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【1】

●子どものしかり方

【Q8】私は毎日、子どもを叱っています。本当に叱ることは、悪いことなのでしょうか。叱らなけ
れば、子どもは、グータラな人間になってしまうと思います。叱られなかったことで、立派なおと
なになった人は、いるのでしょうか(KM)。

【A、はやし浩司より】

 叱ることが悪いとは、私は一言も言っていないのですが……? しかし私のばあい、子ども
(生徒も)を叱るとき、いつも、「自分なら、できるのだろうか?」と自問します。あるいは叱るよう
な場面になったとき、「原因は、子どもではなく、私にあるのではないか?」と、自問します。

 KMさんは、「グータラ」という言葉と、「立派」という言葉を使っておられますが、そういう視点
で、子どもをみないほうがよいのではないかと思います。人間みな、グータラだし、一方、立派
な人間などいないのです。(立派というときは、日本では、地位や肩書きのある人をいいます。
英語国では、「尊敬される人」という言い方をします。)

 むしろ私は、KMさんの、気負い先行型の子育てが気になります。きっとKMさん自身も、親
に叱られてばかりいたのではないでしょうか(?) もしそうなら、あなた自身も、心のどこかでさ
みしい思いをなさったはずです。叱るにしても、「叱ればよい」という叱り方ではなく、「ここ一
番!」というポイントで叱るように心がけてみてください。

 で、KMさんも、もう少し肩の力を抜いて、子育てを楽しむ、あるいは子どもの友として、子ど
もの横をいっしょに歩いてみる、そんな姿勢が大切ではないかと思います。「叱られなかったこ
とで、立派なおとなになった人は、いるのでしょうか」というご意見ですが、親に叱られすぎて、
ダメになった人は、いくらでもいます。どうか、ご注意ください。

 気負い型子育てについて書いた原稿(「ファミリス」掲載済み)を、ここに添付しておきます。決
して、KMさんが、そうだというのではありません。あくまでも、一つの参考として考えていただけ
れば、うれしいです。

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あなたは気負いママ?

●気負いが強いと子育てで失敗しやすい
 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ
るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。

●子育ては本能ではなく学習
 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ
れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ
て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。

●娘をどの程度抱けばいいのか?
一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい
うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。

●だれしも心にキズをもっている
 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること
ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として
は、子どもを虐待する親がいる。

このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも
食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、
「家庭」への思いは人一倍強い。

が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭というのがどういうものか、本当のと
ころはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながらも、いつもどこかでとまどってい
た。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこかで、「しすぎたのではないか」
と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、どこかチグハグなところがあっ
た。

 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか
ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。

●つぎの世代に不幸を伝えない
 子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども
を育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱るのですよ」と。これは子育ての基本だが、しかし
気負うことはない。あなたはあなただし、あなたの子どももいつかあなたを理解するようにな
る。そこで大切なことは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとして
あなたの代で切り離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘
れてはならない。

●肩の力を抜く
このテストで高得点だった人は、一度自分の過去を冷静に見つめてみるとよい。そして心のど
こかに何かわだかまりがあるなら、それが何であるかを知る。親とけんかばかりしていたとか、
家が貧しかったとか、そういうことでもわだかまりになることがある。この問題だけはそのわだ
かまりが何であるかがわかるだけでも、半分は解決したとみる。そのあと少し時間がかかるか
もしれないが、それで解決する。

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 これも、今のKMさんに関係あるとは思いませんが、以前、SNさんという方から相談をもらっ
たとき、書いた返事を思い出しましたので、ここに添付しておきます。あくまでも参考ということ
で、一度、読んでいただければ、うれしいです。

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SN様へ

 自分の過去をみることは、こわいですね。本当にこわい。自分という人間がわかればわかる
ほど、その周囲のことまで、わかってしまう。「親を恨んでしまいそう」というようなことが書いて
ありましたが、そこまで進む人も少なくありません。

 若いころ、ブラジルのリオデジャネイロへ行ったことがあります。空港から海外沿いにあるリ
オへ向かう途中、はげ山の中に、いわゆる貧民部落が見えるところがあります。ブラジルは、
貧しい国ですが、そのあたりの人たちは、本当に貧しい。しかし私が、直接、そういう人たちを
見たのは、観光で、どこかの丘に登ったときのことです。四、五人の子どもたちが、どこからと
なく現れました。気がついたら、そこにいたという感じです。(印象に残っているのは、バスから
おりたとき、土手の向こうから、カモシカのように軽い足取りで、ヒョイヒョイと現れたことです。)

 その子どもたちの貧しさといったら、ありませんでした。どこがどうというより、私はそういう子
どもを見ながら、「親は、どうして子どもなんか、つくったのだろう」と思いました。「子どもを育て
る力がないなら、子どもなど、つくるべきではない」と。

 しかしそれは、そのまま私の問題であることに気づきました。私も、戦後直後生まれの、これ
またひどいときに生まれました。しかし「ひどいときだった」とわかったのは、ずっとおとなになっ
てからで、私自身は、まったくそうは思っていませんでした。(当然ですが……。)「ひどい」と
か、「ひどくないか」とかは、比較してみて、はじめてわかることなのですね。

 私もある時期、親をうらみました。とくに私の親は、ことあるごとに、「産んでやった」「育ててや
った」「大学を出してやった」と、私に言いました。たしかにそうかもしれませんが、そういう言葉
の一つ、一つが、私には、たいへんな苦痛でした。で、ある日、とうとう爆発。私が高校生のと
きだったと思います。「いつ、だれが産んでくれと、あんたに頼んだ!」と、母に叫んでしまいま
した。

 で、今から考えてみると、子どもの心を貧しくさせるのは、金銭的な貧しさではなく、心の貧し
さなのですね。私たちの世代は、みんな貧乏でしたが、貧乏を貧乏と思ったことはありませんで
した。靴といっても、ゴム靴。靴下など、はいたことがありません。ですから歩くたびに、キュッキ
ュッと音がしました。蛍光灯など、まだない時代でした。ですから近所の家に、それがついたと
き、みなで、見に行ったこともあります。私が小学三年生のときです。

 貧しいというのは、子どものばあい、ここに書いたように、心の貧しさを言います。……と考え
ていくと、ブラジルで見た、あの子どもたちは、本当に貧しかったのかどうかということになる
と、本当のところは、わからないということになります。身なりこそ、貧しそうでしたが、見た感じ
は、本当に楽しそうでした。

 一方、この日本は、どうかということになります。ものはあふれ、子どもたちは、恵まれた生活
をしています。で、その分、心も豊かになったかどうかということになると、どうもそうではないよ
うな気がします。どこかやるべきことをやらないで、反対に、しなくてもよいようなことばかり、一
生懸命している? そんな感じがします。

 さて、疑問に思っておられることについて、順に考えていきたいと思います。

 乳児期に、全幅の安心感、全幅の信頼関係、全幅の愛情を受けられなかった子どもは、い
わゆる「さらけ出し」ができなくなります。「さらけ出し」というのは、あるがままの自分を、あるが
ままにさらけ出すということです。そのさらけ出しをしても、親や家族は、全幅に受け止めてくれ
る。そういう安心感を、「絶対的安心感」といいます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかな
い」という意味です。

 この時期に、親の冷淡、育児拒否、拒否的態度、きびしいしつけなどがあると、子どもは、そ
の「さらけ出し」ができなくなります。いわゆる一歩、退いた形になるわけです。ばあいによって
は、仮面をかぶったり、さらにひどくなると、心と表情を遊離させたりすうようになります。おとな
の世界では、こういうことはよくあります。あって当たり前ですが、家族の世界では、本来、こう
いうことは、絶対に、あってはいけません。

 おならをする。ゲボをはく。ウンチをもらす。小便をたれる。オナラをする。ぞんざいな態度を
する。わがままを言う。悪態をつく。……いろいろありますが、要するに、そういうことが、「一定
のおおらかな愛情」の中で、処理されなければなりません。

 これは教育の場でも、同じです。よく子どもたちは私に、「クソジジイ!」と言います。悪い言葉
を容認せよというわけではなりませんが、そういう言葉が使えないほどまでに、子どもを、抑え
つけてはいけないということです。言いたいことを言わせながら、したいことをさせながら、しか
し軽いユーモアで、サラリとかわす。そういう技術も必要だということです。

 また夫婦も、そうです。私は結婚以来、ずっと、ダブルのふとんでいっしょに、寝ています。
で、ワイフも、私も、よく、フトンの中で、腸内ガスを発射します。若いころは、そういうとき、よく
ワイフを、足で蹴っ飛ばして、外へ追い出したりしました。「お前だろ?」と言うと、「あんたでし
ょ!」と、言いかえしたりしたからです。

 しかし齢をとると、そういうこともなくなりました。あきらめて、顔だけフトンの外に出し、泳ぐと
きのように(私は、そう思っていますが……)、口をとがらせて、息をすったり、吐いたりしていま
す。かといって、腸内ガスを許しているわけではありませんが、しかしそれも、ここでいう「さらけ
出し」なのですね。

 そういうさらけ出しをおたがいにしながら、子どもは、絶対的な安心感を覚え、その安心感を
もとに、人間どうしの、信頼関係の結び方を学びます。

 幼児でも、信頼関係の結べる子どもと、そうでない子どもは、すぐわかります。私は、ご存知
のように、年中児(満四歳)から、教えさせていただいていますが、そのとき、子どもをほめた
り、楽しませてあげたりすると、その気持ちが、スーッと子どもの心の中にしみこんでいくのが
わかる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかります。

 しみこんでいく子どもを、「すなおな子ども」と言います。そういう子どもは、そのまま、私との
間に、信頼関係ができます。もう少し、別の言い方をすれば、「心が開いている」ということかも
しれません。心が開いているから、私が言ったことが、そのまま、心の中に入っていく……。そ
んな感じになります。

 一方、心を開くことができない子どももいます。このタイプの子どもは、いわゆる「すなおさ」が
ありません。何かをしてあげても、それを別の心でとらえようとします。ひねくれる。いじける。つ
っぱる。ひがむ。ねたむなど。さらに症状が進むと、心そのものを閉じてしまいます。極端な例
では、自閉傾向(自閉症ではありません)があります。

 が、こうして心を開けない子どもは、孤独なんですね。さみしがり屋なんですね。そこで、ショ
ーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話が出てきます。寒い夜、二匹のヤマアラシが、体を
暖めあおうとします。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、相手をキズつけてしまう。しかし
離れすぎると、寒い。二匹のヤマアラシは、ちょうどよいところで、暖めあう。自分の位置を決
める……。

 このタイプの子どもは(おとなも)、孤独をまぎらわすため、外の世界へ出る。しかしそこで
は、どうも、居心地が悪い。うまく人間関係が、結べない。疲れる。しかたないので、また引っ込
む。しかし引っ込むと、さみしい。これを繰りかえします。繰りかえしながら、ちょうどよいところ
で、自分の位置を決める……。

 このとき、子どもは、自分の心を守るため、さまざまな症状を見せます。よく知られているの
が、欲求不満を解消するための、代償行為です。指しゃぶり、髪いじり、夜尿症などがありま
す。さらに症状が進むと、神経症を併発し、さらに進むと、情緒障害や精神障害にまで発展し
ます。

 が、子ども自身も、他人から、自分の心を守ろうとします。それを「防衛機制」といいます。相
手に対して、カラにこもる、攻撃的になる、服従的になる、依存性をもつなど。SNさんが、ご指
摘なのは、このあたりのことなのですね。SNさんの問題を、もう少し整理してみると、こうなりま
す。

(反抗期はあった)(しかしそれを、押さえつけてしまった)と。

 たしかにそういう親は、多いし、SNさんだけが、そうだとはいうことにはなりません。いまだに
親の権威をふりかざし、「親に向かって何よ!」と、本気で子どもに怒鳴り散らす人もいます。し
かし問題は、抑えることではなく、ここにも書いたように、「一定のおおらかな愛情」の中で、そ
れができたかどうかということです。いくら抑えても、子ども自身が気にしないケースもあれば、
軽く抑えても、子どもが深刻に気にするケースもあります。

 そこで今度は、親自身の問題ということになります。

 不幸にして不幸に育った親は、いわゆる「自然な形での親像」が、体の中にしみこんでいませ
ん。ふつう子育てというのは、自分が受けた子育てを、そのまま再現する形で、子どもに対して
します。それを私は、「親像」と呼んでいます。その親像がないため、子育てが、どこかぎこちな
くなります。極端に甘くなったり、きびしくなったりするなど。気負い先行型、心配先行型、不安
先行型の子育てをすることもあります。

 そこで掘りさげていくと、つまり、自分の子育ての失敗(こういう言葉は不適切かもしれません
が……)の原因は、つまるところ、「自然な形での親像」のなSN気づくわけです。「私はどうして
自然な形での、子育てができないのか?」と。そしてそれがわかってくると、今度は、原因をさ
がし、そして行き着くところ、自分の「親」に向かうわけです。「私をこんな親にしたのは、私の両
親が悪いからだ」と、です。

 「私も自分を探そうと試みたことはありますが、非常につらいことで、ともすると親を恨んでし
まいそうですので……」と、SNさんは、書いておられます。実のところ、私も、同じように、悩ん
だことがあります。

 が、私のばあいは、「戦後のあの時代だったから、しかたない」とか、「親は親で、食べていく
だけで、しかたなかった」というような考え方で、理解するようになりました。今から思えば、貧
乏は貧乏でしたが、しかし同じ貧乏の中でも、まだほかの家庭よりは、よかったという思いもあ
ります。だからその「怒り」のようなものは、やがて社会へと向けられていったと思います。

 今でも、あの戦争を美化する人もいますが、私はいつも、「バカな戦争」と位置づけています。
「あんなバカな戦争をするから、いけないのだ」と、です。私が不幸だったのも、親が不幸だっ
たのも、結局は、戦争が悪いのです。あの戦争は、もともと正義もない、大義名分もない、メチ
ャメチャな戦争だったのです。

 ということで、自分なりに処理しました。そこでSNさんの件ですが、「(親を恨んでしまいそうな
ので)、やめます」とあります。ここなんですね。ここです。まだ、SNさんは、どこかよい子ぶろう
としている。恨みたかったら、恨めばよいのです。多分、そうお書きになったのは、かなり深い
部分で、SNさんが、自分の心の問題に、気がつき始めておられるからです。むしろ、これはす
ばらしいことなのです。

 実はこの種の問題のこわいところは、そういう自分自身に気づかないまま、同じ失敗を繰り
かえすところにあります。それだけではありません。今度は、同じ失敗を、つぎの世代に伝えて
しまうところにあります。もし仮にここでSNさんが、自分の心を抑えてしまうと、今度また、同じ
失敗を、SNさんの、子どもが繰りかえすことになります。これを、教育の世界では、「世代連
鎖」とか、「世代連覇」とか言います。

 これは極端な例ですが、「虐待」「暴力」も、同じようなパターンで、代々と伝わってしまいま
す。

 しかしひと通り、親を恨むと、今度は、「あきらめの境地」、さらには「許す境地」へと、入りま
す。ですから、遠慮せず、恨みなさい。恨んで恨んで、恨みなさい。遠慮することはありません。
そしてあなた自身の親というよりは、あなたの心の中に潜んでいる、(親から受け継いだも
の)、つまり(私であって、私でないもの)を、恨めばよいのです。

 私も、子どものときから、父が酒を飲んで暴れる姿を、毎週のように見てきました。そういう意
味では、暴力的な体質が、身についてしまいました。小学五、六年生ごろまでは、何かにつけ
て、喧嘩(けんか)ばかりしていました。結婚してからも、ワイフに暴力を振るったことも、しばし
ばあります。

 しかしそういう自分の気づき、その原因に気づき、そして親を恨み、やがて、そうであっては
いけないことに気づきました。

 さて本題ですね。長い前置きになりました。

 残念ながら、「マイナスの自我」というのは、ありません。私も聞いたことがありません。「自
我」というのは、英語では「セルフ」、心理学の世界では、「意識する体験」、哲学の世界では、
「意識する主体」、精神分析の世界では、「人格の中枢」をいいます。教育の世界では、「つか
みどころ」ということになるでしょうか。「この子は、こういう子だ」という、つかみどころをいいま
す。それは、(ある・なし)で決まるもので、(プラスの自我、マイナスの自我)という考え方には、
なじみません。

 で、仮に自我の発達が阻害され、情緒的な問題があったとしても、マイナスの自我ということ
にはならないと思います。あえて言うなら、ここに書いたように、「自我の阻害(そがい)」という
ことになるかもしれません。しかしSNさんのお子さんのばあい、むしろ、今、不登校という形で
あるにせよ、お子さんが、そういう「わかりやすい形」であることからして、強烈な自我があると
考えてよいと思います。自我(フロイト学説)についての原稿は、最後に張りつけておきますか
ら、また参考にしてくいださい。

 以上、こうしてSNさんの過去をほじくりかえしましたが、そこで今は、こう考えてみてください。

 過去は、過去。今は、今。明日は、今の結果として、明日になれば、必ず、やってくる、と。

 つまりこうして過去がわかったとしても、その過去に引きずりまわされてはいけないというこ
と、です。SNさんが、今、そこにいるように、子どもたちもまた、そこにいる。その「事実」だけを
見すえながら、あとはそこを原点として、前向きに生きていくということです。悩んだところで、過
去は変えられないのです。あくまでも、今は、今です。大切なことは、その「今」を、懸命に生き
ていく。結果は、必ず、あとからついてきます。

 お子さんたちについても、すばらしいお子さんたちではないですか。そこでね、SNさんも、もう
気負いを捨て、あるがままの自分をさらけ出せばよいのです。子どもたちに向かって、さりげな
く、とげとげしくなく、いやみなく、こう言えばよいのです。

 「私も、これからは好き勝手なことをするからね。あんたたちも、自分で考えて、好き勝手なこ
とをしなさい」と。

 「こういうことを言うと、キズつくのでは……」「また喧嘩になるのでは……」と思ったとしたら、
SNさん自身が、さらけ出しをしていないことになりますね。つまりそれでは、親子の信頼関係
は結べないということ。信頼関係を結ぶためには、まずSNさんのほうが子どもに向かって、さ
らけ出しをしなければなりません。

 で、話をもとに戻しますが、心の豊かさというのは、その信頼関係をいうのですね。いくら金銭
的に貧しくても、そんなのは、子どもの世界では、問題ではない。またそれで子どもの心がゆが
むことはない。ゆがむとすれば、心の貧しさです。しかしですね、もし、もしですよ、SNさんの子
どもたちが、そのことをSNさんに教えようとして、今の問題(問題という言い方も好きではあり
ませんが……)をかかえているとしたら、見方も変わってくるのではないでしょうか?

 SNさんのまわりには、いろいろ問題もあるし、SNさんとは、見方も違うかもしれませんが、人
間が求める幸福などというものは、そんなに遠くにあるのではないような気がします。ほんのす
ぐそばで、あなたに見つけてもらうのを待っているような気がします。それがあのブラジルの子
どもたちです。

 だってそうでしょう。人間は、過去、数十万年もの間、生きてきたのです。そういう中で、いつ
も幸福を求めて生きてきた。それがここ一〇〇年ぐらいの間で、学校だの、勉強だの、進学だ
のと言い出して、子どもの世界のみならず、親たちの世界までゆがめてしまった。そして勝手
に、新しい幸福をつくりだし、一方、勝手に新しい不幸をつくりだしてしまった。そして新しい問
題まで、つくりだしてしまった。少なくとも、ブラジルの子どもたちが、今の日本の子どもたちより
不幸だとは、とても思えないです。一方、今の日本の子どもたちが、ブラジルの子どもたちよ
り、幸福だとは、とても思えないのです。

 この問題については、また別のところで考えてみますが、ときには、そういう原点に立ちかえ
って考えてみることも必要ではないかということです。まとまりのない話になってしまいました
が、また投稿してください。喜んで返事を書きます。

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 最後に、欧米では、「立派な」という言葉にあたる単語すら、ありません。(今の中国では、「立
派な国民」という言葉が、さかんに使われていますが……。)それについて書いたのが、つぎの
原稿です。子育てを考えるヒントになれば、うれしいです。

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尊敬

 「尊敬」という言葉ほど、意味もわからず、安易に使われている言葉はない。あるいはあなた
は「尊敬」という言葉の意味をどのように考えているだろうか。たとえば「あなたは、あなたの父
親を尊敬していますか?」と聞かれたら、あなたは父親のどの部分を、どのようにみて、その質
問に答えるだろうか。

 英語では、少し変わった使い方をする。たとえば日本で、「立派な人」と言いそうなとき、「尊
敬される人(respected man)」という。日本で「立派な人」というときは、名誉や地位のある人を
いう。しかし英語で、「尊敬される人」というときには、名誉や地位はほとんど関係ない。あくまで
も人物本位という考え方が強い。

 また英語国でよく聞かれる表現に、「私は息子を自慢している(I am proud of my son.)」とい
う言い方がある。日本では、へりくだって、「愚息」と言いそうなときでも、「自慢の息子です」な
どとも言う。そういう言い方になれていない日本人は、そう言われると戸惑ってしまう。日本と英
語国とでは、ものの考え方が、基本的な部分で違う。

 さて、「尊敬」。あえて定義するなら、つぎのようになる。つまり「その人の言うことや、すること
を、全幅に信頼している状態を、尊敬という」と。その人をどう思うかは、あくまでもその結果で
しかない。こんなことがある。

 T氏という、今年八五歳になる男性がいる。戦時中は軍医として、中国本土で、隼(はやぶさ)
航空隊に所属していた。帰国後は、浜松市の郊外で、内科医院を開業し、現在に至っている。
そのT氏は、実に温厚で、誠実な人である。その人とのやりとりは、縁あって、毎週のようにつ
づいているが、私は、どういうわけだか、そのT氏の言うことだけは、すなおな気持ちで聞ける。
安心感があるというか、何を言われても、よいほうに、解釈できる。そういう状態を、「尊敬」と
いうのなら、まさに私はそのT氏を尊敬していることになる。

 一方、子どものときから、私はよく、「あなたは両親を尊敬しているか」と聞かれた。一番よく
覚えているのは、大学生のときの就職試験である。どこへ行っても、まずこのことを聞かれた。
で、私のほうは、結構要領がよかったから、そういうとき、どのように答えればよいか、よく知っ
ていた。私はいつも声高らかに、「尊敬しています」と答えていた。しかし実のところ、私は父親
も、母親も、尊敬などしていなかった。

 ところで話は少しそれるが、いわゆるマザコンタイプの男性は、自分のマザコン性を正当化
するために、父親や母親(とくに母親)を、美化する傾向が強い。そしてだれかが父親や母親
の悪口を言ったりすると、妙な忠誠心を発揮して、それに猛烈に反発したりする。ある意味で、
宗教的ですらある。先日も私に、「私がみな悪いのです。親父には責任がありません」と、父親
を必要以上にかばっている男性(五一歳)がいた。もっともこのタイプの人は、そうであることが
善であるという価値観をしっかりともっているから、自分がマザコン的(あるいはファザコン
的?)であることに気づくことはない。

 この日本では、「父親や母親を尊敬していません」などと言うことは、それ自体、勇気がいるこ
とである。「日本人としてありえない」というふうに考えられる。とくに私のように教育評論をして
いるものが、そういうことを言うのは許されない。だから私は私なりに、自分をつくり、自分を飾
ってきた。しかしこのところ、そういう自分がいやになった。とくに自分の心を偽るのがいやにな
った。だからあえて私は言う「私は私の父親や母親を尊敬していない」。理由は無数にあるが、
その理由など書いても意味がない。

 ただ「尊敬していない」ということは、「軽蔑している」ということにはならない。「尊敬できない」
というだけのことであり、それをのぞけば、私のばあいも、ごくふつうの、あるふれた親子関係
であった。さらにあえて言うなら、一人の人間が生きていく過程で、尊敬できる人に出会えるこ
となど、ほとんどない。人を尊敬するというのは、それくらいむずかしいことであり、そのため尊
敬する人に出会うということは、さらにむずかしい。もともと「尊敬」などという言葉は、そこらの
高校生や大学生が、安易に使う言葉ではない。人を尊敬するためには、こちら側にも、相手の
崇高さを理解するだけの素養がなければならない。たとえば暴走族の男が、「オレは、仲間の
Dを、尊敬してるよな」と言っても、所詮、そのレベルの話でしかない。

 そこでさらに問題を先に進めてみよう。あなたは「親」だから、当然、子どもがどう思っている
か気になるだろう。しかしここで大切なことは、あなたの子どもがあなたに対して、どう思ってい
ても、それに干渉することはできないということ。仮にあなたを尊敬していなくても、あなたはそ
れについて、とやかく言うことはできない。いわんや、「私を尊敬しなさい」などと、子どもにそれ
を強要してはいけない。そこでさらに話を先に進める。

 人を尊敬することはむずかしいことだが、それ以上に、自分が尊敬される人間になることは
むずかしい。いわんや子どもに尊敬される親になるのは、さらにさらにむずかしい。他人なら自
分のよい面だけを見せながら、自分を飾ることもできるが、親子ではそれもできない。子どもは
子どもで、あるがままのあなたを見る。が、意外と簡単なのが、自分の子どもを尊敬すること。
私は三人の息子たちに尊敬されていない。それはよくわかる。しかしどういうわけだか、私は三
人の息子たちを尊敬している。

 長男は、就職が決まらなかったころ、工事現場の旗振りをしていた。二男は、高校一年生に
なったとき、体力の弱い仲間を助けるため、毎日学校から帰ってくると、その仲間のために、
伴走をしていた。また三男は、高校三年のはじめにEランク(学校でもビリ)の成績だったが、
たった一年間で、東大へ楽に入れるだけの学力を身につけてしまった。どれも私ができなかっ
たことばかりだ。息子たちがそれぞれの立場で私を超えたことを知ったときから、私は息子た
ちを「子ども」とか「息子」というよりは、一人の人間として見るようになった。少なくとも、それ以
後は、頭ごなしにものを言えなくなってしまった。反対に何か意見を言われたりすると、私は無
理なく、「そうだね」と言うことができる。息子たちの言うことやすることを、全幅に信頼し、すな
おな気持ちで受け入れることができる。

イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜
一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、
必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちの
みが、家族の真の喜びを与えられる」と。改めてこの言葉のもつ意味を、考えなおしてみたい・
(03−10−3)

(注意)『青少年白書』でも、「父親を尊敬していない」と答えた中高校生は、五五%もいる。「父
親のようになりたくない」と答えた中高校生は、八〇%弱もいる(平成十年)。母親についても、
ほぼ同様。





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【2】

●子どもの心がわからない

【Q9】子どもたち(小5、小3、2歳)の気持がよくわかりません。何を考えているのか、わかりま
せん。とくに小5の子どもが、わかりません。私は親として、ダメなのでしょうか。信頼関係も、う
まくできていないように思います。どうしたらよいでしょうか(MH)。

【A、はやし浩司より】

 「何を考えているかよくわからない状態」というのは、ふつうは、「心を閉じた状態」をいいま
す。もしそうなら、親子関係が、かなり危険な状態に入っているとみてよいのではないでしょう
か。信号で言えば、これから赤になる黄信号というところです。

 こういうときの鉄則は、「今の状態をなおそう」と考えるのではなく、「今の状態を、これ以上、
悪くしない」ことだけを考えて、対処します。小学五年生という時期は、そういう意味では、たい
へん微妙な時期です。あせって何かをすれば、かえって問題がこじれてしまう可能性がありま
す。もっとはっきり言えば、親子関係が、このまま断絶してしまう危険性があるということです。

 たがいに心を開くということは、たいへんむずかしいことです。しかしそれ以上にむずかしい
のは、一度、閉じた心を開くことです。そこでここでは、@断絶と、A心を開くの、二つのテーマ
について考えてみます。つぎの原稿(「ファミリス」などに掲載済み)が、それです。

++++++++++++++++++++++++

親子の断絶が始まるとき 

●最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限って…
…」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はやがて大き
くなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようになりたく
ない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。が、この程度
ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。
まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親
は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに感謝されてい
るはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみてほし
い。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしないで、体を休め
ているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよい。しかし好んであな
たの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げて行くようであれ
ば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の多くが、心が休まる場所としてあげ
たのが、@風呂の中、Aトイレの中、それにBふとんの中だそうだ(学外研・九八年報告)。

●断絶の三要素
 親子を断絶させるものに、三つある。@権威主義、A相互不信、それにBリズムの乱れ。

@権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべき」と考え
る親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾けない。「子ど
ものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という過信のもと、自
分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。子どもについても、自分に都合のよいところし
か認めようとしない。あるいは自分の価値観を押しつける。一方、子どもは子どもで親の前で
は、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、やがて心は離れる。

A相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」
「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなものだ。
イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』というのがあ
る。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを
「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなけ
れば、そうでなくなる。

Bリズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている姿を、思い
浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子どもと歩いている姿
を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、@あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと
歩いていれば、よし。しかしA子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いて
いるようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということにも
なりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語
する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そし
ておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そうだ。子どもは子どもで、親の
前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、
仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あ
んたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高
い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、
お前に頼んだア!」と。

●リズム論
子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ども
が三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは騒
音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきにミルクを与えることに
なっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほしがる前に、哺乳ビンを子どもの
口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、子どもが泣くまでミルクを与えない親も
いる。たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前
に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っても、な
かなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続く。子どもがおとな
になってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。また別の
男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズム
を変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるのは
容易ではない。

●子どものうしろを歩く
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日からでも遅
くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決して前を歩かな
い。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」
と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬
していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問に、「はい」
と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、「母親のようにな
りたくない」は、七一・五%であった。この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬
していない」と答えた五五%の子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれて
いるということ。また、では残りの約四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもな
らない。この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質
上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこうし
た、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

+++++++++++++++++++++++++

あるがままを受け入れる

 親子にかぎらず、人間関係というのは、相互的なもの。よく「子どもは、あるがままを受け入
れろ」という。それはそうだが、それは口で言うほど、簡単なことではない。簡単なことでないこ
とは、親ならだれしも知っている。

 で、こう考えたらどうだろうか。「あるがままを受け入れる」ということは、まず自分も、「あるが
ままをさらけ出す」ということ。子どもについていうなら、子どもにはまず、あるがままの自分をさ
らけ出す。心を許すということは、そういうことをいう。しかしそうでない親もいる。

 Tさん(五五歳)は、息子(四〇歳)に、「子ども(Tさんの孫)の運動会を見にきてほしい」と頼
まれたとき、「足が痛いから行けない」と言った。しかしそれはウソだった。Tさんは、何か別の
理由があったので、運動会へは行きたくなかった……らしい。それで「足が痛い」と。

 この話の中で大切なポイントは、本当のこと(本音)を言えないTさんの心の状態にある。親で
ありながら、子どもに心を許していない。行きたくなかったら、「行きたくない」と言えばよい。し
かしTさんは、自分という親をよく見せるために、ウソをついた。つまりその時点で、親子であり
ながら心を開いていないことになる。しかしこういう関係では、子どものほうも心を開くことがで
きない。子どもの側からして、親のあるがままを受け入れることができなくなってしまう。そういう
状態を一方でつくっておきながら、「うちの子どもは心を開かない」はないし、そうなればなった
で、今度は「どうしても子どものあるがままを受け入れることができない」は、ない。

 少しこみいった話になってしまったが、親子も、互いに自分をさらけだすことが、互いのきず
なを深めるコツということ。そのために親は親で、子どもは子どもで、自分をさらけだす。美しい
ものも、きたないものも、みんな見せあう。また少なくとも、親子はそういう関係でなければなら
ない。が、もしそれができないというのであれば、もうすでにその段階で、親子の断絶は始まっ
ているということになる。

 ただここで注意しなければならないのは、あなたが子どもに自分をさらけ出したからといっ
て、子どももそれに応ずるとはかぎらないということ。ばあいによっては、子どもはあなたに幻
滅し、さらには軽蔑するようになるかもしれない。しかしそうなったとしても、それはしかたないこ
と。親子関係もつきつめれば、人間関係。つまりさらに言いかえると、親になるということは、そ
れだけきびしいことだということ。

よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」という人がいる。それはそうだ
が、しかしそれをしなければ、結局は子どもにあきられる。よい親子関係をつくりたかったら、さ
らけ出しても恥ずかしくないほどに、親自身も一方で自分をみがかねばならない。

+++++++++++++++++++++++++

 あなたは決して、「ダメな親」ではありません。どの人も、みな、自分の限界状況の中で、懸命
に生きているのです。で、問題は、その限界があるということではなく、限界があることを知ら
ず、その中で生きてしまうことです。
 
 幸いなことに、MHさんは、「自分がダメ?」という形で、自分の限界に気づいておられます。
大切なことは、「だからダメ」ということではなく、ここを原点に、前向きに生きるということです。
もっとわかりやすく言えば、限界というカベを突き破って、前に進むということです。

 子育てについていうなら、もうそろそろ、子どものことは構わないで、あなたはあなたとして、
つまりは一人の人間として、自分の生きザマを追求します。そして結果として、自分の生きザマ
を子どもに見せていく。いわば、居直りの論理ですが、今さらあなたも、そうは自分を変えられ
ないと思います。

 いいじゃないですか、子どもに嫌われても。子どもは、子ども。あなたはあなた。あなたはあな
たで、一貫性をもって生きればよいのです。その一貫性に、いつか子どもが気づいたとき、あ
なたの子どもは、必ず、あなたのところにもどってきます。それを信じて、あなたはあなたのや
り方を、これからも通しなさい……というのが、私の答(?)です。参考にしていただければ、う
れしいです。最後に、その「一貫性」についての原稿を添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。







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【3】

●祖父母との関係

【Q10】祖父母との同居に悩んでいます。祖父母の役割というのは、何ですか。夫の両親と
は、世代が違うため、何かと意見の衝突があります。

【A、はやし浩司より】
 
 少し前、同じような質問をもらいました。そのとき書いた返事を、ここに添付しておきます。少
し事情が違うかもしれませんが、趣旨は同じです。参考にしていただければ、うれしいです。

++++++++++++++++++++++++
 
●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが家なりの
ルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無駄になる。どう
したらよいか。

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれば、
子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしました。今でも、
日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスなどに、より高価なプレ
ゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれば与えるほど、子どもの心
をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは誤解。むしろ、逆効果。イギリスの
格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』というのがあります。つ
まり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわけです。しかし戦後のひもじい時
代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何でも買い与える」という姑の姿勢の中
に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼の子」
として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。あなたの姑がそう
だとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる問題なので、簡単には
なおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を買うことにより、「いいおばあち
ゃん」でいたいのかもしれません。そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んで
もらっては? しかし子育てには、その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたよ
うに、簡単にはなおりません。時間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、我慢し
て「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます増えそうなこのモヤ
モヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったときがこわい。どうしたらよい
か。

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別居
か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるしかありませ
ん。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)にかけてみると、メリット
のほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居しているケースでは、ほぼ、一〇
〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあいも、
祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。仕
事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょにいてくださるの
で、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、子どもに影響が出るこ
ともありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自身の自己意識が育ってくれ
ば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにしてください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査してみ
たことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子どもの教育
に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教育に口を出す祖
父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、変化しつつありま
す。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、あなたが祖父母になっ
たとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そういうストレスを、つぎの若い夫
婦に与えないようにします。


3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○だっ
たのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進んでいるの!
 今のやり方をもっと認めて! こういうとき、どうしたらよいか。

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、アメリカ
の詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。数十万年
もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私は、このこと
を、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」も、「昔のやり方」も
ないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子離れど
ころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係は、危険な
状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなたが相手を思うよ
うに、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返報性」と呼んでいます。
つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」と思っているということは、まっ
たく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風って、何よ。いやな嫁」と思っているとい
うことです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関係で
す。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そこでどうでし
ょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なるほど、そうですか!」と
もちあげてみるのです。最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、
「よくできた、いい嫁だ」となります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを
明るくします。どうせ同居しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小さな地球
の、こんな狭い日本の、そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょ
う!

+++++++++++++++++++++++++

 この問題は。日本の社会全体がかかえる、構造的な問題でもあるわけです。昔は、三世代
同居、四世代同居が、ふつうでしたから、問題はなかったわけですが、今は、核家族化がさら
に進み、反対に、「若い世代との同居」を嫌う、世代もふえてきました。「嫁や孫がくると、わず
らわしくてしかたない」とです。

 今は、その過渡期かもしれませんね。両親との同居については、デメリットもありますが、メリ
ットも多いはず。そういうメリットをうまく生かして、あなたはあなたで、したいことをすればよい
のです。そういう視点でも、一度、同居を、前向きに考えてみてはどうでしょうか。





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【4】

●子育てが平等にできない
 
 長女(小5)、長男(小3)、年少児(女)がいます。昔かたぎの家風で、長男ばかり大切にし、
結果として、長女にいろいろ苦痛を与えてしまったようです。なかなかみなに平等にできず、悩
んでいます。どうしたらよいでしょうか。

【A、はやし浩司より】

 子どもを変えるのは、むずかしい。親をかえるのは、もっとむずかしい。家風を変えるのは、
さらにもっとむずかしい。つまり、家風を変えるのは、不可能と思ってください。その背景には、
日本そのものが培(つちか)った、土壌があるからです。

 あなたの長女には、つらい思い出かもしれませんが、そういう家風を反面教師として、別の形
で、そういう環境を、昇華するようになるかもしれません。私も、男尊女卑の家風で生まれ育ち
ましたが、今は、それがかえって反面教師になっている部分があります。

 「昔かたぎの家風」ということで、思い出したのが、水戸黄門論です。日本人にとっては、今で
も人気番組の一つになっていますが、欧米人には理解できないのですね。(ときどき日本に住
む、ヘンな外人が、「おもしろい」と評価しますが……。)それについて書いたのが、つぎの原稿
(中日新聞掲載済み)です。日本人は、上下意識をいつも考えた人間関係をつくりますね。そ
の底流にあるのが、「水戸黄門」です。

+++++++++++++++++++++++++

権威主義の象徴

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控えお
ろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう場面を見ると、「痛
快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。オーストラリアの友人はこう言った。「もし水
戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以来、あるいはそれ以前から、欧米で
は、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそうだ。長
男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。別居も何度
か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。「今の若い者は、
先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身のことか。一方長男は長男
で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って二人の仲を調整しようとし
たことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだかまりは、想像以上のものだっ
た。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかということ。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まったくと言
ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人になってもら
った。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてことあるごとに、先
祖の血筋を自慢した。Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であっ
た。ふつうの会話をしていても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子
どもたちに向かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積
もり積もって、親子の間にミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを説明で
きる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければならないのか。
だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使われ
る。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と服従、保
護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれるはずがな
い。権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つまり
「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、一方的な
ものになる。そのため子どもは心を閉ざす。Mさん親子は、まさにその典型例と言える。

「親に向かって、何だ、その態度は!」と怒る、Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視する長
男。こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義
的であること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、自分を否
定することになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと良好な親子関
係を築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおもしろいと
思っている人ほど、あぶない。

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 少し長いですが、次の原稿は、日本の子育てについて書いた原稿です。参考にしてくだされ
ば、うれいいです。

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当世、親子事情

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居することに
なった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していたのが、娘の
実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも……」と考えていた
が、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、二年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家庭騒動
の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、珍しくない。し
かしここからが違った。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)による
復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当たった!」
「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた人生を返せ!」と。
それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、はやく死んでしまえ!」
「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろってやる!」「親を不幸にした
ものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではない。どこでどう監視しているのか
わからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけで、○○レストランで、お食事? 結
構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっているあんたを見ると、親としてなさけなくて
ね」「今日、あんたが着ていたセーターね、あれ、私が買ってあげたものよ。わかっている
の!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が悪くな
ると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、フラフラする
わ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえるのに」「もう、長いこと
会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしくないわよ」「明日あたり、私の
通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここでいう
代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛をいう。た
いていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、子どもを
利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのため、子ども
を、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろいろな例がある。

 Aさん(六〇歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。息子
は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んでいることを、
Aさんは、「取られた」というのだ。

 Bさん(四五歳・母親)の長男(現在一八歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンしてしまっ
た。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原因ははげしい受
験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男にも、受験期を迎えた
が、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになったから、あんたはがんば
るのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟二人は、夫の実家に身を寄せ、
そこから、ときどき学校に通っている。

 Cさん(六五歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息子から
預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(四〇歳)が抗議すると、Cさんは
こう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」と。Cさんは、息
子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう話した。「何かあるたび
に、私のところへきては、一〇〜三〇万円単位のお金をもって帰りました。私の長男が生まれ
たときも、その私から、母は当時のお金で、三〇万円近く、もって帰ったほどです。いつも『か
わりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今にいたるまで、一円も返してくれません」
と。

 Dさん(六〇歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、Dさんは、
長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてしまった。Dさんはい
つも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされる」と。たいした財産があ
ったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけである。

 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子だから…
…」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカラ論は、ものの本
質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめることになる。「実家の
親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならないと思うだけで、気が重くなる」
などと訴える男性や女性はいくらでもいる。さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪
く、家庭騒動を繰り返している家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかし
い。中には、「殺してやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回して
いる舅すら、いる。

 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫は学歴が
なくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とかいい大学へ入っ
てもらいたいです」と。

●子どもの依存性

 人はひとりでは生きていかれない存在なのか。「私はひとりで生きている」と豪語する人です
ら、何かに依存して生きている。金、モノ、財産、名誉、地位、家柄など。退職した人だと、過去
の肩書きに依存している人もいる。あるいは宗教や思想に依存する人もいる。何に依存する
かはその人の勝手だが、こうした依存性は、相互的なもの。そのことは、子どもの依存性をみ
ているとわかる。

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残っている子
どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の前でただ立っ
ているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」という意味そのもの
がわからない……、といった様子。そこであれこれジェスチャで、しまうように指示したのだが、
そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、そうすれば、家族のみながD君を助け
てくれるのだろう。

 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の汗。そう
いうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、D君がうまく片
づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、その日にかぎっ
て、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、教室へ飛び込んでき
て、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてうちの子を泣かすのです
か!」と。

 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいことに気づく。
D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。そういうD君で
も、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、「うちの子は、生まれつ
きそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そこでさらに観察してみると、親自身
が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身の生き方の基本になっていることがわか
る。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子どもの
依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそういう相互作用
が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題にしても、意味がな
い。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考えてよい。……と書くと、
「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それはそうで、こうした依存性
は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の奥にもぐる。外からは見えない
し、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでいることが多い。しかしやがて老齢期に
さしかかると、また現れてくる。先にあげた親たちに共通するのは、結局は、「自立できない親」
ということになる。

●子どもに依存する親たち

 日本型の子育ての特徴を、一口で言えば、「子どもが依存心をもつことに、親たちが無頓着
すぎる」ということ。昔、あるアメリカの教育家がそう言っていた。つまりこの日本では、親にベタ
ベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独立心が旺盛で、親を
親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。私が生まれ育った岐阜県の地方には、まだそう
いう風習が強く残っていた。今も残っている。親の権威や権力は絶対で、親孝行が今でも、最
高の美徳とされている。たがいにベタベタの親子関係をつくりながら、親は親で、子どものこと
を、「親思いの孝行息子」と評価し、子どもは子どもで、それが子どもの義務と思い込んでい
る。こういう世界で、だれかが親の悪口を言おうものなら、その子どもは猛烈に反発する。相手
が兄弟でもそれを許さない。「親の悪口を言う人は許さない!」と。

 今風に言えば、子どもを溺愛する親、マザーコンプレックス(マザコン)タイプの子どもの関係
ということになる。このタイプの子どもは、自分のマザコン性を正当化するために、親を必要以
上に美化するので、それがわかる。

 こうした依存性のルーツは、深い。長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがも
つ習性(?)とからんでいる。私はこのことを、ある日、ワイフとロープウェイに乗っていて発見し
た。

●ロープウェイの中で

 春のうららかな日だった。私とワイフは、近くの遊園地へ行って、そこでロープウェイに乗っ
た。中央に座席があり、そこへ座ると、ちょうど反対側に、六〇歳くらいの女性と、五歳くらいの
男の子が座った。おばあちゃんと孫の関係だった。その二人が、私たちとは背中合わせに、会
話を始めた。(決して盗み聞きしたわけではない。会話がいやおうなしに聞こえてきたのだ。)
その女性は、男の子にこう言っていた。

 「オバアちゃんと、イッチョ(一緒)、楽しいね。楽しいね。お山の上に言ったら、オイチイモノ
(おいしいもの)を食べようね。お小づかいもあげるからね。オバアちゃんの言うこと聞いてくれ
たら、ホチイ(ほしい)ものを何でも買ってあげるからね」と。
 
 一見ほほえましい会話に聞こえる。日本人なら、だれしもそう思うだろう。が、私はその会話
を聞きながら、「何か、おかしい」と思った。六〇歳の女性は、孫をかわいがっているように見え
るが、その実、孫の人格をまるで認めていない。まるで子どもあつかいというか、もっと言え
ば、ペットあつかい! その女性は、五歳の子どもに、よい思いをさせるのが、祖母としての努
めと考えているようなフシがあった。そしてそうすることで、祖母と孫の絆(きずな)も太くなると、
錯覚しているようなフシがあった。

 しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえばこの日本では、誕生日にせよ、クリスマスにせ
よ、より高価なプレゼントであればあるほど、親の愛の証(あかし)であると考えている人は多
い。また高価であればあるほど、子どもの心をつかんだはずと考えている人は多い。しかし安
易にそうすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。仮に一時的に子どもの心をつか
むことはできても、あくまでも一時的。理由は簡単だ。

●釣竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け

 人間の欲望には際限がない。仮に一時的であるにせよ、欲望をモノやお金で満足させた子
どもは、つぎのときには、さらに高価なものをあなたに求めるようになる。そのときつぎつぎとあ
なたがより高価なものを買い与えることができれば、それはそれで結構なことだが、それがい
つか途絶えたとき、子どもはその時点で自分の欲求不満を爆発させる。そしてそれまでにつく
りあげた絆(本当は絆でも何でもない)を、一挙に崩壊させる。「バイクぐらい、買ってよこせ!」
「どうして私だけ、夏休みにオーストラリアへ行ってはダメなの!」と。

 イギリスには、『子どもには釣竿を買ってあげるより、子どもと一緒に、魚釣りに行け』という
格言がある。子どもの心をつかみたかったら、モノを買い与えるのではなく、よい思い出を一緒
につくれという意味だが、少なくとも、子どもの心は、モノやお金では釣れない。それはさてお
き、その六〇歳の女性がしたことは、まさに、子どもを子どもあつかいすることにより、子どもを
釣ることだった。

 しかし問題はこのことではなく、なぜ日本人はこうした子育て観をもっているかということ。ま
た周囲の人たちも、「ほほえましい光景」と、なぜそれを容認してしまうかということ。ここの日本
型子育ての大きな問題が隠されている。

 それが、私がここでいう、「長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがもつ習性
(?)とからんでいる」ということになる。つまりこの日本では、江戸時代の昔から、あるいはそ
れ以前から、『女、子ども』という言い方をして、女性と子どもを、人間社会から切り離してき
た。私が子どものときですら、そうだった。NHKの大河ドラマ『利家とまつ』あたりを見ている
と、江戸時代でも結構女性の地位は高かったのだと思う人がいるかもしれないが、江戸時代
には、女性が男性の仕事に口を出すなどということは、ありえなかった。とくに武家社会ではそ
うで、生活空間そのものが分離されていた。日本はそういう時代を、何百年間も経験し、さらに
不幸なことに、そういう時代を清算することもなく、現代にまで引きずっている。まさに『利家とま
つ』がそのひとつ。いまだに封建時代の圧制暴君たちが英雄視されている!

 が、戦後、女性の地位は急速に回復した。それはそれだが、しかし取り残されたものがひと
つある。それが『女、子ども』というときの、「子ども」である。

●日本独特の子ども観

 日本人の多くは、子どもを大切にするということは、子どもによい思いをさせることだと誤解し
ている。もう一〇年近くも前のことだが、一人の父親が私のところへやってきて、こう言った。
「私は忙しい。あなたの本など、読むヒマなどない。どうすればうちの子をいい子にすることがで
きるのか。一口で言ってくれ。そのとおりにするから」と。
 私はしばらく考えてこう言った。「使うことです。子どもは使えば使うほど、いい子になります」
と。

 それから一〇年近くになるが、私のこの考え方は変わっていない。子どもというのは、皮肉な
ことに使えば使うほど、その「いい子」になる。生活力が身につく。忍耐力も生まれる。が、なぜ
か、日本の親たちは、子どもを使うことにためらう。はからずもある母親はこう言った。「子ども
を使うといっても、どこかかわいそうで、できません」と。子どもを使うことが、かわいそうという
のだが、どこからそういう発想が生まれるかといえば、それは言うまでもなく、「子どもを人間と
して認めていない」ことによる。私の考え方は、どこか矛盾しているかのように見えるかもしれ
ないが、その前に、こんなことを話しておきたい。

●友として、子どもの横を歩く

 昔、オーストラリアの友人がこう言った。親には三つの役目がある、と。ひとつはガイドとし
て、子どもの前を歩く。もうひとつは、保護者として、子どものうしろを歩く。そして三つ目は、友
として、子どもの横を歩く、と。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし友として、子どもの横を歩くのが苦手。
苦手というより、そういう発想そのものがない。もともと日本人は、上下意識の強い国民で、た
った一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と、きびしい序列をつける。男が上、女が下、夫が上、
妻が下。長男が上で、二男が下。そして親が上で、子が下と。親が子どもと友になる、つまり対
等になるという発想そのものがない。ないばかりか、その上下意識の中で、独特の親子関係を
つくりあげた。私がしばしば取りあげる、「親意識」も、そこから生まれた。

 ただ誤解がないようにしてほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。この親意識に
は、善玉と悪玉がある。善玉というのは、いわゆる親としての責任感、義務感をいう。これは子
どもをもうけた以上、当然のことだ。しかし子どもに向かって、「私は親だ」と親風を吹かすのは
よくない。その親風を吹かすのが、悪玉親意識ということになる。「親に向かって何だ!」と怒鳴
り散らす親というのは、その悪玉親意識の強い人ということになる。先日もある雑誌に、「父親
というのは威厳こそ大切。家の中心にデーンと座っていてこそ父親」と書いていた教育家がい
た。そういう発想をする人にしてみれば、「友だち親子」など、とんでもない考え方ということにな
るに違いない。

 が、やはり親子といえども、つきつめれば、人間関係で決まる。「親だから」「子どもだから」と
いう「ダカラ論」、「親は〜〜のはず」「子どもは〜〜のはず」という「ハズ論」、あるいは「親は〜
〜すべき」「子は〜〜すべき」という、「ベキ論」で、その親子関係を固定化してはいけない。固
定化すればするほど、本質を見誤るだけではなく、たいていのばあい、その人間関係をも破壊
する。あるいは一方的に、下の立場にいるものを、苦しめることになる。

●子どもを大切にすること

 話を戻すが、「子どもを人間として認める」ということと、「子どもを使う」ということは、一見矛
盾しているように見える。また「子どもを一人の人間として大切にする」ということと、「子どもを
使う」ということも、一見矛盾しているように見える。とくにこの日本では、子どもをかわいがると
いうことは、子どもによい思いをさせ、子どもに楽をさせることだと思っている人が多い。そうで
あるなら、なおさら、矛盾しているように見える。しかし「子育ての目標は、よき家庭人として、子
どもを自立させること」という視点に立つなら、この考えはひっくりかえる。こういうことだ。

 いつかあなたの子どもがあなたから離れて、あなたから巣立つときがくる。そのときあなた
は、子どもに向かってこう叫ぶ。

 「お前の人生はお前のもの。この広い世界を、思いっきり羽ばたいてみなさい。たった一度し
かない人生だから、思う存分生きてみなさい」と。つまりそういう形で、子どもの人生を子ども
に、一度は手渡してこそ、親は親の務めを果たしたことになる。安易な孝行論や、家意識で子
どもをしばってはいけない。もちろんそのあと、子どもが自分で考え、親のめんどうをみるとか、
家の心配をするというのであれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。しかし親は、それを
子どもに求めてはいけない。期待したり、強要してはいけない。あくまでも子どもの人生は、子
どものもの。
 この考え方がまちがっているというのなら、今度はあなた自身のこととして考えてみればよ
い。もしあなたの子どもが、あなたのためや、あなたの家のために犠牲になっている姿を見た
ら、あなたは親として、それに耐えられるだろうか。もしそれが平気だとするなら、あなたはよほ
ど鈍感な親か、あるいはあなた自身、自立できない依存心の強い親ということになる。同じよう
に、あなたが親や家のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。仮にそれが美徳に見え
るとしたら、あなたがそう思い込んでいるだけ。あるいは日本という、極東の島国の中で、そう
思い込まされているだけ。

 子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として自立させること。自立させるとい
うことは、子どもを一人の人間として認めること。そしてそういう視点に立つなら、子どもに社会
性を身につけさえ、ひとりで生きていく力を身につけさせるということだということがわかってく
る。「子どもを使う」というのは、そういう発想にもとづく。子どもを奴隷のように使えということで
は、決して、ない。

●冒頭の話

 さて冒頭の話。実の娘に向かって、ストーカー行為を繰り返す母親は、まさに自立できない親
ということになる。いや、私はこの話を最初に聞いたときには、その母親の精神状態を疑った。
ノイローゼ? うつ病? 被害妄想? アルツハイマー型痴呆症? 何であれ、ふつうではな
い。嫉妬に狂った女性が、ときどき似たような行為を繰り返すという話は聞いたことがある。そ
ういう意味では、「娘を取られた」「夢をつぶされた」という点では、母親の心の奥で、嫉妬がか
らんでいるかもしれない。が、問題は、母親というより、娘のほうだ。

 純粋にストーカー行為であれば、今ではそれは犯罪行為として類型化されている。しかしそ
れはあくまでも、男女間でのこと。このケースでは、実の母親と、実の娘の関係である。それだ
けに実の娘が感ずる重圧感は相当なものだ。遠く離れて住んだところで、解決する問題ではな
い。また実の母親であるだけに、切って捨てるにしても、それ相当の覚悟が必要である。ある
いは娘であるがため、そういう発想そのものが、浮かんでこない。その娘にしてみれば、母親
からの電話におびえ、ただ一方的に母親にわびるしかない。実際、親に、「産んでやったでは
ないか」「育ててやったではないか」と言われると、子どもには返す言葉がない。

実のところ、私も子どものころ母親に、よくそう言われた。しかしそれを言われた子どもはどう
するだろうか。反論できるだろうか。……もちろん反論できない。そういう子どもが反論できな
い言葉を、親が言うようでは、おしまい。あるいは言ってはならない。仮にそう思ったとしても、
この言葉だけは、最後の最後まで言ってはならない。言ったと同時に、それは親としての敗北
を認めたことになる。が、その娘の母親は、それ以上の言葉を、その娘に浴びせかけて、娘を
苦しめている。もっと言えば、その母親は「親である」というワクに甘え、したい放題のことをして
いる。一方その娘は、そのワクの中に閉じ込められて、苦しんでいる。

 私もこれほどまでにひどい事件は、聞いたことがない。ないが、親子の関係もゆがむと、ここ
までゆがむ。それだけにこの事件には考えさせられた。と、同時に、輪郭(りんかく)がはっきり
していて、考えやすかった。だから考えた。考えて、この文をまとめた。

+++++++++++++++++++++++++

 今、日本の社会は、大きく変わろうとしています。「サイレント革命」と位置づけている人もいま
す。社会だけではなく、ものの考え方も、です。「家風」という言葉すら、死語になりつつありま
す。それがよいことなのか、悪いことなのかは別にして、こうした変化には、順応するしかない
ようです。それが「時代の流れ」というものではないでしょうか。少なくとも、世代間で価値観の
対立が起きたとき、古今東西を問わず、古い世代が、新しい世代に勝ったためしはありませ
ん。古い世代のほうが、先に、あの世にいくからです。

 そういうこともどこかで考えながら、家風について考えてみてください。







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【5】

●教え子の問題

 私の夫は、おけいこ塾を経営しています。生徒の中には、神経症による症状の出ている子ど
もがいたりします。教える側として、どのように対処したらよいのか、悩むことも多いです。意見
を聞かせていただければ、うれしいです(KH)。

【A、はやし浩司より】

 親とのつきあいの基本は、『如水淡交』ではないでしょうか。「水のように、淡々とつきあう」で
す。たとえば、「三年B組、金八先生」というテレビドラマがあります。しかし、ああいった熱血教
師というのは、現実にはありえません。それは刑事ドラマで、刑事とギャングが、ピストルでバ
ンバンと撃ちあうようなものです。ドラマとしてはおもしろいかもしれませんが、もしそんなことを
していたら、体は(心も)、いくつあっても足りなくなります。

現実は、もっとドロドロとしています。よほど経験のある教師でも、ふと油断すると、そのドロ沼
に足をとられてしまいます。とくにおけいこ塾では、そうです。委託を受けた範囲内で、その指
導に徹することだと思います。もちろん親側から質問があったり、依頼があれば、話は別です
が……。

困るのは、「最近、うちの子はどうでしょうか?」という質問ですね。そのつど、どの話を、どの
程度すればよいか迷います。もっとも私のばあいは、「おうちで何か問題がありますか?」と、
その親が、どの程度知りたがっているか、さぐりを入れるようにしています。

 で、ごく最近、思うところがあって、こんな原稿を書いてみました。もちろんすべての母親がそ
うであるということではありません。しかしそこに子どもがからんでくると、教師との間に、ある種
の「かけひき」が生まれます。このかけひきが、人間関係を、狂わせます。それについて書いた
原稿です。

+++++++++++++++++++++++++

母親(女性)の心

 母親というより、女性全般に共通する心理なのか? 私たちの世界では、『何かと親しげに言
い寄ってくる母親ほど、要注意』という鉄則がある。このタイプの女性は、たいていつぎのような
パターンを経る。

(好意を感じて、必要以上に相手と親しくなろうとする)→(自分の思いどおりに相手が反応しな
い)→(相手に拒絶、もしくは否定されたと感ずる)→(その相手に対して、反感、もしくは嫌悪、
憎悪の念をもつようになる)→(何かにつけて、敵対行為を繰りかえす)

 昨日の味方が、今日の敵というわけである。だから教える側にしても、『如水淡交』。水のよう
にサラサラと、淡く交際する。決して深入りしてはいけない。へたに深入りすると、その親自身
の精神状態に、入りこんでしまう。相談を受けているつもりだったのが、いっしょになって悩み
始めてしまったりする。自殺願望の人の相談にのっているうちに、その人に同情してしまい、い
っしょに自殺してしまうケースは、少なくない。それに似たような状態になる。

 好意をもってくれている間は、それなりによいが、しかしどこかでフィーリングが衝突すると、
今度は、それが敵意に変わってしまう。そうなると、今度は、このタイプの母親は、徹底して、敵
に回ってしまう。(「敵」という表現は、適切ではないかもしれない。)男性にも、そうした傾向は
あるが、これは女性特有の性質ではないか。……と思っている。

 気を許すとか、許さないとかいうレベルの話ではない。子どもが間にいるときは、あくまでも子
どもを見ながら、つきあう。それは母親にしても、教える側にしてもそうで、子どもというワクを
超えた、個人的な領域まで、たがいに足を踏み入れてはならない。ずいぶんと昔だが、こんな
母親がいた。

 私が幼稚園で仕事を終えるころ、その母親は、いつも幼稚園の門のところに車を止めて、私
を待っていてくれた。「帰り道が同じですから、どうぞ」と。私は、何度もそれを断った。しかしそ
れでもその行為はつづいた。ときには、幼稚園の中にまで、おしぼりを届けてくれたこともあ
る。

 こういうケースでは、絶対に、そういう車には乗ってはならない。で、私ががんこにそれを拒む
と、今度は、その母親は、あることないこと、あれこれ私の悪口を言い始めた。そのとき私は、
まだ二〇代の後半。女性の心理がよくわからなかった。ただ、「どうしてあれほど好意をもって
いてくれた人が、手のひらをかえしたように、そういうことをするのか」と、そんなふうに悩んだ
のは覚えている。

 そういう意味では、好意と嫌悪は、紙一重。心的エネルギーは、そのつど、状況に応じて、さ
まざまに変化する。ときには、まったく正反対に作用することもある。心的エネルギーが悪いと
いうのではない。要は、いかにしてそれをコントロールするかということ。このコントロールのし
方をまちがえると、問題を引き起こす。で、私のばあい、教えるという場では、つぎのような鉄
則を、自分で編みだした。

●母親とは、個人的なつきあいは、しない。(当然!)
●子どもの子育て、教育の相談以外は、のらない。(当然!)

もっとも同じころ、私は、「母親恐怖症」になったので、こうした鉄則がなくても、平穏無事(?)
に、仕事ができるようになった。しかし注意するに、こしたことはない。
(030707)

【母親恐怖症】
 二〇代から三〇代のころ、子どもをもつ母親が、恐ろしい存在に見えた。相手を「お母さん」
と呼んだとたん、背筋が、ツンと緊張したのを覚えている。つまりそれくらい、私は、母親たち
に、い・び・ら・れ・た! ホント!

 そうした傾向は、四五歳あたりを過ぎるころから、なくなってきた。多分、私のほうが歳をと
り、母親たちを、のむようになったためではないか。で、最近は、正直言って、どの母親を見て
も、すてきな女性に見える。ときどき心の中で、あらぬロマンスを思い浮かべることも多い。し
かし今でも、恐怖症こそなくなったが、やはり、相手を「お母さん」と呼んだとたん、シャボン玉が
パチンとはじけるように、そのロマンスは、消える。

+++++++++++++++++++++++++

 教育というより、これは子育て全体にまつわる限界のようなものかもしれません。どんな親
も、自分で失敗して、自分で気がつくしかないのではないでしょうか。それまでの段階で、私の
ようなものが、いくらアドバイスしてもムダなんですね。「うちの子にかぎって……」「そんなはず
はない……」と、親ががんばってしまう。私たちは、いつもその限界の中で仕事をするしかない
と思います。それについて書いたのが、つぎの原稿です。これは「親の限界」について書いたも
のですが、それはそのまま、教える側の限界ということになります。

+++++++++++++++++++++++++

●限界を知る

 子どもの限界を知り、限界を認めることは、決して敗北を認めることではない。自分のことな
ら、ともかくも、こと子どもについてはそうで、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待
ほど、子どもを苦しめるものはない。そんなわけで、「うちの子は、やればできるはず」と思った
ら、すかさず「やってここまで」と思いなおす。もっとはっきり言えば、「まあ、うちの子はこんなも
の」とあきらめる。その思いっきりのよさが、子どもの心に風をとおし、子どもを伸ばす。いや、
その時点から、子どもは前向きに伸び始める。

 もちろんその限界は、親だけの秘密。子どもに向かって、「あんたは、やってここまで」などと
言う必要はない。また言ってはならない。しかし親が限界を認めると、そのときから、親の言い
方が変わってくる。「がんばれ、がんばれ」と言っていたのが、「よくがんばっている、よくがんば
ったわね」と言うようになる。そのやさしさが、子どもを伸ばす。子ども自身が、その限界のカベ
を破ろうとするからだ。それがわからなければ、自分のことで考えてみればよい。

 あなたの夫が、あなたの料理を食べるたびに、「まずい、まずい」と言えば、あなただってやる
気をなくすだろう。あるいはあなたの妻が、あなたが仕事から帰ってくるたびに、「もっと働きな
さい」と言ったら、あなただってやる気をなくすだろう。

 もちろん子どもを伸ばすためには、ある程度の緊張感は必要。そのための、ある程度の無
理や強制は必要。それは認める。しかし限界を、あらかじめ、認めているか認めていないか
で、親の態度は大きく変わる。たとえば認めないと、親の希望は、際限なくふくらむ。「何とかB
中学に……」と思っていた親でも、子どもがB中学へ入れそうだとわかると、今度は「何とかA
中学に……」となる。一方、限界を認めると、「いいよ、いいよ、B中学で。無理することないよ」
となる。

 ……こう書く理由は、今、子どもの能力を超えて、高望みする親があまりにも多いということ
(失礼!)。そしてそのため子どもの伸びる芽をかえって摘んでしまう親があまりにも多いという
こと(失礼!)。それだけではない。そのため、親子の絆(きずな)すら、こなごなに破壊してしま
う親があまりにも多いということ(失礼)。さらに、行きつくところまで行って、はじめて気がつく親
があまりにも多いということ(失礼!)。またそこまで行かないと、気がつかない親が、あまりに
も多いということ(失礼!)。それを避けるためにも、親は、できるだけ早く子どもの限界を知
る。限界を認める。親としては、つらい作業だが、その度量の深さが、親の愛の深さということ
になる。

(追記)今では、親に、「やればできるはず」と思わせつつ、自分の立場をとりつくろう子どもも
少なくない。ある男の子(小五)は、親の過剰期待もさることながら、親にそう期待させながら、
自分のわがままをとおしていた。その男の子は、よい成績だけを親に見せ、悪い成績を隠し
た。先生にほめられたことだけを話し、叱られたことは話さなかった。

 私は長い間、それに気づかなかった。そこで私はある日、その男の子に、「君の力は、君が
いちばんよく知っているはず。自分の力のことを、正直にお父さんに話したら」と言った。その
男の子は、親の過剰期待で苦しんでいると思った。しかしその男の子は、それを父親には言わ
なかった。言えば言ったで、自分の立場がなくなることを、その男の子はよく知っていた。

 しかし、こうした仮面は、子どもを疲れさせるだけではなく、やがて終局を迎える。仮面がはが
れたとき、同時に親子の絆(きずな)は破壊される。破壊されるというより、子どものほうが自ら
親から遠ざかる。その結果として、親子の関係は、断絶する。

+++++++++++++++++++++++++

 KHさんへ

 こうして返事を書きながら、実のところ、私は最近、日本の限界というか、人間の限界のよう
なものを、強く感じます。(私自身の限界なのかもしれませんが……。)だから「今、できることを
一生懸命しよう。それでいいではないか」と、そんなふうに考えることが多くなりました。

 ご相談の件ですが、その子どもが神経症の症状を見せたからといって、私たちがせいぜいで
きることは、そういう子どもを、与えられた時間の中で、暖かく包んであげることでしかありませ
ん。本来なら、親にあれこれ意見を言わねばならないのかもしれませんが、その親にしても、
その限界の中で、懸命に生きているのです。仮に私たちから見て、問題があるとわかっていて
も、その懸命さを感じたら、私たちは引きさがるしかないのです。

 それはとてもさみしいことですが、人生には、そういう「さみしさ」が、いつもついて回ります。
教育の世界では、とくにそうです。しかしそれはもう、どうしようもないことではないのではないで
しょうか。







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【6】

●心にキズを負った親

【Q13】私自身、親に虐待されたことが原因による、PTSDで苦しんでいます。娘にもその影響
が出ていると思います。娘はある施設で、治療を受けていますが、私はどうしたらいいでしょう
か(TS)。

【A、はやし浩司より】

 「カタルシス」という言葉を、どこかでお聞きになったことはありませんか。方法としては、だれ
か(一番望ましいのは、あなたの夫ですが……)に、思いっきり、自分の胸の内を、あらいざら
い話してみます。この方法が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)には、きわめて有効であるこ
とは、心理学の常識になっています。

 私について書いた原稿のいくつかを、ここに添付しておきます。どうか、参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++++

カタルシス

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス
(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させるこ
とをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれ
ば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能
がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思
い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて
吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を
開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、@相手もあなたに
自己開示する。Aあなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

●私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
●私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
●私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
●私にとって、今まで、一番つらかったことは、
●私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容について
は、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信
頼関係の深さを知ることできる。つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこま
で自分と向き合っているかどうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。
「のぞく」という言葉は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞく
ことができる。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしか
ったことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレッ
クスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあ
れば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あな
たと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない
人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示して
みるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない
人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという
方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になっ
て聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してく
れない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみた
わ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対
して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけ
のわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示
してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによって
は、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作
用もある。

+++++++++++++++++++++++++

心のキズ

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。しかし酒を飲むと、人が変わった。今
でいう、アルコール依存症だったのか? 三〜四日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れた。大
声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。あるいは用意してあった食事をすべて、ひっ
くり返したこともある。私と六歳年上の姉は、そのたびに二階の奥にある物干し台に身を潜
め、私は「姉ちゃん、こわいよ〜オ、姉ちゃん、こわいよ〜オ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのように、
一度つくと、消えることはない。そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響を与える。
が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回さ
れることである。たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。今でも精神状態が不安定
になると、夜がこわくて、ひとりで寝られない。

あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならない。帰ると決めると、その数日前から何
とも言えない憂うつ感に襲われる。しかしそういう自分の理由が、長い間わからなかった。もう
少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。が、五
〇歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。見えてくると同時に、「なぜ、自分がそう
なのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」と、そ
んなことを心配していた。また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果たしていな
かった。家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。だから私はいつ
も、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で寝た。それに私
は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。母に、「勉強しなけ
れば、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。つまりそういう「過去」が、今の私を
つくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を受ける。
が、キズなどというのは、消えない。消えるものではない。恐らく死ぬまで残る。ただこういうこと
は言える。心のキズは、なおそうと思わないこと。忘れること。それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。つくればつくるほど、かさぶたをめくるようにし
て、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。しかし
父は、先にも書いたように、三〜四日ごとに酒を飲んで暴れた。だから五四歳になった今で
も、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。「姉ちゃん、こわいよ〜
オ、姉ちゃん、こわいよ〜オ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。五四歳になった今
でも、だ。心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

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心的外傷後ストレス障害(PTSD、Post−traumatic Stress Disorder)、私のばあい
 
 その人の処理能力を超えた、強烈なストレスが加わると、その人の心に、大きな影響を与え
る。そのときそれがふつうの記憶とは異なり、脳に外傷的記憶として残ることがある。そして日
常生活において、さまざまな症状や障害を示すことがある。こうした一連のストレス性障害を、
心的外傷後ストレス障害という。

 Aさんは、あやうく上の子どもを、水死させるところだった。家族でキャンプに行ったときのこと
だった。水から救い出したときには、すでに意識はなかったが、幸い、父親が人工呼吸をほど
こしたところ、息を吹きかえした。上の子どもが六歳、したの子どもが四歳のときのことだった。

 以後しばらくは、その子どもが無事だったとことを喜んだが、しかしそれが落ちつくと、ここで
いう心的外傷後ストレス障害が現れた。当時の事故のことを思い出すと、極度の不安状態に
なるという。あるいはその事故のことを忘れようと、思えば思うほど、当時の状況が、思い出さ
れてしまうという。届いたメールから、引用させてもらう。

●私は、それ以来、今では少なくなっていますが、夜ふとんに入ると思い出して眠れなくなって
しまうことがあります。

●子どもの下校時間が近づくとそわそわして、家の中と外とを行ったりきたりしてしまいます。

●これから先もずっと心配していかなければいけないかと思うと将来が不安でしかたがありま
せん。

●まわりに相談しても、助かったんだからとか、子離れしたらとか言われます。
主人もいろいろ考えてはくれますが、どうしたらいいのか分からないみたいです。
結局は自分の中で勝手にいろいろ想像して勝手に悩んでるだけなのですが、何とかこの状態
からぬけだしたいです。

 心的外傷後ストレス障害では、その種の状況になると、強い感情的反応が現れることが知ら
れている。言いようのない不安感や恐怖感、絶望感や虚脱感など。ときに当時の状況をその
まま再体験、もしくは心の中で再現したりする。これを「フラッシュバック」という。

 強度の心的外傷後ストレス障害になると、日常生活にも影響が出てくる。感情鈍麻、麻痺、
回避性障害(人と会うのを避ける)、行為障害(ふつうでない行動を繰りかえす)など。多く見ら
れるのが、不眠である。

【心的外傷後ストレス障害、私のばあい】

 私もまったく同じような経験をしている。家族で、近くの湖へ海水浴に行ったときのことであ
る。三人の息子を連れていったが、とくに二男については、今、こうして命があるのは、まさに
奇跡中の奇跡である。

 その直後の私は、たしかにおかしかった。二男が生きているにもかかわらず、生きていること
を不思議に思い、思うと同時に、背筋が何度も凍りつくのを感じた。「ほんのもう少しまちがって
いたら、私が殺していた」という、自責の念にかられた。そして夜、床についたあとなど、その日
のことを思い出すと、そのまま興奮状態になり、眠られなくなってしまった。

 それは恐怖、そのものであった。しかしその恐怖は、外からくる恐怖ではなく、自分自身の内
部から、襲ってくる恐怖であった。つかみどころがなかった。「もしもあのとき……」と、そんなこ
とを考えていると、妄想が妄想を呼び、わけがわからなくなってしまった。それに、思い出したく
はないのだが、事故の生々しい様子が、心にペッタリと張りついて、それが取れない。かきむし
っても、かきむしっても、取れない。

 本来なら、二男が生きていることを喜べばよいのだが、そういう気持ちにはなれない。「よか
った」と思うより先に、「どうしてあんなことをしたのだろう」と、自分を責めてしまう。そして一度、
そういう状態になると、足元をすくわれるような不安状態になってしまう。じっとしておられないと
いうか、何をしても、手につかない状態になってしまう。

 よく覚えているのは、そのあと、湖を見るのもこわかったということ。実際には、それ以後、一
度も、湖へは行っていない。正確には、海水浴には、行っていない。おかしな妄想が頭にとりつ
いたこともある。「今度、息子たちを湖へ連れていったら、湖の悪魔に、命を取られるぞ」と。そ
ういうオカルト的な現象など、まったく信じていない私が、である。

 私のばあいは、「湖」とか、「海水浴」が、心的外傷後ストレス障害のキーワードになってい
た。それでそれを避けることで、やがて、少しずつだが、気持ちが和らいでいった。あれからも
う、二〇年になるが、こうして思い出してみると、いつの間にか、それが一つの思い出になって
いるのに、今、気づく。以前のような、フラッシュバックに陥るということは、もうない。

 ただあのとき、二男を湖から救い出してくれた恩人(私はいつも「恩人」と呼んでいる)につい
ては、その恩を忘れたことはない。二男に何かあるたびに、私とワイフ、ときには二男を連れて
あいさつに行っている。中学を卒業したとき。アメリカへ出発したときなど。相手の人は、ひょっ
としたらそういう私たちを迷惑がっているかもしれないが、私はどうしても、それをしたい。しな
いわけにはいかない。つまりすることによって、二男が、助かるべきして助かったという実感を
ものにしている。

 専門的には、心的外傷後ストレス障害の人に対して、グループ治療や、行動療法が効果的と
いう説もある。私のばあいは、精神科のドクターの世話になることはなかった。ただワイフが、
たいへん精神的にタフな女性で、その点では、ワイフに助けられた。私がフラッシュバックに襲
われたときも、私に、「あんたは、バカねえ。助かったのだから、それでいいじゃない」と言ってく
れたりした。

【Aさんへ】

 私の経験では、こうした心的外傷後ストレス障害は、なおらないということ。そのため、なおそ
うと思わないことだと思います。それを悪いこと、あるいは、あってはならないことと思ってしまう
と、かえって自分を責め、ストレスが倍加してしまいます。

 もっとも効果的な方法は、とにかく忘れること。そのため、その事故を思い起こさせるようなで
きごとを、自分から遠ざけることです。私のばあい、一時は、湖の方角さえ向きませんでした。
ただそのあと、水泳の能力の必要性を痛感し、息子たちを水泳教室へは入れました。

 そしてここが重要ですが、あとは時間が解決してくれます。『時は、心の治療人』と考えてくだ
さい。こうしたもろもろの心の問題は、心的外傷後ストレス障害にかぎらず、時が解決してくれ
ます。悪いことばかりではありません。

 とくに二男は、生きていることのすばらしさを、そのあと、教えてくれました。また心的外傷後
ストレス障害といいますが、そういう状態になると、感性がとぎすまされ、他人が見ることができ
ないものが、見えてきたりします。言いかえると、そういう経験をとおして、あなたの子どもは、
今、あなたに何かを教えようとしているのです。

 ここに添付したような原稿(中日新聞に発表済み)は、そういう私の気持ちを書いたもので
す。どうか、参考にしてください。何かのお役にたてるものと思います。今の私の立場で言える
ことは、「どうか、一日も早く、いやな思い出は忘れて、明るい太陽の方に顔を向けてください」
という程度でしかありません。

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●TSさんへ、

 心を解き放て!
 解き放って、空を飛べ!
 あなたは、今、生きている。
 あなたの子どもも、今、生きている。
 それを、友よ、すなおに喜ぼうではないか。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 あなたには、他人に見えないものが見える。
 命の尊さ、命の美しさ、
 そして命のあやうさ、
 だからあなたは、人一倍
 自分の人生を大切にする。
 生きる尊さを、まっとうする。

 事故?
 とんでもない!
 あなたの子どもは
 あなたに、生きる意味を、教えるために
 今、そこにいる。
 それを、友よ、すなおに受け入れようではないか。
 そして、友よ、あなたの子どもに感謝しようではないか。
 あなたのおかげで、私は生きる意味がわかったわ、と。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 真理への道は、いつも苦しい。
 その苦しさを通ってのみ、
 あなたは、その真理にたどりつく。
 だから友よ、恐れてはいけない。
 だから友よ、逃げてはいけない。
 あなたは自分を受け入れ、
 あなたの子どもを受け入れる。

 さあ、友よ、明日からあなたは、
 新しい人生を歩く。
 勇気を出して、歩く。
 もうこわがるものは、何もない。
 なぜなら、あなたは、今、
 生きる意味を、知っている。










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【7】

●知的な問題をかかえた子ども

【Q14】知的な問題をかかえている子ども(中学生)をもっています。このところ勉強がきびしく
なり、子どもも苦しんでいます。いろいろ後悔することばかりです。どう考えたらよいでしょうか
(HY)。

【A、はやし浩司より】

 私の講演も、四回目とか。ありがとうございます。むしろ、あまりお役にたてず、申し訳なく思
っています。

 私も、いろいろな問題をかかえ、それと戦ってきました。そういう中で書いたのが、つぎの原
稿(中日新聞掲載済み)です。HYさんのお気持を、とても救うことはできないと思いますが、同
じように悩んでいる人は、決して、あなた一人だけではないということを、この原稿をとおして、
わかっていただければ、うれしいです。

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生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、
「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解
決するから不思議である。

特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中
学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてた
が、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ
にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして
いる……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価
値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す
る。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか
ら愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、
「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばら
しい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。
が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を
してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授
業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受
けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

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家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人
には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、
そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだ
けでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこ
とを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私
は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そう
いうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じ
ゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせい
ぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部
屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いてい
る。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。
が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもた
ちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度
をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こうい
う家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

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 HYさんへ、あとは時間が解決してくれますよ。『時は、心の癒し人』です。それを信じて、前に
向って進んでください。過去にとらわれることなく、未来を恐れることなく、今日、今できること
を、懸命に、ただひたすら懸命にすればよいのです。いっしょに、がんばりましょう!








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【8】

●親子の信頼関係

【Q15】昨今の殺伐とした事件を見ていると、自身をなくします。親子の信頼関係ですが、どの
ようにして、子どもを育てればよいのでしょうか。

【A、はやし浩司より】

 親子の信頼関係は、私にとっても、ずっと大きなテーマです。また家庭教育の「柱」ともなるべ
き、テーマです。そのため私は過去に、無数の原稿を書いてきました。それらのいくつかを、紹
介させてください。内容的に、ダブるところもありますが、どうかお許しください。これらの原稿を
読んでくださり、何らかの形で、あなた自身が、「信頼関係」を考えるきっかけになればうれしい
です。

++++++++++++++++++++

孤独な人たち

 猛烈な接近と、今度は手のひらを返したような忌避。人間関係をうまく結べない人は、この二
つを交互に、繰りかえす。

 ショーペンハウエルのヤマアラシ論。ある寒い夜、二匹のヤマアラシが、たがいに体をよりそ
って、暖をとろうとした。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、体を痛める。しかし離れると、
寒い。そこで二匹のヤマアラシは、ほどよいところで、体を離したり、くっつけたりしながら、暖を
取りあった……。

 人間関係をうまく結べない人は、その原因の一つとして、自分のさらけ出しができない。あり
のままの自分を、ありのままに見せることができない。どこかで無理をする。いい人ぶる。仮面
をかぶる。だから人前に出ると、キズつきやすく、疲れやすい。

 さらにその原因はというと、その人の乳幼児期にある。このタイプの人は、とくに母親との関
係において、基本的信頼関係を結ぶことができなかった人と考えてよい。子どもというのは、絶
対的な安心感を得られる環境の中で、心を開くことができる。「絶対的」というのは、「疑いす
ら、抱かない」という意味。「どんなことをしても、どんなことを言っても、自分は守られるのだ」と
いう安心感をいう。

 この段階で、育児拒否、冷淡、拒否的態度、家庭不和、無視などが重なると、子どもは、心を
開くことができなくなり、ついで基本的信頼関係を結ぶというよりは、その結び方のし方そのも
のを、身につけることができなくなる。またこの時期、一度失敗すると、それが基本的不信関係
となり、その後の子どもの心の発育に大きな影響を与える。

 基本的信頼関係は、その文字が示すとおり、「基本的」なもの。この信頼関係が基本となっ
て、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係へと発展していく。しかし基本的信頼関係が
結べない子どもは、さまざまな分野で、信頼関係を結べなくなる。具体的な症状としては、つぎ
のようなものがある。

●忠誠心が弱く、だれにでも愛想がよくなる。
●へつらう、機嫌をうかがう、小ずるくなる。
●心を開かない分だけ、心がゆがみやすい。ひねくれる、いじける、つっぱる、ひがむなど。
●孤独で、さみしがり屋。個人的な利益誘導型の人生観をもつ。
●人間関係の調整ができず、衝突、別離を繰りかえす。
●よい人ぶる、仮面をかぶる。疲れやすい。キズつきやすい。
●独断的、ひとりよがりになりやすい。偏屈、がんこになる。
●猜疑心が強く、嫉妬深い。裏切られる前に裏切るという姿勢になる。

 こうした心の問題は、そういう問題があるということではなく、そういう問題があることに気づ
かないで、同じ失敗を繰りかえすこと。しかし問題を解決するためには、まず冷静に自分の過
去をさぐり、そしてそういう問題があることに気づくこと。そのあと少し時間はかかるが、問題は
解決する。あるいは自分をコントロールすることができるようになる。

 なおこのタイプの人で、注意しなければならないことは、その人自身というよりも、その人の周
辺で、困惑している人が多いということ。冒頭に書いたように、猛烈な接近と、忌避を繰りかえ
すため、周囲の人が、それに翻弄(ほんろう)されてしまう。このタイプの人は、あるときは、ベタ
ベタと異常なまでに接近してきたかと思うと、今度はそれが拒否されたようなとき、一転、忌避
に向う。だから周囲の人は、その人がどんな人か、わからなくなってしまう。私の印象に残って
いる女性に、R子(三五歳)という女性がいた。

 R子は、ある時期は、こちらが望んでもいないのに、いろいろなものを送ってくれたり、届けて
くれた。しかしそれを断ると、今度は、一転、冷淡な態度をとる。それを周期的に、たとえば数
か月おきに繰りかえした。

 自己中心性が強く、会話をしても、自分の話題ばかり。たとえばR子は、望んでもいないの
に、電話をかけてきては、「ここのラーメンはおいしい」「あそこのラーメンはまずい」というような
話をする。さらには隣町のラーメンの話までする。で、一度、「今は、忙しいので、そういう話は
またのときにお願いできますか」と断ると、「ああ、そう!」と言って、電話をガチャンと切る。で、
以後、数か月、まったく音沙汰なし……。

 こうした姿勢が子どもに向かうと、当然のことながら、その影響は、子どもにおよぶ。このタイ
プの母親は、@ささいなことを気にして、それをことさら大げさに問題化する。A一方的な思い
込みで、子どもに無理を強いたり、強制したりする。Bものごとを極端に考える傾向が強くな
る、など。子ども自身も、基本的信頼関係を、母親との間に結べなくなることも多い。

 教える側からすると、もっとも相手にしたくない親ということになる。つかみどころがなく、機嫌
をそこねると、今度は徹底した反感をもつ。そして教える教師に対して、攻撃的になったり、あ
るいは敵意をもった行動をするようになる。つまりは、安心してつきあえなくない。その人自身
が不安になるのは、その人の勝手だが、このタイプの人は、他人をも不安にする。

 以下はMKさんという方からいただいた、質問への、私の返事です。参考にしていただけれ
ば、うれしいです。

++++++++++++++++++++++

MKさんへ

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安といいます。その緊張状態に、不安や心配が入り
こむと、心はそれを解消しようと、一挙に不安定になります。つまり情緒不安は、あくまでも症
状にすぎないということです。

 そしてその症状は、子どもによって異なります。攻撃型(乱暴になる、暴力的になる)、固着型
(過去にこだわる、クヨクヨする)、固執型(毛布の切れ端や、ものにこだわる)、内閉型(ぐず
る、引きこもる)に大きく分けて考えます。

 で、問題は、なぜ心の緊張感がとれないかですが、基本的には、人間関係の結び方ができ
ないとみます。自分の心をさらけだして、自己開示ができない。あるいはそれが不十分というこ
とです。原因は、乳幼児期の、母子関係が不全であったことが疑われます。

 子どもは、対母親との関係で、基本的人間関係を結びます。父親ではありません。母親で
す。そういう意味では、子どもにとっては、母親は絶対的な存在です。その母親に対して、絶対
的な安心感を覚えることで、子どもは、基本的信頼関係の結び方を覚えます。「絶対的」という
のは、「まったく疑いをいだかない」という意味です。

 この基本的信頼関係は、その後、父親や家族、園の先生、さらには友人との信頼関係の基
本となります。だから「基本」という言葉を使います。が、母親との信頼関係を結ぶことに失敗し
た子どもは、その後、母親以外の人たちとも、うまく人間関係を結ぶことができなくなります。た
とえば症状としては、仮面をかぶる。心が遊離するなど。あるいはさらにはひどいケースでは、
人格の分離が始まります。「遊離」というのは、心と表情が一致しないこと。このタイプの子ども
は、いわゆる何を考えているかわからないタイプの子どもといったふうに、なります。

 全体的にみて、MKさんのお子さんは、この流れの中にあるとみます。恐らく、子どもの側か
らみて、(MKさんには、その意識はなくても……)、生後まもなくから、乳児期にかけての時
期、どこかで母親の冷淡、無視、拒否を感じたのかもしれません。(あるいはひょっとしたら、子
どもの誕生について、大きな不安やわだかまりがあった? 望まない子どもであったとか…
…?)

そのため、お子さんは、いつも不安を基底とした心理状態になったのだと考えられます。このタ
イプの子どもは、何をしていても不安なのです。そしてその不安を解消しようと、つまりは自分
を忘れる行動に走りやすくなります。行動が、どこか享楽的になるのは、そのためです。

 以上が一般論ですが、ではMKさん自身はどうであったかという問題もあります。MKさんご
自身が言っておられるように、「あまり温かい家庭に育っていなかった」ということが、「根」にあ
ることは、十分疑ってみてよいと思います。そこでMKさんは、「よい母親になろう」「家庭という
のは、こういうものでなければならない」「よい家庭を築こう」という、気負い先行型の子育てをし
てしまった。実は、問題の根本は、ここにあります。わかりやすく言うと、子どもが緊張状態から
解放されないのは、MKさん自身が、その緊張状態にあるためです。そういう意味で、子どもの
心は、カガミのようなものにすぎないということです。

 子どもに何か問題があると、たいていの母親は、子どもだけをみて、「子どもをなおそう」と考
えます。しかし問題の根本は、母親自身にあります。まずMKさん自身が、それに気づくことで
す。

 MKさん、あなたは、子どもに、心を開いていますか。安心して、自分をさらけ出しています
か。よい親ぶっていませんか。よい子を求めすぎていませんか。よい家庭を築こうと、気負いす
ぎていませんか。過大な要求を、子どもにぶつけていませんか。そして子どもの側からみて、あ
なたやあなたの家庭は、安心感にあふれた、心豊かな家庭になっていますか。子どもにとっ
て、あなたや家庭が、体や心を休める場所になっていますか。あなたの目の前で、子どもが心
を全幅に開き、好き勝手なことをしていますか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あな
たや家庭のあり方を、まず反省してみてください。それをしないと、あとは、いくら、何をしても、
対症療法に終わってしまいます。

 順に考えてみましょう。

(5)とにかく、学校での緊張が強くて疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊ん
でいるようですが、授業中は、先生に叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が
強いようです。プライドが高くて、結果ばかり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼
まれると、クラスで応援団の代表の一人に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びく
びくして涙ぐむタイプです。

このタイプの子どもは、いわゆる内弁慶外幽霊のタイプと考えます。外の世界で無理をする分
だけ、家の中では、粗放化します。そこで大切なことは、「ああ、うちの子は、外でがんばってい
るから、家の中ではその反動で、粗放化するのだ」と、理解してあげることです。家の中で、乱
暴な言葉を使っても、大目に見てあげてください。家の中で、こまごまと、神経質な接し方をして
はいけません。部屋の中が散らかっていても、子どもの好きなようにさせます。また子ども自身
は、学校でがんばっているようなので、その点を高く評価してあげてください。応援団の代表に
選ばれたら、「すごいわね」と、心底、喜んでみてあげてください。

(6)一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気
が小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをし
ながらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

妹さんも、どこかでいつも不安を覚えていると考えてよいようです。こういうケースでは、とにか
く、スキンシップを濃厚にしてみてください。ベタベタがよいというのではありません。子どもがス
キンシップを求めてきたら、それに対して、良質なスキンシップ(ぐいと、力いっぱい抱くなど)を
与えるということです。たいていは一〇秒〜長くて一分程度で満足するはずです。コツは、親側
からベタベタするのではなく、子どもが求めてきたら、いとわないということです。


(7)学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人く
らいの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルの
ように活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく
友達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 「宿題」という言葉が、キーワードになっていることが、これでよくわかります。つまり緊張状態
を一挙に不安定にさせる、キーワードになっているということです。こうした反応は、習慣化して
いるはずなので、この言葉は、子どもの前では使わないようにしてください。

 「家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び」というのは、MKさんが、過干渉気味の母
親であることを示しています。全体としてみればそうでないかもしれませんが、子どもがかなり
不安定な状態のときは、ふつう程度の干渉でも、そのまま過干渉になってしまいますから、注
意してください。つまり子どもの側からみて、MKさんは、「小うるさい存在」なのです。私があな
たなら、子どもは、学校で、無理をしているので、家の中では、好き勝手なことをさせますが…
…。

(8)私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめて
しまったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張
で、働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 ほとんどの人は、気負い先行型の子育てをしています。だからMKさん、あなただけが、問題
があるというのではありません。だからどうか肩の力を抜いてください。あなたはすでに十分、
すばらしい母親です。(だから、こうして私のところにメールをくださり、私も返事を書いていま
す。)あなたは今、懸命に自分をさがしておられる。そういう姿勢が、必ず、あなたやあなたの
子育てを前向きに引っ張っていきます。

 あなた自身も、言いたいことを言い、したいことをすればよいのです。「落ちこぼれた」などと
言っていないで、今、あなたがしたいことをすればよいのです。あなた自身が、こうした挫折感
を覚えているから、子どもに向かっては、「勉強は?」「宿題は?」となってしまうのです。つまり
あなたは自分の不安を子どもに、ぶつけているだけなのです。それがわかりますか?

 あなたは落ちこぼれでも何でもありません。むしろ受験勉強をして、スイスイと勝ち組になっ
たかにみえる連中のほうが、これからどんどんと落ちこぼれていくのです。だから自分のこと
を、絶対に、「落ちこぼれ」と言ってはいけません。「私は懸命に生きてきた。そのつど、懸命に
最善の道を選んできた。これが私の人生よ。ほかに何があるの!」と。そう居直りなさい。つま
りそういう形で、あなたの中に潜む、受験信仰(カルト)と戦うのです。それを克服したとき、あな
たは自分の子どもにこう言うようになるでしょう。

 「宿題? そんなもの、適当にすればいいのよ!」と。

この大らかさが、子どもに伝わったとき、あなたの子どももまた、あなたに心を開くことができる
ようになります。

 今、あなたの子どもは、あなたに対して、心を開くことができず、もがいています。苦しんでい
ます。そしてあなたはあなたで、それを孤独に感じている。つまりたがいにキズつきあっている
だけ。もう、そういう愚劣なことはやめましょう。でないと、今度は、あなたの子どもがいつか父
親になったとき、やはり心豊かな家庭作りに失敗するだけです。だから今は、あなたがここで
ふんばって、それを断ち切るのです。

 まず、自分を子どもの前でさらけ出してみてはどうでしょうか。「宿題なんて、いやなものだっ
たわ。お母さんも、大嫌いだった。いやだったわ。お母さんも、勉強ばかりする高校へ入ったけ
ど、勉強なんて、したくなかったわ」と。もしできればそのとき、一方的に「宿題をしなさい」では
なく、「いっしょに、しようね」と声をかけてみてはどうでしょうか。勉強はさせるものではなく、親
子で楽しむもの。テレビやゲームをしながらでも、三〇分かけて、五分程度勉強すれば、しめ
たもの。そういう大らかさを大切にしてください。

 ご主人のご病気、たいへんですね。まだお若いかと思いますが、どうかくれぐれもよろしくお
伝えください。ご健康を念願しています。最後に、家族は、守りあい、助けあい、教えあい、励ま
しあい、教えあう。そんな心を、これからも大切にしていきましょう。また何かあれば、ご連絡く
ださい。今日は、これで失礼します。

++++++++++++++++++++++++

さらけ出す

●すなおな心

 人間関係に悩んでいる人は多い。富山県に住んでいるMさん(四〇歳、女性)もそうだ。厳格
な祖父母と、形だけの夫婦の両親のもとで育てられた。そのためかどうかはわからないが、
(そのためと考えて、ほぼまちがいないようだが……)、Mさんは、他人との信頼関係がうまく結
べなくなってしまった。Mさんが訴えるところの症状を並べてみる。

●同窓会などに出ると、どうしてみなは、ああも楽しそうなのかと思う。それで自分も楽しもうと
思うが、どうしても楽しめない。また楽しもうと思えば思うほど、かえって疲れてしまう。

●何をしても不安で、心配。あとでほかの人が、「じょうずにできたじゃない」などと言ってくれる
と、かえって不安になってしまう。私自身は、自分では失敗したという思いから、抜けでることが
できない。

●子ども(二人の男女)に対しても、何かにつけて完ぺき主義で、ついこまかいことを言ってし
まう。子どもを信ずることができない。子どもも、集団の中で、どこかオドオドしているよう。そう
いう姿を見ると、自分を責めてしまう。

●実家へ帰っても、心が休まらない。たまに一泊することもあるが、かえって疲れてしまう。父
も母も、それなりにいい人だと思うが、どうしても心を許すことができない。親子なのに、たがい
に、あれこれ気をつかう。

●子どものときから、親に「あんたは長女だから」と、いつも言われつづけた。いい子でいるの
が、当たり前という環境だった。弟のできがよかったこともあり、いつも弟と比較された。「どうし
てあんたはできないの!」と、よく叱られた。

こういうケースでは、まず身近なことから、少しずつ、自己開示をしてみる。自分の心を偽ら
ず、正直に表現してみるということ。私にも、こんな経験がある。

 私は、子どものときから、台風が好きだった。台風が接近してくると、内心では「こっちへくれ
ばいい」と願った。あの緊迫感が何とも言えない。しかしそれは悪いことだと思っていた。私は
学校や、人前では、優等生(?)だった。だから人前では、「台風がくると被害が出るから、こな
いほうがいい」などと自分を偽っていた。

 が、ある日のこと。私が三五歳もすぎてからのことだが、一人のアメリカ人の友人が、私にこ
う言った。「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風の日には、ベランダにイスを置いて、それに座
って台風を見ているよ」と。

 この言葉には驚いた。そこで「何が、楽しいか?」と聞くと、「風にのって、ものが飛んでいくの
を見るのは、本当に楽しい」と。

 その言葉を聞いて、私は「何だ、そうだったのか」と、へんに感心した。以来、私は、すなお
に、「台風が好きだ」と言うようになった。

 これは一例だが、こうして自分の心を少しずつ、開示していく。ただし、簡単にはできない。た
いていの人は、本来の心がどういう状態なのかわからないほどまでに、布や糸で、心がぐるぐ
る巻きになっている。がんじがらめになっている。そういう布や糸を、ひとつずつ、ていねいにほ
どいていかねばならない。

●さらけ出す 

 自分をさらけ出すのは、むずかしい。今日もワイフと、ラーメン屋でラーメンを食べながら、こ
んな話をした。

私「自分をさらけ出すというのは、簡単なことではない」
ワ「そう……?」
私「たとえば目の前に、胸のすてきな女性がいたとする。そういう女性に向って、『あなたの胸
にさわってみたい』とは言えない」
ワ「当たり前でしょう」
私「しかし、お前の胸やお尻なら、さわりたいとき、さわれる」
ワ「それも当たり前でしょう」
私「そこなんだ。夫婦だったら、たがいにさらけ出しができる。だからそれを基盤として、信頼関
係を結ぶことができる。が、他人では、できない」
ワ「それが人間関係というものじゃ、ないの?」
私「そう。そうなると、他人と信頼関係を結ぶためには、どうしたらいいのか。たとえば反対に、
夫婦のばあい、言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、もうその夫婦
は、危険な状態にあるとみていい。親子でもね」と。

 そこで大切なことは、まず自分に正直に生きること。そのために、自分の心に静かに耳を傾
けてみること。その上で、がまんすべきことは、がまんする。妥協すべきことは、妥協する。

 ここにも書いたように、いくら正直といっても、「あなたの胸にさわりたい」と言えば、その時点
で、相手を侮辱(ぶじょく)したことになる。セクハラになる。そこでがまんする。同じように、時と
ばあいによっては、妥協もしなければならない。それが社会生活というもの。

 そこで、もしあなたが、人とうまく人間関係が結べないようなら、こうしたらよい。

(5)無理をしない。……そういう自分がおかしいとか、まちがっているとか、そんなふうに思って
はいけない。「私は私」と割り切る。この世界には、完ぺきな人間はいない。他人との交際が苦
痛だったら、「私は苦痛だ」と言えばよい。避けたかったら、避ければよい。大切なことは、無理
をしないこと。

(6)正直に生きる。……仮面をかぶってはいけない。いい子ぶってはいけない。いい人に見せ
ようと、がんばることもない。それを開示するかどうかは別として、自分の正直な気持ちを大切
にすればよい。

(7)居直る。……あとは、「私はこういう人間だ」と居直ればよい。私も人前で話すことが多くな
った。だからどうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。が、そうすると、そのあと本当に疲
れる。今は、ありのままの自分をさらけ出すようにしている。それで人が去っていくようなら、そ
れはそれでよい。しかたのないこと。

(8)そういう自分とうまくつきあう。……どんなばあいも、自分の欠点や欠陥に気づいたら、そ
れをなおそうと思ってはいけない。思う必要もない。それに気づいたときから、それとうまくつき
あうようにする。
 
 さあ、あなたも勇気を出して、自分の気持ちを、すなおに、正直に話してみよう。一つのヒント
として、『クレヨンしんちゃん』の母親の、みさえを見習うとよい。(コミック本のほうが、よい。とく
にv1〜v7、8あたりまでが、参考になる。テレビのアニメは、つくりすぎていて、不自然?)

 みさえは、実にわかりやすい生き方をしている。すがすがしい。それで人との信頼関係が結
べるかどうかは別にして、さらけ出しは、人との信頼関係を結ぶためには、必要条件。自分を
ごまかして生きている人は、他人を信頼することもできないし、他人から信頼されることもない。
 
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自己開示

 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを
「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっ
ているかが、わかる。

(15)自分の弱点の開示(私は計算が苦手)
(16)自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった)
(17)自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ)
(18)自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ)
(19)自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている)
(20)自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる)
(21)自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある)

 (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、ど
の程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかが
わかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題に
ついて話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよ
い。

 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役にな
ること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否
定するのは、最小限に抑える。

 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。と
きどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と話し始める子ども(幼児)が
いる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」とたしなめることにして
いる。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいという
願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。

あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と言い出した子ども(年中男児)がいた。「何
だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。

 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、
あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。

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会話のない父子

Gさん(五六歳・女性)が、こう相談してきた。「夫と、父親が、まったく会話しません。そういう状
態が、結婚のときからつづいています。どうしたらいいでしょうか」と。

 Gさん父子(七三歳と四八歳)は、この三〇年間、ほとんど会話をしていない。同居していて
も、だ。毎日が一触即発。ささいな言い争いが、そのまま大げんかになることも珍しくない。

 原因は、父子の確執(かくしつ)。だれしもそう考える。しかし心理学では、そうは考えない。原
因は、息子の側の心の緊張感がとれないこと。息子自身が気がついているかどうかは別にし
て、息子は、父親を前にしたとたん、心が緊張状態になる。こういう例は多い。

 Aさん(三五歳、女性)は、盆暮れに実家へ帰るのが苦痛でならないという。親を前にすると、
ピンとした緊張感が走り、あとは何をしても疲れるだけ、と。

 Bさん(三五歳、女性)もそうだ。ときどき実母が遊びにくるのだが、帰るたびに、はげしい偏
頭痛に襲われるという。

 父子だから、信頼しあうなどというのは、もはや幻想でしかない。ざっとみても、約五〇%の
父子は、「うまくいっていない」。「うまくいっていない」というのは、「うまくいっていない」というこ
と。

 問題は、なぜ心の緊張感がとれないかということ。あるいは親を前にすると、子どもが緊張し
てしまうかということ。さらに悲劇的なことに、そういう状態を、子どもも気がつかないが、それ
以上に、親も気がつかないということ。

 この問題の「根」は深い。深いだけに、簡単にはなおらない。

 子どもは、絶対的な安心感のある家庭で、親子の信頼関係を結ぶことができる。「絶対的」と
いうのは、疑いすらもたないという意味。したいことをし、言いたいことを言うという環境である。

 推察するに、Gさん父子には、そうした信頼関係がないとみる。父親のほうはともかくも、子ど
ものほうには、それがない。不信関係というのではない。信頼関係そのものがない。もっとわか
りやすくいうと、子どもの側が、安心して父親に心を開くことができない。つまり子どもが、乳幼
児のときに、すでにそういう状態になってしまった。

 こういうケースでは、息子は、子どものころ、親の前では仮面をかぶるようになる。いわゆる
「いい子ぶる」ということ。だから父親は、ますます子どもの心を見失う。見失ったまま、「私はす
ばらしい親だ」と錯覚する。あるいは、「うちの息子は、できのいい息子」と誤解する。

 こういう心のズレがやがてキレツとなり、さらには断絶へと発展する。気がついたときには、
「会話のない父子」になる。

 では、どうするか。

 こういうケースでは、父親のほうができることは、ほとんど、何もない。母親ができることは、さ
らにない。また親たちが何かをすればするほど、逆効果。一方、子どもの側は、その緊張感を
取りのぞくのは、並大抵の努力ではできない。もしそんなことができれば、この世の中には、情
緒が不安定な人はいないということになってしまう。人間関係というのは、そういうもの。人間の
心というのは、そういうもの。

 では、どうするか。

 一度、そういう状態になったら、もうあきらめるしかない。皮肉なことに、こういうケースでは、
父親が死んだとき、はじめて、問題が解決する。よほどのことがないかぎり、それまでは無理。
つまり「私たち父子は、こういうもの」と、割り切るしかない。そしてあとは、たがいに気にせず、
それぞれが自分の道を進むしかない。

 ただ、誤解してはいけないのは、たがいの絆(きずな)は、表面的な関係はともかくも、しっか
りとあるということ。あるいはふつうの親子よりも、太いかもしれない。いざとなれば、息子は、
親子の意識にのっとり、行動する。それを信じて、自分の道を進む。

【追記】

 よく「人と接すると、疲れる」と言うひとがいる。これは対人関係において、緊張感がとれない
ためにそうなると考えると、わかりやすい。あるいは人と接すると、心が緊張状態になってしま
う。

 問題は、なぜ緊張状態になるかということ。一つには、安心できない。一つには、相手に対し
て、心を開くことができないなどがある。しかしやはり、こういうケースでも、他人と、信頼関係を
結ぶことができないのが、基本的な原因と考える。

 つぎのような人は、信頼関係の結び方が、苦手な人とみる。

●他人と接するのが苦手。近所づきあいをしても、すぐ精神的に疲れてしまう。
●他人の前に出ると、いい子(人)ぶってしまう。無理をする。自分をかざる。
●他人に心を許すことができない。いつも警戒してしまう。思ったことも言えない。
●相手の意見の合わせてしまう。追従的になることが多い。(あるいは攻撃的になることもあ
る。)

さて、あなたはだいじょうぶか?

++++++++++++++++++++++

 「あなたはすばらしい子」という親の思いが、子どもを伸ばします。心理学でも、これを「好意
の返報性」といいます。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようと
します。そういう子どもの性質をうまく利用すれば、子どもは、前向きに伸びていきます。

 ですから、いろいろな事件が起きても、不安になる必要はまったくありません。あなたはあな
たとして、自分の子どもを信じてください。今日があるように、明日も、必ず、あります。あさって
も、必ず、あります。そして今日の子どもがいるように、明日の子どもも、必ず、います。あさっ
ても、必ず、います。今すべきことは、今を懸命に生きること。そうすれば、結果は必ず、つい
てきます。だから、もう心配はしないこと、ですね。また何かあれば、(できればメールで)、相談
してください。力になれると思います。









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【9】

●子どもを愛せない親

子どもを愛する

はやし先生、先日でB町(愛知県)で、先生の講演を拝聴し、癒された気分になりました。自分
の子供を愛せない……そんなことで、悩んでいた矢先だったので。

 私は結婚6年目、4才と1才の娘がいます。その長女との関係が自分の中でうまく処理できま
せん。次女はほおずりしてもしたりないくらい可愛いのですが、長女が後ろから抱きついてきた
ときには、寒気がしたり思わず身をかわしたりしてしまうことがあります。

長女が、次女にちょっかいを出して転ばせたりしたときは口汚くののしってしまいます。(うちの
子に何するのよ)と思っている自分にびっくり。次女にやったのと同じことを長女に仕返しするこ
ともあります。

 私は仕事をもっており、長女は満1才の時から2才6ヶ月までの間、車で15分離れた義母に
日中預けていました。(朝食から夕食までいたこともあります。私も主人も教職で、仕事に日々
追われていました。長女をかまってやることができず、いっしょにいるのは夕食とお風呂と寝る
ときだけ。朝は娘の目が覚めない内に主人が車で連れて行きました)

次女出産のために、産休に入ったのですが、同居、別居問題でこじれ、私と義母が全く会わず
口も聞かない状態が2ヶ月続きました。水入らずで、娘と一緒に過ごしたのですが、どんな要求
も満たしてくれる祖母に比べ(物質的に、精神的に)、権力主義的な接し方しかできない私と
は、しっくりいかず、お互い嫌な雰囲気になることすらありました。

次女が生まれてしまうと、義母のところへ遊びに行っては、帰ってこない日が続きました。育児
について、いろいろ衝突があったために、別居を強く希望していた私にとって、娘が帰ってこな
いことはたいへん都合も悪く、「アパートがあんたの家だよ」と連れ帰ろうとしたのですが、娘は
泣き叫んで抵抗し、義母や義父は、私をひどい母親呼ばわり。

「アパートへ帰るとへんな子になる。ずーっとここにいていいよ。」と長女を帰してくれる様子は
ありませんでした。小さいときから「帰ってこない子はうちの子じゃない」と言い聞かされて育っ
た私にとっては、もう長女は自分の子でなくなった以外の何ものでもなく、義父と義母に対する
恨みの念はふくらむ一方。長女と縁を切りたい気持ちで、いよいよ、離婚かというときになり、
主人が仕事を調節し、家族の時間をとるようになり、何とかアパートの生活に4人落ち着いた
のは、9月のはじめでした。

 今でも、私の仕事復帰に備え、義母が敷地内同居を強く迫ってきますが、私は全く自信があ
りません。子供を再び義母に預ける都合上(義母に預けたくないのですが、保育園はかわいそ
うだといって、大げんかになります。私も教職なので、時間通りにかえってこられないため、実
際保育園に入れてみてうまくいくのかはわかりません。今は暮らしにゆとりがあるので、幼稚園
にいれています。)

今年度中には義母と同じ町内のアパートに転居予定です。幼稚園に通うため義母の家を経由
して幼稚園にいく毎日ですが、長女は私と義母が二人いるときは金切り声を出したり、食事中
テーブルの上に立ち上がったり、豆腐を手で握りつぶしたりして、不安定です。私対長女、義
母対長女の時はそれなりに落ち着いているようで、長女がおかしな態度になるのはお互いの
せいだと心のなかで、責め合っている間柄です。

こんな状態で、義母の前でずうずうしくなる娘にどんどん嫌悪感がつのり、自ら作ってしまった
娘との距離を埋めることができないでいます。義母の前で娘をしかろうものなら、その場で(娘
の前で)ぐちぐちと言われることでストレスはたまる一方、アパートへかえると、自然に長女への
あたりはきつくなってしまいます。

小さな頃、「おなかいっぱい。これは食べられない。」もいえずに無理に食べさせられて食べ物
を吐いていた私。自分の受けた躾?が極端だとわかっていても、義母の娘に対する接し方は
とても受け入れられず義母と私との溝もふかまるばかり。どうしたらいいんだろう……。義母に
はっきりと自分の意志を伝えられない私。そのとばっちりを受けている長女かな……義母に対
して腹の虫が治まらない私……。

とうとう眠れなくなってメールしました。長々と書きましたが、それ以外にも義母とのことはいろ
いろあり、書ききれません。主人にも、いろいろと相談をしてきましたが、(嫌いな子を差別して
るのといっしょだ。おまえは教員失格だ。)などといわれ、教員としての自信もなく、本当に自分
が現場に復帰できるのかも不安です。

子供が生まれるまで、自分は子供好きだと思っていたのに。義父や義母にも(教員として)の
部分にまで、口を出され、不覚にも義母の前で声を上げて大泣きしたこともあります。少ない情
報ですが、先生、もし何かアドバイスできることがありましたら、お願い致します。先生の手が
空いたときで結構ですので……(本当にみっともない質問ですみません。)
(愛知県B市、HSより)

+++++++++++++++++++++

【HSさんへ、はやし浩司より】@

 以前、ある母親から、同じような相談を受けたとき、書いたのが、つぎの返事です。この相談
をしてくれた方は、子ども時代の不幸な家庭環境が、原因かと思われました。たいへん気負い
の強い方で、そのため、親子関係が、ギクシャクしてしまったようです。

++++++++++++++++++++++

Q 自分の子どもですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れました。

A 不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、どうして
も気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。
そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、自然
体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」としてみる。「仲
間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に近い関係になる。い
つまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何かわだかまりがあるとき。これをフロイト(オーストリアの
心理学者、一八五六〜一九三九)は、「偽の記憶(false memory)」といった。「ゆがめられた記
憶」と私は呼んでいるが、トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズではないが、しこりは
しこり。心のゆがみのようなもので、そのためどこかすなおになれないことをいう。そのゆがめ
られた記憶は、そのつど、あなたの心の中で「再生(recover)」され、あなたの子育てを、裏か
らあやつる。もしあなたが子育てをしていて、いつも同じ失敗を繰りかえすというのであれば、こ
のわだかまりをさぐってみたらよい。

 望まない結婚であったとか、予定していなかった出産であったとか。仕事や生活に大きな不
安があったときも、そうだ。あるいはあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなかったとか、
家庭が不安定であったとかいうこともある。この問題は、そういうわだかまりがあったということ
に気づくだけでも、そのあと多少時間はかかるが、解決する。まずいのは、そのわだかまりに
気がつかないまま、そのわだかまりに振りまわされること。そのわだかまりが、虐待の原因とな
ることもある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医学
総合研究所の調査によっても、そういう母親が、七%はいるという。しかもその大半が、子ども
を虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケースも
ある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そっくり。どうし
ても好きになれません」と。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。このタイプの親は、友として子どもの横を歩くことだけ
を考えて、あとはなりゆきに任せればよい。一〇年後、二〇年後には、あなたは必ず、すばら
しい親になっている。

++++++++++++++++++++++++

【HSさんへ、はやし浩司より】A 

 少し回りくどい言い方になると思いますが、同じようなテーマで書いたのが、つぎの原稿です。
親子のあり方を考えるのに、一つの参考になると思いますので、どうか目を通していただけま
せんか。

 大切なのは、「気負い」を捨てることです。「親だから……」「母親だから……」「教師だから…
…」という、気負いです。この気負いが強ければ強いほど、あなたも疲れますが、子どもや、ま
わりの人たちも疲れます。それについて書いた原稿です。

++++++++++++++++++++++++

オナラ論

●夫婦のオナラ
 何かの文士たちが集まる席で、一人の男が、いきなり、私にこう聞いた。「林君、君の奥さん
は、君の前でオナラをするかね?」と。

 私が「ハアー?」ととまどっていると、さらにまた、「するかね?」と。そこで私が、「……ええ、う
ちのワイフは、そういうことはしないです……」と答えると、まわりにいた男たちまでが、一斉
に、「そりゃあ、かわいそうだ、かわいそうだ。あんたの奥さんは、かわいそうだ。オナラをしな
いのかねエ?」と。つまり夫の前で、オナラをすることができない妻というのは、かわいそうだと
いうのだ。ナルホド!

 「オナラ」には、別の意味がある。つまりオナラは、いやなもの。とくに他人のオナラほど、い
やなものはない。そのいやなものを、受け入れることができるかどうかで、たがいの人間関係
を評価できる? そこでテスト。

あなたは、あなたの妻や夫のオナラを、受け入れることができるか。たとえば居間でいっしょに
テレビを見ていたとする。そのとき、あなたの夫か妻が、豪快に、プリプリと出したとする。結
構、臭いもキツイ。そういうときあなたは、それに対して、どのような反応を示すだろうか。ある
いは反対に、あなた自身は、妻や夫の前で、豪快に、プリプリと出すことができるだろうか。

 ……と、書いて、実は、オナラは、ひとつの象徴にすぎない。オナラの問題をつきつめていく
と、ここにも書いたように、そこに夫婦の人間関係が浮かびあがってくる。夫や妻のオナラと同
じように、あなたは夫や妻の、(いやな面)を、受け入れることができるかということ。夫婦といっ
ても、もともとは他人。恋愛時代はともかくも、それをすぎると、一対一の人間関係が基本にな
る。そのとき相手の(いやな面)を、どこまで受け入れることができるか。それで、夫なり、妻の
愛情の深さが決まる。

 ある夫は、妻との口論が絶えなかった。原因は、いつもささいなことだった。夫が何かを言う
と、即座に妻が、あれこれ言いわけをした。それが夫にはがまんできなかった。

夫「手紙を出しておいてくれたか?」
妻「雨が降ったから……」
夫「だから、出してくれたのか?」
妻「雨が降ったからと言ったでしょ」
夫「出してないのか?」
妻「行こうと思ったけど、行けなかった。しかたないでしょ!」と。

 一言、「ごめんなさい」と言えばそれですむのだが、その妻は、どこか根性がひねくれていた。
生い立ちが貧しかったこともある。

 こういうケースでも、夫が妻をどこまで受け入れるかで、その愛情の深さが決まる。「そういう
女だ」と思うことで、納得し、あきらめるか、それとも、「何だ! その言い方は!」ということで、
けんかになるか。その違いはどこにあるかと言えば、結局は、オナラの問題ということになる。
この夫婦のばあいは、夫は、妻のオナラを受け入れていなかった。夫はこう言った。「女房は、
何かにつけてすぐ私に反抗する。心の奥底では、私を憎んでいるせいかもしれない。どちらか
とういうと、女房にとっては、不本意な結婚だったから」と。

●親子のオナラ
 親子のオナラ論を話す前に、前に書いた原稿を転載する。

+++++++++++++++++++++

 親だから……というふうに、ものごとは決めてかかってはいけない。「親だから子どもを愛す
る心があるはず」とか。先日も朝のワイドショーを見ていたら、キャスターの一人がそう言ってい
た。

しかし実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟は愛
することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにいるだけで、わ
ずらわしくてしかたない」とかなど。私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母
親は、約一〇%(私の母親教室で約二〇〇人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査で
も、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、七%もいることがわかっている。そして
「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五〇〇
人・二〇〇〇年)そうだ。

妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしている
という。(妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、
「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞ
れについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段
階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のう
ちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であったという。)

 だからといって、子どもの虐待が肯定されるわけではない。しかしこの虐待の問題は、もう少
し根が深いのではないか。その一つのヒントとして、今の母親たちの世代というのは、日本が
高度成長をやり遂げた時期に乳幼児期を過ごしている。そしてそのうちの大半が、かなり早い
時期から親の手を離れ、保育園や保育所へ預けられた経験をもっている。つまり生まれなが
らにして、本来あるべき親の愛情が希薄な状態で育てられている。もちろんそれだけが理由と
は言えないが、子育てというのは本能でできるようになるわけではない。親の温かい愛情に包
まれて育ってはじめて、親になったとき、自分も子どもを温かい愛情で包むことができる。

このことを考え合わせると、子どもを虐待する親というのは、そもそもそういう温かい愛情を知
らない親と考えてよい。そしてその理由として、日本が戦後経験した、いびつな社会構造にある
のではないかと考えられる。私たち日本人は、仕事第一主義のもと、「家庭」や「家族」をあまり
にもないがしろにし過ぎた。つまり今にみる子どもへの虐待は、あくまでもその結果でしかない
ということになる。

 子どもを虐待する親もまた、自分ではどうしてよいかわからず苦しんでいる。世間一般は、子
どもを虐待する親を、ただ一方的に責める傾向があるが、その親たちもまた現在の社会が生
み出した犠牲者と考えてよい。虐待に対する一つの見方としてこの原稿をとらえてほしい。

+++++++++++++++++++

 この原稿をここに掲載した意図は、もうおわかりかと思う。「親子だから……」という理由だけ
で、人間関係を決めてかかってはいけない。ほとんどの親は、自分の子どものウンチやオシッ
コを汚いとは思わない。ある父親は、子どもがウンチをしたとき、それを思わず、手で受け止め
たという。また別の父親は、体中、子どものウンチにまみれてしまったという。いっしょに子ども
と、風呂へ入れているときのことだった。しかし、中には、子どものウンチやオシッコを、汚いと
思っている親もいるということ。

●そこであなたのこと
 そこであなたのこと。夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、あなたはあなた。全幅の愛情が
あれば、それに越したことはないが、しかし、それがないからといって、無理をしてはいけない。
「臭かったら臭い」と言えばよい。「いやだったら、いやだ」と言えばよい。万事、自然体でいけ
ばよい。

 問題は、そういうあなたにあるのではなく、そういうあなたに気づかないまま、それに振りまわ
されること。そしていつも、同じ、失敗を繰りかえすこと。何かの「わだかまり」や、「こだわり」が
あれば、なおさらで、こうしたわだかまりや、こだわりは、あなたの心を裏からあやつる。これ
が、こわい。

たとえば「夫のオナラは、どうしてもいやだ」「夫が鼻クソをほじっているのを見ると、ぞっとす
る」「夫が使ったタオルは、どうしても使えない」「夫の下着と自分の下着を、いっしょに洗濯をす
ることができない」「夫の寝息が、うるさくて眠られない」というのであれば、何か、大きなわだか
まりや、こだわりが、あなたの中にないかをさぐってみる。そういうわだかまりや、こだわりが、
あなたの夫婦関係を、ギクシャクしたものに、しているはずである。

 親子の同じ。「親だから子どもを愛しなければならない」と、気負うことはない。もちろん全幅
に愛していれば、それに越したことはない。しかしこれも、無理をしてはいけない。無理をする
必要も、ない。万事、自然体でいけばよい。

 ……と書くと、絶望的に感ずる人もいるかもしれない。「自然体で考えたら、離婚になってしま
う」とか、「親子がバラバラになってしまう」と。しかしそうではない。もうひとつ、大きな「救い」が
ある。それは、「人間関係」という救いである。一対一の人間関係という救いである。今、あなた
がどういう状態であるにせよ、その状態から、今度は、一対一の人間関係を発展させることが
できる。「夫婦」とか、「親子」とかいうワクで考えるのではなく、「対等の人間」として考える。わ
かりやすくいえば、近くにいて、親しい「友」と考えることができる。

 そういうふうに考えて成功している夫婦や親子は、いくらでもいる。別々の場所に住んでい
て、別々の仕事をしながら、仲のよい夫婦は、多い。若いのに、ほとんどセックスをしなくても、
仲のよい夫婦は、これまた多い。生活時間が違い、寝室も別々という夫婦となると、さらに多
い。夫婦に形はない。どんな形であれ、たがいにそれに納得し、たがいがそれでハッピーなら、
それでよい。

 親子も、また同じ。子どもをこの世に引き出した以上、それなりの責任はとらねばならない。
それは親として、当然のこと。しかしそこから先には、「形」はない。もともと日本人は、形が好
きな民族だから、何かにつけて、形の中でものを考えようとする。しかし形に押しこめようとす
ればするほど、あなたも苦しむが、子どもも苦しむ。が、この時点で、子どもを「友」として、受け
入れてしまえば、ものの考え方が逆転する。いや、逆転しないまでも、あなたの気分は、はるか
に楽になるはず。

●ワイフのこと
 家に帰ってから、しばらくしたある日のこと。私は、おそるおそる、ワイフにこう言った。「あの
な、おまえは、あまりぼくの前でオナラをしないけど、したかったら、すればいいよ」と。

 私のワイフは、そういう点では、あまり融通のきかない女性。まじめというより、カタブツ人間。
私がそう言うと、「何を言いだすの!」というような顔をして、驚いた。で、私は、先の文士たち
の集まる会での話をした。「みんなが、お前のことを、かわいそうだと言ったからね」と。

 かく言う、私は、ワイフの前でも、平気でオナラを出す。鼻クソだってほじるし、言いたいことも
平気で言う。遠慮したり、隠したりすることは、ほとんど、ない。しかしワイフは、どこか私の前で
は、いつも遠慮している? そういう意味では、心を隠している? ひょっとしたら、別に愛人が
いて……? (多分、それはないと思うが……。しかし昔からこう言う。『知らぬは亭主ばかりな
い』(江戸川柳)と。)

 で、この会話はこれで終わったが、それから数日後のこと。私の言ったことが、やはりワイフ
も気になっていたらしい。何かのついでに、ワイフが、ふとこうもらした。

 「私ね、あのあと、いろいろ考えてみたけど、やっぱり、私は、あなたの前ではオナラはできな
いわ。それはあなたとの関係がどうのこうのとか、夫婦だからどうのこうのということではなく、
女のたしなみのようなものではないかと思うの……」と。どこか説得力があるようで、ないような
弁解だったが、私はあまり深く考えず、「そういう考え方もあるのかなあ」と、そのときはそれで
終わってしまった。

 ワイフがそう考えるなら、それはそれでよいのではないか。ついでだが、そのあと、私の教室
の生徒たちに、こう聞いてみた。「みんなのお母さんは、君たちの前で、オナラをするか?」と。
すると、全員、「するする、臭い、臭い」と答えた。幼児クラスの生徒も、小学生クラスの生徒
も、全員、そう答えた。答えたので、私も自信をもって、こう言った。「君たちのお母さんは、いい
お母さんだなあ」と。しかしこれは余談。
(02−12−19)

●「羞恥心は塩のやうなものである。それは微妙な問題に味をつけ、情趣をひとしほに深くす
る」(萩原朔太郎「虚妄の正義」)

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【HSさんへ、はやし浩司より】B 

 HSさんのケースでは、こうした「親意識」の問題に加えて、「嫁、姑」の問題が、からんでいま
す。メールを読んで、一番ドキッとした部分は、つぎのところです。

「義父と義母に対する恨みの念はふくらむ一方。長女と縁を切りたい気持ちで、いよいよ、離
婚かというときになり……」と。

 で、その原因は、どこにあるかということですが、私は、あなたの「嫁、姑」問題は、ただの転
移ではないかと思います。もうご存知かと思いますが、「転移」というのは、だれかに何かの感
情をもっている人が、同じような状況下で、同じような状況の人に対して、同じような感情をもつ
ことを言います。よく『坊主、憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い』と言いますね。あれです。

 つまりあなたは、「舅(しゅうと)、姑」を嫌っているのではなく、あなた自身の両親への憎悪
を、「舅、姑」に転移しているのではないかということです。そのヒントとなった言葉が、つぎの言
葉です。

 「小さな頃、『おなかいっぱい。これは食べられない。』もいえずに、無理に食べさせられて、
食べ物を吐いていた私。自分の受けた躾?が極端だとわかっていても、義母の娘に対する接
し方はとても受け入れられず義母と私との溝もふかまるばかり」と。

 わかりやすく言うと、あなた自身の親に対する憎悪というか、嫌悪というか、はたまた反発心
というか、そういうものが、今の義理の両親に対する、憎悪の原点になっているのではないかと
いうことです。

 (子ども時代の、きびしい、しつけ)→(両親への反発)→(子育てに干渉してくる義理の両親)
→(無意識下における反発)→(義理の両親への憎悪)と。

 そしてそれが、さらに、つぎのような心理状態となって、あなたの親子関係をゆがめている。
ここで働くのが、「投影」という心理状態です。

 あなたは両親のきびしいしつけを、受けた。「無理に食べさせられ、それを吐いた」というの
は、恐らく象徴的なできごとだったのだろうと思います。つまりあなたは、(あなた自身)と、(両
親の前では、いい子でいよう)という、二人の自分をもつようになったのです。いわゆる仮面、も
しくは、(人格の)遊離という現象です。

 つまりあなたの中には、(あなた自身)である部分と、(両親の目を通して見た、いやな自分)
という二つの部分が、あるように思います。これは無意識下の心理状態なので、多分、あなた
にはその自覚はないと思います。しかしここに書いたことをヒントに、あなたの心をほんの少し
だけ冷静に見てくだされば、すぐわかるはずです。

 簡単に言えば、あなたは、あなたの長女の中に、あなたが子ども時代の、(両親の目を通し
て見た、いやな自分)を、投影させているということです。もっと簡単に言えば、あなたが長女を
好きになれないのは、あなた自身のいやな部分を、長女の中に再現しているからです。

 ……こう決めてかかるのは、危険なことですが、こうしたケースは、類型化できるほど、たい
へん多く、また珍しくないからです。

 話を先に進める前に、転移について書いた原稿を、添付しておきます。

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転移

 以前、こんなことがあった。

 そのとき私は、ある男と、かなりはげしく対立していた。ワイフも巻き込んだ、大騒動になって
いた。そのときのこと。その男はブルーの大型車に乗っていたのだが、街を歩いていて、ブル
ーの大型車を見かけるたびに、ぞっとしたのを覚えている。もちろんブルーの大型車など、いく
らでも走っている。その男の車ではないとわかっていても、どういうわけか、ぞっとした。

 こういうのを心理学では、「転移」と呼ぶ。一つの感情が、まったく別のときと場所で、本人の
意思とは関係なく、同じような条件が重なったとき、再現されることをいう。ただし再現といって
も、本人には、その意識は、ほとんどない。もう少し深刻な問題では、こんなことがある。

 ある男性(四五歳)は、どういうわけだか、結婚できなかった。まわりの人がいくらすすめて
も、結婚できなかった。縁談の話まではいくつかあったが、いつもその直前で、破談になってし
まった。同性愛者ではなかったが、しかし女性に対して、原罪的な恐怖感をもっていた。その男
性は、こう言った。「性欲はふつうにあるのですが、どうしても女性を抱くことができない」と。

 彼が結婚に踏みきれなかった原因は、実は母親にあった。母親は、当時としては珍しい女性
議員で、市議会でも先頭に立って、はげしい政治活動をしていた。恐らくその男性は、そういう
母親をみて、自分の中にゆがんだ女性像をつくってしまったに違いない。その男性は、こうも言
った。「ぼくには、ロリコン趣味があります。おかしいでしょう」と。女性恐怖症の男性が、ロリコ
ンになりやすいことは、心理学的にも証明されている。

 しかしこうした現象も、「転移」という言葉で説明できる。その男性は、女性をまじかにしたと
き、その女性の中に、子どものころのきびしい母親を思い出していたのかもしれない。あるい
はもっとほかに、乳幼児のある時期に、具体的な何かがあったのかもしれない。女性への恐
怖心だけではなく、憎しみや、嫌悪感など。「女性の太い腕を見るとぞっとする一方、女性の大
きい尻で、思いっきり顔をおさけつけてもらうと、気持ちがいい」とも言った。感じ方が、かなりマ
ゾ的であった。

+++++++++++++++++++++++

【HSさんへ、はやし浩司より】C

 こうした問題は、表面的な現象に振りまわされてはいけません。また表面的な現象だけに振
りまわされていると、問題が解決しないばかりか、かえってこじれてしまいます。心理学の世界
には、精神分析という方法をとりますが、その目的は、結局は、心理状態の解剖にあります。
おかしな話ですが、人間の心理は複雑である反面、その実体がわかると、いろいろな問題が、
そのまま解決してしまいます。

 なぜあなたは、長女を嫌うか。
 なぜあなたは、姑の干渉を、嫌うか。

 この二つの問題は、一見、別々の問題に見えるかもしれませんが、その「根(ルーツ)」は、あ
なた自身の子ども時代にまで、もどります。そしてそれがわかれば、この二つの問題は、その
まま、そのあと、多少、時間はかかりますが、そのまま氷解します。

 肩の力を抜いて、あなたの嫌いな、実の両親を、もっとすなおに、憎みなさい。ひょっとした
ら、今でもあなたは、実の両親の前でいい子を演じているのかもしれませんね。それともあなた
は、実の両親の前で、心や体を休めることができますか。

 いいですか、憎んで、憎んで、憎みまくるのです。「私の子ども時代を返せ!」とです。「無理
に、食いたくもない食事をくれやがって。おかげで私は、吐いたじゃないか!」とです。

 あなたは実に、今、中途半端な立場にいます。仮面をかぶった自分と、本物の自分との間
を、行ったり来たりしている。私にはそんな感じがします。そこであなたは、今、あなたの両親を
憎みます。とことん憎みます。そうするとですね、これまた不思議な心理が働くようになります。
憎しみが、やがていつくしみに変わるのです。「何だ、親なんて、こんなものだったのか」とで
す。

 率直に告白しますが、私も、父親を、うらみました。心底うらみました。父親が死んだとき、一
滴の涙も出ませんでした。それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞掲載済み)です。
お笑いください。

++++++++++++++++++++++++

●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から
帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を
飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。

「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。すると三男は、「どうして?」と聞
いた。理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私
は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身
の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよい
のだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。

商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストア
よりも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけてい
た。「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこ
ともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。
叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったの
だろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

+++++++++++++++++++++++

【HSさんへ、はやし浩司より】D

 では、具体的に、どうしたらよいかということについて、私の考えを話させていただきます。

 こうしたケースで一番、重要なカギを握るのは、あなたの夫です。幸い教職についておられる
ということですから、理解は早いと思います。まずあなたは自分の子ども時代のあなたを、あら
いざらい話してみることだと思います。恥ずかしいとか、そういうふうには考えず、そのころの
(両親の目を通して見た、いやな自分)を、話してみることです。

 こうした徹底した自己開示を、カタルシスと言いますが、カタルシスには、「カタルシス効果」が
あることは、よく知られています。心がずっと、軽くなるということです。あなたの夫にしても、夫
の両親の悪口は聞きたくないかもしれませんが、あなたの両親の悪口なら、聞いてくれると思
います。

 そしてつぎに(あなたの両親の目を通して見た、いやな部分)を、あなた自身で、一度、再確
認してみます。(あなたの中に、あなたの両親から見たあなたがいるはずです。いわばあなた
にとっては、虚像ということになります。)

 一般論ですが、こうした仮面をかぶる子どもというのは、いつも二つの視点をもっています。
一つは、自分で自分を見る視点。これを視点(A)とします。もうひとつは、他人の目を通して自
分を見る視点。これを視点(B)とします。

 たとえば小学一年生の子どもに、「お母さんが台所で料理をしています。あなたはどうします
か?」と聞いたとします。仮面をかぶった子どもは、そういうことを家ではまったくしたこともない
にもかかわらず、「手伝います」と、シャーシャーと言う。それは、その子どもは、(教師の目を
通した自分)、つまり視点(B)で、自分を見ているからです。「そういうことを言えば、先生は喜
ぶだろう」「自分は、いい子と思われるだろう」と、です。

 こういう状態がさらに進行すると、(A)の自分と、(B)の自分の分離が始まり、さらには二重
性格、さらにはそれにはげしいショックが加わると、二重人格へと進みます。(こわいですね!)
(その前に、表情と心が遊離する、遊離現象が現れることもあります。教える側からみると、
「何を考えているか、わからない」タイプの子ども、ということになります。)

 そこで話は、ぐんと現実的になりますが、「離婚」を考えられたというくらいですから、少なくと
もこの先、しばらくは、あなたと義理の両親との関係は、修復不可能だろうと思います。で、こう
いうときの鉄則は、ただ一つ。修復しようとか、仲よくしようなどとは、思わないこと。相手の義
理の両親も、あなたのことを、ひどく嫌っているはずです。これを「好意の返報性」と言います。
相手の義理の両親も、あなたとうまくやっていくことは、不可能と考えているかもしれません。

 だったら、あとは「時間」と、「距離」に任せます。わかりやすく言えば、離れて暮らし、時の流
れを待つということです。時間と距離には、そういう不思議な作用があります。

 義理の両親が、長女のめんどうをみるというのであれば、任せたらいいのです。『幸福な家族
は、みな同じだが、不幸な家族(決してHSさんが不幸と言っているのではありませんよ。誤解
のないように!)は、どれも違う』と言ったのは、あのトルストイ※です。

(※……「すべての幸福な家庭は、たがいによく似ているが、不幸な家庭は、それもが、それぞ
れの流儀で、不幸である」(トルストイ「アンナ・カレーニア」))

 つまり「家族」には、「形」はないということです。むしろ今のように、あなた自身が、長女への
憎しみと愛に揺れていると、あなた自身が、精神的に追いつめられてしまうでしょう。こうした問
題があると、かなり精神的にタフな人でも、精神を病んでしまいます。)それにこのままでは、長
女そのものにも、心のキズを残しかねないことになります。

 さらに現実的に考えるなら、義理の両親が、子どものめんどうをみてくれるというのなら、あな
たの職業にもプラスになるはずです。「教職者として失格」などと、おおげさに考える必要はあり
ません。むしろあなたのように、こうした問題を経験した教職者ほど、すばらしい先生になるの
も、事実です。あとは自分の経験を、ほかの親や子どもたちに生かせばよいのです。必ず、あ
なたはすばらしい先生になりますよ! 

 「お父様、お母様、あなたのおかげで、私は安心して、仕事ができます。ありがとうございま
す」「娘も、お父さん、お母さんのおかげでも、スクスクと育っています」くらいのウソを言いなさ
い。どうせ本気で相手にしなければならないような人たちではないのですから……。(親である
という幻想を捨て、そこらのおじさん、おばさん程度に見ればよいです。実際、そんな程度です
から……。)そしてあなたはあなたで、母ではなく、親ではなく、妻ではなく、女ではなく、一人の
人間として、やるべきことをすればよいのです。

 敷地内同居については、途中同居(子どもが生まれてからの同居)は、いろいろな調査結果
をみても、たいへんむずかしのが現状です。とくにHSさんのように、一度こじれてしまったばあ
いには、うまくいかないものと考えてください。あなた自身が、帰宅拒否になってしまうかもしれ
ませんよ。その可能性は、大です。

 それに敷地内同居を求めるというのは、義理の両親が、あなたの夫との間で、じゅうぶんに
子離れできていないか、あるいは依存心の強い人たちとみます。だからよけいにうまくいくはず
もないと思います。(あなたの夫も、ひょっとしたら、親離れできていない可能性もあります。親
を、必要以上に美化したりしませんか? もしそうなら、反対に、あなたがその世界から、はじ
き飛ばされてしまう可能性があります。義理の両親が、あなたの夫を説得して、あなたを追い
出してしまうとか……。ご注意!)

 全体としてみれば、嫁、姑問題について言えば、デメリットよりも、メリットも多いはず。そのメ
リットを前向きに利用していくことで、解決します。あなたのばあい、あなたの天職は、教職で
す。せっかくそういうすばらしい世界があるのですから、それを大切に、その世界に向って、勇
気を出して、思いっきりアクセルを踏めばよいのです。「心を解き放て! 体はあとからついてく
る!」です。

●最後に……

 親子というのは、不思議ですね。親は、自分の子どもを育てながら、自分の過去のみなら
ず、わだかまりや、しがらみを、そのまま再現する形で、繰りかえすのですね。そしてそれを繰
りかえしながら、親自身は、それを意識していない。無意識の世界の自分に操られながら、操
られているという意識すら、ないのです。今のHSさん、あなたも、その一人かもしれませんね。

 しかしね、子ども時代、何一つ不自由なく、親の豊かな愛に恵まれて育った人など、いないの
です。みな、多かれ少なかれ、いろいろな問題をかかえています。そしてその問題を引きずっ
て生きています。親子というのは、そういうものです。

 この私の返事が、あなたの「今、抱える問題」を解決するというよりは、あなた自身を、よりよ
く知るための手がかりになればと思っています。そしてその結果として、「今、抱える問題」の解
決につながればと願っています。

 最後に、あなたの長女に対してですが、親であるという気負いは捨てなさい。またその亡霊か
ら、離れなさい。あとは、あなたの長女の「友」として、いっしょに横を歩くことだけを考えなさい。
親ではなく、友です。気は合わないかもしれないが、まあ、何となくいっしょにやっていく、そんな
友です。テニスクラブで、いつも、いっしょにプレーする、友です。そういう関係でいいのです。あ
とは、時間が解決してくれます。約束します。

 では、また何かあれば、メールをください。講演会に来てくださったことを、感謝しています。
大井川以東では、いつも会場はガラガラです。また何かの機会のときは、よろしくお願いしま
す。(私はガラガラのほうが、気が楽なのですが……。これは本音です。)

 文の推敲をしないまま、返信することをお許しください。誤字脱字が随所にあるものと思われ
ます。今日は日曜日ですね。すばらしい日曜日にしましょう!
(030727)








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】

●不登校の問題

●相談より……

こんにちは。先月に小4の長男の事で相談にのっていただいた者です。

あれから一か月ほどたち、その間私達も先生のアドバイスを参考に、食事の面から色々と気
にしてやってきたつもりです。(完璧ではないですが。)

夏休みに入り、当初は、一日中、嫉妬の原因である弟と顔を合わせて大丈夫か?と、心配して
いましたが、こちらの気持ちが少しは伝わったのか、みんなが休んでいる夏休みなので負い目
がないからか、急にキレる回数がへりました。

発作(?)が始まりそうな時も、なんとか自分で気持ちを切り替えたり、こちらがなだめれば収ま
るようになりました。

それでもやはり、弟にしつこくして怒らせたり、弟のほうが手を出すのを誘導するように馬鹿に
したりします。

以前でしたらここで、長男を怒鳴り散らしているところですがそれもできず、下の子をなだめて
なんとかやり過ごしています。

でも、最近やはり弟もそれでは納得いかない様子で、弟のほうも、裸足で外へ出て、黄色い声
を発したり、その辺を蹴飛ばしたり、兄がキレた時にする事を、まねするようになってしまいまし
た。

下の子に「お兄ちゃんは、今、心の病気だから」と、話しはしていますが、明らかに兄の方が悪
い時は、どう対処したらよいのでしょうか?

あと、HPの「学校恐怖症(不登校児)」を拝見すると、ウチの子は第三期といったところなので
しょうか?

また、お返事いただけたら幸いです。
(秋田県・KHより)

+++++++++++++++++++++++

●はやし浩司より

 弟へのはげしい嫉妬が、弟への憎しみに変わることはよくある。原始的な感情であるだけ
に、扱い方をまちがえると、人間性そのものにまで影響を与える。赤ちゃんがえりなどの症状
は、よく知られている。

 この相談の母親は、最初、兄の情緒不安について相談をしてきた。こういうケースでは、兄
は、日常的に緊張状態にあるとみる。その緊張状態のところに、不安や心配が入りこむと、そ
の不安や心配を解消しようと、情緒は、一挙に不安定になる。

 この相談を読んで、最初に気になったのは、「あれから一か月ほど……」という部分。こうした
心に関する問題は、一か月やそこらで、どうかなるものではない。最低でも半年、一年単位で
様子をみる。

 コツは、「今の状態をより悪くしないことだけを考え、そのときどきの変化には、一喜一憂しな
い」ということ。いつも「半年前とくらべてどうだ?」「一年前とくらべてどうだ?」という視点で、子
どもの症状を観察する。

 そういう意味では、根気のいる作業である。つまり子どもの心の問題は、子どもの問題という
より、親の問題。しかも根気の問題ということになる。ふつう親がジタバタすればするほど、子
どもの症状は、悪化する。

 その上で、兄の嫉妬についてだが、この種の嫉妬は、弟がいるかぎりつづく。一生つづくこと
も、珍しくない。以前、一人の恋人を取りあって、姉(二八歳)と、妹(二四歳)が、血みどろの戦
いを繰りかえした事件があった。たがいに殺しあう寸前までのことをした。嫉妬というのは、そう
いうもの。安易に考えてはいけない。

 相談のケースでは、兄が一人だけのときは、兄に、目いっぱいの愛情を注いだ。しかし弟が
生まれると、今度は、弟に、目いっぱいの愛情を注いだ。が、兄に赤ちゃんがえりの症状が出
ると、今度は、兄のほうに多くの愛情を注ぐようになった。そこで今度は、弟のほうの情緒が不
安定になってしまった。

 下の子に、「お兄ちゃんは、今、心の病気だから」と話しても、ムダなことは言うまでもない。ま
た話す必要は、ない。幼児で、「心の病気」が理解できる子どもは、いない。要は、いかにじょう
ずに、愛情を兄弟に振りわけるかということ。まさに親としての、腕の見せどころということにな
る。

+++++++++++++++++++++

【KHさんへ】

 どうか短気を起こさないように。この問題は、一か月程度では、解決しません。大切なこと
は、ここに私が書いたことを参考に、それを信じて、今、すべきことをするということです。そし
てそのつど現れる、ささいな症状には、一喜一憂してはいけません。

 弟さんについては、よくわからないところがありますので、何ともアドバイスできませんが、今
は、とにかくお兄さんのほうの問題を解決するように心がけてみてください。この問題は、ふつ
うお兄さんのほうが落ちついてくれば、それに合わせて、弟さんのほうも、落ちついてくるはず
です。

 学校恐怖症については、私は、そう診断した覚えはないのですが……。あくまでも参考にして
ください。で、そのこともあって、「第二期」「第三期」という判断は、私には、できかねます。どう
かお許しください。

 また「兄が悪いとき……」については、あまり神経質に、うるさく言わないのがコツです。文面
から察するに、何かと、過干渉もしくは、過関心ぎみではないかと思われます。もちろん目にあ
まるときは、叱らねばなりませんが、「言うべきことは言いながらも、あとは時間を待つ」という
姿勢を、大切にしてください。全体としてみると、母と長男、母と二男、それに長男と二男の関
係が、どこかチグハグのような感じがします。その中心にいる、あなたという母親は、もっとどっ
しりとしてください。

 たとえば兄がキレる、弟がキレるのも、多分にかんしゃく発作ではないかと疑われます。もし
そうであるなら、家庭教育の失敗を、まず反省します。(これは私の意見ではなく、幼児教育の
常識です。幼児教育辞典にも、「かんしゃく発作は、家庭教育の失敗が原因」と、書いてありま
すので……。)

 子どもを「未熟な人間」としてみるのではなく、「一人の人格をもった人間」としてみてください。
そしてどこかで頭ごなしの命令や、威圧、説教などがあれば、それを改めます。コツは、友とし
て、横に立つようにすることです。

 たいへんきびしいことを書きましたが、あくまでも参考意見として、この返事を考えてください。
そんなわけで、もう少し、様子をみてください。「キレる回数が減った」ということであれば、大成
果です。それを信じて、前向きに対処してください。

 なおいただいたメールは、記録用に、小生のHPおよびマガジンに収録しますが、どうかよろ
しくご了承ください。お願いします。暑くなってきましたが、どうかお体を大切になさってください。
今日は、これで失礼します。
(030731)










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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育
てQ&A 実践から生まれたの育児診断 子育てエッセイ 育児診断 ママ診断 はやし浩司の総合情報 はやし浩司 知能テスト 生活力
テスト 子どもの能力テスト 子どもの巣立ち はやし浩司 子育て診断 子育て情報 育児相談 子育て実践論 最前線の子育て論 子
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登校拒否 学校恐怖症 はやし浩司 子育て実例集 子育て定期検診 子どもの学習指導 はやし浩司 子供の学習 学習指導 子供の
学習指導 はやし浩司 子どもの生活指導 子供の生活 子どもの心を育てる 子供の心を考える 発語障害 浜松中日文化センター 
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てアドバイス 子育て情報 育児情報 育児調査 はやし浩司 子育ての悩み 育児問題 育児相談 はやし浩司 子育て調査 子育て疲
労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでく
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ェックシート はやし浩司 はやしひろし 林ひろし 林浩司 静岡県浜松市 岐阜県美濃市 美濃 経済委員会給費留学生 金沢大学法
文学部法学科 三井物産社員 ニット部輸出課 大阪支店 教育評論家 幼児教育家 はやし浩司 子育てアドバイザー・育児相談 混
迷の時代の子育て論 Melbourne Australia International House/international house/Hiroshi Hayashi/1970/ はやし浩司 ママ診断 
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意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
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