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【1】

●教育の平等性

【平等とは……】

●アメリカの実情
 
 SKさん(二児の母親)から、こんなメールをもらった。改めて、「平等とは何か?」、それを考
えさせられた。

++++++++++++++++++++

日本の学校、アメリカの学校。自由と平等。いろいろとらえ方があって、
どっちがいいって簡単にはいえないことだと思います。どちらもにも
利点、不利点があるでしょうから。

私は小学3年から中学2年までアメリカはN州で
生活しました。英語ができない状態で、現地校に放りこままれ、
たくましく大きくなりました。中2で帰国する時には、日本語が
あやしくなっていました。(言語発たちの、大事な時期ですね。)

当時はレーガン大統領の時代。アメリカがいろんな意味でキラキラ
していて、夢があった頃だと思います。でも、経済的に苦しくなり
つつあって、教育費は年々カットされました。先生方がしょっちゅう
授業をボイコットをしていたのを覚えています。

先生のお話にもあったように、あちらでは、町が変われば学校の
あり方が違う。PTAが多くの権限をもち、あらゆる教育内容に
発言するんですよね。

5年間の生活で、最初の2年間を過ごした町では、あまり教育熱心な
町ではなく、ブルーカラーの人、アイリッシュがとても多いところでした。
そちらの町では、学校の予算が削られて、小学校は3年生でおわり、
4、5、6、7が middle school、8学年以降が high schoolあつかいでした。

で、途中で引越、残りの3年を過ごした町はとても教育熱心な町でした。
このRMという町には、6年生以降、8年生まで学校生活を経験
しました。

7年生からは、あらゆる科目が5段階にレベル分けをされていました。
ホームルームは一緒でも、時間割はみな、ちがっています。習う科目と
レベルが、みな、違うんです。

で、全教科レベルが高いところで学習している生徒は、目の前に
「飛び級」がちらついてくる。一番下のところに降ろされている子は
「ドロップアウト」が見えてくる。

どのクラスも、要求されている学習レベルが明確だから、「ドロップアウト」
するべき瞬間が誰の目にも明らかなんですよね。子どもにとっても。
「進級する」のも同じ。

同じ学年で、同じ English教材で学習をしていても、トップレベルのクラスで
扱う新出単語が30個ならば、下のレベルでは、20個だったりするわけです。

私が過ごしていた町では、トップレベルのクラスに入っている子たちは
特別なクラブ活動に参加していました。 Enrichmentと呼ばれたり、
Class for the gifted and talented という名称がつけられていたりしました。

こうやって、エリート意識を、小中学生の頃から植えつけて、切磋琢磨させて
いるんです。毎朝、1時間早めにきて、ディベイト、学校新聞作り、
株と経営、地元学校対抗クイズ大会の練習など、するのです。

で、これらの活動に参加しているお子さんたち、たいていのご父兄が
PTAに中心的に活動していて、学習内容、学習レベルを細かに
チェックしているのです。ご父兄も、お医者さんやら弁護士さんやら
いわゆる「エリート」のお仕事に従事されている方ばかりです。

アメリカの、そういうPTAで幅を利かせている方々というのは、
先生を巻きこんで、自分の子どもたちが、もっともいい教育が受けられる
道を歩めるようにアクションを起こしていくんですよね。

飛び級しかり、Enrichment のような活動しかり。(これはどの町の
学校にもあるシステムだと思います。規模の大小、ありますが。)

大学進学に必要なSAT(Scholastic Assessment Test、
アメリカ大学学部課程への入学適性を審査する学力診断テスト)、
あれも、何度も受ければハイスコアが確実に
見えてくるシステムのテストです。Enrichmentの活動に参加している子たちは
中学2のときから毎年のようにSATを受ける権利がもらえているのです。
そうなれば最終的にハイスコアを提出しやすいですよね。

私も、全教科、トップレベルのクラスにいれてもらっていたので、
Enrichment を通して、たくさんの面白い経験をさせてもらいました。
(校外学習など、いろんなプログラムが準備されているのです。)
私の場合は「英語が第二言語である」というところが、giftedであると
理解されていたようです。

アメリカでは喜んでドロップアウトする。ドロップアウトを受け入れる
授業編成とカリキュラムが組まれているからだと私は理解しています。
でも、もし Enrichmentのようなプログラムからはずされるとなると、
半狂乱になる親はいたと思います。とくに一度英才教育をうけた子どもたち
には、とても酷なことでしょう。

よく私の母がつぶやいていました。「個々人の能力に応じた教育の機会を
与えるのが、アメリカの平等。能力の幅をできるだけ感じさせないように
して、みんなに同じ機会を与えようとするのが、日本の平等。」

どっちが、平等なんでしょうか? 

日本でいうところの、「コース」っていうのは、一体何ものなんでしょう。
人々が過去に歩いて作った道、のことですよね。昔からある道に
安心しているから、その上を歩くんですよね。疑いもしないで……。

学校の先生さまにお任せして、文科省のてがける教科書さえこなして
いればいい、っていう、日本の親の、甘えがあるんですよね。
日本の親は、学校現場に参加していかない。むしろ、「学校に任せて
おけばいい」と、子どもの教育を放棄していく。だから、突然の「ドロップアウト」
宣言に、半狂乱になるんだと思うんですよね。

もちろん、本当は、突然ではないのでしょうけれど。なんとなく先生と
学校と教科書(文科省)にお任せしているから、突然の通たちに
「反応」できないんですよね。

アメリカのように学校、教科書に信頼がないから、PTAが決めていく。
だからフリースクールが増えていく。そうなると団体行動、社会活動を
学ぶ機会は、ここで大幅に縮小していきます。そういう意味では、
アメリカの学校現場が、健全かどうかというのも疑わしいと思うんです。

コースから外れることへの不安。その不安が、子どもたちの学習内容に
つながっていくエネルギーに代わっていくといいと思います。学習内容
3割削減後、すこし振り子が戻ってきたように。

親と子ども、子どもと学校、先生と子ども、先生と親。
もっと信頼関係のパイプが太く、安心できるものになりますように。

++++++++++++++++++++

【SKさんへ……】

●日本とアメリカ

 去年、アメリカのS州立大学(アーカンソー州)へ行ったときのこと。何とそこには、15歳の大
学生がいました。

 アメリカでは、そこまでできるのですね。アメリカでは、珍しいことではありません。

 が、当の教授や学生たちは、みな、「かわいそうだ」と。

 その15歳の少年は、大学にはいるものの、友だちができないからだそうです。もちろん勉強
するだけの、学生生活(?)。一人の大学生は、こう言いました。「それぞれの年齢で、もっとふ
さわしいことを楽しむべきだ」と。

 いろいろ意見は、あるようです。

 そうそうもう一人、その大学で講師をしている人の息子(12歳)ですが、学校へは行かず、自
宅で、父親と勉強している子どももいました。住所と名前を教えてもらったので、一度会いたい
と連絡をしたのですが、たがいに時間がとれなくて、そのまま私は、日本へ帰ってきてしまいま
した。

 それについても、一人の大学生は、「かわいそうだ」と言いました。

 アメリカでは、学校へ行かず、自宅で勉強できるホームスクール制度というのが、発達してい
ます。開拓時代からの名残というか、伝統というか……。もともと広大な国なものですから、「学
校」に対する考え方や概念も、日本とは、かなりちがうようですね。

 現在、推定で、ホームスクーラーの数は、200万人を超えたとされています。いろいろと事情
があって、そういう制度が発達したのでしょうが、その子どもについて、「子どもの意思を無視し
てまで、学校へ行かせないというのは、かわいそうだ」と。

 STさんが、ご指摘の「平等」についての考え方には、正直言って、少なからず、ショックを受
けました。

 「個々人の能力に応じた教育の機会を与えるのが、アメリカの平等。能力の幅をできるだけ
感じさせないようにして、みんなに同じ機会を与えようとするのが、日本の平等」という部分で
す。

 もともと日本とアメリカとでは、教育の視点がちがうようですね。日本では、「国あっての民。そ
のための教育」と考えるようです。

 一方、アメリカでは、あの開拓時代から、教育(子どものための学校)は、自分たちが作るの
だというふうに考えるようです。「民あっての、教育であり、国」という考え方なのではないでしょ
うか。

 さらにこの日本では、明治時代以後、いわゆる『従順でもの言わぬ民』づくりが、教育の基本
であったことも事実です。もちろん教育は、だれの目にも必要だったし、日本の社会を変えると
いう意味では、重要な機能を果たしました。

 (最近になって、「現在の日本の繁栄は、そうした明治時代の人たちが築いた基礎があった
からだ」と主張する人がいます。しかしその途中で、日本全土が、空襲で焼け野原になったこと
も、忘れてはなりません。

 そういう人たちは、敗戦直後、日本が焼け野原になったときは、何と言っていたのでしょうか。
日本人は、いつも結果だけをみて、過去を判断します。仏教というより、チベット密教的な宗教
観が、根底にあるからではないかと思っています。)

 だから日本では、教育は、いつも、国(上)から与えられるもの、一方、アメリカでは、教育
は、いつも、民(民衆)のほうから作りあげていくものと考えるようです。しかしこのちがいは、大
きいですね。

 私も、アメリカでは、ごくふつうの公立小学校が、勝手に、入学学年と卒業学年を定めている
のを知り、驚きました。「うちは満4歳児から入学させ、小学3年生で卒業させる」と、です。「州
政府から、指導はないのですか」と、私が聞くと、「一応、学習6領域についての指導はある。し
かしその基準は、きわめてゆるやかなものだ」(P小学校校長)とのこと。

 知れば知るほど、ウーンと、考えさせられることばかりです。

 話は変りますが、意識というのは、そういうものなのですね。日本で生まれ、日本で育つと、
いつの間にか、教育とは、学校とは、そういうものだと教えこまれてしまう。そして、その上で、
意識というか常識まで、作られてしまう。

 立場は逆になりますが、先日もテレビを見ていたら、隣のK国の大学生たちが、こう言ってい
ました。

 「私たちは、自由です。平等です。今は経済的に苦しいときですが、すばらしい国に生まれ
て、幸福です」と。

 本気でそう思っているのか、それとも、何かの圧力があって、そう言わせられているのかは知
りませんが、そのときも、やはり、ウーンと、考えさせられてしまいました。

 そこで、改めて平等論です。
 
●平等

 「能力の差」を認めるのが、平等なのか。「能力の差」をわかりにくくするのが、平等なのか。

 しかしこの問題は、すべての教師が、学校という教育現場で、日夜悩んでいることでもあるよ
うです。

 能力があり、勉強ができる子どもについては、もっと伸ばしてやりたいと考える。しかしその一
方で、勉強が苦手で、できない子どもについては、できるだけ本人が、それを苦しまないように
してあげたいと考える。

 能力のある子どもについては、伸ばしてあげるのが、平等。能力のない子どもについては、
できるだけ本人がキズつかないようにしてあげるのが、平等、と。

 具体的には、私のばあいは、能力のある子どもは、どんどんと飛び級をさせています。本人
の知的好奇心を、満足させてあげる。(決して、エリート意識をもたせるということではありませ
ん。中には、不必要なエリート意識をもってしまう子どもも、いるにはいます。勉強ができない仲
間をバカにしたりする、など。)

 そして勉強ができなくて苦しんでいる子どもには、復習を中心とした学習に切りかえる。ときに
励まし、ときにほめ、ときになぐさめてあげたりする。

 日本の教育法がよいとか、アメリカの教育法がよいとかいうのではないですね。教育を支え
る背景そのものが、ちがいます。

 日本では、学歴が、ものをいう。最近でこそ、かなり様子が変ってきましたが、それでもものを
いいます。こうした学歴を、会社を定年退職してからも、ぶらさげていばっている人は、いくらで
もいます。

 一方、アメリカでは、学歴というよりも、プロ根性。プロ意識。大学生でも、学歴をもつために
勉強するというよりは、その道のプロになるために勉強するという意識が強い……?

 昨年も、アメリカの大学を訪れた、東大のある教授が、こう言って驚いていました。

 「休み時間になると、学生たちが列をつくって、教授室の前に並ぶんですね。みな、質問だ
の、相談だのを、教授にするためです。日本では見たことがない光景だけに、驚きました」と。

 勉強する意識というか、目的そのものがちがう。だから当然のことながら、「平等」に対する考
え方も、ちがいます。それにつけ加えるなら、平等であるから、よいということにもならないので
はないでしょうか。

 みんながリーダーになっても困るし、かたやみんなが、従属者になっても、困る。社会をつくる
ためには、たがいの役割をそれぞれが自覚し、ある種の調和を保たねばならなりません。それ
にだれしも、リーダーになることを望んでいるわけではない。またリーダーになったからといっ
て、幸福になれるというものでもないですし……。

 ただ親の心としては、こういうことは言えます。

 自分の子どもが優秀(?)であるときには、アメリカ型の平等のほうが、よいと考える。一方、
自分の子どもがそうでない(?)ときは、日本型の平等のほうが、よいと考える。このことは、子
どもの自身にとっても、そうではないでしょうか。

 自分の能力を伸ばしきれず悶々としている子どもは、いくらでもいます。そういう子どもにとっ
ては、(親にとってもそうですが)、日本の教育は矛盾だらけです。

 一方、がんばってもがんばっても、学校の勉強についていくだけでも精一杯という子どもも、
いくらでもいます。そういう子どもにとっては、(親にとってもそうですが)、日本の教育は矛盾だ
らけです。

 そこそこにふつうの子ども(?)だけが、そこそこに満足する。それが日本のでいう「コース」の
本質ではないかと、私は思っています。もちろんその背景には、日本人独得の集団意識、さら
には、長くつづいた封建時代とそれにつづく、学歴社会があります。

 日本人は、みなとちがったことをすることを、極端に恐れます。あるいは自分自身も、自分と
ちがったことをしている人を、排斥しようとしたりします。こうした意識が、コース意識となってい
るわけです。

●これからの日本

 ご指摘のように、日本は、今、多くの問題をかかえています。なおすべきところも多いと思い
ます。

 アメリカも、そうです。アメリカの教育が、すべてよいわけではありません。アメリカはアメリカ
で、多くの問題をかかえています。

 しかし日本にせよ、アメリカにせよ、教育の原点は、一つです。子どものために、子どもの立
場で、子どもの未来を考えて、組みたてる、です。そのためにどうあるべきかを考えます。

 子どもを決して、国家の道具にしたり、国家につごうのよいように、作ってはいけないというこ
とです。国がどうあるべきかは、子どもたちが、将来、子どもたち自身が決めることです。また
そういう「自由」は、最後の「砦(とりで)」として残しておいてあげる。それが子どもを育てる私た
ちの責務であるように思います。

 そういう点では、今の日本の教育には、改善すべき点は、多いと思います。が、先にも書い
たように、日本に生まれ、日本で育っていると、それがわからない。が、アメリカの教育をのぞ
いてみると、それがわかる。そういう意味で、SKさんからいただきました情報は、本当に役に
たちました。ありがとうございました。

 これからもよろしくご指導ください。重ねて、お礼申しあげます。
(はやし浩司 アメリカの学校 アメリカ 小学校)
(040601)


【KSさんからの追伸】

はやし先生

KSです。いろいろ、こちらも考える機会をいただいて、
また、自分の経験してきた学校生活を整理することも
できまして、感謝しております。

さて、どうぞ、マガジンに掲載してください。また
一緒に考えてくれるリーダーが、ふえてくれるのを
楽しみにしております。

【はやし浩司よりKSさんへ(2)】

 昨夜、ビデオショップの宣伝につられて、『Kxxx Bxxx』という、和製、アメリカ映画を見まし
た。

一人の若いアメリカ人女性が、自分の夫や子どもを殺されたことを復讐するため、単身、日本
へ乗りこんできて、日本刀で、バサバサとギャングを切りまくるという映画です。

 評価はいろいろあるでしょうが、私にとっては、見るに耐えないというか、ダ作の中でも、超ダ
作。何とか批評をしたいと思って、ほとんど終わりまで見ましたが、最後は、あきれて、カセット
を取りだしてしまいました。

 突発的にキレて、相手のクビを切り落とすシーンなどもありましたが、娯楽と言うよりは、意味
のない、サツバツとした殺戮(さつりく)映画。おまけに構成は、バラバラ。

 おかしな理由づけのために、4年前のシーンに、突然もどったり。冒頭の二人の女性の格闘
シーンの最中では、子どもが学校から帰ってきて、格闘は中断。そのあと、結局は、その子ど
もの前で、母親をナイフで、刺し殺してしまったり……。

 まあ、はっきり言って、メチャメチャ。

 私は、その映画を見ながら、「日本の映画も、この程度なのかな」と思ってみたり、「これで完
全に、韓国映画、インド映画に敗れた」と思いました。あるいは、「どういう人たちが、こんな映
画をおもしろいと思って見るのかなあ?」とも。

 そう、韓国映画の充実ぶりは、すごいですね。あちこちの大学にも、演劇科があり、いわゆる
アメリカ流の(自然な演技)を、指導しています。

 かたや日本は、どうか? 一部の文化的権威者(たいていは、マスコミで売れている著名人)
が、頂点に君臨し、「これが映画です」というような映画ばかり作っている。この「Kxxx Bxxx」
も、その一つかもしれません。

この映画は、まさに日本の(映画文化)を、象徴していると思いませんか。

 いまだに、日本を、外国から見ると、「奇異な国」という感じがします。「どこか、おかしい」「ど
こか、ふつうでない」という感じです。外国から見ると、どうもわけがわからない。日本人の表情
が見えてこないというか、人間性が伝わってこないというか……。

 その(おかしさ)(ふつうでなさ)に、いつ私たち日本人が気づくかということです。でないと、い
つまでたっても、日本人は、「異質な民族」として、世界のスミに追いやられてしまうのではない
でしょうか。

 「Kxxx Bxxx」を見ていて、それを強く感じました。

【追伸】

●飛び級について

私は、私の生徒について、よく飛び級をさせる。子ども本人に、その能力があり、やる気があ
り、そのとき、どんどん伸びている状態のときは、飛び級をさせる。

 今までに、小学5年生の子ども(OI君)を、高校1年生のクラスで教えたことがある。小学4年
生子ども(NK君)を、中学3年生のクラスで教えたこともある。現在の今でも、2〜4年、飛び級
している子どもは、10人近くいる。

 その飛び級をさせるとき、いつも悩むのは、その子どもの能力というより、つぎの2点である。

(1)精神力は、じゅうぶんあるか?
(2)人格は、どうか?

 飛び級というのは、子ども自身が納得していないばあいは、してはいけない。子ども自身が、
それを望んでいれば、よし。そうでなければ、飛び級しても、長つづきしない。私や親だけの意
向で決めてはいけないということ。

 子ども自身が納得しているばあいには、それが精神力となって発揮される。

 反対に、精神力がじゅうぶんでないと、何かのことで、つまずいたようなとき、それが挫折感と
なって、子どもにはねかえってくる。

 飛び級のこわいところは、ここにある。

 飛び級したあと、学力の伸びが停滞するときがある。そういうとき、教える側は、「またもとの
学年にもどしたい」と考える。しかしもどすのは、簡単ではない。親が、猛烈に反発する。子ども
自身も、大きく、キズつく。

 だから精神力がじゅうぶんでない子どもは、安易に飛び級させてはいけない。

 つぎに飛び級をさせると、中には、おかしなエリート意識をもつ子どもがいる。エリート意識を
もつ一方で、おかしな優越感をもつ。そしてほかの子どもをバカにしたり、軽んじたりする。

 そういう子どもに接すると、人間的な嫌悪感を覚える。で、私はそういう子どもの、横柄な態
度をいましめるのだが、それで自分を改める子どもは、まず、いない。そのときは、「ごめん」と
か、「わかった」とか言うが、またしばらくすると、「お前は、ぼくより年上なのに、こんなこともで
きないのか! バカだなあ」などと、平気で言ったりする。

 「勉強さえできれば、優秀」と思いこんでいる子どもについては、いくら勉強がよくできても、そ
んなわけで、飛び級させることに、どうしても慎重にならざるをえない。








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【2】

●子どもの緩慢行動

【Uより、はやし浩司へ】

私には、4歳(年少)の娘、M子(姉)と、1歳8ヶ月の息子S夫(弟)がいます。
先日、娘の幼稚園の個人懇談がありました。

そこで、先生に言われたのが

「M子(姉)ちゃんはいつもマイペースで、マイペースすぎてもうちょっとスピードアップして欲しい
んですけどね」でした。

「急がないと行けない時にもマイペースでね、今(年少)はあまりする事も少なくて、他の子と差
は出てこないと思いますけど、これから先、年中、年長となるにつれてその差は広がっていき
ますからね」

「急がないといけない時に、急げるようなボタンがあればいいんですけどねー(笑)。そこを押せ
ば、急いでくれるっていう風に・・・・(笑)」と冗談まじりではあったのですが、最後に夏休み中に
お母さんから、M子ちゃんに急ぐって事を教えてあげておいてくださいと言われました。

「急ぐという事を教えるといわれても・・・・先生どうしたらいいんでしょう?」って聞いたのです
が、イマイチよく分かる回答がなかったような気がします。

怒って「急いで!急いで!急いで!」とまくし立てるのも良くないと思いますし、言った所で出来
るわけでもないですし。

普段、出来るだけ怒らないように大声をあげないように、出来たら大げさに誉めてあげて、を
心がけているのですが今の私のやり方では、夏休みあけても同じだろうし・・・・どうしたらいい
のだろう?、と考えこんでしまいます。

何がどうマイペースか具体的に言うと、給食の時間になって先生が、「後に給食の袋を取りに
いって準備して下さい」って言っても、上の方を見てボーッと椅子に座っていることが時々あっ
て、「M子ちゃん、準備よー急いでー!」って言っても、とりわけ急ぐ様子もなくゆっくりらしいで
す。

又、今メロディオンの練習をしているようなのですが、M子(姉)は指でドレミファソを弾く事は出
来るみたいなのですが、ホースを口にあてて息を吹く事が分からなかったみたいで、一人だけ
音が出なかったみたいです。

先生が側で、「M子ちゃん吹くんですよー」って言っても分からなくて、挙句の果てには、ホース
に口をあててホースに向かって、ドレミファソを言いながら、けん盤を弾いていたようです。

先生も??、だったみたいで、「違うよM子ちゃん! 吹くのよ!!」って言うと今度は、何でそ
んなに先生は私に怒ってるの?、っていう反応だったようです。

あと、空想にふけっていたりするみたいです。

他にも日々の行動で色々あるようです。

M子(姉)は私に似ているのか、よく言えばおっとりで悪く言えば、どこかのろい所があって入園
の際、私もそれが少し気にはなっていました。

のびのび保育の幼稚園を選べば、そんな事を考えなくて良かったのかもしれませんが、私的に
は、小学校でお勉強を始めるより、幼稚園で少しでも触れていれば気遅れなく、M子(姉)もや
っていけるのではと考えたのですが、やはりその分要求される事も多いんですね・・・。

今は、本人は幼稚園が大好きでお歌の時間もプリントの時間も体操の時間も楽しいとは話して
います。

楽しく通ってくれれば、私はそれで大満足なのですが年中、年長になった時、まわりの早さにつ
いて行けなくなって幼稚園が楽しくなくなったら、やはり園を変えた方がいいんでしょうか?

また、もっとスピードアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか?

また、M子(姉)には、時々どもりがあります。ほとんど指摘しないように聞きながしているので
すが、ちょっと気になっています。

はっきりとした原因は分かりませんが、下の子を出産する際引き裂かれるように、私と離れ離
れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたのが悪かったのかな?、と反省していま
す。

長々と下手な文章で好きな事を綴ってしまいましたが、アドバイス頂けますようお願い申し上げ
ます。

これからもまぐまぐプレミアをずっと購読していこと思っています。毎日暑いですが、どうぞお体
にお気をつけ下さい。


【はやし浩司より、Uさんへ】

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。感謝しています。

 ご相談の件ですが、最初に疑ってみるべきは、緩慢行動(動作)です。原因の多くは、親の過
干渉、過関心です。子どもの側から見て、過負担。それが重なって、子どもは、気うつ症的な症
状を見せるようになり、緩慢行動を引き起こします。

 ほかに日常的な欲求不満が、脳の活動に変調をきたすことがあります。私は、下の子どもが
生まれたことによる、赤ちゃんがえり(欲求不満)の変形したものではないかと思っています。

 逆算すると、M子さんが、2歳4か月のときに、下のS夫君が生まれたことになります。年齢
的には、赤ちゃんがえりが起きても、まったく、おかしくない時期です。とくに「下の子を出産す
る際引き裂かれるように、私と離れ離れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたの
が悪かったのかな?」と書いているところが気になります。

 たった数日で、別人のようにおかしくなってしまう子どもすらいます。たった一度、母親に強く
叱られたことが原因で、自閉傾向(一人二役のひとり言)を示すようになってしまった子ども(2
歳・女児)もいます。決して、安易に考えてはいけません。

 で、その緩慢行動ですが、4歳児でも、ときどき見られます。症状の軽重もありますが、10〜
20人に1人くらいには、その傾向がみられます。どこか動作がノロノロし、緊急な場面で、とっ
さの行動ができないのが、特徴です。

 こうした症状が見られたら、(1)まず家庭環境を猛省する、です。

 幸いなことに、Uさんの子育てには、問題はないように思います。そこで一般の赤ちゃんがえ
りの症状に準じて、濃密な愛情表現を、もう一度、M子さんにしてみてください。

 手つなぎ、抱っこ、添い寝、いっしょの入浴など。少し下のS夫君には、がまんしてもらいま
す。

 つぎに(2)こうした症状で重要なことは、「今の症状を、今以上に悪化させないことだけを考
えながら、半年単位で様子をみる」です。

 あせってなおそう(?)とすればするほど、逆効果で、かえって深みにはまってしまいます。子
どもの心というのは、そういうものです。

 とくに気をつけなければいけないのは、子どもに対する否定的育児姿勢が、子どもの自信を
うばってしまうことです。何がなんだかわけがわからないまま、いつも、「遅い」「早く」と叱れてい
ると、子どもは、自分の行動に自信がもてなくなってしまいます。

 自信喪失から、自己否定。さらには役割混乱を起こす子どももいます。そうなると、子どもの
心はいつも緊張状態におかれ、情緒も、きわめて不安定になります。そのまま無気力になって
いく子どももいます。

 「私はダメ人間だ」という、レッテルを、自ら張るようになってしまいます。もしそうなれば、それ
こそ、教育の大失敗というものです。

 そこで(3)子どもの自己意識が育つのを静かに見守りながら、前向きの暗示をかけていきま
す。

 「遅い」ではなく、「あら、あなた、この前より早くなったわね」「じょうずにできるようになったわ
ね」と。最初は、ウソでよいですから、それだけを繰りかえします。

 「先生もほめていたよ」「お母さん、うれしいわよ」と言うのも、よいでしょう。

 ここでいう「自己意識」というのは、自分で自分を客観的にみつめ、自分の置かれた立場を、
第三者の目で判断する意識というふうに考えてください。

 しかし4歳児では、無理です。こうした意識が育ってくるのは、小学2、3年生以後。ですから、
それまでに、今以上に、症状をこじらせないことだけを考えてください。

 とても残念なことですが、幼稚園の先生は、せっかちですね。その子どものリズムに合わせ
て、子どもをみるという、保育者に一番大切な教育姿勢をもっていないような気がします。

 おまけに、「年長になったら……」と、親をおどしている? ある一定の理想的(?)な子ども
像を頭の中に描き、それにあわせて子どもをつくるという、教育観をもっているようです。旧来
型の保育者が、そういうものの考え方を、よくします。(今は、もうそういう時代ではないのです
が……。)

 M子さんに、ほかに心身症による症状(「はやし浩司 神経症」で、グーグルで検索してみてく
ださい。ヒットするはずです。
あるいは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html)が出てくれば、この時期は、がま
んしてその幼稚園にいる必要は、まったくありません。

 子どもの心に与える重大性を考えるなら、転園も、解決策の一つとして、考えてください。

 そして(4)「うちの子を守るのは、私しかいない」と、あなたが子どもの盾(たて)になります。
先生から苦情があれば、「すみません」と一応は謙虚に出ながらも、子どもに向かっては、「あ
なたはよくがんばっているのよ」「すばらしい子なのよ」と言います。そういう形で子どもの心を
守ります。

 まちがっても、そこらの保育者(失礼!)がもっている理想像(?)に合わせた子どもづくりを、
してはいけません。

 子育てもいつか終わりになるときがやってきます。そういうとき、あなたの子育ての思い出
を、光り輝かせるものは、「私は、子どもを守りきった」「私は、子どもを信じきった」という、親と
しての達成感です。

 今が、そのときです。その第一歩です。

 最後に(5)M子さんに合わせた、行動形態にすることです。「のろい」と感ずるなら、あなた
も、もう一歩、自分の歩く早さを、のろくすればよいのです。どこかに子育てリズム論を書いて
おきましたので、また参考にしてください。

 とても幸いなことに、Uさんは、たいへん愛情豊かな方だと思います。それに自分の子育てを
客観的にみつめておられる。とてもすばらしいことです。(プラス、私のマガジンを読んでい
る!)

 子どもといっしょに、子どもの友として、子どもの横を歩いてみてください。楽しいですよ。セカ
セカと歩いていたときには気づかなかったものが、たくさん見えてきますよ。

 そうそう、最後に一言。

 こうした緩慢行動(動作)は、子どもの自己意識が育ってくると、自然に消えていくものです。
子どもが自分で判断して、自分で行動をコントロールするようになるからです。どうか、安心して
ください。

 私の経験でも、乳幼児期の緩慢行動(動作)が、そのまま、小学5、6年生まで残ったというケ
ースを知りません。小学3、4年生ごろには消えます。(ただしこじらせると、回復が遅れます
が、そのときは、もっと別の、ある意味で深刻な、心身症、神経症による症状が出てきます。

 また親は「のろい」「のろい」と心配しますが、第三者から見ると、そうでないというケースも、
たいへん多いです。これは親子のリズムがあっていないだけと考えます。)

 吃音(どもり)については、ここ1〜3年は、症状が残るかもしれません。環境が大きく変わっ
ても、クセとして定着することもあるからです。吃音については、あきらめて、濃密な愛情をそそ
いであげてください。これも時期がくれば、症状は消えます。

 どんな子どもでも、一つや二つ、三つや四つ、そうした問題をかかえています。全体としてみ
れば、マイナーな、何でもない問題です。

 あまり深刻にならず、ここは、おおらかに! なお先取り教育は、失敗しますので、注意してく
ださい。それについては、またマガジンのほうで取りあげてみます。

 なおこの原稿は、(いただいたメールの転載も含めて)、8月13日号で掲載する予定です。ど
うか転載のご承諾をお願いします。不都合な点があれば、書き改めます。至急、お知らせくだ
さい。

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                                  はやし浩司

++++++++++++++++++++++ 

【子育てリズム論】
●子どもの心を大切に
子どものうしろを歩こう
 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、子ど
もが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、それは
騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)あなた
が、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立っ
て、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタイプの親
ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪語する。

へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。そしてお
けいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子ども
で、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できのよい子」と錯覚す
る。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのように聞かれ
ると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人よりは、ずっと相手
の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続くというこ
と。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。

別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこかでそのリズ
ムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでいるため、変えるの
は容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早いほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からでも、子ど
もの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変
えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。

++++++++++++++++++++++++

【補記】

 旧来型の保育者は、よく「遅れる」(昔は「後れる」と書いた)という言葉を使う。

 しかしいったい、何が、どう遅れるのか?

 このタイプの保育者は、ある一定の幼児像(=コース)を頭の中に想定し、その幼児像にあ
わせて、子どもを作ろうとする。

 子どもを一人の人間としてみているのではなく、子どもを、モノ、あるいは、ペットとしてみてい
る(?) ……そう決めてかかるのは、言い過ぎかもしれないが、子どもを、一人の人間として
みたことがない人には、この感覚は、理解できない。

 つまりこうした旧来型の保育者でも、口では、いっぱしに、「私は子どもを一人の人間としてみ
ています」などと、言う。そして世話をするのが、保育。めんどうをみるのが、保育。しつけるの
が、保育と考えている。

 その保育のし方をみていると、あたかも家畜の飼育小屋で、家畜にエサを与えている姿勢に
似ている。どこか、おかしい? どこか、まちがっている?

 たとえばNHKの「お母さんとxx」という番組がある。

 私もときどきあの番組をみるが、少なくとも私がしている幼児教育とは、明らかにちがう。あ
の番組の中の幼児には、個性がない。子どもたちは、ペットでもしないような、アホな踊りをさ
せられているだけ。

 「♪お手々が、ブラブラブラ……」と。

 そこで、一度、年中児の子どもたちにこう聞いたことがある。

 「君たちは、ああいう踊りをさせられて、自分たちが、バカにされていると思わないか?」と。

 すると子どもたちは、(年中児の子どもたちが、だぞ!)、こう答えた。

 「思う」「思う」と。「バカにされていると思う」と言うのだ。

 私はよく「子どもの人権」という言葉を使う。しかしこの日本では、本当に子どもの人権は、確
立されているのか?

 それがわからなければ、もう一度、「遅れる」という言葉の意味を考えてみたらよい。「後れ
る」でもよい。

 いったい、子どもは、何から、どう遅れるのか?
(はやし浩司 子どもの人権 遅れる 後れる リズム論 子育てリズム論)
(040713)



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【3】

●平和教育について

【SKより、はやし先生へ……】

今日(8月6日は朝のサイレンがなり、それがきっかけで、
娘に「広島」について話をする
機会がありました。もう、来年で60周年。今の国際情勢を
考えると、広島の原爆も、昔話になってしまうのでしょうか。

さて、メルマガにあった文章で、気になったことについて
書き添えたいと思います。


<国旗、国歌について>

(国旗について……)「日本は、そもそも単一民族だから、国旗や国歌にこだわる必要はない
のではないか。国旗や国歌が必要なのは、多民族国家である。そういう国では、国をまとめる
ために、国旗や国歌が必要である。しかし日本には、そもそも、その必要性がない。なりゆき
に任せればいい」(53歳・男性)


この意見を読んで、日本人は、単一民族である、
という発想がまだまだ強いところがこわいなぁ、と
思いました。

国旗、国歌が必要になってくるのは、自分の国にいるときではなく、
「外国にでた」ときだと私は考えます。自分が「どこの」所属かを
相手に明確にするためのものですよね。

浜松で、浜松祭りで、どこの町の法被を着ているか、のように。

だからこそ、自分の国から一歩もでない、鎖国状態の人には
「必要が無い」で済むのかもしれません。

アメリカで、高校の英語の授業でも、歌舞伎や能を扱うことが
あります。イギリスの作家でも、能の影響を受けて劇を書いている
人もいますし。(アイルランドのイエイツ、ノーベル賞作歌もそのひとり)

授業で、「能について、知っていることを教えてください」と
問いかけを先生からされたときに、答えることができない日本人と
しての所在のなさ! 今でも忘れません。

日本に帰ってきてから、能について、勉強をしていないところに私の
怠慢がありますが……。

国旗を、国旗といえない国には、どうしても問題があると思うのです。
幼稚園でも小学校でも「ひのまるのうた」を歌ってきます。じゃ、
どうして「国旗」と言わずに、「ひのまる」というのでしょう。
国歌も、「きみがよ」という別名をもうけてあります。

主人が柔道を趣味でしているので、彼の恩師に警察大学校で教壇に
立っている方がいます。主人が会話の流れで「日の丸」と言ったときに、
先生は毅然と、「ひのまるではない! 国旗だ!」と言ったそうです。
会話の流れとはいえ、選ぶ言葉は「意識」の問題である、と。

国の、国民としての、自覚の問題ですね。考え方は十人十色かも
しれません。

国旗の扱いについても、日本人は自覚がなさすぎることはよく
指摘されていることです。主人の手伝いで、かれこれ10年ぐらい前に
千葉の幕張で行われた柔道世界選手権の舞台裏を覗いたことがあります。

国旗の扱いはどこまでも丁重に。日本人だと、たたむときに、床に
べろーーん、と広げてから畳んだりしてしまいます。もう、こんな
ことが相手国の人々の目にとまれば、大政治問題です。

降ろすときも、畳むときも、複数の人間が各角をもち、角をあわせて
畳みます。決して床にはついてはいけない。

国旗を重ねてしまう事があろうものなら、その順序(どちらが上、
どちらが下)も、神経質になります。あくまでアルファベット順に徹する
などの工夫が必要です。

しまうときも、「くっつかないように」ひとつひとつビニール袋に入れて
しまいます。国旗そのものが、お互いにくっつかないように。

レプリカをつくって、シャツのデザインにしたり、なんていうのは
「相手国に対する冒涜」なんです。こういう視点で国旗を考えた
ときに、小学校の運動会でかかっている「万国旗」には、つい、
意味を考えたくなってしまいます。

国旗、国歌の議論が必要がない、とおっしゃる方は、くれぐれも
渡航中にトラブルに巻き込まれないようにお気をつけいただきたい
ものです。

日本人、国旗、国歌。日本をでれば、みなが日本の代表ですので。

ふと、サッカーアジアカップの、日本・中国の決勝が頭をよぎります。
とても、とても、恐ろしい政治の問題です。


<平和宣言>

私が大学生のとき、大学生協の平和活動に参加をしていました。
全国津々浦々の大学生協から、学生達が集まって平和アピールを
するという主旨のものです。

東京だと、江戸川区にある、第五福竜丸のおいてあるところから
平和アピールが始まります。8月6日の、広島の式典にあわせて
行進をし、たすきをつないでいくというものです。ピースウォークという
名称のものでした。

それに参加するほど根性はなかった私は、6日に広島入りをしました。
で、大学生どうしで、ひたすら「平和ってなあに?」という話し合いを
して、「ほら、平和って大事だよね。」と言い合って終わるのです。

完全に、自己満足の世界です。「ふつうの大学生とちがって」、自分は
「平和のことを考えている」というのをお互いに認め合うための会合
です。それも、広島で、大集会と化して。大声で平和をイメージした
歌を歌ってみたりして。

大学生協だけでもかなりの規模ですし、各地生協、平和団体などなど
集まってきます。海外からも、水素爆弾禁止運動をしているフランス人
やら、いろんな人がいました。それはそれは、8月6日だけは、きっと
残り364日の広島の景色とは違ってしまうのでしょう。

朝の式典は、原爆の投下された時間の黙祷で始まります。そのために
平和公園に集まるために、寝ぼけ眼で、大学生達がタクシーに
乗って「すべりこみセーフ」で式典に、参加するのです。(と、集会の
人ごみにまぎれているだけなのですが。)

タクシーの運転手さんがつぶやいてました。「今日だけはね、どこも
かしこも、馬鹿騒ぎでね。ほんとに広島の人とか、戦争関係の
人なんていないだろうよ」って。広島に来た自分が、おろかだったなと、
痛感した瞬間でした。

8月6日の広島。それは、青空の広がる暑い夏だったはずです。
今年は、台風やらの影響での独特な湿気。こうやって感覚がずれて
いくのでしょうか。


<マガジンについて>

先生のマガジンを通して、日常の忙しさにかまけて、考えないような
話題がたくさん提示されています。ほんとに、たくさん。思うことが
あっても、返信できないほどです。

今年の暑さは、例年とは明らかに違います。どうぞ、お身体を第一に
なさってください。このうえで、楽しいマガジンの配信をお願します。


<読書感想文>

娘の宿題の読書感想文を眺めながら、ふと思ったことがあります。
そういえば、私がアメリカでいたときの5年間、読書感想文って
書いただろうか? 書いてない!(そうか、だから娘に指導できない
んだ!って開き直ったほどです。)

日本は識字率が高いので、こういう宿題が可能だと思いますが、
それだけが理由なのでしょうか。

私が過ごした5年間でこなした作文課題といえば…。
ショートストーリーを書く、詩を書く、俳句を書く、などでした。
いわゆる creative writingです。 
エッセーといっても、レポートと同じように「批評する」文章でした。

日本の、いわゆる読書感想文の、「○○に感動しました。☆☆が
面白かったです。私にもこういう経験があります。この本を読んで
とても心が打たれました」的なものではなかったです。

本について書く文書といえば、ブックレビューでした。これも、
本の批評です。critical writingといわれていました。それこそ、
作品の中の、フレーズや単語ひとつを、とことん批評するという
ような主旨のもの。または、作品の歴史背景等を鑑みた批評など。

アメリカの、私が住んでいた町だけ読書感想文の指導がなかった
のでしょうか。よその国でも、日本の読書感想文にあたるような
もの(原稿用紙3枚ぐらいの分量のもの)があるのでしょうか。

ふと、気になってしまいました。


とてもとても長くなりました。適当に読み流していただけると
幸いです。

SKでした。

【はやし浩司よりSKさんへ……】

 昨夜(8・7)は、アジアカップの決勝戦が、ペキンでありました。私の教室の父親が、2人、出
場しているということで、ふつうでない緊張感を覚えました。(いつもなら、菓子をポリポリ食べな
がら、気楽に観戦していたと思いますが……。)

 中国の人たちのもつ、根深い反日感情を知るにつけ、改めて、「国とは何か」を、考えさせら
れました。選手の人たちは、若い人ばかりです。戦前の日本とは、関係のない人ばかりです。

 それが、戦後60年近くもたった今、ペキンで、反日攻撃の矢面に立たされている!

 私も、1967年に、UNESCOの交換学生で、韓国に行きましたが、歓迎されたのは、当初
の1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされました。戦後生まれの、私が、
です。

 国歌斉唱のとき、またまた大ブーイング。それを見ていたとき、何もしてこなかった私たちの
世代。それを知り、申し訳ない気持ちにかられました。多分、選手の奥さんたちや、生徒たちも
観客席にいるでしょう。何か、ものを投げつけられなければよいがと、どこかハラハラして見て
いました。

 あんな気持ちで、サッカーの試合を観戦したのは、はじめてです。

 で、日本が優勝。何ごともなかったようです。(もし2対1なら、大抗議が起きていたかもしれま
せんね。うち日本の1点は、どこかファウルゴールぽかったですから……。しかし実際には、3
対1で、勝った! これなら中国側も文句を言えない!)

 よかった! 

 広島の原爆について、「小学生に平和宣言などさせるものではない」と書いた私の意見に、
やはり反論してきた人がいました。

 わかります。

 私は平和宣言に反対しているのでは、ありません。「平和を、つぎの世代のための子どもた
ちのために用意するのは、私たち、おとなの役目だ」と書いたのです。「そのために、子どもを
利用してはいけない」と。

 同じようなテーマに、環境問題があります。おとなの私たちが、さんざん、環境をよごし放題よ
ごしておいて、子どもたちに向かって、「環境を守れ」はないとと思います。

 それともSKさんは、アメリカで、子どもが、平和宣言しているような光景を見たことがあります
か? 子どもが自分で考えて、そう言うならまだしも、子どもを操り人形のように、操ってはいけ
ない。それが私の意見です。(何なら、幼児に平和宣言させてみればよいのです。どうしても、
子どもにさせたいのなら……。)

 平和の問題は、高度に政治の問題であり、それゆえに、それは純粋に、おとなの問題なので
す。たとえば今、天然ガスの採掘をめぐって、日中関係がギクシャクしています。たがいに、ま
さに(やられたら、やり返す)の応報を繰りかえしています。こうした応報が、やがて戦争につな
がらないとは、いったい、だれに言えるでしょうか。

 「平和を守ります」と、子どもに宣言させて、それで平和を守ることにはならないのです。

 私は、こうした、つまりおとなたちの責任をタナにあげ、子どもを利用する行為が、どうにもこ
うにも、許せないのです。プラス、どうにもこうにも、理解できないのです。

 そうそう、その「日本人には、国旗はいらない」と言ってきた人は、現在、インドネシア在住の
男性(50歳)です。前後を少し省略しましたが、彼が言うのは、こういう意見です。

 「インドネシアは、いろいろな民族でなりたっている。そういう国を一つにまとめるには、国旗
が必要だ。しかし日本は、そもそもそういふうに、一つにまとめる必要はない。少なくとも、イン
ドネシアのようにはない」と。

 それで冒頭のような意見を書いてくれました。少し、誤解があったかもしれません。

 「能」で思い出しましたが、私が学生時代、2年間だけですが、その能(私は声を出す、謡)を
しました。加賀宝生流です。京都の能舞台で、うなったこともありますよ。

 外国へ行くたびに、何かの場で、披露しています。ああいうのを、何か一つ、得意芸として、
身につけておくと、よいですね。「これがジャパンだ」と、誇ることができます。

 またアメリカには、(ライブラリー)という授業があります。週1回程度、図書室で、指導を受け
るというものです。ご存知のように、アメリカでは、読書指導が、教育の柱になっています。

 驚いたのは、(ライブラリー)の指導だけは、修士号をもった教師でないと、できないということ
です。(ほかの教科は、学士号で、教壇に立つことができますが……。)

 「図書館の司書」というと、日本では、どうしても「下」に見られますが、欧米では逆のようです
ね。オーストラリア人の友人も、オーストラリアのM大学の図書館で、司書をしていますが、教
授と同じあつかいです。あらゆる教授の相談にのるという意味で、重要な仕事と考えられてい
るようです。

 SKさんのメールを読みながら、改めて、ナットクしたというわけです。ありがとうございまし
た。

 言うまでもなく、(作文)が、文字、言葉教育の目標であり、要(かなめ)ですね。本を読んで、
作文を書く。これから日本でも、もっと重要になってくると思います。

 メール、ありがとうございました。またまたマガジンへの掲載を、許可していただければ、うれ
しいです。(すでに発行予約してしまいましたので、事後承諾になります。どうか、お許しくださ
い。9月6日号に、掲載します。よろしかったでしょうか。)

 そうそう、きのう、「スパイダーマン」を見ました。ああいう映画は、肩がこらなくて、よいです
ね。ハハハと笑って見ました。
(040808)





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【4】

●兄弟の問題

●長男、二男の問題

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茨城県M市にお住まいの、Tさん(母親)から、
長男(7歳)、二男(6歳)の問題について、
質問がありました。

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【Tさんより、はやし浩司へ】

いつもマガジンを拝見させていただいております。
毎日の生活の中で、ハッと振り返る良い時間をもてることに感謝しています。

二人の、男兄弟について質問します。

長男は比較的育てやすく、情緒も安定しており、今までは特に問題はなかったのですが、最近
次男のほうが、上の子に対してライバル心を持つようになりました。

もともと下の子の方が運動神経もいいこともあり、二人の興味対象である野球で、下の子のほ
うが上手になってきました。

それにつれて、勉強のほうも、私が長男に教えていますと、傍から見ていて同じように覚えてい
くので、今では2桁の足し算引き算、および掛け算もいえるようになってきました。

年齢が1歳と少ししか違わないこともあり、長男は最近プライドを傷つけられたのか、下の子を
ずいぶんといじめるようになり、また「自分は生きていても仕方がない」などというようなことを言
うようになり心配しています。

なるべく長男が自信を回復するようなことをするように仕向けていますが、なかなかうまくいきま
せん。勉強も運動も次男の方が上手になるという話は良く聞きますので、(例えばプロ野球の
選手は次男が多いなど)、林先生のところではどのように対処されているのかお伺いしたいと
思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

++++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、Tさんへ】

 一見、この問題は、兄弟の間の確執のようにみえます。しかし問題の本質は、(親)を間には
さんだ、三角関係にあるとみます。

 長男の心の中に、一度、視点を置いてみると、それがわかります。

 長男は、弟に対して、自分が劣っていることを、問題にしているのではありません。長男は、
親のTさんや、父親の関心が、弟のほうに向いていることを、問題にしているのです。あるいは
自分より、弟のほうに、関心がうつるのを心配しているのです。

 恐らく、下の弟が生まれたときから、何らかのわだかまりが、長男のほうに生じたと思われま
す。その時点から、自分への愛情(手間)は、半分になった。しかもことあるごとに、「お兄ちゃ
んだから……」という「ダカラ論」を、押しつけられた。

 こうして長男のほうに、大きな欲求不満が蓄積するようになったと考えられます。Tさんは、
「育てやすかった」と言っていますが、それはそれだけ、長男のほうが、自分の立場を守るため
に、「いい子」ぶっていただけとも考えられます。

 ものわかりがよい、よい兄を演じていた。親に好かれるために、です。その可能性は、じゅう
ぶん、あります。

 が、その弟のほうが、何かにつけて、優秀ということになってきた……。兄の長男の立場とし
ては、ただごとならぬ状態になってきたわけです。

 こういうケースのばあい、子ども(長男)は、ふつう、つぎの4つのパターンのどれかを、選択し
ます。

(1)親や弟に対して、攻撃的になる。
(2)親に対して、同情を求めるようになる。
(3)親に対して、依存的、服従的になる。
(4)内閉したり、親を拒絶したりするようになる。

 長男が、「自分は生きていても仕方がない」と言うのは、そう言いながら、親に同情を求めた
り、親の反応をうかがっているものと考えてよいようです。こうした(ぐずり)は、すでに、下の子
どもが生まれた、2歳前後からあったはずです。

 もう少し深く、長男の心の中に、視点を置いて考えてみましょう。

 あなたの夫が、あなたよりすてきな愛人を、家の中に連れてきたら、あなたはどうするでしょう
か。少し極端な感じがしないでもないですが、長男の置かれた状況としては、それほどちがわ
ないはずです。

 その愛人は、あなたより、若い。美しい。料理もうまい。……そういうとき、あなたなら、どうす
るでしょうか。嫉妬もせず、平穏に、その愛人と同居できるでしょうか。あなたの夫が、「お前
も、愛人も、平等にかわいがってやる」と言ったとき、あなたは、それに納得するでしょうか。

あなたは「子どもは、家族だ」「兄弟だ」「同じ親子だ」と言うかもしれませんが、それはおとなの
論理にすぎないということです。

 本来なら、長男は、弟を、蹴とばして、外へ追い出したい。しかしそれができない。それをす
れば、自分の立場がなくなってしまう。

 つまりこの問題の奥には、そうした長男の複雑な、つまりはゆがんだ心理があるということで
す。

 そこで対処のし方としては、もう一度、全面的に、長男へのスキンシップ、暖かい愛情を取り
もどします。7歳という年齢から、赤ちゃんがえりはないと思いますが、それに似た、幼児がえり
は、あるかもしれません。何かにつけて、わけのわからないことを言ってぐずるようなら、添い
寝、手つなぎ、一緒の入浴などを、子どもが求めてきたら、ていねいに応じてあげます。

 (1)暖かい無視と、(2)ほどよい親に心がけます。

 「ほどよい親」というのは、「求めてきたときが、与えどき」ということです。長男が、スキンシッ
プを求めるようなしぐさを見せたら、ていねいに、こまめにそれに応じてあげます。数分間程
度、ぐいと抱くだけでも、効果的です。

 決して、「お兄ちゃんだから……」と、ダカラ論で、長男を、突き放してはいけません。子どもに
上下をつけないで、同じ子どもとして扱います。そしてこの際、弟さんには、少しがまんしてもら
います。ここで長男の心をいじけさせると、ひがみやすくなる(依存型)、いじけやすくなる(同情
型)、つっぱりやすくなる(攻撃型)などの症状が出てくるようになります。(すでに出ているようで
すが……。)

 能力的な劣等感は、従って、弟が原因ではありません。それをわからせる、家庭の雰囲気と
いうか、親の態度、姿勢にあります。どこかで、「お兄ちゃんのクセに……」とか、「弟に負ける
なんて……」という雰囲気があるのではありませんか? もしそうなら、これはやはり、長男の
心の問題ではなく、親の育児姿勢の問題ということになります。

 というのも、これから先、この種の劣等感(反対に優越感も)は、いつも子どもの心を襲いま
す。たまたま今は、兄弟という関係の中で、起きているだけです。親としてはつらいところです
が、「あなたはよくがんばっている」式に、子どもの立場で、それをなぐさめてあげるしかありま
せん。

 で、こうしたプロセスを経て、子どもはやさしく、かつたくましくなっていきます。今の段階では、
まず、あなた自身が、兄弟の上下意識をもたないこと。(そういう意味では、あなたは、かなり、
上下意識の強い親かもしれません。)

 そういう上下意識を無意識のうちに感じながら、上の長男が、それを劣等感にしてしまいま
す。そしてその一方で、弟が、ライバル意識から、兄への優越感。さらには、兄をバカにする…
…というふうに転化してしまったら、それこそ家庭教育の失敗ということになります。

 いろいろなことが考えられますが、しかし全体としてみると、実によくある問題であり、かつ、
何でもない問題の部類に属する問題です。しかも、弟さんの立場で考えるなら、どこかぜいたく
な悩みということになるかもしれません。

 ですから、あまり深刻に考えないで、ここに書いたことを参考に、対処してみてください。で、
それで兄弟の仲が悪くなっても、しかたのないこと。(これもよくあるケースです。)

 また兄が、弟をいじめたり、嫌ったりするのも、これまたしかたのないこと。(これもよくあるケ
ースです。)

 完ぺきな兄弟関係を、求めないこと。このあたりは、もう成りゆきに任せるしかないと思いま
す。子どもというより、ある2、3年もすると、あなたの子どもたちも、親離れを始め、自己意識
も育ち、一人の人間として、自立していきます。親として、介入できることにも、限界があるとい
うことです。こういうケースでは、長男のよき相談相手、アドバイザーとして、親が一歩退く。そ
れが結局は、子離れということになります。

 だからとりあえずの方法としては、兄・弟という上下意識を、まず、とりのぞき、二人の子ども
を、「友」として位置づけてみては、どうでしょうか。(まあ、年齢的に、少しむずかしいかもしれ
ませんが……。やや、手遅れ的な部分も、あるということです。)

 そのあとの人間関係は、二人の子どもに任せます。あなたの周辺にも、仲のよい兄弟おいれ
ば、そうでない兄弟もいるはずです。どうなるかは、もう、子どもたち自身が決めることだという
ことです。(それとも、あなた自身は、あなたの兄弟と、仲がよく、今でも、良好な人間関係を保
っていますか?)

 この問題は、そういう視点からも、考えます。

 最後に、自信を回復させる方法としては、一芸論などがあります。「はやし浩司 一芸論」で
検索してくださると、どこかでヒットするはずです。Tさんのケースでは、長男には、二男とは別
の一芸をもたせたほうがよいかもしれませんね。

+++++++++++++++++

参考までに……

+++++++++++++++++

●「これだけは絶対に人に負けない」・子どもの一芸論

 Sさん(中一)もT君(小三)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケ
ートで、それぞれ、自分を光らせていた。

中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あと
は坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうときのため、……というだけではないが、子
どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面から支える。あるいはその一芸が、その
子どもの身を立てることもある。

 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。
ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金
を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。

 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(二歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、
「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ
た才能を見せ、中学二年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)も
そうだ。

父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」
と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。
パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学三年生のころには、ベーシ
ック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。

 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ
がる。一芸というのは、そういうもの。ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集め
ているというのは、一芸ではない。

ここでいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造
的なもの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。

そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そう
いう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつし
かいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」とい
う状態にする。

 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観
察する。一見、くだらないことのように見えることでも、その中に、すばらしい才能が隠されてい
ることもある。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。  
(はやし浩司 兄弟の確執 ライバル意識 一芸論)

【付録】

●長子は神経質?

 なお神経質な子どもに関して、こんな興味深いデータがある。東海大学医学部の逢坂文夫氏
らの調査によると、「一番上の子は、下の子よりも神経質」というのだ。

 東京都内の保育園に通う1000人の園児の母親について調べたところ、次のようなことがわ
かったという。

 母親がわが子を神経質と認めた割合は、弟や妹をもつ長子についてがもっとも多く、42・
7%。

これに比べて、一人っ子は、35・1%、第二子は23・7%、第三子以降は、15・8%(母親の
平均年齢は、32・6歳。園児の平均年齢は3・8歳)。「兄弟姉妹の下のほうになるほど、のん
びり屋さんになるようだ」(中日新聞コメント)と。

 また「緊張しやすい」とされた長子の割合も、第二子の約1・5倍だったという。長子ほど、心
理的に不安定な傾向がうかがえる。これらの調査結果からわかることは、子どもが神経質にな
るかどうかということは、生まれつきの性質による部分も無視できないが、生まれてからの環
境にもよる部分も大きいということである。






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【5】

●こだわりの強い子ども

【質問1】

 5歳の子どもです。1、2学期は元気で、幼稚園へ通っていましたが、3学期になってから、教
室へひとりで入っていくことができなくなりました。

 友だちが声をかけてくれても、ダメで、入り口で待っているような状態です。心配ですが、どう
したらいいでしょうか。

【参考意見】

 何らかのこだわり(固着)をもっていることが考えられます。このこだわりが強くなると、恐怖症
などに発展します。考えられるのは、対人恐怖症、集団恐怖症などですが、こうした恐怖症に
よる恐怖感は、安易に考えてはいけません。

 「何でもないのよ」「がんばりなさい」という押しつけには、じゅうぶん、注意してください。要す
るに無理をしないこと。少しずつ、からんだ糸をほぐすように、子どもの立場で、子どもの心を
考えます。

 中に入れないようだったら、それを悪いことと決めてかからず、少しずつ、(実際の指導で
は、暖かい無視を繰りかえしながら)、子どもを中へ引き入れていくようにします。

 こじらせると、心身症、神経症へと発展します。さらに、一度、恐怖症のプロセス(思考プロセ
ス)ができてしまうと、いろいろな恐怖症になりやすくなりますから、注意してください。学校恐怖
症(不登校)も、その一つです。

 家庭では、それを責めたりしないこと。スキンシップを多くし、ほかの原因、たとえば欲求不満
になっていないかなどを、反省します。威圧的な家庭環境、虚圧的な雰囲気、拒否的な態度を
していないかを、反省してみてください。

 なお集団になじめない子について、補足として、少し考えてみます。

(補足)

●集団になじめない子ども

 集団になじめない子どもがいる。全体の10%程度はいるのではないか。集団の中で、つぎ
のような様子を示す。

(1)静かでおとなしい。柔和で、おっとりしている。
(2)従順で、自分の意思をはっきりと表示できない。
(3)いわゆる「いい子」だが、どこかつかみどころがない。
(4)まじめで、先生の指示などには、従順。できも悪くない。
(5)子どもらしい、ハツラツとした表情に欠ける。
(6)自分の感情を押し殺してしまうようなところがある。
(7)みなが大声で笑うようなときでも、それに乗ることができない。

 原因は、話せば長くなるが、新生児期から乳幼児期にかけての、母子関係の不全と考えてよ
い。子どもが、親の威圧的育児姿勢、拒否的態度、あるいは心配先行型の神経質な子育てな
どにより、ありのままの自分をさらけ出すことができなくなってしまったと考える。

 現実に、表情のとぼしい子ども、表情のない子どもがふえている。全体の10〜15%くらいは
いるのではないか。さらに自分の感情をすなおに表現できない子どもも、多い。

 問題は、こうした子どもは、外から受けるストレスを、その場でうまくかわすことができないと
いうこと。いやなことがあっても、それに反発することができない。言いたいことを言うことがで
きない。内へ内へと、それをためこんでしまう。心はいつも、ある種の緊張状態に置かれる。そ
してその結果として、集団に恐怖心をいだいたりするようになる。こじれて、不登校児になるこ
ともある。

 そこで大切なことは、こういうタイプの子どもは、どこかで、(「どこかで」といっても、家庭の中
ということになるが)、緊張状態をほぐすために、ガス抜きをしなければならない。仮に家庭の
中でも、抑えこんでしまうようなことがあると、子どもはさらに行き場をなくしてしまう。

 たいていこのタイプの子どもは、家の中では、まるで別人のように、騒いだり、大声を出した
り、わがままを言ったり、ときに暴力的であったりする。またそうすることによって、自分の心を
調整しようとする。

 家庭で、親の役割があるとすれば、そうしたガス抜きを、じょうずに手伝ってあげること。家の
中で、だらしない態度や、ぞんざいな様子を見せても、「ああ、この子は、外の世界でがんばっ
ているから……」と、大目にみる。

 そして何か、神経症的な症状を見せたら、その状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、
無理をしない。それに徹する。

 見た目の、つまり表面的な従順さや、まじめさに甘えて、過酷な負担を強いたり、過剰な期待
をしてはいけない。引くところは引きながら、「あなたは、無理をしなくていいのよ」というような
姿勢をつらぬく。

 なお小学校入学までに、一度、こうした様子を見せたら、それ以後、そうした様子が、(なお
る)ということは、まず、ない。おとなになってからも、つづくと考えてよい。だから大切なことは、
集団になじめないからといって、それを悪いことだと決めてかからないこと。

 子どもには、それぞれ、特有の特性のようなものがある。あとは、その特性にあわせて、つま
り無理をせず、子どもを伸ばしていくことを考える。








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【6】

●反抗する子ども

【質問2】

 子ども(小5男児)を励ますつもりで、何かを言うと、「お母さんだって……」と言い返します。母
親を、ちょっとバカにしているようなところがあります。どうしたらいいでしょうか。

【参考意見】

 反抗期ですね。それについて、まとめた原稿を、先に紹介します。

++++++++++++++++

 ●反抗期

 子どもの反抗期は、おおまかに分けると、つぎの3段階に分けることができる。私自身の経
験もまじえて、考えてみる。

【第1期】

 少年期(少女期)から、青年期への移行期で、この時期、子どもは、精神的にきわめて不安
定になる。将来への心配や不安が、心の中に、この時期特有の緊張感をつくる。その緊張感
が原因で、子どもの心は、ささいなことで、動揺しやすくなる。

この時期の子どもは、親に完ぺきさを求める一方、それに答えることができない親に大きな不
満をいだいたり、強く反発したりする。小学校の高学年から、中学校の2、3年にかけての時期
が、これにあたる。

○競争社会の認識(他人との衝突を繰りかえす。)
○現実の自己と、理想の自己の遊離(そうでありたい自分を、つかめない。)
○将来への不安、心配、失望(選別される恐怖。)
○複雑化する友人関係
○絶対的な親を求める一方、その裏切り(親への絶対意識が崩れる)

【第2期】

 親からの独立をめざし、親の権威を否定し始めるようになる。「親が、何だ!」「親風、吹かす
な!」という言葉が、口から出てくる。しかし親の権威を否定するということは、自ら、心のより
どころを否定することにもなる。そのため、心の状態は、ますます不安定になる。

こうした独立心と並行して、この時期、子どもは、自己の確立を目ざすようになる。家族の束縛
を嫌い、「私は私」という生き方を模索し始める。さらに進むと、この時期の子どもは、「自分さ
がし」という言葉をよく使うようになる。自分らしい生き方を模索するようになる。中学校の2、3
年から高校生にかけての時期をいう。

○独立心、自立心の芽生え(家族自我群からの独立。幻惑からの脱却。)
○干渉への抵抗(自分は自分でありたいという願い。)
○自己の模索(どうすればよいのかと悩む。)

【第3期】

 精神的に完成期に近づくと、親をも、自分と対等の人間と見ることができるようになる。親子
の上下意識は消え、人間対人間の、つまりは平等な人間関係になる。子どもが大学生から、
おとなにかけての時期と考えてよい。

 子どもは、この反抗期を経て、家族が家族としてもつ、一連の束縛感(家族自我群)からの独
立を果たす。

○受容と寛容(あきらめと、受諾。)
○社会性の確立(自分の立場を、決め始める。)
○恋愛期(恋をする。初恋。)
○家族への認識と、家庭づくりの準備(結婚観の模索)

こうした一連の流れを、一般的な流れとするなら、そうでない流れも、当然、考えられる。何ら
かの原因で、子ども自身が、じゅうぶんな反抗期を経験しないまま、おとなになるケースであ
る。

 強圧的な家庭環境で、子ども自身が、反抗らしい反抗ができないケース。
 親の権威主義が強すぎて、子ども自身が、その権威におしつぶされてしまうケース。
 家庭環境そのものが、きわめて不安定で、正常な心理的発育が望めないケース。
 異常な過保護、過干渉、過関心で、子どもの性格そのものが萎縮してしまうケース。
 親自身(あるいは子ども自身)の知的レベル、育児レベルが、低すぎるケース。
 親自身(あるいは子ども自身)に、情緒的、精神的問題があるケース、など。

 こういったケースでは、子どもは、反抗期らしい反抗期を経験しないまま、おとなになることが
ある。そして当然のことながら、その影響は、そのあとに現れる。

 じゅうぶんな反抗期を経験しなかった子どもは、一般的には、自立心、自律心にかけ、生活
力も弱く、どこかナヨナヨした生きザマを示すようになる。一見、柔和でやさしく、穏かで、おとな
しいが、生きる力そのものが弱い。よい例が、母親のでき愛が原因で、そうなる、マザコンタイ
プの男性である。(女性でも、マザコンになる人は、少なくない。)

 このタイプの男性(女性)は、反抗期らしい反抗期を経験しないため、自我の確立を不完全な
まま、終わらせてしまう。その結果として、外から見ても、つかみどころのない、つまりは、何を
考えているか、わからないといった性格の人間になりやすい。

 そんなわけで、子どもが親に向かって反抗するようになったら、親は、「うちの子も、いよいよ
巣立ちを始めた」と思いなおして、一歩、うしろへ退くようにするとよい。子どもの反抗を、決して
悪いことと決めてかかってはいけない。頭から、押さえつけたりしてはいけない。その度量の広
さが、あなたの子どもを、たくましい子どもに育てる。

++++++++++++++++++

 子どもは、反抗しながら、おとなになっていきます。反抗することを、「悪」と決めてかかっては
いけません。それともあなた自身は、いかがでしたか。そんな視点で、一度、自分を見つめて
みると、よいのではないでしょうか。










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【7】

●入学が不安

【質問3】

 2人兄妹の下の子のことです。「泣けば抱っこ」というふうに、何でも許してきました。こまごま
と言わないと、何もしません。春から小学校に入学します。だいじょうぶでしょうか。幼稚園で
は、しっかりとやってくれています。

【参考意見】

 要するに依存性の問題ですね。しかし子どもの依存性は、実は、親自身の問題なのです。親
自身が、依存性が強いから、子どもの依存性に甘くなってしまうというわけです。その結果とし
て、子どもに、依存心がついてしまうということになります。

 それだけに、この問題は、やっかいです。あなた自身の「心」をつくりかえなければならないか
らです。もっと言えば、子育ては、リズムの問題です。そのリズムを変えるのは、容易なことで
はありません。あるいは突然変えたりすると、今度は、子どものほうが、それに適応できなくな
ることもあります。

 昨日まで、「抱っこ」とせがめば抱っこしてくれた母親が、今日から「だめ」と言ったら、子ども
は、どんなふうに感ずるでしょうか。

 原因は、あなた自身が、乳幼児期に、どこか不安定な家庭で、依存性の強い子どもに育てら
れたことが考えられます。この問題は、「根」が深いということです。

 ただ幼稚園では、「しっかりとやっている」ということですので、お母さんが心配しているほど、
(心配な子)でないことは、考えられます。あるいは外の世界(幼稚園)でがんばっているから、
家の中で、かえって甘える(依存性)という態度をとるのかもしれません。

 幼稚園でがんばっているようなら、反対に、ほめてみたらどうでしょうか。「あなたは、よくやっ
ているわよ」「すばらしい子よ」と。

 そして母親は母親で、自分の道をさがします。子育てから離れて、自分のしたいことをしま
す。その結果として、子離れをし、子どもに自立を促すようにします。









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【8】

●親のあせり

【質問4】

 小学校へ行きだして、まわりを見ると、みな、親たちが子どもに、「勉強しなさい」「塾へ行きな
さい」と言っているのを聞きます。それを聞くと、あせってしまいます。どこまで親がすればよい
のか、悩んでいます。

【参考意見】

 YESかNOか、決めかねているときというのは、心も緊張し、そのため、たいへん不安定にな
ります。あなたが感じている不安感や、焦燥感も、そのあたりから生まれています。

 そういうときは、どちらか一方にすなおに、ころぶしかありません。ほかの親たちと同じよう
に、子どもには、「勉強しなさい」と言い、何も考えず、子どもを塾へ通わせる。あとは子どもが
もちかえる成績に一喜一憂しながら、子どもの未来を心配したり、あるいはその未来に希望を
もったり……。

 それがいやだというなら、あなた自身が、確固たる、子育て観と人生観を確立するしかありま
せん。「私は私」「私の子どもは、私の子ども」とです。

 そのために、私は、いろいろな情報と知識を提供しています。毎週、子育て通信を無料で配
信しています。(1000号で廃刊になりますので、早い者勝ちですよ!)

 「どこまで親がすればよいか」についてですが、親として必要なことはしまう。しかし必要以上
のことはしない。その限度をわきまえている親が、真の家族の喜びを与えられます(バートラン
ド・ラッセル)。

+++++++++++++++++++

自由な教育について書いた原稿を
添付します。

+++++++++++++++++++

常識は偏見のかたまり
●おけいこ塾は悪?
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が十八歳のときにもっ
た偏見のかたまりである」と。

●学校は行かねばならぬという常識…アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教
材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政
府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合で
ふえ、〇一度末には二〇〇万人になるだろうと言われている。それを指導しているのが、「LI
F」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は
世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している。

●おけいこ塾は悪であるという常識…ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイツでは、週単位
で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習クラブは
学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が千円前後。こうした親の負担を
軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の
「子どもマネー」が支払われている。

この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。こうしたクラブ制度は、カ
ナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。
日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学外教育に対する世間の評価はまだ低
い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任
をもたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っていることでも、世界
ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。









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【9】

●甘い父親

はじめまして。KYといいます。

育児のHPを巡っているうち、こちらにたどりつきました。
いろいろと大変参考になり、食い入って読んでしまいました。

我が家には3歳、1歳の息子がいます。
3歳のお兄ちゃんは、凄く父親に甘えます。
これは1歳頃からそうなのですが、父親が本当によく子供の面倒を、丁寧にみる人で、飽きず
とよく相手をしてくれ、食事の面倒も、オムツ替えも、いる時は育児のすべてをしてくれます。

小さい頃はそれで沢山の愛情を注がれて、いいことだと思っていたのですが・・・。

お兄ちゃんは3歳過ぎてからは、私と普段一緒にいる時はお利口で、頼んだことは何でもよく
やってくれるし、ワガママもほとんど言いません。

3歳過ぎてから、上の子と一緒にいても、楽になったと感じます。(それまではそれなりに大変
だったので)
でも、休日に父親がいると、変貌。

ご飯も自分で食べない、トイレも一人で行かない、どこかに出かければ「抱っこ!」、常に父親
に遊び相手を要求し、とにかく1日中父親にベッタリなのです。

私が変わりにしてあげようとしても、「お父さん!!」と、私は全く無視。
休日に父親が一人でどこかに出かけてしまうと、大泣きです。(しばらくすれば泣きやみます
が)

そして、父親もそれに、すべて応じてしまうのです。

普段、真夜中帰りの父親なので、平日は子供と会うのは、朝のほんの数十分。
下手すると、子供の起きる時間が遅いと、会えない日もたびたびあります。
私が何でもやってしまう旦那に注意をしても、「普段はちゃんと一人でやってるんだろ? 休日
の時ぐらい、甘やかしてあげないと」と言い、本当に甘いんです。

叱るなんてこともよほどでなければしないですし、子供が「〜〜買って!」と言えば、すぐに自分
のおこづかいで買ってあげてしまいます。(いつもではありませんが)

確かに私は、どちらかと言えば面倒見も良くないですし、子供の相手も上手じゃないです。
下の子が生まれて、日ごろ、いろいろと我慢している部分もあるでしょうし、それで余計にお兄
ちゃんを甘やかしてあげたいということなんでしょうが、それでもあまりにお兄ちゃんが父親に
ベッタリで、まさしく依存してしまっているので、このまままでいいのか困惑しています。

私の育て方がよほどダメなのかと悩むこともしばしばです・・。

そして、父親自身、ドラ息子なのです(笑)
長男として、家を継ぐものとして、甘やかされ育っています。(今は同居していませんが)

まず一緒にいて、自立心がないのが苦になります。
自分のことなのに、人の責任にして、人を責めたりします。
自分のことを自分でしない。

人(私)がやって、当たり前なんです。
旦那のことは諦めていますが、子供にはこう育って欲しくないんです。
でも、今のように旦那が子供に全て手を出していると、自立できないようで怖いんです。

よろしければ、アドバイスを頂けたらと思います。
よろしくお願いします。

+++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、KYさんへ】

 掲示板への投稿、ありがとうございました。

 どこか、それでいて、ほほえましい親子関係が、頭に浮かんできます。まあ、ふつうの言い方
をすれば、あなたの夫は、子煩悩(ぼんのう)、よき家庭人であり、よきパパということになりま
す。

 ただ、それが少し、度を越している?

 原因は、ご指摘のとおり、あなたの夫自身が、甘やかしと、きびしさの同居する、どこかアン
バランスな家庭環境で、生まれ育ったことが考えられます。「長男だから……」と言って、甘や
かされ、同時に、「長男だから……」と言って、きびしく育てられた(?)。

 つまり夫の中の「父親像」が、かなり混乱していると思われます。私の印象では、あなたの夫
が育った環境は、ベタベタに甘い母親(夫の母親)が一方にいて、権威主義的で、きびしい父
親(夫の父親)が、もう一方にいるというような、そんな家庭環境ではなかったかと思います。

 (あくまでも、私の推察ですが……。)

 同時に、あなたの夫の、情緒的な未熟さも、疑われます(失礼!)。おとなになりきれていない
というか、どこかにピータパン・シンドローム的※なところがあるのかもしれません。一見、子ど
もを深く愛しているかのように見えますが、どこかでき愛的(?)。そんな感じがします。(でき愛
は、「愛」ではありませんよ。念のため。)

 で、こういうケースでは、あなたが夫を作り変えようとか、夫に改めてもらおうと考えても、意味
がありません。ムダです。あなたの夫を教育するのは(失礼)、あなたの子どもを教育するよ
り、何倍も、むずかしいということです。

 では、どうするか。あなたの夫については、現状を受け入れ、あきらめ、その上で、よりベター
な方法を考えるしかありません。たしかに、あたなにとっては、深刻な問題かもしれませんが、
全体としてみると、マイナーな問題です。多少の弊害は子どもに現れるでしょうが、しかしそれ
ほど深刻な後遺症を残すということも、ありません。

 この時期、一過性の問題として、すむはずです。ですから、「自立できなくなる」とか何とか、
そんなふうにおおげさに考えないで、夫と協調して、足りない部分については、あなたが妻とし
て、母親として、補えばよいのではないでしょうか。

 (反面、あなた自身は、どこか都会的、もしくは欧米型の合理主義的な家庭で育てられた可
能性が高いようですね……。これもあくまでも、私の推察にすぎませんが……。)

 3歳の子どもの側からみると、1歳の弟に、母親に取られたと感じているのかもしれません。
そこで父親を自分のものにしたいと思っているのかもしれません。嫉妬による赤ちゃんがえり
の、やや変形したバリエーションの一つと考えられます。

 ですから症状としては、どこか「分離不安」的な症状に似ています。(父親の姿が見えなくなっ
て、ワーッと泣きだして、父親のあとを追いかける子どもも、珍しくはありません。)しかしこれも
3歳という年齢を考えるなら、やはり一過性の問題と考えます。

 子どもの自立が問題になるのは、子どもが親離れを始める、10歳前後と考えてください。む
しろ今の時期は、親の拒否的な育児姿勢や育児放棄。冷淡、無視、暴力などが、大きな問題
となる時期です。

 幸いにも、KYさんのご家庭は、その正反対ですから、あまり神経質にならないで、夫に任す
ところは、夫に任せたらよいと思います。(先にも書いたように、問題があるといえば、あります
が、しかしこの程度の問題は、どの家庭にもあります。)

 あなたの夫が、ドラ息子的であるとしても、それはもう、どうにもなりません。いろいろ不平、
不満もあるでしょうが、あきらめて、うまく家庭をまとめるしかないでしょう。そのかわり、私が発
行している電子マガジンなどを、そのつど読んでもらうという方法は、いかがでしょうか。

 親のでき愛にせよ、親像の問題にせよ、ドラ息子論にせよ、そのつど、テーマとして、とりあ
げています。あなたの夫にも読んでもらえれば、それなりに参考になるはずです。

 これから先、まだまだ子育てはつづきます。ぜひ、私のマガジンを購読してみてください。よろ
しくお願いします。

++++++++++++++++++++

ピーターパンシンドロームについて、以前
書いた原稿を、少し手直しして、添付します。

++++++++++++++++++++ 

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム モラトリアム
人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)









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【10】

●無気力な子ども

【子どもを伸ばすコツ】

子どもを伸ばす最大のコツは、(子どもがしたいと思っていること)と、(子どもが現実にしている
こと)を、一致させてあげることです。とくに乳幼児期は、遊びを通して、それを実現します。

「ぼくは、これをしたい。だからこれをする」「私はこれをしたい。だからこれをする」と。

こうして(子どもの中の私)と、(現実の私)を一致させます。これをアイデンティティの確立とい
います。

こうしてその子どもは、自分の進むべき道を、自分でさがし求めるようになります。

ただ一つ、誤解してはいけないのは、(したいこと)は、そのつど、変化するということです。たと
えば、幼児のことは、「ケーキ屋さんになりたい」と言っていた子どもが、小学生になると、「パン
屋さんになりたい」「お花屋さんになりたい」などと言うようになるかもしれません。

しかしそのときでも、(自分がやりたいことに向って努力する)という、思考プロセスは、頭の中
に残ります。この思考プロセスこそが重要なのです。

中身は、そのつど、変わります。変わって当然なのです。

ここでは、「非行」をテーマに、この問題について考えてみます。子どもの非行というのは、子ど
も自身が、(やりたいこと)を見つけ出せなくなったとき、その代償的方法(あるいは自己防衛的
方法)として、始まります。

++++++++++++++++++++++

●非行のメカニズム

 子どもの非行。その非行に子どもが走るメカニズムは、意外に単純なもの。言いかえると、
子どもを非行から防ぐ方法も、簡単。

【第一期・遊離】

 (したいこと)と、(していること)が、遊離し始める。「ぼくは、サッカーをしたい。しかし塾へ行
かなければならない」など。「私はケーキ屋さんになりたいのに、親は、勉強をして、いい大学
へ入れと言う」など。

 (〜〜したい)と思っていることと、(現実にしていること)が、遊離し始める。つまり子ども中
で、アイデンティティ(自我の同一性)が、混乱し始める。

 アイデンティティが、混乱し始めると、子どもの心理状態は、不安定になる。怒りっぽくなった
り(プラス型)、反対にふさぎやすくなったりする(マイナス型)。

 この状態を、「同一性の危機」という。

 この段階の状態に対して、抵抗力のある子どもと、そうでない子どもがいる。幼少期から、甘
やかされて育った子どもほど、当然、抵抗力がない。遊離したとたん、一気に、つぎの(同一性
の崩壊)へと進む。

一方、幼少期から、家事の手伝いなどを日常的にしてきた子どもほど、抵抗力が強い。子ども
の世界では、(いやなことをする力)を、「忍耐力」という。その忍耐力がある。

 アイデンティティが混乱したからといって、すぐ、つぎの第二期に進行するわけではない。個
人差は、当然、ある。

【第二期・崩壊】

 (したいこと)と(していること)が、大きくズレてくると、子どもは、まず、自分を支えようとする。
がんばる。努力する。が、やがて臨界点にさしかかる。子ども自身の力では、それを支えきれ
なくなる。

「野球の選手をめざして、もっとがんばりたいのに、毎日、勉強に追われて、それもできない」
「勉強はおもしろくない」「成績が悪く、つまらない」と。

 こうして同一性は、一気に、崩壊へと向う。子ども自身が、「自分は何をしたいのか」「何をす
べきなのか」、それがわからなくなる。

【第三期・混乱】

 アイデンティティが崩壊すると、精神状態は、きわめて不安定になる。ささいなことで、激怒し
たり、突発的に暴れたりする(プラス型)。

 反対に落ち込んだり、家の奥にひきこもったりする(マイナス型)。外界との接触を断つことに
よって、不愉快な気分になるのを避けようとする。このとき、無気力になり、ボーッとした表情
で、一日を過ごすようになることもある。

【第四期・非行】

 アイデンティティが崩壊すると、子どもは、主につぎの5つのパターンの中から、自分の道を
模索する。

(1)攻撃型
(2)同情型
(3)依存型
(4)服従型
(5)逃避型

 このうち、攻撃型が、いわゆる非行ということになる。独特の目つきで、肩をいからせて歩く。
独特の服装に、独特の暴言などなど。暴力行為、暴力事件に発展することも珍しくない。

 このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、君は、みなに、嫌われるんだよ」と説いても意
味はない。このタイプの子どもは、非行を通して、(自分の顔)をつくろうとする。顔のない自分
よりは、嫌われても、顔のある自分のほうが、よいというわけである。

 アイデンティティそのものが、崩壊しているため、ふつうの、合理的な論理は通用しない。ささ
いなどうでもよいことに、異常なこだわりを見せたりする。あるいは、それにこだわる。自己管
理能力も低下するため、自分をコントロールできなくなる。

 以上が、非行のメカニズムということになる。

 では、子どもを非行から守るためには、どうすればよいか。もうその答はおわかりかと思う。

 つねに(子どものしたいこと)と、(子どもがしていること)を、一致させるようにする。あるいは
その接点だけは、切らないようにする。

 仮に受験勉強をさせるにしても、「成績がさがったから、サッカーはダメ」式の乱暴な、指導は
しない。受験勉強をしながらも、サッカーはサッカーとして、別に楽しめるワクを用意する。

 言うまでもなく、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、精神的に、き
わめて安定している。どっしりしている。方向性がしっかりしているから、夢や希望も、もちやす
い。もちろん、目的もしっかりしている。

 また方向性がしっかりしているから、誘惑にも強い。悪の世界からの誘惑があっても、それを
はねかえすことができる。自己管理能力もしっかりいているから、してよいことと、悪いことの判
断も的確にできる。

 だから……。

 今までにも何度も書いてきたが、子どもが、「パン屋さんになりたい」と言ったら、「そうね、す
てきね」「こんど、いっしょにパンを焼いてみましょう」などと、答えてやる。そういう子どもの夢や
希望には、ていねいに耳を傾けてやる。そういう思いやりが、結局は、自分の子どもを非行か
ら守る最善の方法ということになる。
(はやし浩司 非行 子どもの非行 子供の非行 非行から子供を守る方法 非行防止 アイ
デンティティ アイデンテティ 自我同一性の崩壊 顔のない子ども 子供 はやし浩司 非行
のメカニズム)


●スチューデント・アパシー

 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者を中
心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデント・アパシ
ー」(ウォルターズ)という。

 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、ここにも
書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎられているという
点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活発にする。

 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、ただぼん
やりとしているだけ。眠ってしまうこともある。

 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大きいことが
原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」という状態である。と
くに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたような子どもに、多く見られ
る。

 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。しかし
たいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多い。

 「君は、本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、君にも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、君だって、思っていないだろ?」
 「……」と。

 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して、従順
で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。友だちと遊ぶときはそれなりに活発なのだが、教室
へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取りもど
す。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」というのは、子どもに
とっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞こえるかもしれない
が、その実、子どもの心を破壊している。

 だから今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力になる子ど
もは、本当に多い。市内の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言われている(教師
談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 アパシー スチューデントアパシー 無気力な子ども 自我の崩壊 同一性の危
機 同一性の崩壊)

+++++++++++++++++++++

少し前、こんな相談がありました。再掲載します。

+++++++++++++++++++++ 

【E氏より】

甥(おい)っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。ところがこの
ところ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。

とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がないくせに、
やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。

やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身が持っ
ている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 

【はやし浩司より】

●消去法で

 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。

 バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる気が起き
ない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)など。さらに回
避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集団非行、非行)など。
自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害の前兆や、学校恐怖症の
初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。

 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を見せ
ることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。この時期だ
と、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハーハーあえぐ、など)。

 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうなのか。あ
るいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一日の中でも、
変動はあるのかないのか。

こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつう心配な
ケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うはずです。たとえ
ばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛もあります。行動面では、
たとえば収集癖や万引きなど。

さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすくなりま
す。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。

こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、これでは
ないか?」とです。

●教育と医療

 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したがって、ア
ドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが診断名をくだす
のは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書いたことを参考に、自分で
判断するしかありません。

 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方が違
うということです。

 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、幼児
期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、たいへん不安
定になります。

 「おとなに扱わないと怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」というようにで
す。

 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、検査だ
けをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっていても、知
らないフリをして指導します。

 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。

 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。

 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある部分
(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生まれると説明
されます。

 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩慢動
作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象や回避性
障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進行していきま
す。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことということで、私も、少し気楽
に書いています。)

 ですから安易に考えないこと。

●二番底、三番底へ……

 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに最悪の
状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはしているようですが、
そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならないと思いがちですが……。
決して、そうではないということです。)

 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。そ
れが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。どこかに
心の変調があるとみてよいでしょう。

 では、なおすために、どうしたらよいか?

 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。

●家庭にあり方を疑う……

 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として機能し
ているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうどうと、ふてぶてし
く、体を休めているかどうかということです。

 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるようであ
れば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否があります。反省す
べきは、親のほうです。

 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」というの
は、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三番底へと、子ど
もを追いやってしまうから注意してください。

 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)の悪循
環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環を繰りかえ
し、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
 
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような行為と言っ
てもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、この年齢でも、半年
単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどということは、ありえません。

 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその子ど
もを見ていませんので、何とも判断しかねます。

 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということです。
子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離れます。

 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思いなお
し、大目にみます。

 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MGの多い食
生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり情緒が不安定
になっていることも、考えられます。)

 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えませ
ん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、意味がな
いばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に多いです。

 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。あまり
深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。
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ント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩
司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松市 幼
児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
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