Q&A6
 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ   HP ガイド 


 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【1】

●幼稚園vs保育園

はやし浩司先生へ

●保育園VS幼稚園

娘のKは、生後六か月の頃から保育園に通っています。

今から考えれば笑い話なのですが、初めての育児でどうしたらよいかわからず
一人で悩んでどうにかなりそうだったので、六か月で育児休暇を切り上げ、
保育園に入れ、仕事に復帰したのです。

保育園の先生方は、私の悩みを聞いてくれたり、色々なアドバイスをしてくれました。

娘のKは、人見知りしない子だったので(今もですが)どの先生にでも抱っこされて、
大変かわいがってもらいました。(今もです)。

娘のKも、異年齢のお友達と遊びながら、時にはお姉ちゃん、時には妹となり、楽しく遊んでい
ます。保育園に入れて良かったと感じています。

ところが、最近、一部のお母さん方に「Kちゃんは、どこの幼稚園に行くの?」と聞かれるので
す。

小学校まで今の保育園のままだと答えると、「えー!」と驚かれます。

「SSの幼稚園はひらがなを教える」とか「AA幼稚園は算数を教える」と言うのです。

更に「保育園出身では授業中じっと座っていられない」と・・・。
私達(夫婦)は、今の保育園で十分満足していますし、ひらがなや簡単な算数なら
普段の生活の中で少しずつ覚えていくと考えています。
(実際、ひらがなは自然と覚えていきましたし、数字にも興味津々です。)

幼稚園出身児に比べ、保育園出身児は授業中じっと座っていられないのでしょうか?
小学校でじっと座っていられるように、今から訓練(?)させるなんて、おかしいような気がする
のですが・・・。
それとも私達がおかしい・・・?

先生のお時間がある時にご意見を聞かせて頂ければ嬉しいです。
長々とすみませんでした。
(佐賀県U市、TEより)

+++++++++++++++

はやし浩司より、TEさんへ、

 保育園児だからとか、幼稚園児だからという区別は、まったくナンセンスです。最近では、教
育カリキュラムにしても、保育園の幼稚園化が進み、区別できなくなっているのが、現状です。
保育園は旧厚生省管轄、幼稚園は旧文部省管轄という点だけをのぞけば、外から見たところ
では、区別できません。保育園と幼稚園の一本化が叫ばれる理由は、こんなところにもありま
す。(保育時間などの違いは、ありますが……。)

 さらに保育園児だから、じっと座っていることができないとか、幼稚園児だから、座っているこ
とができるとか、そういう区別も、ナンセンスです。問題の「根」は、もっと別のところにありま
す。まったく関係ないと断言できます。

 で、先取り教育と幼児教育、さらに早期教育は区別して考えます。小学校で勉強することを、
先に教えるのが、先取り教育。今、私の住む地方でも、掛け算の九九を教えている幼稚園が
あります。典型的な先取り教育です。
 
 幼児教育は、幼児期にしておくべきことを教える教育です。それについては、私の専門です
から、またマガジンを参考にしてください。

 で、早期教育ですが、これには、いろいろな意味が含まれます。(こういうふうに、区別して考
えるのは、正しくないかもしれませんが……。)たとえば音感やある種のスポーツなどは、かな
り早い時期から訓練を開始したほうがよいと言われています。たとえばピアノ演奏の練習など
は、満一〇歳を過ぎてから始めても、遅いと言われています。だから早い時期から、教育を始
める……。これが早期教育です。

 文字、数の学習については、私のサイトのあちこちに書いていますので、どうか参考にしてく
ださい。大切なのは、この時期、できる、できないではなく、前向きな姿勢が育っているかどう
か、です。文字や数を見たとき、逃げ腰になっているようであれば、失敗ということです。そのた
めにも、この時期は、「楽しい」ということだけを教え、あとは子ども自身がもつ力に任せます。
これが幼児教育です。

 あまりよい回答になっていないかもしれませんが、私は、TEさんの今のやり方で、よいと思い
ます。もちろんすぐれた教育を実践している幼稚園も多いので、一度、見学などをなさってみら
れたらいかがでしょうか。あくまでも「先生」「園」「園長」を見て、判断なさることだと思います。
園の選び方などは、たまたま一月七日号のマガジンに、簡単に書いておきました。どうか、参
考にしてください。

 なおいただきましたメールを、マガジンに転載しますが、よろしくご了解ください。ご都合の悪
い部分があれば、改めます。

                                はやし浩司
(03−1−15)※







 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【2】

●子どものやる気

 最近の研究では、やる気(動機づけ)をコントロールするのは、脳の辺縁系にある、帯状回と
いう組織が関係しているらしいということがわかってきた(伊東正男氏による「思考システム」)。
脳のこの部分が変調すると、子どもに限らず、人は、やる気をなくし、無気力になるという。もっ
とも、そうなるのは重症(?)のケース。しかし重症のケースを念頭におきながら、子どもの心を
みるのは、大切なことである。

 こんな相談があった。

●栃木県のYUさんより

私は、小六の男子と小一の男子をもつ母です。小六の子どもの事で悩んでいます。

 低学年の頃から勉強やスポーツが嫌いで、テレビゲームと絵を描く以外には、興味がなく、そ
れ以外の事をさせようとしても、やる気を出してくれません。勉強の成績も悪く家で教えていて
も、塾や家庭教師を頼んでみても、とにかく嫌々なので、本人の苦痛になっているだけのようで
す。何も言わないで好きなようにさせていると、全く勉強もしないし、ゲームや絵を描いたりして
いて、外へ出て友達と遊ぶ事すらしないで家の中でゴロゴロしています。

 学校では、友達と仲良く遊んだりできているし、性格も温和で、明るいのですが、のんびりし
すぎてて、マイペースなので協調性に欠けるところが、あります。

 幼児の時から、軽い発語障害があり、難聴の検査をしたりして心配していたのですが、異常
もありませんでした。しかし、いまだに、言葉の使い方がおかしくてその都度注意しても、なおり
ません。知能的に問題があるのか、精神的なところで問題があるのかわからず、悩んでいま
す。
 
 もし、通塾しながら教育方法や学習方法について、ご相談できるところがあれば教えて頂き
たいのですが、よろしくお願いいたします。
(栃木県U市、YUより)

●二番底に注意                               
 このYUさんのケースで注意しなければならないのは、たいていの親は、「今が最悪」、つまり
「底」と思う。しかしその底の下には、もうひとつ別の底がある。これを二番底という。が、それ
で終わるわけではない。さらにその下には、三番底がある。

 相談のケースで、親が「何とかしよう」「なおそう」と思えば思うほど、子どもは、つぎの底をめ
ざして落ちていく。(勉強しない)→(塾へやる)→(やる気をなくす)→(家庭教師をつける)→(さ
らにやる気をなくす)→……と。こういうのを悪循環というが、その悪循環をどこかで感じたら、
鉄則は、ただひとつ。「あきらめる」。「やってここまで」と思い、あきらめる。こういうケースで
は、「まだ、以前のほうが症状が軽かった」ということを繰りかえしながら、ますます状態が悪く
なる。

●リズムの乱れ
 つぎに注意しなければならないのは、親子のリズム。YUさんのケースでは、親子のリズムが
まったくあっていない。「のんびりしすぎてて……」というYUさんの言葉が、それを表している。
つまり心配先行型というか、何でもかんでも、親が一歩、子どもの先を歩いているのがわか
る。せっかちママから見れば、どんな子どもでも、のんびり屋に見える。そういうYUさんだが、
子どもの心を確かめた形跡がどこにもない。「うちの子のことは、私が一番よく知っている」「子
どものため」という親のエゴばかりが目立つ。

 恐らくこのリズムは、子どもが乳幼児のときから始まっている。そして今も、そのリズムのなか
にあり、これから先も、ずっとつづく。リズムというのは、そういうもので、そのリズムの乱れに
気づいたとしても、それを改めるのは容易ではない。

●強引な押しつけ
 「勉強」は大切なものだが、YUさんは、勉強という視点でしか、子どもを見ていない? だか
らといって勉強を否定しているわけではないが、「何とか勉強させよう」という強引さだけが、目
立つ。

 親の愛には三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。このYUさんのケースで
は、「子どものため」を口実にしながら、その実、子どもを自分の思いどおりにしたいだけ。こう
いう愛もどきの愛のことを、代償的愛という。決して真の愛ではない。

 さらにでは、なぜYUさんが、こうした強引の押しつけをするかといえば、いわゆる学歴信仰が
疑われる。「学校は絶対」「勉強は重要」「何といっても学歴」と。信仰といっても、カルト。脳のC
PU(中央演算装置)がおかしいから、自分でそれに気づくことはない。以前、「勉強にこだわっ
てはだめですよ」と、私がアドバイスしたとき、ある母親はこう言った。「他人の子どものことだと
思って、よくそういう言いたいことを言いますね!」と。

●まず反省
 子どもに何か問題が起きると、親は、「子どもをなおそう」と考える。しかしなおすべきは、親
のほう。たとえばYUさんは、「子どもがゴロゴロしている」ことを問題にしている。しかし学校か
ら帰ってきたとき、あるいは土日に、子どもが家で、どうしてゴロゴロしていてはいけないのか。
学校という「場」は、まさに「監獄」(あるイギリスの教育者の言葉)。そこで一日を過ごすというこ
とが、いかに重労働であるかは、実は、あなた自身が一番、よく知っているはず。そんな子ども
に向かって、「ゴロゴロしていてはダメ」と、どうして言えるのか。あるいはYUさんは、夫にも、そ
う言っているのか?

 それだけではない。こういう生き方、つまり、「未来のためにいつも現在を犠牲にする」という
生き方は、結局は愚かな生きかたと言ってもよい。まさにそれこそ、『休息を求めて疲れる』生
き方と言ってもよい。こういう生きかたを子どもに強いれば強いるほど、子どもはいつまでたっ
ても、「今」というときを、つかめなくなる。そしていつか、「やっと楽になったと思ったら、人生も
終わっていた……」と。

●塾のエサになってはいけない
 こういう生きザマが確立しないまま、塾や家庭教師に頼れば、それこそ、塾や家庭教師の、
よいカモ。こういうところは、親の不安や心配を逆手にとって、結局は、金儲けにつなげる。し
かしそれはたとえて言うなら、熱を出して苦しんでいる子どもや親に向かって、冷水を浴びせか
けるようなもの。基本的な部分を何もなおさないまま、問題を先送りするだけ。その場だけを何
とかやりすごし、あとはまたつぎの受験屋にバトンタッチする。が、必ず、いつか、こういう子育
て観は、破局を迎える。二番底、三番底どころか、親子の絆(きずな)すら、こなごなに破壊す
る。

●ふつうの子ども論
 YUさんは、「おかしいので……悩んでいます」と書いている。その気持ちはわからないでもな
いが、しかし残念ながら、こういう悩み方をしていると、問題は何も解決しない。そればかりか、
さらに問題は複雑になる。

 日本人は、昔から「型」にあてはめて子どもを考える傾向が強い。ある一定のパターンを子ど
もに想定する。そしてその型からはずれた子どもを、「おかしい」と言う。しかしそれ以上に大切
なことは、その子どもはその子どもとして、その中に「よさ」を見つけること。しかし心のどこか
に、「ふつうの子」を想像し、その子どもに近づけようとすればするほど、親は、子どものもつ
「よさ」までつぶしてしまう。だから、ここでいうように複雑になる。このYUさんのケースで言うな
ら、「あなたの発音はおかしい」と言ったところで、子どもにその自覚がない以上、なおるはずも
ない。またそれだけの自意識がければ、自分でなおすこともできない。小学六年生といえば、
すでに言葉の問題をうんぬんする時期を過ぎている。ラジオかテレビのアナウンサーにでもな
るというのなら話は別だが、そうでないなら、あきらめる。それ以上に心配されるのは、こうした
親の姿勢が、文字嫌い、本嫌いを誘発し、さらには作文力から読解力まで奪っているというこ
と。そうでないことを望むが、その可能性は、きわめて高い。

●では、どうするか?
 絵を描き、テレビゲームばかりしているというなら、それ以上に心配しなければならないこと
は、引きこもりである。もしそうなってしまうと、それこそ、あとがたいへん。多分、絵といっても、
アニメのキャラクターを描くか、あるいはマンガ的なものだろう。しかしそれとて伸ばせば、一芸
になる。そしてその可能性があるなら、私は絵の才能を伸ばしたらよい。今の段階で、絵やゲ
ームを取りあげたら、子どもはそのまま、まちがいなく、二番底に落ちていく。

 成績が悪いということについては、今の段階では、手遅れ。仮に受験指導をしても、それはま
さにつけ刃(やいば)。問題を先送りするだけ。むしろ子どもに言うべきことは、逆。「もっと勉強
しなさい」ではなく、「あなたは、よくがんばっている」だ。「何も言わなければ、勉強をしようとし
ない」ということなら、すでに家庭教育は失敗している。理由は山のようにあるのだろうが、その
失敗をしたのは、子どもではない。親のYUさんだ。その責任をおおい隠し、子どもに押しつけ
ても、それは酷というもの。

 こういうケースでは、あきらめる。あきらめて、子どもを受け入れる。そして子どもの立場で、
子どもの視点で、子どもの勉強を考える。「お母さんといっしょに、この問題を解いてみようね」
と。「勉強しなさい」「塾へ行きなさい」ではない。子どもといっしょに、悩む。そういう姿勢が、子
どもの心に風穴をあける。

 しかし本当のところ、それで子どもが立ちなおる可能性は、ほとんどない。立ちなおるころに
は、すでに子どもはおとなになっている。受験時代は終わっている。本来なら、YUさんは、もっ
と早く子どもの限界に気づき、そして受け入れるべきだった。そのつど、「何とかなる」「何とかし
よう」と、子どもを、いじりすぎた。その結果が今であり、小学六年生なのだ。が、ここでまた「何
とかなる」「何とかしよう」と考えれば考えるほど、さらに大きな底へと子どもは落ちていく。

●子どもへの愛
 この返事を読んで、YUさんが、怒るようなら、YUさんは、子どもを愛していないとみてよい。
私はこの返事を、YUさんというより、YUさんの子どものために書いた。そういう私の意図がわ
かれば、YUさんは、怒らないはず。しかし反対に、「言いたいことをよくも、言うものだ!」と怒
るようなら、YUさんは、自分の愛情をもう一度、疑ってみたほうがよい。何か、大きなわだかま
りがあるかもしれない。望まない結婚だった。望まない子どもだった。あるいは生活が不安定
だった。夫に、大きな不満があったなど。そういうわだかまりが姿を変えて、ときには子どもへ
の過干渉や過関心になる。その背景には、親の子どもに対する不信感がある。

 そこでどうだろう。もう小学六年生なのだから、子どもを子どもと思うのではなく、一人の友と
して受け入れてみては……。親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護
者として、子どものうしろを歩く。そして友として、子どもの横をあるく。この三つ目は、実は日本
人が、もっとも苦手とするところ。だからこそ、一度、友として、子どもの横を歩いてみる。これ
は今からでも遅くない。これからでも間にあう。子どもが絵を描いていたら、YUさん、あなたも
いっしょに絵を描けばよい。子どもがテレビゲームをしていたら、YUさん、あなたもいっしょにゲ
ームをすればよい。そういう姿勢が子どもの心を開く。そしてあなたが子どもの立場にたったと
き、あなたが「勉強しようね」と言えば、必ず、子どもは勉強をするようになる。今のように、一
方で子どもの世界を否定しておきながら、どうして、親の世界に子どもを引き込むことができる
というのか。こういうのを、親の身勝手という。お笑い草という。

●最後に……
 きびしいことを書いたが、ここに書いたのは、あくまでもひとつの参考意見。「そういう考え方
もあるのかな」というふうに、とらえてくれればよい。ただ私がここで言えることは、私はYUさん
との間に、あまりにも遠い距離を感じたこと。恐らくYUさんも、私との間に、遠い距離を感じた
ことと思う。意識の差というのはそういうもの。

 しかしこう考えてほしい。私たちは今、こうしてここに生きている。その尊さというか、その価値
に気づいてほしい。あなたがここにいて、子どもがそこにいるということが、奇跡なのだ。そうい
う視点で子どもを見ると、また子どもの見方も変わってくるはず。

+++++++++++++++++

●YUさんへ、

最後になりましたが、今、私は無料で電子マガジンを発行しています。そのマガジンへ、ここに
書いた原稿(YUさんからのメールの部分も含めて)の掲載をお許しください。掲載予定日は、
二月五日を予定しています。ご都合の悪い部分は改めますので、至急、連絡ください。連絡が
なければ、了解していただいたものを判断させていただきます。よろしいでしょうか。はやし浩

(03−1−28)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●YUさんより

早々のお返事ありがとうございます。
主人と二人で読んでいるうちに、胸が締めつけられ、涙があふれてきました。
今まで学校の先生や地域の相談所、親戚、知人などに相談してみましたが、結局、答えが見
出せないまま、今日までズルズルときてしまいました。
でも、今日は違います。
はやし先生のお考えは、まさに私の中で一番恐れていた 一番確かであろう答えそのものでし
た。

もう、手遅れであろう という言葉を目にしたとき、いままで自分が子供にしてきた事が悔やま
れ、この一二年間、ずっと苦しめてきたのだと思うと申し訳なくて、どう償えばよいのかわかりま
せん。
私はきっと、この子を一人の人間としてではなく、私の所有物のように見ていたのだと思いま
す。

これから、この子にどのように接していかなくてはならないのかは、わかりました。
ただ、私自身がちゃんとやっていけるのか不安でたまりません。
 
これからは、友として子供の横を歩いていけるよう がんばってみます。
また、ご相談させていただく事があると思いますがよろしいですか?
 
はやし先生、今日は、本当に 本当にありがとうございました。

(追伸)メール、転載の件は了解しました。

++++++++++++++++++

●はやし浩司より、栃木のYUさんへ、

だいじょうぶですよ!
あなたはもう、すばらしいお母さんですよ!
勇気をもって、前に進んでください。
あなたの涙が、あなたの心を溶かし、
子どもの心を溶かします。
あとは、時間が解決してくれます。
しばらくすると、安らいだ心になりますよ。
子どもは、「許して、忘れる」ですよ。
あなたが真の愛にめざめたとき、
あなたや子どもに、笑顔が戻ります。
そのときから子どもは、学習面でも
伸び始めます。約束します。

子どもというのは、不思議なものでね。
「やりなさい」「がんばれ」と親が言う間は、伸びません。
しかしね、「よくやったわね」「気を楽にね」と言ってあげると、
不思議と伸びる始めるものです。
私も、何人かの子ども(生徒)を預かっていて、
どうにもこうにも、先へ進めなくなったようなときには、
近くの町の中を、みんなで、あちこち散歩します。
そうするとですね、とたんに、子どもたちの表情が
明るくなるのです。

あるいはね、子どもたちが、コソコソと隠れてカードゲームをしているでしょ。
そういうときは、「あのな、ブルーアイズ三枚と、融合カード一枚で、
パワーが一〇倍になることを知っているか?」と話しかけてやるのです。
これはハッタリです。するとですね、とたんに子どもたちの目つきが、
尊敬の目つきに変わるのです。子どもの心をつかむためには、
子どもの世界に、一度、自分を置いてみることです。

しかしね、同時に、そこはすばらしい世界ですよ。
純粋で、純朴で、そこは清らかな世界です。
おとなの私たちが忘れてしまった世界です。
あなたも、もう一度、少女期、青年期を楽しむつもりで、
子どもの世界に入ってみたらどうでしょうか?
あなたの子どもの心と目を通して、もう一度、
少女期と、青年期を楽しむのです。楽しいですよ!
「私は親だ」と気負うことはありません。
そんな親意識など、クソ食らえ、です。
肩の力を抜いて、子どもともう一度、人生を楽しむのです。

英語の格言に、『(子どもの心をつかみたかったら)、
釣りザを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに行け』
というのがあります。その心意気です。

さあ、あなたも勇気を出して、こう言ってみてください。
「そうね、勉強なんて、いやなものねえ。お母さんも
子どものころ、勉強なんて、大嫌いだった」と。
あなた自身も、あなたの心をふさいでいた、
心の重石(おもし)を吹き飛ばすことができますよ。
いえね、そのときから、親子の絆(きずな)を太くなり、
そのときから、あなたの子どもは伸び始め、
そしてそのときから、あなたは真の愛をもった、真の親になるのです。
そう、それはすばらしい世界ですよ。
小さな、小さな世界かもしれませんが、
神の愛、仏の慈悲を体験できる、すばらしい世界ですよ。

だから勇気をもって、一歩、前に進んでください。
すばらしい親子になるために。応援します! 
 
ではね。
また、何かあれば力になります。
どうかまたお便りをください。

はやし浩司






 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【3】

●すぐ泣く子ども

【講演会のあとの質問より】

 K市での講演(K市教育委員会)のあと、多くの方から、子育てについての質問をいただきま
した。それについて、私なりの考えを述べさせていただきます。

【Q1】私の子ども(年中児の長男)は、何かにつけて、すぐ泣きます。「貸して」と言って、相手
がすぐ貸してくれなかったりすると、それでも泣きます。どう対処したらよいでしょうか(YS)。
 
【A、はやし浩司より】

 対人関係が、うまく調整できない子どもは、つぎの四つのいずれかの方法で、自己防衛しま
す。@攻撃的になる(ほかの子どもに暴力を振るったり、相手を威圧したりする)。A同情を買
う(わざとメソメソしたりする)。B依存的になる(甘えん坊的になり、何でもすぐ人に頼る)。C
服従的になる(行動が子分的になり、だれかに服従しようとする)。

 これを心理学では、「防衛機制」といいますが、要するに、自分の周囲に、居心地のよい世界
をつくろうとするわけです。

 「すぐ泣く」というのは、この中で、Aの同情を買うに相当します。つまり泣くことで、相手に同
情させ、それによって、自分にとって都合のよいように相手を仕向けるわけです。集団教育の
場でも、何かにつけてすぐメソメソする子どもは珍しくありません。しかしそういうときは、「心の
汗」と思って、しばらく「暖かい無視」をすると、そのまま収まっていきます。

 意味のない「涙」であれば、「暖かい無視」をすることをお勧めします。しかしもちろん、そうで
ないケースもあります。いわゆる欲求不満型の涙もあります。子どもの欲求不満については、
ここに私が以前書いた原稿を、張りつけておきますので、どうか参考にしてください。

++++++++++++++++++++

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ
 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。

あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を
足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振る
う、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考え
る。

A退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切
そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう
言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども
の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども
は幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足
 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ
る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ
たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり
に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ
たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効
 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよ
い。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの
問題は解決する。







 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【4】

●早期教育について

【Q1】年中児の男の子です。今、K式の算数教室に通っています。自分でも少し早いかなと思
っていますが、先生は、こうした教育をどう思いますか。

【A、はやし浩司より】

 幼児教育と早期教育、それに先取り教育の三つは、それぞれ分けて考えます。幼児教育と
いうのは、体系化された教育の中で、幼児期にする教育をいいます。たとえば幼児の発達に
応じた、情操や体操などの教育をいいます。

 早期教育というのは、子どもの方向性をできるだけ早く見極め、その方向性にそって、子ども
自身がもつ才能や能力を、早い時期に伸ばすという教育です。音楽教育や絵画教育の面にお
いて、とくに有効だとされています。

 先取り教育というのは、体系化された教育の中で、たとえば小二でする学習を小一でしてみ
たり、あるいは小一でする学習を、幼稚園でするような教育をいいます。幼稚園でも、今、掛け
算の九九を教えているところは、少なくありません。が、その中でも、とくに能力がすぐれた子ど
もにする教育のことを、英才教育といいますが、ここで大きな問題にぶつかります。こうした早
期教育が、はたして有効かどうかという問題です。

 やり方をまちがえると、子どもにとっては、過負担になり、それがかえって子どもの伸びる芽
を摘んでしまうことになりかねません。

 そこで先取り教育をするにも、子どもの能力を慎重に見極めながら、無理をしないことを大切
にしてください。とくに子どもがオーバーヒートする様子を見せたら、とにかく無理をしないこと。
この時期、一度、勉強嫌いにすると、あとがありません。

 それよりも大切なことは、この時期は、忍耐力を養っておくこと。「いやなことをする力」のこと
を忍耐力といいます。それについての原稿を添付しておきますので、また参考にしてください。

 そしてもし「先取り……」を考えるなら、この時期は、何にもまして「好きにさせる」ことを大切
にします。学習について言えば、「勉強は楽しい」という思いを、じょうずに子どもの中に育てて
いきます。たとえば文字学習にしても、「文字は楽しい」ということを教えていきます。そのため
には、たとえばお母さんが暖かい息を吹きかけながら、本を読んであげるなど。そういう前向き
な思い出が積み重なって、子どもは勉強好きになり、あとは自分で伸びていくようになります。

++++++++++++++++++++

子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?
 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の
子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう
言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だ
けはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群
@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。
Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定
めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほ
しいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽
しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。
Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝
手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。
Cバランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動する
ことができない、など。

●原因は家庭教育に
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だち
の家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れ
ていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子ども
にはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、この
しつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む
 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。@生活感の
ある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうこ
とをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るの
だ」という意識をもたせる。A質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。B忍耐力をつ
けさせるため、家事の分担をさせる。C生活のルールを守らせる。D不自由であることが、生
活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、Eバランスのある生活に心がけ
る。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

+++++++++++++++++++++++++

動機づけの四悪

 子どもから学習意欲を奪うものに、@無理、A強制、B条件、C比較の四つがある。これ
を、『動機づけの四悪』という。

 まず@無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意欲をなくし
て当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子どもの学習意欲をそ
いでしまうケース。子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようであ
れば、それでよし。……そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力よ
り一ランクさげたレベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きになってもよ
い。答が合っているかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」という達成感を大切
にする。

 A強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌いにな
る。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。「うちの子は、プリント
を二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。どうしたらいいでしょう
か」と。私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの母親は、仮に子ども
が三枚するようになればなったで、「今度は四枚しなさい」と言うに違いない。子どももそれを知
っている。
 B条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「一〇〇点を取ったら、お小づかい
を一〇〇円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こういう条件は、子ども
から「勉強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりではない。子どもが小さい
うちは、一〇〇円、二〇〇円ですむが、やがてエスカレートして、手に負えなくなる。「(学費の
安い)公立高校へ入ってやったから、バイクを買ってくれ」と、親に請求した子ども(高一男子)
がいた。そうなる。

 最後にC比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数が得意なの
に、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にするようになるから、
注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが子どもから、「私は私。人
は人」というものの考え方を奪う。

 イギリスでは、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』と言う。
子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界があるというこ
と。ではどうするか。もう一つイギリスには、『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』という格言もある。
つまり子どもに勉強をさせたかったら、勉強は楽しいということだけを教えて、あとは子どもに
任す。たとえば文字。いきなり文字を教えるのではなく、いつも子どもをひざに抱いて、本を読
んであげるなど。そういう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに
思わせるようになる。そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子どもの勉強
をみるときは、「何をどの程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度楽しんだか」をみ
るようにする。






 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【5】

●子どもの口答え

【Q2】反抗期なのでしょうが、いちいち口答えします。親の私のほうがカッとなってしまい、結
局、親子げんかになってしまいます。そういうとき、親として、どのように対応すればよいのでし
ょうか。

【A、はやし浩司より】

 どう対処するかではなく、あなたがどう子どもを超越するかの問題かと思われます。人間に
は、自分と同程度の人間と対立するという習性があります。つまり相手が、自分よりはるかに
高い位置にいるとき、反対に、相手が自分よりはるかに低い位置にいるときは、相手にしませ
ん。子どもを相手にして、本気で叱るというのは、あなた自身が、子どもとそれほど違わないレ
ベルにいるということです。

 言いかえると、自分が相手にする人間を、客観的に評価すれば、自分の位置もわかるという
わけです。

 そこで、あなた自身を冷静に、見つめてみてください。「子どもとけんかになる」ということか
ら、今、あなたの子どもと、ほとんど同等の位置にいるとみて、まちがいないようです。それに
ついて書いた原稿が、つぎの原稿です。少し角度が違うかもしれませんが、読んでいただけれ
ば、うれしいです。

++++++++++++++++++++++++

つまらない人間

 世の中には、つまらない人間がいる。どこがどうつまらないかは書けないが、いる。あなたの
まわりにも、いる。そういうつまらない人間は相手にしない。相手にするということは、あなた自
身も、そのつまらない人間ということ。

人間というのは、自分と同程度の人間を気にする。自分が相手をはるかに超えているときは、
気にしない。たとえば私は、幼稚園児に、「バカ!」と言われても、(当然だが……)、まったく気
にしない。もともと相手にしていないからだ。同じように、暴走族風の若者に、「バカ」と言われ
ても、気にしない。もともと相手にしていないからだ。

 そこであなたが気になる人間を、頭の中で思い浮かべてみるとよい。そしてその人間が、ど
の程度の人間かを、客観的に見つめてみるとよい。つまりそれがあなたの「レベル」ということ
になる。もしそのレベルが高ければ、それでよし。そうでなければ、あなた自身の視点を変えて
みる必要がある。でないと、長い時間をかけて、あなたも、そのつまらない人間になってしまう。

 具体的には、私のばあいは、もともとレベルの高い人間ではないので、「無視する」という方
法で、そういう人間からは遠ざかるようにしている。決して逃げるのではない。相手にしないと
いうことは、自分の心の中に、その人間を置かないということ。そのために無視する。その相手
はもちろんのこと、その相手にかかわるもの、すべてを、だ。ときどき好奇心にかられて、気に
なることはあるが、そういうときでも、あえて無視する。

 一方、世の中には、自分を高めてくれる人間もいる。会うだけで、その人の知性や理性が、
響きとなって伝わってくる人だ。私は幸運にも、今まで、日本でもトップクラスの人や、それに近
い人たちと交際することができた。さらに幸運にも、今でも、そういう人の何人かと、親密に交
際している。私はとても、そういう人たちのレベルではないし、一生、そのレベルに届くことはな
いと思う。しかし努力目標にはなっている。それはたとえて言うなら、山登りのようなものかもし
れない。登れないとわかっていても、その高い山を目標にすることで、自分の意思を高めること
ができる。

 これは人間の話だが、同じように、つまらないものは相手にしない。つまらないことも相手にし
ない。これは自分を高めるとか、低めるとかいうことではない。時間のムダだから、だ。

若いときは無限につづくと思われた時間も、このところ、その限界を強く感ずるようになった。
ただ私のばあい、それに気づくのが、あまりにも遅すぎた。こうして時間の限界を感ずるように
なったのは、満四五歳から四七、八歳にかけてではないかと思う。はっきりとはわからないが、
それまでの私は、実に怠惰(たいだ)な生活をしていた。時間をムダにしていた。今になって、
それが悔やまれる。

 つまらない人間、つまらないものやことを相手にするというのは、それだけ人生の回り道に入
ることを意味する。ゴールが「真理」だとするなら、そのゴールから遠ざかることにもなる。ゴー
ルにたどりつけるという自信は、今のところまったくない。ないが、しかし少しでも近づいてみた
い。だから改めて、ここで自分に言ってきかせる。つまらない人間は相手にしない。無視する。
つまらないものやことは、相手にしない。無視する。……まあ、こうしてあえて自分に言って聞
かせねばならないということは、私も、そのレベルの、つまりはつまらない人間ということになる
のだが……。

++++++++++++++++++++++++

 そこで自分を高めるために、どうするか、ですね。一つの方法として、ただの親ではなく、プロ
の親になるという方法があります。つまり子どもの心理を、高い視点から理解してみます。今、
あなたの子どもは、反抗期(第二反抗期?)ということですから、(まさか第一反抗期ではない
ですよね……)、一つの例として、「内面化」の問題を考えてみます。これがひとつのきっかけと
なって、子育ての奥深さを理解していただけるようになると、うれしいです。つまり、そういう形
で、子どもを超越します。「あなたなんか、私の足元にもおよばないのよ」と、あなたが思うよう
になれば、親子げんかも、自然と消滅するはずです。

++++++++++++++++++++++++

●子どもの内面化

 子どもはその成長過程で、倫理や行動規範を身につける。またそうすることで、社会に適応
しようとする。そういう発達過程を、「内面化」という。体を「外面」というのに対して、心(mind)
を、「内面」という。

 この内面化の中で、子どもは、さまざまな反応を示す。探索、実験、試行、冒険、偶発、努力
など。そしてその結果、落胆、失望、羞恥、歓喜、満足、不快、快感などのさまざまな心理的反
応を示す。私はこうした一連の、子ども特有の反応と結果を、「削り出し」と読んでいる。

 「削り出し」というのは、「子どもは、削られながら、成長する」という意味。たとえば「盗み」にし
ても、ほとんどの子どもは、その成長過程で、一度は盗みを経験する。が、この段階で、盗み
が悪いと決めてかかってはいけない。問題は、子どもが盗みをしたあと、どうそれをおとなたち
が処理するかである。

 大切なことは、盗みが悪いことであることを、子どもの悟らせること。子ども自身が、盗みを悪
いことだと思わせるように仕向けることである。この指導をまちがえると、ここでいう内面化に失
敗する。私は以前、『子どもは削って伸ばす』という格言を考えた。つぎの原稿が、それであ
る。

+++++++++++++++++++++++
 
●子どもは削って伸ばす

 『悪事は実験』ともいう。子どもは、よいことも、悪いことも、ひと通りしながら、成長する。たと
えば盗み、万引きなど。そういうことを奨励せよというわけではないが、しかしそういうことがま
ったくできないほどまでに、子どもをおさえつけたり、頭から悪いと決めてかかってはいけない。
たとえばここでいう盗みについては、ほとんどの子どもが経験する。母親のサイフからお金を
盗んで使う、など。高校生ともなると、親の貯金通帳からお金を勝手に引き出して使う子どもも
いる。

 問題は、そういう悪事をするということではなく、そういう悪事をしたあと、どのようにして、子ど
もから、それを削るかということ。要は叱り方ということになるが、コツは、子ども自身が自分で
考えて判断するようにしむけること。頭から叱ったり、威圧したり、さらには暴力を加えたり、お
どしたりしてはいけない。一時的な効果はあるかもしれないが、さらに大きな悪事をするように
なる。

 子どもにはまず、何でもさせてみる。そしてよい面を伸ばし、悪い面を削りながら、子どもの
「形」を整える。『子どもは削って伸ばす』というのは、そういう意味である。

++++++++++++++++++++++++

 この内面化は、子どもの心の発育には、必要不可欠なものだが、それをコントロールするの
が、倫理や道徳である。しかしそれだけでは足りない。倫理や道徳にせよ、それらは、基本的
信頼関係という、「信頼的基盤」の上になければならない。信仰の世界でいえば、「宗教的基
盤」ということになる。

 ただ私のばあい、宗教や信仰を否定はしていないが、自分の生きザマの中では、宗教的人
生観はあくまでも「参考」でしかない。従って、「信頼的基盤」こそが、倫理や道徳の基盤である
と考える。

 この基盤は、いわば大地のようなもの。その上に、倫理や道徳が載る。そしてそれを道しる
べに、子どもは、そしておとなも、自分の進むべき方向性を見いだす。とくに子どものばあい、
この信頼的基盤がないと、内面化そのものに失敗する。社会に不適応を起こしたり、社会その
ものを拒絶したりするようになる。

 症状としては、暴力的、攻撃的になるタイプと、服従的、従属的になるタイプ。さらに依存的に
なるタイプと、引きこもったりするタイプに分類できる。しかし今、子どもたちの世界で、その内
面化に失敗する子どもが、多い。あまりにも多い。

 その理由の第一は、言うまでもなく、母子関係の不全性である。生後まもなくから、乳児期に
かけて、母親との関係で、信頼関係を結べない、もしくは、結び方を知らないまま、つぎの幼児
期、さらには少年少女期を迎えてしまう。

 このタイプの子どもは、信頼的基盤をもっていないから、あるいはそれが軟弱であるため、そ
の上で、倫理や道徳をうち立てることができない。できないから、内面化しようにも、方向性が
定まらないということになる。

●信頼的基盤

 母親と子どもの関係は、父親と子どもの関係とは、異質のものである。母親にしてみれば、
子どもは、自分の体の一部ということになる。父親にもそれに似た意識が芽生えることはある
が、あくまでも「似たもの」でしかない。

 このことは、子どもの立場で考えてみればわかる。基本的には、父親はいなくても、子どもは
生きていかれる。しかし母親は、乳をもらうという意味で、絶対的な存在である。あのジークム
ント・フロイトも、血統空想と言葉を使って、このことを説明している。つまり父親との関係(血
統)を疑う子どもはいるが、母親との関係を疑う子どもはいない。

 こうした発想は、たとえばカトリック教会などにも、表れている。カトリック教会などでは、イエ
ス・キリストに対して、母、マリアは絶対的な存在だが、そのマリアに比較して、父、ヨセフの影
は、薄い。ヨセフは、あくまでも付随的な立場でしかない。

 なぜ母親と子どもの関係が特別なものになるかは、子どもが誕生したときから、子どもが、大
便や小便と同じような立場で誕生することにある。つまりこの段階から、母親は、子どものすべ
てを受け入れ、許す。

 この「許し、受け入れる」という関係が、実は、信頼関係の基本になる。子どもの側からみれ
ば、絶対的な安心感の中で、すべてをさらけ出すことができる。この相互の関係が、ここでいう
信頼的基盤となる。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 おそらくこの原稿を読んでいるのは、若い母親たちか、その近くにいる父親たちである。そこ
であなた自身は、あなたの夫(妻)に対して、すべてをありのままに、安心してさらけ出すことが
できるか。さらにあなたの夫(妻)は、そういうあなたを、全幅に受け入れているかどうかを自問
してみてほしい。

 たとえばいっしょに風呂に入るとき、おしりからポロリと、ウンチのかたまりが落ちることもあ
るだろう。あるいはいっしょに寝ているとき、どちらかが、強烈な臭いのするガスを発射すること
もあるだろう。そういうとき、あなたの夫(妻)は、それを許し、受け入れるかどうか。

 そういうさらけ出しと、それにつづく受け入れが、信頼関係を結ぶ基本となるということにな
る。もしあなたがた夫婦のうち、どちらか一方が、それができないというのであれば、ここでいう
信頼的基盤がないということになる。

 もっとも夫婦のばあいは、最終的には、離婚という方法で、他人にもどることができる。しかし
親子、なかんずく、母親と子どものばあいは、それができない。できないだけに、このプロセス
を誤ると、深刻な症状が、子どもに現れる。またそれだけに、重要な問題ということになる。

 なお、一言付記。

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「しかしね、あなた、新生児や乳幼児に、記
憶はあるの?」と。

 これはとんでもない誤解である。最近の研究によれば、新生児や乳幼児にも、しっかりとした
記憶がある。その記憶の深さと量は、それ以後の子どもやおとなの量とは比較にならないほ
ど、濃密であると考えられる。ただ、こうした記憶は格納されるだけで、取り出しができないとい
うだけ。だから現象としては、記憶が残らないように見えるだけということになる。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられて
いた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシント
ン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 新生児や乳幼児の記憶を、決して、安易に考えてはいけない。絶対に!

【追記】母親との間で、基本的信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、不幸である。その後
遺症は、さまざまな形で、死ぬまでつづく。ひょっとしたら、今のあなたがそうであるかもしれな
い。しかし問題は、それに失敗したということではなく、失敗したということにすら気づかないま
ま、それに引き回されることである。

 人間には、「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分がある。私であって私で
ある部分は、問題はない。しかし私であって私でない部分は、そうではない。それ自体も問題
だが、ほとんどの人は、私であって私でない部分まで、私だと思いこんでしまう。それが問題で
ある。

 そのことは、子どもを見ているとわかる。

 原因や理由はともかくも、すなおでない子どもというのは、いる。ひねくれた子ども、いじけた
子ども、つっぱった子ども、ひがみやすい子どもなど。そういう子どもは、私は私と思って、そう
しているが、その実、ここでいう「私であって私でない」部分に振り回されているにすぎない。

 子どもだけではない。あなたという「おとな」も、実は、ここでいう「私であって私でない」部分に
操られている。それにまず、気づく。それはある意味で不快なことであり、恐ろしいことかもしれ
ない。しかし勇気を出して、自分をのぞいてみる。

 心のキズ(心的外傷)にせよ、こうした過去と結びついている問題は、簡単には消えない。消
えないが、それが何であるかを知るだけでも、そうした「私であって私でない」部分と、戦うこと
ができる。かく言う私も、おぼろげなら「私」がわかるようになったのは、四〇歳も過ぎてからで
ある。私を知るというのは、そういう意味でも、むずかしい。






 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【6】

●おしゃべりの子ども

【Q3】年中児の子どもですが、おしゃべりで困っています。幼稚園で何か、トラブルがあると、
相手の子どもの親のところにいって、何でもしゃべってしまいます。「お願いだから余計なことは
言わないで」と言うのですが、効果ありません。家の中のことや、家庭であったことなども、しゃ
べってしまうので、困っています(RY)。

【A、はやし浩司より】

 英語の格言にも、『子どもは家の中のことを、通りで話す』というのがあります。子どもの口に
フタをすることはできません。子どもというのは、そういうものです。だから子どもがいるというこ
とは、親もまた、それだけ気をひきしめなければなりません。もし、あなたが家庭の中のことを
話されて、恥ずかしいと思うなら、です。

 私もいろいろな経験があります。「きのう、パパとママが、裸で、プロレスごっこをしていた」と
話してくれた子ども(幼稚園児)がいました。「パパが、拾ったお金で、カメラを買った」と話してく
れた子ども(幼稚園児)もいました。

 で、相談の件ですが、あえて言うなら、自律心(自分で自分を律する心)の問題と、忠誠心の
問題ということになります。子どもの自律心と、忠誠心は、乳幼児期に形成される、基本的信
頼関係によって決まります。とくに大切なのが、母子の間の信頼関係です。この信頼関係がし
っかりとできている子どもは、自律心や忠誠心もしっかりとします。してよいことと、してはいけ
ないことを、自分で判断し、その判断に従って行動できるようになります。

 そこで一度疑ってみることは、あなたと子どもの間に、その信頼関係ができているかどうかと
いうことです。あなたの子どもは、あなたに対して、全幅に心を開いて、あなたを信頼している
でしょうか。あなたも、あなたの子どもに対して、全幅に心を開いて、子どもを信頼しているでし
ょうか。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、子どもの自律心や忠誠心を叱る前に、信頼
関係の再構築を考えます。

 ……といっても、これは簡単な問題ではありません。信頼関係というのはそういうもので、おと
なでも数年単位の時間がかかります。親子とて例外ではありません。ですから、この問題は、
この問題として、「子どもの口は軽い」という前提で、各論的に対処するしかないと思われます。

 つぎの原稿が、その一つです。参考にしてくだされば、うれしいです。

++++++++++++++++++++++

親と先生の信頼関係が壊れるとき 

●先生の悪口はタブー
 子どもに「内緒よ」「先生には話してはダメよ」と言うのは、「先生に話しなさい」と言うのと同
じ。子どもは先生の前では、絶対に隠しごとができない。英語の格言にも、『子どもは家の中の
ことを、通りで話す』というのがある。先生は先生で、この種の話には敏感に反応する。だいた
いにおいて、親が子どもと接する時間よりも、先生が子どもと接する時間のほうが長い。だか
ら、子どもの前では、学校の批判や先生の悪口は、タブー中のタブー。言えば言ったで、必ず
それは先生に伝わる。それだけではない。以後、子どもは先生の指導に従わなくなる。

●先生とて生身の人間
 ……というようなことは、以前どこかの本にも書いた。ここではその次を書く。一度、親と教師
の信頼関係が崩れると、先生自身は、急速にやる気をなくす。一般の人は学校の先生を、神
様か牧師のように思っているかもしれない。が、先生とて生身の人間。やる気をなくしたら、そ
の影響は、必ず子どもに及ぶ。教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでも手をかけら
れる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリント学習だけですまそうと思え
ば、それもできる。プリント学習ほど、教える者にとって楽な教育はない。ここが教育のこわい
ところだが、親にはそれがわからない。一方で先生の悪口を言いながら、「うちの子のめんどう
を、しっかりみろ」は、ない。

 たとえばこんなことを言う子ども(小二男児)がいた。「三年になっても、今の先生のままだっ
たら、校長先生に言って、先生を変えてもらうって、ママが言っていた」と。私が「どうして?」と
聞くと、「だって今の先生は、教え方がヘタクソだもん」と。もしあなたが先生で、子どもがそう話
しているのを聞いたら、どう感ずるだろうか。あなたはそれでも、怒りや悔しさを乗り越えて、教
育に専念できるだろうか。

●先生との信頼関係が子どもを伸ばす
 日本では、勉強を教えるのが教育ということになっている。どこかに「学歴」を意識したもの
だ。が、大切なのは、人間関係だ。この人間関係こそが、真の教育なのだ。J君は、小学生の
とき、ブラスバンド部に入り、そこで指導をしてくれた先生から、大きな影響を受けた。E君は、
中学生のとき、ペットボトルで二段式のロケットを作って、市長賞を受賞した。やはりそのとき
指導してくれた先生から、大きな影響を受けた。J君は、高校生になったとき、ある電気メーカ
ーの主催する作曲コンクールで全国大会に出場したし、E君は今、宇宙工学をめざして、今、
その講座のある大学に通っている。もしJ君やE君が、これらのよい先生にめぐりあわなけれ
ば、今の彼らはない。教育というのは、そういうものだ。では、どうするか。

●「よい先生」をクチグセに!
 子どもの前では、「あなたの先生はすばらしい」「よい先生だ」だけを繰り返す。子どもが悪口
を言っても、「それはあなたたちが悪いからでしょう」とたしなめる。そういう親の姿勢が先生に
伝わったとき、先生もやる気を出す。信頼には信頼でこたえようとする。多少の苦労ならいとわ
なくなる。仮に先生との間で何か問題が起きたとしても、それは子どもとは関係のない世界で、
子どもの知らないところで処理する。子どもに相談するのもタブー。損か得かという言い方はあ
まり好きではないが、しかしそのほうが子どもにとって得なことは、言うまでもない。

+++++++++++++++++++++++++

 ただ心配なのは、多弁性のある子どものケースです。言ってよいことと、悪いことの判断がで
きず、何でもペラペラしゃべってしまう子どもです。知恵の発達が遅れがちの子どもや、多動性
のある子どもによく見られる症状です。

 こういうケースでは、何度もたしなめがら、時期を待ちます。「時期」というのは、小学三、四年
生を境に、急速に自己意識が育ってきますから、その時期をうまくとらえて、よい方向に、子ど
もをもっていきます。

 自己意識というのは、「自分を自分で客観的にみる意識」のことと考えるとわかりやすいでし
ょう。そういう意識が育ってくると、「そういうことをすると、損をする」「みなが迷惑する」というこ
とが、客観的にわかるようになります。

 多いのは、それまでに、強く叱ったり、威圧したり、ときには暴力を加えたりして、翔嬢をこじ
らせてしまうケースです。症状がこじれると、その分、立ちなおりが遅れますから、注意してくだ
さい。







 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【7】

●母親の仕事

【Q4】私(母親)が、家計を支えるため、仕事に出ることになりました。子どもがまだ2歳と1歳
なので、このまま家をあけるようになって、よいものかどうか悩んでいます。子どもと接する時
間が少なくなりますが、とくに注意したらよいことはどんなことでしょうか。私が仕事をしている
間、私の父と母が、子どものめんどうをみてくれることになっています。

【A、はやし浩司より】
 親子のふれあいは、量ではなく、質の問題です。量が多いからよいということにもなりませ
ん。また少ないから、心配ということにもなりません。以前書いた、二つの原稿を、どうか参考
にしてください。

+++++++++++++++++++++++

●愛情は、量ではなく、質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。

 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いて
みた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日になると、子どもをいつも抱いています。ま
たたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いていま
す」と。

 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。

 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。

 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。

+++++++++++++++++++++++

●ある母親の相談
 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかなくて、
困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが寝てから、
仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少ないか
らだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛
情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「うちは
疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子どもには、心
のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞くと、こう話してく
れた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。そして休
みの日などは、いつもベタベタしています」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的な安
心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだかないとい
う意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ体を起こし
て逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを見せて、抱っこしよ
うとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く
 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かもしれな
いが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の関係を思い
浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開きあっていると
きは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないときは、男の側からみると、
何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたいへん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベッタリと親
に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓の鼓動のリズムま
で同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感に包まれていると考えて
よい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていくというの
であれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、子どもが心を
開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのではない。父親のほうに
ある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。もっとはっきり言えば、父
親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだけ。

●原因は父親の幼児期に
 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。しか
し一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、父親自身
が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。そういう意味
で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケースは、その親の親
が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にまでなっ
た人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が一番、ついで
父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口答えするなどという
ことは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということなどという
ことは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」という意味すら
理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なものの考え方にどっぷ
りとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要でではないでしょうか」など
と、私に言ったりした。

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」を考
えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権威を認
めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は家事はもちろん
のこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子どもの運動会や遊戯会、さら
には父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏の体にしみこんだ「質」のよう
なものだった。「父親がそんなことするものではない」という意識があったのかもしれない。い
や、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の中になかった。

●親像がない?
 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親とみ
てよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の親たち
は、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てなどかまってい
るヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、親像がないため、どうし
ても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形で親像が入っている親は、これ
また自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自身が、
子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここに書いたように、
心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かって」とか、「私は親だ」
という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざしてしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもってい
る土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では明日か
ら、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。私もその母親
と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろうな」と思った。ただ
最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話をしてください」と。

+++++++++++++++++++++++++

 お子さんは2歳のお子さんについては、人見知りの時期も過ぎているので、心配はないと思
います。しかし、1歳のお子さんについては、私はまだ、母親の温もりが重要な時期だと思いま
すので、働きに行くにしても、慎重にしたらよいかと思います。WHOも認めているように、満2
歳までは、親が、親の手で子どもを育てるのが望ましいことは、言うまでもありません。

 そこでどうしても働きに行くということであれば、子どもの側からみて、絶対的な安心感を覚え
られるような環境づくりを大切にします。「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味で
す。安定した、穏やかな家庭環境を何よりも大切にします。あなたの夫や、両親の理解が、不
可欠なことは言うまでもありません。コツは、「母親が急にいなくなった」というような不安感を、
子どもに与えないようにすることです。

 子どもが不安にならなければよいのですが、無理をすれば、母子分離不安になったり、それ
が原因で、将来にわたって、「基底不安」を、子どもが覚えるようになるかもしれません。そうい
う心配はあります。(基底不安の状態になると、生きザマのあらゆる部分で、不安を覚えるよう
になります。何をしても、何をしていても、不安、という状態です。それこそ、せっかくの休日に、
旅行に行っても、その旅行先で、休み明けの仕事のことを、不安に思ったりする、など。そうい
う人は、多いですよ。)

 これ以上のことは私には言えませんので、ご家族の方と、よく話しあってみてください。








 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【8】

●子どものひとり遊び

【Q5】子ども(五歳女児)のひとり立ちで悩んでいます。親として、どの程度までひとり遊びを認
めるかということです。家の近くには、道路や線路があります。友だちが、私の家にくるときは、
よいのですが、ひとりでどこかへ遊びに行ったりすると、心配です。先日は、高校生の男の子
と、かくれんぼしてきたと言いました。子どもどうしの遊びを、どこまで認めたらよいのでしょうか
(SS)。

【A、はやし浩司より】

 子どもが大きくなるにつれて、親や家庭の役割も、変わってきます。それについて書いたの
が、つぎの原稿です。まず、これを読んでくだされば、うれしいです。

++++++++++++++++++++++++

●SSさんへ

 五歳という年齢は、何かにつけて、危険な年齢であることは、各方面で、よく指摘されます。こ
の時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたり、冒険心や探究心、さらに好奇心も旺
盛になります。しかしその一方で、警戒心がまだじゅうぶん育っていず、自己意識も未熟なた
め、事故や、交通事故にもあいやすくなります。一番、目の離せない時期と考えてください。

 近くに道路や線路があるなら、注意してあげてください。また高校生の男の子と、かくれんぼ
してきたということですが、何かしら私は、危険なものを感じます。これからはそういうことがな
いよう、親として、しっかりと子どもを監督してください。

 その上で、子どもどうしの交際ですが、この時期は、まず親どうしの交際があって、その庇護
(ひご)のもとで、子どもどうしが遊ぶというのが、自然な形です。見知らぬ親の家に、子ども
が、勝手に遊びに行くということは、好ましくありません。当然のことながら、一度、相手の親の
ところに行き、どんな様子で遊んでいるか、うかがってみてください。これは親として、当然の義
務です。そしてもしその人が好ましい人なら、あなたとその親が、友だちになるつもりで、交際
を始めます。

 反対に、どこかの子どもが、あなたの家に遊びにきたときも、同じです。その子どもが長く遊
んでいるようなら、一言、相手の親に、電話を入れるのも、エチケットかと思います。相手の親
の了解もない状態で、あるいは相手の親が知らない状態で、見知らぬ子どもを家に入れるとい
うことは、いろいろな意味で危険なことです。何かと誤解されますし、事故があったときなど、そ
の責任を問われます。(ふつうは、入れてはいけません。)「あなたのお母さんが、いいと言って
いないなら、来てはだめですよ」と、その子どもを追いかえしてください。日本ではこういうことに
甘いですが、アメリカなどでは、絶対に考えられない行為です。

 小学生くらいになり、学校という場で知りあった友だちと、いっしょに遊ぶというのなら、話は
別です。しかしそれでも、こうした行為は、慎重になさってください。いわんやまだ五歳(年長児)
ということですから、さらに慎重になってください。

 さてこれからのことですが、少し話がそれるかもしれませんが、以前、こんな原稿を書きまし
たので、参考にしてください。子どもの世界を考える上で、何かのヒントになると思います。

+++++++++++++++++++++++++

●家庭は心いやす場所

 子どもの世界は、@家庭を中心とする第一世界、A園や学校を中心とする第二世界、そして
B友人たちとの交友関係を中心とする第三世界に分類される。(このほか、ゲームの世界を中
心とする、第四世界もあるが、これについては、今回は考えない。)

 第二世界や第三世界が大きくなるにつれて、第一世界は相対的に小さくなり、同時に家庭
は、(しつけの場)から、(心をいやすいこいの場)へと変化する。また変化しなければならな
い。その変化に責任をもつのは親だが、親がそれに対応できないと、子どもは第二世界や第
三世界で疲れた心を、いやすことができなくなる。その結果、子どもは独特の症状を示すよう
になる。それらを段階的に示すと、つぎのようになる。(あくまでも一つの目安として……。)

(第一段階)親のいないところで体や心を休めようとする。親の姿が見えると、どこかへ身を隠
す。会話が減り、親からみて、「何を考えているかわからない」とか、あるいは反対に「グズグズ
してはっきりしない」とかいうような様子になる。

(第二段階)帰宅拒否(意識的なものというよりは、無意識に拒否するようになる。たとえば園
や学校からの帰り道、回り道をするとか、寄り道をするなど)、外出、徘徊がふえる。心はいつ
も緊張状態にあって、ささいなことで突発的に激怒したりする。あるいは反対に自分の部屋に
引きこもるような様子を見せる。

(第三段階)年齢が小さい子どもは家出(このタイプの子どもの家出は、もてるものをできるだ
けもって、家から一方向に遠ざかろうとする。これに対して目的のある家出は、その目的にか
なったものをもって家出するので、区別できる)、年齢が大きい子どもは無断外泊、など。

 最後の段階になると、子どもにいろいろな症状があらわれてくる。いろいろな神経症のほか、
子どもによっては何らかの情緒障害など。そして一度そういう状態になると、(親がますます無
理になおそうとする)→(子どもの症状がひどくなる)の悪循環の中で、加速度的に症状が重く
なる。

 要はこうならないように、@家庭は心をいやす場であることを大切にし、A子ども自身の「逃
げ場」を大切にする。ここでいう逃げ場というのは、たいへいは自分の部屋ということになる
が、その子ども部屋は、神聖不可侵の場と心得る。子どもがその逃げ場へ入ったら、親はそ
の逃げ場へは入ってはいけない。いわんや追いつめて、子どもを叱ったり、説教してはいけな
い。子どもが心をいやし、子どものほうから出てくるまで親は待つ。そういう姿勢が子どもの心
を守る。

+++++++++++++++++++++++++

 子どもに判断力が育ってくると、行動半径もしっかりしてきます。一つのハウス・ルールとし
て、外出するときは、必ず行き先を告げてから行くと決めておくとよいでしょう。









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【9】

●意地っ張りな子ども

【Q6】上の子ども(小四女児)が、たいへん意地っ張りで困っています。とくに母親の私に対し
てです。このところ少しずつなおってきてはいますが、少し心配です。どう考えたらよいでしょう
か(MK)。

【A、はやし浩司より】

 「がんこ」と、「意地」は、分けて考えます。がんこというのは、理由や意味もなく、かたくなに自
分のカラにこもることをいいます。たとえば「同じ青いズボンでないと、学校へ行かない」とがん
ばるなど。

 一方、意地というのは、自己主張を貫くための、強い意思的行動をいいます。それについて
以前、書いたのが、つぎの原稿です。何かの本(「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社))
のために書いた原稿です。

++++++++++++++++++++++++++

●根性のある子ども
 
 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。この根性さえあれば、この世の中、何と
かなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人
生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう一枚、ピザを食べる」と言い出した。そこで母親
が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても一枚食べる」と。母親はあきらめ
て、もう一枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたという。あとで母親が、「お
となでも二枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰りなさ
い!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、その子ども
は先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。先生も、まさか本当に帰
るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間はかかるのに」と笑って
いた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考える。つま
りもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にたむろするスズメ
のようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードをかすめ取っていく。そう
いうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年もの長い年月を、生きのびるこ
とができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや親の
完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、その設
計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、自我をそがれ
る。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがままを
受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとはっきり言えば、
あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、子どもは、そのいいかげ
んな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様子になる
のは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でないと、絶対に座
らなかった。また別の男の子(年長児)は、二年間、ただの一度もお迎えにくる先生に、あいさ
つをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったのに、ど
うしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あれ買って!」
「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。ふつう幼児のばあい、わがままは
無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫
く。

+++++++++++++++++++++++++

 この原稿の中で、「自我」について書きましたが、簡単に言えば、「私は私」という意識のこと
です。もう一つ原稿(中日新聞発表済み)を、ここに添付します。どうか参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++++

●フロイトの自我論

 フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると……。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。

 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。

 その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から
考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、ある
べき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親
の価値感を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関
心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子
どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた
いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳
幼児から満四−五歳にかけての時期が重要である。

 人間は、ほかの動物と同様、数十万年というながい年月を、こうして生き延びてきた。その課
程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本
質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思う方がおかし
い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育
ての原点はここにある。

+++++++++++++++++++++++++

 MKさんのお子さんが、どのような状態なのか、いただいた質問だけでは、よくわかりませ
ん。しかしここに書いたような、「自我」の表れであるなら、それはそれとして、「ああ、うちの子
はたくましく育っている」と思いなおしてみることも、大切ではないでしょうか。

 またこの時期(小2から、小4)にかけては、軽い反抗期に入ることが知られています。この時
期の子どもは、幼児期と少女期の間を、行ったりきたりしながら、情緒的にも不安定になる時
期です(=心が緊張状態になるときです。)。ときに幼児のときのように甘えてみたり、反対に、
子ども扱いをされると怒ってみせたり。さらに反対に、おとなぶってみたりするなど。

 「このところ少しずつなおってきてはいますが……」ということですので、ここに書いたことを参
考に、今しばらく、様子をみては、いかがでしょうか。






 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】

●子どもの小遣い

【Q7】二人の子ども(上が年長男児、下が年少女児)の、こづかいのことです。近所に共働き
の家の子どもがいて、毎日、100〜200円の小づかいをもらっています。うちでは、小学3年
生くらいになったら、あげようと考えていますが、どうしたらよいでしょうか。自分の家庭だけで、
子育てをしようとしても、まわりが変わらないとできない面もあります。どのようにしたらよいでし
ょうか(YS)。

【A、はやし浩司より】

 小づかいが悪いのではありません。お金でものを買い、それで自分の欲望を満足させるとい
う、その方法に、注意したらよいと、私は講演で話しました。世界的にみても、日本人ほど、お
金でものごとを解決しようと考える国民は、いないのではないでしょうか。今、私の家には、オ
ーストラリア人夫婦が、ホームステイしていますが、彼らの生活を見ていると、実に質素である
ことがわかります。(驚くほど、質素ですが、「驚く」というのは、そのまま、私と彼らの生活の質
の違いをいうわけですね。)

 持論のひとつである、「小づかい100倍論」(中日新聞掲載済み)を、ここに添付しておきま
す。どうか、参考にしてください。もともとこの原稿は、「子どものゲーム」について相談を受けた
とき書いたものです。それについての原稿も、ここに添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

●小づかい一〇〇倍論

子どもの金銭感覚

子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ

 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感覚
は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分の欲望
を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇円のも
のなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円と。つまりこ
の時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買ったときの満足感と
同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは
満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇
万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子
どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは高価
であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまったくの誤解。あ
るいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子
どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあ
なたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になるゲーム
ソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというの
だ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。
「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を
同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがと
う」と。

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人の祖
母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に
並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持
参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じような苦労し
た人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあち
ゃん」にすぎないのではないのか。

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だ
が、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動車のコマーシャル
にもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太
くする。

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオ
ーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリアへ行ったとき、友
人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・
ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質
的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんな
プレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。

++++++++++++++++++++++++

●ハングリー精神を大切に

 子どもを伸ばす、最大の秘訣は、子どもをいつも、ややハングリーな状態におくこと。与えす
ぎ、しすぎは、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。「子どもには、これくらいすればいい
かな」とか、「ここまでさせようかな」と迷ったら、その一歩手前でやめる。たとえば子どもの学習
量にしても、三〇分くらいは勉強しそうだなと思ったら、思い切って、一五分でやめる。ワークブ
ックでも、二ページくらいならしそうだと思ったら、一ページでやめる、など。要するに、ほどほ
ど、に。

 とくに注意しなければならないのが、「欲望の満足」。子どものばあい、安易に欲望を満足さ
せてはいけない。たとえば子どもが「ゲームを買ってほしい」と言ったとする。「ほしい」というの
が、その欲望ということになる。問題は、欲望を満足させることよりも、それになれてしまうこと
である。たとえば幼児期に、一〇〇円、二〇〇円の買い物になれてしまった子どもは、中学
生、高校生にもなると、一万円や二万円の買い物では、満足しなくなる。いわんや、幼児期に、
一万円、二万円のものを手に入れることになれてしまったら、その子どもは、どうなるか?

 中には、「うちの子だけ、ゲーム機をもっていないと、友だちから仲間ハズレにされる」と、悩
んでいる親がいる。「いつも友だちの家に行って、ゲームばかりしている」とも。「だから買って
あげるしかない」と。

 ケースバイケースだから、そのつど親が判断するしかない。が、これだけは言える。今の日
本人ほど、モノやお金に固執する民族は、そうはいないということ。五〇年前とくらべても、日本
人は大きく変わった。今、ほとんどの親たちは、あまりにも安易に子どもにモノを買い与えてい
る。そして「子どものほしいものを買ってあげたから、子どもは親に感謝しているはず」「親子の
パイプも太くなったはず」と考える。しかしこれは誤解。あるいは逆効果。

 たとえばこのケースでも、親が子どもにゲーム機を買ってあげれば、子どもは親に、一応「あ
りがとう」と言うかもしれない。しかしそれはあくまでも、「一応」。さらにこわいのは、こうしてでき
た親子のリズムは、そのまま一生つづくということ。いつかその子どもがおとなになったとき、そ
の親は、こう考えるようになる。

 「うちの子だけ大学を出ていないというのでは、みんなに仲間ハズレにされる」「うちの子だ
け、あんなC結婚場で結婚すれば、バカにされる」と。ものの考え方がズレているが、そのズレ
にすら気がつかない。リズムというのは、そういうもので、自分で自分のリズムに気づくというこ
とは、まずない。その狂ったリズムが、いつまでもつづく。

 子どもをハングリーな状態におく……。一見簡単なようで、実際には、そうでない。子育て全
体のリズムの中で考えるようにする。

+++++++++++++++++++++

●それでも、ゲームを買ってあげたい、あなたへ、

 「そうは言われても、やっぱり子どもにゲームを買ってあげたい」と思っているあなたは、こう
すればよい。

 クリスマスや誕生日には、心のこもった温かいものをプレゼントする。手作りのものがよい。
そしてゲームは、父親が自分で買ったという前提で、別の日に、買う。そして子どもには、「とき
どきパパに貸してもらおうね」と言えばよい。こうすれば、あとあと指導もしやすくなる。「これは
パパのものだから、パパに借りて使うのだよ」と言うこともできるし、「友だちが遊びにきたら、
パパに使っていいかって聞くのよ」と言うこともできる。遊ぶ時間も、それで決められる。「パパ
が、一時間なら使っていいと言ったよ」とか。

 またこうすることに、つまり父親が主導権をにぎり、子どもと一緒に遊ぶことにより、親子のパ
イプも太くなる。あくまでも一つのアイディアだが……。

+++++++++++++++++++++++++

YSさんへ、

 ついでに、子どもへの小づかいの実情についても、調べてみました。浜松市内の小学生に聞
いてみたものです(03年7月調査)。で、わかったことは、どの家も、バラバラで、定型がないと
いうことです。参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++++

小3女児……お小遣いというのはない。ほしいものは、そのつど、買ってもらう。

小3女児……毎日500〜100円もらう。そのときで、いろいろ。「500円も!」と驚いて見せる
と、「毎日じゃあ、ないけどね」と言って、笑った。

小3女児……誕生日とか、お正月にもらうことはあるが、それ以外は、もらったことがない。「買
って」というと、親が買ってくれる。安いものは、自分のお金で買う。

小3女児……1か月に1000円と決まっている。それ以上に高いものは、お母さんに買っても
らっている。

小3男児……もらってない。ほしいものは、ねだると買ってくれる。

小3男児……わからない。小遣いって、何? お金のこと? お金なら、ときどきもらう。

小3男児……毎日200円くらいかな。もらえるとき、もらえないときがある。

小4女児……1か月2500円と決まっている。

小4女児……学校のテストで、100点を5枚取ると、100円もらえることになっている。

+++++++++++++++++++++++++

 あなたから見て、どうも心配……という友だちとつきあい始めたときの鉄則は、ただ一つ。
『友を責めるな、行為を責めよ』です。イギリスの教育格言です。

 これはどんなばあいも、友だちの名前を出してはいけないということ。「○○君は、悪い子だ
から、遊んではダメ」とです。こういうときは、その子どもの行為の、どこがどう悪いかだけを指
摘して、それで終わります。「買い食いすることは悪いこと」「お母さんの了解なしで、アイスを食
べることは悪いこと」とです。

 あとは子ども自身が判断します。こういうケースで、友だちの名前を出すと、「友を取るか、親
を取るか」、その択一を迫ることになります。子どもが、親を取ればよいのですが、そうでないと
きは、親子の間に、深刻なキレツを入れることになります。この格言は、思春期の子どもに、と
くに大切な格言ですから、覚えておかれるとよいと思います。












【検索キーワード】 BW子どもクラブ BW教室 BWきょうしつ BWこどもクラブ 教育評論 教育評論家 子育て格言 幼児の
心 幼
児の心理 幼児心理 子育て講演会 育児講演会 教育講演会 講師 講演会講師 母親講演会 はやし浩司 林浩司 林浩 子供の悩
み 幼児教育 幼児心理 心理学 はやし浩司 親子の問題 子供 心理 子供の心 親子関係 反抗期 はやし浩司 育児診断 育児評
論 育児評論家 幼児教育家 教育評論家 子育て評論家 子育ての悩みはやし浩司 教育評論 育児論 幼児教育論 育児論 子育
て論 はやし浩司 林浩司 教育評論家 評論家 子供の心理 幼児の心理 幼児心理 幼児心理学 子供の心理 子育て問題 はやし
浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイ
ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ
 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 
教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育
てQ&A 実践から生まれたの育児診断 子育てエッセイ 育児診断 ママ診断 はやし浩司の総合情報 はやし浩司 知能テスト 生活力
テスト 子どもの能力テスト 子どもの巣立ち はやし浩司 子育て診断 子育て情報 育児相談 子育て実践論 最前線の子育て論 子
育て格言 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 育児相談 子どもの心 子供の心 子どもの心理 子供の心 はやし浩司 不登校 
登校拒否 学校恐怖症 はやし浩司 子育て実例集 子育て定期検診 子どもの学習指導 はやし浩司 子供の学習 学習指導 子供の
学習指導 はやし浩司 子どもの生活指導 子供の生活 子どもの心を育てる 子供の心を考える 発語障害 浜松中日文化センター 
BW教室 はやし浩司の才能教室 幼児教室 幼児知能教室 浜松市 BWこどもクラブ はやし浩司 子育て診断 育児アドバイス 子育
てアドバイス 子育て情報 育児情報 育児調査 はやし浩司 子育ての悩み 育児問題 育児相談 はやし浩司 子育て調査 子育て疲
労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでく
ださい はやし浩司のホームページ 悩み調査 はやし浩司の経歴 はやし浩司 経歴 人物 子どもの叱り方 ポケモンカルト ポケモ
ン・カルト 子どもの知能 世にも不思議な留学記 武義高・武義高校同窓会 古城会 ドラえもん野比家の子育て論 クレヨンしんちゃん
野原家の子育て論 子育て教室 はやし浩司 浜松 静岡県 はやし浩司 子どもの指導法 子どもの学習指導 家族主義 子どものチ
ェックシート はやし浩司 はやしひろし 林ひろし 林浩司 静岡県浜松市 岐阜県美濃市 美濃 経済委員会給費留学生 金沢大学法
文学部法学科 三井物産社員 ニット部輸出課 大阪支店 教育評論家 幼児教育家 はやし浩司 子育てアドバイザー・育児相談 混
迷の時代の子育て論 Melbourne Australia International House/international house/Hiroshi Hayashi/1970/ はやし浩司 ママ診断 
過保護 過干渉・溺愛 過関心 教育論 子どもの巣立ち論 メルマガ Eマガ はやし浩司 子育て最前線のあなたへ・子育てはじめの一
歩 子育て はじめの一歩・最前線の子育て論 子育て最前線の育児論 はやし浩司 入野町 林浩司 林 浩司 東洋医学基礎 目で
見る漢方・幼児教育評論家 子育てアドバイザー 子どもの世界 子供の世界 育児如同播種・育児相談 子育てアドバイス 教育相談
 はやし浩司・はやしひろし 林ひろし 林浩司 林こうじ 浜松市入野町 テレビ寺子屋 最前線の子育て論 子育てストレス 最前線の
子育て はやし浩司 著述 執筆 評論 ファミリス ママ診断 メルボルン大学 はやし浩司 日豪経済委員会 日韓交換学生 三井物産
元社員 子どもの世界 子供の世界 子育ての悩み 育児一般 子供の心 子どもの心 子育て実戦 実践 静岡県在住 はやし浩司 
浜松 静岡県浜松市 子育て 育児相談 育児問題 子どもの心 子供の心 はやし浩司 心理 心理学 幼児教育 BW教室 はやし浩
司 子どもの問題 子供の問題 発達心理 育児問題 はやし浩司子育て情報 子育ての悩み 無料相談 はやし浩司 無料マガジン 
子育て情報 育児情報 はやし浩司 林浩司 林ひろし 浜松 講演会 講演 はやし浩司 林浩司 林 浩司 林こうじ コージ 林浩司 
はやしひろし はやしこうじ 林浩二 浩司 東洋医学 経穴 基礎 はやし浩司 教材研究 教材 育児如同播種 育児評論 子育て論 
子供の学習 学習指導 はやし浩司 野比家の子育て論 ポケモン カルト 野原家の子育て論 はやし浩司 飛鳥新社 100の箴言 
日豪経済委員会 給費 留学生 1970 東京商工会議所 子育ての最前線にいるあなたへ 中日新聞出版 はやし浩司 林浩司

子育てエッセイ 子育てエッセー 子育て随筆 子育て談話 はやし浩司 育児相談 子育て相談 子どもの問題 育児全般 はやし浩司
 子どもの心理 子育て 悩み 育児悩み 悩み相談 子どもの問題 育児悩み 子どもの心理 子供の心理 発達心理 幼児の心 はや
し浩司 幼児の問題 幼児 相談 随筆家 育児 随筆家 育児エッセー 育児エッセイ 母親の心理 母親の問題 育児全般 はやし浩
司 林浩司 林こうじ はやしこうじ はやしひろし 子育て アドバイス アドバイザー 子供の悩み 子どもの悩み 子育て情報 ADHD 
不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 浜松市

はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依
存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層
住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 
過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども
 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、
読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 
叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 
神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学
教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生
意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非
行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホ
ームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 
やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘
れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別
育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論
へ)東洋医学 漢方 目で見る漢方診断 東洋医学基礎編 はやし浩司 東洋医学 黄帝内経 素問 霊枢 幼児教育 はやし浩 林浩
司 林浩 幼児教育研究 子育て評論 子育て評論家 子どもの心 子どもの心理 子ども相談 子ども相談 はやし浩司 育児論 子育
て論 幼児教育論 幼児教育 子育て問題 育児問題 はやし浩司 林浩司