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【1】

●息子のガールフレンド

●1児をもつ女性と交際している、息子(高3)の子ども

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一児をもつ若い女性と、交際している高校3年
生の息子。

その息子の母親から、掲示板のほうに、「どう
したらいいか」という相談があった。

父親も、体調を崩しているという。

なおその女性は、現在、満18歳だという。

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【掲示板への投稿記事より】(文体は私のほうで、少し変えました。)

林先生。初めまして。とても悩んでます。

息子は、現在、私立男子進学高校の3年生です。
受験真っただ中です。

去年の夏まで受験に向けて、塾や図書館で、頑張って勉強していました。
大学オープンキャンパスにも4校、参加しました。
偏差値60ぐらいの大学です。

夏の終わりに1日だけのアルバイトに友だちに誘われて都会まで行き、そこで今の彼女と出会
いました。それからというもの、無断外泊が始まり、塾には通っていましたが、勉強に身がはい
らなくなってしまったように見えました。ある日、学校にも行かないので、強く叱ると、そのまま、
大きな荷物を持って家を出てしまいました。

高校の先生も塾の先生もいっしょに探してくださり、塾の先生が彼女の家を探しだし、連れ戻し
てくださいました。家から車で3時間のところです。

そのことを知った、塾の、面倒見のいい友断ちが、息子を殴りました。それからは学校へも塾
へも行かず・・でもなんとか、卒業はできそうですが。1学期まで1度も休んだ事がない息子だっ
たのですが・・。

彼女には、1歳になる認知してない子供がいて、その子のためか、息子に優しく、携帯代の30
000円や、交通費1往復3000円も息子に与えたりしています。「そういうことはやめてほしい」
と、言いましたが、「連絡とれないとかわいそう」とか、彼女は言います。

今、彼女は1歳の子どもと2人暮らし。そこに息子は、3日ほどの無断外泊を、しょっちゅうしま
す。塾の先生が最近は家庭教師にきてくれますが、それもすっぽかしたりします。

今、友だちは1人もいません。私たち夫婦はそれなりの学歴があり、親戚もみんなそうです。だ
から、私も頑張ってきました。でも、息子にはそれがいやだったのかも・・でも、夏までは頑張っ
ていたのですが・・ 

カウンセラーの先生も塾の先生も今は何も言わないで、受験が終わったら話しあいましょうと
おっしゃってくださっていますが、私の気持ちは限界です。主人も体調不良になってしまいまし
た。それでも、あとの2人の小学生の娘たちのために、なんとかふんばっています。

先日、息子の机に本人が描いた絵がありました。父・母・妹・妹をひとつの円で囲み、自分とか
いた息子が少し離れたところに描いていました。

家でまったくしゃべらないのです。彼女ができて以来。食事は一緒にしますが、終わったらすぐ
に自分の部屋に行きます。

息子なりに孤独を感じているのだと思いますが、どうしたらいいのか・・・。

私の財布から、しょっちゅうお金を盗みます。2・3万円とか、そういう金額です。最近では小学
生の娘たちの財布からも・・。

まだ、受験は残っていますが、夏の希望校より偏差値20も低い大学です。しかも彼女の家の
すぐそばです。

本人は、受かる気でいます。
夜中に帰ってきて、朝、受験しにでかけます。

お忙しいのに、長文を読んでくださりありがとうございました。
黙っているのが限界になってきたのです。まだ、黙っているべきですか?!
よろしくお願いいたします。

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、UK様へ】

 掲示板への投稿ということで、あなた様のことを、UK(unknown)様とします。

 今、UK様は、今まで、ご自身がもっておられた哲学観、倫理観、道徳観、既成概念、常識な
どが、リシャッフルされたような心理状態にあると思われます。そのどれをも、息子さんに否定
されてしまい、大きなショックを受けておられるのが、よくわかります。たいへんな混乱状態にあ
るということも、よくわかります。

 しかし一歩退いて、私のような立場でみると、「今は何も言わないで、受験が終わったら話し
合いましょう」と言う、カウンセラーの先生や塾の先生の言っていることが、正解のように思いま
す。ここでジタバタしても、何も解決しなばかりか、かえって問題をこじらせてしまうだけのように
思います。受験にも、さしさわりが出てくるかもしれません。

 またこうした問題には、さらに二番底、三番底があります。今のUKさんにしてみれば、現在
の状況が、ドン底に見えるかもしれません。しかしここで問題をこじらせてしまうと、さらに、二
番底、三番底へと、(あくまでもあなたから見ての話ですが……)、息子さんは、落ちていく可能
性があります。たとえば大学を中退、就職、その女性と同棲を始める、など。(だからといって、
それをドン底とみるのは、どうかという問題もあります。大切なことは、息子さんは息子さんで、
自分の納得した人生を歩むということです。ドン底かどうかという判断は、最終的には、本人が
すべき問題ということです。)

 私もM物産という会社をやめて、幼稚園の講師になったとき、母親は猛反対し、電話口の向
こうで泣き崩れてしまいました。私にとっては、自分で納得した選択だったのですが……。私の
母にしてみれば、私がドン底にでも落ちたかのように感じたのだと思います。

 高校3年生といえば、もう立派なおとなです。あなたから見れば、(子ども)かもしれません
が、立派なおとなです。あなたが思っている以上に、お子さんは、自分の将来を考え、まわりの
ことを考えています。

 そこでこういう問題では、親意識が強ければ強いほど、あなたのお子さんは、あなたから離
れていくだろうということです。価値観の押しつけ、頭ごなしの説教などは、この際、心して避け
てください。親としてではなく、友として、息子さんの横に立つようにしてみてください。相談相手
になるつもりで接するのがコツです。

またこうした男女関係は、大学生の世界では、今どき、珍しくもなんともありません。たまたま今
は、親と同居しているため、あなたという親の目にとまってしまったにすぎません。年齢的に、
みなより、少し早かったかなというだけのことです。

 で、こうしたケースでは、ある期間、そういった男女関係をつづけても、結局は長つづきせ
ず、みな、別れていきます。いわば、青春時代の、一過性の「熱病」のようなものです。ふつう
は、見て見ぬフリをしながら、やり過ごすものです。が、UKさん夫婦が、それにカリカリすれば
するほど、息子さんとその女性の関係を、より強固なものにしてしまうという可能性もあります。
心理学の世界にも、『ロミオとジュリエット効果』というのが、あります。ご存知ですか? 周囲の
ものが反対すればするほど、当人たちは、より燃えあがってしまい、よりお互いに愛しあってい
ると、錯覚してしまうということです。

 少し無責任な言い方になるかもしれませんが、時期がくれば、息子さんは、自然と、その女性
から離れていくだろうということです。今、息子さんと、その女性を、将来に向かって結びつける
ものが、何もないからです。ともに、生活力もありませんし、その女性にしても、息子さんの存
在を、それほど、重要視はしていないはずです。

 また受験に関していえば、息子さんは、どこか偏差値だけで大学を選んでいるような感じがし
ます。つまり目的や目標が、そこにないのが気になります。UK様自身も、偏差値の高い大学
ほど、息子さんにふさわしいと考えておられるような感じがします。

 今回、こうした事態になった背景には、そうした息子さんやUK様の受験姿勢があったのかも
しれません。つまりこのまま大学に進学しても、どこの大学に入学したところで、遅かれ早か
れ、今のような状況になっただろうと思われます。が、だからといって、どこの大学でもよいと言
っているのではありません。またそうなってもしかたないと言っているのではありません。

 ここは、ともかくも静観するしかないということです。もしUK様に、「私の言うことを聞かないな
ら、大学の学費は出さない」と、あなたの息子さんに言うだけの勇気があれば、話は別です
が、今の状況では、多分、それも無理でしょう。息子さんは、すでにそういうUK様の心の弱さま
で、読んでしまっているように思います。(ただしお金の管理だけは、しっかりとしてください
ね。)

 が、何よりも、大切なことは、UK様の内心はともかくも、つまり内心の迷いはさておき、息子
さんを、信ずることではないでしょうか。少なくとも、表向きは信じているフリをしながら、動揺し
ないことだと思います。

 子育てというのは、本来、そういうものです。思うようになるようで、結局は、ならない。子ども
に振り回されながら、山を越え、谷を越えている間に、親自身が成長させられていく。親が子ど
もを育てるのではありません。子どもが親を育てているのです。

 今のUK様にとっては、つらい毎日かもしれません。そのお気持ちは、よくわかります。しかし
息子さんにも、そろそろ巣立ちのときがきているように思います。が、その巣立ちは、いつも美
しいものとはかぎりません。中には、ののしりあいながら、巣立ちしていく子どももいます。しか
し巣立ちは巣立ち。そういった視点でも、この問題を考えてみてください。

 息子さんが高校3年生では、親としても、できることは、ほとんどないということです。なすべき
ことも、ほとんど、ありません。だれかが説得して……という問題でもありません。

 だからここは静観します。動じないで、うろたえないで。そしてあとは『許して、忘れます』。そ
のあとのことは、必ず、時間が解決してくれます。息子さんは、水がどこかへ流れていくように、
煙がどこかへ流れていくように、やがて自分の道を進み始めます。来るときがくれば、自然と、
そのようになっていくということです。

 あまりお力になれなくて、すみません。1作、7年前に中日新聞に書いた記事を、このあとに
添付しておきます。参考にしてくださればうれしく思います。

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●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人
には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。

いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてく
れるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこ
とを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救わ
れた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親を
みると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだでは
ないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう
書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれ
ない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残している。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる』
と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。

+++++++++++++++++++++++++

 UKさんへ、あとは時間が解決してくれますよ。『時は、心の癒し人』です。それを信じて、前に
向って進んでください。過去にとらわれることなく、未来を恐れることなく、今日、今できること
を、懸命に、ただひたすら懸命にすればよいのです。

いっしょに、がんばりましょう!

++++++++++++++++++

【UK様よりの返信、掲示板より……】

林先生、お忙しいのに早速お返事いただきありがとうございます。

書き込みする場所を間違えました。ごめんなさい。

先生のお返事を何度も何度も読んで心より理解したいと思っています。

彼女も18歳。中卒なので、友だちも少ないのだと思います。
1人で1歳の子を育てるのは大変で、息子が必要なんだと思います。

彼女の親父と電話で話しましたが、「恋愛は自由だ」と言われてしまいました。母親からは「あ
なたの息子さんの子だって言いたいけど、違いますよー。ハハh」って感じでどうも感覚が違うと
思いました。でも、息子はいつもやかましく言われてた親より彼女や彼女の親のほうが楽で癒
しの場なのだと思います。

信じて、静観して、許して忘れる。
頑張ります。ありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

(追伸)

●Nさんからの相談

 掲示板のほうに、Nさんという母親から、相談の書きこみがあった。そのままここに紹介させ
てもらう。Nさんの息子さんは、高校生のとき、すでに一児をもつ女性と、半同棲生活を経験し
ている。そしてこの春に、その女性との間に、子どもまで、できてしまった。相手の女性は、「中
絶はしない」「子どもは、産む」と言っているという。

 やっとのことで、息子さんは、その女性とは別れ、この春に、大学に入学。

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【Nさんより、はやし浩司へ】

ご無沙汰しています。
冬から春にかけて、大1の息子の悩みを聞いていただき、その節はありがとうございました。

先生のお言葉の通り、「真の愛」を探して「受容、黙認」で、頑張ってきました。
息子の元彼女や彼女の親から、あれ以来、一切連絡はありません。

息子に、「元彼女と話し合った?」と聞いても、「いいや」というだけです。
4月は元気の楽しく大学に通っていましたが、私たち親が、元彼女の妊娠を知ってからは、息
子の様子は、また逆戻りになりました。

最近は高校中退のフリーターとバイトに通いだし、学校に行っいてる様子ありません。でも、本
人は「ちゃんと通っている」というので、定期券代も渡し、様子をみていました。

今前期試験真っ最中です。

昨日、「明日は2時間目から試験」と言い、今朝、「電車に間に合わないから車で送って」と言う
ので、送っていきました。その後、買い物して帰ろうと別の道を走っいると、息子の姿がありま
す。

その先はバイト先のパチンコ屋です。車を止めて「試験は?」と聞くと、「明日やった・・・・」と。
本人にしたらウソがばれたのです。
今までの試験も受けてないと思います・・

動機もよくわからないまま、受けた遠い大学です。

私たち親もあの時は、なんとか彼女の家に入り浸りになる状況から、ほかの明るい世界を見
せようと必死でした。本人が受けたい大学(元彼女の家の近く)ということで 受験。合格。親は
不満でしたが入学させました。だけど、彼女と別れたので、必要がなくなったのかもしれませ
ん。

今、高校中退のフリーターの友達と一緒にいるのが楽なのかも・・。
そうやって、常に現実逃避ばかりしています。

夏休みに2輪の免許を取ると言い、お金が必要なんだと言っています。

先生が、自立の一歩にウソをあげられていましたが、親は騙されっぱなしです。

旦那は「ほっとけ」しか言いません。

秋になったら、もしかしたら元彼女側からなにか要求があるかもしれません。(生まれてくる子
どもの養育費など。)

絶対それには、息子に、そっぽをむかせたくありません。(責任を取らせます。)
でも、こんな状態でなにもかも中途半端。今さえよければそれでいい。今の息子は、そんな感じ
です。

春休みにしていたガソリンスタンドのバイトも途中でやめて、息子は、上司に家の前で怒られて
いました。

(ありがたかったです)

でも、本人は責任というものが何もなく、感謝の気持ちもなく、私はどうしたらいいのでしょう?

文章が支離滅裂でごめんなさい。

+++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりNさんへ】

 大学生といえば、おとなです。親は、だまされたとわかっていても、だまされたフリをして、あと
は、許して忘れなさい。Nさんの息子さんだけが、そうというわけではありません。みな、そうで
す。

 あなたの夫も言っているように、「ほってけ」です。またそれが正解です。

 今のあなたの息子さんの心理は、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致していない状
態にあるとみます。自己の同一性(アイデンティティ)がもてないまま、右往左往している状態と
考えると、わかりやすいでしょう。

 私も、一時期、……といっても、5年間ほど、つづきましたが、そういう時期がありました。そ
れは当人にとっても、たいへん苦しい一時期です。はたから見ると、無責任に見えるかもしれ
ませんが、今までの、あなたの子育てのツケが、今の息子さんに集約されていると考えてくださ
い。

 いつもあなたは、子どもの手を引きながら、子どもの前ばかり、歩いていた。あるいは、グイ
グイと、うしろから押しつづけてばかりいた。以前の書きこみを読んでいると、そんな感じがして
なりません。

 もともとあなたは、心配先行型の子育てをしてきた。息子さんが、赤ちゃんのときからです。
それがいまだにつづいている。はっきり言えば、いまだに、子離れができていない(?)。

 私はあなた自身の、精神的な未熟性を強く感じます(失礼!)。あるいは、情緒も不安定かも
しれません(失礼!)。

 息子さんのことは、もう、放っておきなさい。水が、やがて流れいく場所を自分をみつけて流
れていくように、息子さんも、自然の流れの中で、自分の進むべき道をみつけていくでしょう。こ
ういう問題では、親が心配すればするほど、子どもは、あなたの望む方向とは別の方向に進ん
でしまうものです。

 あなたはあなたで、したいことをすればよいのです。そしてもし、何か息子さんのことで問題が
起きたら、そのときは、「友」として、息子さんの横に立ちます。友として、相談にのってやりま
す。

 このあたりが、親の限界ということにもなります。またその限界を知る親が、賢い親ということ
になります。

 私の母も、私が幼稚園の教師になると告げたとき、電話口の向こうで、ワーワーと泣き崩れ
てしまいました。母には母の思いというものがあったのでしょう。それはわかりますが、今のNさ
んの書きこみを読んでいると、当時の私の母を思い出します。

 大切なことは、だまされても、だまされても、息子さんを信ずることです。あなたの息子さんで
は、ないですか。またそれしか、今のあなたにできることはありません。

 あなたの子どもといっても、大学生です。おとなですよ! 









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【2】

●母因性、子どもの問題

【Nさんへ】

++++++++++++++++++++

昨日(1・15)は、教室で、いろいろ
話をさせていただき、ありがとうございました。

改めて、ご主人のすばらしさには、感動
しました。「さずがだな……」と、何度も
思いました。

あのあと、あれこれ考えました。
失礼なことを、言ったかもしれませんが、
どうか、お許しください。

で、いろいろな点について、補足しておきたいと
思います。この原稿が、Nさんの目にとまることを
願っています。

++++++++++++++++++++

 お子さんの名前を、Mさん(年長児)としておきます。そのMさんですが、全体としてみると、ま
ったく問題のない子どもです。まずそれを前提として考えます。

 で、Mさんの症状は、大きく分けて、2つあります。(1)神経症(心身症)による症状と、(2)赤
ちゃん返りがこじれた、強度の分離不安もしくは、かんしゃく発作です。

 別々に考えると、それらは、子どもの世界では、よく見られる、ごくふつうの、何というか、だ
れでも一度くらいは経験する問題だということです。この2つをくっつけてしまうと、何がなんだ
か、わけがわからなくなりますから、ご注意ください。

 ここではNさんのことを直接書くことはできませんので、今までに経験した子どもの中から、い
くつかの事例をあげて、具体的に考えてみたいと思います。何かのお役にたてれば、うれしい
です。もちろんNさんのことを書いているのではありません。

●マッチ・ポンプ

 ときどき経験するのが、「マッチ・ポンプ」です。母親が一方で子どもの問題をつくりながら、他
方で、「どうしよう」「どうしたらいいの」と悩むのが、それです。よい例が過干渉です。

 子どもの精神状態にまで干渉しながら、その結果、子どもに過干渉児特有の、萎縮性や内
閉性が見られるようになると、「どうしたらいいですか?」と。私は、母親に原因があるという意
味で、「母因性」という言葉を使っています。

 Nさんが、そうであるということではなく、そういうケースは、多いです。

 ほかにたとえば、母親自身が、育児ノイローゼになり、その影響を子どもに与えておきなが
ら、やはり「どうしたらいいの?」と。5、6年前ですが、こんなことがありました。

 母親が交通事故を起こしてしまいました。かなりひどい事故だったようです。で、その直後か
ら、その母親は、毎週、2〜3つの病院を、かけもちで通うようになりました。内科と整形外科
と、もう1つは何だったか忘れました。が、やがてそれに、精神科が加わるようになりました。

 事故をきっかけとして、つまりそれ以後、すっかり体調を崩してしまい、うつ状態になってしま
ったからです。電話での様子も、事故前と、事故後では、まったく別人のように変わってしまい
ました。

 で、子どもに影響が現れ始めたのは、それから数か月から半年してからのことだったと記憶
しています。そのときその子どもは、小学2年生(女児)ではなかったかな?

 すっかり暗くなってしまった家庭で、(当時の私は、そう感じていました)、その子どもは、自分
の居場所をなくしてしまったのかもしれません。その子どもの表情は、日を追うごとに暗くなって
いきました。そして毎日のように、頭痛や腹痛を訴え、学校へ行っても、ほとんどの時間を、保
健室で過ごすようになってしまいました。

 が、母親自身は、あれこれ病気を訴えながらも、それはそれとして、「私は変わっていない」と
思っていたのかもしれません。子どもに、何か変化が起きるたびに、「どうしたらいいでしょう
か?」と相談にやってきました。

 しかし私の立場では、「お母さんに、原因がありますよ」とは、とても言えませんでした。交通
事故による心の後遺症が、あまりにも痛々しかったからです。「母因性」というには、あまりにも
酷な状態でした。

●神経症の問題

 子どもが何か、どこかおかしな症状を見せると、親は、悩みます。たとえばチックを考えてみ
ます。

 チックといっても、症状には軽重があるものの、何割かの子どもが、一度は経験するというほ
ど、珍しくも何ともありません。

 そういうチックを知ると、(ほとんどの親はチックであることですら気づかず、「おかしなクセ」と
誤解して、見過ごしてしまいますが)、親は、とたんにそれを気にするようになります。

 ほんの少しまばたきしただけで、「そら、またチックだ!」と。そしてことさらそれをおおげさに
問題にします。つまり親自身が、子どもの神経症に神経質になってしまい、自分自身が、同じ
ような神経症になってしまうのです。

 こうしたケースは、珍しくありません。先日何かの本で読んだ話には、こんなのがありました。
母親がうつ病になると、その家族が、うつ病になる確率が、たいへん高くなるという話です。さら
にこんな話も。

 ある会社のある上司(課長)が、うつ病になったのでそうです。そうしたらやがて、その課全体
が、重苦しい雰囲気に包まれるようになり、気がついてみたら、その課の何割かの人たちま
で、うつ病になってしまったという話です。

 これを「病気の連鎖」といいます。親子であると、この病気の連鎖は、さらに顕著に現れま
す。

 で、最初の話に戻りますが、子どものチックを気にしながら、母親自身が、神経症になってし
まうというケースです。で、この段階で、母親が神経症になると、その相乗効果というか、悪循
環というか、子どものチックは、さらにひどくなります。

●原因は母親

 子どもが何らかの神経症による症状を見せたとき、第一の原因は、母親にあるとみます。
が、決して、母親を責めているのではありません。

 子育ては、それほどまでに重労働だということです。1人の子どもを育てながら、みな、ヘトヘ
トになっています。それが2人、3人となれば、なおさらです。

 そういう母親を責めているのではありません。ただ子育てに、あまり熱心になるのは、考えも
のだということです。そういう意味では、子育てには、「底」がありません。一度、子育てのウズ
に巻きこまれると、どんな母親でも、そのウズの中でもがき苦しみながら、底なしの世界に入り
こんでしまうということです。

 そこで私は、「適当に手を抜く」ということを、話しています。子育てをしながら、手を抜く。適当
なところで、適当に、手を抜くということです。

 しかし私がそう言えば言うほど、今度はまた、親は苦しんでしまいます。よい例が過干渉で
す。私が「お母さん、過干渉ぎみですよ」と指摘すると、そのときは、母親は、「そうです」と言っ
て、それに従ってくれます。

 が、いざ、子どもを前にすると、「過干渉であってはいけない」「私は過干渉ママなのだ」と、か
えって思い悩んでしまうのです。つまりそれがストレッサーとなって、さらに母親を苦しめてしまう
……。

 では、どうするか、ですが、結論は、ただ1つ。「子育てから離れる」です。子どものことを忘れ
て、一人の人間として、好き勝手なことをする。そしてその結果として、子育て離れる。

 少し無責任な言い方に聞こえるかもしれませんが、子どもというのは、放っておいても、育つ
ものです。あれこれ手をかけたからといって、育つものでもありません。むしろ、やや放任気味
のほうが、子どもは、よく育ちます。こんな研究結果があります。

●子どものやる気

 D・C・マクレランドという人がした調査ですが、彼はまず、母親たちを、(1)意欲最高群、(2)
意欲高群、(3)意欲普通群、(4)意欲低群の4つに分類しました。

 わかりやく言えば、(1)教育的に過関心、過剰期待、過剰負担を強いる母親〜〜(4)子ども
の教育に無関心という母親に分類したということです。

 その結果ですが、子どものやる気(=達成動機得点)は、(1)の意欲最高群の母親のばあい
が、一番低く、(3)の意欲普通群の子どもが、一番高いということがわかりました。

 そして(4)の意欲最高群の母親の子どもの、やる気は、(1)の意欲低群の母親の子どもの、
やる気よりも、はるかに低いということもわかりました。

 つまり親がカリカリすればするほど、何もしない親よりも、はるかに逆効果となって、子どもか
ら、やる気を奪ってしまうということです。つまり普通の母親が、一番、よいということになりま
す。

 では、どうすれば、(普通)であるかということですが、それについては、昨日、「子育て診断」
の冊子をお渡ししましたので、それで自己診断をしてみてください。40項目について、Nさんの
子育てを診断できるようになっていますので、どこに、どのような問題があるか、それでわかっ
ていただけると思います。

●神経症

 神経症による症状のほとんどは、子どもの側から見て、愛情的な意味で、絶対的な安心感を
得られないことが原因で起こると考えて、ほぼまちがいありません。またそういう前提で、考え
てみてください。

 Nさんのばあいは、下の子どもが生まれたときから、そういった症状が出ているということで
すので、赤ちゃん返りがこじれた、やや複雑なバリエーションではないかと判断しています。

 Nさんから見れば、「平等」ということになりますが、上の子にとっては、その平等ということ
が、不満なのです。そしてそのどこかで愛情飢餓を覚えてしまった。そういう状態です。

 ですから、子どもの神経症的な症状の部分については、まずNさん自身が、全幅の愛情を、
子どもに向けなおすという方向で、接し方のあり方を、もう一度、考えてなおしてみてください。

 昨日も話しましたが、「なおそう」と思うのではなく、「今の状態をこれ以上悪くしない」というこ
とだけを考えて、様子をみます。というのも、こうした神経症による症状は、一度、現れると、環
境が改善されたのちも、症状だけは、そのまましばらく残ってつづくにがふつうだからです。チ
ックにしても、環境が変わり、子どもの心が大きく変化したあとも、いわば(クセ)のような形で、
そのあと、1〜3年つづくことも、珍しくありません。

 Nさんの子どもが、絶対的な安心感、(「絶対的」というのは、疑いすらもたないという意味で
す)、それを覚えたとき、今心配なさっておられる症状も、少しずつ、消えていきます。

 最後に、冒頭にも書きましたように、こうした問題は、子どもの世界ではよく見られるものであ
るということ。あまりおおげさに考えるのではなく、おおらかに。今、子どもが見せている症状
は、いわば心の不調を訴える、黄信号ととらえて、手を抜くところは、思い切って手を抜いてみ
てください。そのためにも、Nさんは、一度、母親であることを忘れて、自分のしたいことをする
のです。このままでは、Nさん自身が、育児ノイローゼになってしまいますよ!
(はやし浩司 子供の意欲 意欲 意欲最高群 D・C・マクレランド 意欲を引き出す 達成動
機得点 子供のやる気 はやし浩司)
(060215)







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【3】

●実父の愛人問題

●掲示板より

++++++++++++++++++

それぞれの家庭には、それぞれの問題が
ありますね。

一見、幸福そうに見える家庭でも、そう
見えるだけ?

だから問題があることを悩むのではなく、
問題があって当然という前提で、自分の
家庭を見なおしてみる。

それが大切なのではないでしょうか。

掲示板へのこの書きこみを読みながら、
私は、そんなことを考えました。

++++++++++++++++++

【Yさんより、掲示板へ】

こんにちは。
私の実父母のことなのですが・・・
父には数年前から愛人がいます。たぶん現在も続いています。
母がその事に気づいてから、私や弟や親戚など、たくさんの人を巻き込み、父にいろいろ追及
したのですが、父は絶対に認めようとしませんでした。

母は、このままでは自分がおかしくなってしまうからと別居もしました。
2年ほど別居している間に、私は父と愛人が一緒にいるところを突き止め、その場で父と話を
して、「(愛人とは)もう会わない」と約束させました。

けれどそれは口先だけだったようで、一筆書いて署名捺印して欲しいと言うと、頑なに拒否され
てしまいました。
そして、母には「仲良くやっていこう」と言うのです。

父は母と結婚して以来、家計も自分で握っていて、母には食費として数万円、渡していただけ
でした。

母は、父はとてもやさしくしっかりした人だとずーっと思っていたのですが、60歳を目前にして
貯金がゼロだとわかり、しかも愛人までいて、かなりショックを受けたようでした。

父は、世間にも家族にも「いい人」を演じていただけで、実は、お金と女にだらしのない人間だ
ったのです。

私としては、そんな父はもう放っておいて、今すぐに離婚すればいいと思うのですが、母には経
済力がないのです。腱鞘炎とヘルニアのため無理もできません。
私や弟も現時点では、母を引き取る事は難しいです。

母は、7年後に年金法が改正されたら、離婚すると言っています。
それなら、生活のために今は割り切って、一緒にいるんだなーと思っていたのですが、父の携
帯電話をチェックして、私に「この番号にかけてみて」「相手が男か女か確かめて」と言ってきた
りするのです。

母は、執念深くて、嫉妬深くて、わがままな性格です。
あと7年も、母は父と生活できるのでしょうか?

私自身、主人が子供をかわいがれない(私も離婚したい)。次女のおねしょや爪噛み。長女は
朝起こしても起きない。起きても動かない。今1年生ですが、ほぼ毎日遅刻していて、「本当は
学校に行きたくないんじゃない?」など悩みは尽きないのに、実家のことまでとなるとイライラし
てしまいます。

愚痴のようになってしまって、すみません。
最近もんもんとしていて、誰かに聞いてもらいたかっただけです。
ここに書いてみて、ちょっとスッキリしました。

先生の日記・メルマガ。いつも楽しみにしています。
頑張ってくださいね(^^)v

【はやし浩司よりYさんへ】

 親の問題は親の問題と割り切って、Yさんから切り離して考えたらよいと思います。Yさんが思
い悩んだところで、どうにもならない問題かと思います。子どものあなたが、「離婚すればいい」
と考えたり、父親に、「約束させる」などということをしても、あまり意味はないということです。

 同時に、父親、母親という、「親」に対する幻想も捨てます。幼児期に、子どもは、親は絶対と
いう意識をもちます。(「もつ」というより、「植えつけられる」のかな?)「人工論※」というのが、
それです。その人工論が、そのまま残像、あるいは亡霊となって、子どもの心の中に、生涯に
わたって残ります。

 親子の密着度が強ければ強いほど、この人工論も、強く残ります。わかりやすく言えば、親に
対して、いつまでも、幻想をもちやすいということです。

 しかし親とて、人間。ただの人間。ばあいによっては、子どものあなた自身より、レベルが低
いことだって、ありえます。だから親に、高邁(こうまい)な人格など、求めないこと。期待しない
こと。

 (だからといって、Yさんのご両親が、そうであると言っているのではありません。一般論とし
て、そう言っているだけです。)

 また「愛人がいた」ということと、「女性にだらしない」ということとは、別問題のように思いま
す。つまり「愛人」と、「心のだらしなさ」を、直接結びつけないほうが、よいのではないかと思い
ます。恋愛感情などというものは、その人の知性や理性を超えた世界で、その人の内部、奥深
くで生まれるものです。「女性にだらしない」というのは、たとえば、女性の心を、平気でもてあ
そぶような行為をいいます。

 あなたの父親は、ひょっとしたら、そうではないのではないかと思います。「60歳を前にして」
とありますので、あなたの父親は、私と同年齢かもしれませんね。私のような年齢になると、セ
ックスのために「女性」を求めるということは、もうありません。その気が消えるわけではありま
せんが、そういうことをするのを、めんどうに感ずるようになります。

 で、一番、苦しんでいるのが、実は、父親自身ではないのかなと思います。自分で自分をどう
したらよいのか、わからないでいるのかもしれません。まあ、同じ同性の立場で言えることがあ
るとするなら、一方的に、父親が悪いというものの考え方をするのではなく、また一方的に母親
の味方をするのではなく、父親自身の心に耳を傾けてがえうことのほうが、大切なのではない
でしょうか。

 まあ、これも人生。あれも人生。いろいろなことがありますね。掲示板への投稿、ありがとうご
ざいました。







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【4】

●子どもの作文指導

【YKさんからのメール】

++++++++++++++++

YKさんから、こんなメールが
届いています。

2月から、作文指導を始めたこ
とについての、ご意見+アルファ
です。

YKさん、メール、ありがとう
ございました。

++++++++++++++++

はやし先生 

こんにちは。
だいぶ春めいてきました。
今日は、小学校の体力づくり大会。
午前中は、その応援に行ってきました。

最近、BWで国語(作文)の指導が始まったようで
「やってくださるといいな〜」 と以前から思っていたので
「やったー!」 と
うれしくて仕方のない今日この頃です。
ありがとうございます。

先日のレッスンの後、R雄(弟)が、

R雄「なんか具合悪いみたい。熱を測ってみる。」 
と、帰ってくるなり、そんなことを言いました。

どうしたのかな?、と様子をうかがっていると

R雄「今日はちょっと張り切りすぎかな〜。」
母  「はっ?  何が?」
R雄「BWでさっ。」
母  「何やってきたの?」
R雄「まあ、いろいろとね。」   ピピピッ
   「熱、37.2°だ。」
母  「頭が痛い?」
R雄「う〜〜ん…わからない。」
母  「まあ、とりあえず、ご飯食べようか。
    その後、また熱を測ってみよう。」

母  「もしや、これは脳みそをたくさん使ったことによる
   知恵熱かな? 」
と、内心ちょっとワクワク(!?)してしまいました。

以前、先生のエッセイにあった、「レッスン後頭が熱い」の
まさに、その症状かもしれない、と、おもったのです。


一時間後
R雄「熱を測ってみたら36.1°だったよ。」
母  「きっと、BWで脳みそをマックスに使ったからじゃないの。」
父  「そうだ!そうだ! 脳みそは使えるだけ使うのがいいぞ。」


とにかく、張り切る。あわてる。調子づく。
がライフスタイルの息子なので…。
ホント、お世話になります。

KH子(姉)の方は、淡々とした毎日を送っているようです。
私からみると以前に比べ、とてもどっしりとして見えます。
二学期の「いじめ」のトラブルもいい感じで乗り越えました。
「自信」 と言うわけでもないのでしょうけれど
自分なりのリズムをしっかり守ろうとがんばっているのが
よくわかります。

いい、傾向だな。 と、感じています。
でも、もしかしてそれは母親の私がやっとKH子のいいところに
気づいた(認めた)のかもしれません。

この子のゆっくりとしたマイペース。
どうかすると、「怠けているんじゃないの。」と
見えてしまう態度に本当にイライラしたものでした。

少し前、洗濯物を一緒に干しながら、
母  「ママはね、ママ学校に行ったわけでもないし
    ママになっていいよ。って合格証書をもらったわけでもないけど
    あなたが、生まれたと同時にママになったのよね。」
   「だから、わからないことや間違っていることが一杯あると思うんだ。
    今まで、ごめんね。」
と、言ってみたのです。

KH子「??? 別に…。」
と、言いながらびっくりした顔をしました。

4歳になったばかりの次女を見ていると
今まで上の二人、とくにKH子にしてきた子育てが
どんなに自分(親)中心のリズムで振り回していたのかがよくわかります。

最近では、ちょっとしたトラブルがあっても
「あ〜誤差の範囲ね。」、と
かなり図太くなってきた私、自分自身驚いています。
「誤差」とは失礼な…と子供たちは思うかもしれませんが…。

先日、食事をしているときにこんな会話をしました。
母   「KH子が、こんなにおもしろくなるとは思わなかったよ。」
KH子 「何、どうゆうこと?」
母   「そうね〜。例えて言うなら、トランプのカードが分けられて
    その内容がおもいのほかよくてワクワク。ゲームが楽しみ。って
    心境かな。」
KH子 「ふ〜ん。そう。」

KH子は、まんざらでもないニコニコ顔をしていました。
私の言いたいことはわかったようです。

「受験をしたい」と、自己主張したこと。
勉強ができるようになりたいと思い始めたこと。
自分自信の中での目標があること。
何より自分でやるようになったこと。

そして、勉強ができるようになってきたこと。

そんな前向きな様子に「おもしろくなってきた」という言葉が
私の中から自然と出てきたのだと思います。
もちろん、受験という当面の課題に向けていい下地ができてきた
という意味もあります。

親の子供への期待(要求)は本当に際限がないです。
正直なことを言えば、もっともっとという気持ちが無い
わけではありません。
もう少し上も行けるのでは…と。

でも、今は充分満足と思わなくては…と思っています。
だから、今のこの気持ちを忘れないように
と、思っています。

受験を迎えるこの一年は、KH子ではなく私(親)の
試練だと思っています。
どれだけ、子供を信じ、子供が心身ともに休めることのできる
雰囲気作りができるかが、私の受験(課題)です。

結果は、KH子のことを知らない試験官が決めることだからね。
合格すればもちろんうれしい。
でも否と出ても落胆することはない。
あなたの知らない人が決めたことよ。
と、そんなことを会話しています。

悔いの無いようにやれるだけやってみようね。

不安な自分と落ち着いた自分。
私の中には自分が二人いるみたいです。

これからもお世話になります。
よろしくお願いします。

**おたずね**

BWの新入生の募集がありますが年中さんからですよね。
次女(年少)が、姉・兄の行っているBWを夢の国のように思っています。
上の子を送っていくと車の中で大泣きなのですが…。
ダメ元で聞いていますので、ご無理なら気を使わずに断ってください。
年中から、お世話になろうと思っていますので。

++++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりYKさんへ】

 読むにつれて、楽しそうな家族の様子が伝わってきて、私もうれしくなりました。何かと暗い話
題がつづくこのごろ、YKさんからのメールを読んで、ほっとしました。ありがとうございました。

 さっそくですが、YKさんとわからないようにして、マガジン(R天日記)のほうで、YKさんのメー
ルを紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。どうか、ご了解ください。都合の悪
い点があれば、至急、お知らせください。改めます。

 で、作文指導ですが、これから先、少しずつもりあげていきたいと考えています。「ものを書く」
というのは、私にとっては、「生きる」ことです。そんな思いを、お子さんたちに伝えることができ
たら、うれしいです。

 で、この1週間、過去の著名な作家たちの文章を、筆写させてみたのですが、全員、1人の例
外もなく、喜んで従ってくれたのには、驚きました。指導を始める前は、「半分くらいの子どもは
いやがるだろうな」「そういう子どもは、どう指導しようかな」と、思い悩んでいました。が、結果
は、このとおりです。

 今日も、小3の子どもが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を書き写してくれました。それを見なが
ら、私が、「日本で、これ以上、むずかしい文章はないから、これが書けるということは、君にと
っては、むずかしい文章は、もうないということだよ」と話してやりましたら、その子どもは、ニン
マリと、うれしそうに笑いました。

 この指導を、2か月前後つづけたあと、作文指導と、読書指導に入りたいと思っています。夏
前には、ワークブックを買いそろえ、受験準備をしたいと思っています。いろいろやりたいこと
がたくさんあって、頭の中を整理するのが、たいへんです。

 これからも、よろしくお願いします。

【補足】

 国語力は、読書に始まって、読書の終わる。が、それだけでは足りない。プラス、作文。

 しかし作文といっても、子どもにそれをさせると、すぐマンネリ化してしまう。よい例が日記。1
か月も書かせると、文章そのものが、ワンパターン化してしまう。もちろん内容も、だ。

 そこで私は「あったことを書くのではない。考えたことを書きなさい」と指導するが、これもま
た、うまくいかない。「考えたことを書く」という意味が、よく理解できないようである。

 そこで先月(1月)から、1クラスだけだが、交換ノートを始めた。最初、子どもたちは、「交換
日記〜イ?」と言ったが、交換日記ではない。私は「考えたことを書きなさい」と指示した。

 そしてよく考えて書いた文章には、大きな丸をつけてあげている。つまりこうして子どもたち
は、ほかの子どもの書いた文章と、自分の書いた文章を比較することによって、「考える」とい
うことはどういうことかを知る。子どもの先生は、実は、子どもである。

 ただ1つ問題がある。

 現在、ほとんどの学校では、この作文を、入試問題の柱にしている。それはそれでよいことな
のだが、作文指導というと、心のどこかで入試準備を意識してしまう。つまり、試験官に、迎合
するというか、コビを売るような指導を、どうしてもしてしまう。

 「暗い話は書くな」
 「明るく、さわやかな文章を書け」
 「きちんとした文章で書け」
 「漢字を多く使え」
 「脱字、誤字には、注意しろ」
 「おかしな記号や、マークは使うな」と。

 親たちも、そういう目的で、私に作文指導を願っているわけだから、つまり、私としては、スポ
ンサーの意向に逆らうことはできない。が、それが本当によいことなのかどうかというと、実は、
私にもわからない。

 だいたい、それを指導する、私の作文力はどうか?、という問題もある。私が下手(へた)で
は、子どもの指導など、できるはずもない。そういう意味では、今回の作文指導には、ある種の
緊張感を覚える。責任は重大、という緊張感である。

 YKさんへ、これからもがんばりますので、よろしくお願いします。








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【5】

●同棲をを始めた子ども

●14歳で家出

++++++++++++++++++++

14歳で家出。15歳の男子(男性?)との
同棲生活?

そんな女子(女性)をもつ親から、
以下のような相談がありました。

(掲示板より)

++++++++++++++++++++

はじめまして。よろしくお願いします。
長女 14才についてどうか相談にのって頂きたく、メールをしました。

長女がおかしいなと思うようになったのは、中1の2学期が終わる頃でした。
学校でクラスメートに、「上級生にいじめられている」とうそを言って、そのことが先生にまで伝
わり問題になったことです。それについては、後で本人からうそをついたと、正直に私に言って
きました。そのときから、部活もやめてしましました。

中2の秋から、ある男子生徒ですが、A君という子につきまとわれて迷惑していると、担任の先
生や、周りの友人に相談していたそうです。担任先生からこの件で電話をもらい、A君が評判
の悪い子であること、長女に危害がおよばないように気をつけてください、ということでした。先
生も学校で気をつけて見て下さったり、私たちも本人と相談し、送り迎えを、1、2度しました。

同じ頃、友人とトラブルがあったこともあり、なぜか長女は、そのA君に友人とのトラブルを相談
していたのです。それが原因でクラスで孤立。A君と交際をしはじめました。それから摂食障害
で入院、その後は不登校となりました。夕方近くになると遊びにいきたいと言う長女に対して、
私は、許して遊びに行かせることができませんでした。長女のつらい気持ちは、理解している
つもりでいましたが・・。

次の日1/21、長女は、そのA君宅に家出をしました。向こうの両親とも話しをし、迎えにいき
ましたが、帰っては、きませんでした。

主人は、これ以上長女の精神状態が悪化しないようにこのまま様子をみようと言い私も同意し
ました。

週に1度程度は、帰ってきますが、数時間後、また出て行きます。こちらからは、話しかけてい
ません。本人が言ったことに、うなずくことしか言っていません。

3/14 再度A君の両親に会ったところ、A君の両親が、「来月、引っ越しします。S(長女)ち
ゃんもつれていきたいのですが・・・。Aと結婚させたいのです。」と。
主人は、「長女は、なにもかもわかった上で、こういう交際ををやっているんだと思います。長
女を信じているので、本人が決めてもいいと思います。」と言ってかえってきたそうです。

が、先日、長女が帰って来たとき、長女は、「今更、世話になっているのに、帰りたいから帰る
というわけには、いかない。引っ越しを機に、家に帰って来たい。Aの母親も15才の時に家出
をして今のお父さんと結婚したんだって。だから、私の気持ちが、よくわかると言って家に帰ら
ないでいいよと言ってくれるんだけど、本当のこといえないんだ。」と言いました。つまり家に戻
りたいが、それをA君にすなおに話せないというのです。

このまま、どんなことがあっても私は、長女の帰りを待っているべきでしょうか? 向こうの両親
と話しあうべきでしょうか? よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりFTさんへ】

 先ほど、電話で、だいたいのことは話しました。A君に対する熱病も、やや冷めかかった状態
なので、2人の間に割って入るには、今がチャンスかもしれません。方法はいくつか考えられま
すが、お母さん(=あなた)と娘さん(以下、Sさんとします)の2人で、相手の両親もしくは、父親
と話し合うのが、最良かと思います。

 できればなごやかな状況で、話し合うのがコツです。一歩退いて、負けるが勝ちと思い、話し
合います。争わず、常識論を淡々と話します。

 生活力のない15歳の男と、14歳の女が、結婚状態に入ることは、常識の範囲を超えていま
す。それをすなおに相手の親に話せばよいでしょう。

 で、こういうケースでは、Sさんを、(1)責めない(「あなたは、〜〜が悪い」と責めること)、
(2)励まさない(「がんばれ」「がんばれる」式の励ましをしないこと)、(3)脅さない(「こんなこと
で、どうするの」式の脅しをしないこと)の、3大鉄則を、厳守してください。Sさんの心は、常に、
緊張状態にあると判断してください。したがって、いつも、一触即発の状態です。ささいなこと
で、突発的に錯乱状態になることもあります。

 本来なら、心療内科で、精神を安定させる(=精神の緊張感をとる)薬剤を処方してもらうの
が、よいと思いますが、電話によれば、それもむずかしいとのこと。そこで電話で話しましたよう
に、あなた自身が、心療内科(内科でもよい)で、薬を処方してもらい、それをSさんに分け与え
るという方法があります。それはいかがでしょうか?

 また家に戻ってきたら、Sさんの居場所をしっかりと確保することです。ここに書いた三大鉄
則を守り、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。Sさんの心の問題が
からんでいるため、半年単位の忍耐が必要でしょう。1か月や2か月で、心の状態が改善する
などということは、ありえません。そういう前提で、対処します。

 最後に、ここが重要ですが、どんなことがあっても、最後の最後でも、愛情の糸だけは切らな
いようにしてください。どんなことがあっても、です。(その点、お父さんのほうに、どこか冷めた
ところがあるように感じました。どうか、お父さんも、最後の最後でも、愛情の糸だけは切らない
ようにお伝えください。)

 その「糸」は、Sさんにとっては、最後の砦(とりで)のようなものです。その糸を切ったら、それ
こそSさんは、再び、糸の切れた凧のような状態に戻ってしまうでしょう。今からでも、じゅうぶん
間に合います。

 あとは、暖かい無視と、ほどよい援助。「求めてきたときが、与えどき」と、心得てください。そ
して問題が起きたら、『許して忘れる』だけを心の中で念ずる。そしてここが重要ですが、その
あとは、(時の流れ)に任せます。時間が解決してくれます。2年では無理かもしれませんが、
遅くとも5年後には、笑い話になります。それを信じて、前向きに考えてください。

 それぞれの人間には、無数の糸がからんでいます。その糸が、その人の進むべき道を決め
ていきます。人は、それを「運命」と呼びますが、その運命について、少し前、こんなことを書き
ました。

 悪魔(不幸)というのは、(決してFTさんが不幸というのではありません。誤解のないよう
に!)、それを恐れたとき、キバをむいて、あなたに襲いかかってきます。しかしそれを笑い飛
ばしたとき、シッポを巻いて、あなたから退散していきます。

 今、重要なことは、くだらない親意識など捨てて、ついでにプライドも捨て、Sさんの友として、
Sさんの横に立ってみてください。それだけで、Sさんに対する態度が大きく変るはずです。

 以上ですが、このつづきは、4月28日号のほうで、もう一度、考えさせてください。今夜は、こ
れで失礼します。

はやし浩司

【付記】励ましは、なぜ悪いか

 前向きに、伸びつつある子どもに、「がんばれ!」式の励ましは、それなりに効果がありま
す。しかし落ち込んでいる子どもに向かって、「がんばれ!」式の励ましは、効果がないばかり
か、かえってその子どもを、窮地に追い込んでしまうことにもなりかねません。

 落ち込んでいる子どもは、落ち込んでいる子どもなりに、苦しみ、もがいているのです。「がん
ばりたくても、がんばれない」というジレンマに陥っているのです。そういうとき、たとえ家族から
でも、「がんばれ!」と言われると、その子どもは、ますます、どうしてよいかわからなくなってし
まうというわけです。

 わかりやすい例で考えてみましょう。

 たとえばあなたが、学校のテストで、よい点数を取ってきたとします。そのときそれを見て、あ
なたの母親が、「よくがんばったわね。これからもがんばりなさいよ」と言ったとします。

 あなたは、その言葉を、すなおな気持ちで、聞くことができるはずです。

 しかし反対に、あなたが予想していたよりも、悪い点数だったばあいは、どうでしょうか。あな
たなりにがんばったけれど、しかし、点数が悪かったというようなばあいです。あなたは落ち込
んでいます。で、そういうとき、たとえ家族でも、「がんばれ!」と言われても、あなたはそれをす
なおな気持ちで、聞くことはできないと思います。

 英語では、こういうとき、「Take it easy!」と言います。「気を楽にしなよ」という意味です。
そういう言い方なら、まだわかりますね。

 それについて書いた原稿が、つぎの2作の原稿です(中日新聞掲載済み)。どうか参考にして
ください。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親子のきずなが切れるとき】 

●親に反抗するのは、子どもの自由?

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親に反抗
してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国1
5%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・九
八年調査)。

日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけない
と考えている高校生が、ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個
人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。

しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについ
て、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはあり
えない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心

 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖
父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動
が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数
は! 平均点は何点だったの?」と。

さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだった
わね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程
度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそ
のものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」という数字は、まさにその結果であ
るとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」

 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき
手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまっ
てしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校3年生だった。

R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学
費が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘
はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの
義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻ま
で、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏は
こう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある

 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言
うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてき
た。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。

 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけ
ている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因で
ないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」と
いう言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を
変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽に
やりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテス
トの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。
この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を
起こす。   
(はやし浩司 親子の断絶 絆 親子断絶)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、
いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするとい
うのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手一つで、育てら
れました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I氏
の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。

しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまっ
た。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。
ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったの
かもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがまし
い歌はない。窪田Sという人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、それぞれ三、四
行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになってい
る。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り
込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分のことを言うの
に、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言う
と、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞い
た。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。
 
 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。

平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はた
ったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。

自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と63%である
(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。

いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリー
ハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、
懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成6
年)は、次のようになっている。

 フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
 韓国     ……67%
 タイ     ……59%
 ドイツ    ……38%
 スウェーデン ……37%

 日本の若者のうち、66%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読む
と、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 








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【6】

●子育て不安

【不安なあなたへ……】

●子どもの心がつかめない(?)

+++++++++++++++++

心がつかめない娘(小6)について、
そのお母さんから、こんな相談があり
ました。

この問題について、考えてみたいと
思います。

+++++++++++++++++

どこからお話ししていいのか分りません。沢山の問題があるように思うのですが・・・。
どうか、少しでも、問題点が整理できればと、こちらのHPに投稿させて頂きました。

事の始まりは、先日娘の担任の先生から電話があったことです。

「実は、P子さん(=私の娘、小6)が、最近、A子さんにひどい言い方をしているようだ。下校
中、上下関係があるように見える」と言われました。それがたいへん、気になりました。

さらに、「実は去年の冬ごろ、ちょっとした事件がありまして」と、聞かされました。

先生の話の内容は、こういうことでした。娘のP子が、B子さんに本を貸したのですが、なかな
か返してくれないので、「返して」と言ったところ、B子さんは、「私は借りていない」と言ったとの
こと。

「確かにB子さんに貸したはず」と娘は言いましたが、しかし別の子から、「あっ、私、借りてる
よ」と、本を渡されました。娘はB子さんに謝り、この件は終了しました。

ところが、その後、B子さんが、「私のペンがない!」と騒ぎ出しました。周りの友人も手伝っ
て、探したところ、それが娘のP子の筆箱の中に、あったというのです。「あっ、そのペン私のじ
ゃない?」と、B子さんが言ったといいます。それを見ていた先生も中に入り、娘に聞くと、「違
う、これはお母さんに買ってもらったもの」と答えたというのです。

先生は「じゃあ、お母さんに聞いてもいいですか?」と、娘のP子に訪ねると、「ダメ」と答えたと
いうのです。

それはおかしいなーと、いうことで、周りからも疑われた。・・・・と、いう事がありました。先生
は、「もう、このことは済んだことなので、いいのですが・・・・。しかしP子さんが、A子さんにひど
く当ることなどを、とても心配しています。おうちでも話しあってみてください」と言いました。

 初耳でした。でも、結果として娘はみんなの前で泥棒にされてしまったのでしょうか。
とにかく、真実を知りたいと、私は、娘に聞いてみました。

まず、A子さんのことですが、娘のP子は、「思い当たることはない、何の事を言っているのか
わからない」と言いました。無意識でも、つまりこちらがその気でなくても、相手が傷ついている
としたら、とっても悲しい事だから、これから気をつけてねなどと、話しました。次にペンの事を
聞いたのですが、その話になるろ、娘は泣きだしてしまいました。

 ・・・・実はこのずっと以前から気になっていたのですが、子どもたちは文房の交換をしている
ようです。「このペンどうしたの? この前買ったペンはどこ行ったの?」と私がP子に聞くと、屈
託なく、「うん、友達が交換してっていうからいいよって」とか言います。

私「え? 何で?」
娘「どうしても欲しいって言うし、交換ならいいかなって。それに断る理由がないから」とのこと。

これもショックでしたが、きちんと「物をもっと大切にして欲しい。簡単に交換しないでほし
い。。。」などなど沢山話しこれからはしないでねと、そのときは、そういう話で終わりました。

 で、本題ですが、「ペンのことだけど、こんなことがあったんだって? そのペンはどうしたもの
なの?」と聞くと、娘はなかなか答えようとしませんでした。そこで(1)持ってきてしまった、(2)
拾った、(3)自分で買った、(4)その他の中のどれ?、と聞くと、やっとの事で、「交換したもの」
と言いました。

「じゃあ何であの時、そういわなかったの?」と聞くと、泣くばかりです。泣いて泣いて、やっと聞
けたのが、「交換しようって言われてしたのに、Bちゃんがどうしてそんな事を言い出したのか
分らなくって」と。

私「あなたは泥棒だと、他の人はそう思うよ、それでもいいの?」
娘「盗んだと思われてもいい。それでも自分の思いは言えない」と。

 最近、大きくなってきて、少し手が離れてきたと思って手を抜いてしまったと、我にかえりまし
た。低学年のころは、毎日のように主人と夜、子どもたちのことについて話し合っていたのも、
最近ではしていない事にも気付かされました。

で、昔からの悩みの種は、娘(相談の娘小6・この下に小3の妹がいます)の、対人関係につい
ての問題です。

私が働いていたため、娘が1歳半のときから保育園へ預けました。教育熱心で有名な保育園
でしたが、右を向きなさいと指示されても、右を向かないような娘でした。そんなわけで、先生
も、娘にかなり手を焼いていたようでした。何度も主人と呼び出されては、「お宅の子は人を見
る」とこんこんと言われました。

人見知りが極端にはげしく、突然話し掛けられたりすると、かたまって口を閉ざしたり、下を見
る、隠れるなどの行為をしました。ですから、極力休日は、家族で一緒にのんびりゆったり、栄
養を蓄えるつもりで、常に皆で横に手をつなぎ、時には後ろに回り背中をなでながら過ごしてい
ました。

小学校の入学時には、「大丈夫、なにも心配要らないよ」と、ぽんっと送り出したりしましたが、
当時は、本当に元気よく通っていました。が、大人に理解されにくい性格は中々変わることもな
く、「こう思ってるんだよ!」などと、口にした事は無いようです。

が、その一方で、娘は、地道に努力するタイプで、昨年、放送委員になったのですが、家で練
習し、運動会やおひつの放送も、物怖じせず、こなしていきました。

一時期、これは、何かの障害なのではないかと、悩みました。が、素人判断も出来ず、なんと
かやっていけていましたので・・・・。

現在も、三者面談などでは体をこわばらせ、手に冷や汗をかいています。落ち着きがなくなり、
なんとか作り笑いをしてみせたりするのですが、それも先生にはふざけているように見えるの
か、あまりよい印象は与えていないようです。

 そのような関係の先生ですが、今回の話し合った結果を、その先生に連絡しました。

私としては、なんとか、先生にだけでも誤解を解きたい。このままでは娘のP子がかわいそうと
の思いで話しました。

先生は「分りました。ペンの事は申すんでしまった事なので、(確かに時がたちすぎている)、今
さら蒸し返すのも何ですのでやめます」と言ってくれました。またペンのことについては、「やは
りあのペンはB子さんのものだったわけだ。でも、B子さんは、交換した気は全く無いですよ」と
のこと。私は「また相談にのって頂きたいので、よろしくお願いします」と言えただけです。

先生は、本当に娘のことを心配しているのか不安になりました。なぜ先生は、娘の側を少しで
も見ようとしてくれないのでしょうか。私は常に平等を心がけ、こちらが悪いのでは、と思いなが
ら話を聞くようにしているのですが。。。

長々とすみません。娘から話しを聞いて、娘には、「お母さんは、あなたを信じている。本当に
信じている。世界で一番の味方だから」「分った、お母さんが守ってあげる。心配しないで。で
も、努力しようね」と、言いました。

A子さんには本当に申し訳ない事をしたと思っています。とてもおとなしい子です。B子さんは、
大人うけする、ハツラツとしたとても気持ちのいい子です。クラスのリーダー的存在。親友の子
と喧嘩をした時だけ、娘に愚痴を言いにくるようです。

私は今、娘に何をしたらいいのか。先生に何を言ったらいいのか。主人とも話し合っています
が、行き詰まってしまっています。

本当に長くなって申し訳ありません。毎晩、この問題を考えていると、眠れません。アドバイスを
お願いします。
(大阪府、KR子、P子の母親より)

【はやし浩司より、P子さんのお母さんへ】

 メール、ありがとうございました。

 まず、最初に、一言。

 この種の問題は、たいへんありふれた問題です。はっきり言えば、何でもない問題です。

 まず、A子さんについてですが、A子さんは、P子さんに、いじめられていると訴えただけのこ
とです。ただP子さんには、その意識はなかった。つまり(いじめている)という意識がないまま、
結果として、いじめているという雰囲気になってしまった。それだけのことですが、これも(いじ
め)の問題では、よくあることです。

 B子さんとの本のトラブルについては、P子さんが、ウソを言っているだけのことです。何でも
ない、つまりは、子どもの世界では、よくあるウソです。一応たしなめながらも、おおげさに考え
る必要は、まったくありません。

 思春期の子どもは、自立を始めるとき、それまでになかったさまざまな変化を見せるようにな
ります。フロイトの説によれば、イド(心の根源部にある、欲望のかたまり)の活動が活発にな
り、ときとして、子どもは欲望のおもむくまま、行動するようになります。

 ウソ、盗みなどが、その代表的なものです。万引きもします。性への関心、興味も、当然、高
まってきます。しかしそういう形で、つまり親や社会に対して抵抗することで、子どもは、親から
自立しようとします。

 ですから、ここに書いたように、一応はたしなめながらも、それですませます。あなたのよう
に、子どもを追いつめてはいけません。これはP子さんの問題というよりは、完ぺき主義(?)
のあなたのほうに問題があるのではないかと思います。

それともあなたは、子どものころ、あなたの親に対して、ウソをついたことはないとでも言うので
しょうか? ものを盗んだことはないとでも言うのでしょうか? 親の目の届かないところで、男
の人と遊んだことはないとでも言うのでしょうか? もしそうなら、あなたは修道女? (失礼!)

 もしP子さんに問題があるとするなら、乳幼児期に、母子の間で、しっかりとした信頼関係が
結べなかったという点です。母子の間でできる信頼関係を、心理学の世界では、「基本的信頼
関係」といい、それが結べなかった状態を、「基本的不信関係」といいます。

 この信頼関係が基本となって、その後、先生との関係、友人関係、異性関係へと発展してい
きます。

 そのころの(不具合)が、今、P子さんの対人関係に、影響を与えているものと思われます。
が、しかしそれは遠い過去の話。今さら、どうしようもない問題です。

 ですから今は、「うちの子は、人間関係を結ぶのが苦手だ」「他人に心を開くのが苦手だ」「外
では無理をして、いい子ぶる」「自分の心の中を、さらけ出すことができない」と、割り切ることで
す。だれでも、ひとつやふたつ、そういう弱点があって、当たり前です。

 大切なことは、そういう子どもであることを、認めてあげることです。認めた上で、P子さんを
理解してあげることです。「なおそう」とか、そういうふうに、考えてはいけません。(どの道、今さ
ら、手遅れですから……。)

 あとはP子さん自身の問題です。もしP子さんが、もう少しおとなになり、人間関係の問題で悩
むようなことがあったら、ぜひ、私のHPを見るように勧めてあげてください。あるいはマガジン
の購読を勧めてあげてください。無料です。同じような問題は、そのつどテーマとして、マガジン
でもよく取りあげていますので、参考になると思います。

 で、今、あなたの目は、P子さんのほうに向きすぎています。そんな感じがします。しかも、P
子さんへの不信感ばかり……! 心配先行型の子育てが、いまだにつづいているといった感
じです。

 ですからあなたはあなたで、もう少し、外に向かって目を向けられたらどうでしょうか? 多
分、あなたはP子さんにとっては、うるさい、いやな母親と映っているはずです。たかがペンぐら
いの問題で、親からここまで追及されたら、私なら、机ごと、親に向かって投げつけるだろうと
思います。ホント! 今では、ペンといっても、いろいろありますが、100円ショップで、3〜5本
も買える時代です。

 いわんや子どもが泣きだすほどまで、子どもを追いつめてはいけません。またこの問題は、
そういう問題ではないのです。

 さらに学校の先生も、それほど、おおげさには考えていないはずです。先にも書きましたが、
こうした問題は、まさに日常茶飯事。ですから、先生がP子さんのことを悪く思っているとか、娘
が誤解されてかわいそうとか、先生が親側に立ってものを考えてくれないとか、そういうふうに
考えてはいけません。

 またP子さんに向かって、「信じている」とか何とか、そんなおおげさな言葉を使ってはいけま
せん。また使うような場面ではありません。繰りかえしますが、たかがペン1本の問題です。わ
かりやすく言えば、P子さんが、B子さんのペンを盗んで、自分の筆箱に入れた。それだけのこ
とです。

 多少の虚言癖はあるようですが、それもこの時期の子どもには、よくあることです。(もちろん
病的な虚言癖、作話、妄想的虚言などは、区別して考えますが……。)

 あなたにも、それがわかっているはず。わかっていながら、P子さんを追いつめ、P子さんの
口からそれを聞くまで、納得しない。つまりは、あなたは、完ぺき主義の母親ということになりま
す。

 P子さんは、いい子ですよ。放送委員の一件を見ただけでも、それがわかるはず。そういうP
子さんのよい面を、どうしてもっとすなおに、あなたは見ないのですか。あなたが今すべきこと
は、そういうP子さんのよい面だけを見て、あなたはあなたで、前を見ながら、前に進む。今
は、それでよいと思います。つまりは、それが(信ずる)ということです。言葉の問題ではありま
せん。

 またこうした問題には、必ず、二番底、三番底があります。あなたはP子さんの今の状態を最
悪と思うかもしれませんが、しかし、対処のし方をまちがえると、P子さんは、その二番底、三番
底へと落ちていきますよ! これは警告です。

 反対の立場で考えてみてください。私なら、家を出ますよ。息が詰まりますから……。P子さん
が、家を出るようになったら、あなたは、どうしますか。外泊をするようになったら、どうします
か。

 ですから今は、「今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、様子をみる」です。

 だれしも、失敗をします。人をキズつけたり、あるいは反対に人にキズつけられながら、その
中で、ドラマを展開します。悩んだり、苦しんだり……。そのドラマにこそ、意味があるのです。
子どもについて言えば、そのドラマが、子どもをたくましくします。

 P子さんは、たしかにいやな思いをしたかもしれませんが、それはP子さんの問題。親のあな
たが、割って入るような問題ではないのです。親としてはつらいところですが、もうそろそろ、あ
なた自身も、子離れをし、P子さんには、親離れをするよう、し向けることこそ、大切です。

 とても、ひどいことを言うようですが、私はあなたの相談の中に、子離れできない、どこか未
熟な親の姿を感じてしまいました。あなたはそれでよいとしても、P子さんが、かわいそうです。

 で、たまたま昨夜、『RAY』というビデオを見ました。レイ・チャールズの生涯をつづったビデオ
です。あのビデオの中で、ところどころ、レイ・チャールズの母親が出てきますが、今のあなた
に求められる母親像というのは、ひょっとしたら、レイ・チャールズの母親のような母親像では
ないでしょうか。

 最後に、もう一言。

 こんな問題は、何でもありませんよ! 本当によくある問題です。ですから、「A子さんに申し
訳ない」とか、B子さんがどうとか、そんなふうに考えてはいけません。今ごろは、A子さんも、B
子さんも、学校の先生も、何とも思っていませんよ。

 あなた自身が、心のクサリをほどいて、自分のしたいことをしたらよいのです。心を開いて!
 体は、あとからついてきますよ!

 すばらしい季節です。おしいものでも食べて、あとは、忘れましょう! 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの虚言 子供の虚言 盗み)

+++++++++++++++

いくつか、今までに書いた
原稿を添付しておきます。

+++++++++++++++
 
【信頼関係】

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。
(030422)
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 信頼
関係 親子関係 親子の信頼関係)









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【7】

●若者の暴力について

【掲示板への書き込み記事より】

++++++++++++++++++

20歳の男性から、
こんな書き込み記事がありました。

若者の暴力について、です。

++++++++++++++++++

【20男さんより、林へ】

はじめまして。 掲示板には名前は書かないほうがいいので、ここでは、「20歳男」と名乗りま
す。

相談と言ったらいいのか、伝えたい事と、質問したい事があります。

最近の若者はよくキレると言われ、実際その通りだと思います。では昔はどうだったのだろう
か?、と言う質問です。

また、人を殴ったりしても罪悪感を覚えない若者には、外見上の共通項があるのか。あるとし
たらどんな姿か、ご存知でしょうか。

自分は男の20歳で、(年齢的には、もっと下に見えるそうですが)、
癖毛で長髪、運動する時など、紐で後ろに縛ります。身長163cm程。
少なくとも現代の若者からすると、髪型が笑われます。(自分もついこの前まで高校生でし
た。)

しかし、顔の造詣自体は、目付きが鋭く、オタクの様に気持ち悪がられるより前に、暴力沙汰
に近そうと、怖がられる事もあります。

若者自身がカッコイイと思っている髪形は、スポーツ刈り、普通の短髪、ジェルで短髪を逆立て
たものなどがあります。

こちらが歩いているだけで殴りかかってくるのは上記の、ジェルで短髪を逆立てた小奇麗な外
見の若者です。また殴られはしないものの、このタイプの男は、学校でも乱暴だったような記憶
があります

しかし自分はそういう、若者同士から好評価を得られる髪形ではなく、癖毛で長髪で、ただ伸
ばしているだけです。長髪を紐で後ろに縛っています。

その自分の風貌が目に付いたのでしょう。先日健康のために公園を走っていると、笑われな
がら、缶を投げつけられたり、殴られたりと言う事がありました。被害届を出しました

年代が上の方には分りづらいかもしれませんが、自分のただ伸ばしているだけの長髪は、年
代が上の方には不良、あるいはカッコ良い、音楽をやっている人間と見られる事があります。

しかし今の若者からすると、それはカッコ良い髪型と言う訳でもなく、攻撃の対象(暴力沙汰の
対象)になる事もあります

自分には、男としての魅力だとかは余り無いのでしょうし、それが殴りやすかったり、絡まれや
すかったりする原因なのだと思います。

自分に絡んでくる若者は雄であり、恐らく若い女性だったら、自分が殴られるのを目撃しても、
止めようとはせず、通り過ぎていくことでしょう。(その女性が高校生だとしたら、通報してくれた
りする姿が、自分には、想像できません)。

性的に、どういう人間が魅力的なのかという基準について、どうこう言いたいのではなく、外見
の良し悪しの基準が、ひとつの原因となって、人に襲われるという事もあるということです。

その基準は全ての人間に共通というわけではなく、若者同士の間でだけかけられる見方なの
だと思います。キレた小奇麗な若者は、年代が上の人が見れば、普通の明るい少年に見える
かもしれません。

若者は2極化しています。誰かを殴りながら、その人を、ゴミの様に扱うのもいます。では昔は
どうだったのだろう?、と疑問に思い、こうして、聞きたくなりました。

昔は今よりもマトモな時代だったのでしょうか?

++++++++++++++++++++

 この青年は、今、他人から受ける暴力について、悩んでいる。公園の中を走っているだけで、
笑われたり、缶を投げつけられたりすることもあるという。殴りかかられたこともある。

 そこでこの青年は、その原因として、自分の風貌(ふうぼう)ではないかと書いている。そして
同時に、そういう暴力行為をする人間には、一定の共通点があるかどうかと、私に聞いてきて
いる。

 一見、淡々と自分のことを書いているが、その青年の立場に立って考えてみると、これはた
いへん深刻な問題と言ってよい。へたをすれば、その青年は、人間不信から、自暴自棄に陥
(おちい)ってしまうかもしれない。その青年の置かれた環境は、あまりよくないらしい。それは
よくわかるが、そういう環境しか知らず、その中でもがいている、その青年は、かわいそうです
ら、ある。

 が、決して同情しているのではない。むしろ私は、そういう環境をよいことに、その青年を、理
由もなく、笑ったり、缶を投げつける連中が、心底、許せない。なぜそんなことをするのかという
ことを聞く前に、私でも、そういう連中を、叩きのめしたい衝動にかられる。暴力には暴力という
考え方は正しくないが、しかし暴力でしか、そういう連中に、自分の非を認めさせる方法はない
のではないか。

 そう、弱いものいじめほど、卑怯なものはない。ただこれだけは、覚えておくとよい。人は、い
じめられれば、いじめられるほど、何が大切で、何がそうでないかを知る。一方、いじめる側の
人間は、ますます人生の真理から遠ざかり、遠い、遠い、回り道をすることになる。つまらない
人生を送ることになる。時間を無駄にすることになる。

 気がついたときには、人生も終わっている……。そうなる可能性はたいへん高い。

 だから、そういう連中は、反対に、笑ってやればよい。心底、軽蔑してやればよい。しかしそ
れには、ひとつ、条件がある。そういう連中を笑えるほどまでに、自分自身を高めなければなら
ない。それをしないと、自分自身も、結局は、ズルズルと、そういう連中の仲間に引きずりこま
れてしまう。

 愚劣な連中を相手にしていると、自分まで、その愚劣な人間になってしまうということは、この
世界ではよくある。つまり批判したり、嫌ったりするだけでは、問題は、解決しない。

 が、自分を高めれば、やがてそういう連中が、餌を求める山猿に見えてくる。ゴミをあさる、カ
ラスに見えてくる。そういう形で、そういう連中と決別する。そういう自分と決別する。同時に、そ
ういう環境と、決別する。

 それがその青年には、できるだろうか?

【はやし浩司より、20歳男さんへ】

 私の時代にも、暴力事件は、ありました。今よりも、もっと多かったかもしれません。しかし1
対1の関係というよりは、集団対集団という関係のほうが多かったように思います。

 ある高校の連中が、突然、となりの学校へ押し入って、そこで相手の連中と殴りあうというよ
うな暴力行為です。また私が入った高校では、上級生が、下級生を暴力でしごくというようなこ
とが、慣例として、なされていました。

 先生たちは、見て見ぬふりをしていたのではなかったのかと、今にして思うと、そういう感じが
します。そのほうが、学校としては、都合がよかったからです。生徒が、先生に対して、おとなし
くなり、従順になるからです。

 そういう意味では、昔の暴力の方が、わかりやすかったかもしれません。まだ戦後のドサクサ
が残っているような時代でしたから……。

 しかしあなたの今、置かれている環境は、ふつうではないですね。心がすさんでいるという
か、殺伐(さつばつ)としているというか……。まるで暴力映画を、地でいくような世界のような感
じがします。

 で、私が今、アドバイスできることと言えば、できるだけそういう世界とは、早く、縁を切りなさ
いということ。でないと、あなた自身も、そういう世界に巻き込まれてしまう。その危険性は、た
いへん高いです。

 何か、自分を高める方法はありませんか? 目標はありませんか? 夢や希望は、ありませ
んか? もしあれば、そういうものに向かって、今は、まっしぐらに進むべきときです。そういう
連中にかかわりあっている暇は、ないはずです。

 はっきり言えば、キレる子どもに定型は、ありません。もちろん髪型で区別するということは、
できません。しかし心がゆがんだ子どもには、共通の症状、つまり俗に言う、ツッパリ症候群と
いうのはあります。独特の歩き方、すさんだ目つき、拒否的態度などなど。

 しかし彼らとて、精一杯、そういう形で、自分の(顔)をもとうとしているのですね。何もとりえが
ないものだから、暴力で訴えることによって、自分の存在感を作ろうとしている。そういう点で
は、あわれな人たちです。あなたから見て、目立つ髪形をするのも、その存在感をアピールす
るためのものと考えてよいです。

 今のあなたに、そういう人たちを、かわいそうと思うだけの余裕はないかもしれません。しかし
あなたが、自分を高めれば、いつかすぐ、そういう目で、そういう人たちを見ることができるよう
になります。あるいは相手にしなくなる。

 私は、少し前、T氏という男性と、2時間ほど、あることで話しあいました。T氏というのは、多
分、明日(15日)、ワールドカップ代表選手として、選ばれる人です。その男性と話しているとき
のこと。私は、その途中で、何度も、その男性のもつ人格の完成度に驚きました。

 「この人は、私より、30歳近くも若いのに、何という完成度!」と。

 T氏は、昨年のアジアカップ杯では、初戦から、最後の北京でのあの優勝戦まで、ずっと活躍
した人です。つまりそこにいたるプロセス、そして幾多の国際試合が、T氏をして、そういうT氏
にしたのですね。

 別れるとき、「すばらしい人生を歩んでおられますね」と声をかけると、T氏は、はにかみなが
ら、「ぼくには、スポーツ(サッカー)しかできませんから」と笑っていました。しかしひとつのこと
をやりとげた人というのは、そういう人を言うのですね。

 20歳という年齢は、すばらしい年齢ですよ。その上、あなたは若いのに、すでに自分を静か
に見つめる目をもっている。今の若い人たちには、なかなかない(目)です。それを信じて、そ
れがたとえかなわぬ夢であっても、あなたはあなたで、ただひたすら前に進む。進むことに、意
味があるのです。

 結果があっても、なくても、です。あるいは結果は、必ず、あとからついてくる。

 私はよく「山登り」という言葉を使います。あなたはあなたで、どんな小さな山でもよいから、登
ってみる。そうするとですね、不思議なことに、意外と、視野が広い。「あんな低い山……」と思
って登ってみても、実際に登ってみると、遠くに、太平洋や、富士山が見えたりして……。

 そしてそれまで自分がいたところが、驚くほど低いところにあったのがわかる。山登りという
のは、そういうものです。

 ここに書いたT氏にしてみれば、この日本中が、足元の小さなゴミのように見えるかもしれま
せん。ひょっとしたら、日本の総理大臣すらも、足元でうごめく、小さな人間に見えるかもしれな
い。そういう人を、人格の完成度の高い人といいます。

 でね、私はそのT氏と別れたあと、こう思いました。「いったい、自分は、この50年間、何をし
てきたのだろう」と。自分という人間が、どこまでも、つまらない人間に見えてきたからです。何
かをしてきたつもりなのに、その何かが、何も残っていない……。それに気がつくのが、私のば
あい、30年、遅かった!

 しかし今のあなたなら、それができる。こう言うのは自分の敗北を認めるようでつらいです
が、あなたがうらやましい! 私があなたの年齢のときには、私の心の目は、盲目だった。た
だがむしゃらに、人を蹴飛ばしながら、生きていた。

 自分のことしか考えていなかった。自分の利益しか考えていなかった。私は、そういう意味で
は、盲目でした。人の心が、まるで見えなかった。

 だから何も残っていないのです。が、あなたは、盲目ではない。自分につけられた心のキズを
通して、相手の心を冷静に見ようとしている。これはとても、すばらしいことなのですね。

 さあ、あなたも勇気を出して、一歩、前に進んでみよう。前に山があれば、その山に登ってみ
よう。それができたとき、今のあなたがかかえる問題は、自然消滅の形で、あなたの前から消
えているはずです。

 笑われても、缶を投げつけられても、また殴られても、……いや、あなたがどんな小さな山で
もよい、その山に登れば、だれもあなたに対して、もう、それができなくなりますよ。

 「宝島」という本を書いた人に、スティーブンソンという人がいます。そのスティーブンソンは、
こう書き残しています。

 『我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことだ』とね。よい言葉で
すね。今のあなたにあげたい言葉です。

 どうか、がんばってください!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 青年
の悩み いじめ 暴力)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

●ヒトシ君(いじめ問題の陰で)

 ヒトシ君(中2)は、心のやさしい子どもだった。そういうこともあって、いつも皆に、いじめられ
ていた。が、彼は決して、友だちを責めなかった。背中にチョークで、いっぱい落書きをされて
も、「ううん、いいんだよ、先生。何でもないよ。皆でふざけて遊んでいただけだよ」と言ってい
た。 

 そのヒトシ君は、事情があって、祖父母の手で育てられていた。が、その祖父が脳梗塞で倒
れた。倒れて伊豆にあるリハビリセンターへ入院した。これから先は、ヒトシ君の祖母から聞い
た話だ。

 祖父はヒトシ君が毎週、見舞いに来てくれるのを待って、ひげを剃らなかった。ヒトシ君がひ
げを剃ってくれるのを、何よりも楽しみにしていたそうだ。そしてそれが終わると、祖父とヒトシ
君は、センターの北にある神社へお参りに行くことになっていたという。そこでのこと。

帰る道すがら、祖父が、「お前はどんなことを祈ったか」と聞くと、ヒトシ君は、「高校に合格しま
すようにと祈った」と。それを聞いた祖父が怒って、「どうしてお前は、わしの病気が治るように
祈らなかったか」と。そこでヒトシ君はあわてて神社へ戻り、もう一度、祈りなおしたという。

 この話を聞いて以来、私は彼を、尊敬の念をこめて、「ヒトシ君(実名)」で呼ぶようになった。
とても呼び捨てにはできなかった。いろいろな子どもがいるが、実際には、ヒトシ君のような子
どももいる。

 今、いじめが問題になっている。しかしいじめられる子どもは、幸いである。心に大きな財産
を蓄えることができる。一方、いじめる子どもは、大きく自分の心を削る。そしていつか、そのこ
とで後悔するときがくる。世の中には、しっかりと人を見る人がいる。そういう人が、しっかりと
判断する。愚かな人ばかりではない。

ヒトシ君にしても、学校の先生には好かれ、浜松市内のK高校を卒業したあと、東京のK大学
へと進んでいる。ヒトシ君は、見るからに人格が違っていた。

 自分の子どもが、学校でいじめられているのを見るのは、つらいことだ。しかし問題は、いつ
どこで親が手を出し、いつどこで教師が手を出すかだ。いじめのない世界はないし、人はいじ
められながら成長し、そしてたくましくなる。

つらいが、親も教師も、耐えるところでは耐える。そうでないと、子どもがひ弱になってしまう。
今はこういう時代だから、ちょっとした悪ふざけでも、「そら、いじめだ!」と、親は騒ぐ。が、こう
いう姿勢は、かえって子どもから自立心を奪う。もちろん陰湿ないじめや、限度を超えたいじめ
は別である。

しかしそれ以前の範囲なら、一に様子を見て、二にがまん。三、四がなくて、五に相談。

親や教師ができることといえば、せいぜい、子どもの肩に手をかけ、「お前はがんばっているん
だよ」と励ましてあげることでしか、ない。それは親や教師にとっては、とてもつらいことだが、
親や教師にも、できることには限度がある。その限度の中で、じっと耐えるのも、親や教師の
務めではないかと、私は思う。










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【8】

●娘の外泊

++++++++++++++++++++

かわいかった子どもも、思春期を迎えると、
人が変わったかのように、大きく、その心がゆらぐ。

フロイロの自我構造理論によれば、その内的エネルギー、
つまり「イド」が、活発化する。

イドは、元来、欲望のかたまりで、無秩序。無節制。
快楽原理にみによって、その人を、裏から操る。

+++++++++++++++++++

 娘(中3)の外泊に苦しんでいた母親がいた。叱れば叱るほど、逆効果。ますます堂々と外泊
をするようになった。親子の間の会話も消えた。そういう娘をもった母親から、久しぶりに、掲
示板(相談コーナー)に書き込みがあった。

 それをそのまま紹介する。

+++++++++++++++++++

【MFさんより、はやし浩司へ】

こんにちは。あれから林先生のアドバイスどおり、「そうだ、(ボーイフレンドという)、娘には私
以外にも心配してくれる人がいるんだ。私が一人で、やきもきしなくていいんだ。先生の言うと
おりしばらく娘のことは、忘れよう」と思いました。

そこで私は、今までしたかったガーデニング、アロマセラピーを始めました。これが楽しいで
す。ガーデニングをしながら、まいた種がいつ芽を出すか毎日毎日、観察をして芽が出た時
は、とても嬉しかったです。

娘が生まれた時のことを思い出したりしました。

で、その娘は、5月2日に、泣きながら帰ってきました。理由を聞くと、A君(ボーイフレンド)が、
「おまえが帰ったら死ぬ」と言って、帰してしてくれなかったということでした。

私は、娘の話を聞き背中をなでてあげました。

その日の夕方に、娘はAと話し合いに行くと言ってまたでかけ、次の日の朝、帰って来ました。

娘は、「A君の誕生日の5月20日が終わったら、毎日この家で暮らすから、それまで、A君の
家と自分の家を、行ったり来たりするから。」と言いました。

主人と私は、「そうなんだ。そうしたいんだ。」と思い、了解の返事をしました。

娘は、明るくたくさんの話をしてくれるようになりました。

娘が小6の時、次男が誕生したのですが、その時のことを、
「今は、なんとも思ってないけど、Kちゃんが生まれてから、私がもらうパパとママの愛情が、K
ちゃんにいってしまってとてもいやだった。許せなかった。」と、話してくました。

私は、「あなたは、そう思ってたんだ。これからは、たくさんの愛情をあなたに注がなくちゃね。」
と。

娘は、笑っていました。

娘は、いつ私が娘のことを受け入れてくれるのか、それを待っていたような気がします。

林先生もよく言っていますが、私も娘に育てられてるんだなーと、そのとき、実感しました。娘は
この家にいると、生きていけないと感じたらしく、何もかもいやになって、家を出たようです。娘
は、体を張って私たちに訴えてくれたことを、今になってみれば、感謝しています。

娘を信じて一人で立ち上がるまで、何年かかっても見守っていきます。

今は、私の頭の上にあった雲が、なくなったような感じです。

本当にありがとうございました。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●性的エネルギー論

+++++++++++++++++

自分の中に潜む、
生きる力。
その原動力は、性的エネルギーであると、
あのフロイトは、説いた。

それが正しいかどうかは、知らないが、
しかしその性的エネルギーには、
ものすごいものが、ある。

あなたは、その性的エネルギーを、
うまくコントロールできるか?

+++++++++++++++++

●先生の先生が(?)

 つい先日、このS県で、教育委員会の指導主事が、ハレンチ事件を起こして、警察に逮捕さ
れるという事件が起きた。携帯電話で知りあった女子と、ホテルで、(いかがわしい行為)(新聞
報道)をしたという。

 そういう事件があると、マスコミや世間は、まるで鬼の首でも取ったかのように、騒ぐ。はしゃ
ぐ。そして非難する。「先生の先生が、そんなことをするなんて!」(C新聞記事)と。つまり理性
や、自己管理能力がふつうの人以上にあるはずの人が、そういうことをするということは、信じ
られない、と。

 しかし本当に、そう言い切ってよいのだろうか。そういう視点だけで、こうした事件を考えてよ
いのだろうか。

 もちろん、中学生という子どもを相手に、そういう行為をすることは許されない。しかしこの事
件を、(人間)という視点で考えるなら、人間が原罪としてもつ欲望の力は、それほどまでに強
力、ということにもなる。

 もっと言えば、人間が、原罪的にもつ欲望の力は、理性によるコントロールの範囲を超えて
いる。そうした力を、あのフロイトは、自我構造理論の中で、「イド」という言葉を使って説明し
た。

●性的エネルギー

 イドというのは、性的エネルギーのかたまりと考えるとわかりやすい。快楽原理のみに従い、
無秩序、無節制に、その人の心を裏から操る。

 そのイドをコントロールするのが、「自我」ということになる。「私は私」という意識である。この
「私は私」という意識が、イドを抑え込む働きをする。言うなれば、自分の中に潜む、ジャジャ
馬、もっと言えば、邪悪な悪魔を飼いならす力ということになる。

 しかしそれは容易なことではない。子どもについていうなら、思春期というその年齢までに、自
我をそこまで確立させるということ自体、容易なことではない。むしろ現実は、逆で、多くの親た
ちは、子育てをしながら、その自我を平気で破壊するようなことをしている。

 子どもの中に、「私は私」という意識を育てようとしない。そればかりか、それを破壊しながら、
破壊しているという意識すらない。「そら、ピアンのレッスンだ」「そら、英語のレッスンだ」と。子
ども自身が、自分で何をしたいのか、何をすべきなのかを、知る前に、親が、親がもつ価値観
を子どもの前に、ぶらさげてしまう。(もちろん、MFさんが、そうであったと言っているのではな
い。誤解のないように!)

 中には、子どものほしがるものを、先に、先に……と与えてしまう親がいる。たとえば新しいテ
レビゲームが、発売になったりすると、それを買い求めるために、祖父母が並ぶ。親が並ぶ。
「孫の喜ぶ顔が見たいから」「子どもが喜ぶ顔が見たいから」と。

 こうして多くの子どもたちは、欲望のウズの中で、夢や希望が何であるかもわからないまま、
したがって目標をもつこともなく、思春期を迎える。この時期、イドは肥大化し、活性化する。そ
のイドがもつエネルギーというか、パワーは、相当強力なものである。いかに強力なものである
ことは、すでに、みなさん、ご存知のとおり。

 ハレンチ事件を起こした、教育委員会の指導主事のような例は、まさに氷山の一角。つまり
この事件を裏から読むと、「指導主事ですらそうなのだから、いわんや思春期の子どもたちを
や……」ということになる。

●距離感

 では、「私は私」とは、何かということになる。

 それは距離感をいう。

 たとえばだれしも、たった数時間で、億万長者になれるとしたら、その話に興味をもつだろう。
方法としては、銀行強盗がある。現金輸送車の襲撃がある。しかし、そういうことをしてみたい
という(思い)と、実際の(行動)との間には、(距離)がある。

 この距離感の短い人を、自己管理能力の弱い人という。この距離感の長い人を、自己管理
能力の強い人という。

 「私は私」という自我の確立の進んでいる子どもは、その距離感が長い。心の中で、そう思っ
たとしても、それを実行に移すには、かなりのエネルギーを消費しなければならない。そのエネ
ルギーを感じて、その一歩手前で、心にブレーキをかける。たじろいで、その先へ進むのをや
めてしまう。

 が、その距離感の短い子どもは、それをそのまま、アクセルを踏んでしまう。行動に移してし
まう。

●やがてあなたの子どもも……

 幼児をもつ母親や父親たちは、みな、穏やかな顔をしている。そして中学生や高校生の非行
問題を見聞きしたりすると、「うちの子にかぎって……」とか、「うちの子は、だいじょうぶ」と思
う。

 それもそのはず。この時期の子どもたちは、天真爛漫(らんまん)、まさに天使のような表情
をしている。親の指示にも、すなおに従う。悪とは無縁の世界に住んでいるかのようにも、見え
る。

 しかしそれがその子どもも、やがて大きく変化する。今の子どもの様子を、5年後、10年後
の姿と思ってはいけない。とくに思春期になると、子どもは、一変する。ここに書いたように、イ
ドの力が活性化する。個人差もあるのだろうが、それは、ものすごいパワーと考えてよい。

 そのパワーが、やがてすぐ、子どもの心を裏から、あやつるようになる。で、そのとき、そのパ
ワーが、適切に発散されれば、それでよし。そうでなければ、その子どもの心、そのものを、大
きくゆがめる。

 もちろん、関心内容も、行動内容も、大きく変化してくる。総じてみれば、子どもの非行の原
動力となっているのも、このイドを考えてよい。(ただしフロイトは、そう説いたが、それにつづく
ユングは、「性的エネルギー」ではなく、「生的エネルギー」と説いた。生きる力こそが、その源
泉にあると説いた。念のため。)

●では、どうすればよいのか? 

 こうした変化、つまり思春期というのは、どの子どもも経験するものであり、その変化のし方
は、まさに千差万別。ひとつとて、定型はない。

 あなたがそうであったからといって、あなたの子どももそうであると考えるのは、まちがい。あ
るいは先にも書いたように、「うちの子はだいじょうぶ」と、高をくくるのも、まちがい。

 あなたの子どもは、あなたの子どもとして、思春期を向かえ、変化していく。で、そのとき、ポ
イントは、2つある。

 ひとつは、それまでに、どうやって子どもの中に、自我を確立させていくかということ。そしても
うひとつは、イド(性的エネルギー)は避けられないものだとするなら、そのイドを、どうやって適
切に発散させていくかということ。

 方法、つまり各論については、すでにあちこちで私が書いてきたとおりだが、自我の確立につ
いては、子どもの中に、夢や希望を育てることで対処する。目的がしっかりと定まれば、先に書
いた、(距離感)が生まれる。この距離感が、子どもをして、より自己管理能力の高い子どもに
する。

 また「適切に発散させる」ということは、子どもの存在感を、何らかの形で用意するということ
になる。そのために、私は、「一芸論」を説いてきた。「これこそ私」という一芸を、子どもにもた
せる。

 その一芸が、性的エネルギーを、発散する場所として機能するようになる。

 これらの原稿については、以前、書いたものを、このあとに添付しておく。

【はやし浩司より、MFさんへ】

 今の対処のし方で、正解です。

 こうした問題は、「今以上に、悪くしないことだけを考えながら、子どもの様子を、数か月単位
でみる」が、大原則です。

 無理をすれば、子どもは、さらに、二番底、三番底へと落ちていきます。

 このことに気づいた今、MFさんには、もう迷いはないはず。5年後、10年後には、笑い話に
なりますから、今のまま、進んでください。いつかあなたは、娘さんにこう言うのです。

 「あなたも、あのころ、ずいぶんとお母さんに、心配をかけたわね」と。

 すると娘さんは、こう言います。「そうね、ごめんなさい」と。

 今のMFさんには、わからないかもしれませんが、(また、それを奨励するわけではありませ
んが)、こうした非行(?)を経験した子どもほど、あとあと常識豊かで、世間の道理がよくわか
る子どもになります。

 それを信じて、どうか、この時期を乗り切ってみてください。方法は簡単。川の流れに乗って、
川を下るように、時の流れに、静かに身を任せばよいのです。あとは、時間が、この問題を解
決してくれますよ。

 では……。









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【9】

●子どもとの不協和音

【自分をさらけ出して生きる】

●ある母親からの相談より

++++++++++++++++++

子どもとの不協和音。
子どもに気をつかい、
思ったことを言うこともできず、
毎日、悶々としているという。

++++++++++++++++++

【Fさんより、はやし浩司へ(1)】

掲示板に書く勇気がありませんでした。何度もすみません。読んでいただくだけで。

私が今までやっていたことは、ほとんど虐待でした。手をあげたことも何度もあります。感情に
まかせて怒鳴るなんてことは、しょっちゅうでした。

ヒステリックに泣いたりしました。夫はそこまで私がしているとは、思ってないようです。

学校ではあまり目立たないほうで、問題なく見える息子。このところとにかく物事の負の部分し
か見ない感じで、習い事などでも、楽しかったことより、いやだったことを口にして、悪態ばかり
つきます。

学校も習い事もすべて嫌だ、やめたいと、今夜も言っていました。それをずっと優しく聞き出し
ていたのは夫です。先日、夫に初めて激しく怒られてから、息子は、特にわがまま、無理難題
を、夫に対して言うようになりました。次から次へ、といった感じです。

あまりのことに夫は病院へ連れていった方がいいのかなと思っているようです。しかし異常な
のは私。外ヅラだけがよく、ウソばかりついています。そのため子どもをドラ息子にしてしまった
私。

息子が万引きをしたのは、私への罰の始まりかもしれません。これ以上酷い状態にならないよ
うに、こんな私でもできることはあるのか。息子を愛してきたという自信がもてないでいます。本
当の自分もよくわかりません。


【Fさんより、はやし浩司へ(2)】

 掲示板はやはり落ち着かなくて、こちらに書くことお許しください。いただきましたご助言を胸
に刻んで、2週間過ごしてきました。自分との戦いは、始まったばかりなのに不安です。

まず心配なのが、子どもの様子です。習い事へ、三つ通っているのですが、それには、行かな
い、と言っています。

遅く寝て、朝、早く起きる、夕食後の風呂にはじまって、就寝までが、なかなかうまくいきませ
ん。

お父さんがかってくれた、N社のゲーム機器で、毎日、ゲーム三昧です。

その後、万引きはしていないようです。(先週私の財布から抜いたお金で、内緒で買い物はし
たようですが……。) 

怒りやすく、ワガママを言い出すと、あとへひかない。たいていお父さんがいる時ですが、ダダ
こねがひどい。

たとえばお父さんに、「会社を休んで欲しい、ゲームを買って」「学校がいやだ」と、強く言い出
すようになりました。

以前と変わらず、体をゆだねて、甘えてくる時もあり、私(達)を避けるようなことはありません。
ただ、夫がいる時は、以前と明らかに違う感じです。

今夜も夫に、「会社を休んで欲しい」とぐずぐずと泣き、私が抱きしめてとんとんして寝かしつけ
ました。三人でいると何かまた言い出すのではと、なんだか子どもの心を探るような雰囲気に
なってしまいます。

私のせいだとわかっていても、その私を責めもしない夫に本当に申し訳ない気持ちです。子ど
もがそこに「いる」だけでいいと、本当に心から思える時もある反面、私は結局夫にも「すべて
をさらけだし」をしていないように思います。もちろん子どもにも、です。

うそつきの私が、このままではどんどん悪い方向にいくのではと、心配で、胸が塞がったりしま
す。一日中とも言えるゲームの電子音を聞きながら、苦悩しています。

ご助言があれば、いただきたく存じます。お時間のない中、長々と失礼しました。

 
【はやし浩司より、Fさんへ】

 Fさんは、いわゆる「気負い先行型ママ」ということになります。「いい母親でいよう」「いい家庭
を作ろう」という気負いばかりが強くて、それで結果として、自分で自分を苦しめてしまっていま
す。

 息子さんについて言えば、親意識過剰というか、「いい子にしよう」という意識が、これまた強
すぎるように感じます。加えて、心配過剰、さらには育児ノイローゼ気味(?)。

 前にも書きましたが、この時期の子どもの万引き、盗みは、珍しくもなんともありません。一
応、言うべきことは言いながらも、あとは、『許して、忘れる』です。あまりおおげさに考えないこ
と!

 おけいこごとについても、そうです。いちいち子どもの機嫌をうかがって、子どもの言うこと
に、振りまわされてはいけません。無視すべきことは、無視。「そうね、たいへんね」と聞き役に
回って、それでおしまいにします。これを「ガス抜き」と、私たちは呼んでいます。

 子どもが、グチを言ったら、グチは聞いてあげれば、それでよいのです。

 そしてここが重要ですが、どうしてあなたは、子どもに嫌われるのを、それほどまでに恐れて
いるのですか? 嫌われてもいいと、もうそろそろ、居直りなさい。どうせ、嫌われるのですから
……。結論を先に言えば、あなた自身が、たいへん依存性の強い方だと思います。子育てをし
ながら、いつも無意識なまま、何かの見返りを求めている。それが回り回って、今の育児姿勢
になっていると考えられます。

 ゲームの音がうるさかったら、「うるさいわねえ」と言えばよいのです。それで子どもに嫌われ
ても、遠慮することはありません。つまりこれが(心のさらけ出し)ということになります。

 ただ、お子さんは、あなたに絶対的な安心感を求めています。が、それを得られないでいる
……。そういう状態です。あなた自身もわかっているように、あなたの育児姿勢には、一貫性
がありません。

 そこでこうします。『求めてきたときが、与えどき』と。

 子どもがあなたにスキンシップなり、甘えるなり、何かの愛着行動を示したら、すかさず、(こ
こが重要です。「すかさず」です)、子どもを抱きかかえてあげてください。そして力いっぱい、抱
いてあげてください。

 たいていものの数分もすると、子どものほうから体を放そうとしますので、そっと、水の中に魚
を逃がす要領で、子どもの体を放します。

 決して、「あとでね」とか、「今、忙しい」などと、言ってはいけません。「すかさず」そうします。

 子どもの心は、それで安定するはずです。「会社を休んでほしい」と、父親に甘えたときも、そ
うです。その旨、お父さん、つまりあなたの夫に、よく言い伝えておいてください。ぐいと抱いて
あげるだけで、じゅうぶんです。理由を言ったり、弁解したりする必要はありません。

 ホント、外づらをよくするのも、疲れますね。わかります、その気持ち!

 私も、若いころ、それなりの教師に見られたくて、苦労しました。しかしある日、気がつきまし
た。クソ食らえ!、と。

 それからは気が楽になりました。あるがままの自分を、さらけ出しながら生きるようになりまし
た。Fさんにも、今すぐは無理かもしれませんが、少しずつ練習すれば、それができるようにな
りますよ。

 ためしに、あなたの夫に向かって、(YES)(NO)をはっきりと言ってみては、どうでしょうか。
いやだったら、いやだと言えばよいのです。してほしかったら、してほしいと言えばよいのです。

 「あんた、今夜、セックスでもする?」「xxxxでもなめてあげようか!」と。(少し、ショックでした
か?)

 ハハハ。そういう形で、自分をさらけ出していきます。あとは、練習です。つまりね、あなたが
心を閉ざしていて、どうして子どもが、あなたに心を開くことができるでしょうか? 

 お子さんの年齢からして、もう、何でも、あなたの思い通りにはならないということを、肝に銘
じてください。夜更かしをして、翌朝困るのは、息子さんです。ですから、こまごまとしたことは、
あまり気にしないで、子どもに任せなさい。

 原因をたどれば、つまりなぜあなたが今、そうなのかという原因をたどれば、あなた自身の幼
児期から子ども時代に、問題があったとみます。権威主義的な親をもち、家父長意識の強い
家庭環境の中で、あなた自身が、いつも、(いい子)を演じていた。

 さらに言えば、あなたとあなたの父親との関係が、あまりうまくいっていなかったことも考えら
れます。そのため、(男)の扱い方が、わからないまま、今日に至っている……。

 一度、自分の過去を冷静に見つめてみる必要があります。で、この問題は、そうした自分の
過去を客観的に見ることができるようになっただけでも、問題の大半は解決したとみます。勇
気を出して、自分の過去と対峙してみてください。

 もっと肩の力を抜きなさい。カエルの子どもはカエル(失礼!)。それ以上高望みしないこと。
過剰に、子どもに期待をしないこと。「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめなさい! こ
の世界には、『あきらめは、悟りの境地』という格言があります。私が考えた格言ですが、あき
らめたとたん、あなたも、そして息子さんも、表情が明るくなるはずです。

 「こんなはずはない」「まだ何とかなる」とがんばれば、がんばるほど、逆効果ですよ!

 そしてあなたは、もう子どものことは忘れて、自分のしたいことをしなさい。息子さんは、すで
に親離れを始めていますよ。年齢的にも、その時期に来ています。この時期、親はさみしい思
いをするかもしれませんが、それに耐えるのも、親の務め。

 あとはCA、MG、Kの多い食生活に切り替えてみてください。海産物中心の献立にします。そ
れでも、(こだわり)が消えないようでしたら、一度、心療内科のドクターに相談なさるとよいでし
ょう。今では、すぐれた薬があります。

 あまりくよくよしないこと。少なくとも、万引きの問題は解決したのですから……。つぎからつぎ
へと、あれこれと問題をさがしだし、悩まないこと。「前よりもよくなった」ことだけを実ながら、あ
とは、前向きに生きていきます。

 では、また。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 育児
の悩み 育児ノイローゼ 子供の問題 育児問題)

【補記】

●自分をさらけ出して生きる

++++++++++++++++++++

自分をさらけ出して生きるということは、
口で言うほど、簡単なことではない。

そのことは、子どもの世界を見ればわかる。

子どもの中にも、あるがままの自分を、
すなおにさらけ出しながら生きている子どももいれば、
そうでない子どももいる。

いつも他人の目を気にしながら、いい子ぶる
タイプの子どもである。

このタイプの子どもは、いつも自分を飾る。
ごまかす。作る。偽る。

だから本人も疲れるが、教える側も疲れる。
何を考えているのか、何を望んでいるのか、
それが正確にわからないから、ときとして、
どう教えたらよいのかわからなくなる。

そこで私の教室では、年中児で入ってきた
子どもについては、とにかく、大声で、
声を出させ、大声で笑わせるという指導を
大切にしている。

心の中のものを、すべて吐き出させるように
している。

しかし本当の問題は、母親にある。

母親の中にも、自分を飾る、ごまかす、作る、
偽る人は少なくない。

が、母親のばあい、問題は、本人だけにとどまらない。
その影響は、子どもに現れる。

もちろん夫婦関係も、ギクシャクしてくる。

だから……。

もし、あなたが、ここでいう、心のさらけ出しが
苦手のタイプの人なら、思い切って、
心を開いてみよう。

心を開いて、自分の思いや願いを、空に
向かって、解き放ってみよう。

方法は、簡単。

まず、YES、NOを、はっきりと言ってみよう。

したかったら、YES!
したくなかったら、NO!

自分をすなおに表現してみよう。

自分を飾らないで、
自分をごまかさないで、
自分を作らないで、
自分を偽らないで……。

心を解き放てば、体は、あとからついてくる。

++++++++++++++++++++

以前、書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++++

【世間体】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間が…
…」という。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束縛から
離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは個
人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく言えば、自
分らしさ(アイデンティティ)の原点になっている、核(コア)をいう。このコア・アイデンティティをい
かに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われているか
を気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるかを気にす
る。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、このタ
イプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

 少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイフが落
ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。その中学生は、
臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思ったの
か」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイフをほし
いと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困ります」
と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかったら、ほし
いと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。その上で、そのサイフ
をどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」と。

 (仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論が始まると
いうこと。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらってしまえ」と言ってい
るのではない。誤解のないように!)

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目を気にし
た生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化が遅れる。「私
は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりません」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘には、
国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニール袋な
ど)を拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽トラック
だ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、いい印象
をもつにちがいない」と、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえってわ
ざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴミを集めている
のに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふうに考
えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、その周囲の
人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の虐待ら
しい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。そればか
りか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせたり、骨折していな
い別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のままだっ
た。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度は、他人
の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であって自
分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するということは、
よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってしまってはいけな
い。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にしていたよ
うに思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするようにしている。他
人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめてしまう。
他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を気にし
ている人間ということがわかる。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となりの人より
悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜んでみ
せたりする。

 20年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそうですね。
本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、万引きをして、補導
されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情したフリをし
ながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうですから。Gさん
は、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

●作られる世間体

 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件にこうい
うことがあった。

 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言った。(今ま
で、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大学」「H大学」と、伏
せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)

 S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。

 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。

私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!

私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』というのは、
ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。

 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響が大き
いのではないかと思う。

 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり世間体を
気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体を否定するよ
うになるかもしれないが……。)

 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、世代を経て、引き継が
れる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。

 (このつづきは、別の機会にまた考えてみる。つづく……。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 この原稿を書いてから、ずいぶんになる。「交番へ届けます」と答えた子どもは、すでに成人
になり、結婚もした。以来、会ったことはないので、今ごろは、どういう考え方をしているか知ら
ない。

 しかしまじめな、いい生徒だった。それは認める。だから今、こうしてそのときのことを思い出
してみると、そういう生徒をからかったわたしの方がまちがっていたのかもしれない。「交番へ
届けます」と彼が言ったとき、私もすなおに、「そうだね。それがいいね」と言うべきだった。それ
で終わるべきだった。

 多かれ少なかれ、私たちはみな、仮面をかぶって生きている。もしみながみな、あるがままの
(私)をさらけ出して生きたら、それこそ、この社会は、動物の世界のようになってしまう。私は
私で、あなたはあなたで、いい人ぶりながら、生きていく。たとえそれが仮面であるとわかって
いても、だまされたフリをして、相手に合わせて生きていく。

 それでよいのかもしれない。

 ただこれだけは、書いておきたい。

 自由とは、自分をさらけ出して生きること。つまり自分をさらけ出して生きることを、自由とい
う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 仮面
 コアアイデンティティ 人格の核 さらけ出し すなおな人間 はやし浩司 世間体 見栄 体
裁 虚栄)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
 
最前線の子育て論byはやし浩司(1315)

●虚栄

 「見栄。うわべだけの栄誉」「外見ばかり飾って、実質以上に見せること」を、「虚栄」という(日
本語大辞典)。

 英語では、「vanity」という。

 しかし、日本語で、「虚栄」というときと、英語で、「vanity」というときとでは、感じ方が、ちが
う。なぜだろう?

 ひとつには、そこに宗教的意味がこめられること。キリスト教では、「vanity」を、人間がもつ
原罪のひとつとして、それを強く戒めている。

 小学館の(ランダム・ハウス・英和辞典)によれば、こうある。

 Vanity……(1)うぬぼれ、慢心、虚栄心、(2)うぬぼれの表出、(3)ひどく自慢する、(4)無
価値、つまらなさ、(5)価値のないもの、つまらないもの、と。

 だから日本では、「お前は虚栄心が強い」と言われても、それほど、気にならないが、英語
で、「vanity」と言われたれたりすると、ぞっとする。何か、とんでもないまちがいを犯したかのよ
うにさえ思うこともある。

 そこで改めて考えてみる。「虚栄とは何か?」と。

 「飾る」といっても、それを意識している間は、虚栄ではない。たとえば美しいネックレスを買
い、それで身を飾るというのは、虚栄ではない。

 しかしそのネックレスを身につけ、さも、私は金持ちですと言わんばかりに振る舞うのは、虚
栄ということになる。さらに、その虚栄を使って、相手をだますようなことをすれば、詐欺(さぎ)
ということになる。

 が、虚栄の恐ろしさは、ここでとどまらない。虚栄が長くつづくと、「私」そのものが、なくなる。
「私」がないということは、その時点で、自分の人生を、カットすることになる。もっと言えば、
「私」でない、私に、操り人形となって、操られるだけ。そういう人は、少なくない。

 Nさん(女性)は、今年、80歳を過ぎた。そのNさんは、買い物に行くとき、サイフの中に、札
をいっぱい詰めていくという。しかも、一番前と一番うしろに、1万円札。その間に、1000円札
を詰めていくという。

 そしてレジなどで、お金を出すときは、レジの女性に、これみよがしに、札束を見せて、お金
を払うという。

 それを見ていた、実の娘(60歳くらい)は、こう言った。「うちの母は、昔から、そういう女性で
す。本当は、貧乏なのに、外では、いつも、金持ち風に振る舞うのです」と。

 そういう話を聞くと、私は、すぐ、「80歳も過ぎているのにねエ〜?」と思ってしまう。あわれと
いうより、こっけいですら、ある。虚栄に毒されると、人は、そこまでするようになる。しかも80
歳を過ぎても、それをつづける。

 自分がない人というのは、そういう人のことをいう。言いかえると、「生きる」ということは、その
時点、時点で、「私」をつかみながら生きることをいう。それができない人は、生きていることに
は、ならない。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、虚栄に毒されると、生きていると
いう実感をもてないまま、その日、その日を、ただ無益に過ごすことになる。

 あるがままに、自分を保ちながら、生きる。自分をさらけ出しながら、生きる。そういう生き方
を、「善」とするなら、虚栄に満ちた生き方は、「悪」ということになる。キリスト教のことは、よくわ
からないが、多分、そういう意味で、「虚栄」を、「vanity」と言うのではないか。

 一度、オーストラリアの友人に、問いあわせてみようと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 虚栄
 vanity)

+++++++++++++++++

本音と建て前について書いた原稿を
いくつか添付します。

+++++++++++++++++

●本音と建て前

 「すなおな考え方」とは何か。五、六年も前のことだが、小学一年生の生活科のテストに、こ
んなのがあった。

 あなたのお母さんが、台所で料理をしています。あなたはどうしますか。つぎの三つの絵の中
から、答を選んでください。

(4)そのままテレビを見ている絵。
(5)お母さんを手伝う絵。
(6)本を読んでいる絵。

 この問題の正解は、(2)のお母さんを手伝う絵ということになる。しかしほとんどの子どもは、
(1)もしくは、(3)に丸をつけた。このことを父母との懇談会で話題にすると、ひとりの母親がこ
う言った。「手伝ってほしいとは思いますが、しかし実際には、台所のまわりでウロウロされる
と、かえってじゃまです。テレビでも見ていてくれたほうが、楽です」と。つまり建て前では、(2)
が正解だが、本音では、(1)が正解だ、と。

 そこで本題。冒頭にあげた絵の問題では、子どもたちは私の意図した答とは、別の答を出し
た。正解か正解でないかということになれば、正解ではない。また小学一年生のテストでは、本
音と建て前が分かれた。こういうとき、どう考えたらよいのか。

●正解のない世界

 ……と考える、必要はない。悩む必要もない。もともとこの世の中に、「正解」などというもの
は、ない。ないにもかかわらず、私たちは何かにつけて、正解を大切にする。正解を求めようと
する。とくに教育の世界ではそうで、その状態は、高校三年生までつづく。が、それで終わるわ
けではない。

ある東大の教授が、学生たちに、答のない問題を出したときのこと。一人の学生が、「答のな
い問題を出さないでくれ」と、その教授に、くってかかったという。その教授は、「この世界ので
きごとは、九九・九九%、正解のないことばかり。なぜ今の学生は、正解にこだわるのか」と笑
っていた。

 そこで今、教育の世界では、「答のない問題」が、クローズアップされている。私立大学だが、
T理科大学の面接試験では、こんな問題が出された。「塩と砂糖と砂が混ざってしまった。この
状態で、塩と砂糖と砂を分離するには、どうしたらよいか」と。

 こうした問題を与えられたとき、日ごろから、考えるクセのある子どもは、あれこれ分離方法
を言うが、そうでない子どもは、そうでない。さらに入学試験のとき、教科書や参考書もちこみ
OKという大学もふえてきた。「知識」よりも、「考える力」を大切にするというもくろみがある。

当然のことながら、これからはこの傾向は、ますます強くなる。さきの教授は、こう話してくれ
た。「これだけインターネットが発達してくると、知識の価値は、ますますさがってくる。大切なの
は、いかにその知識を組みたて、新しい考えを生みだすか、です」と。

 私たちは子どもたちと接しながら、あまりにも、答を押しつけすぎているのではないだろうか。
そしてそういうのが、教育と思いこみすぎているのではないだろうか。子どもたちにかぎらず、
私たちは、もっと自由な発想で、自由な答を求めてもいいのではないだろうか。私は子どもたち
の前で、爆笑してしまったが、爆笑そのものの中に、未来につながるものの考え方の、大きな
ヒントが隠されているような気がする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 本音
と建て前 子供の本音)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●疲れる子どもたち

 本音と建て前。本当とウソ。正直とごまかし。今の子どもたちは、幼いときから、この二つを使
い分けることを教えられる。その結果、その両方を、うまく使い分けられる子どもほど、「学校」
という社会を、スイスイとうまく生きていかれる。そうでない子どもは、そうでない。

 もちろんだからといって、A君のように、拾ったお金を使ってよいというのではない。ないが、A
君のような生き方のほうがわかりやすい。子ども自身も疲れない。心もゆがまない。しかしB君
のような生き方をしていると、それだけで疲れてしまう。その結果、心がゆがむこともある。

 自分の内部に潜む誘惑に打ちかち、拾ったお金を交番へ届けるというのは、かなりむずかし
いことである。強い精神力と、それを支える道徳性が必要である。そしてその道徳性は、たえ
まない反省と思考によって、はぐくまれる。そこらの中学生くらいに、それができるわけがない。
私が「本当のことを言え!」と迫ったとき、もしB君がそれでも、「交番へ届ける!」と言ったら、
私はB君の道徳性を認める。しかしそれとて、私という「他人の目」を感じているから、そう言う
にすぎない。

 ……と書いて、実は、これは親たちの問題でもある。子育ての問題と言ってもよい。たとえば
ある親が自分の子どもに向かって、「学校では、友だちと仲よくするのですよ」と言ったとする。
しかしこの言い方は、「拾ったお金は、交番へ届けるのですよ」という言い方と、どこも違わな
い。

 が、その親が、子どもがもちかえったテストを見ながら、「何だ、この点数は! あのC君は、
何点だった? もっと勉強しろ!」と言ったとする。これは母親の本音と考えてよい。親は、こう
言っているのだ。「C君は、あなたの敵だ。そのC君を負かせ」と。

 かわいそうなのは、そう言われた子どものほうである。一方で、「仲よくしなさい」と言われ、他
方で、「敵と思え」と言われる。拾ったサイフにたとえるなら、一方で、「交番へ届けろ」と言わ
れ、他方で、「拾ったお金は自分のものにしろ」と言われるのに似ている。「同じ」とは言わない
が、「似ている」。

 こうした相反する矛盾の中で、要領のよい子どもは、その二つを、うまく使い分ける。が、そう
でない子どもは、そうでない。そして底なしの自己矛盾の世界へと落ちていく……。しかしそれ
はきわめて不安定な世界でもある。子どもによっては、その不安定さに耐えかねて、非行に走
ったり、引きこもったり、あるいは家庭内暴力を起こしたりする。そこまで進まなくても、自分の
中で葛藤(かっとう)する子どもは、いくらでもいる。

 それはさておき、要領の悪い子どもは、この段階で二つの道に分かれる。徹底して、よい子
ぶるか、それとも居直るか、のどちらかである。冒頭にあげた、B君が、そのよい子ぶっている
子どもということになる。それに対して、A君は居なおっているということになる。

●本音で生きる

 子どもの世界を見ていると、それはそのまま、私たちおとなの問題であることがわかるときが
ある。この問題もそうだ。私たちおとなも、昔は、子どもだった。そしてほとんどの人は、その子
ども時代の自分を、みな、そのまま引きずっている。たとえばあなた自身は、どうだったか。さ
らには、あなた自身はどうかということになる。

「今」という時点で考えてみよう。今、あなたは本音で生きているだろうか。あなたが妻なら、夫
や子どもに対して、本音で生きているだろうか。それとも、あなたは、ここでいうような「いい子」
ぶってはいないだろうか。

 が、これだけは言える。もしあなたが他人との世界の中で、「疲れ」を覚えるようなら、あなた
は、いつも心のどこかで自分をごまかして生きていないかを、少しだけ反省してみるとよい。あ
なたのそうした気負いは、あなた自身を疲れさせるだけはなく、あなたの夫や、子どもまでも疲
れさせてしまう。要は、ありのままの自分を生きるということ。飾ることはない。気負うことはな
い。ごまかすこはない。ありのままでよい。

 一〇万円が入ったサイフを拾い、お金がほしいと思えば、そのまま中身を抜いて、サイフだ
けを捨てればよい。が、もしそれを「よし」としないのなら、交番へ届ければよい。そしてそのサ
イフのことは忘れる。自分にすなおに生きるというのは、そういう意味で、わかりやすい人生を
送ることを意味する。

 そうそう、先のB君も、私が「正直に言え」と迫ると、最後にこう言った。「やっぱり、先生、お金
がほしいから、もらってしまうよ」と。私はその意見を聞いて、安心した。B君には、まだ自分を
取り戻す力が残っていた。すなおな気持ちが、残っていた。私は最後に、B君にこう言った。

 「自分に無理をしてはいけない。先生は、今でも、サイフを拾うたびに、迷う。しかし今は、そう
いうふうに迷う自分がいやだから、何も考えないで、近くに交番があれば、交番に届けるように
している。先日は、コンビニの前で拾ったから、コンビニに届けた。よいことをしているとか、悪
いことをしているとか、そんなふうに考える必要もない。要するに気負わないこと。

 しかしね、誠実に生きることは、とても気持ちがよいことだよ。ウソだと思ったら、一度、拾っ
たお金を交番へ届けてみてごらん。そのあと、ものすごく、気持ちがよくなる。その気持ちのよ
さは、お金では買えないよ」と。
(030319)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●心のバランス感覚

駅構内のキオスクで、週刊誌とお茶を買って、レジに並んだときのこと。突然、横から二人の女
子高校生が割りこんできた。

 前の人との間に、ちょうど二人分くらいの空間をあけたのが、まずかった。

 それでそのとき私は、その女子高校生にこう言った。「ぼくのほうが、先ですが……」と。する
とその中の一人が、こう言った。「私たちのほうが、先だわよねえ」と。

 私「だって、私は、あなたたちが、私のうしろで、買い物をしているのを、見ていましたが……」
 女「どこを見てんのよ。私たち、ずっと前から、ここに並んでいたわよねエ〜」と。

 私は、そのまま引きさがった。そして改めて、その女子高校生のうしろに並んだ。

 で、そのあと、私がレジでお金を払って、駅の構内を見ると、先ほどの二人の高校生が、10
メートルくらい先を、どこかプリプリした様子で、急ぎ足に歩いていくところだった。

 事件は、ここで終わった、が、私は、この一連の流れの中で、自分の中のおもしろい変化に
気づいた。

 まず、二人の女子高校生が、割りこんできたときのこと。私の中の二人の「私」が、意見を戦
わせた。

 「注意してやろう」という私と、「こんなこと程度で、カリカリするな。無視しろ」という私。この二
人の私が、対立した。

 つぎに、女子高校生が反論してきたとき、「別の女子高校生と見まちがえたのかもしれない。
だからあやまれ」とささやく私と、「いや、まちがいない。私のほうが先に並んだ」と怒っている
私、。この二人の私が、対立した。

 そして最後に、二人の女子高校生を見送ったとき、「ああいう気の強い女の子もいるんだな。
学校の先生もたいへんだな」と同情する私と、「ああいう女の子は、傲慢(ごうまん)な分だけ、
いろいろな面で損をするだろうな」と思う私。この二人の私が対立した。

 つまり、そのつど、私の中に二人の私がいて、それぞれが、反対の立場で、意見を言った。
そしてそのつど、私は、一方の「私」を選択しながら、そのときの心のあり方や、行動を決め
た。

 こういう現象は、私だけのものなのか。

 もっとも日本人というのは、もともと精神構造が、二重になっている。よく知られた例としては、
本音と建て前がある。心の奥底にある部分と、外面上の体裁を、そのつど、うまく使い分ける。

 私もその日本人だから、本音と建て前を、いつもうまく使い分けながら生きている。こうした精
神構造は、外国の人には、ない。もし外国で、本音と建て前を使い分けたら、それだけで二重
人格を疑われるかもしれない。

 そこで改めて、そのときの私の心理状態を考えてみる。

 私の中で、たしかに二人の「私」が対立した。しかしそれは心のバランス感覚のようなものだ
った。運動神経の、行動命令と、抑制命令の働きに似ている。「怒れ」という私と、「無視しろ」と
いう私。考えようによっては、そういう二人の私が、そのつどバランスをとっていたことになる。

 もし一方だけの私になってしまっていたら、激怒して、その女子高校生を怒鳴りつけていたか
もしれない。反対に、何ら考えることなく、平静に、その場をやりすごしていたかもしれない。

 もちろんそんなくだらないことで、喧嘩しても、始まらない。しかし心のどこかには、正義感も
あって、それが顔を出した。それに相手は、高校生という子どもである。私の職業がら、無視で
きる相手でもなかった。それでどうしても、黙って無視することもできなかった。

 こうした状態を、「迷い」という。そしてその状態はというと、二人の自分が、たがいに対立して
いる状態をいう。だからこうした現象は、私だけの、私特有のものではないと思う。

もともと脳も、神経細胞でできている。運動に、交感神経(行動命令)※と副交感神経(抑制命
令)があるように、精神の活動にも、それに似た働きがあっても、おかしくない。

 そして人間は、その二つの命令の中で、バランスをとりながら、そのつどそのときの心の状態
を決めていく。そのとき、その二つの命令を、やや上の視点から、客観的に判断する感覚を、
私は、「心のバランス感覚」と呼んでいる。つまりそのバランス感覚のすぐれた人を、常識豊か
な人といい、そうでない人を、そうでないという。

 キオスクから離れて、プラットフォームに立ったとき、私はそんなことを考えていた。
(040224)(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし
浩司 心のバランス感覚 心のバランス)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司※

【虚栄について、B君からの返事】

In Australia being vane is not well liked. I would not say it is very 
bad though. We are more inclined to think someone who is vane is being 
rather silly.

オーストラリアでは、(飾る)ことは、それほど嫌われていない。そんなに悪いことだとは思わな
い。自分を飾る人を見ると、ぼくたちは、愚かな人だなと思うが、その程度。

Being 2 faced is another matter. That can get you despised. 

2つの顔をもつというのは、別。それは軽蔑されるべきことだ。

However there different levels of being 2 faced.

しかし2つの顔をもつといっても、程度の問題もある。

For instance if I am nice and smiling to someone's face but are nasty, 
uncomplimentary or sabotage them "behind their back", I will be 
despised by people who see this.

たとえば、ぼくが、だれかいやなやつに対して、よくしながら、そして微笑みながら、その裏で、
その人の悪口を言ったりすれば、ぼくはそれを知った人に軽蔑されるだろう。

On the other hand, if I really don't like someone but I am polite to 
them in public, this will be seen as being diplomatic. That is people 
who see this will understand and see it as not causing unnecessary 
social friction.

一方、本当はその人が嫌いでも、公(おおやけ)の場所で、その人にていねいにしたとしても、
それは外交的なものと受けとめられるだろう。それを見た人も、そうであると理解し、不要な社
会的摩擦を起こさないためのものと、わかってくれるだろう。

So maybe Australia is not that much different to Japan.

そんなわけで、多分、オーストラリア人も、日本とそんなにちがわないと思う。

Cheers,

バイ

Bより









 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【10】

●情緒が不安定な子ども

++++++++++++++++++++++

わがままを言っては、親を困らせる。
このところ、学校へも行っていない。

そんな子どもで悩んでいる、NBさんという
方から、相談がありました。

++++++++++++++++++++++

【NBさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、お忙しいところ長文で失礼します。

万引きをしたあと、ぎくしゃくした息子(小学3年生)との関係のことで、相談したことのあるW市
(T県)のNBです。ブログにもご回答いただきました。ありがとうございました。今回はその後、
学校を休んでいる息子のことで、相談します。お時間がある時に、ご意見いただきたく思いま
す。

息子の現状についてどう考えればいいのでしょう。先生のおっしゃった通り、もう万引きはして
いません。お金の管理も厳重にしているので、盗まれるということもありません。

ただ、公園に友達と行くとウソをついて、前のお金の残りで、コンビニでカードを買ったりしたこ
とが2度ほどありました。5月23日から休み始め、9日ぶりに、今週の月曜に(授業はなく校外
学習でしたが)、行き、また今週いっぱい休む、というような状態です。

月曜の登校は本人が決めて行きました。いろいろ読ませていただき、学校恐怖症というのでは
なく怠学というのでしょうか、まあ呼び名よりも息子の心の中が問題なわけで。万引きやそれを
問いただした時の息子のパニック(泣き叫び万引きを認めずウソで終始)が、私達にとって大
変ショックでした。

そのため当初から、「行きたくなければいいよ」「行かなくてもいいよ」というような言い方で、対
応しています。担任の先生もゆっくり見守る姿勢を示して下さるので、夫も私も今は本当に見
守る気持ちでいます。

振り返れば、何年も前から問題行動が時折あり、それをきちんと気づいてあげられなかった私
たちに、原因があります。私への絶対的な安心感を得られないまま、外でも緊張状態のまま過
ごしていたのが、ここにきて万引きや不登校という形で爆発したと考えています。

今は学校が終わる時間までは、たいてい家にいて、(私の外出は、まだ認めてくれません)、ゲ
ームや読書で過ごし、ほとんどゲームばかりしています。家事を終えてから一緒に遊んだり、
時々、買い物に行ったりしています。皆が学校から帰ってくると、頻度は減ってきましたが、
(「どうして休んでるの?」と、聞かれる友達とは遊ばなくなりましたが)、友達に電話して、遊び
に行ったりしています。

「今はちょうど給食の時間だ」とか自分から言ったり、「来週からは学校へ行く」などと言うことも
あります。本人は、内心では、学校へは行かなければとは思っているようです。

宿題などには全く関心ないようです。新聞を取ってくるとか、金魚のえさをやるとかの手伝いも
全くやる気なしです。池で釣ったザリガニを持ち帰り、世話をせず、2匹とも死なせてしまいまし
た。平気な顔をしています。

それでも私と二人の時はそれなりに穏やかにすごしているのですが、(以前のように口やかま
しく言わないですが)、途方にくれてしまうのは、夫と三人でいる時です。延々と遊びたがるので
す。特に三人で遊びたがります。このひと月で、ますますこだわりが強くなったようです。

外で遊べば、とっぷり暗くなるまで帰らない、家では寝ないで遊びたがる。11時くらいまでは、
ゲームか他の遊びをすることになります。それも少しずつ、時間帯が遅くなってきました。

「帰ろう」「寝よう」と言うと、機嫌が悪くなり、時には怒り出します。せっかく楽しんでいたのに、
いつも、最後は怒るか泣くかで終わるわけです。夜は怒り出すと、その時、胸にある不満をぶ
ちまけ暴れることもあります。ソファをけったりクッションを投げたり壁をたたいたり。

今の最大の不満は、今週末、お父さんが土曜は仕事、日曜は結婚式で家にいない、ということ
です。前の日曜の夜はこのことを言い出して2時間以上もぐずり、収まったのは、夜中の2時を
過ぎていました。

そのような時はお父さんや私が抱きしめようとしても、「やめて」と言って、怒ります。以前はそう
ではなかったのですが。絶対に式になんか行くなとか、会社や、式をあげる人を罵るような言
葉も、次々に出てきたりします。それを聞いていると、私などは最初悲しく、だんだん腹がたっ
てきてしまいます。

夫には、怒るような口調で「うるさいなあ」と言って、目でたしなめられます。私は本当にこらえ
性がないです。夫は悲しげですが、でも冷静ですね。決してきつく言うことはない。興奮して泣
いている時は、夜中でも、子どもの面倒をみています。

自分の子であって自分の子でないような気分になってしまい、そう感じる自分にも嫌悪したりし
ます。「これでもか」「これでもか」と、息子に要求されているような感じです。夫もそう感じている
らしいですが、三人いるときほど、息子がきつくなるのはどういうことなんでしょう。

万引きをした時に夫が始めてお尻をたたいて、本当に初めて、大きな声で叱ったのが関係して
いるのでしょうか。夜は、ほおっておいて寝る、というわけにも行かず、寝不足の日々です。

寝るときはもちろん川の字で。

学校の先生は今の甘えている状態を、「(幼児期の)忘れ物を取りにいってるんですね」と表現
されました。9年間の忘れ物が1ヶ月やそこらで取り戻せるとは思ってはいませんし、数ヶ月単
位で様子を見なければならないんですね。

なのに、本当に今はこれでいいのだろうか?、どう推移するのだろうと、明るくゲームに興じて
いる様をみていると不安になります。

「お母さんはいつも太陽でいてください」と言われているのですが、実は人に会うのも少し、おっ
くうになってきた、今日、このごろです。


【はやし浩司より、NBさんへ】

 息子さんは、(絶対的な安心感)が得られず、いつも、不安な状態にあると考えてください。つ
まり心は、いつも緊張状態にあるとみます。絶対的な安心感というのは、「疑いすらもたない」と
いう意味です。心理学で言えば、あなたと息子さんの関係は、「基本的不信関係」ということに
なります。

 で、NBさんは、何とか、息子さんに安心感を与えようと努力していますが、残念ながら、息子
さんは、あなたの心の奥まで、読んでしまっています。あなた自身が、子育てをしながら、不安
でならない。つまり絶対的な安心感を覚えていないため、それを息子さんは、感じ取ってしまっ
ているわけです。

 つまりあなたは、「不安だ」「心配だ」と思っている。それがそのまま息子さんに伝わってしまっ
ているというわけです。

 こういうケースでは、『あきらめは、悟りの境地』という格言が、役にたつと思います。「うちの
息子は、こうなんだ」と、あきらめて、受け入れてしまうということです。「ほかの子とは、ちがう」
「このままでは、心配だ」「どうすればいいんだろう」と、悩んでいる間は、決して、安穏たる日々
はやってきません。息子さんにしても、そうです。

 もちろん原因は、息子さんが生まれたとき、息子さんを、全幅に受け入れなかったあなた自
身にあります。が、今さら、それをどうこう悩んでも、しかたのないことです。

 ただこうした子どもの心の問題には、二番底、さらには、三番底があります。形としては、つま
り、症状としては、(家庭内暴力)に似ています。息子さんが、まだ小さいため、NBさんの管理
下というか、コントロール下にありますが、息子さんが、小学校の高学年児、あるいは、中高校
生だとしたら、こうは、簡単には、片づかないはずです。

 私はドクターではないので、これ以上のことは書けませんが、もし今のようなはげしい不安状
態、混乱状態、さらには緊張状態がつづくようなら、一度、心療内科のドクターに相談なさって
みられたらよいでしょう。そのとき、NBさんが、私にくれたメールなどを、ドクターに読んでもらう
とよいでしょう。

 今では、すぐれた薬も開発されています。それによって、息子さんが見せている、一連の(こ
だわり)症状も、軽減するはずです。

 家庭では、(1)求めてきたときが、与え時と考えて、スキンシップなど、そのつど、子どもをす
かさず抱いてあげたりします。が、やりすぎてはいけません。そこで大切なことは、(2)暖かい
無視です。無視すべきところは、無視しながら、子ども自身の自由な時間には、干渉しないよう
にします。

 不登校については、学校恐怖症というよりは、怠学に近いと思われます。子どもの言葉に一
喜一憂したり、振りまわされたりしないように、注意してください。このタイプの子どもの(約束ご
と)には、意味がありません。意味がないというより、子ども自身、自分をコントロールできない
でいるのです。

 で、今度は、NBさん側の問題ですが、お気持ちはわかりますが、全体的に過関心かな…
…?、という印象をもっています。すべてが、子ども中心に動いてしまっている(?)。すべてが
子どもに集中しすぎているといった感じです。状況としては、しかたないのかもしれませんが、
そのため、NBさん自身が、育児ノイローゼの一歩手前にいるようにも思います。

 不登校については、今の状況では、すぐには改善しないと思います。NBさんが言っているよ
うに、どうか、数か月〜半年単位で、考えてみてください。この問題は、根が深いということ。コ
ツは、「なおそう」とは思わないこと。「今の状況をこれ以上悪くしないことだけを考えて、対処す
る」です。

 消極的な対処法にみえるかもしれませんが、無理をすれば、ここでいう二番底、さらには三
番底へと、子どもが、落ちていきます。今はまだ何とかなりますが、子どもの体が大きくなった
り、腕力がついてくると、そうはいかなくなるということです。

 たまたま別の方から、同じような相談が届いていますので、どうか、参考にしてみてください。
よろしくお願いします。

●掲示板への書きこみから

++++++++++++++++++++++

NBさんから、相談のメールをもらった同じ日、
掲示板にこんな書きこみがあった。

小学2年生の、Mさん(女児)についてのもの
だった。

++++++++++++++++++++++

【掲示板への相談より……】

教員ではありませんが、小学校で子どもと関わる仕事をしています。教員免許は持っていま
す。

お手伝い先生のような仕事です。大卒後、企業で8年間、勤務し、退職後、初めての職場。初
めての教育の現場です。詳しく書くことができなく、申し訳ありません。不適切なら削除してくだ
さい。

現在、ある小2女子児童の担当になっています。(Mさんとしておきます。)・・・と言っても、日替
わりで上から指示されるので、とても不安定です。

Mさんは両親が離婚したあと、4月中旬に転校してきました。前の学校では不登校。現在は毎
日来ていますが、徐々に完全に保健室登校になってきています。

毎朝お母さんが送ってきますが、子どもがお母さんから離れられません。お母さんは、Mさん
を、車からぽーんと出し、バン!と閉めて、そのまま帰ってしまいます。そこでMさんは、泣き叫
び後を追いかけます。

道路でMさんを出すのは危険なのでというような指導が、学校側からあったようです。それから
は、お母さんは、Mさんを、学校の中まで中まで送ってきます。が、送ってくると、Mさんは、抱
きついたままお母さんの髪をぎゅーっとつかんで離しません。

そのとき、お母さんの靴を隠す、持ち物を隠す、取り合いになったりすることもあります。転んだ
すきに、お母さんは逃げるように、振り返らず去っていきます。

そのあとも、切れ端(ゴミのようなもの)を握り締め、「ママ・・・」と、しくしく泣き、「それどうする
の?」と聞くと、「お守りだから・・・」と。それを聞くと、胸が張り裂けそうになります。

私にはこの子を抱きしめる事しかできません。背中をさすって、「そう、そう、つらかったんだ
ね」と、沢山聞いてあげる事しかできません。担任からはくわしく話を聞かせてもらうこともあり
ません。でも一応、Mさんの担当なのです。

学校の担任の先生は、「早く教室に入りなさい」と言うだけです。クラスの児童からは、常に、
「この学校は、○○なんだぞ!」とか、「○○ちゃんがきたから、席が替わったじゃない!」と言
われ、みなは、どこかMさんをじゃまにしているような雰囲気です。

私がMさんの担当になる前は、誰も付いていなかったので、たとえば教室前でもじもじしている
と、担任(女性)から腕をつかまれ、引きずられるように入れられていたそうです。

Mさんが、抵抗すると、担任は、お腹をつねっていたようです。そしてとうとう教室を見ただけで
吐き気が起こすようになったり、担任を見ると逃げたり、隠れたり、さらには、クラスの児童を見
ると、「恐い・・・」と消えそうな声で、つぶやくようになってしまいました。

「恐い」にしても、初めの段階では、「集団が恐い」と言っていました。が、最近ではクラスの児
童に限定されてきたようです。優しい子もふくめて、どの子も恐がっているようです。

時限ごとに、Mさんが、「教室へ行ってみる・・・でも無理だったら戻ってもいい?」と言うので、
一緒について行くと、やはり、「恐い・・・やっぱりダメ」という感じです。

また、学校の対応もバラバラです。「今日は1日、この部屋で2人でいていいですよ」というの
で、それなりにおたがいに楽しそうに、じゃあ、今、国語だから漢字ドリルしようか、というような
調子でやっていると、ガラっ!と、突然開いて、知らない先生が「次! 図工だよ! 行け
る!?」と、Mさんのランドセルを持って行ってしまうのです。

子どもは一気に緊張した顔で、条件反射的に、「はい」と答え、部屋を出る。が、やはり行けな
い。そこでその先生が、「はいって言ったじゃない、どうしていけないの?」となじったりしま
す・・・・。と、思ったらまた急に他の先生が入ってきて、保健室にいてもいいですよ。いつ来ても
いいですよー、と言う始末。

はやし先生。これでこの子はどうなってしまうのでしょう。「ママ、バイバイしないで行っちゃった
ー」と泣くことから1日が始まり、クルクルと周りの指導が変わり、(私も規則で12時までしかい
っしょに、いられません)、Mさんにしてみれば、親に裏切られ、先生に裏切られ、友達も・・・と
いうような状況ですよね。

お母さんの話をするときは、赤ちゃん言葉です。以前、過呼吸に近い状態になり驚きました。
最近、混乱してくると頭を、自分で、げんこつでボカボカと自分で殴ります。見ていて恐いくらい
です。

本人の話しによると、以前は、お父さんの実家で同居していたそうです。いとこ(中学生)たちも
いたようで、よく殴られたと言います。

そして現在、お母さんにはお友達がいて、私の話ををちっとも聞いてくれない。お友達は男性
で、毎日のように泊まっていくとのこと。

また、反対にMさんのお母さんからの話しでは、家ではまったく甘えない。そんなそぶりさえ見
せない。学校でこんなに離れないなんてウソみたい。帰ったら遊ぶ約束をしてやっているのに、
宿題が終わらないから泣いてばかりで、遊べない、ということです。
(高知県在住・KUより)

【KU先生へ、はやし浩司より】

 掲示板の記事を読んで、その内容が、最近経験した、Z君(中2男子)と、あまりにも酷似して
いるので、驚きました。

 Z君は、乳幼児のときから、母親の冷淡、無視、育児放棄を経験しています。母親は、「生ま
れつき、そうだ」と言いますが、Z君は、見るからに弱々しい感じがします。全体に、幼く見え、
言動も幼稚ぽく、その年齢にふさわしい人格の核(コア・アイデンティティ)の確立がみられませ
ん。

 はきがなく、追従的で、いつも他人の同情をかうような行動をします。かなり強烈なマイナス
のストロークが、働いているようで、何をしても、「ぼくはできない」「ぼくはだめな人間」と言いま
す。

 ほかの子どもたちのいじめの対象にもなっています。母親は、そういうZ君を「かわいい」「か
わいい」とでき愛していますが、その実、Z君を、外へ出したがりません。「外へ出すと、みなに
いじめられるから」を理由にしています。典型的な、代償的過保護ママです。

 特徴としては、つぎのようなことがあります。思い浮かんだまま、並べてみます。

(1)自己管理能力がない……薬箱のドリンク剤を一日で、全部(10本ほど)、飲んでしまう。そ
のため、ますます母親に強く叱られる。届け物に買ってきた、菓子などを、勝手に封をあけて、
食べてしまったこともある。

(2)特定のものに、強くこだわる……カードゲームのカードをたいへん大切にしている。それを
毎日、戸棚から出し、また並べなおしたりしている。下に、6歳離れた弟がいるが、弟がそのカ
ードに触れただけで、パニック状態(オドオドとして、混乱状態)になる。

(3)時刻にこだわる……片時も腕時計を身からはなさず、いつも、時計ばかり見ている。行動
も、数分単位で、正確。朝、目をさましても、その時刻(6時半)がくるまで、床の中でじっと待っ
ている。そのときも、時計ばかり、見ている。メガネをかけているが、寝るときでさえも、かけた
まま。

(4)衝動的な自傷行為……ときどき、壁に頭をうちつけたりする。あるいは、ものを、壁にぶつ
けて、壊してしまう。ラジカセが思うようにならなかったときも、かんしゃく発作を起こして、こわし
てしまったこともある。が、満足しているときは、借りてきた猫の子のようにおとなしく、おだやか
だが、ふとしたことで急変。二階へつづく階段から、大の字のまま、下へ飛び降りたこともあ
る。現在、前歯が2本、欠損しているが、自傷行為のために、そうなったと考えられる。

(5)異常なまでの依存性……独特の言い方をする。おなかがすいたときも、「〜〜を食べた
い」というような言い方をしない。「〜〜君は、何も食べなかったから、死んでしまった」「ぼくは、
10日くらいだったら、何も食べなくても、平気」などと言ったりする。自主的な行動ができず、他
人の同情をかいながら、全体に、何かをしてもらうといった生活態度が目につく。

(6)幼児がえり……しばらく話しあって、打ち解けあうと、とたんに、幼児言葉になる。年齢的に
は、4〜5歳くらいの話し方をする。「ママが、ぼくを、たたいた」「○○さん(Z君の叔母)が、ぼく
をバカにした」と。

 母親は、仮面型タイプの人間で、私のような他人の前では、きわめて穏やか。始終、やさしそ
うな笑みを浮かべて、さもZ君を心底、思いやっているというようなフリをします。私が会ったと
きも、母親は、Z君の背中を、さすりながら、「元気を出そうね」と言っていました。

 このZ君というより、Z君の母親について、問題点をあげたら、キリがありません。代償的過保
護のほか、代理ミュンヒハウゼン症候群、虐待、基本的不信関係、仮面型人間、ペルソナ…
…。

 これらの原稿については、このあとに添付しておきますので、どうか、参考にしてください。

 で、私もこうした事例に、よく出会います。そしてそのつど、(限界)というか、(無力感)を味わ
います。ここにあげたZ君にしても、最終的に、私が預かるという覚悟ができれば、話は別です
が、そうでなければ、結局は、母親に任すしかないということになります。

 またこういう母親にかぎって、私のようなものの話を聞きません。何かを説明しようとすると、
ここにも書いたように、「生まれつきそうだ」とか、「遺伝だ」とか、さらには、「父親(夫)が、ひど
いことをしたからだ」と、他人のせいにします。

 ものの考え方が、きわめて自己中心的なのが、特徴です。もっと言えば、自分の子どもを、モ
ノ、あるいは奴隷かペットのように考えています。ひとりの人間として、みていません。

 で、30代のころは、そういう子どもばかり預かって、四苦八苦したことがあります。夜中中、
車で、走り回ったこともあります。しかしその結果たどりついたのが、「10%のニヒリズム」とい
う考え方です。

 若いころ、どこかの教師が、何かの会議で教えてくれた言葉です。

 決して、全力投球はしない。90%は、その子どものために働いても、残りの10%は、自分の
ためにとっておくという考え方です。そうでないと、身も心も、ズタズタにされてしまいます。今の
KU先生、あなたが、そうかもしれません。

 が、ご心配なく。もっと複雑で、深刻なケースを、たくさんみてきましたが、子どもは子どもで、
ちゃんと、大きくなっていくものです。もちろん心に大きなキズを残しますが、そのキズをもった
まま、おとなになっていきます。が、やがて自分で、それを克服していきます。つまりそういう人
間が本来的にもつ(力)を信じて、やるべきことはやりながらも、子どもに任すところは、任す。

 あとは、時間が解決してくれます。

 で、Mさんは、明らかに、分離不安ですね。心はいつも緊張状態にあって、その緊張状態か
ら解放されないでいるとみます。家庭の中でも、心が休まることがないのでしょう。一応、母親
の前では、(いい子?)でいるのでしょうが、それは、本来のMさんの姿でないことは、確かなよ
うです。

 (いい子?)でいることで、母親の愛情を取り戻そうとしているのです。私がときどき書く、「悲
しいピエロ」タイプの子どもというのは、このタイプの子どもをいいます。

 が、肝心の母親は、それに気づいていない。つまりここにこの種の問題の悲劇性がありま
す。

 また閉ざされた子どもの心を開くことは、容易なことではありません。1年や2年は、かかるか
もしれません。ちょっとしたことで、また閉じてしまう。この繰りかえしです。しかしあきらめては
いけません。ただ、このタイプの子どもは、いろいろな方法で、あなたの心を試すような行動に
出てくることがあります。

 急にわがままを言ってみたり、乱暴な行動に出てみたりする、など。こちらの限界を見極めな
がら、ギリギリのことをしてくるのが、特徴です。で、そういうときは、まさに根競べ。とことん根
競べをします。子どもの方があきらめて手を引くまで、根競べをします。

 「私はどんなことがあっても、あなたを見放しませんからね」と。

 それに納得したとき、子どもははじめて、あなたに対して心を開きます。

 幸いなことに、Mさんは、あなたというすばらしい先生に、出会うことができました。何が大切
かといって、あなたの今の(思い)ほど、大切なものは、ありません。その(思い)が、あなたとM
さんの絆(きずな)、あるいはMさんの心を支えるゆいいつの柱になっていると思います。

 ところで私は、最近、はじめて、ADHD児の指導を断りました。今までは、むしろそういう子ど
もほど、求めて教えてきたようなところがあります。

 しかし体力の限界だけは、もうどうしようありません。1〜2時間、接しただけで、ものすごい
疲労感を覚えるようになりました。それで断りました。

 そのとき感じた、敗北感というか、虚脱感には、ものすごいものがありました。悶々とした気
持ちで、数日を過ごしました。

 しかしあなたは、まだ若いし、いくらでも、そういう仕事ができます。どうかあきらめないで、が
んばってください。

 繰りかえしますが、あなたのような先生に出会えたことは、Mさんにとっては、本当に幸いなこ
とです。Mさんにかわって、喜んでいます。どうか、どうか、がんばってください。応援します。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどお
りにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味では、代
償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴がみられ
るようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(して
よいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、親に
追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその温和性
は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のものである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする……とい
ったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解す
る傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価している。臆面もな
く、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の前では、借りてきたネ
コの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題は、その
ことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その呪縛性
に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であるかわからな
いまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別として、その重圧感
は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に気が
つくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生まれてはじめ
て、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画もあっ
た。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、まず、あ
なたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あなた自身の中
の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。

( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにしてき
た。

( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。

( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことがある。

( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見せた。

( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ずる。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と考え
てよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に分析してみる
とよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子どものた
め」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利
用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用する。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力的、威圧
的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするなら、お涙ち
ょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見せつけながら、子
どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、操られ
ているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、異常なまで
に依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生まれ
ながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子ども自身が、
かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。そし
て子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔の表情と
が一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒っていると
きは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。そういう子どもを、
すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 代償
的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●フリをする母親

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッシャーと
いう学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというのは、現実にいた
男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばかりしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で病院へ
連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親が見せる一連の症候
を、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンヒハウゼン症候群」
と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)に、一方で、姑
(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい嫁)を、演じていた人
がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたった一
人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長女(当
時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当然のこと
ながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる女性
(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、子どもが
病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面というよ
り、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そうでないの
か、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子どものほうが萎縮し
てしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、だれか他人に訴える
気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判することさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ミュン
ヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 仮面をかぶる母親)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●基本的信頼関係

信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。

絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」と
いう意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の基本となる。

 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先生、友
人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で構築される信
頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。

 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信関
係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこうして生まれた
不安を、「基底不安」という。

 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊んでいて
も、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、生活のあらゆる
部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫婦関係はもちろんのこ
と、親子関係においても、である。

 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育てをしや
すくなる。

●基底不安

 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不安や
心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとんどの親
は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安や心配になって
も、「それは子どものため」と思いこむ。

 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。

 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底とした
生きザマをするようになるということ。

 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あるいは
「世代伝播(でんぱ)」という。

 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、「そん
な先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その中学生には、説
得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然なことなのである。
(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)


●人間関係を結べない子ども(人)

人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居心地の
よい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分かれる。

(9)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、居心地
のよい環境をつくろうとする。
(10)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつくろうとす
る。
(11)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環境を
つくろうとする。
(12)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と
同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス型(他人に
対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたりするなど、自分に対し
て攻撃的になる)に分けられる。

 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。このタ
イプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、自分にとって、
居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。

●子どもの仮面

 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようになる。

 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また相手を
キズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。できないから、相
手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。

 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことができない。一
方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかしそういう言葉を、冗
談と、割り切ることができない。

 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい子ぶる
ようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛するために、
独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。

 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわからない子ど
も」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、遊離するようにな
る。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずなのに、ニンマリと笑って
みせるなど。

 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになることもある。
さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなおな子ども」
とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。

一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな顔をする。い
やなときはいやな顔をする。

たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」と言う子
どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子どものほうが「裏」
がなく、実際には教えやすい。

いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやすく、またそ
の分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。

 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさ
む、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。

ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離不安の子
どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見えなくなったとた
ん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりする。その追いかけている様
子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というよりは、もっと別の作用によって動かさ
れているのがわかる。それがここでいう「その子どもであって、その子どもでない部分」というこ
とになる。

 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考えると
わかりやすい。

●仮面をかぶる子どもたち

 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地のよい
世界をつくろうとする。

 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。あるいは、
いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先生との受け答え
のしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。

先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」
子ども「警察に届けます」
先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」
子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。

 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。

先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」
子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」
先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」
子ども「やったこと、ネーヨ」と。

 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。

●心の葛藤

 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰りかえ
すようになる。

 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。

 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつ
きすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。
そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体
を温めあった」と。

 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)は、相
当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。

一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に緊張す
ると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、さらにその結
果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振や性機
能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」(新井康
允氏)という。

こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たとえば子ど
ものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野で、脳の機能変
調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問題という前提で考える。

 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さまざまな
神経症による症状を、引き起こす。

●神経症から、心の問題

ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応として現れ
た状態を、「神経症」という。

子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)
は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。

(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないも
のに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。 
(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。 
(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。 
●たとえば不登校

こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題である。

しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい
花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。

が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を
「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に
分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。こ
れに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。 
(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、
吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜にな
ると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。
学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除
すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつ
ど移動するのが特徴。 
(3)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂っ
たように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、
一転、症状が消滅する。

ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たい
ていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。 
(4)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃的
態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピリピ
リした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすること
はある(感情障害)。

この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おのの
く)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じが
するため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうこ
とが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。 
(4)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ
友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなこと
を、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二
日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか 
 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をと
るかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理
をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。

この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と
言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の
状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪
化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられてい
る。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境
の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日
本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子ども
を外の世界から見た区分のし方でしかない。

++++++++++++++++

【参考】

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、
睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加
わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこ
の時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最
初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始ま
る。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期
の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこの段
階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。
あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの心の問題を見
落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによ
ることが多い。

ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずし
た。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。
その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り
続けた。

が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが
つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて
すむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、「三
か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」
と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに
電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り返してい
るうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けるこ
と。

(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、
子どもの様子をみる。

(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあ
ますまで、何も言わない、何もしないこと。

(4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。とく
に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部
屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリズムがで
き、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)家族がいてもいな
くいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。こうした様子が見られた
ら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。そ
ういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされてい
る。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児
だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という。不
登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%など。そして
学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……45%
教師との関係   ……21%
クラブ・部活動  ……17%
転校などでなじめず……14%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

+++++++++++++++++ 

●自己診断

 子育てにおいて、母子関係の重要性については、今さら、改めて言うまでもない。そしてその
中でも、母子の間で構築される「基本的信頼関係」が、その後、その子ども(人)の人間関係の
みならず、生きザマにも、決定的な影響を与える。まさに「基本的」と言う意味は、そこにある。

 そこで子どもの問題もさることながら、親である、あなた自身が、その基本的信頼関係を構築
しているかどうかを、一度、疑ってみるとよい。

 あなたは自分の子どものときから、いつも自分をさらけ出していただろうか。またさらけ出す
ことができたただろうか。もしつぎのような項目に、三〜五個以上、当てはまるなら、ここに書い
たことを参考に、一度、自分の心を、冷静に見つめてみるとよい。

 それはあなた自身のためでもあるし、あなたの子どものためでもある。

○子どものころから、人づきあいが苦手。遠足でも、運動会でも、みなのように楽しむことがで
きなかった。今も、同窓会などに出ても、よく気疲れを起こす。

○他人に対して気をつかうことが多く、敬語を使うことが多い。気を許さない分だけ、よそよそし
くつきあうことが多い。

○ひとりで、静かに部屋の中に閉じこもっているほうが、気が楽だったが、ときどきさみしくなっ
て、孤独に耐えられないこともあった。

○いつも他人の目を気にしていたように思う。そして外の世界では、いい子ぶることが多かっ
た。無理をして、精神疲労を起こすことも、多い。

○夫(妻)や子どもにさえ、自分の心を許さないときがある。過去の話や、実家の話でも、恥ず
かしいと思うことは、話すことができない。

○言いたいことがあっても、がまんすることが多い。その反面、他人の言った言葉が、気にな
り、それでキズつくことが多い。

○自分は、どこかひねくれていると思う。他人の言葉のウラを考えたり、ねたんだり、嫉妬(しっ
と)することが多い。

○子どものころから、親に対しても、言いたいことが言えなかった。どこか遠慮していた。親や
先生に気に入られることばかりを、考えていた。

●勇気を出して、自分をさらけ出してみよう!

 もしあなたがここでいう「信頼関係」に問題がある人(親)なら、勇気を出して、自分をさらけ出
してみよう。

 まず、手はじめに、あなたの夫(妻)に対して、それをしてみるとよい。言いたいことを言う。し
たいことをする。身も心も、素っ裸になって、体当たりで、ぶつかってみる。何も、セックスだけ
が、さらけ出しということにはならないが、夫婦であることの特権は、このセックスにある。

 そのとき大切なことは、自分をさらけ出すのと同時に、夫(妻)の、どんなさらけ出しにも、寛
容であること。つまり受入れること。「おかしい……」とか、「変態とか……」とか、そういうふうに
考えてはいけない。

 あるがままを、あるがままに受入れて、あなたがた夫婦だけの問題として、処理すればよい。

 で、こうした夫婦の絆(きずな)を、伸ばす形で、つぎに精神面でのさらけ出しをする。思った
ことを話し、考えたことを伝える。

 これは私のばあいだが、私は、ある時期まで、講演をするたびに、ものすごい疲労感を覚え
た。そのつど、聖人ぶったりしたからだ。自分を飾ったり、つくったりしたこともある。

 しかしそれでは、聞きに来てくれた人の心をつかむことはできない。役にもたたない。

 そこでは私は、講演をしながら、その講演を利用して、自分をさらけ出すことに心がけた。あ
りのままの自分を、ありのままに話す。それで相手が、私のことを、「おかしい」と思っても気に
しない。そのときは、そのとき。

 自分に居直ったわけだが、そうすることで、私は自分にすなおになることができた。そう、もと
もと、私は、どこかゆがんだ人間だった。(今も、ゆがんでいる?)私のこうした生きザマが、ギ
クシャクした親子関係で悩んでいる人のために、一つの参考になればうれしい。

【注】この原稿は、W小学校区の教員研修会のための資料として書き始めたものです。まだ公
表できるような段階ではないかもしれませんが、マガジンにこのまま掲載します。時期をおい
て、また書き改めてみます。

(※1)実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟は愛
することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにいるだけで、わ
ずらわしくてしかたない」とかなど。

私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母親は、約10%(私の母親教室で約
200人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感
じている母親は、7%もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待しているこ
とがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答500人・2000年)そうだ。

同じく妹尾栄一氏らの調査によると、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をして
いるという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの17項目を作成
し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しばしばある……2
点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(494
人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であったという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 不登
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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.
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