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【1】

●親絶対教について

【掲示板より……】

【MYさんより、第1信】

はじめまして。「育児」で検索していたら偶然林さんの随筆集に行き当たり、この2〜3日いろい
ろと拝読させていただきました。

現在私は2歳11ヶ月と8ヶ月の二男児の32歳の母です。(入籍していない)子ども達の父親
は、長男誕生時から別居中。現在は実家で私の両親と妹と生活をしています。

以前より、自分自身が幼少期の経験から心のケアが必要ということは感じていました。私の父
は、林さんの言う「親・絶対教」のタイプで、大変威圧的な人間です。未だにたわいない会話も
顔を見てはできません。

その一方、母は父に服従しており、未だに「お父さんに聞いてから」「お父さんがいいと言った
ら」というタイプの女性です。

私には、幼少期の記憶はほとんどありませんが、覚えているのは、小学2年生のとき、妹が超
未熟児で生まれたのですが、(その1年前に弟が7ヶ月で死産でした)、部屋でラジオかカセット
を聴いていたときに、音が大きかったのか、突然背後から頭を殴られ、一言「うるさい!」と怒
鳴られたこと。

それも小学校1年生か2年生の頃だったと思いますが、くわがたに指をはさまれ1時間近く涙
をこらえて我慢して、母がやってきて笑いながらm「なにやってるの? 自分でさっさととればい
いじゃない」と言ったことくらいです。

小学校を卒業するまではいわゆる「優等生」で、成績もクラスで1番か2番でした。幼い頃どん
な子どもだったのかと聞くと、「手のかからないいい子だった」という返答です。

ですが、中学校に入学した後、まず言葉遣いが荒れました。自分のことを「俺」と言ってほとん
ど男言葉で話していました。でも当時は気の合う友人がいてくれたので、学校にも行き、勉強も
していました。成績は相変わらずよい方でした。

高校進学時は、就職も自分自身では考えたのですが、先生や親に説得されるまま学力に応じ
た進学校を受験し、大した努力もせずに合格してしまいました。

高校時代はいよいよ適応できなくなり、服装も乱れ、遅刻や早退を繰り返しましたが、先生に
恵まれ、無事に3年間で卒業できました。

親との断絶はピークになり、17歳で離れに移り住み、卒業と同時に働きながら通える専門学
校に進み、家を出ました。

その後、専門学校のカリキュラムの中で半年間ヨーロッパでの海外研修に行き、卒業と同時に
東京へ就職、25歳で一旦実家へ戻りました。

高校の頃から両親を「お父さん、お母さん」と呼べなくなり、(実は今でもまだ呼べないのです
が)父親とはそこから約10年間、ほとんど会話らしい会話をしませんでした。高校時代には本
気で父を殺したいとまで思いました。

でもどこかでそういう自分に罪悪感を感じていたのも事実です。苦しみました。わかってほしい
と思う気持ちと、親の期待に応えられない自分との間で、苦しかったのだと思います。

多分セックス依存症でもあったのだと思います。年上の男性といると安心したのは、そこに理
想の父を求めていたのかもしれません。母はサービス過剰な人ですが、そうすることで自分の
居場所を作っているのかもしれないと思うようになりました。

自分自身は本当に居場所がなくて、いつも色々な自分を演じていた気がします。本当の自分な
どはじめからいないと思うくらいに。楽しいときに笑えない、だから悲しいときにも泣けないし、
感情をもてあましてしまうことが今でもよくあります。

思いを言葉にしようとすればそれだけで涙が出てしまうこともたびたびでした。おそらく「基底不
安」「情緒不安」なのですよね。

長くなってしまいましたが、「世代連鎖」は私で終わりにしたいと願っています。あまり意地にな
って「理想の親」にこだわるのもよくないと思いつつ、「自然に」子どもを「子どもらしく」育てるた
めのアドバイスや注意をいただけたらと思い書き込みさせていただきました。

子どもの父親である彼は、私と出会うずっと以前に結婚、離婚を経験していて、(年齢は私と同
じです)、女の子が二人います。彼自身、両親の離婚を14歳のときに経験していて、父親と弟
との三人での生活をして、高校を半年ほどで中退後一人で生活をするようになったと聞いてい
ます。

過去の話を聞いたときに、同じ悲しみを抱えているのかもしれないと思いました。この人なら、
同じ痛みを分け合えるかもしれないと思いました。

でも、私の「理想の親像」があまりにも強く、彼に押し付けすぎてしまったようで、現在はあまり
連絡を取っていません。でも、彼の痛みや苦しみを分け合いたいと思う気持ちは変わっていま
せん。

一度「俺には家族は無い」ともらしたことがありましたが、そういう気持ちの人はもうそのままな
のでしょうか。変わることはないのでしょうか。息子達が「父親像」を学習することなく、経験する
ことなく「父親」にならなければいけないのは不幸なのでしょうか。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
御身体くれぐれもご自愛くださいませ。 


【MYさんより、第2信】

相変わらず、いろいろと思いをめぐらせています。
幼い頃の記憶をたどってみたり・・・32年かかって現在のわたしが
ここにいるわけですから、心を閉じた時期がいつごろなのかはっきり
わかりませんが、4、5歳と考えても27、28年間そうやって生きてきた
ことになります。

でも、それで「今」のわたしが在り、子供達に
恵まれたのですよね。その子供達が、私に感情を表現することは
自然であり、自由であり、当然のことなのだと教えてくれたような気が
しています。この子達には自分のような、感情を抑え込んでしまう。

(楽しさも嬉しさも悲しみも寂しさも愛おしさも)ような状況には、させたく
ないと強く思います。

現在の私は過去の私の結果であり、また同時に未来の自分の原因である。
結果を変えることはできないけれど、原因は自分の気持ちひとつでいかにでも
変えられる。

私達の周りで起きている事象には、かならずその理由があると考えています。
両親がわたしに上手く愛情を伝えることができなかったことも、何か彼らの
原因・理由があるのだろうと思えるようになってきました。

「許して忘れる(Forgive and Forget)」がよいのだろうと思います。
でも、「許す」ためには何を許すのかを自分自身が見つめなければ
なりません。

実は、先日父が長男の頭をはたきました。食事中に、うどんのつけつゆを
自分でおわんにいれていてこぼしてしまった時のことです。
私の中で、小学2年生のときの嫌な思い出がフラッシュバックしました。
息子は突然頭をたたかれたショックで部屋へ行き布団に突っ伏してしまいました。

私はただただ息子を抱きしめ、「大丈夫よ。じいじは、おつゆがこぼれて
びっくりしてたたいちゃっただけだから。あなたのことが嫌いでたたいたんじゃ
ないよ。」と繰り返しました。

あの日、私は父に嫌われていると思い込んだのです。そして自分は必要ない人間かも
しれないと、自分には居場所がないと思うようになっていったのです。

優等生でいることで、自分の居場所をなんとか確保しようとしていた小学校時代
だったのでしょうか。

+++++++++++++++++++++

【MYさんへ、はやし浩司より】

 このところ、自分に自信がなくなってきました。何というか、自分自身が、だれかに助けを求
めたいような気分です。「自分でさえ、救えないのに、どうして他人を救えるか」と、です。

 生きるということは、さみしいことですね。いえね、きっかけは、中学生の女子が、HIVで陽性
(エイズ)になったという話を聞いてからです。

 最初は、「とうとう、日本もここまできたか!」と思いましたが、そのうち、その女子中学生の両
親の心の中に、自分を置いて、ものを考えるようになってしまいました。「さぞかし、つらいだろ
うな」とか、「自分なら堪えられないだろうな」とか、そんなふうに考えるようになってしまいまし
た。

 その女子中学生も、その両親も、私とはまったく関係のない人です。しかしどういうわけか、
そのせいで、この数日、気が滅入る一方。おかしなことに、食欲までなくなってしまいました。

 ワイフは、「あんたは、バカねえ。日本中を、一人で背負っているみたい」と、言います。自分
でもそう思うのですが、しかし、「ぼくには、関係ない」と、どうしても割り切ることができません。

 こういう原稿を書いているのも、ホームページを開いたり、マガジンを出しているのも、結局
は、よりよい未来を、子どもたちのために残すためです。しかし、その未来が、どんどんと悪い
ほうに向っていく……。

 無力感というか、虚脱感のようなものを、感じてしまいました。

 MYさんが、今の私を直接見たら、「どうして、こんな弱々しいジジイに、相談なんかしたのか」
と、後悔すると思います。頼りなく、どこかいいかげん。そう、私は、いいかげんな人間です。自
分でも、それがよくわかっています。MYさんの相談を受けながら、別の心では、わずらわしさ
を感じています。

 本当なら、どこか親切そうに、それらしく善人のふりをしながら、返事を書くのがよいのでしょ
うが、そういう仮面をかぶるのも、疲れました。そういう意味では、私も、優等生のふりをしてい
るだけかもしれませんね。他人によい人間に思われようとしているだけ?

 またそう演ずることで、自分の立場をとりつくろっているだけ? もともと人間関係がうまく結
べないタイプの人間です。私は……。

 MYさんと私の共通点は、そのあたりにあります。つまり母子関係の不全というか、基本的信
頼関係が結べないというか、他人に対して、心を開けないのですね。どこか、不安で、どこか心
配。「こんなことをすると、嫌われるのではないか」とか、「自分の価値をさげるのではないか」と
か、そんなふうに考えてしまうのですね。

 で、私のばあいは、あるときから、自分を飾るのをやめました。ありのままの自分をさらけ出
すことにしました。「他人が、どう思おうが、知ったことか」とです。「どうせ、残りの人生も短いこ
とだし、好き勝手に生きてやれ」とです。

 それで、ずいぶん、気が楽になりました。居直ったわけです。講演会でも、ときどき、「ぼくは
悲しいことがあると、ワイフのおっぱいを口に含んで寝ます」などと、言うことがあります。意外
とみなさん、シーンとした雰囲気で聞いてくれます。

 それが人間なのかもしれませんね。

 そして私とMYさんのもう一つの共通点は、幸福な家庭を築こうという、気負いばかりが強く
て、それで結局は、失敗しやすいということです。子育てというのは、そして家庭作りというの
は、本能ではなく、学習によるものなのですね。親像がない人には、子育てはできない。幸福な
家庭を知らない人には、幸福な家庭を築くことができない。

 しかし、ですね。私はある日、気がつきました。MYさんの時代とはちがって、私の世代だと、
幸福な家庭で、両親の愛情に恵まれて、何一つ、不自由なく育った人のほうが少ないのです。
みんな、だれしも、大きなキズというか、十字架を背負って生きているのだと、です。

 で、あの戦争が悪い。本当に、悪い。この話をし始めたら、キリがありませんが、原因は、そ
こへ行きます。

 で、私も、そうだった。今のMYさんも、そうだった。今も、そうかもしれない。気負いばかりが
強く、それでいて、「これでいいのか?」と不安ばかりが先に立ってしまう……。MYさんが、セッ
クス依存症になったのも、恐らく、裸になってすべてをさらけ出しているときだけ、自分でいられ
たからではないでしょうか。

 私も、そうだったような気がします。若いころは、セックスばかりしていました。もっとも、あまり
もてるタイプではなかったので、それなりの苦労は、いつもしていましたが……。

 MYさんに今、アドバイスできるとしたら、どこに自分がいるかを知り、それがわかったら、あり
のままの自分を、さらけ出すということです。時間はかかりますが、いつか、必ず、できるように
なります。

 今も、父親をうらみたかったら、うらめばよいのです。心のどこかで、「そうであってはいけな
い」とか何とか、自分をごまかすから、疲れるのです。あなたの父が、息子をたたいたら、その
場で、「たたかないでよ」と言えばよいのです。

 その点、私はよく引き合いに出しますが、クレヨンしんちゃんの中の、母親のみさえさんの生
き方が、参考になります。(テレビのアニメのほうではなく、コミック本のV1〜5、6まであたり
が、参考になります。)

 しかしあなたは、すでに、自分の中の「私」に気がつき始めています。若い方なのに、すばら
しいことです。私の印象では、自分を振りかえるようになるのは、特別な事情がないかぎり、50
歳を過ぎてからではないかと思っています。

 それまでは、わからない。が、あなたはすでに、自分の過去や、自分にまつわる問題点を、
冷静に、かつ客観的に見ておられる。私は、それがすばらしいことだと言っているのです。

 今すぐというわけにはいかないかもしれませんが、あなたは、確実に、幸福に向った道を歩
み始めています。自信をもって、前に進んだらよいと思います。幸福に向うのに、正道も王道も
ありません。常識的な道というのもありません。

 あなたはあなたの道を進めばよいのです。むしろ私は、あなたの生きザマの中に、すがすが
しいものを感じます。新しい女性というか、人間の生き方というか、そういうものです。

 いつかあなたは、あなたの子どもに、自分の生きザマを語るときがくると思います。そのとき
のために、今は今で、懸命に生きていきましょう。いつか、語るに恥ずかしくない人生であれ
ば、それでよいのです。勲章やメダルなど、なくても、よいのです。

 それを理解するかしないかは、あくまでも、子ども。子どもの問題。今、あなたはひょっとした
ら、今度は、子どもの前で、「いい親」ぶろうとしている。しかし、もうやめたらよいのです。あり
のままを見せて生きたらよいのです。

 そのかわり、別のところで、子どもにさらけ出しても、恥ずかしくない自分をつくっていく……。
その努力は、忘れてはいけません。

 長い返事になりました。先ほどから、こんな長い返事(文)は、掲示板にのるかどうかと、そん
なことを心配しています。まあ、よろしかったら、トップページから、直接、メールをください。ま
た、返事を書きます。

(約束はできませんが、努めて、書くようにします。このところ、どうも、調子がよくありません。
集中力が、長く続かないというか……。頭がボケてきたというか……。)

 では、また。

【MYさんへ、追伸】

 「許す」というのは、相手の心の中に自分を置き、相手の立場で考え、その相手の悲しみや
苦しみを共有するということです。

 もともと「愛」ほど、つかみどころのない感情はありません。が、「許して、忘れる」ことイコー
ル、愛と考えると、ずっと、わかりやすくなります。が、ここで注意しなければいけないことは、愛
という感覚がないからといって、自分は失格だとか、そういうふうに考える必要は、ないので
す。

 私たちは、神に帰依した、クリスチャンではないのですから。

 いえ、以前、あるクリスチャンの女性と、電話で話したことがあります。クリスチャンといって
も、カルト教団と言われている教団に属していた女性ですが、やたらと、「愛」という言葉を使う
のには、閉口しました。

 「私は夫を愛しています」
 「娘たちを愛しています」
 「父や母を愛しています」と。

 ふつうは、そんなことは、言いませんよね。ふつうの電話ですから……。私はその女性が、愛
という言葉を口にするたびに、「?」マークを重ねました。「本当に、この女性は、愛が何である
のか、わかっているのか?」とです。「ただ狂信的に、そういう言葉を繰り返しているだけではな
いのか?」とです。

 ですから、愛の概念は、それぞれ、みなが、自分の解釈で考えればよいのです。ただ、よく使
う言葉だから、それなりに、自分の考え方をもつのは、大切なことだと思います。別に、どこか
の牧師の言うことに従う必要も、ないのですが……。

 だからよく、「私は、子どもを愛することができません」とか、そういう相談をもらうと、「ふう
ん?」と思ってしまうのも、事実です。「要するに、子どもを、受け入れることができないのだな」
とか、そんなふうに、勝手に解釈しながら、です。

 だからすぐ、私は、「無理をしなくてもいいのに……」「好きになれなかったら、好きになること
もないのに……」と、思ってしまいます。しかたないでしょう。この問題だけは……。

 しかしそんな私でしたが、ある日、気がつきました。こういう仕事をしているものですから、あ
る日、ある中学生(男子)と話しているとき、それに気がついたのです。

 その中学生が、私にこう言いました。

 「先生、ぼくには、すばらしい力があると思う。しかし、親も、学校の先生も、それを認めてくれ
ない」と、です。

 そこで私は、「自分の力を認めてもらうには、何らかの形にしなければいけない。ただ自分
で、『力がある』と思っているだけでは、足りない」と。

 その中学生は、まわりの人たちに、(してもらうこと)だけを求めていたのですね。まわりの人
たちに、(してあげること)は、まったく考えていない……。しかしそれは、まさに自分の姿そのも
のだと、気がついたのです。

 私はさみしい。だれにも、相手にされない。孤独だ。だれも、私を救ってくれない、と。

 しかし他人の気持ちになって、その他人のさみしさや、孤独を救ったことがない人が、どうして
自分のさみしさや、孤独を救ってくれと、人に言うことができるでしょうか。もっと言えば、他人に
ほどこしたことがない人が、どうして他人に向って、自分にほどこしてくれと言うことができるでし
ょうか。

 私の知りあいに、こんな女性(60歳くらい)がいます。

 とにかく、ケチなんですねえ。本当にケチ。「私のものは、私のもの。あなたのものも、私のも
の」と考えるようなケチなんです。で、ある日、私は、その女性が、どうしてそうまでケチなのか
ということに気がつきました。

 その女性は、まさに利己主義のかたまり。異常なまでの依存性もあります。いつも、まわりの
人は、自分のために動くべきだというような、考え方をします。が、その女性自身は、人のため
には、まったく動かない。何もしないのです。

 他人のために動くということは、損だと考えている。そんな雰囲気です。

 だからその女性の口ぐせは、一つ。「さみしい」です。「親なんて、さみしいものだ」「この世間
なんて、さみしいものだ」「生きるというのは、さみしいものだ」と。「渡る世間は、鬼ばかり」「他
人を見たら、泥棒と思え」も、口ぐせでした。

 当然ですよね。さみしいのは……。

 つまり、私は、こう気がついたのです。「孤独というのは、向こうからやってくるものではない。
自分でつくるものだ」とです。

 では、どうしたらよいのか? もうその答は、おわかりですね。

 相手の立場で、一度、相手の心の中に自分を置いて、その悲しみや苦しみを共有すればよ
いのです。私がよく使う、「利己から利他への転換」というのは、そういう意味です。また心理学
の世界でも、それができる人を、人格の完成度の高い人と言います。子どもの心の成長過程
をみるときも、同じように考えます。

 「内面化」という言葉をつかいますが、他者との共鳴性、協調性、共感性のできる子どもを、
人格の完成度の高い子どもとみるわけです。自分勝手でわがままで、自己中心的な子ども(お
となも!)は、それだけ、内面化の遅れた子どもとみます。

 勉強ができるとか、できなとかいうことは関係がありません。むしろ、学歴の高い人ほど、そ
の内面化が遅れる傾向があります。その理由は、もうおわかりですね。

 で、その「相手の立場で、一度、相手の心の中に自分を置いて、その悲しみや苦しみを共有
する」ということですが、これが意外と、簡単なことなのですね。ウソのように簡単! 本当に簡
単!

 ちょっとした訓練でできるようになります。

 静かに目を閉じて、相手の心の中に一度入って、その人から見える自分の姿を想像すれば
よいのです。最初は、「相手からは、どんなふうに見えるのだろう」と、そういうふうに考えれば
よいのです。

 これを繰りかえしていると、その相手が何を考え、どう思っているかが、手に取るようによくわ
かるようになります。とたん、その人の悲しみや苦しみがわかるようになるだけではなく、相手
に対してもっていた、怒りや不快感などが、すべて消えてしまいます。

 長い前置きになりましたが、それが「許す」ということなのですね。

 許すといっても、相手に好き勝手なことをさせることではありません。自分ががまんして、不愉
快な思いをすることでもありません。許すというのは、一度、相手の心の中に入って、相手の立
場で、悲しみや苦しみを共有することなのですね。

 その相手が、子どもであれ、夫(妻)であれ、そして親であれ、友人であれ、だれでも、です。

 が、ここで重要なことは、決して、見かえりを求めないということです。無条件というか、無我と
いうか、そういう状態で、することです。「してあげる」とか、「してやる」とかいう意識をもっては
いけません。反対に、「してあげたのに」とか、「してやったのに」という意識も、もってはいけま
せん。

 どこまでも無条件です。

 その度量の広さが、あなたの心を豊かにします。そして同時に、あなたは、孤独から解放さ
れます。真の自由、さらに真の幸福感は、その孤独から解放されたときに、手にすることがで
きます。

 ……と言っても、今の私が、それができるということではありません。私自身も、やっと、その
糸口をつかんだというか、入り口に達したというか、そういう状態なのです。口で言うのは簡単
なことです。いつでも、そうです。

 しかし、実際、それを実行するのは、たいへんなことです。自分でも、よくわかっています。
が、ここであきらめるわけにはいかない。また立ち止まっているわけにも、いかない。前に進む
しかない。

 今の私の心の状態は、そこに何かモヤモヤとしたものを感じながら、懸命にもがいていると
いう状態です。「あと一歩で、わかるのだが……」とです。「あと一歩で、今まで、追い求めてき
たものが、わかるのだが……」とです。はがゆい思いでいます。

 以上、わけのわからないことを書いたかもしれませんが、MYさんが言うように、『許して、忘
れる』というのは、本当にすばらしい言葉です。それは事実ですから、その言葉を、これからも
大切に! 何かのことで行きづまったりしたら、この言葉を思い出してみてください。きっと、そ
の先に、トンネルの出口を見ることができますよ。

 そうそう、あなたの父親にしても、一度、あなたの父親の立場で、その心の中に入ってみてあ
げてください。そうすれば、あなたの父親が、小さく、どうしようもないほど、つまらない人に見え
てくるはずです。(だからといって、あなたの父親を軽蔑しているとか、そういうことではなりませ
ん。あなた自身が、父親のもつ虚像というか、幻想から、解放されるということです。

 「何だ、父も、ただのふつうの人だったんだ」とです。

 一度、試してみてください。


【MYさんより、第3信】

こんばんは。はやしさん、お返事ありがとうございました。とてもうれしいです。

でも、今ははやしさんご自身の心があまりお元気ではないようですね。お返事をいただけること
は大変うれしく、ありがたく思いますが、どうかご無理をされませんように。

放っておけない性分だとご自身でおっしゃっている方に対してこんな勝手なお願いはいけない
のかもしれませんが、私へのお返事は本当に気の向いたときだけで結構です。私はこうして書
き込むことだけでも十分自己満足していますから。

直接メールを送ることも考えたのですが、なぜ、私が掲示板に書き込んだのか、その理由を書
いておこうと思います。

掲示板であれば、同じ悩みや不安を抱えた人、もしくは今まさに両親との関係に悩んでいる子
供達がロムして、参考になることがあるかもしれないと思ったからです。

「自分」を見つけられないということは本当に苦しいことです。生きていることの意味がわからな
くなります。自分を大切に思えない人間は、他人も大切に思えません。感情を押し殺していると
表現していますが、では本当の自分がどう感じているかさえわからないのです。うれしいのか、
楽しいのか、悲しいのか・・・。それぞれの感情がどういうことなのかを体験していないということ
は哀れです。理性で判断するしかないのです。だから、本心から笑わない、笑えない。

SEX依存症についての
>裸になってすべてをさらけ出しているときだけ、自分でいられたからではないでしょうか。

というのは違います。SEXをしていても、快感を得ることはありませんし、どちらかといえば苦痛
でした。涙を流しながらしていたこともあります。身体は道具でした。寂しさをまぎらわすため
の、誰かにそばにいてもらうための道具でした。SEXさえすれば、特別扱いしてくれる、優しくし
てくれる、だからSEXをするのです。今思えば、一種の自傷行為に近い行動だったと思いま
す。リストカットしたこともあるくらいですから・・・。

つまり、自分自身の存在価値を自分自身が感じられないために、人より頑張り、他人の目の
中でしか自分をみられず、いつも「幸せって何だろう」と考えながら生きてきたのです。気分が
落ち込んで、マイナス思考に傾くと「自分などいなくてもよい」、「いないほうがよい」となり、自傷
行為にはしるのです。もともとは楽天的なのか、気分のよいときは「他人を見返してやる」という
気持ちの下でどんな努力も厭わず行動しています。

「いい親」を演じるのはやめるようにします。「私らしい親」が自然にできるようになればいいなと
思っています。こどもの幸せを祈る気持ちには嘘偽りがないことはしっかり感じていますから。

時間がかかっても、未来の私がすなおな人間になれるように原因を作っていこうと思います。

はやしさん。少なくとも私ははやしさんに救われました。人間は自分自身のことが一番わからな
いのではないでしょうか。鏡を見なければ自分の顔が見えないように・・・。

だから、どうぞ自信をお持ちください。未熟だから未完成だから助け合って生きていくのではな
いでしょうか。「ネバー・エンディング・ストーリー」の中でも「虚無」が世界を暗黒にしてしまうの
を「勇気」と「希望」で阻止して物語は続いていきました。

わたし達人間の生命もそういうものなのではないかと思います。あきらめてしまったらそこで終
わってしまう。誰がどう思おうと、何と言おうと、「未来の子供達のためによりよい世界を残す」
ことは決して間違いではないのですから。最後の一人になったとしてもあきらめずに生き抜くこ
とが、子ども達にしてやれる唯一のことではないでしょうか。

国内でも海外でも心の痛む事件ばかりが毎日あります。一日も早く、地球上のすべての子ども
達が安心して生活できる、「幸せ」を肌で感じられる日がやってくることを切に祈りながら、自分
に出来ることが何なのか、問いかけながら生きていこうと思います。

本当にありがとうございました。

元気出してくださいね。






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【2】

●子どものゲームについて

【W中学校の父母よりの、質問に答えて……】(1)

 W中学校の父母より、こんな質問が届きました。

 「仮想現実体験と、実体験のちがいにより、心の形成には、どのような影響が出るか」という
質問です。

 それについて考える前に、以前書いた原稿を、そのまま、ここに転載します。(一部は、中日
新聞に投稿済み。)少し質問の趣旨からは、脱線すると思いますが、お許しください。この中
で、私は仮想現実体験(パソコンやテレビゲームの世界)のもつ、一つの問題点を、取りあげ
てみました。

+++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし
た。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に
は見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について
は、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの
でしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた
くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私
が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら
してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう
にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出
来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。

自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま
す。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す
ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう
書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以
上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿
は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し
い。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学
校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども
は、こう言った。

「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子
どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のこととい
うか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない
子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ
てほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが
吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということの
ほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな
「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレ
ーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」という
が、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱ
る、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であ
って自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、い
つまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことであ
る。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま
す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、
子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識と
いうのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことで
す。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育
ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分で
コントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら
の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待
しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ
れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子
でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度
には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで
す。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもあり
ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話
しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので
す。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、ホ
ルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけでも、
いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃ
んがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメール
によると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数かぎり
なく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」
とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性
の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視すること
によって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」と
いう指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナ
ス型になることもあります。

 私も幼児を三五年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど
もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子
さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収ま
ってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからで
す。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっ
こよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ
けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること
を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP
を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になってい
るようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿
(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で
はないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ
ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人
は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を
繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも
しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか
もしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー
ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作
はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動
く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ
う考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まってい
きます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に
は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一
方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツ
は、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らない
というのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度
は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、
教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、
あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れ
なければ、あとは何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。
ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そし
て、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださ
ると確信しています。

もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえ
さん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読まれるといいです
よ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に掲載し
ますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至
急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考
え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と
いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった
状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳
くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ
ァミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突
然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。
その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こち
らの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病欠、
休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の
先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)など
の友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)な
どの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1
4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果
として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という
先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビや
ゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静
かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もい
た。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっ
きりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、お
しっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的
で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさど
るのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新し
い刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、こ
こにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

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●日本人は賢くなったか?

 人間の賢さは、「自ら考える力」で決まる。

 よく誤解されるが、知識や情報が多いからといって、賢い人ということにはならない。反対に、
いくら知識や情報があっても、バカな人はバカ。映画『フォレストガンプ』の中でも、フォレストの
母はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じゃ、ないのよ)」と。

 そういう視点で、もう一度、日本人について考えてみる。日本人は、賢くなったか、と。

 今、高校生でも、将来を考えて、毎日本を読んだり、勉強している子どもは、10%もいない。
文部科学省国立教育政策研究所の行った調査によると、「宿題や授業でしか本は読まない」と
答えた子ども(小、中、高校)は、全体では18%だが、高校生は33%であった。また「教科書
より厚い本を読んだことがない」も、全体では16%だが、高校生では23%であった(全国小学
4年生以上高校2年生までの2〜120人について調査。02年)。

 わかりやすく言えば、小学生ほど、よく本を読み、中学生、高校生になると、本を読まなくなる
ということ。

一見何でもないような現象に見えるかもしれないが、「では、高校生とはいったい、何か」という
問題にぶつかってしまう。より高度な勉強をするから高校生というのではないのか。が、実態
は、その逆。

毎日くだらない情報を、携帯電話で交換しているのが、高校生ということになる。そう言い切る
のは正しくないが、しかし実態は、そんなところと考えてよい。大半の高校生は、毎日4〜5時
間はテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶしている。6〜7時間と答えた子どももいた
(筆者、01年、浜松市内の高校生10人について調査)。

 その結果というわけではないが、最近の高校生は、まさにノーブレイン(知能なし)という状態
になっている。知識や情報に振りまわされているだけ。自ら考えるということができない。……
しない。政治問題や社会問題など、問いかけただけで、「ダサイ!」と、はねのけられてしまう。
「日本がかかえる借金は六〇〇兆円だよ。君たちの借金だよ」と私が話しかけたときのこと。
女子高校生たちは、こう言った。「私ら、そんな話、関係ないもんネ〜」と(2000年市内の図書
館で)。

 もちろん本を読んだからといって、賢くなるというわけではない。それ以上に大切なことは、い
かにして問題意識をもつか、だ。その問題意識がなければ、本を読んでも、それもただの情報
で終わってしまう。よい例が、ゲームの攻略本だ。

最近では、「ハリーポッター」の魔法の解説本などもある。もともとウソにウソを塗り固めたよう
な本だから、いくら読んでも、それこそまさにムダな情報。先日、私も、子どもたち(小学六年
生)の前で、こう話してやった。

 「栗の葉に、近くに落ちている松の葉包み、それを手で握って、ローローヤヤ、カカカ、バーバ
ーと呪文を唱えれば、親から小遣いが、いつもの一〇倍もらえる」と。

 たまたま日本中がハリポタブームでわきかえっていたときでもあり、子どもたちは真剣なまな
ざしで、私の呪文をノートに書きとめようとした。が、そのうち一人が、「先生、反対に読むと、バ
カヤローだ」と。

 そこでいかにして、子どもに問題意識をもたせるか、である。が、この問題について考える前
に、こういうこともある。

 ノーブレインの状態になると、その人間は、いわゆるロボット化する。ひとつの例が、カルト教
団の信者たちである。彼らは思想を注入してもらうかわりに、自ら考えることを放棄してしまう。
ある信者とこんな会話をしたことがある。

私が「あなたがたも、少しは指導者の言うことを疑ってみてはどうですか。ひょっとしたら、あな
たがたは、利用されているだけかもしれませんよ」と。するとその男性(六〇歳)はこう言った。
「○○先生は、万巻の書物を読んで、仏の境界(きょうがい)に入られた方だ。教えにまちがい
はない」と。

 同じような例は、あのポケモン現象のときに、子どもたちの世界でも起きた。それはブームと
かいうような生やさしいものではなかった。毎日子どもたちは、ポケモンの名前をつらねただけ
の、まったく意味のない歌(「ポケモン言えるかな」)を、狂ったように歌っていた。そしてお菓子
でも持ち物でも、黄色いピカチューの絵がついているだけで、それを狂ったように買い求めて
いた。

私はこのポケンモン現象の中に、たまたまカルトとの共通性を見出した。そして『ポケモンカル
ト』(三一書房)という本を書いた。

 このロボット化でこわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、本人にはその自覚が
ないこと。カルト教団の信者も、またポケモンに夢中になる子どもも、なぜ自分がそうなのかと
いうことがわからないまま、たいていは「自分は正しいことをしているのだ」と思い込まされたま
ま、醜い商魂に操られる。そしてその結果として、それこそ愚にもつかないようなことを、平気で
するようになる。

 こうした状態を防ぐためにも、私たちはいつも問題意識をもたねばならない。あなたの子ども
について言うなら、これはいつかあなたの子どもがカルト教団の餌食(えじき)にしないためでも
ある。ノーブレインというのは、それ自体がひとつの思考回路で、いつなんどき、その回路の中
に、カルト思想が入り込まないともかぎらない。

たまたまあのポケモンブームのころ、アメリカのサンディエゴ郊外で、「ハイアーソース」という名
前のカルト教団の信者たち三九人が、集団自殺をするという事件が起きた(九七年三月)。残
された声明文には、「ヘール・ポップすい星とともに現れる宇宙船とランデブーして、あの世へ
旅立つ」と書いてあったという。

 常識で考えればバカげた思想だが、ノーブレインの状態になると、それすらもわからなくな
る。つまりそういう人を、「バカな人」という。

 いかにして問題意識をもつか。

 これは私のばあいだが、私はいつも、自分の頭の中で、その日に考えるテーマを決める。教
育問題であることが多いが、政治問題や社会問題も多い。たいていは身近なことで、「おかし
いぞ」と思ったことをテーマにするようにしている。たまたま昨日(02・8月9日)もテレビを見て
いたら、田中M子という国会議員が辞職したというニュースが飛び込んできた。私はそのニュ
ースを見ながら、いろいろなことを考えた。

(4)T中氏は息子を政治家にするというが、見るとまだあどけなさの残る青年ではないか。そう
いう形、つまり世襲制で政治が動いてよいのか。動かされてよいのか。あるいはどうしてそうま
で政治の世界に、執着するのか。その魅力は何なのか。田中M子氏にしても、それほど哲学
のある人物には見えない。私には出世欲にとりつかれた、どこかガリガリの政治亡者のように
しか見えない。

(5)T中氏は、さんざん、自己弁明をしてきたではないか。今までのそういう弁明は、いったい、
何だったのか。私たちにウソを言ってきたのか。

(6)その辞職ニュースを受けて、街の人の声が報道されていたが、大半は、「田中さんがかわ
いそうだ」「おしい人をなくした」と言っていた。そうした声を聞いたとき、私はその少し前、人間
国宝にもなっている歌舞伎役者のO氏が、19歳そこそこの若い舞妓と不倫関係にあったとい
うニュースを思いだした。あのときは、街の声のみならず、テレビのキャスターまで、「不倫は、
芸のコヤシ」と言っていたのを覚えている。(若い女性はコヤシ?)O氏はその舞妓と別れると
き、ホテルのドアで、チンチンを出して見せたという。こうした愚民性は、いったいどこからくる
のか。

 「おかしい」と思うことが、つぎつぎと頭に飛来する。そこでひとつずつ、その問題について考
える。その結果というわけではないが、この原稿が生まれた。私は、(3)の愚民性に、とくに関
心をもった。「日本人は賢くなったか」と。

 で、その結論だが、答は、「ノー」。日本人は知識と情報の氾濫の中で、ますます自分を見失
いつつある。ますます愚かになりつつある。

そのことは、今の子どもたちの世界を見ればわかる。子どもたちの「質」は、この三〇年、確か
に悪くなった。ひとつの例というわけではないが、三〇年前の幼児は、「おとなになったら、何に
なりたい」と聞くと、「幼稚園の先生」とか、「野球の選手」と答えていた。しかし今の子どもは違
う。

「ハリーポッターのような魔法使い」とか、「超能力者」とか、答える。バブル経済のころは、
「私、おとなになったら、土地もちの人(男)と結婚する」と言っていた女の子(小四)や、「宗教
団体の教祖になる」と言っていた男の子(小五)がいた。が、そのときよりも、今のほうが、さら
に悪くなっているように思う。
(注、この「日本人は賢くなったか」は、02年8月記)
(はやし浩司 新しい荒れ 右脳教育 思考 仮想現実 自己意識 自意識)








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【3】

●親子の意識のちがい

【W中学校の父母よりの、質問に答えて……】(2)

 W中学校の父母よりの、もう一つの質問は、こんな質問です。

 「文化、時代の違いによる、当たり前のここと、当たり前でないことについて」という質問です。

 いわゆる「意識論」のことです。私たちがもっている「意識」というのは、その時代の文化、さら
に生まれ育った環境などによって、作られていくものです。

 そういう意味で、絶対的、かつ普遍的な意識というのは、ありません。そのときどきの時代、さ
らには生まれ育った環境によって、変化しうるものだということです。

 そのことを最初に私自身が、意識したのは、私が留学生となって、オーストラリアへ渡ったと
きのことです。

 つぎの原稿が、それです。

+++++++++++++++++++++

●意識の違い

 今朝、K国の子どもたちが、テレビで紹介されていた。どの子どもも、独得の笑みを浮かべ
て、踊ったり、楽器を鳴らしたりしていた。ワイフは、それを見て、「気持ち悪い」と言った。私も
同感だった。

 で、こうした子どもたちについて、K国から脱出してきた人は、こう言った。「鼻血を出しても、
練習をつづける」と。そういうK国の子どもたちを、すばらしいと思った日本人は、いったい、何
人いただろうか。

 しかしそのとき、である。その脱出してきた人が、ポロリとこう言った。それは私には、衝撃的
な言葉だった。

 「K国では、こうした子どもたちが、政府の宣伝用に使われる。それはちょうど、西側諸国の、
コマーシャルのようなものだ。西側では、モノを売るために、宣伝する。それと同じ」と。

 人の意識というのは、絶対的なものではない。普遍的なものでもない。立場が変われば、そ
の意識も変わる。

 私たちはK国の子どもたちを見ながら、「おかしい?」と思う。しかしその意識は、相対的なも
ので、K国の人たちから見れば、今度は、私たちの国が、おかしく見えるに違いない。その一
つが、「物欲を刺激するコマーシャル?」ということになる。

 たとえば、あのポケモンが全盛期のころ、子どもたちの世界は、まさにポケモン漬けになっ
た。テレビ、雑誌、ゲーム、コミック、商品ほか。あらゆる場面で、子どもたちは、その商魂に乗
せられた。

 その結果、あの黄色いピカチューの絵を見ただけで、子どもたちは、興奮状態になってしまっ
た。一度、私は不用意に、「ピカチューのどこが、かわいいの?」と言ってしまったことがある。
とたん、生徒たちから、猛烈な抗議の嵐。袋叩きにあってしまった。

 こうした異常な現象を、いったい、どれだけの人が、「異常」と感じたであろうか。そこで私は、
一冊の本を書いた。それが『ポケモン・カルト』(三一書房)である。

 しかしこの本に、執拗ないやがらせをしかけてきたのは、二〇歳をすぎた若者たちだった。
「お前は、子どもの夢をつぶすのか」「とんでもない、トンデモ本だ」と。今でも、その団体の人た
ちが、その本や私を、攻撃している。

 こういう現象は、K国の人たちには、どう見えるだろうか。ここにも書いたように、意識というの
は、相対的なものである。私たちが、K国の子どもたちがおかしいと思うのと、まったく同じよう
に、K国の人たちは、日本の子どもたちは、おかしいと思うに違いない。現に、あの金XXは、そ
う言っている。「西側の狂った文化」と。

 私は、K国の子どもたちの映像を見ながら、不思議な感覚にとらわれた。K国がおかしいと思
えば思うほど、自分たちの世界も、おかしく見えた。ただ私たちは今、その(自分たちの国)に
住んでいるから、それがわからない。言いかえると、私たちが、自分の国はふつうだと思ってい
るのと同じように、K国の人たちは、自分たちの国は、ふつうだと思っているに違いない。

 少し話が脱線するかもしれないが、私は、学生時代、こんな経験をしたことがある。『世にも
不思議な留学記』(中日新聞掲載済み)で発表した原稿を、転載する。
 
+++++++++++++++++++

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう三〇年も前のことだが、私がメルボルン大学に留学
していたときのこと。当時、正規の日本人留学生は私一人だけ。(もう一人Mという女子学生が
いたが、彼女は、もともとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、一通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、「君
を外交官にしたいから、面接に来るように」と。私が喜んで、「外交官ではないか! おめでと
う」と言うと、その友人は何を思ったか、その手紙を丸めてポイと捨てた。

「アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国は、行きたくない」と。考えてみればオーストラ
リアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとはまったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本へ帰った
ら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本では軍隊はあまり人気
がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんや
の非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コー
スということになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼくは日本
へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っていた。が、あ
る日、一番仲のよかったデニス君が、こう言った。

「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。
彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社マ
ンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかなかった。こ
の友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなたの夫はど
のような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこれだけは言え
る。

こうした職業観というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によって、それぞれの
国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なことは、そういうものを
通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。私の母は、私が幼稚園教
師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。

「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常識にそってそう言っただけだ
が、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。しかしあなたとあなたの子ども
の間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそういう時代ではない。あってはな
らない。

+++++++++++++++

●肩書き社会、日本

 この日本、地位や肩書きが、モノを言う。いや、こう書くからといって、ひがんでいるのではな
い。それがこの日本では、常識。

 メルボルン大学にいたころのこと。日本の総理府から派遣された使節団が、大学へやってき
た。総勢30人ほどの団体だったが、みな、おそろいのスーツを着て、胸にはマッチ箱大の国
旗を縫い込んでいた。

が、会うひとごとに、「私たちは内閣総理大臣に派遣された使節団だ」と、やたらとそればかり
を強調していた。つまりそうことを口にすれば、歓迎されると思っていたらしい。

 が、オーストラリアでは、こうした権威主義は通用しない。よい例があのテレビドラマの『水戸
黄門』である。今でもあの番組は、平均して20〜23%もの視聴率を稼いでいるという。

が、その視聴率の高さこそが、日本の権威主義のあらわれと考えてよい。つまりその使節団
のしたことは、まさに水戸黄門そのもの。葵の紋章を見せつけながら、「控えおろう」と叫んだ
のと同じ。あるいはどこがどう違うのか。が、オーストラリア人にはそれが理解できない。

ある日、ひとりの友人がこう聞いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、どうするのか。
それでも日本人は頭をさげるのか」と。

 この権威主義は、とくにマスコミの世界に強い。相手の地位や肩書きに応じて、まるで別人の
ように電話のかけ方を変える人は多い。私がある雑誌社で、仕事を手伝っていたときのこと。
相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりいたしま
す」と言ったあと、私のような地位も肩書きもないような人間には、「君イ〜ネ〜、そうは言って
もネ〜」と。

しかもそういうことを、若い、それこそ地位や肩書きとは無縁の社員が、無意識のうちにそうし
ているから、おかしい。つまりその「無意識」なところが、日本人の特性そのものということにな
る。
 
こうした権威主義は、恐らく日本だけにしか住んだことがない人にはわからないだろう。説明し
ても、理解できないだろう。そして無意識のうちにも、「家庭」という場で、その権威主義を振り
まわす。「親に向かって何だ!」と。

子どももその権威主義に納得すればよし。しかし納得しないとき、それは親子の間に大きなキ
レツを入れることになる。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前で仮面をかぶ
る。つまりその仮面をかぶった分だけ、子どもの子は親から離れる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見渡してみてほしい。あなたの叔父や叔母の中には、権威
主義の人もいるだろう。そうでない人もいるだろう。しかし親が権威主義的であればあるほど、
その親子関係はぎくしゃくしているはずである。

 ところで日本からの使節団は、オーストラリアでは嫌われていた。英語で話しかけられても、
ただニヤニヤ笑っているだけ。そのくせ態度だけは大きく、みな、例外なくいばっていた。この
ことは「世にも不思議な留学記」※に書いた。それから三〇年あまり。日本も変わったが、基本
的には、今もつづいている。

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 意識の違いというのは、恐ろしい。その意識にどっぷりとつかっていると、ほかの世界が理解
できなくなる。それだけならまだしも、自分がおかしな世界に入っていても、それに気づかなくな
る。

 典型的な例としては、宗教の世界がある。その世界の外にいる人からみれば、「おかしい?」
と思うようなことを、平気で、しかも、ま顔でしている信者は、いくらでもいる。

 そこで大切なことは、いつも、自分の意識を疑ってみること。自分の意識を、ふつうだと思っ
てはいけない。絶対だとは、さらに思ってはいけない。意識というのはそういうもので、またそう
いう前提で、いつも自分の意識を、疑ってみる。

 それは、ものを考えるとき、たいへん重要なことである。……というようなことを、K国の子ど
もたちを見ながら、考えた。

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ついでに、少し前に書いた原稿を添付します。

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●子どもの意識

 フロイトは、子どもの記憶について、つぎのようなことを書いている。

つまり幼児期記憶の回想について、「言葉や観念によって思い出すという形で回想するだけな
く、むしろその回想する体験にともなう感情や対人関係のパターン、態度のほうを先に反復す
る」(「フロイト思想のキーワード」小此木啓吾・講談社現代新書)と。

 このことは、たとえば子どもに、ぬいぐるみを与えてみればわかる。心豊かで、愛情に恵まれ
て育った子どもは、ぬいぐるみを見ただけで、うれしそうな笑みを浮かべ、さもいとおしいといっ
た様子で、それを抱こうとする。それはぬいぐるみを見たとき、自分自身が受けた環境を、そ
の場で再現するからである。

 あるいは絵本を与えてみればわかる。「あっ、本だ!」と喜んで飛びついてくる子どももいれ
ば、目をそむけてしまう子どももいる。その本の内容を確かめる前に、だ。こうした違いは、
「本」というものに、よい印象をもっているかどうかで、決まる。

幼いときから、たとえば親に抱かれて本を読んでもらった子どもは、本を見たとき、その周囲の
状況や情景を、心の中で再現する。つまり本にまつわる「温もり」を、そこに感ずる。だから本
を見ただけで、それを好意的にとらえようとする。一方、たとえばカリカリとした雰囲気の中で、
無理に本を読まされて育ったような子どもは、本を見ただけで、逃げ腰になる。

 このことは、人間関係にも影響する。私はメガネをかけているが、初対面のとき、私の顔を見
て、こわがる子どもは少なくない。そこで理由を聞くと、親は、たとえばこう言う。「近所にこわい
犬を飼っている男性がいて、その人がメガネをかけているからではないでしょうか」と。つまりそ
の子どもにしてみれば、(こわい犬)→(こわい人)→(メガネ)→(メガネの人は、こわい)という
ことになる。

 フロイトは、こうした現象を、「転移」と呼んだ。しかしこうした転移は、おとなの世界でも、ごく
日常的に見られる。とくに人間関係において、それが顕著に見られる。たとえば、電話の相手
によって、電話のかけ方そのものが、別人のように変わる人がいる。自分より目上の人だとわ
かると、(無意識のうちに、しかも即座にそれを判断するが)、必要以上にペコペコする。一方、
目下の人だとわかると、今度は必要以上に、尊大ぶったり、威張ったりしてみせる。

 で、こういう人にかぎって、……というより、例外なく、テレビドラマの『水戸黄門』の大ファンで
あったりする。三つ葉葵の紋章か何かを見せて、側近のものが、「控えおろう!」と一喝する
と、周囲の者たちが、「ハハアー」と言って、頭をさげる。このタイプの人は、そういう場面を見る
と、痛快でならない。……らしい。

 そこでさらに調べていくと、こういう人たち自身もまた、そうした権威主義的な社会、あるいは
家庭環境の中で育ったことがわかる。つまりこうした感情なり、言動は、それぞれ一貫性をもっ
てつながっている。(権威主義的な環境で生まれ育った)→(自分自身も権威主義的である)→
(無意識のうちにも、それがその人の価値観の根底にある)→(無意識のうちにも、人を上下関
係を判断する)→(水戸黄門が痛快)と。

言うなれば、水戸黄門を見ることで、このタイプの人は、自分の価値観を再確認しているのか
もしれない。その確認ができるから、水戸黄門はおもしろく、また痛快ということにもなる。

 何だか、話が込み入ってきたが、要するに、子ども、なかんずく幼児を相手にするときは、表
面的な「心」とは別に、「もうひとつの心」を想定しながら、接するとよい。たとえば何らかの学習
をさせるときも、(何を覚えたか、何ができるようになったか)ではなく、(そのことが全体として、
どのような印象をもって、子どもの心の中に残るだろうか)を、考えながらする。そしてその印象
がよいものであれば、よし。そうでなければ、失敗、と。

先にあげた例で言うなら、子どもに絵本を見せたとき、「あっ、本だ!」と飛びついてくれば、よ
し。逃げ腰になるようであれば、失敗、ということになる。フロイトの言葉を借りるなら、「よい転
移ならよし。悪い転移には気をつけろ」ということになる。

これを私たちの世界では、「前向きな姿勢」と言っているが、この時期は、こういう前向きな姿
勢を育てることを大切にする。この前向きな姿勢があれば、子どもは自らの力で、前向きに伸
びていくし、そうでなければ、そうでない。が、それだけではすまない。一度子どもがうしろ向き
になってしまうと、それをなおすのに、それまでの何十倍もの努力が必要になる。

たとえば小学校の入学までに、一度本嫌いになってしまうと、以後、好きになるということは、ほ
ぼ絶望的であると言ってもよい。「だから幼児教育は大切だ」と言ってしまえば、あまりにも手
前ミソということになるかもしれないが……。

++++++++++++++++++++++

日本人の意識を考えるための参考文献として
もう一つ、私の原稿を添付しておきます。

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●権威主義の象徴

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控えお
ろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。

日本人はそういう場面を見ると、「痛快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。オース
トラリアの友人はこう言った。「もし水戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以
来、あるいはそれ以前から、欧米では、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそうだ。長
男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。別居も何度
か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。

「今の若い者は、先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身のことか。
一方長男は長男で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って二人の
仲を調整しようとしたことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだかまりは、想像
以上のものだった。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかということ。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まったくと言
ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人になってもら
った。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてことあるごとに、先
祖の血筋を自慢した。

Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であった。ふつうの会話をしてい
ても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子どもたちに向かっては、自
分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積もり積もって、親子の間に
ミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを説明で
きる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければならないのか。
だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使われ
る。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と服従、保
護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれるはずがな
い。

権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つまり「私
は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、一方的なもの
になる。そのため子どもは心を閉ざす。

Mさん親子は、まさにその典型例と言える。「親に向かって、何だ、その態度は!」と怒る、Mさ
ん。しかしそれをそのまま黙って無視する長男。

こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義的で
あること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、自分を否定す
ることになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと良好な親子関係を
築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおもしろいと思って
いる人ほど、あぶない。

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●依存心

 人間は、何かに依存しなければ生きてはいかれない生物なのかもしれない。それぞれの人
が、何かに依存している。で、少し前、その「依存」について、自分なりに分析してみた。依存と
いっても、何に依存するかで、生きザマがまったく違ってくる。

(1)モノ、お金、名誉、地位、財産に依存するタイプ
(2)自分自身に依存するタイプ
(3)家族や親類など、人に依存するタイプ
(4)宗教に依存するタイプ

 このうち、自分の先祖を誇る人は、(1)の「名誉、地位に依存するタイプ」ということになる。
実のところ、このタイプの人は多い。少し前も、「今度、伯父が、選挙に出馬することになりまし
たから」と言って、選挙用のポスターをもってきた人がいた。しかしその人は、伯父の選挙を本
当に応援しているのではない。そういう言い方をして、「自分の家系には、こういう人がいる」と
いうことを、自慢していただけである。

 しかし考えてみれば、しょせん、ドングリの背くらべ。○○藩の家老の子孫だろうが、田舎の
百姓の子孫だろうが、結局は、「生まれた穴がほんの少し違うだけ」(モーツアルト「フィガロの
結婚」)。私なんかは、名字が「林」ということからもわかるように、先祖はただの百姓。依存しよ
うにも、しようがない。

 そうそう、私の母にこのことを言うと、母はいつも本気で怒っていた。母は、N家という武家の
血筋を引く家系で生まれ育った。だから「うちの先祖は百姓だった」などと言おうものなら、「違
う、武家だ! ヘンなこと言うな!」と。そういう点では、母も、人一倍、先祖にこだわっていた。

 話はそれたが、この問題は、「誇り」とも、深く関連してくる。オーストラリアに留学しているこ
ろ、こんなことがあった。

●独特のモノ意識

 K大学から、医学部で講師をしている二人の男が、大学へやってきた。そこで私がメルボル
ン市内をあちこち案内してあげた。が、目ざといというか、つぎつぎと日本製を見つけては、「あ
れは、日本の車だ」「あれは、日本のカメラだ」と。

 そこで私にいろいろ話しかけてきた。で、そのとき私がどうそれに答えたかは忘れてしまった
が、最後には、その男たちを、怒らせてしまったようだ。その中の一人がこう言った。「君は、日
本人だろ。同じ、日本人が作ったものを喜ばないのか」と。当時の日記には、こうある。

 「Dさん(ドクターの一人)は、私に『君は、ヘンに欧米かぶれしている。君のような日本人が、
こういうところで研究生をしていることが信じられない。もっと日本人に誇りをもて』と言った。私
から見れば、どうして日本製があることが、そんなにうれしいのか理解できない。結局は、それ
こそまさに、欧米コンプレックスの裏返しではないのか。

 このドクターたちも、やはり(1)の「モノ、お金に依存するタイプ」ということになる。戦後の高
度成長期の中で、このタイプの人は、まさに大量生産された。今でも、「モノやお金のほうが、
家族や人間関係より大切だ」と考えている人は、いくらでもいる。

 いや、こう書くからといって、それが悪いと言っているのではない。人、それぞれ。私のよう
に、依存するものがない人間は、一見、たくましく見えるかもしれないが、実のところ、心の中
はボロボロ。自分がボロボロである分だけ、その自分自身に依存することもできない。だから
毎日が、不安でならない。

ちょっとしたことで、つまずいたり、キズついたりする。実のところ、ときどき、こう思う。「何か、
本物の宗教があれば、信仰してみたい」と。そう、何が楽かといって、神や仏に依存することぐ
らい、楽なことはない。

 ただこういうことは言える。

 いまだに日本人の多くは、封建時代の亡霊を引きずっている。日本独特の権威主義もそうだ
が、人間が人間を見る前に、地位だの肩書きだの、そういうもので人間を判断している。そして
そういう亡霊が、教育の世界にも残っていて、教育をゆがめ、子どもたちの心をゆがめてい
る。ここでいう先祖意識も、そういう亡霊の一つと考えてよい。そういうものに依存すればする
ほど、あなたは自分自身を見失う。子どもの姿を見失う。
(02−2−6)

●著名な祖先しか誇るもののない人間は、ジャガイモのようなものだ。その人間のもつ、唯一
のよい部分は、地下に眠る。(オヴァベリ「断片」)

●祖先のうちで奴隷でなかった者もなかったし、奴隷の祖先のうちで王でなかった者もいなか
った。(ヘレン・ケラー「自叙伝」)

●私の父は混血児だった。父の親父は黒人だった。そして、私の祖先は、猿だった。(デュー
マ「お前の父はだれか」)

こうした考え方とは対照的に、江戸時代の学者の中江藤樹は、「翁問答」の中で、こう書いてい
る。参考までに……。

「家をおこすも子孫なり。家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁盛をもと
むるは、あくなくて行くことをねがふにひとし」と。「人」より、「家」のほうが大切ということ。中江
藤樹はそう書き残している。

++++++++++++++++++++++++

 かなり過激な意見なので、驚かれたかもしれませんが、「子どもの意識」を考える、一つのヒ
ントになれば、うれしいです。
(はやし浩司 権威主義 依存心 依存性 意識 子どもの意識 子供の意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(424)

【近況・あれこれ】

●等身大のサンタクロース

 今年は、等身大のサンタクロースを、教室に置いた。踊って歌を歌う、スグレもの。しかしこの
人形がこわくて、教室へ入れない子どもも、何人かいた。

 「こわい!」「止めて!」と。

●ゲームは、サッカー

 今週は、サッカーゲームを、教室の中に置いた。手で操作しながら遊ぶという、ゲームであ
る。みんな夢中になった。

 「今年のクリスマス・プレゼントには、これがほしい」と言う子どもが、続出。

 私は、こう言った。「みんなでするから、楽しいのだよ。ひとりでしても、おもしろくないよ」と。

 私も子どものころ、野球盤ゲームがほしくてほしくて、たまらなかった。で、あるときとうとう買
ってもらったが、手に入れたとたん、興味をなくした。そんな思い出があるから、そう言った。今
日からクリスマスシーズン。あちこちで、クリスマスのイベントが、始まった。(11・26)


●外向タイプ、内向タイプ

 人間の性格を、大きく、外向型と内向型の二つに分けたのは、あのユングである。

 外向型の人は、自分の心的エネルギーっを、外に向ってぶつけていく。一方、内向型の人
は、自分の心的エネルギーを、内にためこんでいく。

 外向型の人は、社交的で、行動的。陽気で明るく、社交範囲も広い。

 内向型の人は、無口で、実行力がない。社交範囲は狭く、ひとりの世界にこもりがち、と。

 そうかなあという部分もあるし、そうではないのではないかという部分もある。つまり私自身を
モデルにして考えてみても、私の中には、外向型の部分もあるし、内向型の部分もある。その
ときどきによって、微妙に変化する。

 私は子どものころから、一見、外向型にみられやすかった。愛想はよく、だれにも人なつこい
表情をしてみせた。よくしゃべり、快活だった。

 しかしそういう「私」が、本当の私であったかというと、そうは思わない。私はいつも、どこかで
自分を飾り、自分をごまかしていた。小学生のころも、学校の先生に、こう言われたことがあ
る。
 
 「林君に仕事を頼むと、何でもしてくれるから、楽だ」「林君は、あれこれ気をまわして仕事を
してくれるから、助かる」と。

 私はそういう意味では便利な子どもだったが、逆に言うと、私は、先生にへつらい、ゴマをす
ってばかりいたのではないか。つまり今でいう、ぶりっ子タイプの子どもだったかもしれない。

 そういう私をみて、外向型と判断されると、私は、困る。困るというより、「ちがう!」と叫びたく
なる。

 私はいつも、何か、不安だった。家にいても落ちつかなかったし、心を開いて安心してよりか
かれる人が、いなかった。その心理状態は、だれにでもシッポを振る、捨て犬に近かったでの
はないか。

 私は、外の世界で自分をごまかす分だけ、本当の自分を、内へ、内へとためこんでしまった。
ユングの分類方法によれば、私はむしろ、内向型ということになる。決して、外向型ではない。
そのせいもあって、私は、他人とつきあうのが、苦手だった。たいへん神経をつかった。ときに
は、ヘトヘトに疲れたこともある。
 
 天下のユングを批評するのは、気がひけるが、しかし、結論としては、「?」ということになる。
もともと、人間を、こうして類型化して考えること自体、おかしいのではないか? たとえば人間
関係の調整のうまくできない子どもは、その心的ひずみを、暴力的な方法で発散させたり、反
対に、内へためこんだりする。

 非行や、家庭内暴力は、その心的ひずみを爆発させた、いわばプラス型ということになる。引
きこもりは、心的ひずみを内にためこんだ、マイナス型ということになる。そのちがいは、性格と
いうより、(きっかけ)のちがいでしかない。

 何かのきっかけで、プラス型になったり、マイナス型になったりする。

 私はいろいろな原稿を書いてきたが、そんなわけで、自分の原稿の中では、ユングの「外向
型」「内向型」という言葉について、書いたことがない。若いときから「?」と思っていた。
(はやし浩司 ユング 外向 内向 外向性 内向性 外向型 内向型)
(041127)






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【4】

●よく泣く乳児

アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

●ファーバー方式
 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのがある。
それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名前をいう。
(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, and 
haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your baby will 
help your child sleep through the night and will help you from going mad from lack of sleep. 
Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has come up with a method 
guarantee to get your child sleeping through the night. 
 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。
The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their babies 
cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". Although the 
Ferber method does work for some parents, others think that it is to rigid. It is important to 
read the book and to decide for yourself. Some of the mothers in my classes have modified 
his method to fit their schedules and tolerance levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」前に、あ
る程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバー方式
を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the family. So
me parents cannot bear to hear their children cry for extended periods of time. Ferber 
states in his book that in order for his approach to work it is very important to stick with 
the routine. There are no exceptions unless your are traveling , your child is sick or you 
have company at your house. If you disrupt your babies sleep schedule and they start to 
wake up during the night again you will probably have to referberize the child. 
ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのままつづけ
ることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないといいま
す。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起きなけれ
ばならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you put 
your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep while he/she is 
still awake is very important and this will teach them to go to sleep on their own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを寝さか
せ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、赤ちゃんが
自分で眠ることを教えます。

 Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize them. 
Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with his/her sleeping 
when you start the method. Once your child is in bed leave the room and if she/he cries, 
wait a certain amount of time before you check on your child again.(the waiting time is 
outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよいと言っ
ています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your child but do 
not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your voice. Gradually increase 
the amount of time between the visits to your child's room. Eventually (usually within a 
week) your child will realize that crying means nothing more than a brief check from you. He 
or she will learn to sleep on his/her own through the night and you will also get the sleep 
that you have been deprived of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended periods 
of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will get them nowhere. To 
ferberize or not ferberize is a decision that only you and your partner can make. Here's 
what some parents are saying about the Ferber Method.

ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式は、赤ち
ゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より
 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)の指導法として
も、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育児書」
が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の多くは、書
店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」に対する認識の
違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という考え方が強く、一
方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、もう
一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 months 
old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your child but 
do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少なくとも五ヶ月に達
していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈できるのですが……

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(はやし浩司 ファーバー方式 Feber Method 子どもの夜泣き 子供の夜泣き 夜泣き)




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【5】

【かんしゃく発作】

++++++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝る環境
作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩きまわらない
と、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、至っ
て健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、怒ると
手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかりますが、幼い
頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいいか分から
なくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反抗期+何でも自
分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシップは
たっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わがまま」と「頑固」
の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのかなぁと思い、相談させ
ていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと手を出す
と気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱いでしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合ってあ
げて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だからどうがん
ばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげるように
なり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏ん張って動
かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し借り
のルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どう
ぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられ
ないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃくを起こし
たときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分のおもち
ゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠たそうで機
嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が狂ったように泣き出
しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとするから、阻
止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激しく暴れるので
何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまいます。室
内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせてあげて、落ち着
き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれて、笑顔を見せてくれ
るます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつまで
たっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘しなきゃいけな
いことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るというのを通り越して、ど
こか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる子だっ
たので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激しいと私まで泣
きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪いと思って
しまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いので、自分が今遊
びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないものをきっちり選んで貸して
あげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたいな笑顔
を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってくれます。「イヤ
イヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、反抗期が激しいの
はいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばしてあげるにはどう接し
ていけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろしくお願
いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこねる、がん
こになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮性
と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロトニン悪玉説
です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態になり、
過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。つま
りたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種すると、
インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖をさげま
す。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。少し話がそれるかもしれません
が、少し前に書いた原稿を、参考までに、添付します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかにクロ
ーズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令
を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこう
だ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に
分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大
学の大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、
カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく
ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体
を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ
くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしま
う。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カル
シウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消
えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足して
くると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさ
せたりする。

 ここに書いたのはあくまでも一つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が見られ
たら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子どもに缶ジュース
を一本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重一五キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重六〇キロのおとなが、同じ
缶ジュースを四本飲むのに等しい。おとなでも四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中が
ガボガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということであれば、精製されていない
黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランスよく配合されているため、ここでいう
ような弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。しかしそ
ういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子どもたちがウソ
のように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわかった。その地方では
どこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子どもたちは水代わりに牛乳を
飲んでいた。
(はやし浩司 切れる子供 キレる子供 突発的過剰行動 過剰な行動)

++++++++++++++++++++

もう1作、似たような原稿ですが
参考までに……

++++++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとなが、四
本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中
がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリ
ームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようと
インスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、
必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態にな
ると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって
大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、
スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほど前に
話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほ
か)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。
効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」
「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでい
る。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨
てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食
事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意
識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でし
た。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度に
は見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方について
は、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるの
でしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りた
くない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私
が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆら
してゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのよう
にすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出
来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成りま
す。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今す
ぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう
書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以
上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿
は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難し
い。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったか
は、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学
校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子ども
は、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒っ
た」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではな
い。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな
子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない
子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行っ
てほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあっ
たし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部
分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに
振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな
「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレ
ーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」という
が、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱ
る、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であ
って自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、い
つまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことであ
る。

++++++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになりま
す。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、
子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識と
いうのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことで
す。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育
ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分で
コントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自ら
の意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待
しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそ
れがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子
でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度
には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようで
す。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもあり
ません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話
しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというもので
す。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、ホ
ルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけでも、
いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃ
んがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメール
によると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数かぎり
なく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」
とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性
の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。むしろ問題は、そのことで
はなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視することによって、子どものほかの
よい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」という指導が日常化します
と、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナス型になることもありま
す。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子ど
もというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子
さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収ま
ってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからで
す。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっ
こよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだ
けを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができること
を、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHP
を読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になってい
るようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿
(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心で
はないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありませ
ん。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人
は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を
繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかも
しれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいか
もしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテー
ブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作
はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動
く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こ
う考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まってい
きます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目に
は、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一
方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツ
は、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らない
というのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度
は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、
教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、
あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れ
なければ、あとは何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。
ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そし
て、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださ
ると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしん
ちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1〜10くらいを一
度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に掲載し
ますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至
急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考
え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」と
いうのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった
状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳
くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「フ
ァミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)食生
活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切りかえてみ
てください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、ありとあ
らゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム前後でじゅうぶ
んです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかがでしょ
うか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、慎重にしま
すが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避けま
す。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原稿なの
で、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分については、先
に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの殺傷
事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげられたこと
がある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授らが、こ
の分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱してい
て、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意する
と、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動
性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興
奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなっ
た。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえば
自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止める。こ
の過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、「あなたの
子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師としてすべきことは、知
っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)疲れやすい、
(4)(体が)震える、D頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝日新聞九八年2・1
2)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子どもにも共通してみられる
症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそ
ういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低
血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切る
ような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝
手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコン
トロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それ
がキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。体内のカ
ルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の発育が不
良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅く
なるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カ
ルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいとい
うのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる
問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている
白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。
が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビス
ケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状の
ようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度はH君が一転、無気力状態
になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまる
で別人のようになっていた。ボーッとして、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で
見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与
するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そ
うでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体
重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲
む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガ
ボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがいる。
前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基
準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託し
て、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準はないという
のが正しい。

つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということになる。一般に多動
児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性のある子どもをいうことになる。そういう意
味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)
は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

 この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児
が多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。

教師による抑えがきけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児は行動
が突発的に過剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別さ
れる。また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状であって、主
症状ではないという点で、この多動児とは区別される。

またチェック項目の中の(1)行動が幼い(退行性)は、過保護児、溺愛児にも共通して見られ
る症状であり、(7)神経質は、敏感児、過敏児にも共通して見られる症状である。さらに(9)成
績が悪い、および(10)不器用については、多動児の症状というよりは、それから派生する随
伴症状であって、多動児の症状とするには、常識的に考えてもおかしい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある……
という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡県のK
市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合でも、あくまで
も「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

 一九九五年一一月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)な
ものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応
性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。つまり環
境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の
発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を
引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の
生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具
体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーン
ピース・JAPAN)のだそうだ。
 
この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホル
モンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳に
侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷する」
(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

●教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。しか
しながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないままキレる子ど
もの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。(2)学歴社会、そしてそれに呼応
する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、考えられる。こうした過負担がストレッ
サーとなって、子どもの心を圧迫する。ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性であ
る。最近の子どもは、飽食とぜいたくの中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わず
かな負担だけで、それを過負担と感じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させて
しまう。親の期待にせよ、学歴社会にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度
は容認されるべきものであり、こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできな
い。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 長い返事になってしまいましたが、あくまでも「参考」として、ご利用ください。私自身は、お子
さんを見ていませんし、また立場上、診断をくだすことはできません。あとの判断は、YK様のほ
うでしてください。

 メールありがとうございました。また相談内容の転載許可、ありがとうございました。







 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【6】

●アメリカの教育事情

●アメリカの日本人

+++++++++++++++++++++++

アメリカ在住のSZさんという方から、
こんなメールが届いています。

SZさんのお子さんは、BW教室のOBです。

+++++++++++++++++++++++

【SZさんより、はやし浩司へ】

はやし先生へ

メール、ありがとうございました。

自分の子供をアメリカ人として育てることは、考えたことがありません。
物理的な事情で、アメリカの公立小学校と日本語補習校に通わせています。

とはいっても、子供たちは毎日アメリカの学校に通い、アメリカ合衆国に忠誠を
誓う宣誓を行ってから授業に望みます。

友達も皆、アメリカ人です。アメリカ人といっても、カリフォルニアは移民の多い州
です。

白人、アジア人(中国人、日系人、インド人、韓国人、カンボジア人・・)アラブ
人、

ヒスパニック系の人々、どのように整理してよいか分からないほどです。

ここで日本人として育てるにはどうすればよいのかと、考えあぐねます。

子供たちが色々な人種の友達と付き合うことで、日本文化のすばらしさを感じ、
アジア人としての誇りをもつようになれば、どんなにすばらしいかと思います。
まだ小さいので難しいでしょうが、これは私の理想です。

日経新聞2・15に(長野・軽井沢「日本」のリゾート)という記事がありました。
私は市町村の景観形成計画をつくる仕事をしていたので、こういう記事に興味があり
ます。

星野リゾート社長は米コーネル大大学院でホテル経営を学んだそうです。

「欧米の友人を日本のリゾートや別荘に案内すると「西洋のまねではないか」とがっ
かりされる。それが悔しかった」と。

それで「森に囲まれた谷あいの集落」というコンセプトで、ホテルを具現化したそう
です。
「日本が過度に西洋の影響を受けず、固有の文化を大事にしたらどうなったか想定し
たと。」
こういう仕事は、日本人であり、また国際感覚をもっている人でなければできないと
感じました。

先生のいう、日本人でいくか、アメリカ人でいくかという問題は、また違った次元の
事と思いますが、色々考えさせられます。

Y子(娘)は、Grade 2の3学期に入り、勉強が一段階、難しくなりました。
算数は簡単ですが、文章を作る宿題やレポート形式の宿題など苦労します。

近所の高校生に、木曜日だけ現地校の宿題を見てもらうことにしました。
彼女はアメリカ人として育ちましたが、小学生の時、日本語補習校に通っていたので
日本語が話せます。

ハンガリーの日本人学校の先生に、「アメリカで、K式の教室に行くといいよ。」
と勧められました。しかし、今のところ宿題だけで手一杯なので考えていません。
夫は「勉強はがんばらなくていいよ。今からがんばったら息切れするよ」と言ってい
ます。

由紀子は本を読むのが好きで、日本語と英語の本を週に6冊くらい読みます。
日本語習得のため、本をたくさん読むように、補習校から指導を受けています。
補習校には図書室があり、週3冊ずつ日本の本を借りることができます。

日本語補習校をやめて、塾に移る方もたくさんいます。補習校はあくまでも日本の学
校で、体育や図工、学校行事など行われます。スケジュールが厳しく、それを補う
ために宿題がたくさん出ます。

家庭教育で補っていくのです。

塾は日本の勉強を少人数制で教えてくれます。先生方も日本の受験システムを熟知し
ています。

何とか、現地校と日本語補習校のバランスをうまくとっていきたいです。

ほとんどの日本からの駐在員は治安の良い地域に住んでいます。治安の良い地域=教
育レベルの高い地域です。

公立小学校なのに10段階にレベル分けされ、公表されています。レベルにより、州
からの補助金が決まるので、学校は学力を上げるため力を注ぎます。子供たちの通
う学校は、レベル10最高ランクの学校で、Grade 4から優秀な子供を集めた特別
クラスができます。

何だかすごいところに来たと 最初は思いましたが、アメリカ人の子育てはとてもお
おらかだと感じます。

落第や飛び級など あまり気にしないような印象を受けます。

先生も良くご存知のとおり、アメリカのLibraryの時間はとても良いですね。
Libraryの先生が 読み終えた本の内容を理解できたかテストし、子供の能力にあっ
た本のレベルを選定します。

日本の学校でも取り入れるといいですね。

駐在は5年間の予定で、子供が中学1年生、小学5年生での帰国の予定です。わかり
ませんが・・・・。

日本は寒いようですね。こちらは暑くなったり寒くなったり、砂漠気候です。先日、
暑くて風の強い日に山火事がありました。
怖いものです。

乱文、お許しください。

アメリカC州在住、SZより


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

【SZさんへ、はやし浩司より】

拝復

アメリカの教育事情の一端がわかり、
たいへん興味深く、読ませていただきました。

ありがとうございました。

日本に住んでいると、日本文化のよさって
どこにあるのだろうと考えても、よくわかりません。

しかし反対に、アメリカ人に接してみると、
彼らのもつ合理主義に、ときどきついて
いけなくなることがあります。

それを掘り下げていくと、日本文化が見えてくるの
かもしれませんね。

アメリカやオーストラリアなどの広い荒野の中に
立ってみると、自分とは何か……と、どんどんと
小さくなっていくのがわかります。

絶望感に似た、気が遠くなるような気分です。

そのとき自分を支えてくれるのは、「私は
日本人だ」という民族主義かもしれません。

だから私は民族主義を否定はしません。
どうか誤解しないでくださいね。

でもね、正月に息子たち夫婦が、アメリカ
から来たときのことです。

アメリカ人の嫁はもちろんのこと、息子まで、
日本の料理を、ほとんど食べないのですね。
9年もアメリカにいるとそうなるのでしょうか。

嫁の妹などは、寿司でも、海苔が食べられなくて、
全部、海苔をはがして寿司を食べていました。
「へえ〜」と驚くやら、残念に思うやら……。

そのとき私は現場にはいませんでしたので、
ワイフがおもしろおかしく話す話を、笑って
聞いていただけですが……。

が、その息子がアメリカへ帰って、真っ先に
したことは、アメリカのレストランに飛び込んだ
ことだそうです。

きっとアメリカ食が、恋しかったのでしょうね。

それをBLOGで読んで、では今まで、
せっこら、せっこらと、日本食や日本の雑誌を
送り届けていた私は、いったい、何だったの
かと、ふと、自分がなさけなくなりました。

嫁さんも、当初は、日本語を勉強したいと
言っていたのですが、育児に忙しいらしく、
その時間もなかったようです。

日本で、日本語で会話をすることは、まったく
ありませんでした。

息子は、完全にアメリカ人になる道を選んだ
ようです。(とっくの昔に!)

しかしその一方で、日本を大上段に批判
したようなことを言うと、私の民族主義が
ムラムラと反発を覚えたのも事実です。

そうそうこんなことがありました。
正月に、その息子が熱を出しました。
それで別の息子に車を運転させ、夜中に、
近くの店まで行ってもらい、体温計を
買ってきました。古いのをなくしてしまった
からです。私自身も、風邪をひいて、
かなりの熱があったのですが……。

その体温計を、息子の部屋にもっていって、
息子の体温を計ろうとしましたら、えらく
息子に怒鳴られてしまいました。ふつうの
怒鳴られ方ではなかったので、私は、かなりの
ショックを受けました。

ワイフにも、「あなたはいつも、いらぬおせっかい
をし過ぎなのよ」と、しかられる始末。

しかし「これが日本人なのだがなあ……」と
思いました。熱き、人情が、です。でも、そうした
人情など、アメリカ人には通用しませんね。
まったく通用しない。アメリカ人には、そうした
行為は、お人よしのバカがするもののように
見えるのかもしれません。

私の父は、台湾で、アメリカ軍と戦い、腹に
貫通銃創を2発も受けています。そういう過去も
知らないで、またそういう私や父、日本に遠慮
もしないで、「日本はつまらない」というような
ことを言うのですから……。ときには、私のほうが
怒れてくることもありました。

まあ、息子は息子で、幸福になってくれれば
それでいいのですが……。親として何も望む
ことはありません。どうせ私はやがてあの世へ
行く立場ですから、とやかく言ってもしかたの
ないことです。

私は私で、合理的に生きていくしかありません。
そう、最近は、つとめてその息子については
合理的に考えるようにしています。が、悪い
ことばかりではありません。

その息子を見ながら、いろいろ学んだのも
事実です。それまで知らなかった世界も、知る
ことができました。

しかしね、SZさん、肌の黄色い日本人が
いくら、「私はアメリカ人だ」と叫んだところで、
白人のアメリカ人は、それを受け入れてくれる
ものなのでしょうか? そのあたりのことを、
また教えてください。

白人の目から見れば、日本人も、ベトナム人も
同じ。黒人より、劣等な民族と思っているかも
しれません……と、まあ、そんなことを心配
するのも、これまたいらぬ、おせっかいかもし
れませんね。

この部分についての返事は、いりません。どう
返事をもらったところで、どうにもならないか
らです。

……とまあ、どこかグチぽい話になってしまい
ましたが、私のほうは、何とか、元気に生きて
います。

またまたいつものお願いですが、SZさんからの
今回のメールを、マガジンに掲載させてください。
多分、3月24日号に掲載できると思います。

もし都合が悪いようでしたら、連絡下さい。

よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++++

【SZさんから、追伸】

はやし先生へ

マガジン掲載のこと、了解しました。

先生と私では、経験と知識の差がありすぎて
誤解すらしようがありません。

国際結婚をしてアメリカ国籍を得る、それは自然な
ことと感じます。

日系人は立派にアメリカ人として生きているように見えます。
日本人は他のアジア人ほど差別を受けていません。
日本人はアメリカ人に認められているように感じます。
現に、私は白人のアメリカ人に声をかけられ、親切にして
もらっています。「日本に行ったことがある。」とよく、
話しかけられます。

カリフォルニアだからかもしれません。
東海岸や南部は事情が違うようです。

みなさん、日本食が大好きなんですけれど・・。

海苔をはがす話は、よく聞きます。
海のないところで育つと、あの香りが苦手になるようです。
ハンガリー人もそうでした。
多分、海産物の香りが苦手なのでは? だしの香りとか。

アメリカの食事は大味です。それに慣れると繊細な味付けの
日本食は物足りないかもしれません。
とんかつやすき焼きなら、好きかもしれません。

ひとつ 私の仕入れた気になる情報です。

この国の人たちは算数が苦手です。
この国のコンピュータ業界は、中国人やインド人など
アジア人が支えているようです。そして儲けているのは
だれか? 夫は「この国は移民が支えている?」と言ってい
ます。

先生はご存知なことかもしれませんが・・。
色々考えさせられます。

ひどい事件が続いていますね。

SZより






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【7】

●子どもの巣立ち

●掲示板への投稿より

++++++++++++++++++++

掲示板に、TKという方から、「中3生への
無理難題への対応」というテーマで、こんな
投稿がありました。

この問題について、少し考えてみたいと
思います。

++++++++++++++++++++

林先生

TKと申します。いつもマガジンを有意義に読ませていただいております。もし、この林先生のご
活動を、3年早く知っていれば、私共の生活は違ったものになったと反省しております。

現在、卒業直前の中3生が、中3になると同時に無理難題を父親である私に、要求し、かなえ
られない時は大声をあげて怒ったり、こわれない新聞紙や本を投げたりすることが週に1回ほ
ど続いています。また時々学校を休むようになりました(月に4日程度)。

中3になってからの彼の状況の変化は下記の通りです。

★4歳年上の兄が大学進学で下宿のため、家を出た。(兄はけっこう、にらみを効かしてい
た。)
★高校受験のために勉強をしているが、自分の思い通り成績が上がらなかった。(志望校を変
更した。)
★部活で最後の県大会等に正選手で出場できなかった。(かなり真剣に練習したが。)

小さい頃から末っ子ということで、(二人兄弟、父母と4人家族)、服の用意とかを母親がやりま
したが、兄とのバランスもあり、甘やかしたつもりはありません。

ただ、子供の頃から非常にがんこで、融通は利きませんでした。(理不尽な先生の指示に従わ
ない。きらいなピアノやそろばん等のならい事で練習しない。納豆等の好きな食べ物にこだわ
る。甘いものは好まない。) 逆に親に不平不満を言わない子で、心の中に言いたいことがたく
さんあったように今、思っています。

また、父母兄が理系の科目が得意なのに対して、本人が歴史や英語が得意で、俺だけだめ人
間かなとよく聞きます。(うらやましいと答えています。)

体にいいというとサプリメントをきちんと摂取したり、歯の矯正も積極的にやりたいと言ったり、
毎日3kmのランニングを欠かさない等、非常に厳格なところがあります。

最近は勉強へのやる気が下がってきて、宿題等にも、しぶしぶ対応しております。

この状況に対して、私共の対応は下記です。

★本人が自主的に動くまでは、何もしない。(朝起こしたり、勉強しろと言わない。)
★本人の話を聞くようにする。(顔を向けて話を聞く。)
★おうむ返しに答えない。(自分の考えを答えず、質問や確認をする。)
★どうしてもできないことには、難しいと答える。(こうすると怒り出すが、できないことはできな
いので、言わざる負えない。)
★高校や大学に何がなんでも通わそうとは思わっていない。(フリースクールの方が合っている
気がしているが、あくまでも本人次第。) 人生何とかなると思っている。(そういう人を何人も見
てきての私の実感)。
★家はあくまでも安らぎの場にしたい

ただ、中学は非常に規則や無意味な校風に厳しく、合格した高校の序列で平気で生徒をラン
ク付けしたり、県大会等で活躍できないと冷たかったりして、本人も苦しんだようです。運動会
等の行進練習は軍隊のようで、私も非常に違和感を持って見ていました。(公立中学です。)

最近の無理難題は下記です。

★合格した高校の説明会の後、この学校には行かないと主張。(校則が厳しいのが原因。)
★来年、別の高校を受験する。(下宿して家を出る。)

この年齢で性格を直そう等とのことは考えていませんが、対応等のお考えをお聞かせいただ
ければ幸いです。

【TK様へ、はやし浩司より】

 だれでも、若いときは、そうかもしれませんね。私の母も、私が高校生のとき、私をもてあま
し、学校の先生のところへ、ときどき相談に行っていたようです。私は私で、だれにも心配をか
けないように生きていたつもりなのですが……。

 親が見る子どもと、子ども自身が見る自分自身とは、かなりちがうようですね。それに子ども
が見る親もまた、親自身が見る自分自身とも、かなりちがうようですね。その(ちがい)を、どこ
でどう理解するかが、問題です。

 あなたから見れば、心配でならない子ども(二男)。しかし子どもから見るあなたは、これまた
うるさくて、どうしようもない、おとななのかもしれません。私も子どものころ、自分の親を、そう
思っていました。

 もう少し専門的には、思春期は、「第二の誕生」とも呼ばれています。子ども自身の自我(私
は何かという核)が、大きく乱れる時期と考えてください。子どもは子どもで、将来への不安、心
配などで、悶々と苦しんでいる。「どうしたらいいのだ?」「どこへ行けばいいのだ?」「何をした
らいい?」「何をすべきなのか?」と、です。

 私もある時期までは、思春期の子どもたちが、みんな、バカに見えました。これは事実です。
しかしある時期から、その思春期の子どもたちを見ながら、こう気がついたのです。「私は、若
いころ、もっとバカだった」と。とたん、子どもたちを見る目が、変わりました。

 掲示板の記事を読む範囲では、あなたの二男(以下、呼び捨てにしますが、お許しください)
は、すばらしい子どものように思います。いまどき、月に4回程度の(サボリ=怠学)なら、珍しく
も何ともありません。とくに、「毎日3キロのランニングを欠かさない」というのには、驚きました。
どうして、TKさんは、そういう点をもっと前向きに評価してあげないのでしょうか?

 それとも、あなたなら、できますか? あなたは、中学3年生のとき、そういうことを、していま
したか?

 あなたからわがままに見えるかもしれませんが、私は、二男が今、先の見えない世界で、も
がき苦しんでいる姿が、容易に想像できます。わがままについては、無視して対処しますが、
暴力や暴言は、軽いうつ状態にあると考えて対処します。

 心の緊張感が、ほぐせないでいるのです。もっと言えば、心の休まる場所や時間が、ない。あ
る調査によると、子どもたち(中学生)が、家の中で一番、心や体が休まる場所といえば、トイ
レの中、風呂の中、それにフトンの中だそうです。

 その緊張した状態の中に、不安や心配ごとが入りこんでくると、子どもの心は、(おとなもそう
ですが)、一気に不安定になります。攻撃型、暴力型、依存型、服従型など、いろいろなタイプ
がありますが、二男は、ときどき、攻撃型に出るようですね。

 しかしこう言うと、「えっ!」と思われるかもしれませんが、攻撃型のほうが、あとあと、いい子
になりますよ。少なくとも、引きこもるタイプよりは、ずっと、あとがいいです。それに回復も、早
いです。加えて、その時期さえうまく通り抜ければ、たくましく成長していきます。

 が、TKさんは、悩んでいる。で、そういうときは、こう考えてください。こうした問題には、必
ず、二番底、三番底があります。今を最悪と考えてはいけません。そのため、対処の仕方とし
ては、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えて、対処する」ということです。

 あなたがもっている、(理想像)を求めても意味はありません。それを押しつければ、二男は、
あなたに、より反抗するようになるでしょう。

 それをまとめて、人は、「反抗期」と呼ぶわけですが、そこであなたの視点を、今から10年後
に置きます。たとえば10年後に、二男は、今のこの時期を振りかえるときがやってきたとしま
す。そのとき、二男の目に映るあなたは、どういう父親になっているかを想像してみてください。

 いつも自分という人間を守ってくれた父親でしょうか?

 それとも、カリカリ、ピリピリと、世間体ばかり、気にしていた父親でしょうか。

 そのとき、あなたという「親」は、親としてではなく、一人の人間として、最終的に子どもに審判
されます。

 考えてみれば、おかしなことです。どうして親は親として、子どもから遊離してしまうのでしょう
か。どうして親は、子どもの友にはなれないのでしょうか。一番近くにいて、たがいにわかりあっ
ているはずなのに、その多くは、遊離してしまう。断絶してしまう。考えてみれば、本当におかし
なことです。

 が、だからといって、あなたを責めているのではありません。ひょっとしたら、親子というの
は、そういうものかもしれないということです。いつまでも絆(きずな)を保ちたいと願う親。父
親。しかし子どものほうは、親を踏み台にしてでも、親から解放されたいと願っている。「友」に
なるのは、むずかしいということです。

 無理難題を言うというのは、発達心理学の上で考えれば、幼児期の「人工論」が抜けきって
いないということになります。単純に考えれば、そういうことです。親に何かをしてほしい。親な
ら、何とかできるはずだという幼稚性です。が、こうした幼稚性が見られることは、この時期、珍
しくありません。

 中には、ボケかかった母親を許せないで、毎日、その母親を叱っていた女性(60歳くらい)も
いました。子どもは、親が、いつも万能であることを求めるものです。が、どうもそうではない…
…。それに気づく。今は、その混乱期にあると考えてあげてください。

 独立心と依存心。この2つが交互に顔を出し、子どもの心を混乱させます。

 で、親側のほうとしては、いろいろすべきことがあります。第一に、親子であることにまつわ
る、幻想を捨てることです。いつか子どもが、自分のめんどうをみてくれるようになるだろうと
か、よき友として、自分を支えてくれるだろうとか、そういう期待はしないこと。

 第二に、子どものことは忘れて、親は親で、自分のできなかったこと、したいこと、したかった
ことを追求します。子どもにかこつけて、自己犠牲心を売りつけても、意味はありません。ない
ばかりか、子どもにとっては、それが負担になるだけです。子育てが終わったとき、どっとやっ
てくるのが、老後ですよ。あなたにも、もうそんなに長い時間は、ないはずです。

 第三に、子どもは、『許して、忘れる』です。愛といいますが、愛ほど、実感しにくい感情もあり
ません。(別れたときとか、死別したときかなどに、実感する人もいますが……。)いっしょに住
んでいるなら、なおさらです。で、その愛は、「どこまで子どもを許し、どこまで子どもを忘れる
か」、その深さが決まります。

 裏切られても、裏切られても、親は、子どもを信ずる。窓をあけて、子どもの帰りを待つ。ふと
んを暖めて待つ。その度量の深さ、です。それがつまるところ、「親の愛」ということになります。

 TKさんも、もう、親であることを忘れなさい。捨てなさい。親意識など、クソ食らえですよ。もっ
と肩の力を抜いて、バカになればよいのです。バカな親になればよいのです。そう考えると、ず
っと気が楽になりますよ。

 ハハハ、俺はバカなおやじだからな。よろしくね、と。

 あなたが親だ、親だと、優越性を保っている間は、二男は、あなたに心を開くことはないでし
ょう。この問題は、一見、子どもの問題に見えるかもしれませんが、実は、あなた自身の問題
だということです。

 それにこのすばらしい時期は、あっという間に終わりますよ。すばらしい時期です。あなたも
いつか、今のこの時期を思い出して、こう言うときがやってきます。「あのころは、楽しかった
な」と。

 が、それでももし、子育てに行き詰まりを覚えたら、二男が、幼児のころのアルバムを見たら
よいと思います。よくね、親が子どもを育てると言うでしょう。しかしあれは、ウソ。子どもが親を
育てているのです。育てているだけではない。生きがいを与えている!

 私も、息子たちがまだ小さいころは、家路につくのが、何よりも楽しみでした。自転車のカゴ
の中には、おもちゃがいっぱい。毎晩、玄関を「ただいま!」と言ってくぐると、息子たちが、「パ
パ、お帰り!」と言って、みな、抱きついてきました。

 それが生きがいで、私は、また、仕事に励んだものです。つまり私の息子たちが、私に生き
がいをくれたのです。親として、何を、それ以上、子どもたちに求めることができますか?

 あなたの二男は、すばらしい子どもですよ。記事を読んで、すなおにそう思いました。今時の
子どもは、みな、そうです。外からはわからないかもしれませんが、どの家庭でも、子どもは、
それくらいのわがままというか、無理難題を、親にふっかけていますよ。

 しかしそれも、もとは言えば、親の責任ですよね。幼いときから。したい放題のことをさせてき
たのは、親ですから。いまさら「がまんしろ」と言うほうが、無理なのです。そういえば、昨日も、
あるゲーム機器が販売になりましたね。それを求めるために、おじいちゃん、おばあちゃんた
ちが寒空の下で立って待っていました。

 テレビのレポーターが「だれのために買うのですか?」と聞くと、みな、「孫のため」と答えてい
ましたよ。

 そういうことをしておきながら、今になって、「がまんしろ」とは?! いえTKさんが、そうだっ
たと言っているのではありません。多かれ少なかれ、私たちは、みな、子どもに対して、そうい
うことをしてきたということです。

 二男の巣立ちは近いようですね。今は、そういう目で見てみたら、どうでしょうか。そして残り
少ない時間を、どうやって、たがいに意義のあるものにするか、それを考えてみてください。あ
と3年で、あなたの子どもは、去っていきます。その3年など、またまたあっという間に終わって
しまいますよ。

 で、そのあとどっとやってくるのが、老後! 老後ですよ、あなたの!

 保証します。毎晩3キロもランニングする子どもは、絶対に、道を踏み外すような子どもには
なりません。安心して、子育てをつづけてください。そしてあなたの二男には、こう言います。
「お前はすばらしい子だ」「自慢の子だ」と。

 私の好きなエッセーをここに添付しておきます。ぜひ、読んでみてください。中日新聞に載せ
てもらったものの中でも、とくに反響の大きかった原稿です。

+++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてか
ら女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る
予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私
を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るよ
うになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは!
 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな
あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ
ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち
も、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 
(06−03−04)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●講演会の感想から

2月24日、引佐町で子育てについて、講演をさせていただきました。その主宰者のNさんより、
講演の感想を届けてもらいましたので、そのまま紹介させていただきます。たいへんうれしかっ
たです。

++++++++++++++++++++

5.講演会の感想 
  項         率(%)
大変良かった        76.9%
良かった          19.2%
普通             3.9%

+++++++++++++++++++++
 

●今日からでも実行できることを教えていただき為になりました。

●自分の日頃している行動の大切さを思い知らされたように思う。子供を、尊敬して見られる
ようにしたい。

●今回は、とても良い話を聞けました。(自分の過去を見つめる)という話を聞いた時、ドキッと
しました。何だか自分を見つめ直すよい機会でもあったと思います。この言葉を忘れずに、自
分の悪い部分を今から少しでも直していき、子育てができたらいいと思いました。

●自分の子供を信頼できているか、ちゃんと子供に子育ての見本を示せているか考えさせら
れた。反省させられた。自分が誠実にルールを守るようにまずしたい。


●経験に基づいた専門的なお話が聞けて良かったです。頂いた本をじっくり読みたいです。

●子供について、いつも信頼しあえる関係をつくっていきたいと感じました。親が見本なのだと
いうことを自覚して行動したいと思います。

●自分自身を見つめ直すよい機会になりました。事例を出してのお話、とてもわかりやすかっ
たです。

●毎日子育てに精一杯でしたが、託児もお願いして会に参加できて良かったです。

●今まで気がつかなかったようなルール違反を少しづつでも気がついて、善人になっていかな
いといけないと思いました。

●子供を信頼していないわけではないけど、他人に言われるとゆらいでしまう。でも、親子関係
の為にもきっとできるようになると思えるようになりました。子供の目標を応援してあげられるよ
うになりたい。

●楽しく、厳しく聞かせていただきました。

●親子の信頼関係といろいろで、改めて考えさせてもらった。気づきがありました。

●とても良いお話で、また話を聞きたいです。

●赤ちゃん返りの事や他にも色々自分のことを言われているようで、とても身にしみた。

●子育てを見つめ直すというより、自分自身の日々の生活習慣を見つめ直す良いきっかけに
なりました。

●詳しく内容が聞けて良かった。全部聞きたかった。

●子供と信頼関係を大事にしたいと思った。

●ルールを守るって大切なことなんだと改めて感じ、自分の生活を振り返りちょっと安心しまし
た。でも、シャドウ部分は気になります。口には出さねど、過去のトラウマがあることはあるの
で。

●ハッとする内容で、今までを反省することばかりです。あっという間の90分で、もっと聞きたか
ったです。

●エネルギッシュで、おもしろい話でした。

●日々の生活の中で考えさせられることばかりのお話でした。

●とても良い講演で、子育て支援をしていく上でもとても参考になりました。

●子育て教育は親の教育。

●わかりやすいお話とても良かったです。

●講演会またやってください。大変ためになります。
●軽に子供同士が遊べる空間を是非、設立していただければと希望しています。

●託児があるので講演に出席できました。少しでも子供のため、子育てのポイントが聞くことが
できて良かったです。








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【8】

【家出……子どもへのおどし】

FTさんへ

+++++++++++++++++++++

子どもをおどす……。おどす意識がないまま、
おどす。

決して、FTさんを責めているのではありません。
しかしそのつもりはなくても、いつの間にか、
子どもをおどしてしまっている。

そういうケースは、少なくありません。

しかしそういうおどしが日常化すると、
子どもの心は、FTさん、あなたから
確実に離れていきます。

あるいは、その瞬間、あなたの子どもは、
あなたに反発する。拒否反応を示す。
突発的に、キレた状態になる。

FTさんの掲示板への書きこみを、もう一度、
ここで再検証してみたいと思います。

まず、FTさんからの、書きこみを、
ここに転用させていただきます。

文体は、少し、私のようで、整えさせて
いただきました。

++++++++++++++++++++

【FTより、はやし浩司へ】

+++++++++++++++++++

14歳で、家出。A君という、15歳の男子
と同棲生活を始める。それについて……。

+++++++++++++++++++

あれから、林先生の意見を参考に、主人と話し合いました。しかし、主人は、何か言うとすぐ切
れてしまう長女の精神状態を優先的に考え、「本人が帰って来るまで待つ」という考えを変えま
せんでした。

長女とも、今後のことで話し合いをしようと連絡をとったのですが、長女は、「わっかた。明日、
帰る」と言いつつ、結局は、帰ってはきませんでした。

4月6日 

私は、長女の通う中学校の担任の先生と会い、長女の今後について話し合いました。先生
は、つぎのように、言ってくれました。

 「彼女の将来を考えるとこのままでは、いけないと思います。私からA君宅に行って、彼女とA
君に話をしてもいいです。彼女からは、私のところに、時々メールがきます。そのメールのやり
とりの中で、私が迎えに来てくれたら、学校へ行ってもいいよと言っていますよ」と。そんなよう
な内容です。

 先生は、「私が、彼女を迎えに行ってもいいです」とも、言ってくれました。

 その時、私はとそんなことをしたら長女が、「自分は特別だ」と思いこむと思ったので、先生に
そのことを言いました。

 「特別なことをしてるんですから、そう思ってもいいんです。根本的な解決にはなりませんが、
きっかけを作ってあげたら彼女は、学校に来ると思います。」と。

 私は、すぐに返事はできなかったので、後で返事をするということにして、その日は、帰ってき
ました。

 林先生、学校の先生、小児科の先生の意見を参考に考えた結果、私は、長女にメールで、
こう連絡しました。

 「話し合いをしたいけど、なかなか帰ってこないね。来年の春が来たら自分の道を選ぶ時がく
るね。そいのためには、準備が必要だね。いくら親がいやでも、あとたった1年しかないんだ
よ。やり直してみてはどうか?」と・・。

 それに答えて、長女からの返事は、「わたしだって自分のことちゃんと考えてる。迎えにくるよ
うなことしたら死んでやる」でした。

 私「人間って本当にいつ死ぬかわからないよね。」

 それを言うと、また、長女は、きれてしまいました。

 長女と話し合えないので
次の日、A君の両親に連絡をとり話し合いをしました。
(その話し合いには、主人が行きました。)

 主人は「この3ヶ月、様子を見ていたけれど、長女が帰ってこないので、帰るように少しずつ
でも促して、協力してほしい」と、お願いしてきたそうです。

 長女は学校の先生に連絡をとり、(いつかわかりませんが・・・)、今日4月10日から学校へ
行くことにしていました。

 朝、帰ってきて、茶髪を黒く染め、だらしのない制服姿をし、サンダルをはき、そのまま、学校
へ行きました。

 それを見て、私にできることは、何か?、と考えてしまいました。

 長女の死んでやるという言葉に負けていました。長女の抵抗にひるむことなく時には、強い態
度も必要。時には、長女が学校へ行く気になったのであれば、それを全面的に協力する姿勢
も必要であると・・。

 主人とは、なかなか意見があいませんでした。

 このような状況の中、私に責められても、主人は声を荒げることもなく、ただ、私の話を聞き、
わが子の帰りを待っていました。

人間、窮地に立たされた時、本当の自分が姿が現れると・・・・まさに、私の姿は醜い姿でした。

 誰になんと言われようとわが子を信じて待つという主人の姿は、私には、まねのできない姿で
した。

これからも再び、主人に寄り添い生きていけそうです。
長女のことはまだまだかかりそうですが・・・
今日は、これにて・・・・

+++++++++++++++++++++++++

 まずFTさんの文面の中の、気になる2か所をあげてみたいと思います。FTさんは、娘さん
(長女)にこう言っています。

(1)「話し合いをしたいけど、なかなか帰ってこないね。来年の春が来たら自分の道を選ぶ時
がくるね。そいのためには、準備が必要だね。いくら親がいやでも、あとたった1年しかないん
だよ。やり直してみてはどうか?」と・・。

(2)私「人間って本当にいつ死ぬかわからないよね。」

 FTさんは、娘さんに向かって、「来年になったら……」と期限をつけて、娘さんの気持ちを追
いこんでいます。そしてさらに娘さんを追いつめるかのように、「いくら親のことがいやでも…
…」「あとたった1年しかないんだよ」と。

 つまりそうしなければ、「やり直しがきかなくなるよ」と。

 また2つ目のところでは、「人間って、本当に、いつ死ぬかわからないよね」と。私はこの文章
を読んだとき、昔、私の母がよく言っていた言葉を思い出しました。私の母は、いつも、口ぐせ
のように、こう言っていました。

 『いつまでもあると思うな、親と金。ないと思うな、運と災難』と。

 あるときまでは、私は、「そうかなあ」と思っていましたが、やがて、私の母は、そう言いなが
ら、「親である、自分を大切にしろ」と言っているのに気がつきました。つまり「親の私は、いつ
までも生きているわけではないのだから、大切にしろ」と。

 FTさんは、「自分は、いつ死ぬかわからない」と言いつつ、その一方で、娘さんに、極限的な
恐怖を与えています。FTさんは、それに気づいているのでしょうか。

 こういうときは、では、どう言ったらよいか。それを順に考えてみます。

 まず、「1年」と期限を切ったことについてですが、こうした状況にある娘さんに対しては、期限
を切ることは、かえって逆効果であるということをまず、理解してください。こういうときは、反対
に、こう言います。

 「人生は、長いのだから、あせらなくてもいいのよ。若いころの1年や2年、何でもないのだか
らね。のんびりやったらどう。静かに考えて、自分なりの結論を出してね。お母さんは、親とし
て、あなたの結論に従うわ」と。

 また「自分は、いつ死ぬかわからない」ではなく、こう言います。

 「私は、あなたの分まで、がんばるわ。死ぬなんて、とんでもない! 私は、うんと長生きし
て、あなたが幸福になるのを、ちゃんと見届けるわ。私のことは心配しなくていいのよ。あなた
はあなたで、自分の人生を、思う存分、楽しめばいいのよ。お母さんは、応援するわよ」です。

 つまりFTさんは、娘さんを、言葉で極限まで追いつめながら、最後に、「自分は、いつ死ぬか
わからない」と、絶壁から、つき落すようなことを言っています。だから、娘さんは、その言葉を
聞いて、キレたと考えられます。この時期の子どもは、親が考えているよりは、ずっと感覚が繊
細で、とぎすまされています。

 そしてここが重要ですが、こうしたFTさんの言葉に対して、だから娘さんは、「死んでやる」と、
これまた極限的なおどしで、返してきています。FTさんは、それを「娘側からのおどし」と理解し
ていますが、おそらく、娘さんには、その意識はないでしょう。追いつめられたから、しかたなし
に、そう言っているのかもしれません。

 「あと1年しかない」「それまでに立ち直らなければ、あとはない」と、おどすFTさん。それに答
えて、「死んでやる」と、おどす娘さん。まさに言葉の応報といった感じです。しかも母子が、同
レベルになってしまっている!

 ……と、この問題の解決には、何ら役にたたないことを書いてしまったようですが、(おどし)
の意味がわかってもらえれば、幸いです。これは最近、ある予備校の前で見た、ポスターの話
ですが、そこには、こうありました。

 「この1年で、君の一生は、決まる!」と。

 これは励ましなのでしょうか? それとも、子どもたちを予備校へ通わせるための、おどしな
のでしょうか。私は、(おどし)ととりましたが、この種の(おどし)は、親たちも、日常的にしてい
るのではないでしょうか。

 親としては、子どもにその自覚をもってもらい、追いつめられた緊張感の中でがんばってほし
いと思ってそう言うのでしょうが、しかし言い方をまちがえると、(あるいは、子どもに、それだけ
の重圧をはね返す力があればよいのですが、そうでなければ)、かえって子どもを、窮地に追
いこんでしまうことになりかねません。

【FTさんへ、はやし浩司より】

 私の印象では、「何とか、自分の娘を、自分のワクの中に取りこもうとする母親」と、「何とか
そのワクから逃げ出そうとする娘」の、はげしい葛藤劇を見ているような感じがします。

 今のFTさんには、たいへんつらいことを言うようですが、いわゆる代償的過保護と言われる
過保護家庭で、その末期に、よく見られる葛藤劇です。(代償的過保護については、一度、「は
やし浩司 代償的過保護」で検索してみてください。)

 ですから、ここまできたら、FTさん自身が、決断をくだすしかないでしょう。

(1)助けを求めてくるまで、手を出さない。
(2)暖かい無視。
(3)何があっても、許して忘れる、と。

 そしてここが重要ですが、FTさんは、娘さんのことを心配しているようで、実は、自分が感じて
いる不安や心配を、娘さんにぶつけているだけです。はっきり言いましょう。

 学校へ行かないからといって、その人間がダメになるということは、ありません! ダメになる
と思いこんでいるのは、FTさん、あなただけですよ。そうしたあなたの気持ちは、「いくら親がい
やでも、あとたった1年しかないんだよ。やり直してみてはどうか?」という言葉の中に集約され
ています。

 FTさんは、こう言っています。「いくら、あなたという娘が、私という親を嫌ったとしても、私は
構わない。しかしあなたに残された時間は、あと1年しかない。やり直すなら今しかない」と。(こ
れは先にも書きましたが、立派な、おどしです!)

 こういう問題では、まず(水が、どう流れているか)を知ります。つぎに、(どう水が流れていく
だろうか)を知ります。そして最後に、それがわかったら、あとは、水が流れるように、その水の
流れに従います。

 つまりものごとは、なるようにしかならないのです。その間に、FTさんが、いくらがんばっても、
どうにもなりません。今が、その状態だと思います。また無理をすればするほど、娘さんはとも
かくも、FTさん自身の健康にも、被害が出てくるようになります。

 中学3年生というと、FTさんから見れば、子どもかもしれませんが、(もちろん個人差はありま
すが)、見方によっては、もうじゅうぶんすぎるほど、立派なおとなです。ですから、信ずるところ
は信じて、またやるべきことはやりながらも、あとは、その(水の流れ)に任せてみてはどうでし
ょうか?

 こうした問題は、やがて、水がその流れ先を求めて落ち着くように、落ち着きます。そのとき
あなたは、こう思うでしょう。「ナンダ、何でもなかったではないか!」と。

 で、今は、学校の先生に相談し、その先生の努力に期待するしかないと思います。(FTさん)
→(先生)→(娘さん)というパイプを通して、娘さんとのつながりをもちます。FTさんにしてみれ
ば、今が最悪の状況と思うかもしれませんが、この種の問題には、さらに、二番底、三番底が
あります。

 現在は、相手の男性の家にいますが、その家にもいられなくなったとしたら、あなたの娘さん
は、どうなるか。どうするか。それをほんの少し、考えてみてください。この種の問題は、「まだ、
以前のほうがよかった」ということを繰りかえしながら、二番底、三番底へと、落ちていきます。

 たとえば今は、その男性の家にいますが、その家からも家出。そこで不特定多数の男性の
家を転々とするようになったら、あなたは、どうしますか? 私の知人の中には、外国人男性と
性交渉をもち、HIVに感染。エイズを発症した子ども(中2、当時)もいますよ。

 コツは、「今の状況をなおそう」と考えないこと。「今の状況を、これ以上悪くしないことだけを
考えて、半年単位で様子をみる」です。これについては、前にも書きましたので、ここでは省略
しますが、決して、あせってはいけませんよ。

 たいへん苦しい気持ちは、よく理解できますが、今は、忍耐のときです。幸いなことに、娘さん
を、どっしりと見据えているご主人が、あなたのそばにいます。また親身になって、娘さんのこと
を心配してくれる先生がいます。決して、あなたは1人ではありません。そういう人たちに身を
寄せれば、今は苦しいかもしれませんが、この問題は、乗り切れるはずです。

 ……あとは、10年後に視点を置いてみてください。こうした問題は、親子の絆(きずな)だけ
大切にしておけば、必ず、笑い話になります。「あなたは、たいへんだったのよ」「お母さん、心
配かけて、ごめんね」と。

 それをどうか信じて、あとは、あなたはあなたで、前に向かって進んでいけばよいのです。娘
さんのことは、少し忘れたほうがよいかもしれませんね。

 では、今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 家出 子どもの家出 子供の家出 娘の家出)










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【9】

●子どもを信頼できない

【親の影、子どもの心】

+++++++++++++++++++

親がもつ影、それがそのまま子どもの心と
なる。

いくら親が仮面をかぶっても、子どもは、
それを見抜く。見抜いて、自分の心と
してしまう。

子育てのこわさは、実は、ここにある。

+++++++++++++++++++

 掲示板に、こんな書きこみがあった。それをそのまま、ここに転載する。

++++++「はやし浩司のHP」掲示板より++++++

信頼関係・・・その信頼関係についてですが、娘の出産後、異常なまでの神経質な状態が続い
ていたことは確かです。子どもが2か月くらいまでは、まだ覚えていますが、その後1才くらいま
での間、正直、記憶がありません。

少し思い出しましたが、出産した病院が異常に母乳にこだわる病院でした。たくさんの勉強を
入院前、入院中も押しつけられました。出産前は、子どもなんてほっておけば自然に育つ
わ!、なんていいかがんな考え方をしていましたが、そこで、完全に否定されました。

完全母乳と、「断乳」ではなく「卒乳」というプレッシャーの中で、子どもが自分からいらないよ、
と言うまで与え続けなさいというものでした。

が、2才を過ぎてもやめられない子どもにイライラし、でも我慢、我慢・・・・と。しかし、体がつい
ていきません。そろそろ・・と考え、無理やり引き離しました。当然、子どもは異常なまでに、泣
き続けました。

そんな娘でしたが、「保育園で頑張っているのだから」と、一貫性のない気持ちが顔を出し、泣
く姿に負け、またおっぱいを吸わせてしまいました。常に、自分が働いているのが悪いのだか
ら・・・という負い目がありましたが、でも、自分の夢もありました。当時の育児休暇は一年間だ
け。それ以上ということになると、退社するしかありませんでした。

そして、常に(今も)、私の心にあるものは、「悪い母親像」です。他の、近所の母親などのひど
い所、悪いところばかり、見ていました。それに自分の母親も。そういう見方が、いつもあって、
私は心でこう言っています。「なんてひどい母親たち、絶対にあんな風にはならない」って。「な
んて低レベルな親たち。。。。」とも。

「こうなりたい」ではなく、「こうなりたくない」ばかり。とくに自分の母親のようには、なりたくないと
思っていました。

私の母親は、私を産んだあと、2か月で復帰し、基本的に父親の母(つまり私の祖母)によっ
て、私は育てられました。やがて2才年下の弟が生まれ、2か月の産休中、保健婦さんが、弟
の健診に来たとき、私について、「心配だ、欲求不満状態ですよ」と言ったそうです。

幼稚園児のときから、私は鍵っ子。家に帰っても、家には、誰もいません。夏休みになると、私
は、母の実家、父の実家と転々。「明日は○○が見てくれるって、助かるわー」などと、何度も
ため息を漏らされたこともあります。

愚痴を言われるたび、いい子でいなきゃって思いました。毎晩のように、行った先々がお化け
屋敷になる夢を見ていました。楽しい思い出もたくさんあるはずなのに、なぜこんな事しか覚え
ていないのでしょうね。おかしいですね。

今、長女も同じ気持ちだとすると・・・心が痛いです。まともな育児を受けてなかったから、今、う
まく、子どもを育てられないのでしょうか。・・・これも母親のせいにしてしまいますね。つくづくイ
ヤになってしまいます。子どもの事が心配だ、と言いながら、一番心配しているのは自分のこと
で、また、自分という母親なのですね。

未熟な親と指摘され、それについては、思い当たるところがあります。

まだ、小学生か、中学生のままのような感じです。親に、もっと抱きしめて欲しかったのに、と
か、よく思います。

よく買い物の立ち話で、こんなことを言う親がいますね。「まだ夏休み! うちの子、はやく学校
いってくれないかしら」と。そんなことを聞くと、「私がいつもお母さんのそばにいることを、お母さ
んは嬉しいと思っていたのに・・・お母さんは、嬉しくなかったのかしら?」と。そういう思いが、ま
だ自分の中で、消化できていません。

こんなこと、思っていたらいけないと考えています。

もう、やめます。「あのようになりたくない」じゃなく、「こんな人になりたい」に切り替えて。自分が
変われば自然とついてくるような気がします。

++++++++++++++++++++

【書きこみをしてくださった、Pさんへ、はやし浩司より】

 Pさんのことというより、あなたの書きこみを読んで、自分のことをあれこれ考えました。私も、
ごく最近、気がついたのですが、私という息子は、私の母には、重荷でしかなかったように思い
ます。

 私が幼児のころは、たしかに私の母は、私を、でき愛しました。ベタベタでした。しかしそれは
本当に私を、受けいれてくれていたからではありません。私を利用して、自分の心のスキマを
埋めていただけなのですね。

 私が反抗期を迎え、母に反抗するようになると、その母は、どんどんと変化していきました。
が、そうした変化にしても、そのときはわかりませんでした。今、こうして自分の過去を冷静に
みていくとわかる……という変化です。いつしか私は母に嫌われるようになっていました。が、
そのときは、母を、みじんも疑いませんでした。いつでも母は母であり、私のことを、心底、気に
かけてくれているのだと、そのときは、そう思っていました。

 そこでどうでしょう、「母」という言葉がもつ幻想を、捨てるのです。「母」というと、神様か、仏
様のように思う人も多いですが、それはまさに幻想です。幻想そのものです。極端な例です
が、子どもを虐待する、(虐待ママ)と呼ばれる母親たちがいます。そういう母親を見ていると、
その思いを強くします。

 だからといって、そういう母親を責めているのではありません。そういう母親はそういう母親
で、苦しんでいます。自分の中に潜んで、裏から自分を操る、自分でない自分に、苦しんでいま
す。

 で、その幻想さえ捨ててしまえば、……といっても、それは簡単なことではありませんが、それ
ができれば、母親といえども、1人の人間として、見ることができるようになります。しかしそれ
は同時に、つまりそうすることは、自分という(私)のためでもあります。

 私たちもその(親)ですが、親であるという立場に、決して甘えてはいけません。ともすれば、
(親である)という立場に甘え、子どもの心を見失ってしまいます。しかしいつか必ず、自分も、
1人の人間として評価されるときがやってくる。そういう前提で、自分の、親としてのあり方を考
えます。

 私たちの世界では、あなたのような母親を、「気負いママ」と呼んでいます。「いい親でいよう」
という気負いが強い親をいいます。「いい家庭を作ろう」「すばらしい子育てをしよう」と。が、気
負いばかりが強くて、結局は、親子の関係をぎくしゃくしたものにしてしまいます。

 なぜ、そうなるかと言えば、あなた自身に、しっかりとした(親像)が、脳の中にインプットされ
ていないからとみます。率直に言えば、不幸にして不幸な家庭で、育てられた。繰りかえします
が、子育ては本能ではなく、学習によってできるようになります。

 自分が親に育てられたという経験、つまり学習があってはじめて、今度は自分が親になった
とき、自然な形で、自分の子育てができるようになります。が、それがないと、どこか、かたよっ
た子育てをするようになります。

 極端に甘い親とか、極端にきびしい親というのは、たいていこのタイプの親と考えて、まちが
いはないようです。

 が、こういうばあいでも、決して、自分を責めてはいけません。自分の親を責めても、いけま
せん。みな、そうなのですから……。

 幸福な家庭で、何ひとつ、不自由なく、親の豊かな愛情に恵まれて育てられた人の方が、は
るかに少ないのですよ。みんな、それぞれ、何らかの問題をかかえている。問題のない人な
ど、いません。

 ただここで重要なことは、仮にあなたの過去がそうであるからといって、それをそのまま子ど
もに伝えてはいけないということです。それを私たちの世界では、「世代連鎖」とか、「世代伝
播」とか呼んでいます。子育てというのは、世代から世代へと、連鎖しやすいという意味です。
つまりそれに気がついたら、あなたという親の代で、それを断ち切ります。

 その点では、すでにあなたは、それに気づいている。自分をや自分の過去を冷静に見つめる
目を、すでにあなたは、もっている。だからあなたは、すでにすばらしい親になったのです! 
わかりますか。あなたはすばらしい親になったのですよ!

 それに気づけば、あとは時間が解決してくれます。今すぐというわけではありませんが、「時」
には、そういう力があります。ちょうど畑にまいた種のようなものです。今すぐというわけにはい
きませんが、やがて芽を出し、実を結びます。

 決して、あせらないこと。時の流れの中に、静かに、身を任せることです。

 ねっ、よい親になるって、意外と簡単なことだと、思いませんか? あとは、子どもを育てよう
などという意識は捨てて、子どもに、子育てのし方を見せるつもりで、子育てをつづければよい
のです。

「あなたが親になったら、こういふうに子育てをするのですよ」「家庭とは、こういうものですよ」
「夫婦というのは、こういうものですよ」と。そしてこう思います。「私が、その見本を見せてあげ
るから、しっかりと、よく見ておくのですよ」と。

 そうそう、私もあるとき、自分の母親を見て、こう思いました。「何だ、ただの女ではないか」
と。しかしそう思ったとたん、気が楽になりました。それまでは、「母」という幻想にとりつかれ、
母が、その幻想に反したことをするたびに、腹を立てていました。「そんなはずはない」と、で
す。

 以上ですが、何かの参考になれば、うれしいです。では、おやすみなさい。
(06年5月1日)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1240)

【世界の教育格言】

●種を蒔いたように……

As you sow, so we shall you reap. 「あなたが種を蒔いたように、あなたはそれを刈らねばなら
ない」。イギリスの教育格言。つまり因果応報ということか。子育てについて言えば、ほとんどの
親は、子どもに何か問題が起きると、「子どもをなおそう」とする。しかしなおすべきは、子ども
のほうではなく、親のほうである。そういう視点から、子どもの問題を見つめなおしてみる。


●引いて、発(はな)たず

孟子(紀元前3世紀ごろの、中国の思想家。著書『孟子』は、儒学の経典のひとつとされる)が
残した言葉である。子どもに矢の射り方を教えるときは、矢の引き方までは教える。しかし、そ
の矢を放つところまでは見せてはいけないという意味。教育といっても、やりすぎはよくない。た
とえば手取り、足取り教える教育法がある。一見、親切な指導法に見えるかもしれないが、か
えって子どものためにならない。


●子どもは人の父

The Child is Father of the Man. 「子どもは人の父」、イギリスのワーズワースの詩の一節であ
る。子どもが成長し、やがておとなになっていくのを見ていると、この感を強くする。つまり、子ど
もは、人の父、と。子育てというのは、子どもを育てることではない。子どもに、子育ての仕方を
見せておく。見本を見せておく。「あなたが親になったら、こういうふうに、子どもを育てるのです
よ」と。それが子育て。


●食欲がないときに……

『食欲がないときに食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこ
ない、また記憶されない』。Studying without an inquiring desire will be not retained in ones' 
memory. レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)の言葉である。子どもの学習指導の常識と
言ってもよい。日本では教育というと、「教え育てる」が基本になっているが、それは昔の話。子
どもから意欲を引き出し、それをじょうずに育てる。あとは子ども自身がもつ「力」に任せればよ
い。


●忠告は密かに……

Give advice secretly, and praise children openly. 「忠告は密かに、賞賛はおおやけに」。古代
ローマの劇作家、シルスの言葉である。子どもを叱ったり、子どもの名誉をキズつけるような行
為は、だれもいないところでせよ。しかし子どもをほめるときは、みなの前でせよ、という意味で
ある。子育ての行動規範のひとつとして覚えておくとよい。


●教育の秘法

あのエマーソン(アメリカの詩人、思想家、1803〜1882)は、こう書いている。『教育に秘法
があるとするなら、それは生活を尊重することである』と。欧米では、「自立したよき家庭人」を
育てるのが、教育の柱になっている。とくにアメリカでは、デューイの時代から、より実用的なこ
とを教えるのが、教育の柱になっている。生活に根ざさない教育は、そも役に立たない。生活
を尊重してこそ、そこに真の教育があるというわけである。


●かわいくば……

『かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ』(二宮尊徳、江戸時代後期の農
政家、1787〜1856)と。「子どもがかわいいと思ったら、叱るときでも、一呼吸おいて、まず
よいところを三つみつけて、それをほめる。そしてそのあと、二つくらいの割合で、叱れ」という
意味。子どもをほめる、子どもを叱る……。それは家庭教育の要(かなめ)と言ってもよい。


●最初に受けた印象が……

First impressions are most lasting. イギリスの教育格言。つまりものごとは、第一印象が大切
ということ。とくに子どもの教育では、そうである。その第一印象で、すべてが決まるといって
も、過言ではない。だから子育てをしていて、「はじめの一歩」を感じたときは、とくに慎重に! 
コツは、叱らない、おどさない。「小学校はきびしいのよ」「先生はこわいわよ」と教えたため、学
校へ行きたがらなくなる子どもは少なくない。


●玉、磨かざれば……

『玉、磨かざれば、器(うつわ)ならず。人、学ばざれば、道知らず』(礼記、中国五経の一つ)。
脳の健康は、肉体の健康と似ている。究極の健康法などというものはない。同じように、究極
の思想などというものはない。運動を怠ったら、その日から、健康はくだり坂に向かう。同じよう
に考えることを怠ったら、その日から、脳は老化する。人は、日々に研鑽(けんさん)してこそ、
人でありえる。学ばない人、考えない人は、それだけで、大切な人生を無駄にしていると言え
る。


●馬を水場に……

A man may lead a horse to the water, but he cannot make it drink. 「馬を水場に連れて行くこ
とはできても、その馬に水を飲ませることはできない」。イギリスの教育格言である。子どもを伸
ばす最大の秘訣は、まず楽しませること。楽しむことによって、自発的行動(オペラント)が生ま
れ、それが強化の原理となって、子どもを伸ばす(スキナー)。しかし無理は禁物。無理をして
も、意味がない。それがこの格言の意味ということになる。


●ビロードのクッションより……

It is better to sit on a pumpkin in the field rather than to sit on the soft velvet cushion of 
the palace. 『ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうがよい』(ソロー、アメリカ
の随筆家、1812〜1862)。子どもにとって家庭とは、すべからく、カボチャのようでなくてはな
らない。子どももある程度の年齢になったら、家庭は、しつけの場から、心を癒す、憩いの場と
なる。またそうでなくては、いけない。


●教育は、母のひざに始まり……

I・バロー(17世紀のイギリスの数学者)は、こう言っている。「Education starts in mother's lap 
and what children hear in those days will form their character.(教育は母のひざに始まり、幼
年時代に伝え聞くすべての言葉が、性格を形成する)」と。この時期、母親の子どもへの影響
は、絶対的なものであり、絶大である。母親が、子どもの方向性のすべてを決定づけると言っ
ても過言ではない。子どもの教育は、子どもをひざに抱いたときから始まると、バローは言って
いる。









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】

●子どもの怠学

++++++++++++++++++++++

わがままを言っては、親を困らせる。
このところ、学校へも行っていない。

そんな子どもで悩んでいる、NBさんという
方から、相談がありました。

++++++++++++++++++++++

【NBさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、お忙しいところ長文で失礼します。

万引きをしたあと、ぎくしゃくした息子(小学3年生)との関係のことで、相談したことのあるW市
(T県)のNBです。ブログにもご回答いただきました。ありがとうございました。今回はその後、
学校を休んでいる息子のことで、相談します。お時間がある時に、ご意見いただきたく思いま
す。

息子の現状についてどう考えればいいのでしょう。先生のおっしゃった通り、もう万引きはして
いません。お金の管理も厳重にしているので、盗まれるということもありません。

ただ、公園に友達と行くとウソをついて、前のお金の残りで、コンビニでカードを買ったりしたこ
とが2度ほどありました。5月23日から休み始め、9日ぶりに、今週の月曜に(授業はなく校外
学習でしたが)、行き、また今週いっぱい休む、というような状態です。

月曜の登校は本人が決めて行きました。いろいろ読ませていただき、学校恐怖症というのでは
なく怠学というのでしょうか、まあ呼び名よりも息子の心の中が問題なわけで。万引きやそれを
問いただした時の息子のパニック(泣き叫び万引きを認めずウソで終始)が、私達にとって大
変ショックでした。

そのため当初から、「行きたくなければいいよ」「行かなくてもいいよ」というような言い方で、対
応しています。担任の先生もゆっくり見守る姿勢を示して下さるので、夫も私も今は本当に見
守る気持ちでいます。

振り返れば、何年も前から問題行動が時折あり、それをきちんと気づいてあげられなかった私
たちに、原因があります。私への絶対的な安心感を得られないまま、外でも緊張状態のまま過
ごしていたのが、ここにきて万引きや不登校という形で爆発したと考えています。

今は学校が終わる時間までは、たいてい家にいて、(私の外出は、まだ認めてくれません)、ゲ
ームや読書で過ごし、ほとんどゲームばかりしています。家事を終えてから一緒に遊んだり、
時々、買い物に行ったりしています。皆が学校から帰ってくると、頻度は減ってきましたが、
(「どうして休んでるの?」と、聞かれる友達とは遊ばなくなりましたが)、友達に電話して、遊び
に行ったりしています。

「今はちょうど給食の時間だ」とか自分から言ったり、「来週からは学校へ行く」などと言うことも
あります。本人は、内心では、学校へは行かなければとは思っているようです。

宿題などには全く関心ないようです。新聞を取ってくるとか、金魚のえさをやるとかの手伝いも
全くやる気なしです。池で釣ったザリガニを持ち帰り、世話をせず、2匹とも死なせてしまいまし
た。平気な顔をしています。

それでも私と二人の時はそれなりに穏やかにすごしているのですが、(以前のように口やかま
しく言わないですが)、途方にくれてしまうのは、夫と三人でいる時です。延々と遊びたがるので
す。特に三人で遊びたがります。このひと月で、ますますこだわりが強くなったようです。

外で遊べば、とっぷり暗くなるまで帰らない、家では寝ないで遊びたがる。11時くらいまでは、
ゲームか他の遊びをすることになります。それも少しずつ、時間帯が遅くなってきました。

「帰ろう」「寝よう」と言うと、機嫌が悪くなり、時には怒り出します。せっかく楽しんでいたのに、
いつも、最後は怒るか泣くかで終わるわけです。夜は怒り出すと、その時、胸にある不満をぶ
ちまけ暴れることもあります。ソファをけったりクッションを投げたり壁をたたいたり。

今の最大の不満は、今週末、お父さんが土曜は仕事、日曜は結婚式で家にいない、ということ
です。前の日曜の夜はこのことを言い出して2時間以上もぐずり、収まったのは、夜中の2時を
過ぎていました。

そのような時はお父さんや私が抱きしめようとしても、「やめて」と言って、怒ります。以前はそう
ではなかったのですが。絶対に式になんか行くなとか、会社や、式をあげる人を罵るような言
葉も、次々に出てきたりします。それを聞いていると、私などは最初悲しく、だんだん腹がたっ
てきてしまいます。

夫には、怒るような口調で「うるさいなあ」と言って、目でたしなめられます。私は本当にこらえ
性がないです。夫は悲しげですが、でも冷静ですね。決してきつく言うことはない。興奮して泣
いている時は、夜中でも、子どもの面倒をみています。

自分の子であって自分の子でないような気分になってしまい、そう感じる自分にも嫌悪したりし
ます。「これでもか」「これでもか」と、息子に要求されているような感じです。夫もそう感じている
らしいですが、三人いるときほど、息子がきつくなるのはどういうことなんでしょう。

万引きをした時に夫が始めてお尻をたたいて、本当に初めて、大きな声で叱ったのが関係して
いるのでしょうか。夜は、ほおっておいて寝る、というわけにも行かず、寝不足の日々です。

寝るときはもちろん川の字で。

学校の先生は今の甘えている状態を、「(幼児期の)忘れ物を取りにいってるんですね」と表現
されました。9年間の忘れ物が1ヶ月やそこらで取り戻せるとは思ってはいませんし、数ヶ月単
位で様子を見なければならないんですね。

なのに、本当に今はこれでいいのだろうか?、どう推移するのだろうと、明るくゲームに興じて
いる様をみていると不安になります。

「お母さんはいつも太陽でいてください」と言われているのですが、実は人に会うのも少し、おっ
くうになってきた、今日、このごろです。


【はやし浩司より、NBさんへ】

 息子さんは、(絶対的な安心感)が得られず、いつも、不安な状態にあると考えてください。つ
まり心は、いつも緊張状態にあるとみます。絶対的な安心感というのは、「疑いすらもたない」と
いう意味です。心理学で言えば、あなたと息子さんの関係は、「基本的不信関係」ということに
なります。

 で、NBさんは、何とか、息子さんに安心感を与えようと努力していますが、残念ながら、息子
さんは、あなたの心の奥まで、読んでしまっています。あなた自身が、子育てをしながら、不安
でならない。つまり絶対的な安心感を覚えていないため、それを息子さんは、感じ取ってしまっ
ているわけです。

 つまりあなたは、「不安だ」「心配だ」と思っている。それがそのまま息子さんに伝わってしまっ
ているというわけです。

 こういうケースでは、『あきらめは、悟りの境地』という格言が、役にたつと思います。「うちの
息子は、こうなんだ」と、あきらめて、受け入れてしまうということです。「ほかの子とは、ちがう」
「このままでは、心配だ」「どうすればいいんだろう」と、悩んでいる間は、決して、安穏たる日々
はやってきません。息子さんにしても、そうです。

 もちろん原因は、息子さんが生まれたとき、息子さんを、全幅に受け入れなかったあなた自
身にあります。が、今さら、それをどうこう悩んでも、しかたのないことです。

 ただこうした子どもの心の問題には、二番底、さらには、三番底があります。形としては、つま
り、症状としては、(家庭内暴力)に似ています。息子さんが、まだ小さいため、NBさんの管理
下というか、コントロール下にありますが、息子さんが、小学校の高学年児、あるいは、中高校
生だとしたら、こうは、簡単には、片づかないはずです。

 私はドクターではないので、これ以上のことは書けませんが、もし今のようなはげしい不安状
態、混乱状態、さらには緊張状態がつづくようなら、一度、心療内科のドクターに相談なさって
みられたらよいでしょう。そのとき、NBさんが、私にくれたメールなどを、ドクターに読んでもらう
とよいでしょう。

 今では、すぐれた薬も開発されています。それによって、息子さんが見せている、一連の(こ
だわり)症状も、軽減するはずです。

 家庭では、(1)求めてきたときが、与え時と考えて、スキンシップなど、そのつど、子どもをす
かさず抱いてあげたりします。が、やりすぎてはいけません。そこで大切なことは、(2)暖かい
無視です。無視すべきところは、無視しながら、子ども自身の自由な時間には、干渉しないよう
にします。

 不登校については、学校恐怖症というよりは、怠学に近いと思われます。子どもの言葉に一
喜一憂したり、振りまわされたりしないように、注意してください。このタイプの子どもの(約束ご
と)には、意味がありません。意味がないというより、子ども自身、自分をコントロールできない
でいるのです。

 で、今度は、NBさん側の問題ですが、お気持ちはわかりますが、全体的に過関心かな…
…?、という印象をもっています。すべてが、子ども中心に動いてしまっている(?)。すべてが
子どもに集中しすぎているといった感じです。状況としては、しかたないのかもしれませんが、
そのため、NBさん自身が、育児ノイローゼの一歩手前にいるようにも思います。

 不登校については、今の状況では、すぐには改善しないと思います。NBさんが言っているよ
うに、どうか、数か月〜半年単位で、考えてみてください。この問題は、根が深いということ。コ
ツは、「なおそう」とは思わないこと。「今の状況をこれ以上悪くしないことだけを考えて、対処す
る」です。

 消極的な対処法にみえるかもしれませんが、無理をすれば、ここでいう二番底、さらには三
番底へと、子どもが、落ちていきます。今はまだ何とかなりますが、子どもの体が大きくなった
り、腕力がついてくると、そうはいかなくなるということです。

 たまたま別の方から、同じような相談が届いていますので、どうか、参考にしてみてください。
よろしくお願いします。









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