やっとの事で、「交換したもの」
と言いました。



「じゃあ何であの時、そういわなかったの?」と聞くと、泣くばかりです。泣いて泣いて、やっと聞
けたのが、「交換しようって言われてしたのに、Bちゃんがどうしてそんな事を言い出したのか
分らなくって」と。



私「あなたは泥棒だと、他の人はそう思うよ、それでもいいの?」

娘「盗んだと思われてもいい。それでも自分の思いは言えない」と。



 最近、大きくなってきて、少し手が離れてきたと思って手を抜いてしまったと、我にかえりまし
た。低学年のころは、毎日のように主人と夜、子どもたちのことについて話し合っていたのも、
最近ではしていない事にも気付かされました。



で、昔からの悩みの種は、娘(相談の娘小6・この下に小3の妹がいます)の、対人関係につい
ての問題です。



私が働いていたため、娘が1歳半のときから保育園へ預けました。教育熱心で有名な保育園
でしたが、右を向きなさいと指示されても、右を向かないような娘でした。そんなわけで、先生
も、娘にかなり手を焼いていたようでした。何度も主人と呼び出されては、「お宅の子は人を見
る」とこんこんと言われました。



人見知りが極端にはげしく、突然話し掛けられたりすると、かたまって口を閉ざしたり、下を見
る、隠れるなどの行為をしました。ですから、極力休日は、家族で一緒にのんびりゆったり、栄
養を蓄えるつもりで、常に皆で横に手をつなぎ、時には後ろに回り背中をなでながら過ごしてい
ました。



小学校の入学時には、「大丈夫、なにも心配要らないよ」と、ぽんっと送り出したりしましたが、
当時は、本当に元気よく通っていました。が、大人に理解されにくい性格は中々変わることもな
く、「こう思ってるんだよ!」などと、口にした事は無いようです。



が、その一方で、娘は、地道に努力するタイプで、昨年、放送委員になったのですが、家で練
習し、運動会やおひつの放送も、物怖じせず、こなしていきました。



一時期、これは、何かの障害なのではないかと、悩みました。が、素人判断も出来ず、なんと
かやっていけていましたので・・・・。



現在も、三者面談などでは体をこわばらせ、手に冷や汗をかいています。落ち着きがなくなり、
なんとか作り笑いをしてみせたりするのですが、それも先生にはふざけているように見えるの
か、あまりよい印象は与えていないようです。



 そのような関係の先生ですが、今回の話し合った結果を、その先生に連絡しました。



私としては、なんとか、先生にだけでも誤解を解きたい。このままでは娘のP子がかわいそうと
の思いで話しました。



先生は「分りました。ペンの事は申すんでしまった事なので、(確かに時がたちすぎている)、今
さら蒸し返すのも何ですのでやめます」と言ってくれました。またペンのことについては、「やは
りあのペンはB子さんのものだったわけだ。でも、B子さんは、交換した気は全く無いですよ」と
のこと。私は「また相談にのって頂きたいので、よろしくお願いします」と言えただけです。



先生は、本当に娘のことを心配しているのか不安になりました。なぜ先生は、娘の側を少しで
も見ようとしてくれないのでしょうか。私は常に平等を心がけ、こちらが悪いのでは、と思いなが
ら話を聞くようにしているのですが。。。



長々とすみません。娘から話しを聞いて、娘には、「お母さんは、あなたを信じている。本当に
信じている。世界で一番の味方だから」「分った、お母さんが守ってあげる。心配しないで。で
も、努力しようね」と、言いました。



A子さんには本当に申し訳ない事をしたと思っています。とてもおとなしい子です。B子さんは、
大人うけする、ハツラツとしたとても気持ちのいい子です。クラスのリーダー的存在。親友の子
と喧嘩をした時だけ、娘に愚痴を言いにくるようです。



私は今、娘に何をしたらいいのか。先生に何を言ったらいいのか。主人とも話し合っています
が、行き詰まってしまっています。



本当に長くなって申し訳ありません。毎晩、この問題を考えていると、眠れません。アドバイスを
お願いします。

(大阪府、KR子、P子の母親より)



【はやし浩司より、P子さんのお母さんへ】



 メール、ありがとうございました。



 まず、最初に、一言。



 この種の問題は、たいへんありふれた問題です。はっきり言えば、何でもない問題です。



 まず、A子さんについてですが、A子さんは、P子さんに、いじめられていると訴えただけのこ
とです。ただP子さんには、その意識はなかった。つまり(いじめている)という意識がないまま、
結果として、いじめているという雰囲気になってしまった。それだけのことですが、これも(いじ
め)の問題では、よくあることです。



 B子さんとの本のトラブルについては、P子さんが、ウソを言っているだけのことです。何でも
ない、つまりは、子どもの世界では、よくあるウソです。一応たしなめながらも、おおげさに考え
る必要は、まったくありません。



 思春期の子どもは、自立を始めるとき、それまでになかったさまざまな変化を見せるようにな
ります。フロイトの説によれば、イド(心の根源部にある、欲望のかたまり)の活動が活発にな
り、ときとして、子どもは欲望のおもむくまま、行動するようになります。



 ウソ、盗みなどが、その代表的なものです。万引きもします。性への関心、興味も、当然、高
まってきます。しかしそういう形で、つまり親や社会に対して抵抗することで、子どもは、親から
自立しようとします。



 ですから、ここに書いたように、一応はたしなめながらも、それですませます。あなたのよう
に、子どもを追いつめてはいけません。これはP子さんの問題というよりは、完ぺき主義(?)
のあなたのほうに問題があるのではないかと思います。



それともあなたは、子どものころ、あなたの親に対して、ウソをついたことはないとでも言うので
しょうか? ものを盗んだことはないとでも言うのでしょうか? 親の目の届かないところで、男
の人と遊んだことはないとでも言うのでしょうか? もしそうなら、あなたは修道女? (失礼!)



 もしP子さんに問題があるとするなら、乳幼児期に、母子の間で、しっかりとした信頼関係が
結べなかったという点です。母子の間でできる信頼関係を、心理学の世界では、「基本的信頼
関係」といい、それが結べなかった状態を、「基本的不信関係」といいます。



 この信頼関係が基本となって、その後、先生との関係、友人関係、異性関係へと発展してい
きます。



 そのころの(不具合)が、今、P子さんの対人関係に、影響を与えているものと思われます。
が、しかしそれは遠い過去の話。今さら、どうしようもない問題です。



 ですから今は、「うちの子は、人間関係を結ぶのが苦手だ」「他人に心を開くのが苦手だ」「外
では無理をして、いい子ぶる」「自分の心の中を、さらけ出すことができない」と、割り切ることで
す。だれでも、ひとつやふたつ、そういう弱点があって、当たり前です。



 大切なことは、そういう子どもであることを、認めてあげることです。認めた上で、P子さんを
理解してあげることです。「なおそう」とか、そういうふうに、考えてはいけません。(どの道、今さ
ら、手遅れですから……。)



 あとはP子さん自身の問題です。もしP子さんが、もう少しおとなになり、人間関係の問題で悩
むようなことがあったら、ぜひ、私のHPを見るように勧めてあげてください。あるいはマガジン
の購読を勧めてあげてください。無料です。同じような問題は、そのつどテーマとして、マガジン
でもよく取りあげていますので、参考になると思います。



 で、今、あなたの目は、P子さんのほうに向きすぎています。そんな感じがします。しかも、P
子さんへの不信感ばかり……! 心配先行型の子育てが、いまだにつづいているといった感
じです。



 ですからあなたはあなたで、もう少し、外に向かって目を向けられたらどうでしょうか? 多
分、あなたはP子さんにとっては、うるさい、いやな母親と映っているはずです。たかがペンぐら
いの問題で、親からここまで追及されたら、私なら、机ごと、親に向かって投げつけるだろうと
思います。ホント! 今では、ペンといっても、いろいろありますが、100円ショップで、3〜5本
も買える時代です。



 いわんや子どもが泣きだすほどまで、子どもを追いつめてはいけません。またこの問題は、
そういう問題ではないのです。



 さらに学校の先生も、それほど、おおげさには考えていないはずです。先にも書きましたが、
こうした問題は、まさに日常茶飯事。ですから、先生がP子さんのことを悪く思っているとか、娘
が誤解されてかわいそうとか、先生が親側に立ってものを考えてくれないとか、そういうふうに
考えてはいけません。



 またP子さんに向かって、「信じている」とか何とか、そんなおおげさな言葉を使ってはいけま
せん。また使うような場面ではありません。繰りかえしますが、たかがペン1本の問題です。わ
かりやすく言えば、P子さんが、B子さんのペンを盗んで、自分の筆箱に入れた。それだけのこ
とです。



 多少の虚言癖はあるようですが、それもこの時期の子どもには、よくあることです。(もちろん
病的な虚言癖、作話、妄想的虚言などは、区別して考えますが……。)



 あなたにも、それがわかっているはず。わかっていながら、P子さんを追いつめ、P子さんの
口からそれを聞くまで、納得しない。つまりは、あなたは、完ぺき主義の母親ということになりま
す。



 P子さんは、いい子ですよ。放送委員の一件を見ただけでも、それがわかるはず。そういうP
子さんのよい面を、どうしてもっとすなおに、あなたは見ないのですか。あなたが今すべきこと
は、そういうP子さんのよい面だけを見て、あなたはあなたで、前を見ながら、前に進む。今
は、それでよいと思います。つまりは、それが(信ずる)ということです。言葉の問題ではありま
せん。



 またこうした問題には、必ず、二番底、三番底があります。あなたはP子さんの今の状態を最
悪と思うかもしれませんが、しかし、対処のし方をまちがえると、P子さんは、その二番底、三番
底へと落ちていきますよ! これは警告です。



 反対の立場で考えてみてください。私なら、家を出ますよ。息が詰まりますから……。P子さん
が、家を出るようになったら、あなたは、どうしますか。外泊をするようになったら、どうします
か。



 ですから今は、「今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、様子をみる」です。



 だれしも、失敗をします。人をキズつけたり、あるいは反対に人にキズつけられながら、その
中で、ドラマを展開します。悩んだり、苦しんだり……。そのドラマにこそ、意味があるのです。
子どもについて言えば、そのドラマが、子どもをたくましくします。



 P子さんは、たしかにいやな思いをしたかもしれませんが、それはP子さんの問題。親のあな
たが、割って入るような問題ではないのです。親としてはつらいところですが、もうそろそろ、あ
なた自身も、子離れをし、P子さんには、親離れをするよう、し向けることこそ、大切です。



 とても、ひどいことを言うようですが、私はあなたの相談の中に、子離れできない、どこか未
熟な親の姿を感じてしまいました。あなたはそれでよいとしても、P子さんが、かわいそうです。



 で、たまたま昨夜、『RAY』というビデオを見ました。レイ・チャールズの生涯をつづったビデオ
です。あのビデオの中で、ところどころ、レイ・チャールズの母親が出てきますが、今のあなた
に求められる母親像というのは、ひょっとしたら、レイ・チャールズの母親のような母親像では
ないでしょうか。



 最後に、もう一言。



 こんな問題は、何でもありませんよ! 本当によくある問題です。ですから、「A子さんに申し
訳ない」とか、B子さんがどうとか、そんなふうに考えてはいけません。今ごろは、A子さんも、B
子さんも、学校の先生も、何とも思っていませんよ。



 あなた自身が、心のクサリをほどいて、自分のしたいことをしたらよいのです。心を開いて!
 体は、あとからついてきますよ!



 すばらしい季節です。おしいものでも食べて、あとは、忘れましょう! 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの虚言 子供の虚言 盗み)



+++++++++++++++



いくつか、今までに書いた

原稿を添付しておきます。



+++++++++++++++

 

【信頼関係】



 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。



 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。



 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。



 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。



 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。



 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。



 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。



 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。



●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。

●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。

●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。

(030422)

((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 信頼
関係 親子関係 親子の信頼関係 基本的信頼関係 不信関係 一貫性)





++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 



【感情の発達】



 乳児でも、不快、恐怖、不安を感ずる。これらを、基本感情というなら、年齢とともに発達す
る、怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの感情は、より人間的な感情ということになる。これらの感
情は、さらに、自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情へと発展していく。



 年齢的には、私は、以下のように区分している。



(基本感情)〇歳〜一歳前後……不快、恐怖、不安を中心とする、基本感情の形成期。



(人間的感情形成期)一歳前後〜二歳前後……怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの人間的な感
情の形成期。



(複雑感情形成期)二歳前後〜五歳前後……自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情など
の、複雑な感情の形成期。



 子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。これには、こんな経験がある。



 年長児のUさん(女児)は静かな子どもだった。教室でもほとんど、発言しなかった。しかしそ
の日は違っていた。皆より先に、「はい、はい」と手をあげた。その日は、母親が仕事を休ん
で、授業を参観にきていた。



 私は少しおおげさに、Uさんをほめた。すると、である。Uさんが、スーッと涙をこぼしたのであ
る。私はてっきりうれし泣きだろうと思った。しかしそれにしても、大げさである。そこで授業が
終わってから、私はUさんに聞いた。「どうして泣いたの?」と。すると、Uさんは、こう言った。
「私がほめたれた。お母さんが喜んでいると思ったら、自然と涙が出てきちゃった」と。Uさん
は、母親の気持ちになって、涙を流していたのだ。



 この事件があってからというもの、私は、幼児に対する見方を変えた。



 で、ここで注意してほしいのは、人間としての一般的な感情は、満五歳前後には、完成すると
いうこと。子どもといっても、今のあなたと同じ感情をもっている。このことは反対の立場で考え
てみればわかる。



 あなたという「人」の感情を、どんどん掘りさげていってもてほしい。あなたがもつ感情は、い
つごろ形成されただろうか。高校生や中学生になってからだろうか。いや、違う。では、小学生
だろうか。いや、違う。あなたは「私」を意識するようになったときから、すでに今の感情をもって
いたことに気づく。つまりその年齢は、ここにあげた、満五歳前後ということになる。



 ところで私は、N放送(公営放送)の「お母さんとXXXX」という番組を、かいま見るたびに、す
ぐチャンネルをかえる。不愉快だから、だ。ああした番組では、子どもを、まるで子どもあつか
いしている。一人の人間として、見ていない。ただ一方的に、見るのもつらいような踊りをさせて
みたりしている。あるいは「子どもなら、こういうものに喜ぶはず」という、おとなの傲慢(ごうま
ん)さばかりが目立つ。ときどき「子どもをバカにするな」と思ってしまう。



 話はそれたが、子どもの感情は、満五歳をもって、おとなのそれと同じと考える。またそういう
前提で、子どもと接する。決して、幼稚あつかいしてはいけない。私はときどき年長児たちにこ
う言う。



「君たちは、幼稚、幼稚って言われるけど、バカにされていると思わないか?」と。すると子ども
たちは、こう言う。「うん、そう思う」と。幼児だって、「幼稚」という言葉を嫌っている。もうそろそ
ろ、「幼稚」という言葉を、廃語にする時期にきているのではないだろうか。「幼稚園」ではなく、
「幼児園」にするとか。もっと端的に、「基礎園」でもよい。あるいは英語式に、「プレスクール」で
もよい。しかし「幼稚園」は、……?

(030422)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 基本
感情 人間的感情形成 感情形成期)



Hiroshi Hayashi++++++++++.April.06+++++++++++はやし浩司



【不安なあなたへ】



 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメールをもらっ
た。「うちの子(小三男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き離したいと思い、
サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっしょについてきそうな雰囲
気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなりません」と。



 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まずいな
い。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れてしまう。不
安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げるものではなく、乗
り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえしているうちに、心に免疫性
ができてくる。私が最近、経験したことを書く。



 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自動車。
私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、心配でならなか
った。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、「事故を起こさなけ
ればいいが」と思った。



 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、ときどき仕事
先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワイフは、「まだよ」と
言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたとたん、ザワザワとした胸騒
ぎ。「車なら、三時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、四時間か五時間。途中で食事をして
も、六時間……」と。



 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし高速
道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だけが、ジ
リジリと過ぎる。



 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、今、着い
たよ」と。朝方、出発して、何と、一〇時間もかかった! そこで聞くと、「昼ごろ浜松に着いた
けど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもである。そこで「あぶなくなか
ったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周してきたから」と。北海度! 一
周! ギョッ!



 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなった。「勝手
にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、横浜と浜松の間
を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復するのは、私たちがそ
こらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何時に出る」とか、「何時に着
く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのことで、不安になることもない。



 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。こ
の埼玉県の母親のケースで考えてみよう。



 その母親は、こう訴えている。



●親から見て、よくない友だちと遊んでいる。

●何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。

●しかしその友だちとは、仲がよい。

●そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。

●が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。

●そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。



小学三年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダメ」と
言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るようなもの。子
どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを入れることになる。そん
なわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入るようなことは、慎重にしたらよい。



 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、過
干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になりやすい。
子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、この母親のば
あいは、それが友人関係に向いた。



 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもにどうあっ
てほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いている。「いつも私の
子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うちの子は、ダメになってし
まうのでは……」と。



 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけないことは、
今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従的になるのは、そ
もそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。決してその友だちによっ
て、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、親から見れば、もの足りない
ことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地のよい世界なのである。つまり子ど
も自身は、それを楽しんでいる。



 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式の指示
を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親の姿勢に反発
するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)



 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかたないと
しても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親にも、できる
ことと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがある。そのあたりを、じょう
ずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができない親は、そうでないということにな
る。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いついたままを書いてみる。



●ふつうこそ、最善



 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私は私で
勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう何でもない、ごく
ふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。



 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから気づく。健
康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。



 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。だれに
感謝するというものではないが、とにかく感謝する。



●ものには二面性



 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とくに「人間」は
そうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこちら側の問題というこ
とになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言にも、『相手はあなたが相手
を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、これを「好意の返報性」という。



 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見えるの
は、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるということ。価値観の限
定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他人もそうでなけれ
ばならないと思う)など。



 ある母親は、長い間、息子(二一歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引きこもり
が、三年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっていることす
ら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれない。



 しかしその息子は、二五歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るようになった。
が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワルガキ仲間」
だったという。週に二、三度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな遊びを教えたらし
い。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものころは、あんな子と遊んでほ
しくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていました」と。



 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子どもに見
えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起き、その問題
が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。とたん、問題が解決す
るのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。



●自然体で



 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があるとみてよ
い。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなことでも、だ。たと
えば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子ども自身は、指しゃぶり
をしながら、自分の情緒を安定させている。



 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものがないの
と同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令したり、禁止した
りしてはいけない。



 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、そういう
友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、あくまでも親
の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そういう友だちを、子
ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。



 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそうである
ように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのようなもので、たとえ
親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなければ、あなた自身のこと
で考えてみればよい。



 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」と、いち
いち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子どものころ、あなた
はそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。



●自分の価値観を疑う



 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威主義
の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育てが、どこか
押しつけ的になる。



 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかりが強く、
このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せやすい。
何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。



 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。



 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(三〇
歳)について、こう言った母親(五〇歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。親なんて
さみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいることを、「嫁に取ら
れた」というのだ。



 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、子ど
もを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題ということにな
る。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、モノでもない。「親
子」というワクを超えた、一人の人間である。



●価値観の衝突に注意



 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから親子
でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそれまでは
母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母に話したとき、母
は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩れてしまった。私が二三
歳のときだった。



 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大学を出
て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶望の底にた
たき落とされてしまった。そのあと、私は、一〇年ほど、高校や大学の同窓会でも、自分の職
業をみなに、話すことができなかった。



●生きる源流に 



 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子どもは生き
ている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。



 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは事実で
ある。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、さらにはよい
仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似ている。「うちの子
は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲームをしながら、「エメラルド
タウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものようなもの。あるいは、どこがどう違うの
というのか。(だからといって、それがムダといっているのではない。そういうドラマに人生のお
もしろさがある。)



 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよい。また
そこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、五、六〇年先には、この世界から消え
てなくなる。子どもだって、一〇〇年先には消えてなくなる。そういう人間どうしが、今、いっしょ
に、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あなたは子育てにまつわる、あらゆる
問題から、解放される。



●子どもを信ずる



 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだけでは
すまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。



 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。しかし
その子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなたはダメな子
だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子どもは自己不信か
ら、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなってしまう。へたをすれば、
一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。



【ASさんへ】



メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの内容は別
として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不安の根底にある、
「わだかまり」ではないかということです。



 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか心配先行
型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は何かといえ
ば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな「わだかまり」があった
ことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼児期、少女期にあるので
はないかと思われます。



 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。あなた自
身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていなかった可能性が
あります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関係を結ぶことができな
かったことが考えられるということです。



 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップを経て、
形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許される」という絶対的
な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味
です。



 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあと、
園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなります。どこか
いい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出すことができないから
です。



さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べなくなることもあります。自分の子ど
もすら、信ずることができなくなることも珍しくありません。(だから心理学では、あらゆる信頼関
係の基本になるという意味で、「基本的」という言葉を使います。)具体的には、夫や子どもに
対して疑い深くなったり、その分、心配過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなります。
子どもへの不信感も、その一つというわけです。



 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」という意味
で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的にどうこうと
いうのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、親に対して、全幅に
心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそうなら、「恵まれた環境」という
ことになります。そうでなければ、そうでない。



 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こうした問
題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国というか、こと子育て
については黎明(れいめい)期の国ということになります。



 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始めま
す。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じような手法を用
います。まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を
知るということです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう過去に気づか
ないまま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分でもどうしてそういうこと
をするのかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。



 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりますが、
やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになります。



 さらに具体的に考えてみましょう。



 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるいはさら
に、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青年期にかけて、
不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。



 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成りたっ
ているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとしたら、あな
たが考えているより、深いということです。



 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、本当
にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子どもを嫌ってい
るのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の子どもを判断して
いるのではないかということです。



 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つです。



 (1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭ければせ
まいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。これは私の経験で
すが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなければなりません。(当然
ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌いと言っていたのでは、仕事そ
のものが成りたたなくなります。ですから原則としては、初対面のときから、その子どもを好き
になります。

 

 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかしこれだけ
は言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。とくに幼児につ
いては、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。ですからASさんも、一
度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさわしくない子どもかどうか、一
度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前にもう一つ大切なことは、あなたの子ど
も自身は、どうかということです。



 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるようにしか
ならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作るようなもので
す。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の関係が、今の関係と
いうわけです。



 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとしても、そ
れはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある程度は干渉でき
ても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰りかえし起きてきます。
たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなとき、など。



 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるかどうか
ということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに反対する権利
はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どんな友だちを選んだとし
ても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題ということです。



 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、判断し
て、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずるのです。「うち
の子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずはない」と考えのです。



 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っている
と、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子どもだと思って
いると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そしてあなたの前で、自
分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、たいがいの人間関係は、ますま
す悪くなっていきます。



 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バトルを繰り
かえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。こうした例をみて
みてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということです。とくに、姑が嫁に
もつ、第一印象が重要です。



 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思うと、何か
につけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えようと、ますますよい
嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。こうした相乗効果が、た
がいの人間関係をよくしていきます。



 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていません
か。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題ということになりま
す。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあなたは悪くない面ま
で、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子どもは、あえて自分の悪
い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不思議なもので、自分をよい子だと
信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せようとします。



 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも言えま
す。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験しておくことは、
それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間になることが知られていま
す。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要といえば必要なのです。むしろま
ずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子どものときは、優等生で終わるかもしれ
ませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、さまざまな問題を引き起こすようになりま
す。



 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですからこれからの
ことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなことは、何度も起きてき
ます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが子ども。そして子育て。そう
いう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設計図に子どもをあてはめようとすれ
ばするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設計図から離れていきます。そして「まだ前
の友だちのほうがよかった……」というようなことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だち
とつきあうようになります。



 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三番底」と
か呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。



(1)相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろい子
ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげてね。きっと
喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロールします。



(2)あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっているわ」「あ
なたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。これから先、子ども
はあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子どもは、あなたの信頼をど
こかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるようになります。「親の信頼を裏切
りたくない」という思いが、行動を自制するということです。



(3)「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきらめは、悟り
の境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。子どもというのは不
思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。伸びも、そこで止まりま
す。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始めます。「まだ何とかなる」「こんな
はずではない」と、もしあなたが思っているなら、「このあたりが限界」「まあ、うちの子はうちの
子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いなおすようにします。



 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったところもある
かもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことについて、また何か、
わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼します。

(030516)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 さらけ
出し 子育て不安 育児ノイローゼ)










 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【9】
●わがままな娘


●ある相談から



+++++++++++++++



わがままな娘に手を焼いている……

そんな相談がありました。



M県M市にお住まいの、MTさん

(母親)からのものです。



+++++++++++++++



【MTより、はやし浩司へ】



17歳の娘は私たちから見ると、わがままです。一緒に生活していた時、ご飯は一緒に食べ
ず、食べたいときに部屋へもっていって食べたり、自分の都合で、親に送り迎えを急に頼んだ
りし、散々振り回されてきました。



中学一年の半ばから不登校になり、わたしの子育てにも問題があったと、色々反省もさせられ
ました。でもよかれと思って、本人の希望もあって通っていたフリースクールはやめ、通信高校
も定時制高校も、一学期間だけ通ってやめてしまいました。



高校に行き始めた頃からケータイ代を払うためバイトを始めましたが、たいした稼ぎもないの
に、一時は何万ものケータイ代を未納していました。自分に見合ったケータイの使い方をしたら
という私の話に耳をかしません。



最近は家を出て彼氏の家にころがりこんだかと思えば、一人暮らしをすると、嬉しそうに報告し
てきたり・・・。金銭感覚がまともではないような気がするのです。うちではお金をあげず、貸して
います。が、もうそれもしていません。家にいなければ振り回されることがないのでホッとする反
面、外でなにしているのか・・・。このままほっといていいのでしょうか?



++++++++++++++++



 17歳といえば、体も心も、もうおとな。それがわからなければ、あなた自身のときのことを思
い出せばよい。つまりこの年齢の子どもに対しては、親としてできることは、ほとんど、ない。ま
た親として何かをしようと、親が気負えば負うほど、逆効果。子どもの目には、それが重荷とな
って、映る。



 MTさんの娘について言えば、現在、猛烈な速度と勢いで、おとなの世界に向けて、心の準備
をしている。今までの自分を、すべてかなぐり捨てるかのように、して、である。しかし皮肉なも
のだ。



 どこのだれが、自分の子どもが、(わがままな子)になると、想像して、子育てなどするだろう
か。あどけない顔。子どもらしい、しぐさ。「パパ」「ママ」と言って、あなたの胸に飛びこんでくる
子ども。その子どもがやがて、「ケータイ代を払うために、バイトをする」ようになるとは!



 しかし現実は、現実。そこにあるのが、厳然たる現実。親に残された選択は、ただひとつ。そ
の現実を、受けいれるか、それとも、その現実を拒絶するか。MTさんは、こう迷っている。「家
にいなければ振り回されることがないのでホッとする反面、外でなにしているのか」と。



 では、どうするか? どうしたらよいか? 答は簡単。子どもは、信じて、信じて、信じぬく。ど
んなに裏切られても、信じぬく。決して短気を起こしてはいけない。子どもへの愛情を断ち切っ
てはいけない。子どもがいくら断ち切っても、親は、断ち切ってはいけない。迷うことはあるかも
しれない。しかし断ち切ってはいけない。



 もしそれができなければ、毎日、子どもに向かって、こう念ずればよい。「許して、忘れる」と。
何があっても、「許して、忘れる」と。その度量の深さが、あなたの親としての、子どもへの愛の
深さということになる。



 その愛があれば、子どもは、必ず、(必ず、だ)、あなたのもとに戻ってくる。5年後か、10年
後か、それはわからない。しかし20年を超えることは、ない。



 今、MTさんの娘は、もがいている。苦しんでいる。表面的な反抗とは裏腹に、自分でもどうし
てよいかわからず、悩んでいる。その答がわからないから、親のMTさんに、(わがまま)をぶつ
けている。わかりやすい例に、(家庭内暴力)がある。形こそ、少しちがうが、その心理は、同
じ。つまり(わがまま)をぶつけながら、MTさんの、親としての愛情を確かめている。



 だからMTさんのすべきことは、ただひとつ。どんなに裏切られても、決して、娘を見放さな
い。あとは、その根くらべ。じっとがまんの根くらべ。MTさんは、娘に、こう言えばよい。「あなた
には、負けないわよ」と。「あなたがいくら私を嫌っても、私は、あなたを嫌わないからね」と。



 こういうケースでは、親は、子どもの悪い面ばかりが気になるもの。妄想も、ある。しかしこと
金銭感覚については、そういう子どもにしたのは、MTさん、あなた自身。生まれながらにして、
金銭にルーズな子どもなど、いない。



 それに「ご飯は、いっしょに食べない」ということにしても、理由は、はっきりしている。いっしょ
に食べたくないから、食べない。それだけのこと。子どもを責める前に、どうしていっしょに食べ
たくないか、その心をさぐってみたらよい。



 MTさんは、口うるさくないか? 小言を言い過ぎていないか? あれこれ指示ばかり与えて
いないか? 心配や不安だけを、子どもにぶつけていないか?



 今どき、親子、仲よく食事をする子どもなど、いない。会話の消えた家庭など、ゴマンとある。
廊下ですれちがっても、たがいに目をそむけあう親子となると、もっと多い。同居しながら、30
年以上、会話らしい会話をしたことがない親子さえ、いる。



 子どもに期待しないこと。MTさんの理想像を、子どもに求めないこと。押しつけないこと。MT
さんは、MTさんで、前向きに生きる。1人の人間として、前向きに生きる。そういう姿を見て、
娘は、あなたを1人の人間として、再評価する。つまりMTさんにとって重要なことは、そうして
再評価されるに足りる親になること。あとは、子どもの判断に任す。



【MTさんへ】



 今のMTさんには、つらい毎日かもしれませんが、ケースとしては、よくあるケース。珍しくも何
ともありません。娘さんは、(自分のしたいこと)が、何であるかも、よくわからないのでしょうね。
どこへ行ったらよいのか。何をしたらよいのか。それがわからないでいるのです。



 あなたにも、その年齢のとき、そういうことは、ありませんでしたか? 実は、私にはありまし
た。「学校」という世界で、何となく押し出されて、おとなにはなったのですが、おとなになったと
たん、そこに自分がいないのを知りました。



 今、ほとんどの子どもたちが、同じような悩みをかかえて、苦しんでいます。この日本では、何
も考えないで、おとなしく勉強だけしている子どものほうが、生きやすいのかもしれませんね。
勉強しかしない。勉強しかできない。勉強だけがすべてという子どもです。そういう子どもほど、
受験競争を、スイスイと勝ち抜いていく。親は、「いい子だ」と喜びますが、私には、お化けにし
か見えません。



 まともな子どもなら、悩みます。苦しみます。不安もあるだろうし、将来への心配もあるでしょ
う。しかし見方によっては、娘さんは、たくましい子どもということになります。その(たくましさ)
を、評価してやろうではありませんか。



 冒頭に書きましたように、17歳では、もうどうにもなりません。子どもというより、人格をもっ
た、1人の人間だからです。前にも書きましたが、子どもの巣立ちは、いつも美しいとは、かぎ
りません。親と、ののしりあいながら巣立っていく子どものほうが、多いくらいです。



 だから当然、(MTさんは、どうは思っておられないでしょうが……)、だからといって、子育て
に失敗したとか、親として失格などと、考えてはいけません。あなたはあなたで、懸命に子育て
をしてきたわけですから、それでじゅうぶんです。繰りかえしますが、ケースとしては、珍しくも何
ともありません。



 そういえば、同じような相談が、ある父親から、つい先日もありました。その相談は、私のHP
の、掲示板のほうに書きこんでありますから、また一度、そちらのほうも、のぞいてみてくださ
い。参考になると思います。励まされると思います。



 わかりやすく言えば、あなたの娘さんがまちがっているのではなく、今の日本の教育制度の
ほうが、おかしいのです。学校以外に道はなく、学校を離れて道はないという、その制度そのも
のに、です。



 本来なら、もっと人間のもつ多様性にあわせて、多様化したコースを用意しなければならない
のに、それをサボってきた、教育制度のほうこそ、おかしいのです。そういうことも頭のどこか
に入れて、あなたの娘さんを、理解するようにしてみてください。



 その父親からの相談のときも書きましたが、コツは、子どもの横に、友として立つようにする
ことです。友として、です。親意識など、もうこの際、捨てなさい。くだらないです。



 なお、こういう時期は、あっという間にすぎます。そしてあなたの娘さんが、22〜4歳になるこ
ろには、今の問題は、笑い話になります。私のごく近い知りあいの中には、こんな人もいます
よ。



 長男は、高校2年生のときに、無免許でバイクに乗り、事故。そのまま高校から退学処分。
二男は、暴走族に。その下に娘さんがいたのですが、この娘さんは、何とか高校だけは出まし
たが、親からみて、きわめて不本意な男性と結婚。結婚式も隠れてするような結婚でした。



 しかし今、3人も、すばらしい家庭を築いています。その知人の家には、毎週のように孫たち
が集まり、華やかで明るい笑い声が絶えません。



 人生というのは、そういうものです。ですから、子どものことは、許して忘れる。あとは窓をあ
け、ふとんを暖めて、子どもの帰りを待つ。どんなことがあっても、子どもを信じて、子どもの帰
りを待つ。それが親としての最後の努めということになるでしょうか。決して、あきらめてはいけ
ません。決して愛情の糸だけは、切ってはいけません。まさに根くらべです。それだけは、大切
に!



 あとは、静かに流れる時間が、問題のすべてを解決してくれます。












 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】
●14歳で家出



++++++++++++++++++++



14歳で家出。15歳の男子(男性?)との

同棲生活?



そんな女子(女性)をもつ親から、

以下のような相談がありました。



(掲示板より)



++++++++++++++++++++



はじめまして。よろしくお願いします。

長女 14才についてどうか相談にのって頂きたく、メールをしました。



長女がおかしいなと思うようになったのは、中1の2学期が終わる頃でした。

学校でクラスメートに、「上級生にいじめられている」とうそを言って、そのことが先生にまで伝
わり問題になったことです。それについては、後で本人からうそをついたと、正直に私に言って
きました。そのときから、部活もやめてしましました。



中2の秋から、ある男子生徒ですが、A君という子につきまとわれて迷惑していると、担任の先
生や、周りの友人に相談していたそうです。担任先生からこの件で電話をもらい、A君が評判
の悪い子であること、長女に危害がおよばないように気をつけてください、ということでした。先
生も学校で気をつけて見て下さったり、私たちも本人と相談し、送り迎えを、1、2度しました。



同じ頃、友人とトラブルがあったこともあり、なぜか長女は、そのA君に友人とのトラブルを相談
していたのです。それが原因でクラスで孤立。A君と交際をしはじめました。それから摂食障害
で入院、その後は不登校となりました。夕方近くになると遊びにいきたいと言う長女に対して、
私は、許して遊びに行かせることができませんでした。長女のつらい気持ちは、理解している
つもりでいましたが・・。



次の日1/21、長女は、そのA君宅に家出をしました。向こうの両親とも話しをし、迎えにいき
ましたが、帰っては、きませんでした。



主人は、これ以上長女の精神状態が悪化しないようにこのまま様子をみようと言い私も同意し
ました。



週に1度程度は、帰ってきますが、数時間後、また出て行きます。こちらからは、話しかけてい
ません。本人が言ったことに、うなずくことしか言っていません。



3/14 再度A君の両親に会ったところ、A君の両親が、「来月、引っ越しします。S(長女)ち
ゃんもつれていきたいのですが・・・。Aと結婚させたいのです。」と。

主人は、「長女は、なにもかもわかった上で、こういう交際ををやっているんだと思います。長
女を信じているので、本人が決めてもいいと思います。」と言ってかえってきたそうです。



が、先日、長女が帰って来たとき、長女は、「今更、世話になっているのに、帰りたいから帰る
というわけには、いかない。引っ越しを機に、家に帰って来たい。Aの母親も15才の時に家出
をして今のお父さんと結婚したんだって。だから、私の気持ちが、よくわかると言って家に帰ら
ないでいいよと言ってくれるんだけど、本当のこといえないんだ。」と言いました。つまり家に戻
りたいが、それをA君にすなおに話せないというのです。



このまま、どんなことがあっても私は、長女の帰りを待っているべきでしょうか? 向こうの両親
と話しあうべきでしょうか? よろしくお願いします。



++++++++++++++++++++++



【はやし浩司よりFTさんへ】



 先ほど、電話で、だいたいのことは話しました。A君に対する熱病も、やや冷めかかった状態
なので、2人の間に割って入るには、今がチャンスかもしれません。方法はいくつか考えられま
すが、お母さん(=あなた)と娘さん(以下、Sさんとします)の2人で、相手の両親もしくは、父親
と話し合うのが、最良かと思います。



 できればなごやかな状況で、話し合うのがコツです。一歩退いて、負けるが勝ちと思い、話し
合います。争わず、常識論を淡々と話します。



 生活力のない15歳の男と、14歳の女が、結婚状態に入ることは、常識の範囲を超えていま
す。それをすなおに相手の親に話せばよいでしょう。



 で、こういうケースでは、Sさんを、(1)責めない(「あなたは、〜〜が悪い」と責めること)、
(2)励まさない(「がんばれ」「がんばれる」式の励ましをしないこと)、(3)脅さない(「こんなこと
で、どうするの」式の脅しをしないこと)の、3大鉄則を、厳守してください。Sさんの心は、常に、
緊張状態にあると判断してください。したがって、いつも、一触即発の状態です。ささいなこと
で、突発的に錯乱状態になることもあります。



 本来なら、心療内科で、精神を安定させる(=精神の緊張感をとる)薬剤を処方してもらうの
が、よいと思いますが、電話によれば、それもむずかしいとのこと。そこで電話で話しましたよう
に、あなた自身が、心療内科(内科でもよい)で、薬を処方してもらい、それをSさんに分け与え
るという方法があります。それはいかがでしょうか?



 また家に戻ってきたら、Sさんの居場所をしっかりと確保することです。ここに書いた三大鉄
則を守り、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。Sさんの心の問題が
からんでいるため、半年単位の忍耐が必要でしょう。1か月や2か月で、心の状態が改善する
などということは、ありえません。そういう前提で、対処します。



 最後に、ここが重要ですが、どんなことがあっても、最後の最後でも、愛情の糸だけは切らな
いようにしてください。どんなことがあっても、です。(その点、お父さんのほうに、どこか冷めた
ところがあるように感じました。どうか、お父さんも、最後の最後でも、愛情の糸だけは切らない
ようにお伝えください。)



 その「糸」は、Sさんにとっては、最後の砦(とりで)のようなものです。その糸を切ったら、それ
こそSさんは、再び、糸の切れた凧のような状態に戻ってしまうでしょう。今からでも、じゅうぶん
間に合います。



 あとは、暖かい無視と、ほどよい援助。「求めてきたときが、与えどき」と、心得てください。そ
して問題が起きたら、『許して忘れる』だけを心の中で念ずる。そしてここが重要ですが、その
あとは、(時の流れ)に任せます。時間が解決してくれます。2年では無理かもしれませんが、
遅くとも5年後には、笑い話になります。それを信じて、前向きに考えてください。



 それぞれの人間には、無数の糸がからんでいます。その糸が、その人の進むべき道を決め
ていきます。人は、それを「運命」と呼びますが、その運命について、少し前、こんなことを書き
ました。



 悪魔(不幸)というのは、(決してFTさんが不幸というのではありません。誤解のないよう
に!)、それを恐れたとき、キバをむいて、あなたに襲いかかってきます。しかしそれを笑い飛
ばしたとき、シッポを巻いて、あなたから退散していきます。



 今、重要なことは、くだらない親意識など捨てて、ついでにプライドも捨て、Sさんの友として、
Sさんの横に立ってみてください。それだけで、Sさんに対する態度が大きく変るはずです。



 以上ですが、このつづきは、4月28日号のほうで、もう一度、考えさせてください。今夜は、こ
れで失礼します。



はやし浩司



【付記】励ましは、なぜ悪いか



 前向きに、伸びつつある子どもに、「がんばれ!」式の励ましは、それなりに効果がありま
す。しかし落ち込んでいる子どもに向かって、「がんばれ!」式の励ましは、効果がないばかり
か、かえってその子どもを、窮地に追い込んでしまうことにもなりかねません。



 落ち込んでいる子どもは、落ち込んでいる子どもなりに、苦しみ、もがいているのです。「がん
ばりたくても、がんばれない」というジレンマに陥っているのです。そういうとき、たとえ家族から
でも、「がんばれ!」と言われると、その子どもは、ますます、どうしてよいかわからなくなってし
まうというわけです。



 わかりやすい例で考えてみましょう。



 たとえばあなたが、学校のテストで、よい点数を取ってきたとします。そのときそれを見て、あ
なたの母親が、「よくがんばったわね。これからもがんばりなさいよ」と言ったとします。



 あなたは、その言葉を、すなおな気持ちで、聞くことができるはずです。



 しかし反対に、あなたが予想していたよりも、悪い点数だったばあいは、どうでしょうか。あな
たなりにがんばったけれど、しかし、点数が悪かったというようなばあいです。あなたは落ち込
んでいます。で、そういうとき、たとえ家族でも、「がんばれ!」と言われても、あなたはそれをす
なおな気持ちで、聞くことはできないと思います。



 英語では、こういうとき、「Take it easy!」と言います。「気を楽にしなよ」という意味です。
そういう言い方なら、まだわかりますね。



 それについて書いた原稿が、つぎの2作の原稿です(中日新聞掲載済み)。どうか参考にして
ください。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



【親子のきずなが切れるとき】 



●親に反抗するのは、子どもの自由?



 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親に反抗
してはいけない」と考えている高校生は、15%。



この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国1
5%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・九
八年調査)。



日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけない
と考えている高校生が、ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個
人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。



しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについ
て、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはあり
えない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。



●受験が破壊する子どもの心



 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖
父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動
が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数
は! 平均点は何点だったの?」と。



さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだった
わね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程
度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそ
のものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」という数字は、まさにその結果であ
るとみてよい。



●「家族って、何ですかねえ……」



 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき
手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまっ
てしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校3年生だった。



R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学
費が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘
はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの
義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻ま
で、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏は
こう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。



●娘にも言い分はある



 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言
うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてき
た。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。



 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけ
ている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因で
ないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」と
いう言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を
変えてみたら……。



たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽に
やりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテス
トの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。
この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を
起こす。   

(はやし浩司 親子の断絶 絆 親子断絶)



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



子どもの心が離れるとき 



●フリーハンドの人生 



 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。



子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、
いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするとい
うのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。



●本当にすばらしい母親?



 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。



 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手一つで、育てら
れました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I氏
の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。



しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまっ
た。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。
ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったの
かもしれない。



●子離れできない親、親離れできない子



 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。



戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがまし
い歌はない。窪田Sという人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、それぞれ三、四
行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになってい
る。それを並べてみる。



「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」

「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」

「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」



 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。



●「今夜も居間で俳句づくり」



 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。



つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り
込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分のことを言うの
に、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言う
と、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞い
た。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。



●うしろ姿の押し売りはしない



 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。

 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。



平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はた
ったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。



自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と63%である
(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。



●親も前向きに生きる



 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。



いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリー
ハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、
懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。



※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成6
年)は、次のようになっている。



 フィリッピン ……81%(11か国中、最高)

 韓国     ……67%

 タイ     ……59%

 ドイツ    ……38%

 スウェーデン ……37%



 日本の若者のうち、66%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読む
と、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 















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阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
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不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 浜松市

はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依
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住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 
過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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